アズアメ創作BL短編集

アズアメ

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(112)人狼と餌

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 狼王のために『極上の餌』であるレティシアを、執事として見守る役目を担ったラーレン。レティシアが食べ頃を迎えたある日、城に異変が起こり……。

 餌お坊ちゃん×執事人狼……と見せかけて、人狼幼馴染CP推しです! 気持ち的にはラーヒマが好きです!(受け攻め曖昧)
 その後のレティシア編に続くと思います。

ラーレン:レティシアに仕える執事。銀髪眼鏡。人狼。
ヒマリス:ラーレンの様子を見に来てくれる幼馴染。黒髪おさげ。人狼。
レティシア=ハイド:『極上の餌』と呼ばれる貴重な少年。城住みお坊ちゃん。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 あるところに、可哀想な王子様がいました。彼の名はレティシア=ハイド。桃色のふわふわした髪と、同じく桃色の愛らしい瞳を持つ彼は、いつも城の皆に守られていました。
 ――だって、そうしないと、彼はすぐに狼に食べられてしまうから。彼が食べられてしまえば、城の人間たちも無事ではいられないのですから。

『狼が来たぞ!』『向かい撃て!』『何があってもレティシア様をお守りしろ!』
 獰猛な狼が街に侵入したのを知ると、みんなレティシアを守るために武器を取りました。
『レティシア様が部屋にいない!』
『あのガキ……。また抜け出しやがった!』
『おい馬鹿! 口が過ぎるぞ!』
『でもよ、俺たちだって好きでお守りしてるわけじゃないってのに、こっちの気も知らないでふらふら遊んで……』
「私が探してきます。貴方がたは引き続き迎撃を」
『げ。ラーレン……』
 不満を口にした男が振り返ると、レティシアの側近である銀髪の執事が立っていました。
『チッ。相変わらず読めねえ奴だ』
『馬鹿。ラーレン様がいるからこそオレたちはこうして生きてんだぞ! マジで口を慎め!』
 ラーレンは、とても強い執事でした。彼は幾度となく野蛮な狼を殺してきました。だから、皆から尊敬される人物でした。勿論、皆が皆、彼に心酔しているわけじゃないけれど、それでも、この城の住人たちが生きているのは間違いなく彼のお陰なのです。


「大丈夫。大丈夫だよ」
『殺される……! きっとボクも殺される!』
「大丈夫だって……、あ、ほらラーレンが来た!」
 ラーレンが街の噴水広場、レティシアのお気に入りの場所に辿り着くと、案の定レティシアがいました。レティシアはラーレンを見るや否や、目を輝かせて喜びました。
「レティシア様。その子どもは?」
「この子、両親を狼に殺されちゃったんだって。ずっと蹲って泣いてるから、僕、心配で……」
『レティシア様、その様な子は捨て置きください! それよりも早くお城へ戻りましょう?』
「嫌だよ。僕、この子を置いては帰れない」
『レティシア様! 貴方は大切な王子様。そんな下賤な子どもに構っている暇はありません!』
 青ざめながら叫んだメイドは、レティシアの手を引きました。でも、レティシアはそれに抵抗して動きません。
『グルル……』
 どこからか狼の唸り声が聞こえてきました。
「ああ、ほら。メイが叫ぶから。狼にバレちゃったね」
『ひっ……』
 レティシアが指さした方向から、狼がのっそりと現れました。
 狼は、口元についた血をぺろりとひと舐めすると、次の獲物を見定めました。
「あ……。もしかして僕、狙われちゃってる……?」
『れ、レティシア様っ!』
 狼は、レティシア目掛けて高く飛びました。そして――。
「引け」
『キャ、キャウン……ッ!』
 向かってきた狼を、ラーレンは刀で受け止め、押し返しました。
『ラーレン様!』
 メイドがほっと息を吐き、ラーレンを羨望のまなざしで見つめました。ラーレンがいるからもう安心です。
「下がっていてください」
 三人にそう促すと、ラーレンは狼に向かい細刀を構えました。
『……』
 狼は彼を無言で睨み、レティシアを惜しそうに見てから、迷っているかのようにその場をうろうろとしました。
「早く去った方が貴方のためですよ?」
『……キュウ!』
 ラーレンがにこりと笑って眼鏡を押し上げたのを見て、狼は慌てたように情けない声でひと鳴きした後、しずしずと去っていきました。。
『さすがラーレン様!』
『す、すごい……』
 メイドと男の子は、頬を赤くしながらラーレンを誉めました。ラーレンは、そんな二人を無表情で見下ろしました。
「ほら。ここは危険です。早く城に戻りますよ」
「ラーレン……」
 ふいに、レティシアがラーレンの服の裾を遠慮がちに掴みました。
「……」
 ラーレンはこっそりと溜息を吐き、気持ちを切り替えてから男の子に向かって微笑みました。
『えと……』
 微笑まれた男の子は、さらに頬を赤く染め、きょろきょろと三人の顔を交互に見ました。
「メイさん。この子を施設に入れて差し上げましょうか」
『え。ですが……』
「責任は私が取りますので」
『ラーレン様がそう仰るのでしたら……』
「さすがラーレン。わかってる!」
「全く、今回だけですからね」
 そう言ってラーレンは、桃色の髪を見つめて薄く微笑みました。



 男の子はラーレンに手を引かれ、薔薇園に辿り着きました。
「さて。君、パパとママに会いたいですよね?」
『え、そりゃ、会いたいです……。 けど、もうパパもママも、狼に食べられちゃって……」
「大丈夫。うん。きっと会えます。さあ、おいでなさい」
『あの、ラーレン様……?』
「大丈夫。何も心配することなどありません。だって、すぐに終わりますから」
『え?』
 ばくり。
 ラーレンの笑顔が消えた途端、薔薇の影から狼が現れて、男の子はあっという間に丸飲みされてしまいました。
「悪いね、ヒマリス」
「お前ね~。俺はゴミ箱じゃないんだぞ?」
 ヒマリスと呼ばれた狼は、伸びをした後、あっという間に黒髪の青年に姿を変えました。
「謝っているじゃないか。それに、お前に食べられた方があの子も幸せさ。ここで暮らし続けるよりは、ずっとね」
「そりゃ言えてる。ココの大人は大抵がくたびれていて食べる気も起こらん。大事な餌を守るために無理やり生かされてちゃ、そうなるだろうがな」


 この世界には、二種類の人間がいました。
 一つは、『餌』。何の能力も持たないごく普通の人間。
 もう一つは、『人狼』。人間を食らって生きる凶悪な捕食者。人間の姿と狼の姿を持つ厄介な存在。
 当然ながら、人間たちは人狼を恐れていました。が、恐れていると言ってもその程度は軽く、大抵の人間たちは人狼を都市伝説の怪異のようなものだと思っていました。
 何故なら、人狼の数は人間に比べて、極端に少ないのです。
 ですから、本来ならば大抵の『餌』は『人狼』に出会うことなくその生涯を平凡に終えるのです。
 しかし。
 ここ、ハイドの城は少し違っていました。
 だって、この地を統べるハイド家の歴代の長男は、決まって狼たちにとっての『極上の餌』に生まれるのです。その可哀想な血筋のせいで、ハイド家とそれを取り巻く使用人たちは自由を奪われたまま。そう、彼らは狼王のために『極上の餌』を食べ頃になるその日まで、守り、丁寧に育ててゆかなければ殺されてしまうのです。
 脅された人間たちが生まれてきた『極上の餌』を育て、狼王に献上する。ハイド城はそれが繰り返されるだけの狂った箱庭。その中で一人だけ、何も知らない無垢な少年が楽しそうに笑うのです。


「それで、今回の『極上の餌』の食べ頃はいつだ」
「狼王に献上するのはまだまだ先になるだろう。だが、蛮狼が襲って来るようになったのも事実。熟れ始めの匂いを感じ取ったのだろうな」
「ふ~ん。俺が見た時にゃ、まだ青くて酸っぱそうだったけどなあ」
 ヒマリスは、三つ編みに括った己の髪を弄びながら呟きました。その黒が着崩した白いシャツに良く映えるので、ラーレンは一瞬見惚れて……慌てて眼鏡を押し上げました。
「人の子の成長は早いものだ。くれぐれも変な気を起こしてくれるなよ」
「馬鹿言え。お前や狼王を敵に回す勇気なんざ、俺にはないさ」
「ふん」
「お前こそ、くれぐれも当てられないことだ」
「ないとは思うがな。気をつけよう」
 生真面目に答えるラーレンに、ヒマリスは微笑みました。
 ラーレンはその温かい眼差しに、そっと心臓を鳴らすのでした。



「ねえ、ラーレン。あの子は元気にしているかな?」
 狼に襲われてから数日が経ったある日、レティシアはふとラーレンに問いました。
「ええ、勿論。何でも、早々に裕福な家庭に引き取られたみたいで」
 ラーレンは、流れるように嘘を吐きました。
「それって幸せ?」
「ええ。それはもう」
「そう。なら良かった!」
 可哀想な『極上の餌』は桃色の髪を揺らし、嬉しそうに微笑みました。
『さあ、レティシア様。今日のおやつは果実をふんだんに使ったフルーツケーキですよぉ!』
「やった~!」
 メイドのメイがテーブルにケーキを置くと、レティシアは万歳をして喜びました。
「ん~。おいしい! ねえ、ラーレンは食べないの?」
「私は後ほど頂きますので」
「え~、ほら美味しいんだよこれ」
「おいしい、ですか」
 ラーレンはケーキの上に乗っかった赤い果実を見つめました。艶やかに光るそれは、狼には全く美味しそうに見えません。
「食べてみる?」
「いえ。私は……」
「む~。じゃあこれは命令。ラーレン、一口食べて」
『レティシア様! ラーレン様は甘いものがお嫌いなのですよ!』
「じゃあ、苺だけでも食べてよ! だって僕、ラーレンにも美味しい物を食べて欲しいもん!」
「……仕方ありませんね」
 レティシアは意外と頑固なところがあるのです。これ以上言っても時間の無駄だと早々に諦めたラーレンは、銀髪を掻き上げてレティシアのフォークに刺さった苺を口にしました。
 でも、やっぱりラーレンには美味しいと思えません。
「おいしい?」
「ええ。美味しいです」
 その独特の食感と果汁に苦戦しながら何とか飲み込むと、ラーレンはレティシアに向かって微笑みました。
「よかった!」
 そう言って、レティシアは残りのケーキをぱくりと頬張りました。その幸せそうな顔を見るのは嫌いじゃないな、とラーレンは思いました。
「それでは私は仕事がありますので」


「う……ッ」
 レティシアと別れ、よろよろと薔薇園に向かうと、ラーレンはその片隅で吐きました。
「おい、どうした?!」
「なんだ、君、居たのか……」
 ラーレンはバツが悪そうな顔でヒマリスの黒い瞳を見上げ、せき込みました。
「ラーレン、体調が悪いのか?」
「いや、不味い物を食べさせられたんだ」
 ヒマリスは、吐いた後を見て顔を歪めました。
「苺か……? 俺たちが食べていいモンじゃない。よく飲み込めたな」
「……気合でな」
 ラーレンはふらりと立ち上がると、急いで地面の吐瀉物を足で埋めました。
「ほれ、これで口直ししな」
「ん、助かる」
 ラーレンは、ヒマリスから人間の血が入った輸血パックを受け取ると、それを飲み始めました。
「お前、ほんとに飯これだけで足りんのかよ」
「ああ、出来損ないの私にはこれで充分だ。いつもすまないなヒマリス」
「それはいいけどよ……」
 ラーレンは、狼の中でも珍しく、人間を食わない狼でした。物心ついてから、人間の血液だけを啜って生きている狼でした。
「肉喰いたいとか思わねえの?」
「私は食に興味がないんだよ」
「同じ狼とは思えねえ」
「だからこそ、私はこの任を与えられている」
 ハイド家長男の肉は狼にとって『極上の餌』。代々狼王は幾度となく『極上の餌』を食べてきました。
 その一番の食べ頃は、その子が精通した直後なのですが、歴代の狼王は完熟前に『極上の餌』を食べるしかありませんでした。だって、どうしたってその熟れ始めた美味しそうな匂いに逆らえないのです。
 だけど、今はラーレンがいます。
 現在の狼王は、人間を食わないラーレンの存在を知り、完璧なタイミングで『極上の餌』を食べることが可能だと喜びました。
 ラーレンを『極上の餌』の傍に付かせば、わざわざ己が赴かなくとも、食べ頃を正確に知ることができるのです。
 他の者を確認に行かせてうっかり食べられたり、己が赴き、匂いに釣られて早々に食べてしまったり、蛮狼(人狼に生まれたが狼の血に飲まれ、理性を失ってしまった者)に食べられたりを経て、今までは狼王の元で誰の目にも触れないように『極上の餌』は管理されていましたが、その必要がなくなったのです。
 そう。ラーレンは、匂いを嗅ぎつけ襲い来る狼を払いながら、完熟のタイミングを知らせる役を担っているのです。
「わかってるよ。だけどさ、無理だけはすんなよ」
「そんなに難しい仕事じゃあないよ」
 ヒマリスも色々手伝ってくれてるしね、とラーレンはヒマリスにだけ見せる顔で微笑みました。
 ヒマリスもまた特別で、他の狼よりも匂いに耐性があるので、ハイド城の敷地内に入ってラーレンに輸血パックを届けたり、一緒に狼を払ったりの手伝いを自ら望んで行っているのです。
「まあとにかくさ、気をつけろよ? ……なんか、どうにも嫌な予感がするんだよ」
 ヒマリスは、後半の言葉を濁しながら呟き、ハイド城を見上げました。そして、そこから漏れ出す濃い匂いに、思わず鼻を覆いました。



「今日のおやつは肉がいいんだ! 甘い実を乗せたケーキじゃ嫌だ!」
 自分の役目など知らないまま、我儘に育ったレティシアは、メイに向かって駄々をこねました。
『でも、レティシア様、おやつはケーキじゃなきゃ嫌だと先日までは仰っていたじゃありませんか!』
「確かにケーキも好きだけど、今の気分は肉なの!」
『まあ!』
 皿の上に乗ったケーキは、いつもと変わらぬ可愛らしさでした。でも、それじゃあ足りなくなったレティシアは、それに向かって何度も乱暴にフォークを突き立てました。
「それは失礼しました。メイさん。今すぐ肉料理の準備を」
『は、はい!』
 突然癇癪を起したレティシアに戸惑いながらも、メイは厨房へと走りました。
「ねえ、ラーレンにはこの気持ち、わかんない?」
「すみません」
「ん~、ラーレン好き嫌い多いもんね」
「すみません」
「ううん。僕にもわかるよ! 嫌いなものは特にないけどさ、好きなものだけいっぱい食べたいって気持ち、わかるもん!」
「そうではないのですが……」
 ラーレンは別に血液が好きなわけじゃありません。本当に食欲というものがわからないのです。だからこそ、レティシアがケーキを食べる様子を見るのが、面白くもあったのですが……。
「僕とラーレンはとっても似てるよ」
「そうでしょうか」
「うん。絶対そうだよ」
 レティシアは、ぐちゃぐちゃになったケーキを口に含み、すぐに不満そうな顔をしました。
「やっぱり、甘いだけじゃ物足りないや……。もしかして、飽きちゃったのかもね」
 それから、一人でぶつぶつと呟き始めたレティシアを見て、ああ、もうすぐ完熟が近いんだろうなとラーレンは思い、我知らずため息を吐きました。



 満月の夜、ラーレンは薔薇園に走りました。
「ヒマリス、いるか?」
「ああ。ここに」
 息を切らせながらラーレンが問いかけると、木の上からヒマリスがくるりと降りてきました。
「狼が出た。城の人間が、ほとんど食い荒らされているんだ……」
「……俺じゃねえよ?」
「わかってる。お前がここの餌を無断で食うはずない。それに、明らかに一人で食べる量じゃない」
「てことは蛮狼が何匹かいるってことか」
「私も最初はそう思った。レティシアの匂いも次第に濃くなりつつあるからな。蛮狼たちの食欲が暴走してもおかしくはない。だが人が食われた跡を見る限り、どうにも彼らの犯行には思えなかった」
「どういう意味だ?」
「“食べ物”で遊んでいるんだよ。ぐちゃぐちゃになったものがそこらに落ちてた。レティシアの匂いが強くなった今、他の匂いがわからない。人間の血の匂いに気づくのが遅れたこともあって、私は犯人を目撃できてない。だけど蛮狼ならば、食べられない分を狩って甚振ったりはしないはずだ」
「ああ。蛮狼たちは確かに動物並みの知能しか持たず、人間の姿にも戻れない哀れで野蛮な狼だ。あれは人間でも人狼でもない。ただの獣だ。だけど、だからこそ食欲に忠実な分、遊ぶ余裕があるとは思えない」
「……内部に私以外の人狼が紛れ込んでいるのかもしれないな」
「けど、それなら何故『極上の餌』をさっさと狙わないんだ? 狼なら誰しも真っ先に『極上の餌』を食いたいだろうに」
「それがわからないから君に助けを求めたんだよ、ヒマリス」
 ラーレンは、困り果てたといった様子で銀髪を振り、息を吐きました。
「それで、肝心の『極上の餌』は無事なのか?」
「それが見当たらなくて。さっきも言ったように、今日急に『極上の餌』の匂いが強くなって。鼻がすっかりおかしくなってしまった。匂いの元がどこなのかすら辿れない始末なんだ」
「なるほど。まあ、匂いが消えてないってことは、まだ生きてるってことだろう」
「恐らくは。『極上の餌』は今日がきっと食べ頃だ。そう思って君に報告しに行こうと思っていたんだが……。こんな事態になってしまって……」
「まあ何にしろ、生き残りに証言を聞くことだな。何か見ているかもしれない。あのいつも一緒のメイドはどうした?」
「メイさんなら、別にレティシアを探している」
「おいおい。この状況でか弱い女の子を一人にするなよ」
「ヒマリスは人間の心配までするのか?」
 ラーレンは、肩を竦めてヒマリスを馬鹿にしたような表情をしてみせました。
「いや、だって。お前はあの子のことを気に入ってるんじゃないのか?」
「ヒマリス。君はそれを本気で言っているのか? 私が気に入っている人など一人しかいないというのに」
「いや、それは……」
 目を泳がせ始めたヒマリスに、ラーレンはわざと大きくため息を吐いてから、眼鏡を押し上げました。
「冗談はさておき。私がお前と会っているところを見られるわけにもいくまい。君に会っていると知れたら、私が人狼だとバレてしまうかもしれないからね」
「悪かったな。人に擬態するのが下手で」
「怒らないでくれよ。君がどれだけ上手く人間に化けても、変えられないその黒髪は、気高い狼であることの証。餌にはない色なんだから。怪しまれるのは必然だ。君に会えば餌は本能的に敵だと察するかもしれない。……勿論、私はその美しい黒髪を愛しているけどね」
「……俺は嫌いだ。こんな髪。自由でいるのにつくづく邪魔だ」
 小さく呟いたヒマリスに慈しむ瞳を向けたラーレンは、その結われた黒髪を解けないように優しく撫でました。
「彼女の命よりも君に助けを求めるのが先だと判断した。ヒマリス、私と一緒に狼を捜してくれ」
「勘弁してくれよ。俺に探偵の素質はないよ。……狼王には助けを要請したんだろ?」
「したけど、中々人が集まらないだろうね。そこらの狼じゃレティシアに当てられて食べる側に回ってしまいかねないからね。探偵ごっこどころじゃない」
「そんなん俺もだっつの」
「君は他より理性がある。だから狼王だって君を頼りにしている。そうだろ? 王子様」
 三つ編みの先に結ばれた銀色のリボンに口づけを落としたラーレンは、狼王の一人息子であるヒマリス王子に向かって微笑みました。
「お前ね……。他より我慢強いからって、俺だって……」
「もたもたしている暇はない。頼りにしてるよ、王子様」
「……今は親父に逆らえないけど、だけどさ、親父が退いたらさ、こんなこと止めにしよう」
「……」
「俺はお前さえ側にいてくれたら極上の餌なんかいらない」
「それは、どういう意味?」
「どういうって、そりゃ、お前は俺にとって一番大切な……」
「大切な?」
「馬鹿」
 ヒマリスはそう呟くと、ラーレンを抱きしめました。
「わかんねぇんだよ、俺だって。お前は一番の親友で、ずっと一緒に居たい。でも、その先って言われると……、俺にはまだわかんなくて……」
「ごめん」
「謝らないでくれ。俺が認めたくないだけなんだ。頼む、俺の覚悟が決まるまで待ってくれ。もう少ししたらきっと答えを出すから。ラーレンにちゃんと伝えるから、だから……」
「そんなに苦しそうな顔しないでよ、ヒマリス。身分も弁えずに無茶なことを言ってるのは私なんだ。今まで散々待ったんだ。期待しないで待ってるさ」
「ああ。……とりあえず、お前は生き残ってる人間に話を聞け。俺は俺なりに探ってみる」
「……待って」
「痛て! 何すんだ、ラーレン、っ!」
 ラーレンは、背を向けたヒマリスの三つ編みを引っ張ると、その頬にキスをしました。
「ヒマリス、くれぐれも無理はしないでくれ」
「どうしたんだよ、いきなり」
「いや、何だか嫌な予感がして……」
 浮かない顔をしたラーレンの肩を叩き、ヒマリスは安心させるように笑顔を浮かべました。
「心配するな。俺は王子様なんだから。そこらの礼儀知らずな狼相手に負けるつもりはないよ。それより、ラーレンこそ気をつけろよ?」
「うん。私も情報を集めたらすぐに戻るよ」
 そうして二人は、静かで明るい不気味な夜の中、お互いを心配したままに別れたのです。



「さて。どうしたもんかな」
 昔、ラーレンから貰った銀色のリボンを揺らしながら、ヒマリスは耳を澄ましました。
「図書室か」
 僅かな呼吸音を聞いたヒマリスは、人が生きているらしい図書室へと足を向けました。
(全く、ラーレンの悩みを増やさないでほしいものだ。アイツは俺で手一杯だってのに。これ以上アイツを悩ませるのは余りにもかわいそうだ。……俺もさっさと心を決めないとな)
 百面相をしながらため息を吐いたヒマリスは、そっと図書室の扉に手を掛けました。
「……!」
 覗いた先に見えたそれは、人間の死体でした。そして、それを貪る影が一つ。
(何だ、この嫌な感じ……)
 ヒマリスの狼の本能が、引き返すよう告げていました。
 狼王の息子であるヒマリスでさえもが恐れる何かが、きっとそこに居るのです。
(とりあえず、ラーレンに知らせないと……)
 ヒマリスは、額から流れる汗を拭いながらそっと後ろに下がりました。
(幸い、相手はこちらに気づいていない。このまま気配を消してこの場を去れば……)
「ラーレン?」
「!」
 ふと、化け物が声を上げました。その声、そしてその声が呼んだ名前にヒマリスは動揺しました。
「ラーレンの匂いがする」
(今すぐ逃げ出したいのに、体が、動かない……!)
 それが死体から顔を上げ、こちらを睨むと、ヒマリスの体は金縛りにあったように動かなくなってしまったのです。
「……なんだ、君か」
 化け物の醜悪な顔が、一瞬にして元の可愛い男の子に戻りました。それと同時に特有の甘い匂いが一気に押し寄せ、ヒマリスの鼻を狂わせました。
 そう。目の前の化け物は、あのレティシア=ハイドに間違いないのです。
「お前は一体なんだ……?」
「あれ、君にも僕の匂いが効かないの?」
 ヒマリスは、くらくらするのに堪えながら、レティシアを睨みました。
(こいつの口振り、きっと俺が人狼なのを知っている。それに、ラーレンのことももしかしたら……。じゃあ、一体コイツは何者だ……?)
「お前は人狼なのか?」
「まさか。僕の匂い、わかるだろ? 僕は餌側だよ」
(じゃあどういうことだ。さっきのは何だ? 死体を貪っていた狂気は、明らかに狼のそれだ。いや、むしろ俺たちなんかよりも、もっとずっと猟奇的で……)
「君はよく堪えるね。全く効かない訳じゃないでしょう? 普通なら皆とっくに僕を食べようとしてるよ。ラーレンが君を信用しているのも頷ける」
 レティシアは無邪気に笑いました。ヒマリスは、その甘い匂いに頭を押さえて後ずさります。
「でも、ラーレンが君を信用しているのはもっと違う。ラーレンは君を愛しているんだ。あれは確かに恋をしている」
「そういうんじゃない。俺とアイツはそういうんじゃ……」
「それは自分への暗示? かわいそう。素直になれないんだね。とっても贅沢で、とっても憎らしいね」
「まさか、お前は……」
「うん、僕もそう。素直になれなかった。だって僕は子どもで。守ってもらうことしかできなかったから。でも今の僕はもう鳥かごの中の鳥じゃない。もう大人になったんだよ」
 にこりとレティシアが微笑んだ途端、脳を麻痺させる甘い匂いがぶわりと強くなりました。きっと、もうすぐにヒマリスは匂いにやられてしまうでしょう。
 それでも、ヒマリスはナイフを手に持ち、震えながらレティシアを睨みました。
(こいつはきっとラーレンをも殺す。その前に、俺がここで……!)
「ああ、嫌だ。君のその眼、すごくムカつく」
「え?」
 レティシアは、ヒマリスからナイフを奪うと、自分の腕を切りつけました。
「ほら、舐めなよ。おいしいよ?」
 ヒマリスの目の前に腕を近づけたレティシアは、挑発するような甘い声で囁きました。
 滴り落ちる血は、ヒマリスの目から見ると、恐ろしい程に美味しそうに映りました。甘い匂いだって、もうとっくに脳の奥まで満たしているのです。だけど、それでも。
「そんなことはしない!」
 ヒマリスは、レティシアを睨んで言い切りました。だって、彼はラーレンを裏切りたくなかったのですから。
「つまらない男だ」
「ッぐ!」
 腕を口に押し付けられたヒマリスは、血を吐き出すようにせき込みました。
「君は本当につまらない。ラーレンのことも独り占め」
「ラーレン、逃げろ……」
 ぐらぐらと揺れる視界の中で、ヒマリスは呟きました。
「さあ。ラーレンが惚れた奴の肉、一体どんなに美味しいだろうか!」
「ああ、ラーレン……ごめん……。俺は、お前が――!」
「いただきます」
 ばくり。
 化けの皮が剥がれたレティシアは、その大きな口でラーレンを丸飲みにしました。
「なるほど。狼も中々美味しい。これは癖になる味だ!」
 悍ましい化け物の姿になったレティシアは、赤く不気味に光る眼を歪めて口に着いた血を愛おしそうに舐めずりました。



「ヒマリス?」
 生きている人を見つけている途中、気配を感じてラーレンは振り返りました。
「ごめん、僕だよ」
「あ……れ?」
 微笑みながら佇むレティシアに、ラーレンは違和感を覚えました。
(こんなむせ返るような甘い匂い、ヒマリスと間違えるはずないのに)
「レティシア様。ご無事だったのですね?」
「うん。ラーレンも無事だったんだね?」
 いつも通り愛らしい少年の笑顔を浮かべるレティシアは、やはりこの切迫した状況に似つかわしくありません。
「はい。ええと。レティシア様は誰か他の者を見かけませんでしたか?」
「あのね、僕、逃げてきたんだ。狼から。食べられそうになったんだよ! でもその狼は、喋る狼で! 僕、怖くなってラーレンの名前を叫んだんだ。ラーレン、助けて! ってね。そしたら、ソイツ、なんて言ったと思う?」
「……」
「あのね、ラーレンは狼だから助ける訳がないって! そう言ったんだよ! ねえ、ラーレンは僕を裏切ったりしないよね?」
「……その狼はどこに?」
「きっと追ってくるよ。もう僕は駄目かもしれない! ラーレン、僕はね、ラーレンになら食べられてもいいって思うんだ。だってね、僕はラーレンのことが好きなんだ! これって愛してるってことだよね?」
「御冗談を」
「お願い、ラーレン。僕を食べて! あの狼が僕を食べる前に!」
「ヒマリスは食べない」
「え?」
「ヒマリスは惑わされたりしない。レティシア、お前は何故嘘をつく」
「……なんだ。やっぱり君はあの狼を取るんだね」
 芝居じみた悲壮感を取り払ったレティシアは、その哀れで可愛らしい少年の顔に影を落として低く呟きました。
「ヒマリスに何をした」
「彼は死んだ。僕が食べた」
「食べた……?」
「うん。最後に君への愛の言葉をうわ言のように呟いててさ。惨めで哀れで情けなくてさ、と~ってもおいしかったなぁ!」
 狂った笑顔を見せたレティシアは、ポケットから銀色のリボンを取り出して、ラーレンに良く見えるように掲げました。
「殺す……」
「あれ~。僕を殺していいのかな?」
 隠すこともなく殺意を向けたラーレンが、その姿を狼へと変えました。
「ヒマリスがいない世界で、私が生きてる意味などない」
「あはは。相変わらず君はヒマリスのことが大好きなんだね。僕はね、ずっと見てたんだよ。君たちのこと。ある日、君をつけていたら、君が狼と会っていることを偶然知ってしまってね。以来、陰から気配を殺して、君たちが会う度に覗いていたんだ。羨ましかったんだよね。人間じゃない癖に、人間みたいに恋しちゃってさ。壊したかったよ。ずっと、ずっと! さあ、ラーレン! 僕を食べろ! お前の愛しいヒマリスごと僕を食べてしまえばいい!」
「……」
 狂気を前面に押し出して叫ぶレティシアに、ラーレンは冷たい眼差しを向けました。
「ほら、どうした? 食べられないことはないんだろう? 僕は餌だ。食べられるはずだ。ねえ! ほら! 早く!」
 『極上の餌』の匂いがこれ以上ないぐらい、濃く立ち込めました。レティシアは、ヒマリスにしたように、自分の腕を傷つけてラーレンに押し付けました。
 でも、ラーレンは歯を食いしばり、それを押しのけるのです。
「……レティシア。お前は餌でも狼でもない。狂った化け物だ」
「あーあ。つまんない。君たちは本当につまらない! ああそうだ! 僕は化け物だ! 君たち以上にね!」
「あ……」
 がぶり。
 匂いで体が麻痺したラーレンは、抵抗する間もなくレティシアに食べられてしまいました。
「ラーレン、君は僕に似ていると思っていたのに。結局、君は化け物じゃなかった。君になら食べられていいと思ったのは本当だったのに。君ならば僕を終わらせてくれると思ったのに! ああ、残念だよ、本当に」
 悲しそうに笑ったレティシアの瞳は、とても穏やかでした。その姿はもう可愛らしいだけの少年ではありません。
「……せめて僕のお腹の中でお幸せに、ね」
 月明りを浴びながら、化け物は銀色のリボンを引き裂きました。こうして、レティシアは人であることを辞めたのです。
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