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001 漂着

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 殺人級の暑さが続く七月中旬、俺・一ノ瀬いちのせ 雅人まさとは船に乗っていた。
 来年は高校三年、受験生だし今の内に弾けよう――というわけではない。
 学校行事で仕方なくだ。

 そのため、同級生はもれなく同じ船に乗っていた。
 静かに海風でも楽しもうと思ったのに、馬鹿笑いが四方から聞こえてくる。

(これほど暑いのにどうして元気でいられるんだ……)

 皆の底知れぬパワーに驚きながら船内へ涼みに行こうとする。
 その時、ゴゴゴォ、と船が揺れ始めた。
 地震――いや、海震だ。

「「「きゃああああああああああ」」」

 甲板の笑い声が悲鳴に変わる。
 激しい揺れによって何名かの生徒が海に投げ出されていた。
 そして、その中には――。

「一ノ瀬ェ!」

 ――俺も含まれていた。
 教師が必死に叫んでいるがどうにもならない。

(やべ、海震のせいか思ったように動けねぇ)

 体が海に飲み込まれていく。
 抵抗は何の意味も成さなかった。

 ◇

 奇跡的にも俺は生きていた。
 急速に意識が覚醒したのだ。

「ここは……!」

 ギラつく陽光が顔を突き刺してヒリヒリする。
 髪や首、背中にまとわりつく砂の感触がこの上なく不快だ。

「砂浜……?」

 俺はどこかの海辺にいた。
 前方には日本とは思えぬ綺麗な海が広がっている。
 後ろには恐ろしく生い茂った雑草。

「周囲に人工物が一切ない……あっ!」

 辺りをキョロキョロしていて発見した。
 数十メートル先に女子が倒れている。
 俺と同じく制服姿だ。

「大丈夫か!」

 俺は女子のもとへ駆け寄った。
 ローファーの中が海水でグチョグチョで走りづらい。

「う、うぅぅぅ……」

 幸いにも女子は生きていた。
 明るい茶色のミディアムストレートに、耳上の髪をハーフアップにまとめて可愛らしいリボンで結んでいるのが特徴的。

 俺と同じ2年2組の二階堂にかいどう 伊織いおりだ。
 学校一の美少女と名高いだけあり、思わず見とれる可愛さをしていた。

「二階堂、おい、平気か?」

 俺は伊織の体を横に向け、背中をさすりながら尋ねた。

「ゴボッ!」

 伊織は口から大量の海水を吐き出した。
 それが目覚めの合図になる。

「あ、一ノ瀬君」

「よし、元気そうだな」

 伊織に手を貸して立たせる。

「いったい何がどうなっているの?」

 伊織はスカートやシャツに付着した砂を払い落としながら言う。

「分からないが、俺たちは幸いにもどこぞの島に漂着したようだ」

「そっか、いきなり船が揺れて海に落とされたんだった」

 うっ、と頭を押さえる伊織。

「頭が痛いのか?」

「平気。耳に海水が入ったせいだと思う」

「そうか」

 俺は改めて周囲を見渡した。
 船や他の生徒の姿は見当たらない。

「ここにいても仕方ない。とりあえず周囲を調べよう」

「うん、分かった」

 俺たちは波打ち際から僅かに内側を並んで歩いた。

「クシュンッ」

 歩き始めてすぐ、伊織がクシャミをする。
 制服がビショ濡れで冷えているのだろう。
 それは俺も同じだ。

「服を脱いだほうがよさそうだな」

「えっ」

「濡れた服は体温を奪うし風邪を誘発する。はずかしいかもしれないが、服が乾くまでは下着のみのほうがいいかもしれない」

「でも男子に下着姿を見られるのは……」

「だったら一列に歩こう。俺が前を歩くから、二階堂は後ろから続いてくれ。そうすれば下着姿を見られずに済むだろ?」

 伊織は少し迷ってから頷いた。

「そうする。ごめんね。ありがとう」

「一列になって助かるのは俺もだから気にしなくていいよ」

 自分で提案しておいてなんだが、伊織の下着姿は破壊力がヤバいと思う。
 隣を歩かれていたら平常心を保てていなかったはずだ。

「え?」

「なんでもない。夏だし服はすぐに乾くだろうから一時間ほどの辛抱だ」

「うん! 一時間ほどの辛抱なり!」

「なり!?」

「あはは、なんとなく変な語尾をつけちゃいました!」

(可愛い……!)

 俺たちは下着姿になり、一列になって歩いた。

「それにしても何もないな」

 10分近く歩いたが視界に目立った変化がなかった。

「一ノ瀬君、私たち、このまま歩き続けて大丈夫なのかな……?」

「俺もそれは考えていた。状況からしてここはおそらく離島だし、電波も――」

「「あ!」」

 そこで俺たちはスマホの存在を思い出した。
 二人して慌てて制服のポケットに手を突っ込む。
 しかし、どちらもスマホを持っていなかった。

「今まで存在を忘れておきながらなんだけど、スマホがないのはきついな」

「だね……どうしよ」

「危険かもしれないが、島の奥を目指してみないか。砂浜だと日陰がないから、このまま暑さにさらされ続けたら熱中症や日射病で危険だ」

「私もそう思う!」

 俺たちは勇気を出して雑草に足を踏み入れた。
 膝丈ほどまで草が生い茂っており、足下が全く見えない。

「この辺り、動物や虫が全くいないな」

「言われてみればたしかに……」

「ま、虫がいないのはありがたい限りだ」

 歩きにくい雑草地帯を抜けると森に着いた。
 危険度がますます高まりそうだが進むしかない。

「そろそろ服を着るか」

「うん! 一ノ瀬君、本当に一度も私の下着姿を見ないでいてくれたね」

「ハハ、ハハハ……これでも紳士なのでな!」

 カラッとした暑さのおかげが服は乾いていた。
 だが、海水を多分に含んでいた影響か着心地が悪い。

「これで一ノ瀬君の隣を歩けるよ!」

 服を着ると伊織が隣に立った。
 それだけで可愛くて「お、おう」とキョドってしまう。

「よし、行こう!」

 シャツのボタンを閉めて森に入る。

「さすがに森には動物が生息しているな」

「ねー! お猿さんがいっぱい!」

 そこらの木に猿の姿が見える。
 動物博士ではないので種類は分からない。

「他にも色々といるな」

 シマリスをはじめ、樹上で生活する小動物がチラホラ。
 木の根っこ付近には何かしらの巣と思しき小さな穴もある。
 色々な動物が共生しているようだ。

「なんか平和だね。どの動物も争っていないし!」

「たぶんメシに不自由していないおかげだろうな」

 周囲には様々な果樹が一堂に会していた。
 中にはリンゴやラズベリーなど見知った物も存在している。

「俺たちも一ついただくか」

「怒られないかな?」

「その時は謝ればいいさ」

 俺は近くに生っていたリンゴを二つもぎ取った。

「「ウキッ!?」」

 付近の猿が警戒感を露わにする。
 だが、襲ってくる気配はなかった。

「できれば水で洗いたいが……こういう状況だし贅沢は言えないよな」

 ということでそのまま齧り付く。
 皮ごと美味しくいただいた。

「おー、一ノ瀬君、ワイルド」

「二階堂も食べてみろよ、美味しいぞ」

「う、うん……! ちょっと不安だけど……!」

 伊織はビクビクしながらリンゴを囓る。
 おおよそ人間の口とは思えぬ小さな囓り痕がリンゴについた。

「わー、ほんとだ、美味しい!」

「だろー! これで少しは回復するぜ!」

 俺たちはリンゴを食べながら森の奥を目指す。
 海辺に比べて涼しいこともあり、体の調子が良くなっていた。

「とりあえず餓死の心配がないことは確定したが、このまま手がかりがない状態が続くのは――お?」

 話している最中、まさにその手がかりを発見した。
 俺たちは目の前に見えるそれを指して叫んだ。

「「小屋だ!」」
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