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017 北の森

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「どうして北の森に行くの?」

 尋ねつつ、伊織は水筒に井戸水を補充した。

「脱出するには島の北側から発つことになるからさ。そのためには北の森を抜けなくてはならない」

「海岸から迂回しちゃダメなの? そのほうが安全だけど」

「俺も最初はその予定だったが、川に行ったことで考えが変わったんだ」

「どういうこと?」

「家の資料によると、家は島の真ん中に位置している。それは分かるよな?」

 伊織は「分かるよ」と頷いた。

「俺たちは南の海から森を抜けてここに来ただろ?」

「うん」

「どのくらいの時間を要したか覚えているか?」

「時計がないので正確なことは言えないけど……2時間弱くらい?」

「俺の体感もそんな感じだった。体感で2時間弱っていうのは、この家から東の川に向かうのと同じ長さなんだ」

「あ……!」

 伊織も分かったようだ。
 それでも俺は最後まで言った。

「つまり、この島は南北の距離こそ短いが、東西の距離は非常に長い」

 東の川を越えた先には深々とした森が広がっていた。
 そのうえ、海の傍にありがちな潮の匂いも全くしなかった。
 正確なところは不明だが、あの川から海までは多少の距離があるはずだ。

「家が島の中央にあるなら、北の森を突っ切れば約2時間で海に着く。しかし、迂回するなら4~5時間……もしかしたらそれ以上かかるかもしれない」

「それはきついなぁ」

「この暑さだからな。海に着いた時点で疲弊しきっているだろう。下手すりゃ水筒の水が底を突いて干からびているかもしれない」

「たしかに……! 今の説明を聞く限り、私も北の森を突っ切ったほうがいいと思う」

 北の森を突っ切るか、東の海から迂回するか。
 どちらを選んでも相応のリスクがあるのはたしかだ。
 それを理解した上で、俺たちは前者を選択した。

「それでは槍を作るとしよう」

「合点承知の助!」

「……ん?」

「お祖父じいちゃんの口癖! 了解って意味だよ」

「いきなり何を言い出すのかと思ったぜ」

「あはは、細かいことは気にしないで!」

「合点承知の助!」

「真似するなーっ!」

 ◇

 槍の製作は大工道具をふんだんに使えて楽しかった。
 手ぬぐいを額に巻き、気分は大工さんだ。

「あとは穂先を火で炙って……完成だ!」

 俺は出来たてホヤホヤの槍を掲げた。
 伊織が「いえーい」と拍手する。

「かなりいい感じだ」

「だねー! 本格的!」

 槍というより杭っぽいが、細かいことは気にしない。
 ヤスリとかんなを遺憾なく使っているので手触りが抜群だ。
 うっかりトゲやささくれが刺さる恐れもない。

「完成の余韻に浸っていたいが、さっさと森に行こう」

「時間が押しているもんね」

 槍の製作に時間を掛けすぎた。
 日没まで4時間を切っている可能性がある。

 俺たちは槍を持って森の中に入った。

「思ったんだけど、貫頭衣にローファーって妙な組み合わせだよな」

「靴だけ現代的だもんねー」

 話しながら、俺は腰紐を締めすぎたと後悔していた。
 竹の水筒や鉈を装備する都合上、いつもより強めに締めている。
 そのせいで腰が痛かった。

(かといって腰紐を緩めると水筒か鉈が落ちそうだしなぁ)

 そんなことを考えていると――。

「ガルルァ!」

 前方からライオンが現れた。
 前に遭遇した時と同じくオスの成獣で、数は1頭。
 俺たちの約10メートル前方で止まっている。

「さっそく出たね」

 緊張感を漂わせる伊織。

「今回は逃げないぞ」

 俺は一歩前に出た。
 両手で槍を持ち、穂先をライオンに向ける。

「さぁかかってこい!」

 タイマンの基本戦術はカウンターだ。
 突っ込んできた敵の顔面に安全圏から槍を突き刺す。
 いくら相手が速かろうと回避することはできないはず。
 しかし――。

「ガルルァ! ガルァ!」

 ライオンは吠えるだけで突っ込んでこない。

「警戒しているみたいだね」と伊織。

「初めて遭った時も威嚇だけだったしな」

 向こうに攻める気がない以上、作戦を変更せねばならない。

「伊織、俺が先制攻撃を行う。敵が回避したら追撃の一発を頼む」

「任せて!」

「よし、行くぞ!」

 俺は「うおおおおおおおおおおおお!」と駆け出した。

「これでもくら……えぇ!?」

 いざ攻撃しようとしたところで予想外の展開が起きた。

「ガルッ!」

 ライオンが踵を返して逃げていったのだ。

「すごっ! 雅人君の迫力に気圧けおされてどっか行っちゃったよ!?」

「マジか」

 なんだか拍子抜けだ。
 けれど、相手がビビったのであれば都合がいい。
 戦闘は可能な限り避けたいものだ。

「とりあえず警戒を維持したまま進もう」

 移動を再開した。
 見知らぬ広葉樹に覆われた薄暗い森を歩く。
 道は平坦なれど、ローファーでは足が痛い。
 ……と、それで思い出した。

「伊織、足の裏は大丈夫か?」

「平気! 今日はソックスを穿いているから!」

 伊織は右脚をこちらに向けて伸ばした。
 足首よりも太ももに目が行く。
 貫頭衣の丈があと少し短ければ――。

「へんたーい♪」

 突如、伊織が何やら言い出した。
 ニヤニヤしながら俺を見ている。

「な、何が変態なんだ!?」

「雅人君ってさ、目が正直なんだよねー」

「なん……だと……」

「どこを見ているか丸分かりだよ!」

 伊織は「変態め!」と笑う。
 俺は恥ずかしさから耳を紅潮させ、目を逸らした。

「と、とにかく、水ぶくれができていないならそれでいい!」

 強引に話を打ち切る。

(目線にバレていても嫌われずに済むとはな……。とはいえ、それに甘んじて覗き続けるわけにもいかない。バレないようチラ見する技術を身につけなくては。そのためには首の筋肉を鍛え、超高速で顔を動かせるようにして……)

 大真面目に馬鹿なことを考える。
 そんな時だった。

「ガルルァ!」

 先ほど逃げたオスライオンが現れた。

「またかコイツ! 今度はやる気か?」

「もしそうなら二人で協力して倒そう!」

 俺たちは槍を構える。
 しかし、強気だったのはここまでだ。

「「「ガルルァ!」」」

 周囲の茂みからライオンの群れが顔を覗かせた。
 前方に現れたオスライオンも含めると計10頭にになる。
 全て成獣で、性別はオスが3頭にメスが7頭。
 俗に「プライド」と呼ばれるライオンの集団だ。

「こいつら伏せていやがったんだ!」

 俺たちは完全に包囲されていた。
 戦闘経験のない高校生2人組 vs 百獣の王の異名を持つ獅子10頭――。
 その結果がどうなるかなど、ハナクソを食らう幼稚園児でも分かる。
 絶望的だ。
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