星が降りそうな港町

Yonekoto8484

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穏やかな時間

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夫と二人で,よく奏の家に通うようになった。

「今日は,お手隙ですか?」と訊くと,必ず,「はーい。おいで。」と返事してくれるのだった。

集まって,たわいない話をしながら,ダラダラとまったり過ごした。歌子がいると,許されないことだが,奏とは冷戦中だったから,来る可能性が非常に少ない。

ゆっくりお茶をし,お喋りをしていると、いつの間にか,夕方になっていることが多かった。すると,奏が,「何か食べる?」といつも言ってくれた。

みんなで冷蔵庫を開けてみて,あるもので鍋物をしたりして,夕ご飯を済ませるのだった。

食べ終わると,またお茶を飲み,「カラオケする?」や「音楽する?」と誘われるのだった。

しかし,ある日は,違った。奏が相方と一緒に,介護施設で歌っている動画を見ないか?と誘って来たのである。「相方」というのは,歌子のことではなく,歌子と奏が昔,六人バンドを組んでいた時に,一緒にやっていた夫婦の奥さんの方,歌子のライバルのことだ。その女性の存在が許せなくて,歌子が六人バンドを抜け,今奏と冷戦状態になっている。

歌子とは,空気が少し冷たくなっているとはいえ,まだ付き合いがある私としては,見ていいかどうか,一瞬迷った。

しかし、よく考えたら,歌子にバレることはないし,「見ない」と言ったら,逆に奏を傷つけることになるから,見ることにした。

奏が歌子以外の女性と,並んで歌っている姿を見るのは,違和感があり、少ししんみりする自分もいたが,見ていると,もう片方の女性とは,普通に相性が良く,歌もよかった。奏と歌子の歌とは違って,ジャズではなく,日本人なら誰でも知っているような歌謡曲を歌っていたから観客の反応も,よかった。

ライバルの女性は,歌子とは,全然違う性格であるということは,動画を見てすぐにわかった。人前に出ているのに,あまり緊張しているようには見えなかったし,喋り方も淡々としていて,落ち着いていた。

動画を見終わり、「上手。」と褒めながらも,胸がどことなくスッキリしない,少し後ろめたい気持ちだった。歌子を裏切るようなことをすると,いつもこの気持ちになるのだった。歌子が同じ部屋にいなくても,いるような気がして,申し訳なくて,ソワソワするのだった。

見終わっても,まだ帰りたくなくて,珍しく,近くの喫茶店でコーヒーを飲むことになった。

お店に入ると,奏はすぐに,「奥さんは?」とあるおじいさんに話しかけられた。

「ちょっと出張に行っていまして…。」と
奏が答えた。

「出張!?」
おじいさんが驚いた。

「うん,あの世にね。」
と奏が返した。

どうやら,奥さんが亡くなってから,例のおじいさんには,会っていなかったようだ。
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