鷹にように華やかに

与倉 透

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 品子が暮らしていたのは、大通りから少し離れたところにある服飾店の二階だ。すこし手狭ではあるものの、一人で暮らすには十分であった。本来、事務所や物置として使うような狭所に住み着いていることも、周囲が彼女を好奇の目で見る材料となっていた。
 彼女は世間体とのズレを、自分らしく生きることの代償だと考えていた。
 幸い、商売の才覚もあり生活には困らなかった。
時代の混沌に乗じて、といえば聞こえは悪いが、うまい立ち回りで財を築けた。
多くの服飾店は燃えてしまい、海外の輸入路も一時途絶えてしまっていた。
 疎開先から戻ってきたとき、これからは娯楽も許されていくに違いない、そう思って、不謹慎ながらも気分が高揚した。衣服を生業にしてはいるものの当人は地味な服装を好んだ。きらびやかな服を着るのでなく、着ているのを見るのがすきだった。美しい服を見ると、女学生時の同級生を思い出す。
 学生時代の友人とは、もう何年も会っていない。各々、結婚していき、会う機会もなくなっていった。

 長く一人で過ごしていると、話し相手が欲しくなってくる。かといって、同年代のご婦人方と話があうはずもない。訪問販売先の高貴な女性たちも、服を持ってきてくれる人だと割り切って接してくるように思える。そういった婦人たちは、女中に家事を任せ、ティーカップ以上に重いものはもったことがない人ばかりだ。どこか別の世界の住人のようだった。そして何より、働いている品子のことを哀れんでいるような目つきが苦手だった。

 ある日、訪問先からの帰り道でのこと。豪奢な邸宅に感心しているふりをし続け、くたびれていた。帰り際に菓子包などもらったが、気配りと言うより高価な品を躊躇いなく分け与える事自体に悦に入っているようでいい気分ではなかった。それでも品子は商売人である。感嘆の声を上げ、一度断った後に平身低頭しながら受け取った。正直なところ、荷物が増えるだけで嬉しくはない。何より甘いものは苦手だ。
 金持ちのご機嫌取りで心労がかさむ。片腕に服の詰まったトランクケース。もう片方には菓子包も抱えて、自宅兼店へ戻る。一人きりの我が家へ。
 そんな孤独な帰り道。心が弱り、やはりひとりきりでは良くないと物思いに耽る。ペットでも飼おうかと算用しながら歩いていると、店の近くまで戻ってきたとき、そこで目を奪われてしまった。
 路地裏でゴミ箱をあさっている幼子の姿があった。伸び放題の傷んだ髪。コケた頬、ボロ布に包まれた擦り切れた手足。靴は片方しか履いていなかった。
 その足元には、小さな猫が一匹、寄り添うように佇んでいた。
 どちらも、身を守るように背を丸めていて、どこか姉妹のように見えた。そう、見た目にははっきりとしなかったが、どちらも女の子だという品のようなものを感じた。
 品子は、しばらくその子を見つめていた。孤児への哀れみなどではない、仕入れの際に思いがけずよい服に出会ったときのような、惹きつけられるなにかがあった。品子の目線に気づいてか、その子がこちらを見返してきた。しばし見つめ合った。猫も雰囲気を察してか黙ってじっとしている。その鋭い目つきから路上での生活が垣間見えた。しかし不思議と粗野な感じはしない。
 品子がその眼に見とれていると、少女の視線が動いたのに気づいた。もっていた菓子包に目が行っている。動物並みの嗅覚でもあるのだろうか。少女にならうよう猫の方もどうやら包の中身気づいたようだ。
「お腹すいてるの?」品子は菓子の包を解きながら一歩だけ近づいた。
 少女は頷きこそしなかったが、生唾を飲んで頬を赤らめていた。伸び放題の前髪の隙間からも表情がよく分かるほどだ。
 品子は考えが当たったことに気をよくして、二歩、三歩と距離を縮めていく。
 すると、少女は急に後ずさりし始めた。紅潮した頬ももとに戻り表情がこわばっていく。見るからに警戒していた。
 品子もその顔を見て察した。なにか以前に良くないことがあったのだろう。近づくのをやめて、菓子の包を地面に置いた。それを開くて、少女の様子を見る。微動だにしない。
 だが、さっきまで動かなかった猫が、近寄って菓子を食べ始めた。ずいぶんと人馴れしているのか、いざとなったら逃げ出せる自信があるのか、落ち着き払って食事を始めていた。その猫の様子を見ても、少女は動こうとしなかった。
 自分がいては安心できないのだろう。そう思って品子はその場を離れることにした。
 しばらく歩いて振り返ってみると、少女と猫は仲良く菓子を食べていた。

 いったん店に戻ったあと、夕食を摂るべく近くの食堂に入った。先程の路地を離れてから、馴染みの食堂の席に腰掛けるまでの間、ずっと少女の姿を思い浮かべていた。
「いらっしゃい品子さん。今日はなにか良いことでもあったのかい?」顔見知りの店員が声をかけてきた。
「別に。何もないって」取り繕う必要もないのに、品子は首を横に振った。
「そうかい。品子さんがこんなに、にこにこ笑ってるのも珍しいと思ったんだけどねえ」
 顔に出ていたのか。品子は赤面しながらも、同じように頬を赤らめていた少女の顔を思い出していた。
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