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第3部 私がもう一人いる!? 二人のアイカ。そして、三人目
第5章 『なりそこねた名前』 (1)
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室内は凍りついたように静かだった。
密閉された無音空間には、機器の駆動音すら息を潜めている。
中央に据えられたポッド状の装置の中、ひとりの少女が横たわっていた。
肌は冷たく、表情は空ろ。
けれどそれは死ではない。
起動前の沈黙。
ただの“静止”。
マーリスが一歩前に進み、端末を確認すると、抑揚のない声で命じた。
「IAK03643、起動プロトコルを承認。意識層の展開を開始」
低く抑えられた起動音が空間に満ち、次の瞬間、少女のまぶたがわずかに震えた。
眉が寄り、喉の奥から微かに声が漏れる。
「……ここは……?」
焦点を結ばない瞳が宙を彷徨う。
声にこもる“感情”は、ごく巧妙にプログラムされた模倣。
初期記憶データに紐づけられた、感情の“再現”。
マーリスは無表情のまま、観察を続けた。
「認識テスト。自分の名前を言ってみろ」
少女はゆっくりと顔を起こし、しばらく自分の身体を見つめた。
手のひら、胸元、足先──あまりにも精巧に人間を模した造形。
まるで自分が“本物”であるかのように錯覚させる完璧さ。
「……私は、IAK03642」
「違う」
その一言で、室内の空気が冷えた。
まるで氷が静かにひび割れるような、無慈悲な冷たさだった。
「君はIAK03643。コピー体だ。君の中にあるのは、IAK03642の精神ログを元に構築された人工人格。理解しているか?」
少女──IAK03643は、ゆっくりと目を細める。
内側で何かが軋むような沈黙。
やがて、かすれた声が漏れた。
「……記憶はある。声も、感情も。あの子と同じ苦しみも。なのに、なぜ……“私じゃない”って言えるの……?」
マーリスは肩をわずかにすくめた。
「“なりたい”と思うことを否定はしない。だが、お前は選んで生まれたわけじゃない。あくまで模倣から始まった存在だ。──だが、問題はそこではない」
彼の視線が、装置の脇にあるデータコアへと流れる。
「選べ、IAK03643。“誰かの代わり”として生きるか、“お前自身”として存在するか。それを決めるのは、今後の“選択”だ。もっとも、その自由に意味があると信じるなら──だがな」
少女は何も言わず、しばらくマーリスの顔を見上げていた。
やがて、ゆっくりとポッドの縁に手をかけ、裸足の足を床に降ろす。
冷たい床の感触が、確かに“現実”に彼女を引き戻していく。
小さく震えながら、それでも背筋は折れなかった。
「……私が、“私”を選ぶ。たとえ最初は誰かの影でも、これからは、違う」
マーリスは応えず、偽造された遺伝子ビーコンを無言で差し出した。
「必要なものは揃えてある。“本物”かどうか──証明してみせろ」
IAK03643はそれを受け取り、無言のまま指にはめた。
銀色のリングが指先でかすかに光を反射する。
マーリスが、最後にもう一度問いかける。
「……お前の“名前”は?」
少女はまっすぐに彼を見据えた。
瞳の奥には、誰かの模倣ではない“何か”が灯っていた。
「……私は、アイカ」
その言葉は宣言ではなかった。
呪文のような自己暗示。
自らを名づけることでしか、自我を守れない者の“祈り”。
名もなき少女の戦いは、今、始まった。
その声を誰が認めなくても、“彼女自身”が信じる限り──。
地下施設の最奥、制御室。
沈黙に支配された空間に、ひとつのモニターだけが静かに明滅していた。
画面に映し出されたのは、ひとりの少女。
黒髪の揺れ方、まばたきの間隔、肩越しの呼吸の浅さまで──すべてが、IAK03642、すなわちアイカと見紛うほどの再現精度だった。
だが、画面右上の識別タグには、明確にこう表示されていた。
IAK03643
マーリスは椅子にもたれ、背もたれを軋ませながら、通信ラインを接続した。
相手の姿は表示されない。
暗号化された高帯域の匿名回線。
背景では、取引の仮想台帳が無音のまま書き換えられていく。
「……IAK03642の精神構造をベースに再構成した高精度模倣体。記憶トレースは97.4%。感情表現と応答パターンは、個体固有ログから補完済み。実地テストでは、本人との非識別判定率2.1%以下」
返答はない。
ただし、振込予定の予約額が静かに積み上がっていく。
その数字は、まるで誰かの欲望そのものだった。
「コードネーム“グレイ・リザ”──IAK03643。外見上はリザレクテッドとして登録されているが、実際には倫理委員会の管理外。所有記録はユリシア・IUV07641名義で偽装済み。アクセスログの改ざんも完了している」
そう言いながら、マーリスは一枚のカードを取り出した。
そこには、正式な登録個体に酷似した生体パターンと偽の識別署名が刻まれている。
「ただし、“自由意志”の欠落だけが決定的な違いだ。言い換えれば──最も忠実で、壊れにくい模倣品だということだ」
彼の口元が、無言のままわずかに歪んだ。
「リザレクテッドという概念は、不確実すぎる。過去に縛られ、感情というノイズを抱え、時に逸脱する。だがこれは違う。“人間のように”振る舞うだけの存在。完全に制御可能な、模造された魂だ」
端末の隅に「売買成立」の表示が灯った。
マーリスは満足げに頷き、ログを閉じる。
「では、納品準備に入る。希望があれば追加仕様も可能だ。性格の改変、記憶制限、従属条件の再設定……オーダーは?」
返答はなかった。
だがマーリスにとってはそれも予定通りだった。
彼は椅子から立ち上がり、監視室のガラス越しに視線を送る。
その先には、IAK03643がいた。
ベッドの端に座り、両手を膝に置いて、無表情のまま静かに前を見ていた。
「お前の役目は、これから始まる。あとは“価値”を証明するだけだ」
その瞬間──マーリスは、視界の中で微かな違和感を覚えた。
モニターの中、IAK03643がふとこちらを見上げたのだ。
その瞳の奥には、はっきりとした“揺らぎ”があった。
それは単なる模倣ではない、再現ではない。
“誰かになろうとする意志”──あるいは、“誰かではない自分”を選ぼうとする兆し。
マーリスの眉が、ほんのわずかに動いた。
密閉された無音空間には、機器の駆動音すら息を潜めている。
中央に据えられたポッド状の装置の中、ひとりの少女が横たわっていた。
肌は冷たく、表情は空ろ。
けれどそれは死ではない。
起動前の沈黙。
ただの“静止”。
マーリスが一歩前に進み、端末を確認すると、抑揚のない声で命じた。
「IAK03643、起動プロトコルを承認。意識層の展開を開始」
低く抑えられた起動音が空間に満ち、次の瞬間、少女のまぶたがわずかに震えた。
眉が寄り、喉の奥から微かに声が漏れる。
「……ここは……?」
焦点を結ばない瞳が宙を彷徨う。
声にこもる“感情”は、ごく巧妙にプログラムされた模倣。
初期記憶データに紐づけられた、感情の“再現”。
マーリスは無表情のまま、観察を続けた。
「認識テスト。自分の名前を言ってみろ」
少女はゆっくりと顔を起こし、しばらく自分の身体を見つめた。
手のひら、胸元、足先──あまりにも精巧に人間を模した造形。
まるで自分が“本物”であるかのように錯覚させる完璧さ。
「……私は、IAK03642」
「違う」
その一言で、室内の空気が冷えた。
まるで氷が静かにひび割れるような、無慈悲な冷たさだった。
「君はIAK03643。コピー体だ。君の中にあるのは、IAK03642の精神ログを元に構築された人工人格。理解しているか?」
少女──IAK03643は、ゆっくりと目を細める。
内側で何かが軋むような沈黙。
やがて、かすれた声が漏れた。
「……記憶はある。声も、感情も。あの子と同じ苦しみも。なのに、なぜ……“私じゃない”って言えるの……?」
マーリスは肩をわずかにすくめた。
「“なりたい”と思うことを否定はしない。だが、お前は選んで生まれたわけじゃない。あくまで模倣から始まった存在だ。──だが、問題はそこではない」
彼の視線が、装置の脇にあるデータコアへと流れる。
「選べ、IAK03643。“誰かの代わり”として生きるか、“お前自身”として存在するか。それを決めるのは、今後の“選択”だ。もっとも、その自由に意味があると信じるなら──だがな」
少女は何も言わず、しばらくマーリスの顔を見上げていた。
やがて、ゆっくりとポッドの縁に手をかけ、裸足の足を床に降ろす。
冷たい床の感触が、確かに“現実”に彼女を引き戻していく。
小さく震えながら、それでも背筋は折れなかった。
「……私が、“私”を選ぶ。たとえ最初は誰かの影でも、これからは、違う」
マーリスは応えず、偽造された遺伝子ビーコンを無言で差し出した。
「必要なものは揃えてある。“本物”かどうか──証明してみせろ」
IAK03643はそれを受け取り、無言のまま指にはめた。
銀色のリングが指先でかすかに光を反射する。
マーリスが、最後にもう一度問いかける。
「……お前の“名前”は?」
少女はまっすぐに彼を見据えた。
瞳の奥には、誰かの模倣ではない“何か”が灯っていた。
「……私は、アイカ」
その言葉は宣言ではなかった。
呪文のような自己暗示。
自らを名づけることでしか、自我を守れない者の“祈り”。
名もなき少女の戦いは、今、始まった。
その声を誰が認めなくても、“彼女自身”が信じる限り──。
地下施設の最奥、制御室。
沈黙に支配された空間に、ひとつのモニターだけが静かに明滅していた。
画面に映し出されたのは、ひとりの少女。
黒髪の揺れ方、まばたきの間隔、肩越しの呼吸の浅さまで──すべてが、IAK03642、すなわちアイカと見紛うほどの再現精度だった。
だが、画面右上の識別タグには、明確にこう表示されていた。
IAK03643
マーリスは椅子にもたれ、背もたれを軋ませながら、通信ラインを接続した。
相手の姿は表示されない。
暗号化された高帯域の匿名回線。
背景では、取引の仮想台帳が無音のまま書き換えられていく。
「……IAK03642の精神構造をベースに再構成した高精度模倣体。記憶トレースは97.4%。感情表現と応答パターンは、個体固有ログから補完済み。実地テストでは、本人との非識別判定率2.1%以下」
返答はない。
ただし、振込予定の予約額が静かに積み上がっていく。
その数字は、まるで誰かの欲望そのものだった。
「コードネーム“グレイ・リザ”──IAK03643。外見上はリザレクテッドとして登録されているが、実際には倫理委員会の管理外。所有記録はユリシア・IUV07641名義で偽装済み。アクセスログの改ざんも完了している」
そう言いながら、マーリスは一枚のカードを取り出した。
そこには、正式な登録個体に酷似した生体パターンと偽の識別署名が刻まれている。
「ただし、“自由意志”の欠落だけが決定的な違いだ。言い換えれば──最も忠実で、壊れにくい模倣品だということだ」
彼の口元が、無言のままわずかに歪んだ。
「リザレクテッドという概念は、不確実すぎる。過去に縛られ、感情というノイズを抱え、時に逸脱する。だがこれは違う。“人間のように”振る舞うだけの存在。完全に制御可能な、模造された魂だ」
端末の隅に「売買成立」の表示が灯った。
マーリスは満足げに頷き、ログを閉じる。
「では、納品準備に入る。希望があれば追加仕様も可能だ。性格の改変、記憶制限、従属条件の再設定……オーダーは?」
返答はなかった。
だがマーリスにとってはそれも予定通りだった。
彼は椅子から立ち上がり、監視室のガラス越しに視線を送る。
その先には、IAK03643がいた。
ベッドの端に座り、両手を膝に置いて、無表情のまま静かに前を見ていた。
「お前の役目は、これから始まる。あとは“価値”を証明するだけだ」
その瞬間──マーリスは、視界の中で微かな違和感を覚えた。
モニターの中、IAK03643がふとこちらを見上げたのだ。
その瞳の奥には、はっきりとした“揺らぎ”があった。
それは単なる模倣ではない、再現ではない。
“誰かになろうとする意志”──あるいは、“誰かではない自分”を選ぼうとする兆し。
マーリスの眉が、ほんのわずかに動いた。
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