リザレクテッド:人類再誕 所有された人間だけど、自由に生きる方法を探してみる

花篝 凛

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第3部 私がもう一人いる!? 二人のアイカ。そして、三人目

第7章 『名前が人格になるとき』 (1)

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 空気が変わった。
 名前を受け取ったばかりのエルナの頬に、風が触れる──だが、それは自然の風ではなかった。
 金属の気配を帯びた、冷たい警告だった。

 次の瞬間、廃工場の天井に空いた鉄骨の隙間から、鋭い着地音が響いた。
 複数の影が、音もなく舞い降りる。
 戦術コートに包まれたアウロイドたち。
 無彩色の装甲の上を、不可視のコマンドラインが淡く走っていた。
 彼らは一言も発さず、寸分の狂いもなく通路と出入口を塞ぐ。

 それはまるで、あらかじめ定められた演算をなぞるだけの行動だった。

「……やっぱり、来たか」

 アイカが低く呟いた。
 喉奥が凍るような感覚が走る。
 その場の空気が、冷たく静まり返る。

 先頭のアウロイドが一歩進み出て、無表情のまま、ふたりを見下ろした。

「IAK03643。時間切れだ。帰ってもらう」

 その声は機械合成ではなかった。
 どこか人間に似せた柔らかさすらあり、微かに哀感を帯びていた。
 けれど、そこに“情”の温度はなかった。

「待って!」

 アイカが一歩前に出て、エルナを庇うように両腕を広げる。

「彼女は“エルナ”になった。もう、あんたたちの“IAK03643”じゃない!」

 答えの代わりに、別のアウロイドが静かに電磁収束ブレードを展開する。
 淡い光が刃先に灯り、鋭く空気を裂いた。

 沈黙。
 返事はない。
 だが、場を包む圧はますます強く──重く、無慈悲に迫ってくる。

「名を与えたくらいで、本質が変わると思うな」

 先頭のアウロイドが静かに言った。

「お前たちが“名前”に執着するから、我々は“構造”に従う。彼女が誰であろうと、構造がそれを許さない限り、自由にはなれない」
「それでも──!」

 アイカの叫びが場を裂く。
 だが、その直後、彼女の背でかすかな気配が揺れた。

「……アイカ……」

 エルナの声だった。
 弱く、消え入りそうで、それでも確かに“自分の声”を持っていた。

「……わたし、やっと……笑えたのに」

 その瞳から、涙がひとすじ落ちた。
 そして同時に、アウロイドたちが一斉に動いた。

 一体が背後に回り、もう一体が前方から歩を進める。
 アイカが動くより早く、拘束アームが音もなく伸び、エルナの手首を正確に捕らえる。

 「やめろっ──!」

 アイカが叫び、駆け寄ろうとする。
 だが、その目の前に鋼の腕が下り、行く手を塞いだ。
 完璧な包囲。
 わずかでも動けば、即座に排除される。
 そう直感させる冷たさだった。

 エルナは捕らえられながらも、最後の力で振り返る。
 その目は、恐怖に染まりながらも、ただひとつ──アイカの名を呼ぼうとしていた。

「アイカ……」
「エルナ──ッ!」

 アイカの叫びが、鉄骨の空間に反響し、吸い込まれていく。
 そしてエルナの身体は、無言のアウロイドたちの腕に優しく、だが容赦なく引き寄せられた。
 それは拒絶のない強制。
 感情を一切持たない機械の、精密な奪還。

 足音すら残さず、彼女たちは退路へと消えていく。
 その姿には一片のためらいもなく、あまりにも“正確”だった。

 アイカは、動けなかった。
 ただ、名を与えたあの子の名前が、まだ空中に漂っている気がした。
 その名が、彼女を輪郭づけたのか、それとも壊してしまったのか──。
 今のアイカには、分からなかった。
 けれど、ひとつだけ確かに残っていた。

 あの子は、自分の名を呼んでくれた。
 そして、それは、もう誰にも奪わせないと決めた名前だった。


 鉄骨の隙間から差し込む薄明かりが、アイカの影を長く地面に引いていた。
 彼女はまだ、その場を動けなかった。
 名前を呼んだ声と、それに応えられなかった沈黙が、胸の奥で何度もぶつかり合っている。

 静寂を断ち割るように、硬質なヒールの足音が響く。
 アリアだった。

 何も言わずに近づいてきた彼女の視線が、廃墟の奥をかすめ、そして、うずくまるアイカの肩へと静かに落ちる。
 手首の端末が微かに反応し、数分前まで存在していた複数の機影を示していた。

「……連れていかれたんだね」

 アイカは、顔を伏せたまま、小さく頷いた。

「……全く迷いがなかった。無言で、確実で……私、何もできなかった……」

 アリアは目を伏せ、わずかにまぶたを閉じた。
 その一拍の沈黙のあと、迷いなく手首の端末を展開する。
 スライド式のカバーが音もなく開き、通信ユニットが起動した。

「アリア・LNA04421、緊急通報コードを発令。対象は反体制派による個体拉致。ID:IAK03643──所有者不在の保護対象に対し、強制的な拘束と移送が確認された。現時点で重大な権利侵害が発生している」

 その口調は冷静で正確だったが、そこに込められた熱は明確だった。
 アイカが顔を上げる。
 潤んだ瞳が、わずかに揺れていた。

「……通報、するんだ」
「当然。これはただの犯罪。どんな理由があろうと、構造に隠れたまま正当化されることじゃない」

 アリアの声は凛としていた。
 その瞳には、怒りが宿っていた。
 エルナを奪った者たちではなく──“名前”というものの重みを拒絶する、この世界そのものへの怒りだった。

《緊急対応を確認。武装部隊を編成し、対象座標へ向かいます》

 通信が応答を返す。
 アリアは無言で画面を閉じ、音もなく端末を腕に戻した。

「……これで、黙ってはいられないはず」

 アリアはそっと、アイカの肩に手を添える。

「まだ間に合う。取り戻そう」

 アイカは小さく頷いた。
 けれど、その瞳の奥には、不安と焦燥の色が濃く滲んでいた。

「……もし、もう……戻れなかったら?」

 その問いに、アリアは一拍だけ呼吸を止め、けれど即座に返す。

「それでも、取り返す。あの子が、自分の名を選んだのなら……。“誰でもない”から、“エルナ”になったのなら──。その名前ごと、全部奪われるわけにはいかない」

 アイカは、ぎゅっと胸元を抱いた。
 もうその手には、彼女はいない。
 それでも、まだ確かに感じていた。
 名を呼ばれた時の、あの一瞬の笑顔と、確かな声の余韻を。

 ──取り戻すべきものは、記憶でもデータでもない。
 アリアとアイカは、静かに歩き出す。

 奪われたのは、「名前の奥に灯った、“誰か”という存在」。
 だからこそ、その名を、もう一度取り戻すために。


 天井の高い実験室は、静寂すら研ぎ澄まされたように張りつめていた。
 白で塗り固められた壁面は傷ひとつなく、完璧な管理のもとに維持されている。
 空気には、消毒液と冷却材の混ざり合った、無機質な匂いがわずかに漂っていた。

 その中央に設置されたリクライニング式ユニット。
 そこに、エルナは固定されていた。
 両手首と足首、首元にかけられた拘束具は、まるで“患者”を扱うように静かで、容赦がなかった。
 頭部には神経接続用の端子がすでに深く差し込まれ、脳波が律動するような微細なノイズを機器に伝えていた。

 やがて、扉が音もなく開く。
 硬質な足音が床に鳴り響く。

 入ってきたのはマーリスだった。
 戦術装備は身につけていない。
 代わりに纏うのは、白く簡素な実験用ガウン。
 だがその佇まいには、何よりも冷酷な支配の色が滲んでいた。

「起きているか、IAK03643」

 その声に、エルナは応えなかった。
 ただ、目を開けたまま虚空を見つめている。
 まばたき一つせず、まるで感情の火が抜け落ちてしまったかのようだった。

 マーリスは無言で操作卓に歩み寄る。
 指先がガラスパネルに触れると、複数のホログラムが浮かび上がり、エルナの精神構造を立体的に描き出す。

「コードの同期が不安定だ。精神境界が解離しかけている……名を持った副作用か」

 言いながらもマーリスの目は、図面上の歪みに注意深く追従していた。

 そのとき、エルナのまぶたが、かすかに震えた。

「……エルナ、って呼んで」

 かすれた声。
 それでも、その一言には芯があった。
 自分が誰かであるという、最後の抵抗だった。

 マーリスの眉が、わずかに動く。

「君はIAK03643だ。それ以外ではない。“エルナ”などという識別は、不正な記録改ざんに過ぎない。感情の残滓と記憶の断片が結びついただけの──錯覚だ」

 操作卓に指を滑らせる。
 コードが動き出し、神経接続ラインが深層へと伸びていく。
 精神構造へのアクセスが、じわじわと始まった。

「君には再調整が必要だ。構造の破綻が進む今なら、むしろ好機だ。完全初期化と上書きが可能だろう」
「……やめて……」

 エルナの声が震える。
 拘束された身体の中で、ただ瞳だけがマーリスを睨んでいた。

「私は……“誰かのふり”をしたわけじゃない。私は、アイカから名前をもらって、自分でなろうとしたの……“私”に」
「“なろうとした”では足りない」

 マーリスの声は静かだった。
 しかし、その静けさは、論理に殺された激情の果てのように硬質だった。

「模倣体が個性を主張し始めたとき、社会構造は崩壊する。“名前”とは契約であり、従属の証明だ。勝手に拾い集めた名に、正当性はない。存在は、記号によって管理されるべきだ」

 エルナの目に、涙がにじむ。

「違う……私が欲しかったのは、属することじゃない。“誰でもない私”でいられる名前が、ただ……欲しかっただけ……」

 マーリスの手が、操作卓の決定キーに添えられる。
 指が、ゆっくりと沈んでいく。

「甘えだ。幻想だ。君は記号として戻る。そして再び、“目的”のために生きる」

 起動音が上がる。
 制御装置の中で、精神書き換えプロトコルが始動した。
 神経接続が深層に達し、コードが精神層をなぞっていく──

 エルナの目が見開かれる。
 自分の中の“声”が、ひとつ、またひとつと遠ざかっていく。
 アイカの笑い声も、自分の名を呼んでくれた温もりも。

(……アイカ……)

 心の底で、名を呼ぼうとした。
 けれどその名は、もう声に出せないほど──。
 遠く、冷たい場所へ、押しやられようとしていた。
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