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第一章 クイナ
01.パン屋の羽無し ※
しおりを挟む人の価値は、何で決まるか。
顔か。
身体か。
それとも、財産か。
性格の良し悪しだなんて言う人も、もしかしたらいるかもしれない。だけどそんなものはこの世界では考慮されない。
そもそも、人、もしくは人間、と呼んで良いのかもわからない。
他所の国からは鳥人と呼ばれるような背中に羽のある種族で、国自体が空に浮かぶ巨大な浮島のような、そんな国に住まうのは背中に羽を持つ人たちであり、独自の文化を築いてきた歴史を持つ。
長い独特の歴史がある彼らが、地上で暮らす人々と価値観が異なるのは仕方のないことかもしれない。
浮島鳥人の世界で重要なのは、見た目でわからない性格なんかよりも断然羽の素晴らしさで、背中から生えている羽の大きさ、羽の形、羽の色。その美しい羽をはためかせどこまで力強く飛んでいけるのか。
そんな、見た目にわかりやすい力の顕示だ。大きく美しい羽が絶対的な価値を持つ。
羽が退化している種の場合に重要なのは、脚だ。
人によって太さや長さや色の違う脚、だが皆、膝から下はうろこ状の皮膚が連なり、尖った大きな爪がついている脚を持つ。
その脚がどれだけ強いか、走れる、跳べる、蹴りで骨を砕く……必要は通常はないが、その脚がどれほどの力を持つかは至極重要だ。
強い脚を持つものは、時に大きくて綺麗な羽より数段上の価値がある。
そのような価値観を踏まえて、羽も脚も持たない雄の価値は。
……価値は?
レイルの背中には、大きくて綺麗な羽はなかった。代わりにあるのは、肩甲骨にちょっとした羽がついたような、空を飛ぶのは難しい、小さな小さな貧相な羽。
唇は赤々としているが、髪も瞳の色も、保護色と言えば聞こえは良い位の地味な茶色だ。
身体の中で自慢できそうな所と言えば、すらりと細く伸びた長い脚で、レイルの脚は、付け根から膝にかけての皮膚が鮮やかなオレンジ色に染まり、周囲の目を引く程に輝いている。
が、普段は服に隠れているし、そもそも多少脚が長くて色が綺麗であっても、力が強いわけではないので種の価値としては無に等しい。
でも別に構わない。
綺麗な羽も、強い脚も、レイルのパン職人という仕事には必要がない。
レイルは、十八歳で成人してから、浮島亭と言う食事処で西浮国の主食であるパンを作っている。
浮島亭は店の半分でパンや惣菜を売りながら、残り半分は酒なんかも出す雑多な食べ物屋兼飲み屋で、毎日早朝から夜中までほぼ丸一日営業中だ。
そんな店で、朝も早くから粉をこねてレイルは様々なパンを作り続ける毎日。
――そもそも、この国で翼も脚力も無い人間が就ける職は限定される。
何も知らない幼い頃は、乗合馬車の御者になりたかった。
羽馬を何頭も操りながら大きな馬車に人を乗せて、浮島から浮島まで運ぶのはなんてかっこいいんだろうと憧れた。
飛べる羽を持たない者は御者になれない、と知った時は、まだ幼かった事もあり泣きに泣いた。
同時に、事故にあって乗合馬車が羽馬から外れた場合に自らが飛ばなければ、諸共落ちて死ぬ事実に震えた。そんな死に方したくない。
もう少し大きくなってからの夢は、巡察隊に入ることだった。
灰色の禁欲的な制服に身を包み、悪者を取り締まり弱いものを助けるために日夜街を見廻る姿には、心底かっこいいと憧れた。その隊を指揮しているのが黒い制服の巡察官と呼ばれる人たちで、巡察官の制服は更にかっこいい。
だが、そもそも、強い脚を持たない者は巡察隊には入れないし、もっと言えば巡察官には卵の段階から選ばれた者しかなれないと知った時は、泣きはしなかったが落ち込んだ。
同時に、悪者が逃げ出した時に自分の脚力では追いつけない上、逆に追いかけられたら確実に悪者に捕まるな、と思ったら、捕まったその後に思いを馳せて震えた。
レイルは割と怖がりだ。
泣いたり落ち込んだりもしたけれど、ある意味では子供の頃は良かった。自分の羽に対してコンプレックスも諦めも持っていなかった。
大きくなるにつれて国の現状や自身の身体が持つ価値がわかってくると、最初は自分だけでは解決できないコンプレックスが顔を出し、最終的には自分自身の価値に対して諦めが生じた。
その後は、現実を見てパンの道に進んだ。諦めたというよりは、受け入れた、のかもしれない。
パンが特別好きだったわけでは無い。
パンは主食だから国民の生活に無くてはならない。ならば職人になれば食いっぱぐれないし、その上危険がない。と言う後ろ向きな理由ではあったが、そこそこ才能があったようでレイルの作るパンはどれもしっかりとしていて美味しいと評判が良い。
そして今日も早朝から粉をこねて焼いて、夕方早めに帰路につく。
――雇われパン屋は朝が早い分、まだ明るいうちに帰れるのが得した気分だなぁ
などと、愚にもつかない事を考えながら帰宅し郵便受けを覗くと、注文しておいた新しい本が届いていた。普通程度だった気分の波が上昇する。
レイルは本が好きだ。特に、自分の国ではない他所の国の歴史が大好きだ。自分の知らない、自分には行けない世界や時代の話は、読んでいてワクワクする。
最近は世界の中心とも言われる中草国と言う国の歴史書にどハマりしている。
そのどハマりしている中草国の近代史書が届いていた。
現時点での王族の情報が網羅されているとのことで、同じ時代に生きて活動している人たちの話かと思えば興味は尽きない。
これはさっさと湯を使って、持ち帰ってきた食事を食べながら本を読み始めよう、と、玄関脇についている水道で足を洗い扉に鍵を刺し、……錠が外れている事に気づいた。
あー……クソ
思わずと言ったように悪態が口を出た。
本は諦めないといけない。上昇した気分が一気に降下、ではないが複雑な気持ちに変わるのを感じながら扉を開く。
開いた先には、膝下から広がる黒くて大きなうろこも艷やかに、長くて太くて鋭い爪の脚を持て余し気味に投げ出して、ソファに座る男が一人。
巡察官の黒い制服を着崩し何らかの書類を眺める様は、かっこいいと言えないこともないが……いや、素直に言ってしまえば、かっこいいという他ない、が。
玄関に立つレイルにちらりと視線を寄越し「おう」と一言。
おうってなんだ、おかえり、おつかれ、勝手に入ってるぞ、他にも言いようはあるだろ。おう以外に!
……とは言えず、レイルも、おう、と答えた。
「……おれ、ちょっと湯を使ってくる……」
「会った瞬間その気か……悪くないな」
「ちっげえよ!!!! 疲れてんだよ!!!」
「照れんな照れんな。ピーピー鳴いてないでさっさと行ってこい」
手をひらひらとさせていなされた。
腹立たしいが反抗もできない。せめて足音だけでも猛々しく浴室へと向かうが、この腹立たしさは通じないのだろう。益々腹立たしい。
家主が居ない家に勝手に入りこんで寛いでいる男はカジュリエスと言う。
ほんの数ヶ月前に、レイルの家のさして広くもない庭で倒れているのを助けたことが縁となり、今ここにいる。
いや、違う。助けてはいない。ただ見つけただけだ。
その日は珍しく遅番だったので、帰る頃には辺りは真っ暗だった。
――やっぱ遅番だりぃな明日も早いんだよな、さっさと寝ねーと
などと考えながら4歩あれば横切ることのできる狭い庭を玄関に向かう途中、二歩目を踏み出したその時、……明らかに荒い息遣いが耳に入る。
音の出元に目をやると、すぐそこに大きな男が倒れていた。
青い顔で口から泡を吹く男が庭に倒れて痙攣しているのを認めて、レイルは思わず、ぎゃー!!!!! と叫んだ。
どこからどう見ても死にゆく人間に見えた。普段粉をこね続けるような平和な生活を送っているレイルにとって、死にゆく人間なんて完全に非日常だ。
近辺を見回っていたらしい巡察隊員が叫び声を聞きつけて駆けつけ、固く戸締りをするように言いつけてその大きな男を運んで行った。
運ばれて行く男は巡察官の制服を着ており、世界に選ばれて生まれてきたような男が目の前で死ぬなんて、と更に恐怖が募る。
そもそも遅番で帰りが遅かったのに、死にゆく人間を見てしまった恐怖からその日は全く眠れずに、次の日は徹夜で仕事をするはめになった。そしてうっかり焼きあがった鉄板を素手で触り火傷した。アホだ。
素手で鉄板を触る初歩的ミスなんてありえない、もうダメだ、今日は何もしないで寝てしまおう、とふらふら帰宅した。
玄関に手をかけようとした矢先、暗がりから昨日死んだはずの巡察官が青い顔で出てきたので、ぎゃー!!!! おばけーー!!!! と叫んだ。
今度は見回りの巡察隊の助けは来なかった。
……そんな出会いだったんだよな、と思い出しながら湯から出て行くと、テーブルには既に夕飯が乗っていた。
自身が持って帰ってきたいくつかのパンの他に大量の野菜と果物が並んでいる。野菜と果物をわざわざ持ってきたのか。カジュリエスはマメな男だ。
「早く食おう、腹が減った」
思わず、うん、と大人しく従ってしまった。
食べながら目の前の男を観察する。濡れたような黒髪、青い顔、紅い喉元。青い顔は死にかけていたわけではなく、生まれつきと知ったのはあの後だ。
むしろ死にかけたらどんな顔色になるのか。不謹慎は承知で少し興味がある。
大きな目、高い鼻、分厚い唇。無精髭もいい感じだ。
モテるんだろうな、と眺めていたら、視線に気づいたカジュリエスが「見とれるのはわかるが見てないで早く食えよ」と促してくる。見とれてねえよ、と答え、続きを食べた。
――それが、つい1時間ほど前の事だ。
一時間経った今、揺れる自分のつま先を眺めてる。
正確には、股を開いてカジュリエスを正面から受け入れ、カジュリエスの肩に足を乗せられ揺れる自分のつま先を眺めている。
最高に気持ちが良い。
だが、この男が自分を抱く意味が未だにわからない。
この男が望めば、数の少ない希少な雌でさえ抱くことはできるだろうに。
男の趣味が変わっているのか、それとも、たまには違った毛色のものに手を出してみたくなる性分なのか。いずれにしても、羽の小さい自分に何度も何度も手を出す脚の強い男なんて……酷く珍しい部類であることは間違いない。
だってレイルの羽は小さすぎて、前からこの男を受け入れても寝台に羽が広がりもしない。無様だ。
「……レイル、別の事考えてるのか?」
「ん、ちが、っ」
ぐり、とお腹の中の気持ちの良い場所を陰茎で抉るように擦られる。尖りきった乳首を、柔らかく揉み込まれた。
「さ、いこうに、っ……きもちいって、おもって、んんん、ぅんっ……」
「は、っ……お前はほんっと、……」
「あっ、や、そこっ……!」
放置されていたレイルの陰茎を先走りと一緒にぬるりと擦られた。
ぼんやり見えていた自身のオレンジがかった爪先が、ぎゅ、と縮まるのが見える。
「も、っむり、……ん! いく、い、く……」
「ああ、イけ」
最奥を突かれ、快感が腰から頭の上まで突き抜けた刺激に、後孔をきゅうとしめつけ震えて精液を吐き出した。呼吸の音だけが大きく自分の中から聞こえるようで、思わず目の前の男の首に腕を回す。同じように荒い息をつく腕の中の存在に「ああ、カジュリエスもイったんだな」と安堵した。
「……なんだ、今日は随分と甘えてくるな」
首に回した腕を揶揄され、ばっと手を離す。
「甘えてねぇよ、イったなら早く退けろ」
「はいはい、お姫様、仰せのままに」
更にからかわれて言い返そうとしたのに、抜かれる感触に思わず「ンッ」と声が出た。
それに反応したカジュリエスは、抱えたままでいたレイルの太もも辺りを撫でくるぶしに唇をつけながら「もう一回?」などと聞いてくる。
腹の中の燻りには気づかないふりをして「やらねぇよ、退け」と抱えられてた脚を振りほどいた。
「おれ明日も早番だから」
湯を使ってる間にこのまま帰れよ、と言う意味で出した言葉にカジュリエスは「奇遇だな、俺も明日は早い」などと言いながら完全に寝の姿勢に入っている。
心の中だけで、帰れよ、と悪態をつきながら一人湯に向かう。歩きながら背中に向かって「中で出すなよ、洗うのめんどくせぇだろ」と声を張れば「いつか俺の有精卵を産めよ、お姫様」そう返される。
……産めねぇだろうが。
その言葉は口には出さなかった。
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