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第二章 ツル
07.聡い割に抜けてる白い羽
しおりを挟む「絶対触って」なんて。
クレインは大股で龍の部屋から離れながら唸った。
別に唸ろうと思ってそうしたわけではなく、扉を閉める直前のピィの様子を思い出したら、喉の奥から勝手に唸り声が出てしまった。
ピィは。
あいつは、全然だめなやつだ。
何を聞いても要領を得ない上に、正しい答えを頑なに言おうともしない。
ただただ、クレインに迷惑がかかるから言えないの一点張りだ。
だいたいクレインだって馬鹿じゃないのだから、ある程度の情報をもらって少し考えればなんとなく浮かんでくるものがある。
ピィは二十日もの間、島全体を外部から隠す魔術を、多少なりとも魔力を持っているクレインに気づかせることなくかけ続けていられる規格外の人間だ。
国の孵卵施設について詳しいくせに、貞操帯をつけられても不思議とも思わない偏った感覚のその育ち。
自分で身体を洗ってもいいのか、とも言っていた。洗い方がわからない、とも。
逃げている、と言った言葉。追いかけてきているのは悪い奴らじゃないと、そいつらを庇うために嘘をついているわけではなく、本心から言っているようでもあった。
ピィは。
本当に、心底、全くもってだめなやつだ。
こちらが聞いたことに対する要領を得ない返事と答え、それなのに漏れ出る情報が多すぎて、クレインにはわかってしまった。
きっとクレインじゃなくても、ある程度国に対して知識があるなら誰だってわかる。
ピィを追いかけているのは国だ。
事情はわからないけれど、国がピィを追いかけている。他には考えられない。
あの、魔力の多さ……クレインはピィの魔力の量はわからないが、あれだけの魔術を使い続ける魔力を有する人間は、見たことも無ければ話に聞いたことすらない。
仮にいるとしたのなら、国が管理していたとしか思えない。使い方を誤ったら毒人レベルの危険度だ。いや、毒人は普通の人間だ。ただ毒があるだけ。でもピィの魔力は底が知れない。そう言う意味では毒人よりも危険度は高そうだ。
大きく綺麗な羽を持つ、強い脚を持つ、それぞれの人間の強さに応じて就ける職が国から与えられるのと同じく、……ピィに綺麗な羽は無いように見えるが、大きな羽とあの壮絶とも言える量の魔力を持っている。で、あれば、幼い頃から国が管理していたとしか思えない。
国。
国か。
クレインの思考が止まる。
今まで、何かから逃げようなんて思ったことはなかったから、具体的にどうすれば良いのかなんてわからない。相手が個人ではなく国だなんて、なおさらだ。自慢じゃないが、ピィ程じゃないにしても自身が世間知らずである自覚はある。
とりあえず、考えよう。ピィの怪我が落ち着いて不自由なく動けるようになるまでは、今後どうするか考える猶予はあるはずだ。
今のクレインにできることなんて、普段通りの仕事をこなすこと、それからピィの世話をしながら日々を過ごすことくらいだ。
思考は止まって、問題を僅かに先送りした感があるが、その時のクレインは既にピィが治ったら出て行ってもらおうとは思えなかった。
「最悪、一緒に逃げるか……」
思わず口をついて出た言葉は、今のクレインには真理のように思える。
「それもいいな」
思わず唇に笑みを浮かべて、その日のクレインは仕事へと戻った。
島にかけられた魔術の事や、ピィが追われている事が判明し、もっと焦っても良いような状況だったはずなのに、それからの日々はそれまで以上に穏やかなものだった。
一日の中で顔を合わせる回数こそそれまでより少なかったが、クレインは廊下側から、ピィは龍の部屋の中から扉に寄りかかって座り、扉越しに他愛もない会話を楽しむことが増えた。
結果的に以前仕事場にピィが寝転がっていた時よりも会話量は増えたと言える。
何色の羽が好きか、なんて子供みたいな話をした時。
ピィ相手に、幼い頃に一度だけ見た龍の姿の話しを熱弁していたら、ピィは「クレインの真っ白な羽の美しさが私の心に染みます」などと言い出すのだから、思わず言葉に詰まることもあった。
扉越しとは言え、そこまで真っ直ぐに他人から自身の容姿を褒められたことがなかったので、クレインはどうしていいかわからない。それでも、扉を離れたいとは思わなかった。
朝食に果物を持っていったとき、ほんの少し開いた扉から中にいるピィが見えた。
ピィはとても嬉しそうで、頬を紅潮させながら「壁によりかからなくても歩けるようになりました」と喜ぶ。その様子があまりにかわいく見えて思わず手をのばしかけ……急いで扉を閉めた事もあった。
その後、もっと顔を見ていたかったなどと言われ、それに対して文句を言いながらもその場に座り込み食事の間中話し相手になった。
特に決まった会話をするわけではないので、興味本位で好きな食べ物を聞いたら「虫」と言われて耳を疑った。虫って、虫? 地面にいる、あの、うねうねしてたり、カサカサしてたりする、あの?
「本気で虫とか言ってる……?」
「どういう意味です? 本気ですけど……」
「ああ、そう……具体的には……どんな虫が……」
「蠍が好きです!」
「……おい、ピィ、蠍には毒があるぞ、食うなよそんなもん」
「私、毒が平気な身体なので!!!」
「へぇ体質……? そういえば、脚の大きなやつにも居たな、毒を食べても平気なやつ」
「世の中いろいろな方がいますねぇ……クレインは……何が好きなんですか?」
一瞬言いよどむ。
クレインは実の所鳥肉が好きなのだが、西浮国に鳥肉好きはそこまで多くないのであまり人には言わないようにしている。
「ねえ、教えて下さい」
扉の向こうでは、ピィがクレインの答えを待っている。
「にく……」
「え? よく聞こえませんでした」
「鳥肉! 俺、鳥肉が好きなんだよ! 何でも食べるけど、一番は鳥肉」
「……クレイン、あなた……蠍好きの私をどうこう言えませんね……」
「そうだな……」
「……でも……蠍が好き、なんて言ってますけど、どこにいるのか知らないんです。歩いているのを見たことがなくて」
「へぇ……この島にはいないけど……割と近くの島では、人里離れてたりするとその辺歩いていたりするけどな。いつか見に行くか。見つけたらそのまま食っちまってもいいぞ」
「生食ですか……さすがにしたことないですね……してみたい。おいしいのかなぁ……」
本当にうっとり、と言った声で言うのだから、クレインは笑ってしまった。部屋の中でピィも笑っている。生の蠍を食べたがる人間なんて初めて知ったが、自分が知らないだけで他にも虫食が好き、なんて人間はたくさんいるのかもしれない。
「お前がいくらでも食べられるように、蠍がたくさんいる島に連れて行ってやる」
「ふふ、はい、楽しみです」
そんな、他愛ない約束とも言えないような約束をすることすら楽しかった。
毒虫が好きだろうが鳥肉が好きだろうが、何だって良いのだ。お互いについて知ることができて、未来についての些細な話ができること、それだけで満たされたし楽しかった。
だからクレインは、その日が来る事を心の奥底で恐れてもいたのだ。
このままずっと、穏やかで和やかな日々を送っていきたいと願えば願うほど恐れは膨れ上がる。
だけどその恐れを見ないふりで日々を過ごす。このままずっと、毎日同じような、だけど満たされた日々を。
夜遅く。
その日の仕事を全て終わらせ水浴びをしてクレインは自室のベッドへと裸で潜り込む。
頭のどこかで予感していた。もしかしたら、今夜ここにピィがいるんじゃないかと。
「……勝手に寝室に入ったのに、驚かないんですか」
「……いるような、気がしてた」
少し分厚いふかふかした掛布の中から、薄緑色の瞳と共にピィの顔が覗く。相変わらず髪の色は茶色なのか黒色なのか、よく分からない色だ。
向かい合って横になりながら、目の前の頬をそっと指先で撫でた。
「柔らかいな」
「毎日、お世話をしてくれた人が……良かったんでしょうね」
真っ白な睫毛をぱちりと瞬いて、悪戯っぽい表情でクレインを見つめるピィ。
その表情に流されるように、クレインの指先はピィの肩をなぞる。
「なんで裸なんだよ」
「ん……クレインこそ……裸じゃないですか。なんで裸なんですか」
「俺は、寝るときは、いつも裸だ」
「ふふ、嘘つきですね、私一時期一緒に寝ていたので、クレインが裸で寝ないの知ってます」
「一人のときは裸で寝てたんだよ。前はお前がいたから気を使っただけ」
「そうなんですか?」
「ああ、そうだよ。お前は? なんで裸なの」
「……私は……怪我がよくなったら、クレインと、肌を晒して抱き合いたいと思っていたから。いつも隠れているところを、触ったり、触られたり、したかったんです」
思わず、と言うようにクレインが笑った。
「ピィのその素直なところ、最高」
そう言いながら、クレインの指は薄桃色の唇に移る。
「俺も、普段隠れているところ触ったり触られたりしたい。……でもその前に……ここに、口をつけたい」
「もちろん、構いませんよ」
「ここだけじゃなくて他にも……触るだけじゃなくて、口をつけたい」
「好きなだけ、好きなところに」
ごくり、とクレインの喉が鳴る。
緊張と興奮と期待で、酷く喉が渇く。
ピィも、同じようにクレインの唇を撫でる。
「あなたのこの、真っ赤な唇は……舐めたら甘そうです」
「舐めてもいいぞ」
「……ん、……」
その言葉が呼び水となったのか、ピィの血色の良さそうな顔がそっと近づいてきて、ゆっくりとその舌先をクレインの唇へとくっつけた。
甘くない、と、少し照れたように笑みを浮かべるピィのその唇を、今度はクレインが舐める。本当だ甘くないな、と呟きながらその唇に舌先を差し込んだら、ピィがその舌を舐めてくる。
「甘くはないけど美味しいな」
「ん、もっと……っ」
お互いに技巧も何もなく、ただお互いの舌を舐め合う。
背中からゾクゾクとただただ目の前のこの人間が欲しいと言う気持ちが湧き上がり、両手でピィの頬を撫でながら何度も舌を吸った。
もう止まらないなこれ、と頭の中で思いながらも、忘れてはいけない何かがあったような気がしてならない。
なんだっけ、何か。
この先の事をするには重大な、看過できない、何か。
ああ、でも、自身の舌で味わうこのピィの舌の感触と味が、心の奥底のどこかでずっと自分ですら気付かずに求めて続けていたものを満たしてくれるから、まともに考えることを放棄してしまう。
もっと、と、ピィの背中に腕を回して身体を引き寄せて身体が重なったときに、かちゃん、と小さく響くその音を聞くまでは、確かに考えることを放棄していたのだけれど。
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