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後編
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「盛大なお式でしたね」
アイスティーで喉を潤し、紫が言った。
吉川流華とレンの結婚式が終わったあとだ。招待されたので、ホテルで開催された披露宴には出席してきたが、二次会は欠席し、ホテルから離れたカフェで一息ついたところだった。
紫の隣には婚約者の橘聡。向かいには経理の佐藤一樹。
三人の間には、連帯して大きな仕事を終えた者達特有の達成感がただよっている。
「どうなるかと思ったけど、必要な物はそろったな」
「ああ。俺一人では、ここまで集められなかった。ありがとう、橘さん、野村さん」
大きな鞄を抱えた佐藤が満足そうに二人に礼を述べる。
「それにしても」と紫が言った。
「あのモデルの『レン』が、佐藤さんの後輩だったなんて。世の中ってせまいですね」
「後輩と言っても、高校卒業後は会う機会もなかったけれどね」
「それでよく、今回の計画に協力してくれたな」
「ああ。高校の時からあいつは常に金欠で、女性は自分のための踏み台かATMとしか思っていない奴だから」
佐藤はカフェオレに口をつけながら説明していく。
「けっきょく今も昔も、藍谷が本当に好きなのは自分自身なんだよ。美しい自分の顔と体が一番で、それを磨くために高級ブランドの服や靴や化粧品やアクセサリーを買い漁って、ジムやエステも欠かさない。女性はそういう生活を支えるためのATMで、口説き落として貢がせることで自分の魅力を確認している、ってわけ。吉川流華に初めて会った時にも、複数の彼女がいたみたいだし」
「まあ」と紫が目を丸くする。
「そんな人と結婚なんて…………吉川さん、大丈夫ですか? たしか藍谷さん、かなりの借金を抱えているんでしょう?」
「らしいね。五百万だか八百万だか…………本人も正確な数字は把握してそうにないな」
「でも、『シャルル』のイメージモデルだろ? CMにも出ていて、たくさんの女の子達に貢がせているのに」
「それが、『シャルル』はクビなんだ。表沙汰にはなっていないが、向こうの部長だか専務だかの奥さんと関係を持って、契約を切られたそうだ。本人は『オレのファンだと、向こうから誘ってきたのに理不尽だ』って怒っていたけどな。他の仕事もだいぶん減ったらしい」
「…………それで、よく結婚できたな。吉川社長はなにも言わなかったのか?」
「なにがなんでも娘を結婚させてやりたかったんだろ。吉川流華は三十九歳だ。社長としても体面もあるんだろう。藍谷に『試しに借金のことを相談してみろ』って勧めたら、『ぽんと五百万円を出してくれた』って、嬉しそうに言っていたよ」
聡と紫は呆れの表情になる。
「つまり、藍谷さんも吉川さんとの結婚を望んでいたんですね?」
「心からOKしたよ。太いママが出来た、ってね。まして、将来は社長だ」
社長の吉川剛は娘の流華に跡を継がせる予定でいる。レンは『女社長の夫』であって社長ではないのだが、その辺の違いは佐藤いわく「藍谷は気にしていない、もしくは理解していない」そうだ。ただ、自分が大会社のトップに座れることを喜んでいるのだと言う。
「三ヶ月少しで結婚に至ったのは、さすがに驚いたが。おかげで予想より早く、目的の物をとり戻せた。新居への引っ越しがあったおかげだよ」
佐藤は抱えていた大きな鞄から、数冊のスケッチブックをとり出した。それから小型のボイスレコーダーを二つ。
紫がスケッチブックの一冊を手にとり、ひろげる。スケッチブックにはどのページにもびっしりと、様々なキャラクターが活き活きとした線で描かれていた。
「これが…………佐藤さんのデザイン…………」
紫の哀しげな声に、「ああ」と、別のスケッチブックをひろげた佐藤の声もふるえる。
「妹が…………千花が高校生の時から毎日、描きためてきたスケッチブックだ。これも…………この絵も…………あいつが絵を描きはじめた小学生の時から見守ってきた。見間違えるもんか。このキャラも、色も線も、すべて千花の絵、千花のデザインだ。吉川流華のものなんかじゃない――――…………っ」
佐藤は愛おしそうに、苦しそうに紙面を凝視する。その目尻に涙が光る。
退職した紫の同期、デザイン課の佐藤千花は経理の佐藤一樹の実妹だった。
一樹は「吉川さんにデザインを盗まれた」という妹の言い分を信じ、それを立証するために、それまでの会社を辞めてKIKKAWAコーポレーションに入社したのだ。
そして、社内で出世株と目される聡が吉川流華に目をつけられ、面倒な事態に巻き込まれていると知ると、聡と紫に協力を持ちかけたのだ。
「このまま何もせずにいたら、橘も野村も妹の二の舞になるぞ」と――――
千花と仲の良かった紫は、千花の無実を証明しようと奔走する一樹に好感を持ったし、なにより聡も紫も流華の性格と立場を知っている。二人は佐藤への協力を決めた。
「吉川は飲み会のあと、一人暮らしだった千花を送って部屋に入った。そしてスケッチブックを全部、盗んだんだ。千花は最初、吉川を疑っていなかった。けど、ローズプレミアム社に吉川が出したデザインを見て盗まれたと気づき、『返してくれ』と頼んだんだ。なのに…………」
「吉川さんに、白を切られたんですよね。『言いがかりだ、証拠を出せ』って…………」
紫が痛ましそうに眉間を寄せる。
佐藤千花は被害を立証できなかった。スケッチブックはずっと家に置いており、中のデザインもデータ化してパソコンやクラウドに保存したりしていなかった。スケッチブックを社内の人間に見せたこともなかったから、それがあったことすら証明できない。むろん、課で使用しているパソコンやネットには何も残っていない。
吉川流華はそれを逆手に「人をドロボウ扱いするの!?」「そういうアンタこそ、私のデザインを盗んだんじゃないの!?」と、課の人間達の前で散々罵倒したのだ。
元来、気が弱くて引っ込み思案の千花は、すっかり反撃の手段も気力も失った。
そこへ流華はさらなる追い打ちをかけた。
一樹がボイスレコーダーを操作する。すると低い声が流れ出てきた。
『――――君は流華を、自分のデザインを盗んだ、と非難したそうだな。だが話を聞けば、君のパソコンからは、それらしいデザインは出なかったそうじゃないか。例のローズプレミアム社のデザインも、流華のパソコンには制作過程が残っていたが、君のパソコンにはなにも残っていなかったと聞いている』
『で、でも社長、私は本当に…………あのデザインは私の…………』
『言い訳は無用! 潔く嘘を認めたまえ! 君は自分の嘘で同僚を傷つけ、課に迷惑をかけたことに罪悪感はないのか!!』
『…………っ』
『黙っていたが、流華は私の一人娘だ。公にしなかったのは、社長令嬢という立場に関係なく、公平に扱ってほしかったからだ。だが佐藤君、君には娘を根拠なく侮辱し、社内の空気を乱した責任をとってもらう。君は馘首だ――――』
紫や聡も聞いた、吉川剛社長の声が響く。佐藤千花はすっかり怯えて戦意消失したのだろう、かすかにすすり泣いている。吉川流華の声が聞こえた。
『泣いて同情を引こうとするのは、やめてくれる? 大人の女の態度じゃないわ』
耐えかねたように一樹がボイスレコーダーを停止した。激情を堪えて呻く。
「なにが『社内で調査は尽くした』だ、親の力でもみ消しておきながら…………!!」
ぎり、と佐藤が歯ぎしりする。紫と聡の表情も厳しい。
千花に責められた流華は、社長である父に「デザインを盗んだと疑われた」と泣きついたのだ。父親は娘の主張を丸ごと信じて、千花の言い分には耳もかたむけず、「流華の成功を妬んで言いがかりをつけた」と決めつけて千花を責め、馘首を言い渡したのだ。
千花は反論も抵抗もできず、ただ兄の忠告を思い出して、忍ばせていたボイスレコーダーのスイッチを入れるのでせいいっぱいだった。
電話に出ない妹を心配して一樹が千花のアパートを訪ねた時、千花は食事もとらず、ただ生気を失った様子で布団に横たわっていた。
「佐藤さんの様子は…………」
紫が訊ねると、一樹は苦い表情になる。
「安定している。良くも悪くも、変化がない。けど、このスケッチブックを見せたら…………きっといい方向に変わる。そう信じたい――――」
「きっと、元気をとり戻しますよ」
祈るような和樹の表情に、紫と聡も同じ思いでうなずいた。
「さて。あとは一族のほうか。あちらのほうは、なんて?」
「上々だ」
聡の質問に、一樹は力強い声でもう一つのボイスレコーダーのスイッチを入れる。
ボイスレコーダーから、先ほどの録音と大差ない会話が流れ出す。
聡と紫が流華に呼び出され、吉川社長に解雇を言い渡された時の会話だった。
一樹に頼まれ、また自分達の身を守るため、聡はあらかじめ胸ポケットにボイスレコーダーを忍ばせていたのだ。
「もともと吉川剛社長に対する吉川一族の期待は、今一つだった。今回の件は、一族の危惧が的中した証明だ」
KIKKAWAコーポレーションは二代前からつづく大会社で、一族経営の面が強い。
現在の吉川剛社長は三代目だが、最初から次期社長と目されていたわけではない。
剛社長にはもともと飛び抜けて優秀な兄がおり、その兄が会社を継ぐことが既定路線だった。
しかし兄は若くしてこの世を去り、急遽、弟がその座に就く。
一族は危惧した。幼い頃から次期社長として研鑽を積んできた兄に比べ、弟は良くも悪くも自由に育てられ、特出した才能を見せるわけでもない。
それでも様々な要因が重なって「ひとまず弟に継がせるのが最善だろう」という結論に至り、そのとおりになったのだが。
結果は一樹や紫、聡の知るとおり。
弟は悪い意味でのワンマン社長と化して会社に君臨し、溺愛する一人娘をコネで入社させたばかりか、彼女の問題をもみ消しすらしたのだ。
一樹は経理として、流華が私的な支出を必要経費として会社に請求し、社長である父親がそれを黙認している証拠も手に入れた。
「一族は、社長が娘の結婚でばたばたしている隙に、海外にいる社長の甥を呼び戻して、今の社長は解任する方針を決定した。野村さんと橘さんの解雇も正当な理由がないと認めたし、新社長の任命と同時に復帰できるはずだよ。災難だったね、吉川流華に目をつけられたばかりに」
「まったくだ」
聡は心底からうなずいた。
「そもそも、なんで俺と吉川さんが付き合っていることになったんだ。たった一回、食事をしただけだぞ? それも吉川さんに『聞かないと、あなたの立場が悪くなるわよ』って、さんざん脅された末にで、俺から告白したことは一度もない。俺は二年前から紫と付き合っているんだ、『仕事に真剣な女性が好き』とか『年の差は関係ない』とか、全部紫のことだ。『面白い』って言ったのも、彼女があまりに締め切りを軽視する発言をするから『そういう考え方を聞いたのは初めてです、吉川さんは面白い方ですね』って、嫌味のつもりで言ったんだぞ!? それがどうして、口説き文句みたいに受けとられるんだ!?」
頭をかきむしりそうな聡に、「うーん」と紫が私見を述べる。
「私の勝手な推測だけど…………ひょっとしたら吉川さんは、聡の『面白い』を『おもしれー女』の意味で受けとったのかも。ほら、少女漫画とかの定番じゃない。俺様系のイケメンキャラがヒロインに反発された時に『この俺に逆らうなんて、面白い女だ』って。漫画や乙女ゲームだと、イケメンキャラの言う『面白い女』は実質『興味をそそられる魅力的な女性』って意味だから、そういう文脈で解釈したんじゃないかな?」
「勘弁してくれ…………そんな理由で、俺はあの人に告白したことになったのか…………」
聡は力なく背もたれにもたれ、紫と一樹も気の毒そうに彼を見た。
一方、二次会。KIKKAWAコーポレーション、デザイン課の席である。
「なんであんなパワハラ女が、レンみたいな若いイケメンモデルと結婚できるわけ!?」
中山がテリーヌにフォークをされば、シャンパンで出来あがりかけている林も応じる。
「どうせ、お金の力よ。吉川さんが社長の娘って、みんな知ってるし」
「そうそう。二人きりになると『他の人には黙っておいてね』『信用しているから、あなただけには話すわ』って、自分からしゃべりまくってさぁ」
「入社して三年のくせに、五年以上いる中山さんや林さんを部下扱いですからね。どこが『社長令嬢だからって特別扱いされたくないの』なんだか」
「佐藤さんの件で、すっかり広まったもんね。あれ以来、誰も吉川さんには文句言えなくなったし。…………ぶっちゃけ、あの人が佐藤さんのデザインを盗んだの、事実よね?」
「でしょ? 吉川さん、去年まで全然デザインできなかったもの。なのに急に色々出すようになって…………どうみたって、誰かに手伝わせているか盗んだか、でしょ。証拠がないから、誰も言わないだけで」
「いまだにCGソフトも満足に扱えないもんね。カラーがちゃんと塗れないから、いつも雑なラフ画まででさあ。それを『もう、ほとんどできているから、最後の修正だけ頼むわ』って、こっちに回して来るの、ホント迷惑。あれでよく『私の成果です』って言えるわ、ほとんどあたし達がやってるんですけど!?」
「大きな目立つ仕事ばかりとって、それで毎回、自分一人じゃ完成できなくて、私達に回して来るのにね。それを『あなたの成長のために譲っているのよ』って、冗談じゃないわ」
「で、『本当の締め切りまで余裕があるから大丈夫』って。大丈夫じゃないわよ、アンタがぎりぎりまで回さず、雑なラフまでしか済ませていないから、こっちは何日も残業する羽目になるんじゃない! せめて、先方が指定した締切に間に合うよう、逆算して寄越しなさいよ!!」
「野村さんなんて、なまじ上手いせいで何度もカバーさせられてさ。あそこまで彼女に迷惑かけておいて、なんで敵視できるんだか。馬鹿なの?」
「野村さんと橘さんが二年前から付き合ってるって、知っている人は知ってるんだけどねぇ」
「それはほら、吉川さんは友達がいないから」
どっと笑いが起きる。
「友達がいない、と言えばさ。あの、新婦の友人席の人達。あれってみんな、雇われた人達みたい。さっき、トイレで話しているのを聞いたの。誰も来てくれなかったんじゃない?」
「ああ…………」と、女子社員の間から納得の声があがる。
「そういえば吉川さんって、前の会社で不倫してたらしいよ。友達が偶然、吉川さんの部署に派遣で入って、色々聞いたんだって。六歳年上の当時のエースと、既婚と知ってて八年、付き合って。奥さんにばれて別れ話を出されたら『離婚して、私と結婚するって約束したじゃない!』って、相当もめたらしいよ。で、居づらくなって退職したら、バカンス三昧。三年前にうちに来るまで、六年間、毎日のようにブログに海外旅行の写真をアップしてたんだって」
「うわ…………最悪すぎる…………」
女子達の表情がいっせいに軽蔑に歪む。
「まあ、吉川さんはこれで退職だし。せめて結婚式くらい、快く送り出してあげようよ」
加藤課長が温和な笑顔で部下達をとりなす。
高級ホテルだけあって料理はすばらしく、彼女達もそこは堪能して帰宅した。
半年後。KIKKAWAコーポレーションの社長が入れ替わり、橘聡と野村紫もそれぞれの課に無事、復帰する。
二人の帰還は課内で歓迎されたが、結婚退職していた吉川流華とは顔を合わせることもなかった。
アイスティーで喉を潤し、紫が言った。
吉川流華とレンの結婚式が終わったあとだ。招待されたので、ホテルで開催された披露宴には出席してきたが、二次会は欠席し、ホテルから離れたカフェで一息ついたところだった。
紫の隣には婚約者の橘聡。向かいには経理の佐藤一樹。
三人の間には、連帯して大きな仕事を終えた者達特有の達成感がただよっている。
「どうなるかと思ったけど、必要な物はそろったな」
「ああ。俺一人では、ここまで集められなかった。ありがとう、橘さん、野村さん」
大きな鞄を抱えた佐藤が満足そうに二人に礼を述べる。
「それにしても」と紫が言った。
「あのモデルの『レン』が、佐藤さんの後輩だったなんて。世の中ってせまいですね」
「後輩と言っても、高校卒業後は会う機会もなかったけれどね」
「それでよく、今回の計画に協力してくれたな」
「ああ。高校の時からあいつは常に金欠で、女性は自分のための踏み台かATMとしか思っていない奴だから」
佐藤はカフェオレに口をつけながら説明していく。
「けっきょく今も昔も、藍谷が本当に好きなのは自分自身なんだよ。美しい自分の顔と体が一番で、それを磨くために高級ブランドの服や靴や化粧品やアクセサリーを買い漁って、ジムやエステも欠かさない。女性はそういう生活を支えるためのATMで、口説き落として貢がせることで自分の魅力を確認している、ってわけ。吉川流華に初めて会った時にも、複数の彼女がいたみたいだし」
「まあ」と紫が目を丸くする。
「そんな人と結婚なんて…………吉川さん、大丈夫ですか? たしか藍谷さん、かなりの借金を抱えているんでしょう?」
「らしいね。五百万だか八百万だか…………本人も正確な数字は把握してそうにないな」
「でも、『シャルル』のイメージモデルだろ? CMにも出ていて、たくさんの女の子達に貢がせているのに」
「それが、『シャルル』はクビなんだ。表沙汰にはなっていないが、向こうの部長だか専務だかの奥さんと関係を持って、契約を切られたそうだ。本人は『オレのファンだと、向こうから誘ってきたのに理不尽だ』って怒っていたけどな。他の仕事もだいぶん減ったらしい」
「…………それで、よく結婚できたな。吉川社長はなにも言わなかったのか?」
「なにがなんでも娘を結婚させてやりたかったんだろ。吉川流華は三十九歳だ。社長としても体面もあるんだろう。藍谷に『試しに借金のことを相談してみろ』って勧めたら、『ぽんと五百万円を出してくれた』って、嬉しそうに言っていたよ」
聡と紫は呆れの表情になる。
「つまり、藍谷さんも吉川さんとの結婚を望んでいたんですね?」
「心からOKしたよ。太いママが出来た、ってね。まして、将来は社長だ」
社長の吉川剛は娘の流華に跡を継がせる予定でいる。レンは『女社長の夫』であって社長ではないのだが、その辺の違いは佐藤いわく「藍谷は気にしていない、もしくは理解していない」そうだ。ただ、自分が大会社のトップに座れることを喜んでいるのだと言う。
「三ヶ月少しで結婚に至ったのは、さすがに驚いたが。おかげで予想より早く、目的の物をとり戻せた。新居への引っ越しがあったおかげだよ」
佐藤は抱えていた大きな鞄から、数冊のスケッチブックをとり出した。それから小型のボイスレコーダーを二つ。
紫がスケッチブックの一冊を手にとり、ひろげる。スケッチブックにはどのページにもびっしりと、様々なキャラクターが活き活きとした線で描かれていた。
「これが…………佐藤さんのデザイン…………」
紫の哀しげな声に、「ああ」と、別のスケッチブックをひろげた佐藤の声もふるえる。
「妹が…………千花が高校生の時から毎日、描きためてきたスケッチブックだ。これも…………この絵も…………あいつが絵を描きはじめた小学生の時から見守ってきた。見間違えるもんか。このキャラも、色も線も、すべて千花の絵、千花のデザインだ。吉川流華のものなんかじゃない――――…………っ」
佐藤は愛おしそうに、苦しそうに紙面を凝視する。その目尻に涙が光る。
退職した紫の同期、デザイン課の佐藤千花は経理の佐藤一樹の実妹だった。
一樹は「吉川さんにデザインを盗まれた」という妹の言い分を信じ、それを立証するために、それまでの会社を辞めてKIKKAWAコーポレーションに入社したのだ。
そして、社内で出世株と目される聡が吉川流華に目をつけられ、面倒な事態に巻き込まれていると知ると、聡と紫に協力を持ちかけたのだ。
「このまま何もせずにいたら、橘も野村も妹の二の舞になるぞ」と――――
千花と仲の良かった紫は、千花の無実を証明しようと奔走する一樹に好感を持ったし、なにより聡も紫も流華の性格と立場を知っている。二人は佐藤への協力を決めた。
「吉川は飲み会のあと、一人暮らしだった千花を送って部屋に入った。そしてスケッチブックを全部、盗んだんだ。千花は最初、吉川を疑っていなかった。けど、ローズプレミアム社に吉川が出したデザインを見て盗まれたと気づき、『返してくれ』と頼んだんだ。なのに…………」
「吉川さんに、白を切られたんですよね。『言いがかりだ、証拠を出せ』って…………」
紫が痛ましそうに眉間を寄せる。
佐藤千花は被害を立証できなかった。スケッチブックはずっと家に置いており、中のデザインもデータ化してパソコンやクラウドに保存したりしていなかった。スケッチブックを社内の人間に見せたこともなかったから、それがあったことすら証明できない。むろん、課で使用しているパソコンやネットには何も残っていない。
吉川流華はそれを逆手に「人をドロボウ扱いするの!?」「そういうアンタこそ、私のデザインを盗んだんじゃないの!?」と、課の人間達の前で散々罵倒したのだ。
元来、気が弱くて引っ込み思案の千花は、すっかり反撃の手段も気力も失った。
そこへ流華はさらなる追い打ちをかけた。
一樹がボイスレコーダーを操作する。すると低い声が流れ出てきた。
『――――君は流華を、自分のデザインを盗んだ、と非難したそうだな。だが話を聞けば、君のパソコンからは、それらしいデザインは出なかったそうじゃないか。例のローズプレミアム社のデザインも、流華のパソコンには制作過程が残っていたが、君のパソコンにはなにも残っていなかったと聞いている』
『で、でも社長、私は本当に…………あのデザインは私の…………』
『言い訳は無用! 潔く嘘を認めたまえ! 君は自分の嘘で同僚を傷つけ、課に迷惑をかけたことに罪悪感はないのか!!』
『…………っ』
『黙っていたが、流華は私の一人娘だ。公にしなかったのは、社長令嬢という立場に関係なく、公平に扱ってほしかったからだ。だが佐藤君、君には娘を根拠なく侮辱し、社内の空気を乱した責任をとってもらう。君は馘首だ――――』
紫や聡も聞いた、吉川剛社長の声が響く。佐藤千花はすっかり怯えて戦意消失したのだろう、かすかにすすり泣いている。吉川流華の声が聞こえた。
『泣いて同情を引こうとするのは、やめてくれる? 大人の女の態度じゃないわ』
耐えかねたように一樹がボイスレコーダーを停止した。激情を堪えて呻く。
「なにが『社内で調査は尽くした』だ、親の力でもみ消しておきながら…………!!」
ぎり、と佐藤が歯ぎしりする。紫と聡の表情も厳しい。
千花に責められた流華は、社長である父に「デザインを盗んだと疑われた」と泣きついたのだ。父親は娘の主張を丸ごと信じて、千花の言い分には耳もかたむけず、「流華の成功を妬んで言いがかりをつけた」と決めつけて千花を責め、馘首を言い渡したのだ。
千花は反論も抵抗もできず、ただ兄の忠告を思い出して、忍ばせていたボイスレコーダーのスイッチを入れるのでせいいっぱいだった。
電話に出ない妹を心配して一樹が千花のアパートを訪ねた時、千花は食事もとらず、ただ生気を失った様子で布団に横たわっていた。
「佐藤さんの様子は…………」
紫が訊ねると、一樹は苦い表情になる。
「安定している。良くも悪くも、変化がない。けど、このスケッチブックを見せたら…………きっといい方向に変わる。そう信じたい――――」
「きっと、元気をとり戻しますよ」
祈るような和樹の表情に、紫と聡も同じ思いでうなずいた。
「さて。あとは一族のほうか。あちらのほうは、なんて?」
「上々だ」
聡の質問に、一樹は力強い声でもう一つのボイスレコーダーのスイッチを入れる。
ボイスレコーダーから、先ほどの録音と大差ない会話が流れ出す。
聡と紫が流華に呼び出され、吉川社長に解雇を言い渡された時の会話だった。
一樹に頼まれ、また自分達の身を守るため、聡はあらかじめ胸ポケットにボイスレコーダーを忍ばせていたのだ。
「もともと吉川剛社長に対する吉川一族の期待は、今一つだった。今回の件は、一族の危惧が的中した証明だ」
KIKKAWAコーポレーションは二代前からつづく大会社で、一族経営の面が強い。
現在の吉川剛社長は三代目だが、最初から次期社長と目されていたわけではない。
剛社長にはもともと飛び抜けて優秀な兄がおり、その兄が会社を継ぐことが既定路線だった。
しかし兄は若くしてこの世を去り、急遽、弟がその座に就く。
一族は危惧した。幼い頃から次期社長として研鑽を積んできた兄に比べ、弟は良くも悪くも自由に育てられ、特出した才能を見せるわけでもない。
それでも様々な要因が重なって「ひとまず弟に継がせるのが最善だろう」という結論に至り、そのとおりになったのだが。
結果は一樹や紫、聡の知るとおり。
弟は悪い意味でのワンマン社長と化して会社に君臨し、溺愛する一人娘をコネで入社させたばかりか、彼女の問題をもみ消しすらしたのだ。
一樹は経理として、流華が私的な支出を必要経費として会社に請求し、社長である父親がそれを黙認している証拠も手に入れた。
「一族は、社長が娘の結婚でばたばたしている隙に、海外にいる社長の甥を呼び戻して、今の社長は解任する方針を決定した。野村さんと橘さんの解雇も正当な理由がないと認めたし、新社長の任命と同時に復帰できるはずだよ。災難だったね、吉川流華に目をつけられたばかりに」
「まったくだ」
聡は心底からうなずいた。
「そもそも、なんで俺と吉川さんが付き合っていることになったんだ。たった一回、食事をしただけだぞ? それも吉川さんに『聞かないと、あなたの立場が悪くなるわよ』って、さんざん脅された末にで、俺から告白したことは一度もない。俺は二年前から紫と付き合っているんだ、『仕事に真剣な女性が好き』とか『年の差は関係ない』とか、全部紫のことだ。『面白い』って言ったのも、彼女があまりに締め切りを軽視する発言をするから『そういう考え方を聞いたのは初めてです、吉川さんは面白い方ですね』って、嫌味のつもりで言ったんだぞ!? それがどうして、口説き文句みたいに受けとられるんだ!?」
頭をかきむしりそうな聡に、「うーん」と紫が私見を述べる。
「私の勝手な推測だけど…………ひょっとしたら吉川さんは、聡の『面白い』を『おもしれー女』の意味で受けとったのかも。ほら、少女漫画とかの定番じゃない。俺様系のイケメンキャラがヒロインに反発された時に『この俺に逆らうなんて、面白い女だ』って。漫画や乙女ゲームだと、イケメンキャラの言う『面白い女』は実質『興味をそそられる魅力的な女性』って意味だから、そういう文脈で解釈したんじゃないかな?」
「勘弁してくれ…………そんな理由で、俺はあの人に告白したことになったのか…………」
聡は力なく背もたれにもたれ、紫と一樹も気の毒そうに彼を見た。
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「入社して三年のくせに、五年以上いる中山さんや林さんを部下扱いですからね。どこが『社長令嬢だからって特別扱いされたくないの』なんだか」
「佐藤さんの件で、すっかり広まったもんね。あれ以来、誰も吉川さんには文句言えなくなったし。…………ぶっちゃけ、あの人が佐藤さんのデザインを盗んだの、事実よね?」
「でしょ? 吉川さん、去年まで全然デザインできなかったもの。なのに急に色々出すようになって…………どうみたって、誰かに手伝わせているか盗んだか、でしょ。証拠がないから、誰も言わないだけで」
「いまだにCGソフトも満足に扱えないもんね。カラーがちゃんと塗れないから、いつも雑なラフ画まででさあ。それを『もう、ほとんどできているから、最後の修正だけ頼むわ』って、こっちに回して来るの、ホント迷惑。あれでよく『私の成果です』って言えるわ、ほとんどあたし達がやってるんですけど!?」
「大きな目立つ仕事ばかりとって、それで毎回、自分一人じゃ完成できなくて、私達に回して来るのにね。それを『あなたの成長のために譲っているのよ』って、冗談じゃないわ」
「で、『本当の締め切りまで余裕があるから大丈夫』って。大丈夫じゃないわよ、アンタがぎりぎりまで回さず、雑なラフまでしか済ませていないから、こっちは何日も残業する羽目になるんじゃない! せめて、先方が指定した締切に間に合うよう、逆算して寄越しなさいよ!!」
「野村さんなんて、なまじ上手いせいで何度もカバーさせられてさ。あそこまで彼女に迷惑かけておいて、なんで敵視できるんだか。馬鹿なの?」
「野村さんと橘さんが二年前から付き合ってるって、知っている人は知ってるんだけどねぇ」
「それはほら、吉川さんは友達がいないから」
どっと笑いが起きる。
「友達がいない、と言えばさ。あの、新婦の友人席の人達。あれってみんな、雇われた人達みたい。さっき、トイレで話しているのを聞いたの。誰も来てくれなかったんじゃない?」
「ああ…………」と、女子社員の間から納得の声があがる。
「そういえば吉川さんって、前の会社で不倫してたらしいよ。友達が偶然、吉川さんの部署に派遣で入って、色々聞いたんだって。六歳年上の当時のエースと、既婚と知ってて八年、付き合って。奥さんにばれて別れ話を出されたら『離婚して、私と結婚するって約束したじゃない!』って、相当もめたらしいよ。で、居づらくなって退職したら、バカンス三昧。三年前にうちに来るまで、六年間、毎日のようにブログに海外旅行の写真をアップしてたんだって」
「うわ…………最悪すぎる…………」
女子達の表情がいっせいに軽蔑に歪む。
「まあ、吉川さんはこれで退職だし。せめて結婚式くらい、快く送り出してあげようよ」
加藤課長が温和な笑顔で部下達をとりなす。
高級ホテルだけあって料理はすばらしく、彼女達もそこは堪能して帰宅した。
半年後。KIKKAWAコーポレーションの社長が入れ替わり、橘聡と野村紫もそれぞれの課に無事、復帰する。
二人の帰還は課内で歓迎されたが、結婚退職していた吉川流華とは顔を合わせることもなかった。
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椿谷あずる
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そっち?!!!笑笑
凄いざまあだった。面白い。
helloworldさん、コメントありがとうございます!
そっちなのです。
もともと「Aと見せかけてB」という叙述トリックを目指した話でしたので、引っかかっていただけたなら、良かったです。