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「パトリシア・フェザーストン嬢! この私、ロディア王太子ルドルフは、貴女との婚約を破棄する!」
国の重鎮が集まった重厚な会議室で。
ルドルフは淡紅色の髪の少女の肩を抱きよせ、宣言した。
「え、あの?」
抱きよせられた少女は、困惑をあらわに長身の青年の横顔を見あげる。
名指しされた令嬢が淑やかに王太子の前に進み出た。
「ご乱心にもほどがございます、ルドルフ殿下。王族とは国の顔。王族が迎える妃も、同じく国の顔にございます。そこに、なんの教養も功績もない平民の娘を据えるなど、国王陛下はもとより、民も納得しないでしょう。どうぞ、短慮はおひかえくださいませ。今なら皆さまも聞かなかったことにできましょう」
ロディア王国には珍しい銀髪をさらさらゆらして、パトリシアがルドルフを諫める。
だが『ロディアの月女神』と讃えられる美姫の言葉も、恋の神の黄金の矢に胸を貫かれたルドルフの心には響かない。
「乱心ではない、パティ。いや、パトリシア嬢。私は貴女との婚約を破棄し、このジェラルディンと結婚する。私が今、真実、心から愛しているのは、ジェラルディンなのだ!」
いっそ神々しいほどの威厳をただよわせて、王太子ルドルフは会議室中に宣言する。
ロディア国王は困惑に太い眉をしかめ、王妃は扇で口もとを隠して視線を伏せ、大臣たちは顔を見合わせて、フェザーストン公爵は怒りと屈辱に今にも卒倒しそうだ。
パトリシアも表面上は落ち着いて見えたが、重ねた両手はふるえている。
王太子に「結婚する」と名指しされた少女は、琥珀色の瞳に困惑と驚愕を映して、彼の横顔を凝視していた。
(いったいどういうことなの? 聞いていないわ、ルディ。婚約者がいたなんて――――!)
「貴女はまことに慈悲深く高潔な姫君だ、パトリシア嬢。貴女こそロディア一の姫君、淑女の中の淑女、もっとも完璧な一輪の白薔薇だ。――――まさにヴラスタリ皇子妃にふさわしい」
冷たい銀の髪と、北海を思わす暗い青の瞳。それらが映える濃紺の上着と、銀のベルトにさした小剣。この鞘に彫られた雄鶏と白鳥の精緻さだけで、持ち主の身分と財力が察せられる。
王宮内で武器の携帯が許されるのは、武官や警備兵をのぞけば、一握りの貴人のみ。
『美しき氷の貴公子』ことブラント皇子は、冷ややかな美貌に男らしい笑みを浮かべて、パトリシア嬢の手をとり、跪いた。
「パトリシア・フェザーストン嬢。この私、ヴラスタリ皇国第二皇子ブラントの妃になってくれ。私はずっと貴女に恋していた」
ブラントがパトリシアの手の甲に口づけを落とすと、パトリシアに付き添っていた若い侍女や周囲の女たちが、黄色い悲鳴をあげる。
大陸の西に位置する王国、ロディア。
国王オーガスティン二世はここ数年、体調が思わしくない日がつづいているが、次代国王である王太子ルドルフは容姿端麗、品行方正、文武両道と重臣たちの期待と信頼も厚く、彼の妃に選ばれた公爵令嬢パトリシア・フェザーストンも、非の打ちどころのない美姫として知られていた。
国王の体調に不安は残るものの、そう憂慮することはあるまい――――と、王宮中が楽観していた、ある日。
状況は一変する。
地方へ視察に出たルドルフは恋の神の黄金の矢に胸を貫かれ、ある田舎町で出会った一人の少女を連れ帰ったのだ。
そして国王と重臣たちに、公爵令嬢との婚約破棄と少女との結婚を宣言し、翌年には数多の反対を押しきって華燭の典を挙げた。
王宮中に、平民の少女との結婚を認めさせたのである。
この出来事はロディア王国史でも一、二を争う稀な出来事として記録され、民の間では『世紀の大恋愛』『真実の愛が起こした奇跡』と絶賛される。
いつの時代も、政治や王宮には縁遠い彼らにとって、平民が王侯貴族に見初められる話は「自分たちの身にもいつか」と、希望を抱かせる夢物語にすぎない。
純粋可憐な田舎娘は、王子様に見初められて結婚。
未来の王妃様としてお城で幸せに暮らしました、めでたしめでたし。
そんな未来を民は思い描いたし、期待したのだが。
「ああ、パトリシア、パトリシア、私のパティ! どうして私は、君の手を離してしまったんだ」
ロディア王妃の私室で。
ルドルフは金色の髪を振り乱して、母親にすがるように嘆く。
「今さら後悔しても遅いのですよ、ルドルフ」
重々しく、けれど愛情も込めて王妃ブリアンナは諭した。
「パトリシア嬢は、ヴラスタリ皇国へ発ちました。もうロディアに戻ることはないでしょう。あなたは、あなたが選んだあの卑しい平民の娘と、生涯連れ添う他ないのです、ルドルフ」
「ああ…………っ」
青年が絶望に顔をおおう。
「一年前の自分は、悪い魔法にかけられていたとしか思えない。私がパティを拒絶して、あんな田舎娘を選ぶなんて…………」
母と息子の会話を、扉の隙間からのぞいていた王太子妃レイラは、扉をそっと閉じて、その場から離れた。
広い廊下を一人、悄然と歩く。
悔しさと惨めさに、琥珀色の瞳が潤んだ。
いったい、なにが間違っていたの。どこでつまずいたの。
わたしはあなたが望んだから、ここに来た。
あなたの心を信じて、ここまで来た。
田舎の町娘に、信じる以外のどんな選択肢があったというの?
わたしには、あなたの愛を信じる以外、道はなかったのに。
ジェラルディンは叫びたかった。
(わたしは、こんなこと望んでいなかったのに――――!!)
******
遠い異国の地で。
灰色の髪をなびかせた青年の耳に、声が届く。
人には聞こえぬ、消えゆく小さな声。
事態を察した青年は途方もない後悔に襲われて、見えぬどこかへ痛烈に叫んだ。
ああ、こうなるとわかっていたなら、もっと早くに――――
どうか母よ、高貴なる地下の女王よ
あの哀れな少女に慈悲と救いを――――
どうか死なないでほしい
必ずあなたを助けに行くから――――!!
******
(これですべての条件がそろった――――!)
ミツキは期待と興奮にふるえる。
前世でのミツキは底辺だった。
幼い頃から勉強もスポーツも習い事もぱっとせず、学校でも空気扱いで、大学も三流なら、どうにか入った会社も三流かつブラック。
恋人や本当の友人ができたこともなく、夢や希望はおろか、生活のはりとなる趣味一つ見つからなかった。
だがこの世界では、そのすべてが手に入る運命だ。
この世界は、悪役令嬢モノ漫画。無能な王太子が、馬鹿で野心家の男爵令嬢に篭絡されて、美しく優秀な悪役令嬢との婚約を破棄し「ヒドインをいじめていた」と、濡れ衣まで着せかける。悪役令嬢は、王太子よりはるかに美形で優秀な格上の皇国の第二皇子に助けられ、求婚を受け容れて皇子と共に皇国へ移る。
その後、悪役令嬢パトリシアは、皇国で有能さを認められて眠っていた力も目覚め、神々の加護も手に入れて、夫の第二皇子もヴラスタリ皇帝となり、夫や美形の神々に溺愛されながら彼女の力で戦争にも勝つ、というご都合主義的展開が待っている。
あの『乱界衆』と名乗った男には感謝しなければならない。
前世で偶然ほんの少し助けただけの、あの人外を名乗る男は、ミツキを新しい世界に転生させてくれたのだ。
これは運命。
名もなき脇役と思われていた自分には実は、主人公としての展開が待っていた。
自分はもう、二度とあの底辺の人生には戻らない。
今生こそ主人公として幸せをつかみ、誰かを羨むのではなく、羨ましがられる存在になっ
てみせる――――!!
国の重鎮が集まった重厚な会議室で。
ルドルフは淡紅色の髪の少女の肩を抱きよせ、宣言した。
「え、あの?」
抱きよせられた少女は、困惑をあらわに長身の青年の横顔を見あげる。
名指しされた令嬢が淑やかに王太子の前に進み出た。
「ご乱心にもほどがございます、ルドルフ殿下。王族とは国の顔。王族が迎える妃も、同じく国の顔にございます。そこに、なんの教養も功績もない平民の娘を据えるなど、国王陛下はもとより、民も納得しないでしょう。どうぞ、短慮はおひかえくださいませ。今なら皆さまも聞かなかったことにできましょう」
ロディア王国には珍しい銀髪をさらさらゆらして、パトリシアがルドルフを諫める。
だが『ロディアの月女神』と讃えられる美姫の言葉も、恋の神の黄金の矢に胸を貫かれたルドルフの心には響かない。
「乱心ではない、パティ。いや、パトリシア嬢。私は貴女との婚約を破棄し、このジェラルディンと結婚する。私が今、真実、心から愛しているのは、ジェラルディンなのだ!」
いっそ神々しいほどの威厳をただよわせて、王太子ルドルフは会議室中に宣言する。
ロディア国王は困惑に太い眉をしかめ、王妃は扇で口もとを隠して視線を伏せ、大臣たちは顔を見合わせて、フェザーストン公爵は怒りと屈辱に今にも卒倒しそうだ。
パトリシアも表面上は落ち着いて見えたが、重ねた両手はふるえている。
王太子に「結婚する」と名指しされた少女は、琥珀色の瞳に困惑と驚愕を映して、彼の横顔を凝視していた。
(いったいどういうことなの? 聞いていないわ、ルディ。婚約者がいたなんて――――!)
「貴女はまことに慈悲深く高潔な姫君だ、パトリシア嬢。貴女こそロディア一の姫君、淑女の中の淑女、もっとも完璧な一輪の白薔薇だ。――――まさにヴラスタリ皇子妃にふさわしい」
冷たい銀の髪と、北海を思わす暗い青の瞳。それらが映える濃紺の上着と、銀のベルトにさした小剣。この鞘に彫られた雄鶏と白鳥の精緻さだけで、持ち主の身分と財力が察せられる。
王宮内で武器の携帯が許されるのは、武官や警備兵をのぞけば、一握りの貴人のみ。
『美しき氷の貴公子』ことブラント皇子は、冷ややかな美貌に男らしい笑みを浮かべて、パトリシア嬢の手をとり、跪いた。
「パトリシア・フェザーストン嬢。この私、ヴラスタリ皇国第二皇子ブラントの妃になってくれ。私はずっと貴女に恋していた」
ブラントがパトリシアの手の甲に口づけを落とすと、パトリシアに付き添っていた若い侍女や周囲の女たちが、黄色い悲鳴をあげる。
大陸の西に位置する王国、ロディア。
国王オーガスティン二世はここ数年、体調が思わしくない日がつづいているが、次代国王である王太子ルドルフは容姿端麗、品行方正、文武両道と重臣たちの期待と信頼も厚く、彼の妃に選ばれた公爵令嬢パトリシア・フェザーストンも、非の打ちどころのない美姫として知られていた。
国王の体調に不安は残るものの、そう憂慮することはあるまい――――と、王宮中が楽観していた、ある日。
状況は一変する。
地方へ視察に出たルドルフは恋の神の黄金の矢に胸を貫かれ、ある田舎町で出会った一人の少女を連れ帰ったのだ。
そして国王と重臣たちに、公爵令嬢との婚約破棄と少女との結婚を宣言し、翌年には数多の反対を押しきって華燭の典を挙げた。
王宮中に、平民の少女との結婚を認めさせたのである。
この出来事はロディア王国史でも一、二を争う稀な出来事として記録され、民の間では『世紀の大恋愛』『真実の愛が起こした奇跡』と絶賛される。
いつの時代も、政治や王宮には縁遠い彼らにとって、平民が王侯貴族に見初められる話は「自分たちの身にもいつか」と、希望を抱かせる夢物語にすぎない。
純粋可憐な田舎娘は、王子様に見初められて結婚。
未来の王妃様としてお城で幸せに暮らしました、めでたしめでたし。
そんな未来を民は思い描いたし、期待したのだが。
「ああ、パトリシア、パトリシア、私のパティ! どうして私は、君の手を離してしまったんだ」
ロディア王妃の私室で。
ルドルフは金色の髪を振り乱して、母親にすがるように嘆く。
「今さら後悔しても遅いのですよ、ルドルフ」
重々しく、けれど愛情も込めて王妃ブリアンナは諭した。
「パトリシア嬢は、ヴラスタリ皇国へ発ちました。もうロディアに戻ることはないでしょう。あなたは、あなたが選んだあの卑しい平民の娘と、生涯連れ添う他ないのです、ルドルフ」
「ああ…………っ」
青年が絶望に顔をおおう。
「一年前の自分は、悪い魔法にかけられていたとしか思えない。私がパティを拒絶して、あんな田舎娘を選ぶなんて…………」
母と息子の会話を、扉の隙間からのぞいていた王太子妃レイラは、扉をそっと閉じて、その場から離れた。
広い廊下を一人、悄然と歩く。
悔しさと惨めさに、琥珀色の瞳が潤んだ。
いったい、なにが間違っていたの。どこでつまずいたの。
わたしはあなたが望んだから、ここに来た。
あなたの心を信じて、ここまで来た。
田舎の町娘に、信じる以外のどんな選択肢があったというの?
わたしには、あなたの愛を信じる以外、道はなかったのに。
ジェラルディンは叫びたかった。
(わたしは、こんなこと望んでいなかったのに――――!!)
******
遠い異国の地で。
灰色の髪をなびかせた青年の耳に、声が届く。
人には聞こえぬ、消えゆく小さな声。
事態を察した青年は途方もない後悔に襲われて、見えぬどこかへ痛烈に叫んだ。
ああ、こうなるとわかっていたなら、もっと早くに――――
どうか母よ、高貴なる地下の女王よ
あの哀れな少女に慈悲と救いを――――
どうか死なないでほしい
必ずあなたを助けに行くから――――!!
******
(これですべての条件がそろった――――!)
ミツキは期待と興奮にふるえる。
前世でのミツキは底辺だった。
幼い頃から勉強もスポーツも習い事もぱっとせず、学校でも空気扱いで、大学も三流なら、どうにか入った会社も三流かつブラック。
恋人や本当の友人ができたこともなく、夢や希望はおろか、生活のはりとなる趣味一つ見つからなかった。
だがこの世界では、そのすべてが手に入る運命だ。
この世界は、悪役令嬢モノ漫画。無能な王太子が、馬鹿で野心家の男爵令嬢に篭絡されて、美しく優秀な悪役令嬢との婚約を破棄し「ヒドインをいじめていた」と、濡れ衣まで着せかける。悪役令嬢は、王太子よりはるかに美形で優秀な格上の皇国の第二皇子に助けられ、求婚を受け容れて皇子と共に皇国へ移る。
その後、悪役令嬢パトリシアは、皇国で有能さを認められて眠っていた力も目覚め、神々の加護も手に入れて、夫の第二皇子もヴラスタリ皇帝となり、夫や美形の神々に溺愛されながら彼女の力で戦争にも勝つ、というご都合主義的展開が待っている。
あの『乱界衆』と名乗った男には感謝しなければならない。
前世で偶然ほんの少し助けただけの、あの人外を名乗る男は、ミツキを新しい世界に転生させてくれたのだ。
これは運命。
名もなき脇役と思われていた自分には実は、主人公としての展開が待っていた。
自分はもう、二度とあの底辺の人生には戻らない。
今生こそ主人公として幸せをつかみ、誰かを羨むのではなく、羨ましがられる存在になっ
てみせる――――!!
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