黄泉帰りの妃  愛されない平民妃は離婚を決める

オレンジ方解石

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「田舎の小娘に王宮はきらびやかすぎて、色々ありましたけれど。ルーク先生のお話はいつでも興味深く、新鮮な驚きに満ちていました。あの二ヶ月間があったおかげで、ここに来てよかったと思えたほどです」

「恐縮です。ですが、私の話をそう思っていただけたなら、それはやはりジェラルディン――――失礼、今はレイラ妃殿下でしたね。レイラ妃殿下に、積極的に学ぼうという姿勢があったからだと思いますよ」

 にこ、と笑った顔は相変わらず優しげで、貴族でなく、たとえば町の名士程度のご子息だったら『優しいお兄さん』『憧れの先生』として、もっと素直に慕うことができただろう。
 ジェラルディンは本題に入った。

「実は今日お呼びしたのは、ルーク先生に質問がありまして」

「なんなりと」

「その…………『黄金の矢』と『鉛の矢』という単語に、心当たりはありますか? なんでもいいのです。思いつくままに」

 質問してから気恥ずかしさがこみあげたが、撤回するわけにはいかない。
 あの不可思議な金髪の貴婦人はジェラルディンに、
『黄金の矢が二本、鉛の矢が二本』
 としか伝えなかった。
 それぞれの矢がどのようなものか、なにかの暗喩か、物語や演劇の題名か、はたまた文字通りの『矢』なのか、それすら説明されていない。
 だからジェラルディンは、まずそこから明確にする必要があった。

「黄金の矢に鉛の矢、ですか」

 ユージーンは考え込む表情になる。
 ジェラルディンはユージーンの博識を信用している。
 だから彼に訊けば正解か、もしくは手がかりがもらえるのではないかと期待しているし、駄目でも彼が「知らない」というなら、自分に打つ手はないように思えた。

「心当たり、とは違うかもしれませんが。『黄金の矢』と『鉛の矢』と聞いて思い浮かぶのは、やはり恋の神の神話ですね」

 それはジェラルディンも教わった神話だった。
 恋の神は黄金と鉛、二種類の矢を持っていて、黄金の矢に射られた者は恋に落ち、鉛の矢が刺さった者は嫌悪にとらわれる。そういう、見方によっては恐ろしい武器だ。

「恋の神の放つ矢の前には、神も人間も等しく無力です。有名な神話だと、太陽神が黄金の矢に射られて川の神の娘に恋しますが、娘は鉛の矢が刺さって太陽神を嫌うようになり、最終的には、木に姿を変えて逃れましたね」

「覚えています。恋の神をからかって仕返しされた太陽神はまだしも、通りがかっただけの娘は可哀そう、と思った話です」

「持ち主である恋の神自身も、自分の矢で傷を負って、人間の娘に恋してしまいますからね。それだけ強力な武器なのでしょう。私がすぐに思いつくのは、この神話くらいでしょうか」

 ジェラルディンも思い当たる。

(そういえば、あの女性も『天上から盗まれた』とか『神の道具』とか言っていたような――――まさか、本当に?)

 そんなまさか、と首をふる。

「しばらく時間をいただければ、調べてまいりますが」

「あ、いえ。そこまではしていただかなくとも、大丈夫です。先生もお忙しいでしょうし」

 そこからなんとなく、お互いの近況報告に移った。
 ユージーンは皇国に帰国後、大学に戻って勉強をつづけているが、最近は文官である父の仕事の手伝いをすることも増えているらしい。

「今回は、前回のロディア留学で知り合った教授に、約束した本や文献を届けるために参りました。他にも、こちらで探したい資料や文献がありまして」

 学問や研究について語る時、ユージーンは本当に楽しそうな表情となる。
 マレット男爵夫人のおかげで、勉強に対して暗い印象を持ってしまったジェラルディンは、それがちょっと羨ましい。けれどユージーンに出会っていなければ、もっと暗い印象を持ったまま、くつがえることもなかっただろう。

「レイラ妃殿下は、いかがお過ごしでしたか? 侍女たちの間では、神殿での黄泉帰り以降、ますます王太子殿下の寵愛が深まったと、もっぱらの噂ですが」

「――――深まった、といいますか。失くなっていたのが増えた、というほうが適切です」

「はい?」

「レイラ妃殿下! それは――――」

 首をかしげたユージーンの視線をさえぎるようにマレット男爵夫人が割り込んでくるが、ジェラルディンは意に介さない。

「ルーク先生が帰国されたあと、フェザーストン嬢がヴラスタリ皇子殿下と皇国へ行かれたため、式を挙げたのですが。殿下は目が覚めたらしく。『君を愛することはない』と宣言されて、それきりでした。黄泉帰って以降、また日参されるようになったのです」

「それはまた…………」

 呆れたような、けれどどこか寂し気な顔でティーカップに口をつけるジェラルディンに、ユージーンも言葉が見つからないようだ。
 マレット男爵夫人が渋い表情をするが、口に出してはなにも言わない。
 客人の前だから、というのもあるだろうが、そもそも彼女はユージーン・ルーク卿を苦手としているふしがある。

「もしかして、こちらのお部屋に飾られているバラは…………」

「ええ。ルドルフ殿下からの贈り物が大半です。それ以外にも、貴族たちから毎日たくさんの贈り物が」

 赤、白、ピンク。色も形も様々なバラが、テーブルにも机にもいたるところに活けられている。仮にも王太子妃用の応接室、せまいはずはないのに、花のせいで人間が埋まってしまう錯覚すら覚える。
 ジェラルディンが奇跡の復活を果たして以来。
 ルドルフはふたたび人が変わったように、ジェラルディンのもとへ日参していた。
 最初は見舞いを口実にしていたが、すぐに、

「私たちは夫婦なのだから。夫が妻の顔を見にくるのは当然だろう?」

 と言い出すようになり、今は、

「どうか私に可能性を与えてほしい。もう一度、やり直そう」

 と、くりかえしている。
 ちなみにルディが湖に身を投げる直前、肉切り包丁で腹を刺されたルドルフだが、傷はたいした深さではなかったそうだ。
 ジェラルディンはかなり深く刺したつもりでいたが、実際には、日々鍛錬を欠かさぬルドルフの鍛えられた肉体の前には、小柄できゃしゃなルディの腕力など、刃物をかまえても大きな脅威にはならなかったのだ。それこそ王族の権力の前の田舎娘のように。
 正直、

(調子よすぎる)

 というのがジェラルディンの本音である。
 初夜の寝台の前で、

『君を愛することはない』

 などと、大衆小説そのままの台詞を口にしたことを、忘れてしまっているのだろうか。
 マレット男爵夫人などは、

「夜ごと王太子殿下の寵愛をうけて立派な男子を産むのが、妃たる御身のお役目です! ようやくその使命を果たす好機が訪れたというのに、なにをかたくなになっておられるのです!!」

 と怒るが、ジェラルディンは頑として拒みつづけている。
 ルドルフに対する反発もあるがそれ以上に、ルドルフとの離婚を決意した今、

(下手に子供を授かってしまったら、離婚ができなくなるわ。一線を越えるのも駄目。白い結婚を維持しないと)

 と考えているのだ。
 けれどルドルフはあきらめずに花束と贈り物を持参して、ジェラルディンに会いに来る。
 そうしてジェラルディンの型通りの応答にもまるでめげずに、

「君がこんなに魅力的だったなんて、目の覚める想いだ。私は今まで、君のなにが不満だったのだろう」

 などとうっとり述べては、せっせとジェラルディンを口説くのだ。
 ルドルフの変心がなんに起因するものか。
 ジェラルディンは見当がついている。
 黄泉帰る直前、あの不思議な貴婦人が投げた言葉――――

『ついでに「美」も分けてあげるわ――――』

 目を覚ましてから、すっかり変わってしまった髪や瞳の色。
 それ以外にも雰囲気などが一変したようで、その変化が周囲には「妖しい美しさをただよわせるようになった」と映っているらしい。

(馬鹿馬鹿しいわ)

 ジェラルディンは自分の胸に流れる黒髪を見下ろし、自嘲気味になでる。
 それはつまり、この『美』が失われればもとに戻る程度の寵愛、という意味にすぎない。

「レイラ妃殿下?」

 物思いにふけってしまったジェラルディンは、ユージーンの声で我に返った。
「そういえば」と話題を変える。

「フェザーストン嬢は、いかがお過ごしでしょうか? お父君の公爵閣下は、自慢の令嬢が嫁がれて以来、めっきり寂しそうなのですけれど」

「お健やかですよ。ブラント殿下と大変仲睦まじくお過ごしになられて、王宮でも評判です」

「まあ。それなら良かった。フェザーストン嬢なら、教養も気品も申し分ありませんもの。ブラント殿下の妃として、皇国でも問題なく暮らしていけるでしょうね」

 自分ジェラルディンとは違って。
 そう、言外に含んだ最後の一言だったが、ユージーンの返事は歯切れが悪い。

「そうですね。おそらくは、まあ…………」

 不思議に思ったジェラルディンが問い返す前に、マレット男爵夫人が「そろそろお時間が…………」と割り込んできて、数ヶ月ぶりの再会は終了となった。




「恋の神の黄金の矢と鉛の矢、か…………」

 ジェラルディンはぱらり、と膝の上の本のページをめくった。
 夜。絹の寝間着一枚で王太子妃専用の寝台にあがり、灯り一つを頼りに本をひろげている。
 本は、古語の授業に教本として用いていた神話集。
 ロディアに伝わる神話なら、だいたいはここに収められている。
 昼間のユージーンとの会話を反芻し、あらためて自分でも読みかえしてみることにしたのだ。
 とはいえ、ユージーンの解説以上の情報は見つかりそうにない。
 恋多き太陽神の悲劇として語られることの多いこの話も、

(巻き込まれた娘が可哀そう)

 と思うばかりだ。
 ただ。

(やっぱり…………あの女性が言っていたのは、この神話の矢のことかしら。刺さると恋に落ちる黄金の矢と、逆に嫌悪を抱く鉛の矢…………本当に、この話そのままの道具がこの世に、わたしの周辺にあるとしたら…………)

 ジェラルディンは自分を賢いと思ったことはない。
 少なくとも王宮に来て以降は、愚鈍と思わされるような経験ばかりだ(例外はユージーンといた時だけだ)。
 だが、そんな賢くないジェラルディンにも、容易に思いつく可能性がある。

(この王宮に、そんな矢が本当に存在するとして。それが使われたとすれば、その相手は――――!)

 本をにぎる手に力が入る。
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