11 / 11
呪われし暗黒の魔剣にその身を貫かれるがよい!
しおりを挟む さて、昼食会である。
何だよ、またその出だしからかよって思ってるでしょ。仕方ないじゃない。ストーリーが進んでないんだから。私が昼食の席についてから、字数としては1万5千字を超えてるけど、そこから時間的にはぜんっぜん進んでないのよね。しかも、私が「目標5000字」って言ったからって、5000字を超えたところでいきなり話を切っちゃうし。作者アホなの?そんなことしたら、あとで誤字脱字の修正とかで手直しするのに、字数の調節しなおさなきゃいけないからメンドくさいでしょうに。その上、中途半端に労力をかけたワリには今ひとつギャグとして面白くないってどういうことなのよ。すべるのは勝手だけど、付き合わされるこっちがいい迷惑だわ。(ごめん)
とにかく、メインイベントの昼食会の前に字数をかけ過ぎよ。私としては、本当に切実にお腹が空いたから、今回こそお昼を食べたい。てか、さっさと昼メシ食わせろ!オレ、今回こそストーリーを進めて、昼メシ食うんだ・・・あ、こういうこと言うとフラグになっちゃうのか。乙女ゲームの世界ってホント油断も隙もありゃしないわね。とにかくスタート!
さて、昼食会である(3回目)。・・・なんかわざわざ括弧付きで(3回目)ってなってると、少しイヤな予感がするんだけど、そこに言及したら、どうせまた話が逸れていって、(4回目)・(5回目)となって、昼食からどんどん遠ざかっていくに違いないからスルーするわよ。作者のワルダクミに引っかかるもんですか。(←チッ)
しかし、まったくもってお腹が空いた。先ほど、奥義・腹ペコ恥じらい光線で、空腹であることをカストル兄様に打ち明けたが、別にあれはアザトさを演出するためにウソをついたわけではない。実際、私はお腹が空いているのだ。考えてもみてほしい。早朝に出立し、長時間馬車に揺られてきた。電車で長旅すると腹が減るのと同じで、いい具合の振動が朝食べたモノの消化を促進し、胃袋はとっくの前にカラッポだ。これが電車なら途中の駅で駅弁でも買うところなのだろうが、残念ながら田舎道を馬車で行く異世界に駅弁など無い。そんなわけで、私はこの城に到着するまで、過酷な異世界ひとりラマダーンにチャレンジする羽目になってしまった。先ほど、カストル兄様にすこし怒ってしまったのは、空腹のイラつきのせいもあったのかもしれない。そうか、空腹が悪かったのね。だけど、その空腹を利用した技でピンチを脱したんだから、プラマイゼロってとこかしら。空腹も少しくらいは役に立つこともあるってことにしておきましょうか。それに、これだけお腹が空いてれば、きっと食事も美味しくいただけるはず。なにせ、今日の食事はいつもとは違う特別な食事。それは王家のお屋敷でいただく王家の食事。つまり、王家お抱えの料理人が腕によりをかけてつくった、王家のメニューをゴチになれるの!カンゲキー!!!
なーんて、私が今、こんなことを考えてるなんて、表情にも態度にも出してないわよ。私は澄ました表情で、可愛らしく、おとなしく、静かに座っているだけ。だって伯爵令嬢だもの。私の長文の(屁)理屈をずっと聞いてると勘違いするかもしれないけど、私のモノローグはあくまで私の脳内だけで考えていることであって、外面には一切出してないから。外向けの振る舞いはちゃんとしたお嬢様。そもそも、前世の記憶に目覚める前はフツーに貴族の娘として躾けられてきたし、記憶に目覚めて転生者であることを自覚した後も、伯爵令嬢たるべく施された教育は一応きっちりこなしてきたつもり。とは言っても、その貴族教育を受けるにあたっては、まぁまぁ色々あったんだけどね。私の教育計画を立案する母上(ヴィトン伯爵夫人)はお察しのとおりちょっとアレだし、そのうえ、あろうことか、家庭教師はあのエリザベス・・・エリザベスかぁ。食事前にちょっと嫌なこと思い出しちゃったな。豚肉出てきたらどうしよう。
一抹の不安が脳裏を掠める。しかし、そんな私の不安は、この別荘での諸事を取り仕切っている王家の執事、セバスチャンのすこし掠れた低音イケオジボイスによってたちまちかき消された。
「では、お食事をお持ちいたします。」
来た!本日のメインイベントにしてスペシャルイベント!エリザベスとオークのことなんて考えてる場合じゃないわ。脳内で不気味に再生されつつあったエリザベスとオークのアレな映像はスイッチアウトされ、私の意識は食事へと集中する。え?執事の名前にコメントしないのかって?だ~か~らぁ、『没落貴族の令嬢ですが、婚約破棄した第7王子と氷の貴公子と呼ばれる次期公爵がなぜか溺愛してきますっっっTHE GAME』の世界では基本、ネーミングはテキトーだって言ったでしょ。イマサラよ。そんなことより、今は食事が第一!待ちに待ってた出番が来ちゃったお昼ご飯に全身全霊でコンセントレーション!と言っても、やはり表情には出さず、上品な居住まいを崩さない。これは伯爵令嬢の基本テク。当然よね。そしてこのテクニックの一番重要なのポイントは”視線”。間違っても、運ばれてきている料理の方を見てはならない。手練の使い手は相手の視線からも攻撃を察知すると言われている。つまりこちらの意図を勘付かれないためには、視線を動かさずして視野の内側におさめたものを正確に捉える必要がある。そしてそれが可能となれば、視線を敵に読まれなくなると同時に、視野の中央以外の広範囲の敵に対して注意を払うことも可能となる。一流の格闘家は敵と相対した時、その敵を見るのではなく、敵の向こう側を見ていると言われる。それはつまり、一点を注視するのではく、視野の全体を捉えているということなのだ。しかし私はなぜ、乙女ゲーム世界でこの能力を身につけなければいけないのだろうか。疑問は尽きない。転生した私の人生、果たしてこれでいいのか。
・・・いいの!とにかく今は食事!
さて、ドーム状の覆いを被せた銀色の巨大なプラッターを掲げるように手に持ち、整然と列をなした給仕たちが、私たちのテーブルの方へと食事を運んでくる。期待は膨らむ。普段食べているヴィトン伯爵家の食事も貴族だけあって確かに豪華なのだが、今回は王家の食事である。家格の違いから考えて、おそらく伯爵家よりも数段上のレベルの豪華メニューが供されるに違いない。はっきり言って、今回の楽しみはそれだけだ。ご明察のとおり、私は大食いである。なぜならば、私は、前世の記憶から、乙女ゲームや少女漫画では「たくさん食べる女性キャラは、男性キャラからの好感度が高い」ということを知っている。
女子「パクパクモグモグ...」
↓
イケメン「おもしれー女❤️」
・・・って、んなわきゃねーだろーってリアルなら思うところだけど、ここは乙女ゲーム世界、んなわきゃないわけがない、むしろあるあるなのだ。多分。だから私は、好感度アップのため、自身の胃袋を拡張すべく日々鍛錬に努めた。鍛錬とは詰まるところ、たくさん食べたわけだが、ただ、たくさん食べるだけではない、しっかりよく噛んで、時間をかけて食べるのだ。前世で落合がそうやってるって聞いた覚えがある。あと、お風呂では指だけ出して浸かったりしたわ。村兆は、爪をふやかさないようにそうしてたんだって。それは関係ないか。まぁとにかく、私は毎日ひたすら大量に食べた。当然、お行儀にうるさい母上(ヴィトン伯爵夫人)が、常軌を逸した私のドカ食いを許すはずもなく、一度、食事禁止を言い渡されたことがある。あれは辛かった・・・。だって水も飲ませてもらえない。水道の蛇口は針金でしばってあるし。なんでバンタム級に体重合わせなきゃいけないのよ。これ乙女ゲームよね?大体、異世界に「水道の蛇口」とかアリなの?って思うけど、そこは異世界転生モノだから、都合よく上下水道完備ってことで。ビデもあります。まあ、それは置いといて、カストル兄様とパパ上(ヴィトン伯爵)が口添えしてくれたおかげで食事禁止令は解除されて、異世界ボクサーにクラスチェンジしなくて済んだけど、ほんと、メイド達が母上の目を盗んで部屋の扉の下から食べ物を差し入れてくれなかったらマジで餓死していたかもしれない。ヴィトン家のメイドたちって、皆やさしくて出来た娘たちばっかりね。そのうち母上も、何をどう思い直したのか、私の食事の量に何も言わなくなったので、めでたく大量摂食生活は再開され、そして努力の成果が実り、私はついに、ブラックホールの如き、底なしの胃袋を手に入れた。この世界でフードファイトがあれば三冠王を獲れるレベルだと思っている。やっぱり落合は偉大。なお、どれだけ食べても太らないのは、女子向けメルヘンのお約束である。2次元キャラってほんと都合よくできすぎよね。前世にいた頃、イベント帰りにファミレスでオタクの同志・・・じゃなくて趣味嗜好を同じくする朋友たちとドリンクバーをキメながら、よくそんな話しをしたわ。夜もすがらアニメや漫画のことで話し込み、この手の”大食いで好感度がアップしてしまう主役女性キャラ”の話題が出るたび、「この娘これだけ食べるからには、ウンコもどデカいのが出るんだろうねぇ」とか「こっちは便秘気味だからいっそ羨ましいわ」などと言い合っていたものよ。そして実際、異世界転生してからの私は大食いになってしまったせいで、常識を超えた大きいウンコが大量に出るようになってしまった。どのくらい大きいかというと、屋敷のトイレを割と頻繁に詰まらせてしまうくらいにはハイレベルに大きい。異世界の上下水道は、前述の通り都合よく現代日本と同じ水準で発達しているはずなのだが、そんなことお構いなしに、便器の底の排水口でガツンと詰まる巨大なウンコが毎日のように私の肛門からヒリ出される。おかげでアナルはガバガバである。処女なのに。将来結婚相手に疑われないか不安。(←なにを?)あらやだ、食事前にオゲフィンな話題はおやめいただけます?
さて、全てのプラッターが私たちの目の前に並べられたところで、給仕たちは恭しげに一礼すると、さながら宝物を覆い隠す神秘のベールを取り去るかの如く、プラッターに被されていた蓋を一斉に開け放った。———そこにあるのは、王家お抱えの料理人が作った料理の数々。いかにも高級な食材を使ったと思われる、見栄え良く美しく盛り付けられた、微に入り細にわたるまで匠の技を凝らした珠玉の品々。さすが王家の食事!一言で言えば豪華!そんな至高の逸品たちが銀色のトングで小皿に取り分けられ私たちへと供される・・・はずなのだが、今、私の目の前にあるのは、ほんの少しのパンと野菜と果物だけ。
・・・あれ?これだけ????いかにも高級な食材を使ったと思われる、見栄え良く美しく盛り付けられた、微に入り細にわたるまで匠の技を凝らした珠玉の品々はどこ?
想定外の事態に、さすがの私も戸惑いを隠すことができない。
そして、そんな私をよそにジークは一言、いつもの涼しげな口調で言う。
「この後の予定もありますから、お昼は軽くすませた方がいいかと思いまして。」
(軽くすませたほうがいいかと思いまして)
(まして.........)
(まして......)
(まして...)
私の脳内を、ジークの衝撃のセリフが多重エコーで鳴り響く。
ガビーン!・・・って、ナニその余計な気配り!? アンタ(←ジーク王子)、どうせ王家の連中がヴィトン家のことを色々と探ってるんだから、私が大食いってことだって知ってるはずでしょ!?知っててわざわざこんな真似を!?あ!!!もしかして罠!?このために私をこの城に呼びつけたの!?まんまとやられたわクヤッシイイイィーーーーッッッッッッッ!!!私は心の中で地団駄を踏むが、その感情を表に出すこともできず、口元を引き攣らせたまま、ただ呆然とする。
顔面を硬直させ表情を失った私を、流し目気味にチラリと見たジークは、やがて目を伏せると
「フッ・・・」
っと静かな微笑みを浮かべた。
ムッキィィィ-----!!!何よ、その勝ち誇ったような笑い!本気でアタマに来たわ。いつか思い知らせてやるから覚悟しておきなさい!!!テーブルのナプキンをハンカチ代わりにギリギリと噛んで悔しがるお約束のポーズをとりたいところだが、貴族の娘としての理性がそれを押し留め、激情を必死にこらえる。なによこの状況、もしかして私ザマァされちゃってる?まるで私、悪役令嬢みたいじゃない!まぁ悪役令嬢なんだけど。
とは言え、完全にしてやられた。恐るべしジークの神算鬼謀。大食いという私のチャームポイントを逆手にとり、ここまで有効かつ的確にして強烈なダメージを与えてくるとは!私はジークの攻撃によって受けた衝撃と、憤怒と落胆と困惑のあまり完全に茫然自失となってしまった。この傷は深い。今にも力尽きてしまいそうだ。(←腹へってるだけだろ)腹が減っては戦はできないの!もうダメ・・・死ぬ前に王家の昼ゴハン食べたかった・・・戦意を挫かれ、極度の飢餓状態に意識が朦朧とし、そのままテーブルに突っ伏してしまいそうになる。
———しかし、そんな私を、放ってはおけない、包み込むような温もりに満ち溢れた心優しい男性がいる。そう、それは私の、とっても頼りになる素敵なカストル兄様。顔面蒼白放心状態の私を見たカストル兄様は、すべてを察したという顔つきで、ジークの方へ向き直ると、力強い口調で切り出した。
「ジーク王子、これは———」
そう、そうよカストル兄様!ジークに一言いってやって!食事が少なすぎるって!こんなもんじゃ足りないって!!!
「———これはお気遣いをいただき、ありがとうございます。カトリアーナも喜んでいるようです。」
・・・カストル兄様は時々空気を読めない。どこをどう見たら私が喜んでいると思えるのか。私が大食いだって、カストル兄様も知ってるハズでしょ!バカ!カストル兄様のバカバカバカ!!!間抜け!役立たず!スカプラチンキ!!!うえーん!王家の食事!とっても豪華な王家の食事!楽しみにしてたのにいいいぃぃぃぃぃ!!!
悲嘆に暮れる私。
私を悲しみのどん底に突き落としたカストル兄様の言葉を受けて、ジークは口元に笑みを湛えたまま軽く頷いたが、そのとき、ふと何か大事なことを思い出したかのような顔をして言った。
「そうそう、カトリアーナ嬢のために、特別に用意させておいたものがあります。」
そして、ジークは両手を叩いて執事を呼ぶ。
「セバスチャン、例のものを。」
———なに?私のため?もしかして私だけの特別メニュー?・・・な~んだ、そういうのがあるなら最初から言って。勿体付けるんじゃないわよ。でも誤解しないで。私、食べ物に釣られるほどチョロい女じゃないから。だけど、私のために特別に用意したなら、仕方がないから味見くらいはしてあげなくもないわ。いいからさっさと出しなさいな。(←チョロい)
やがて、執事のセバスチャンがやってきた。
「お待たせいたしました。こちらをどうぞ。」
王子が特別に用意させたと言うモノが、静かに私の前に置かれる。私は、じっとそれを見つめる。私は当然、自分の顔を自分で見ることはできないが、きっと私の目は点になっているに違いない。私の目の前に置かれた物体は、2本の木の棒切れだった。ジークがまたしても、してやったりといった表情で、私に告げる。
「あなたが普段からそれをお使いだと聞いて。」
・・・箸である。
そう。私は前世の記憶に目覚めて以来、ナイフとフォークを使ったいかにも貴族っぽいテーブルマナーがどうにも窮屈でしっくりこなくなり、前世で使い慣れた箸で食事をするようになった。もちろん母上(ヴィトン伯爵夫人)は仰天から卒倒、そして逆上といういつもの三連コンボである。一応、箸の三大効用として、「指先が器用になる」「脳が発達する」「ハエがとれる」という説明はしたのだが、「淑女には必要ございません」とピシャリであった。まぁ、そりゃそうよね。そしてやはり、妙な道具のことを私に吹き込んだという容疑をかけられ、エリザベスは拷問を受けたらしい。その時、オークを使ったのかどうかは私は知らない。怖いから聞いてない。と、そんな感じでまたしても前世の記憶に目覚めた私の思想信条を巡って一悶着があったのだが、ここでもカストル兄様や、パパ上(ヴィトン伯爵)をはじめ、屋敷にいる色々な人たちの口添えのおかげで、家族だけでいるときは、箸を使って食事をしてもいい、ということになった。なんだか、今までの自分の身の回りに起きたことを色々思い出してみると、私って人に助けられてばっかりね。自分の力で運命を切り開くみたいな偉そうなこと言ってるけど、実際はその程度。助けてもらえるのはありがたいけど、イキってる割に一人では何もできていない自分が少し情けなくもある。
さて、それはさておき、2本の棒切れを目の前にして、私は自身が今置かれている状況を整理する。限界を超えた空腹。しかし期待に反してごく少量の昼食。与えられたものは2本の棒切れ。
そこにあるのは、深い喪失感、底知れぬ悲しみ。そして果てしない絶望。
・・・しかし、まだ希望は潰えていない。
この昼食会の真の目的は、私とジークの心の距離の遠さをアピールすることだった。(←忘れてた)覚えてたわよ!空腹のせいで、食べ物に気を取られてたってだけ!!!
こうなったらやるしかないわ。王家御用達の豪華な食事を思う存分心ゆくまで味わうという憧れていた夢が脆くも崩れ去った今、私に残されているのは、悪役令嬢として運命付けられている断罪追放エンドを逃れるために全力を尽くすことだけ。
あ、でもこの食事もちゃんと食べよっと。パンも果物もお野菜も、やっぱ王家の人たちが普段食べているものらしく、割と高級っぽくて美味しそうではあるし。
そんなわけで、ついに、当初の目的に目覚めた私は(←遅いな)、五感を研ぎ澄ませ、戦場へと注意を張り巡らせる。戦いの場となるこの昼食会場は広さにして100平方メートル強だろうか、この城の中では小さい部屋の部類に入るらしいが、それでも3人で食事をとるには広すぎるくらいに広い。しかし、部屋の雰囲気自体は、この城の内装のあちらこちらに見える重厚な豪華絢爛さではなく、かと言って、枯れた侘び寂びを感じさせるでもない、あくまでも貴人のための設えでありつつ、上品な爽やかさを醸し出したものになっている。群青色の肉厚の生地を金色の刺繍で縁取った絨毯が敷き広げられた床、それと対照的に壁から天井は、滑るように艶やかな純白の大理石で覆われ、窓から差し込む昼光と、吊るされた巨大なシャンデリアの灯りに照らされて、濡れたような反射光を放っている。部屋の南側は、全面に大きなガラス窓が取り付けられており、その外には手入れの行き届いた中庭の庭園が広がる。その窓から十分に取り入れられた外の灯りに程よく照らされ、一番奥まった場所の壁に取り付けられた巨大な暖炉のそば、一つだけ置かれた大きな丸テーブルを取り囲む椅子に、私とカストル兄様、ジークの3人は腰掛けている。窓の反対側の壁際には、執事のセバスチャンをはじめ給仕たちが直立不動で居並ぶ。ヴィトン家のメイド達や護衛は、この部屋の中には入れない。我が家のメイドたちはなにぶん、この城での勝手をしらないのだから止むを得ないところだが、この部屋がジークの手下達で占められているということは不安要素の一つではある。とは言っても私たちに何かあれば、妙に攻撃力の高いセーラが得物をもって駆けつけるだろう。何より、私にはカストル兄様がついている。空気読めないけど。(←根に持ってる)当たり前でしょ。食べ物絡みの怨念は末代まで祟るのよ。私とカストル兄様、ジークの位置関係は説明済みだからもういいわね。忘れた?すでに2万字くらい前の話だもんね・・・。
8時だョ!
さ、これで思い出したでしょ。次いってみよぉ。
ブォーーーー
パッパッパッパンパカパッパッパンパカパッパッパンパカパンッ
パッパラッパパッパー...
場面は変わりません。
さて、この戦場で、私は最大の目的である「私とジークの心の距離の遠さをアピールする」というミッションを遂行しなければならない。作戦はこうだ。ジークと私の間に相対的な距離を形成するため、私は先ずカストル兄様に近づき、そのすぐ隣に陣取る。これが第一段階。そこでカストル兄様に密着密接しつつ、親密濃密な雰囲気で誰にも邪魔されない二人だけの世界、すなわち『イチャラブ結界』を発生させる。これが第二段階。私たちが生成した強力なイチャラブ結界は、余人の侵入を阻み、ジークたりとも私たちの間に割り込むことはできないだろう。その様子を、ジークの配下たちが目の当たりにすることで、私が強度のブラコンであり、ジークと心を通わせることなど、金輪際、未来永劫、フォーエバー、一切無い、という事実が強く印象付けられる。これが第三段階。この情報はやがて、ジークの背後にいる王家の人々にも伝わるはず。私が強度のブラコンであるということが知れれば、王家の側もこの婚約の話は無かったことにしたいと思うかもしれない、ということは以前に話したとおり。
以上が今回の作戦の全容。名付けて、”ブラコン作戦”!・・・そのまんまだろって?いや、一応”ブラコン”と”ルビコン”をかけたつもりなんだけど。河を渡る方じゃなくて、コロニーに侵入する方ね。だけどそっちは失敗したんだっけ。なんだか縁起悪いわ。嘘だと言ってよ!私、ポケ戦は認めるけど、0083は認めません。
そんなわけで、作戦開始。
椅子に腰掛けた私は、そのままの姿勢で、絨毯に覆われた床を掴むように足を踏み締める。両足に力をいれて踏ん張ると、やっぱりアレよね。アレを歌いたくなってくる。大地を掴む両脚と、闘志を繋ぐ両腕に、いーのちをかけーたこの一打!これって、水木のアニキの歌のなかでも屈指の名曲よね。出だしの力を溜め込むイメージから、転調から力を解き放ち、高らかに勝利のフィナーレを歌い上げる表現力!本当に不世出の大歌手だったわ。アニキのアニソンってほんと元気になる。なんか私も闘志が漲ってきた感じ。ワイはカトリアーナや。悪役令嬢カトリアーナや!(←語呂悪いな)るっさいわねぇ。せっかく気分盛り上げてるのに水差さないでよ。ところで、水木のアニキにはすごく申し訳ないんだけど、私、2番の歌詞だけは少し失敗じゃないかな、と思ってるの。だって、ゴルフやってて「勝負をかけたこの一打」で、「白いボールよ星となれ」ってどうなの。そこを聴くと、どうしても、空の彼方に向かって吹っ飛んでいって最後にキラッって光る、アニメのギャグでありがちな映像が思い浮かんじゃう。でもこれ作詞、藤子先生なのよね・・・まぁ、この一言だけで歌としての価値が毀損されるわけじゃないから。(←日和った)日和ってないわよ!実際、屈指の名曲だって言ってるでしょ!!!それに、「聴けばその映像が思い浮かぶ歌」って、そうそうあるもんじゃないのよ。歌詞と曲が情景を想起させるほどにドラマチックであるが故に、聴く者の脳裏にその映像が思い描かれるわけであって、それはその作品が詩としても楽曲としても卓越してることなの。だけど、惜しむらくは、そこまでがあまりにもドラマチックであるが故に、「白いボールよ星となれ」のワンフレーズが、脳裏に浮かび上がった映像と共に「あぁ・・・OBだったんだ」と思わせてしまうのが、少し残念だなってことなの。「残念」っていうのは、近頃よく耳にするイヤな使い方で「残念な人」みたく他人を貶めるような意味じゃなくて、「期待とは違っていた」という本来の意味なので、そこんところもちゃんと読み取ってよね。たったワンフレーズの違和感だけで「残念」と言ってしまうことは表現として不適切かもしれないけど、逆に「こういうミスのあるところが面白い」とか言ってしまうと、それはそれで作ってる人をバカにしてる感じがするから、私は敢えて「残念である」と言ってます。それに、何度でも言うけど、1番の歌詞は疑いもなく素晴らしいし、2番の歌詞のそのワンフレーズを私だけがほんのチョッピリ気にしてるってだけで、他の人は別になんとも思ってないってことは、それはつまり、そんな細かいところが気にならないほど、歌全体に力と勢いがあるってことの証左でもあるのよ。(←ウマいな)でしょ?私は全体を評価した上で、そのうち一部に齟齬を感じる点があり、それが全体との比較においてバランスを欠いてしまう結果を生じることになってしまっているように感じられるので、少し気になるって言ってるだけだもの。でもまぁ正直言えば、「星となれ」は最後のサビのリフレインに入る前の一番盛り上がるところなので割とクリティカルなミスなんじゃないかな、と思うところもあって、笑うことも無視することもできなくて困惑してる、というのが本当のところなんだけど。とは言え、全体の評価をすっとばして、一部分だけ切り取って言い捨てて、それを笑いものにしてるわけじゃないし、そういうのは私が言ってる「無粋なツッコミ」ってやつです。以上!
さ、ウマくまとめたところで、話を先に進めるわよ。私は一刻も早く、カストル兄様のそばに行かなきゃいけないの!
とにかく、私は両膝に力を込め、自分の身体を椅子ごと、カストル兄様の方へ向け、引きずって位置をずらすようにグッ!と力を入れて動かしはじめた。その瞬間、壁際で控えている執事と給仕たちの方からざわめくような声が聞こえたが、私は構うことなく、そのまま椅子を身体ごと横方向へと動かしていく。チラリと給仕たちの方に目をやってみると、彼らは皆一様に驚きの表情を浮かべている。そりゃそうでしょうね。この椅子、無駄に豪華で色々な飾りがついてるから、すごく重いのよ。200kgくらいはあるんじゃないかしら。多分コンダラより重い。床に敷かれたフカフカの分厚い絨毯が摩擦を和らげてくれているけど、私はこの重量物を、座ったまま、腕を使わず足だけで、さらに、伯爵令嬢らしい可愛らしく可憐で優雅な居ずまいを保ちつつ、カストル兄様の方に向かって動かしている。並の人間なら動かすどころか、傾けることすら容易ではないだろう。だが私は、転生者として目覚めてから、異世界で生き抜くため、内面の涵養に努めるだけではなく、肉体の鍛錬も怠らなかった。闇の魔法を使えないなら、フィジカルで勝負!この時のために鍛え抜いた両足の内転筋と外転筋を駆使して、さらに椅子が体から離れないよう腰をしっかりと落としつつ臀部を座面に張り付かせ、私は巨大な椅子と一体となり、テーブルの縁に沿って円弧を描くように移動する。ズズズズズ・・・ズズズズズズズ・・・ズズズズズ・・・椅子の足が絨毯をすりつぶすかのような、重く低い音を上げる。執事・給仕たちの顔つきがこわばり、みるみる青ざめていく。彼らは普段から仕事でこの椅子を運んでいるから、その重さを知っているのだろう。控えめに言ってドン引きといった表情だ。しかし今の私は、そんなことを気にしてはいられない。そして幸い、カストル兄様とジークはこのことに気付いていない。あまり言いたくはないが、なんだかんだ言っても二人は貴族育ちであり、この椅子を運ぶ側ではなく、運んでもらう、動かしてもらう側の人間だ。だから私が動かすこの椅子の重さを彼らは知らないし、貴族が座るこの重い椅子を運ぶ人々の苦痛も知りはしない。それが、表面上は美しく彩られた封建社会の実質部分にある現実であり真実なのだ。
優雅に浮かぶ白鳥は、その水面下では激しく両足を動かしているという。その白鳥たるべく、僕は君を打つ!じゃなくて、私は優雅かつ優美そして可憐な姿を保ったまま、テーブルの下では鍛え抜かれた足腰の筋肉を力強く収縮させ、少しずつカストル兄様へとにじり寄っていく。時計で例えれば8時の位置にいた私は、もう「8時だョ!」などと小ネタを挟む余裕もなく、無我夢中で二の足を右へ左へと往復させながら、7時の位置へ、そして6時、5時・・・と短い針のような緩慢さで移動し、やがて4時の位置にいるカストル兄様のちょうど左隣へと辿り着いた。
ハァハァ・・・少し息が切れてしまった。空腹でエネルギー切れ寸前ということもあり、さすがの私もこれは大仕事だったわ。しかしこれで勝負のための準備が整った。戦いはまず、有利な位置を確保することが肝心。私は作戦通り、ジークから遠く距離をとりつつ、カストル兄様に密接するという絶好のポジションを獲得した。
「おや、カトリアーナどうしました?」
突如隣に出現した私を見て、少し驚いたような表情を見せるカストル兄様。私は得意の上目遣いで兄様を見つめながら答える。
「せっかくですもの。兄様のそばでご一緒したくて。」
そんな私の言葉に、カストル兄様はいつもの爽やかな笑顔を浮かべて言った。
「そうですか。では、一緒にいただきましょう。」
そう、これ。このスマートで自然な感じ。やっぱり素敵ねカストル兄様。さっきの空気読まないムーブは許してあげちゃう❤️
カストル兄様の隣に陣取るという、作戦の第一段階は完了した。作戦を次の段階へと移すべく、私は、ジークが私のために用意したという、私用の特別な箸をとろうと手を伸ばす・・・が、そこで、はたと気づいた。椅子とともに移動してきたとき、元いたところに箸を置いてきてしまったのだ。
しまったぁぁぁ。
あれがなければ、食事ができない。ナイフとフォークでもいいんだけど、ここはやはり箸でいきたい。何よりあれは、このブラコン作戦の重要な役割を担う必須アイテム。しかし、その必須アイテムは巨大なテーブル上の中心角度120度のはるか遠く、もはや私の手の届かない場所にある。ここで給仕を呼んで持って来させるというのは、私の流儀に反する。自身の不始末は、自分でできる限り、自分自身の手で始末する。それが私のやり方だ。止むを得ない。私は、次は逆方向へと椅子と共に移動するため、再び両足に力を込めた。
そのとき、壁際で控えていた執事のセバスチャンが、私の様子に気付いた。
「お嬢様、私共が・・・」
例の少し掠れた低音イケオジボイスで申し出るセバスチャン。持ってきてくれるってことかしら。さすが王家の執事をやっているだけあって気が利いてるわ。空気読まないカストル兄様とは大違いね。(←まだ根に持ってる)「許す」と「忘れる」は違うの。当たり前でしょ?
さて、セバスチャンは置き忘れてきた箸を取ってくれると申し出ているようだが、そんな彼に、私はニコリと令嬢スマイルを返して告げる。
「ありがとう、だけど大丈夫です。」
・・・断ってしまった。前世でガチの平民だった私は、つい要所要所で小市民の貧乏性が顔を出す。曲がりなりにも伯爵令嬢なのだから周囲にやってもらって当たり前のはずなのだが、世話を焼いてもらうと、なんか悪いな、と思ってしまうのだ。くぅ~っ、自分のこういう性格が恨めしい。とはいえ、言ってしまったものは仕方がない。私は覚悟を決めて、筋繊維を収縮させるために必要な酸素を取り入れるべく、また、それを周囲に悟られないよう、小さく静かに深呼吸をすると、もう一度、椅子と共にカストル兄様から遠ざかる方向、私の元いた位置を目指して移動を開始した。ズズズズズズズ・・・怪しまれないよう、先ほどよりも素早く動かなければならない。筋肉にかかる負荷はとうに限界を超えている。ズズズズズズズ・・・先ほどにもまして素早い私の動きを見た給仕達が静かにどよめく。もはやドン引きの域を超え、興奮と感動すら覚えているようだ。彼らが私に向ける眼差しは驚愕と尊崇の輝きを帯びている。そんな彼らの視線を浴びながら、私は元の8時の位置に戻り、その場に捨て置かれていた2本の棒切れを手に取ると、もう一度カストル兄様の隣へ向かって椅子を動かす・・・ズズズ・・・・・・ズズズ・・・既に悪役令嬢の雅な所作を演出するための、五七五七七のビートを刻むゆとりすらなく、私はひたすら必死に、もがくように両足を交互に動かす。そして、ついに私は、与えられた唯一の武器である箸を携え、なんとか再びカストル兄様の隣へとたどり着いた。
ゼェゼェ・・・さすがにキツかった。息が上がるだけじゃなくて、足もパンパンだわ。明日は筋肉痛で苦しむ覚悟をしておかなきゃ。そのとき私はふと思った。席を立って取りに行けば良かったんじゃね?
さぁ、気を取り直して次の段階に移るわよ(←涙目)。次は、カストル兄様と私のイチャラブ結界をつくるの!そのための武器はすでに私の手元にある。ジークは私に一泡吹かせたつもりかもしれないけど、彼は一つ重大な失敗を犯している。何を隠そう、彼は私に最も危険な武器を与えてしまった。今からそれに気付かせてあげるわ。
私はテーブルの上に並べられた料理を見渡す。ディナーばりのゴージャスさを予想していたこともあり、少々期待はずれではあったことは確かだが、このランチ、パンも野菜もスープもそのほかのサイドディッシュも、一つ一つの量は少ないながらも品数はそれなりに豊富ではあり、そしてどれも美味しそう!ジュルリ。その中のひとつ、ショボくて少なめ・・・じゃなくて上品に盛られたサラダの上に、小さな飾り付けのミニトマトのような野菜が目についた。よし、アレだ。私は料理から目を離すと、右隣に座るカストル兄様の方へと振り向き、もはやメインアームズとなった感のある上目遣いの視線を送る。
「兄様、私が食べさせてあげますわ。」
と、私は言いつつ、私用にジークが作らせたという箸をシャキーン!と左手にとると、その箸先でミニトマトを摘んだ。私は右利きである。しかし、この技を使うときは、左手で箸を持つ。そもそも、両手で剣を持つときも柄頭を握る左手の力が重要なのだから、左手で箸を持つことなど訳もない。なにより、この左手がものを言う技がある。それは、間合いの遠い敵を一気に貫く左片手一本付きだ。わたしはその左片手一本付きの構えの要領で、左手に持った箸を水平に構え、右手を軽く添える。そして深く腰を落として、力を溜め込み、裂帛の気合とともに標的へと箸先を打ち出した。
「はい、あーん❤️」
限界まで蓄えた力を込められた箸先は、強弓から放たれた矢の如く空気を切り裂き、ミニトマトはゆっくりとカストル兄様の口の中へと取り込まれていく・・・パクリ。
刀身を寝かせて構える左片手一本突きは、平刺突とも言われる。私はこの平刺突を極限まで鍛え、絶対の必殺技として昇華させた。名付けて『箸突』!(※注:突きません)
「———おいしい?」
またしても上目遣いで問いかける私に、カストル兄様は口をモグモグさせてゴクリと飲み込むと、満面の笑みを湛えて言った。
「うん、おいしいよ、カトリアーナ。」
クリティカルヒット。んん~ん、私あざとい!だけど、カストル兄様とこうしてる時って、ほんとに幸せ。はっきり言って、ジークなんかよりもカストル兄様の方が断然私のタイプ。ジーク同様、ちょっと美形過ぎるのが難点だけど、子供の頃からずっと同じ屋敷で暮らしてるおかげでもう慣れちゃったから問題なし。私とカストル兄様が結ばれるルートがあるなら、そっちに入って欲しいくらいの気持ちはある。だけど、残念ながら兄妹なのよね。クドいようだけど、こっちの世界には「兄妹の恋愛」という概念がないから、私がカストル兄様と結ばれるルートに入ることは絶対にない。正直いえば、私個人としては、カストル兄様に対する憧れというか、血が繋がってなかったら、みたいなのはあるんだけど、それと同時に、血の繋がりがあって兄妹であるからには、そういうのは許されないなっていう倫理的に超えちゃいけない一線も確実にあるの。常識的一般人の感覚として、異世界だろうが前世だろうが、兄と妹でそういうのは絶対にありえないでしょ。兄が妹に手をだすエロゲーとか、その発想が普通にキモい。
まぁエロゲーに限らず、古今東西の近親相姦ものって、その発想のキモさは単にスタート地点であって、ドラマの核になるのは行為の背徳性に起因する倫理観との葛藤なわけだから、一つの作品として見れば、一概に無しとは言い切れないんだけどね。でも、オタクの好きな妹系ジャンルって、近親相姦系ドラマの核であるはずの「背徳と倫理の葛藤」という精神的ハードルを割とあっさり飛び越えて速攻おちんぽ挿入しといて、そのくせ「泣ける~」とかやっちゃうの、ほんとマジで謎だわ。「いやいや、そこで泣く前に人としてもっと考えることあるだろ」って思っちゃう。まぁエロ作品の範疇で評価する限りはその程度で十分って言えばそうなんだろうけどさ。え?これって私の嫌いな「創作物に対する無粋なツッコミ」じゃないのかって?いや、違うでしょ。さっき言った通り、”エロ作品の範疇で評価する限り”においては、私は別になんとも思わないのよ。そのストーリーやドラマが、主眼であるエロに持ち込むための手段に過ぎないのなら、あくまでもメインはエロであって、ストーリーやドラマについて必要以上の批判を向けるべきではない。極端に言えば、エロに注力するなら、ストーリーやドラマにリアリティなんてなくてもいいし、論理的に破綻してても構わない。その上で、主題のエロを引き立てる要素として、感動できるドラマや練り込まれたストーリーがあるというなら、エロゲーなのに感動できる要素もある、と率直に評価すべきだとは思う。だけど、そのドラマやストーリーが『エロのための手段』を超えて『一般向けでも通用するだけの普遍的な感動と感銘を与えるものである』と主張するのなら、そのドラマ性にせよストーリー性にせよ、リアリティや論理的一貫性の面においても、「エロの手段から切り離されたドラマ・ストーリーとして質が高いと言えるか」という視点から検討を加えられて然るべきでしょ?エロゲーだからという理由で下げたハードルのそのままで評価する必要は全くない。むしろ、「エロゲー発」という理由だけで、低質なドラマやストーリーが幅を利かせて、一般人の認識可能なところまで侵食してくるなら、「エロゲー発」のものに対しては厳しい姿勢で臨むべきだと私は思う。あ、字面で思ったんだけど「エロゲー発」は「えろげいっぱつ」じゃなくて「えろげえはつ」だからね。なんにせよ、オタクはエロゲーに甘すぎなの。逆に私はオタクじゃないからエロゲーに甘くする必要は全くない。エロの範疇に収まっている限りは必要以上に厳しく見る理由もないけど、エロの枠から出てくるなら、一般向け作品と同じ基準で評価するのがフェアってもんでしょ?
まぁでも、前からずっと思ってたんだけど、エロの範疇に収まってる分にはそれで良かったのに、いつの頃からか、エロゲーとその関連物が「泣ける」とか「感動する」とか「スゴイ」とかみたいな話になってきて、一般向けに輸出されるようになっちゃったのは、ホントなんだかねって感じ。私はほぼエアプだし、今さら敢えてエロゲーなんてやる気もないし、異世界に来ちゃったからやろうと思ってもできないけど、知り得る限りの範囲で言えば、実際、一瞬は唸らせるようなモノもあることは認めるけど、なんというか「発想止まり」っていう評価がいいとこだと思う。エロゲーからの流入よりもかなり前の、80年代あたりに18禁エロ漫画から流入してきた作品群と重ね合わせて評価する人もいるけど、それとは何かが違うのよ。80年代~90年代前半あたりまでのエロ源流作品の一群は、荒削りであったことは確かだけど、その荒削りさを補って余りある、許されざる者の抑圧に対する鬱屈のエネルギーみたいなものがあった。だけど、エロゲー発のものって、特に2000年代あたりになると特定集団の内側だけで許された者の野放図な夜郎自大さが目立つ感じ。昔の作品にはあったはずの、エロから出てきた作家がエロという偏見と垣根を超えて作品を世に問う、というニュアンスは微塵も感じられなくて、18禁を足がかりにエロで釣ってオタクの仲間内でチヤホヤされることを志向してるような空気感。目を惹く斬新なアイデアは全く無いわけではないけど、それは作品内の一設定として消費されるのみで、ドラマに生かされるわけでもなく、その肝心のドラマは唐突かつ単発的なシチュエーションと演出で粉飾された安っぽい感動話で終わる。例えるなら、サビだけしか聴きどころのない、そのサビも何回か聴くとすぐ飽きる粗製濫造じぇいぽっぴーみたい。1個の作品全体として見ると、そんなに言うほど?っていうのが、私の率直な感想。だけどある時期、所謂一般向け作品が爛熟期を過ぎて色々と行き詰まり気味になってた時分にエロゲー界隈が妙に持ち上げられるようになったのって、それだけ一般向けで才能が払底してたってことなのかしらね。そこんところは私は業界人でもオタクでもないから、よくわかんないけど。とにかく、ある時期から、特にアニメやイラスト界隈がそうだと思うけど、エロゲー的なものが流入してきて、一般向けのものを作る側の人たちも、それを積極的に取り入れるようになった。ストーリーが一点突破の単発演出に依存するようになったのは、まぁこれはエロゲーの影響だけではないかもしれないけど、それ以外でやっぱり一番大きい影響を受けてるのは絵柄。現在の”アニメ絵”の起源がどこにあるかっていう問題も絡んできて複雑だし、私はオタクじゃないから深くは立ち入らないけど、少なくとも現状としては、アニメにしろ漫画にしろゲームにしろ、大体のキャラクター(特に女性キャラ)は直接的・間接的にエロゲーの影響下にあって、それを造形する人たちも手癖にエロが染み付いてしまっているように見える。作る側がエロゲー的なものを手癖で出すと、それを受け取る側も段々と手癖のエロに慣らされる。そうやって、作る方も受け取る方もなんとなくエロが普通になって、エロをエロと感じなくなり、知らない間に「常識ある一般的で普通の人であり、かつ、普段アニメを見ない・ゲームをやらない大多数の人たち」とエロに対する感覚が乖離しちゃうのね。もとから優劣とは別に、オタクと一般人は感覚が少し違うところがあるのかも知れないけど、その違いが「そこにある絵をエロいと感じるかどうか」という感覚的な閾値の差として現れ乖離していく。さらに面倒なことに、そこにある単なるエロを「フェチ」とか「性癖」とか言って、それが人間の本質を表現してると勘違いする連中がでてきた。まぁ、大体はインテリ高学歴クンか、そのインテリにかぶれたインテリ風味のオタク。偏差値で輪切りにされた狭い世界で人間ってものをロクすっぽ見ることもせずに学校や塾でテストに出るお勉強しかしてない高学歴サマが、中途半端にアニメとゲームを齧って、「こんなにアタマがイイのにサブカル方面にも造詣が深いボクちゃん」を気取って、ただのエロ表現でしかないものを薄っぺらい人間観とアカデミックで補強しちゃったわけ。そりゃオタクは大喜びよ。オタクって無駄に知識を身につけてるから、自分のことを頭がいいと思ってて、基本プライド高いのよね。自己認識がそういう「ホントは頭がいいボクたち」だから、インテリ様がオタクの目線に降りてきたら、「ホントに頭のいいエライ人に認められた!」と思って、勝手にシンパシー感じちゃう。インテリにしてみりゃ「オタクのレベルに降りてやってる」くらいのもんで、ハッキリ言って馬鹿にしてるんだけど。所詮オタクも、カネと地位と学歴と権威に弱い『日本人』に過ぎないから、インテリ様にオツムナデナデしてもらえたら無邪気に喜んじゃうのよね。ダサ。それはさておき、基本的に「作る側」の人たちは、「常識ある一般的普通人」の方を見てなくて商売相手のオタクの方を向いてるから、そこにあるオタクと一般人の「エロに対する許容度の乖離」を考慮できない。だから、「作らせる側」の商業的要請に従って「手癖のエロ」を無神経に出しちゃう。それはある意味仕方ない。仕事だもの。だけど、この「手癖のエロ」を提供する範囲も、アニメ・ゲームを好む層とその周辺に限っておけばよかったものを、何をトチ狂ったのか「常識ある一般的普通人」の目につくところに出しちゃった。「常識ある一般的普通人」はそういうのに眉を顰めるものだってわかりそうなものなんだけど、そこをガン無視しちゃったのよね。日本の「常識ある一般的普通人」って、そういうモノにたいして不快感を覚えた時、ちょっと嫌な顔をするかもしれないけど、基本は見て見ないふり、文句を言う人は少ない。よく言えば我慢強い、悪く言えば事なかれ主義。そう言うと、大体は後者の「事なかれ主義」にフォーカスして、声を上げない者が悪い!と画一的に決めつけがちだけど、普通の人は「ここからここまではエロいけど、ここから先はエロとは言えない。エロいかエロくないかの境界線はここだ。」みたいな話はしたくないのよ。当たり前でしょ。そこはみんな「そのくらい普通はわかるよなぁ」という、暗黙の了解にしたがって日常を送ってる。「胸を隠す布は、乳輪の外郭から1.5cm以上離れた部位までは覆うものとし、それ未満の大きさの布を用いたものは猥褻とみなす」みたいなことを話し合って決めることに、普通は時間を使いたくないの。普通の人はみんなエロとは無関係の普通の生活がある。オタクみたいに手癖に出るレベルでエロに囲まれて生きてるわけじゃない。オタクのエロ垂れ流しに何も言わないのは、それを許してるわけじゃなく、エロとは無関係の普通の生活のための時間を大事にしてるから。オタクとオタク業界はそこに付け込んだわけね。現時点で自分たちのやってきたことを正しく認識できているオタクはほとんどいないけど、というか自分たちが一方的に抑圧された被害者と思ってるからこんなこと思いもしないだろうけど、「文句を言わないってことはイイってことだろ?」っていう、小学生のいじめっ子が使うような理屈を、オタクの側が配慮なく使ってしまったということなの。「自主規制は良くない」みたいな言い分で正当性を主張するオタクもいたけど、それは要するに、自浄作用を自分たちで放棄したってこと。そうなっちゃうと、もうブレーキはかからなくなるわね。かくして半乳パンチラ腰クネポーズの美少女キャラが巷に氾濫することとなりました。駅の構内にバニーガールのイラストポスターみたいなのもあったわね。なんかもう本当、完全にタガが外れた感じがある。ああいうのを公衆の目につく場所に出す時、「これはちょっと良くないかな」と自発的に思えない人は良心と良識とそれらを下支えする理性が欠落してると評価せざるを得ない、と前世の私はぼんやり思ってたけど、異世界に転生してからの私は明確にそう思ってます。
まぁだけど、これだけだったら単純に「キモいオタクの良心と良識の問題」に過ぎなかった。ところが話はそこではおさまらない、てか、本当の悲劇はここから。こういったキモいオタクのエロ垂れ流しに対して眉を顰める「常識ある一般的普通人」の心情を代弁するフリをして、これらを「女性差別」と結びつけて騒ぎ立てる集団が出現。この人たちがまた困ったことに、単純に「常識」と「良識」の問題でしかないものを、「差別」や「人権」の問題とすりかえて、最大限好意的に解釈しても破綻してるとしか思えない論理構成で騒ぎ立てる、かなり難儀な人たちだった。まぁ、女性キャラのエロティシズムを強調した描かれ方やその展示方法について、男性優位社会で相対的弱者であった女性に対する歴史的・文化的な差別が遠因として存在するであろうことを全面的に否定することはできないけど、それを、「絵柄上のエロ表現を公序良俗の観点からどこまで許容すべきか」という問題と直接的に結びつけるには、割と無理があったのよね。一般にコンセンサスを得られている社会学的な知見に基づいた根拠もなく、ただ安直に個人の感受性と性差別問題を結びつけるだけでは、行き過ぎた主張と受け取られて当然で、実際それらは無理筋の難癖でしかなかった。
こういった無理筋の嫌がらせとも言える難癖が目立ちはじめると、それらの論争に対して客観的立ち位置にある「常識ある一般的普通人」も、キモいオタクの野放図なエロ散布行為を批判する気が失せてくる。もともと、エロ垂れ流しに対して良い感情は持ってなかったにせよ、先にも述べたとおり、一般市民の生活の中で必ずしも優先度の高い問題というわけではなかったし、基本は穏健派の事なかれ主義だから、批判の声を上げるにも相当なエネルギーを要する。だから基本、声はあげたくないのに、その上さらに「性差別を盾にして、筋違いの主張をする人々」と同類にされると思ったら、余計に声をあげにくくなるわよね。それどころか反動で、そういった「性差別を盾にして、筋違いの主張をする人々」に対する嫌悪感が高まってしまった結果、女性差別容認、家父長制堅持といった論調に賛同する人まで出てきた。女性差別を容認する人を擁護する気は微塵もないけれど、それとは別に、「性差別を盾にして、筋違いの主張をする人々」が、それまで中立であったり関心のなかった人たちを、女性差別容認派に転向させてしまったことについては、本当に罪深いし、もう取り返しがつかないでしょうね。
ここまででも、かなりウンザリする事案なんだけど、さらに悲劇の連鎖は続くんだな。次は、オタクと一般人のエロに対する許容度の乖離を意図的に無視したキモいオタク連中が、所謂ネット論客と手を組んで、憲法や法律やらを持ち出し、エロ表現を公然陳列展示する行為を正当化しはじめた。といっても所詮ネット論客はネット論客のレベル、キモいオタクはキモいオタクのレベルでしかなくて、法の趣旨や実質を理解せずに形式論だけで理論武装してるから、その主張はどうしようもなく薄っぺらではあったんだけど、薄っぺらい形式論であるだけに、法律を知らない、知る必要もない普通の人には有効だったのね。形式論っていうのは、つまるところ法律の条文として、明文で記載されているかどうか。まぁ、それだけなら、明記されていない範囲については論点としなければいいってだけの話なんだけど、ネット論客とキモいオタクのオツムのマジで謎なところは、何故かその規定を知っている側に、「明記されていない部分」を解釈する権限があるのね。裁判に例えると、ネット論客とキモいオタクの側が、一方当事者と裁判官の役割を両方とも握ってる状態。このルールって論理性の観点からみて筋の通らない稚拙なもので、公平性の観点からしても失当であることは明らかではあるけれど、その一方で、何も知らない人を言いくるめて騙せるっていう点においては非常に賢いとも言える。念の為言っとくと、「賢い」っていうのはイ・ヤ・ミ!はっきり言えば、単に悪辣なだけ。まぁ、そういったネット論客+キモいオタクの悪辣ルールだと、その規定を知っている側がそれを恣意的に解釈して、さも自説が法的に正しいかのように主張することで、議論を有利な方へ誘導できる。法律なんて実際に記述されている内容、とくに上位の法にはかなり幅のある解釈をする余地が残されていて、それを事案に応じて適切と考えられるよう裁量判断するんだけど、キモいオタクやネット論客にそんな”裁量判断”をする権限なんてないし、そもそもそんな能力もない。所詮彼らは、法律上形式的に記述された内容を後付けのプレハブ工法でお勉強して知ってるだけで、基本的な考え方を理解してそれが身に付いてるわけでもないから、どれだけ条文をつまみ食いしても自分に都合よく理屈をつけたオレ様解釈にしかならない。ほんとにお気の毒。だけど、アイツら何故か自信満々なのよね。自信満々のバカってホント強いわ。特に、ネット議論って、その場の雰囲気で「論破した」という形をつくれば、シンパがそれを大声で拡散して「勝った」という全体の空気を作ってくれる。ネット論客がオレ様解釈で定立した謎規範をクソッターみたいなウンコSNSで拡散すれば、あとはファンネルが働いて一丁上がり。見る人が見れば、知ったかのアホがマウントしたポーズを取ってるだけってわかるんだけど、多くの人には、知ったかのアホが相対的に正しく見えてしまう。サクラを使った商売と似たようなもんね。人間が外観から内面を推測することしかできない以上、外観から受ける印象に左右されてしまうのは仕方のないことではあるんだけど、所謂プロパガンダみたいな煽動行為って、常に、人間が本来持っている、そういう弱い部分を利用してくる。だから、誰でも引っかかる可能性はあるし、たとえそれを意識していたとしても引っかからないという保証はない。むしろ、引っかかった後で引き返せるかどうかが重要。引っかかったことについて責任を負うのは当然として、引き返せなかった時の損失の方が大きいんだから、違和感を感じた時点でさっさと離脱するのが正解。とは言え、一回引っかかってしまうと、人間意固地になっちゃうから、自分の中に生まれた違和感を認めることすら難しくなるのが辛いわね。それに、自分のことを論理的と思っている人ほど、違和感っていう漠然としたものに従えないから、より意固地になっちゃう。初めは真っ当なことを言ってた人が、おかしい連中に肩入れしはじめてから、どんどんおかしくなっていくのって、大体このパターン。策士策に溺れるじゃないけど、理論家ほど論理に陥るってところかしら。どんな頭がいい人でも、いや逆に、頭が良い人ほど、自分のことを頭がいいと思っているが故に、そうした自縄自縛に陥って深みに嵌っていくのかもね。「論理的に正しい」っていうのは、前提が間違っていれば、”正しく”間違った結果に辿り着いちゃうってことだもの。こわいこわい。まぁでも「アタマのいい人」って、「自分が間違ってるかも」っていうふうに自身に疑問を抱くようなタイプじゃないからこそ、「アタマのいい人」でいられるわけで、ある意味で当然の帰結ね。日本人のいうところの「頭がいい」っていうのは結局その程度のもの。だって学校のお勉強自体がそうでしょ。あんなものは、あらかじめ答えのある問題を与えられて、その答えを正当化する速さを競うゲームに過ぎないし、そのゲームで高得点をとることにステータスを全振りした偏差値エリートの高学歴サマは、つまるところ自己正当化に長けてるだけなのね。こう言うと、所謂「アタマのいい人」が反論してくるのよ。前に、「ボクたちは学校で答えのない問題に取り組んできました!ナンヤラブツリガクの講義で答えのでない問題を計算して、いや~アレはとても楽しかったなぁ!」みたいな言い方で絡んできた人がいて、さらに「学校のお勉強ができるボクちゃん」を妙に美化する抒情的なポエムも挟んでて心底キモチ悪かったわ。リケーってこんなのばっかり。オエーッ。このリケーのボクちゃんの得意げに言うところの「答えのない問題に取り組みました」なんて、「答えがない」という答えが一旦出ている問題を他者から与えられてるに過ぎないし、そのボクちゃん自身が「さも答えがない問題に取り組んだと思いこんでいる自分を正当化するアタマのいいボクちゃん」であることを自分から白状してるに他ならない。その上、その自白していると言う事実にすら全く気付いてないんだからホントに世話ないわね。多分、言われてもわからない。言われて分かるくらいなら、その前に自分で気付くはずだもの。むしろ、ずっとわからないままでいてほしい。なんにせよ、自分が間違ってる可能性を考慮するってほんと大事だわ。これを個々人の自信の有る無しの問題にすり替えて、自身の無謬主義を正当化する詭弁もまぁまぁありがちだけど、その手の詭弁家は、そういう言説がさらに間違いを生むってことをわかってない。わかってないというより、意図的に、個人の内心の認識を、外部的な事実状態とすり替えて、他者からの抑制を排除する方に誘導しようとしてるのね。そういう自信マンマン正当化クンに限って、割と社会的責任や高度な倫理観を要求される地位や職業に就いてたりするんだから恐ろしいことだわ。まぁ、日本はそういうのがノシあがるシステムで、他ならぬ日本人がその仕組みを選んで許してるんだから仕方ないけど。なぜ日本人がそれを選んでしまうかというと、個人としての自己を持たないが故の他者依存性に起因するのかもしれないけど、それはまた別の機会にしときましょうか。なんにせよ、人間ってどんな人でも常に間違ってる可能性がある。そして悲しいことに、それを内側から担保することは、人間が自らの過ちを予測できない以上、ほぼ不可能と言っていい。だから、自分たちが間違うという前提で、外側から担保するしかない。その、外側から担保する手段の一つが「手続き」ってものだと思うの。それは完全に間違いを防ぐものではないけど、少なくとも一種のブレーキとして機能するから、そのブレーキをあらかじめ持っていること自体が、他者に対する責任とも言えるのね。どれだけ運転が上手でも、ブレーキのない自転車に乗っちゃダメでしょ?その上、ブレーキのない自転車に乗る自分自身を正当化しはじめると、ダメを通り越して害悪。それと同じ。恣意的に解釈した法や、我欲を満たすための権利を声高に主張する人たちに対して抱くべき違和感っていうのは、結局のところ、自身を制御するブレーキとしての「手続き」について真摯な態度と姿勢を示しているかどうかってところで、その人たちの行為が「正しい手続きと言えるか」、その人たちの振る舞いが「誤った手続きを正当化していないか」に着目すれば、その主張が外観上はいかに正義を装ったものであっても、その主張の裏側にある意図を読み取る手掛かりにはなると思う。仮に、その主張内容が正しかったなら、その膾炙させる手段にいかなる方法を用いても正当化されるか?されません。そもそも、その主張を予め十全に正しいとする前提が正しくない。正しい主張が正しい手段で認められるとは限らないし、正しい手段で認められた主張が常に正しいとも言い難い。だけど、誤った手段で認められた主張には必ず誤りがあるものと考えるべき。正しくない手段を用いて認められた主張に正当性は無いの。いやほんとね、権利も差別も自由も法も、適切な目的について、適切な手続きで主張すべきよ。目的と手続きの適切性について誤りがあったとき、事後的に免責される余地はほぼ無いと思うの。重過失みたいなもんね。「重過失」は「フツーに考えればアホでも分かりそうなことなのに、なんで分からなかったの?バカなの?死ぬの?」って意味です。たとえ、その主張の背景に良心があったとしても、それはあくまで主観的な良心。自分でどれだけ良かれと思ってやったところで、手続きが間違っていれば、客観的には悪でしかない。少なくとも何かを主張するなら、その心積りを持っておくべきだと私は思う。正当な手続きを逸脱したなら、それがたとえ良い結果をもたらしたように見えても、逸脱したことについて責任を負うのが筋。四十七士は吉良上野介を討ち取った後、全員が潔く切腹したから英雄となり得たのであって、命を捨てる覚悟の上で仇討ちを決行したからこそ、同情と称賛を受けたんじゃない?罰せられる覚悟があれば、何をやってもいいってわけではないのは当然だけど、手続き的正義を逸脱してでも何かを主張するなら、目的を達したとしても罰せられるという覚悟が必要で、そして事前と事後を問わず、また結果はどうあれ、たとえ同情の声があったとしても、それは厳しく罰せられるべきなの。
だけど、2次元女性キャラをエロいと思うかどうかってだけの話に、権利とか憲法とか持ち出してキーキー騒ぎ立てて精子と経血ぶっかけあってるような人たちって、どっちもそこまでの矜持と覚悟をもって主張してるわけじゃないのね。実体的にも手続的にも、我欲を公共の利益とすり替えて正当化してるに過ぎない。こういう人ばっかりが目立ったら、問題の表層部分だけが一部の人間の我欲を満たすための燃料として消費されて、本質部分は覆い隠されたまま、普通の人はそこから遠ざけられる。ほんと、迷惑な話。正直、日本における女性の人権問題って、現状のプレイヤーを対抗勢力も含めて全員排除しないと、議論自体が正常化しないんじゃないかと思える。正常化されない議論から、より良い結論が得られることは永遠に無い。とは言え、どれだけ間違った人々であっても議論から排除してしまうことは、民主主義の精神に反するし、むしろ、間違った人たちでも参加することを保障されるのが民主主義。まぁまぁ地獄ね。それでも封建国家よりマシだわ。とは言っても、日本って民主的封建主義国家みたいなところがあって、民主主義の悪い部分に封建主義で時間無制限のバフがかかってるもんだから自発的に良くなる要素は全くないけど。そもそも、「正しい手続き」の話にしても、「手続」は権力の恣意を抑制する機能があるから、一般市民に要求する前に、権威権力の側が遵守すべきものなんだけど、日本は権威・権力をもつ者ほど「我欲のために、正しくない手続をとり、責任をとらない」という傾向があって、その上、日本人の大多数は、「権威・権力をもつ者が、我欲のために、正しくない手続をとり、責任をとらない」ということを許してしてしまう。しかし、「権威・権力をもつ者」にだけ、それが許され、権威・権力をもたない者に許されないとする道理はないから、そうなると、権威・権力をもたない大多数の者も、同じく「我欲のために、正しくない手続をとり、責任をとらない」方向へと堰を切ったように流れ始める。その行為が「権威・権力をもつ者」に成り上がる手段となり得るなら、尚更その流れは止められない。魚は頭から腐るの。上がそうだったら、その風潮は当然下の方に漏れ出していく。2次元キャラをめぐる論争に限らず、今の世間で頻繁に目にする、「我欲のために、正しくない方法で自由や権利を主張しながら、それを正当化して責任をとらない人々」の姿は、ある意味、上から腐って下まで腐敗が蔓延した、日本全体の映し絵ってことね。夢も希望もありません☆だけど、その姿こそ、まさに日本って感じだし、日本人にお似合いって気もする。それに、私もう異世界に来ちゃったから関係ないか!勝手にやっててね。反論があれば、乙女ゲーム『没落貴族の令嬢ですが、婚約破棄した第7王子と氷の貴公子と呼ばれる次期公爵がなぜか溺愛してきますっっっTHE GAME』の世界に転生してからどうぞ。勝負は同じ土俵で。それがフェアプレー⚾️まさしくシルバー魂🏰正々堂々と、試合開始!
デッデケデッデケデッデケデケデケデケデン!アクヤクレイジョウ!
え?私の思想的立ち位置?別に何でもいいわよ。私、そういうのを自認して自称すること自体がキライなの。そんなの他者からの評価でしょ。わざわざ自分から名乗るようなものじゃないわ。お好きなように呼んでいただいて結構よ。ラベリングして安心したいんでしょ?どうぞどうぞ、ご自由に。(←誰に言ってんの?)うん、まぁ、そんな人はココまで読んでないか。割とそういうの、振り落としていってる感じあるし、作者が。(←オマエが。)てか、ココまで読んでるあなた、ほんとヒマ人ね。悪いこと言わないから他のコトした方が絶対に有意義よ。人生は短いもの。いつ異世界に転生するか分かったもんじゃないし。
ところで、自認と自称がキライって話のついでに言っときたいんだけど、最近のアニメにしろ漫画にしろ、「ヒーロー」っていう言葉の用法に、私すっごい違和感があるのね。だって、最近のキャラって「ヒーロー」であることを自認して自称して、その上、そのヒーロー自認・自称行為が割と普通のこととして世間に受け入れられてるような雰囲気ない?「ヒーロー」とか「英雄」って、他者からの評価でしょ?周囲から「あいつはヒーローだ」「彼は英雄だ」と言われてはじめてそのひとは「ヒーロー」たり得るわけで、自分で「私はヒーローです」って自称するようなもんじゃないし、ましてや自分で「僕はヒーローだぞ!」って真面目に思い込んで自認してるとか、脳味噌が発酵するの通り越して腐敗しちゃってるのかな?って私は思ってしまう。
私の知り得る範囲内ではそういう”自認的自称ヒーロー”って、単発キャラはともかく、メインキャラとしては鉄人28号FXの金田親子あたりがハシリだと思ってるんだけど、当時のそれはあくまでも「自分でヒーローを名乗る(ヒーロー相応の能力・実力はあるけど)少しアタマがいっちゃってるヤツ」というある種のギャグ的なニュアンスだったはず。なぜそれがギャグとして成立したかというと、ナルシズムに対する素朴な揶揄に加えて、「ヒーロー」とは他者からの評価であり、「私はヒーローである」と思うことは、「私は他者からヒーローと評価されるべき者である」と思うことに他ならず、それはつまり、「カッコつけているけど他人からの評価と自己評価を履き違えている」という一種の間抜けさが面白さの要素としてあったからじゃないかと思うの。似たような例で「美少女」というのがあって、この、他者からの評価という点において「ヒーロー」と類似する呼び名についても、上の鉄人28号FXと同時期にやってた「美少女戦士」とか、ちょっと前の「美少女仮面」に対して、「自分で美少女とか言っちゃう?」みたいな感覚を持つ人は割といたらしい。「私は美しい」だとナルシズムだけど、「私は美少女」だとそこはかとないマヌケ感が醸し出されるの、不思議よね。あ、わたし「美少女戦士」についてはエアプです。あくまで、「美少女戦士」の愛好家にそう言ってる人がいたらしいっていう伝聞なので、証拠価値は低いかもね。なんにしても、この時代あたりは、”ヒーロー”のような「”他者からの評価による美称”を自認して自称する」ということ自体が少し恥ずかしい行為で、それをわざわざやっちゃうからには、そこにはギャグとしての意味合いが少なからず含まれていたはずなの。これが、日本人的価値観である謙譲の美徳に反するからなのかどうかは、そうかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。
風向きが変わったのは、かなり時代は下るけどやっぱりタイバニあたりかしら?あれは設定としてかなりエポックメイキングで、「ヒーロー」という言葉を、社会における地位や肩書きの一種にしちゃったのね。地位・肩書を表す呼称にすぎないから、「僕はヒーローです」「私はヒーローよ❤️」と自称することが、その作品世界における普通の行為になった。とはいえ、やっぱり「ヒーローが地位・肩書の一部になってしまった社会」に対する違和感みたいなものは作品の所々に残されていて、「ヒーロー」とされている者が、地位・肩書ではない、自身の内なる「ヒーロー」像と葛藤する姿がドラマの軸になってたりする。そこでは、外面的に「ヒーロー」である前に、「ヒーローたる者」は内面的にどうあるべきか、ということに重きがおかれていて、それはつまり、自身を主観的に「ヒーロー」とするのではなく、自分自身を客観的に見つめた上で、その客観的に理想とする「ヒーロー」像に自分自身を近づけていく姿が描かれていたのではないかと思う。私が言うところの「他者からヒーローと評価されてヒーロー足りうる」とは少し違っているけど、「ヒーローとは、その内面に対する、または、その行為とその行為を発した内面に対する、客観的評価である」という点については重なっているし、少なくとも「ヒーロー」とは、主観的に「ヒーロー」であることを他者に対して主張するようなものではない、というぼんやりとしたコンセンサスが、そのあたりまではアニメにしろ漫画にしろ、一般的な感覚としてもまだ残っていたように思えるのね。明確な言葉としては存在しなくても、なんとなくみんなそう思ってたはず。だからこそ、「ヒーロー」の意味を、内面ではなく、外面的な地位・肩書として限定した意味合いで用いられている世界設定が驚きをもって受け止められ、それでいながら物語としては内面的なヒーローを主題として綺麗にまとめ上げたから作品として評価された。女性からは「腐」的視点で評価されてる雰囲気あるし、2クール目は割とそっちに振った感じがあるけど、少なくとも1期におけるメインテーマは「人の内側にいるヒーロー」だったように思う。その内面を物語として描くために、対照となる外面としてのヒーローを地位・肩書とした設定は、巧みでありかつ物語の中でも綺麗に昇華されてたんじゃないか、と悪役令嬢の私は思ってます。(←唐突に悪役令嬢アピール)いやまぁ、たまに言っとかないとみんな忘れちゃうかなと思って。それはともかく、やっぱり、タイバニまでは「ヒーロー」は人の内側にあるもので、それを自称して外に向かってアピールすることって、ちょっと普通じゃない振る舞いであると、多くの人には捉えられていたはずなの。
だけど、それまでそこにあった「ヒーロー」のニュアンスをガン無視して、今は完全に「ヒーロー=地位・肩書の一種」になっちゃってる感じがするのね。一番影響力が強かったのはジャンプの漫画のアレだと思うけど、まぁアレについては、私は初手からそういう違和感をもってたので関連情報を極力回避してほぼエアプだから触れません。だけど、アレ以外にも似たような「ヒーロー=地位・肩書きの一種」としているような作品は他にも色々あるし、なんか創作物全般について折に触れて受け取る情報も、昔は「他者からの評価」としての呼称であったものを、「地位・肩書」としての用法で使ってくるから、受け取るこっちとしてはなんか居心地の悪いものを感じることって割とある。微妙なニュアンスを排除して、そこまで単純に分かりやすくしちゃっていいの?って思っちゃう。最近のファンタジー系作品の「勇者」の用法なんかも似てるかも。まぁ、あれはゲームから広がってきた流れもあるから、「ヒーロー」の地位・肩書化とは一緒くたにはできないんだけど、それでも、勇者っていうのはファンタジー世界での「尊称」またはゲームシステム上定義された「クラス」の一つであって、「地位・肩書」とは意味合いが違ってた気がするのね。なんというか、人種・民族よりも下位、地位・肩書きよりも上位くらいの、抽象的な分類群だと私は認識してた。そもそも、「戦士」「魔法使い」「盗賊」はポピュラーだった一方、「勇者」っていう「クラス」を導入してたゲームってそんなに無かったような気がする。やっぱ、ドラクエの影響なのかしら?なんにしても、ゲームに限らず、漫画でもアニメでもそうなんだけど、作中で「勇者」としての役割を割り当てられたキャラに対して、別のキャラが「勇者様」とか呼びかけてると、私はなんか白けてしまうのね。時代劇で町民が武士に「お侍様」っていうのとか、フィリピンパブで「シャチョサン」っていうのとかとは、ちょっと違うのよ。侍も社長も社会的地位または肩書を表す用法で使われる言葉だけど、何度も言うけど「勇者」ってそれと同じ種類の呼称ではないと思うの。まぁ、地位・肩書にしときゃ分かりやすいんだろうけど、誰に分かりやすくしてるかっていうと、その世界に住む人々に分かりやすくしてるんじゃなく、単に読者や視聴者に対して分かりやすくしてるわけで、そうなると「キャラが客の目線を意識している」ように思えて、作り物感しか感じなくなってその世界に没入できなくなる・・・これって、私だけかな。まぁ、そう感じる人が、世界に最低一人はいたわけだけど、今の私は異世界にいるので、もしかすると現時点では前世の世界に一人もいないかも。なんて言って、実はわたしドラクエやったことなくて、ダイ大を少し齧った程度だから、ドラクエ的「勇者」の文脈がよくわかっていなくて、ファンタジー作品全般で用いられている「勇者」という呼称についても、私の理解が誤っている可能性は少なからずある。なので、一応これは前述の「ヒーロー」の類似例としてちょっと無理やり結びつけただけです。本論ではありません。(←本論とは)本論は「ヒーロー」の用法でしょ?違った???まぁでも、実際のところ私にとっての「勇者」は、ファンタジーものの勇者より、どっちかといえばロボットのほうだったりします。ちなみに、私個人の定義する「勇者」の範囲は、エクスカイザーからゴルドランまで。ダグオンは勇者になりきれなかった感じ。せっかくジブリでやってた望月監督引っ張ってきたのに、なんか勿体なかった。他にやり方なかったのかなって思う。勇者の絵を支えてきたオグロさんの最終作でもあるから、勇者に入れたい気持ちもあるんだけど、やっぱ、なんかテイストとして、それまでと別物になっちゃった感じがあるのね。まぁそれを言うと、高松監督が最初にやったマイトガインも、その前の3作とはかなりテイストは違うから、ここが一つの境界線ともなり得るわけで、テイストの違いを認定基準とするにあたって矛盾を生じてしまうんだけど。とは言え、エクスカイザーの問題提起に対して一つの答えを出したという意味では、高松監督の2作目のジェイデッカーが一つの区切りになったとも言えるわけで、その観点からは、エクスカイザーからのテーマ性を引き継いだジェイデッカーまでの5作と、1シリーズでテーマを完結するパッケージとして新しく立ち上げたゴルドラン以降、と捉えることもできて、実は私としては本当はそっちを主張したいところではある。ただ、それだと分かりにくいっていうか、作品のもつ意味合いの境界とする基準があくまでも私の主観に過ぎなくて、客観性を欠くのね。それに谷田部監督が3本続けて作った形を引き継いで、高松監督も3作をかけて新しい勇者の形を作ったと感じられるところもあるし、そう考えれば谷田部三部作と高松三部作までっていうのがキリがいいと思うの。程度問題ではあるけど、そこまでは明確に「子供に見せる作品」を志向してたし、本来なら望月監督にも3作続けてやってもらうべきだったけど、1作だけで終わってしまったのが残念と言う意味も含めて。というわけで、ゴルドランまでが勇者。勇者シリーズ?なにその雑な括り。玩具会社と版権コロコロ会社が抱き合わせ商法やるためのカテゴライズにわざわざ付き合う必要ないでしょ。私が主張してることだって、私が勝手に言ってることで、どこからどこまでを一括りにするか、なんてどうでもいいこと。自分で言ったことを自分でひっくり返すみたいだけど、それらはタイトルに”勇者”と冠してるだけで、内容的には独立した作品群だから無理に類似性を探して「似たような作品」としてまとめてしまうのは正しくないと思う。ザンボット3とダイターン3とトライダーG7も、”無敵”を冠してたけど同一シリーズにするのって無理があるでしょ?それと同じ。ほんと、「シリーズ」なんて商業的な要請でしかない。せめてエルドランくらい世界設定の基本部分に、客観的で誰でもわかる一致があれば、シリーズでいいんだけど。あ、でも「シリーズ」ってしとけば、そのうちの1つだけでも見ておけば、その「シリーズ」を全部見てたようなフリをできるから、そういう効用もあるのかしら。なんにせよ、アホらしいので私はそう言うのに付き合う気はないです。なんか「勇者シリーズ」で超テキトーにひとくくりにして、ストーリーも世界観も完全に独立したものを一緒くたにして、あろうことか比較してその中で優劣をつけようとするような風潮すら感じられるので、そういうのから距離をとるために「私の勇者はゴルドランまで」と言ってるだけ。
え?なんで話題が90年代アニメ?やっぱり前世は昭和生まれのオッサンじゃないのかって?・・・ホンッッッッッッッットに分かってないわね。70年代アニメを日本アニメの原典とするなら、その発展と進化が80年代から90年代前半までのアニメなのであって、そこを通らずしてアニメの話なんてできるわけないでしょ?前世のオタク仲間・・・じゃなくて友誼を結んでいた朋輩たちだって、「90年代アニメは教養、それ以前は素養」って言ってたし。こんなのナウでヤング(←死語)な女子の間では常識よ。知ってるけど言わないだけ。ほら、アレよ。ビートルズが好きでいつも聴いてる女の子が、それを言おうもんならビートルズに詳しい風のジジイが顔をチンコにして寄ってきて蘊蓄タレはじめるから普段は誰にも言わないようにしてる、っていうのと同じ。そういう”若い娘と共通の話題に食い込んでくるジジイ”って、若い娘とセックスしたいという欲望が見えてるってだけでもキモチ悪いのに、なぜかその話題でマウントとってくるの、ホントマジで謎よね。マウントとって知識をひけらかしたら女がなびくとでも思ってんのかしら?もしかして、アニメとか漫画でよくある、親に叱られたことのない女の子が初めて男に怒られて「私、人に怒られたの初めて→ステキ❤️」ってなるみたいに、「わたし、今までビートルズでマウントとられたことなかったのに、こんなの初めて→オジさまステキ💀」・・・ってなるワケねーだろ!!!親父にぶたれたこともない男の子が殴られて「ブライトさんステキ❤️」なんてならなかったんだから、当たり前よね。多分あの後、「ブライトさんあの時なぐってくれて有り難う」とも思ってなかったはず。最後までそんな描写なかったし、その後のあの二人の関係性から見ても、そういう感情があったとはちょっと想定しにくいわよね。やっぱ富野演出には、人間の全てでは無いにせよ、一面の真実があるわ。ストーリーはアレだけど。御大もベテランの脚本家と組んでいれば良かったのに、自分で書いたらなんでああなっちゃうのかしら・・・だけど、「時間よ止まれ」って唯一御大が脚本書いたエピソードなのよね。
まぁ、それはそれでいいとして、話を本筋に戻すと、最近ってなんだか「ヒーロー」っていう言葉から、微妙なニュアンスが排除されて、単純化された、限定的な意味合いで使われてるように感じるのね。(←それ本筋?)いや、せっかく話はじめたんだから、最後まで話させてよ。ここのファミレス24時間だから、終電逃しても大丈夫だって。
私は「言葉は意味の集合体」と思っている人間なので、言葉が含んでいる様々な意味を単純化・矮小化してしまうのは絶対反対大反対で、ある言葉の意味を限定するなら、その制限は文章によって一時的な用法として明示すべきだと思うんだけど、なんか世間様は「分かりやすさ」を好むのよね。言語って簡素化されるものだし、長い言葉は省略されるものだけど、それは日本人がやってる「言葉の意味の単純化・矮小化」とは全く次元の異なるものじゃないかと思う。
だけどこういう「言葉の意味の単純化・矮小化」って、こと「ヒーロー」という言葉の用法に限って言うなら、社会の流れが「自己アピール重視」になったことや、日本人が本来もっている権威権力に対する依存心と密接に結びついてるような気もするのね。
ヒーローを自称するってことは、「僕は英雄です」と自分で言っちゃってるようなもので、私はそういうの真顔で言ってるのを聞くと、たとえそいつがホントに英雄であったとしても、アホか、としか思わないけど、世間の大多数の人はそうは思わないってことでしょ。私が、今時のヒーロー自称作品を見て、心底タチが悪いなって感じるところは、ヒーローたり得る能力と実力を客観的に備えた者に、「私はヒーローです」と言わせ、ヒーローたり得ない者はそれに口をつぐみ、それを許し、それどころかそれを礼賛すべきである、という雰囲気や風潮を作りあげてるところなの。え?考え過ぎ?作者そこまで考えてない?うん。多分作者はそこまで考えてない。単に編集者と一緒になって、そういうのがウケると思ってやってるだけ。だけど、残念ながらその作品を作っている人、作品に関わっている人の思想や信条、倫理観や価値観は、作品を通じて必ずどこかに出ます。それが高度に情報化された社会で流通して大量消費されると、その内在しているものは作品と一緒に必ず社会に広がって浸透するし、または、社会に広がりつつあるものを補強して根付かせることになると思う。だからこそ、その作品に内在しているものについて無関心であってはならないし、無関心になれば確実にそれに取り込まれる。私はそう思っている。ほら、某ドラゴンボール(←某の意味は)で、あるとき「戦闘力」っていう概念で強さを「数値化」しはじめたでしょ?人気が爆発して国民的人気作品になっていくのに従って、「なんでも数値化」みたいなのが広がって普通になってしまったような感じしない?それと同じ。あの作品自体は数値化の嚆矢的なもの——それ以前にも強さを数値化した作品はあったけど、国民的認知度を得る作品になったという意味において——であった反面、数値化できない、数値を超える何かを模索しようとはしていたと思えるフシはある。とは言え、数値化に伴って強さを量子化してしまった以上、“数値を超える何か”とは数値を別の尺度にすり替えただけのものにしかなり得ず、“数値を超えるものを模索する”という試みとして何らかの成功があったようには見えなかったし(とは言っても強さを量子化したからこそ、あのラスト前の展開があったわけで、そこについては見事だったと思う)、関連商品の展開は「数値化」が中心で、何より、読者がなんでも「数値化」してしまうことを普通のこととして受け入れてしまった。まぁ、当然それはステータスとして数値を重視するゲームの影響もあるし、何より大多数の日本人が本来的に持っている、個人としての自己が無いが故の、客観的指標に対する弱さに大きく起因する部分もあるんだけど、あの某ドラゴンボール(←だからさ)の影響で日本人って数値的評価に、弱いどころか盲目的に従うようになってしまったようにも思える。そこまでは言い過ぎであったとしても、小中高でテストの点数や偏差値という数値的評価で人生を決められてきたわけだから、「数値的指標に従うこと」が価値観に刷り込まれてるのは間違いないと思うし、漫画・アニメを通じてそれが補強されるというのは十分にあり得る話だと思う。私個人はそういう価値観は嫌いだけど、それすら結局は自分自身がその価値観を浴びて生きてきたからこそ「嫌い」と感じてるわけで、日本に生まれて日本の教育システムに放り込まれたからには、それを肯定するか否定するかに関わらず、すべてにおいて客観的指標により評価を受け、それを受け入れる価値観、つまり、「数値的指標こそ絶対」とする価値観から逃れることはできない。そういった日本人の気質というか風土のようなものが、「数値的指標を絶対」とする作品を受容する上での素地としてあり、だからこそ、多くの人に受け入れられ、国民的作品になりえたという部分もあるような気がする。そしてそれは同時に、アレを売りつけている側の日本人もまた「数値的指標こそ絶対」とする価値観を思想の根底に持っていた、ということでもあり、「数値的指標こそ絶対」とする者たちが、「数値的指標こそ絶対」とする作品を売り捌き、元から数値的指標に弱い人々に「数値的指標こそ絶対」とする価値観を植え付け、さらに強固なものとした、と言うこともできる。そして、人々は、何者かの恣意の下に作られた数値的指標によって支配される、数値的指標の奴隷となった。少し大袈裟で無理やりっぽく聞こえるかもしれないけど、アニメ・漫画を通じた価値観の浸透って、こういうふうにして起きるんじゃないかしら。逆に、それだけの力がアニメや漫画にはあるはずなんだけど、それを作っている人たちがその力に無自覚すぎるし、それを受容する側も単なる無自覚な消費者。自覚的にそれを利用しているのが、アニメや漫画を作らせて売り捌いて儲けてる連中だけっていうのが、なんだかホントに日本って感じ。
最近のヒーロー自称作品とそれを取り巻く状況も同じで、日本人的な日本人に、日本人が盲従しがちな価値観が浸透していく様がそのまま現れているように、私には思えるの。ヒーロー自称作品の中で、ヒーローたり得る者が自己賛美する姿勢に、ヒーローたり得ない者が異議を唱えることがないならば、その作者は「ヒーローに対して、ヒーローたり得ない者は異議をはさむべきではない」と考えているということであり、それは即ち「強者に対して弱者はひれ伏すべきである」という価値観が根底にあると言っていい。飛躍してる?そんなことないわよ。だって、「強者に対して弱者が異議を唱えるべき」と考えているなら、ヒーローの「ヒーロー自称」という一種の自己賛美的な行為は、欠点やツッコミどころとして描かれるはずだもの。それをせずに、ヒーローの自己賛美的行為を、作品世界で一般的に受け入れられている普通の行為として描くということは、「強者の欠点や瑕疵も、それは強者の一部として、弱者は許し受け入れよ」という考えが、作品を通じて現れているということ。それは即ち、「強者の全てを、弱者は認め平伏すべし」とする価値観が根底にあるということに他ならないの。こういう「弱者は強者に全面的にしたがうべし。一切の異議を認めない。」っていう考え方は、価値観というより日本人固有の日本的奴隷根性と言った方が正しいかもね。あえて「権威主義」という言葉は使いません。なんか、最近あっちこっちで濫用されてるせいでちょっと意味が広くなり過ぎてて、論旨と異なる解釈をされる可能性があるので。それはともかく、そうした日本的奴隷根性は昔からあるものだけれど、それでも昔はその奴隷根性とはまた別に、日本人特有の島国根性というか嫉妬心みたいなものがあって、それは当然褒めるような感情ではないにせよ、反面として「持てる者に対する抵抗」として、奴隷根性に対する抑止的な機能を果たしてしていたようにも思える。ブルジョワやコーガクレキに「チッ」といって舌打ちする、それは嫉妬であると同時に反骨心としてのエネルギーに転化することもあったし、権威権力の増長を防ぐ契機にもなったはずだけど、いまはそうやって「持てる者に、持たざる者が舌打ちする」ことすら許されないような雰囲気あるわよね。「持たざる者は、持ってから文句を言え」みたいなやつ。それは「持てる者」の理屈であって、「持てる者」を利しているに過ぎない。
これらの、いろいろな要素が絡み合った結果、もしくはその反映として、ヒーローという言葉の意味が変わったのかもしれない。もともと強者に隷属するという風土・気質があり、そこに外国から自己主張を重視する価値観が導入された。自己主張は当然に自己賛美の要素を含むことがあり、自己賛美はおなじく当然に賛美できるものを所有する強者によって行われた。やがて日本が経済的文化的衰退期に入り、効率化と言う名のコストカットが優れた戦略として持て囃される時代に入ると、弱者は全体の効率を下げる要素として切り捨ての対象となる。さらに、退潮した社会全体の閉塞感が合わさることによって、弱者に対する風当たりが厳しくなり、日本人が本来的にもっていた「弱者の反発を許さない風潮」がより強くなると、その反射的効果として、強者の自己賛美に対する抑制がはたらかなくなり、結果として、日本における”自己主張”とは、”増長した強者の自己賛美”に過ぎなくなった。強者の自己賛美が一般に許容されるに伴い、「ヒーローを自称する行為」に対する違和感は減じ、それとともに「ヒーロー」という言葉の意味合い自体も単純化・矮小化し、地位または肩書きを表す言葉としての用法が定着した。といった流れ。
昔、司馬遼太郎が何かで「日本人は海外から取り入れた思想・文化を換骨奪胎して別のものにして受容してしまう」みたいなことを書いてて、私シバリョーは好きじゃないけど、これについては流石見識ある考察だなって思ってたの。実際、日本ではいろいろなところに似たような現象が見られるのよね。大体マイナス方面ばっかりだけど。いつの頃からか海外から「自己主張を重視する」という価値観を取り入れて、世間のそこかしこで「自己紹介」とか「自己アピール」とかをやらせるようになったけど、結局のところ日本に根付いたのは「自己主張」じゃなくて「自己賛美」ってところがなんか笑っちゃうわね。
話は長くなったけど、つまるところ私が、「自認して自称する行為」をキライなのは、そこにどうにも「自己賛美」の臭いを感じてしまうからなの。正直、自称「オタク」もどうかと思うわ。別に、オタクであることに誇りをもつことはいいのよ。それだけのことなら、それは人の勝手だし内面の自由。他にもっと誇りをもてること探せよなんて、私は一切思わない。価値観は人それぞれだし、むしろ自分自身の価値観を自分の中で大切にする姿勢には敬意を表します。だけど、「僕はオタクです」とドヤ顔で自称されると、なんだかねって思うの。なんでそれを自称しちゃうわけ?オタクが迫害されてた時代でも堂々と言えた?今アニメが流行っててオタクが世間的に認知されて、少し特別な目で他人様に見られることを期待してない?それって他人からの評価に縋ってるっていうことで、自分自身の価値観を大切にしてるって言える?・・・って思っちゃう。ちなみに私はオタクじゃありません。アニメと漫画とゲームをちょっとだけかじった普通の常識的な一般人が異世界に転生した悪役令嬢です。
さて、ここで「オマエも”悪役令嬢”を自認して自称してるじゃんかよwww」と思った人に問題です。
問 ここまでの文章で、主人公が”悪役令嬢”であることについて自己賛美している箇所を抜き出して答えよ。
解答 そんな箇所はありません。
解説 『「自認して自称する行為」をキライな理由は、「自己賛美」の臭いを感じるから』って、私言ったでしょ?私の主張には「自認して自称する行為」の前提として、「自己賛美」があるの。少なくとも私の主張の論旨に沿って考えると、たとえ形式的に「自認して自称する行為」があったとしても、その前提となる「自己賛美」がなければ、論旨・文脈上の「自認して自称する行為」とは言えないわけね。文中で私が、”悪役令嬢”であることを自己賛美していない以上、文中で私が自分のことを”悪役令嬢”と称したとしても、それは字面の上での形式的な「悪役令嬢を自認して自称する行為」であり、私の主張における論旨・文脈上の「悪役令嬢を自認して自称する行為」とは言えないの。つまり、「オマエも”悪役令嬢”を自認して自称してるじゃんかよwww」っていうツッコミは、私の主張の論旨とは、まったく噛み合わないことを言って草を生やしてるに過ぎないってこと。
ね?自分が文章読めてないってわかった?わかったら、もうここから先は読まなくていいわよ。ここまで読めてないんだから、どうせここから先も読めないもの。私の親切丁寧な解説すら読めてないんじゃないかしら。なんにせよ、読解力ない人は、クソッターや2chで短文読んでキャッキャしてハシャいでるのがお似合いなので、そっち行ってて💩バイバーイ⭐️読めてる人はご自由にしていただければよろしいけれど、あんまりオススメはしません。
とまぁ、色々言ってきたけど、自称オタクはまぁいいのよ。まだ許せる。昔ながらのオタクであり、オタクという言葉の内包している否定的な意味合いを知った上でオタクを名乗るなら、そこに見え隠れする自虐や露悪や含羞のようなものと同時に、そういった外部からの否定的な評価に対しても曲がらないその人自身が垣間見えることもあるから。自分自身を貫く意思表示と解する余地があれば、それはそれで、その意気や良し。だから、自称オタクはオールオッケーではないにせよ、まぁいいの。
私が一番キライなのは、自称「歴女」!
「歴史の好きな女性」はいいのよ。自分の生まれ育った国の歴史に興味をもつのは普通のことだし、それを学んで知識を深めることについては、趣味であれ本職であれ、そこに貶めるべき理由は一切ない。だけど、自分のことを「歴女」って言っちゃうヤツ、これだけはダメね。本当に無理。クソッターのアカウント名とかプロフに「歴女」とか書いてるのを見ただけで、オエッってなる。どれだけ歴史に対する知識があろうが、どれだけ史跡巡りをやっていようが、どれだけ蘊蓄垂れようが、「歴女」を自認し自称した時点で、「チテキでステキなワ・タ・シ」を演出するために学問を利用する性根が透けて見え、心底からの吐き気を禁じ得ない。学問を内面の成長と成熟ではなく、外面を飾り立てるアクセサリーとしか考えていない、「学問の消費者」って感じ。日本社会における学問のエンタメ化が推し進められた結果として生み出された、イケすかなくてハナにつく、自己演出と上昇志向のグロテスクなキメラ、と言ってもいいわね。
え?ひどいこと言ってるって???そうかなぁ・・・「知識があること」とか「史跡巡りをしてること」については認めてあげてるんだから、自称「歴女」も満足でしょ。ただ、私にとっては、「知識」も「史跡巡り」も「蘊蓄」も、「チテキでステキなアナタ」に、当然には結びつかないってだけの話。
ついでに言うと、自称「毒舌」もダメ。初対面から「ワタシ、ドクゼツだから」みたいな言い草カマしてくる人って割といるけど、それって要するに「アナタに何を言っても、傷つけても、貶めても、ワタシは毒舌だから許してネ⭐︎最初に言っといたんだから、ワタシに何言われてもアナタが悪いよ~❤️」みたく、見え見えの自分本位な防御線を張ってるわけで、それで許してもらえると思ってるとか、社会に甘えてんのかって思うわ。世間様は自称毒舌家に「何も言えない」んじゃなくて、「何も言わない」だけなの。毒舌な自分を許されてるって勘違いしてるなら、それは社会から温か~く保護されているに過ぎないってこと、弁えたほうがいいわね。あ、私は毒舌じゃないです。別に新奇なことや突飛なことも言ってるつもりもないし、割と普通の、誰でも思ってることしか言ってないと思う。どっかのオデン眼鏡みたいに、人間としての良心と倫理に反するに過ぎない世迷言をさも真実をついた新説であるかのように喧伝してるつもりもない。私が言ってることって、ほんと当たり前で普通のことばっかり。普通のこと言ってるのに、悪態ついてるように言われるって失礼しちゃうわ。
・・・
・・・はぁ~~~~っ(ため息)、いやー喋った喋った!前世でのイベント帰りも確かこんな感じだったわ。ファミレスのドリンクバーだけで何時間も粘って、みんなで楽しいことやつまんないことやムカつくことを、ほんとバカみたいにペラペラしゃべって、夜通し喋り続けるつもりが割と早い時間帯で飽きてネタも尽きるんだけど、黙ってしまうのも少し悔しいから、話を転がすためだけに理屈なんて考えずに思いついたこと脊髄反射でダラダラ喋るのよ。それでも話が続かなくなって、仕方ないからみんなでボーっとして時間つぶしてると、そこのファミレス24時間だと思ってたのが、実は3時までで、みんなして「えーっ!?」てなって、しぶしぶ店を出て、みんなで途方にくれるのね。だけど行くあてがあるわけでもないし、お金もないからトボトボと暗い通りをどこへ行くでもなく歩いてると、明らかに住む世界の違うチャラい見た目の人が声をかけてきて、絡まれても困るし怖いから丁重にお断りして、その場から逃げて。逃げ切ったら、誰かがクスクス笑いだして、そのうちつられてみんなで笑い出して。そんな感じで、みんなはじめのうちは、夜道を歩くちょっとした緊張感がゲームみたいで妙にテンション高くなってはしゃいでるんだけど、そのうち疲れて、笑う元気もなくなって、黙り込んだままふらついてるうちに、通りから外れて知らない場所に出ちゃって、ここどこ?みたいな話になって、一人、一人と道端に座り込んじゃって。これから始発までどうすんのって気分に打ちひしがれて、結局そうこうしてたらやっと空が白んできて、そしたら少しだけ元気が出て、夜明けの少しもやのかかったような薄明かりの中を、ゴミの散らかった通りに戻って駅まで歩いて、そこでみんなとバイバイして始発に乗って帰るの。始発の下り列車はガラガラで、座ってるとシートの暖かさで眠くなって、少ないお小遣いとバイト代をはたいて手に入れた戦利品を抱えてそのまま眠るのね。ヨダレ垂らして。じぶんとこの駅についたら慌てて降りて、駅から家の方へ出るバスは朝方は時間がまばらだから、家まで少し遠いけど頑張って歩いて、出勤途中の近所の人たちとすれ違って少し気まずくて。そしてようやく家にたどりついて、音を立てないように静かに鍵を開けて入ったら、玄関でお母さんと鉢合わせして・・・。
・・・なんだか思い出しちゃった。お母さん、会いたいな。思えば私、お母さんに何もしてあげられないまま、こっちの世界に来ちゃったな。こんなことになるんだったら、もっとお母さんのために何かしてあげたらよかった。この世界で、私がどう生きて、何を成し遂げたとしても、お母さんに喜んでもらえるわけじゃない。この世界で私が生きていることを、前世の私の家族も、私の友人も、誰も知ることはない。この世界での私の人生は、もといた世界であるはずだった、私が生きるはずだった私自身の人生じゃない。だから時々、なんだか虚しい。
———って!なにセンチになってんのよ!今はそんな場合じゃないから!センチってセンチメンタルってこと!これもナウなヤングの常識!センチメンタルジャーニーはドリス=デイなんて気取らずに、素直に16歳のほうしか知らないって言っときます。センチメーンタール、カーニバール♪(←それ違う)
ところで何の話だっけ。そうそう。この世界の固定観念どうこうは抜きにしても、普通に考えて、兄妹の恋愛は倫理的・常識的にありえないって話。そういえば、それがホントの本筋だったわ。チョッピリ脱線しちゃったけど、要するに、この世界の概念としても、私個人の倫理観や常識からしても、兄弟の恋愛はありえない。だから、私とカストル兄様の恋愛もありえない。逆に、ありえないから、こういうカストル兄様との「恋人ごっこ」のようなことを遠慮なくできる、ってところもあるんだけどね。
さぁ、ホントにホンの少しだけ横道にそれちゃったせいで、みんな忘れてるかもしれないけど、今はまだ、”ブラコン作戦”の真っ最中。私の必殺技『箸突』によって、カストル兄様はもうデレデレで、すでにメロメロ。今のところ作戦は順調よ。思惑通り、私と兄様の周囲にはイチャラブ結界が展開され、誰も私たち二人の邪魔はできないはず。そして、私たちの親密ラブラブ波動はこの部屋全体に伝播して、この場にいる人たちに、私とカストル兄様が親密度120%であることを知らしめているに違いない。
だけど、まだ足りないわ。イチャラブ結界をさらに強力なものとして完成させるためには、ここでもうひと押し。私は仕上げとばかりに、さらにカストル兄様に近づいて、身体をピッタリと密着させる。
「じゃあ、もうひとつ、いかが?」
私はそう言いつつ、箸を持った左腕を前に伸ばし、サラダの上のミニトマトをまた一つ箸先で摘み上げた。
「はい、あーん❤️」
兄様パクリ。
間合いの無い密着状態から上半身の発条(ばね)のみで繰り出されるこの技は名付けて『箸突・零式』!(※注・突きません〔2回目〕)
「どう兄様?おいしい?」
私はまたもや上目遣いで、さらにカストル兄様に体をピッタリくっつけたまま問いかける。『零式』は密着して放つから破壊力も抜群よ。手加減なしで決まったら上半身が吹っ飛んじゃうかも☆そんな技をまともに食らったカストル兄様が、平気でいられるはずがない。モグモグゴックンした兄様はさきほどの満面の笑みをさらに崩れさせ、破顔と言ってもいいほどの喜びに表情を溢れかえらせながら言った。
「うん、カトリアーナが食べさせてくれるから、さっきの2倍おいしいよ。」
またしてもクリティカルヒット。んんんん~~~~~~ん!私あざとい!!!『零式』の破壊力が2倍ということも証明されてしまったわ。だけど兄様、その顔はちょっとフニャけすぎよ。自然で爽やかなのがカストル兄様なんだから、あんまりデレデレ鼻の下伸ばしすぎるのはダメ。(←勝手すぎる)女は正直なの。てか、もともと『没落貴族の令嬢ですが、婚約破棄した第7王子と氷の貴公子と呼ばれる次期公爵がなぜか溺愛してきますっっっTHE GAME』の公式設定では、カストル兄様は「スマートで自然かつ爽やかな好青年」なんだから、あんまりデレすぎるのは少し違う。だけど、この城に来てからのカストル兄様って、設定通りの「自然で爽やか」なキャラじゃなくて、どことなく不自然でモジモジデレデレして、なんだかキャラ崩壊気味に感じられるんだけど、気のせいかしら。
カストル兄様とイチャイチャしながらも私がそんなことを考えていると、不意にジークが口を挟んできた。
「お二人とも、少々よろしいでしょうか?」
「はい?」
カストル兄様と私は、思わずふたりして、その呼びかけてきたジークの方を見る。
ジークは私たちをじっと見つめている。口元には微かな微笑を湛えており、一見すると、いつもの気品と余裕に満ちた涼しげな表情だ。しかし、目が違う。その目から放たれる視線は刺すように鋭く、明らかな敵意が感じられる。その、どす黒く邪悪な思念を孕んだ眼差しに私は怯んだ。カストル兄様も驚いた顔つきで言う。
「・・・どうか、なさいましたか?」
カストル兄様は決して臆病なわけではない。ヴィトン伯爵家の次期当主として、気力も胆力も備わっている。しかし、今のジークが放つ威圧感には、そうやって短く返すのが精一杯のようだ。
そんなカストル兄様の反応を見たジークの態度が少し変わった。先ほどまで見せていた敵意と悪意は瞬時になりを潜め、普段通りの雰囲気にもどったジークは、軽く咳払いをすると、意識的にそうしていると感じさせる少しばかり作為の色を帯びた、柔らかい口調で言う。
「ご兄妹仲がよろしいのは結構なことですが、少々近付きすぎではないでしょうか?」
ジークの言葉の意味を図りかねたようで、カストル兄様は少したじろいたまま問い返す。
「は?」
ジークは、そんなカストル兄様を見つめ、ため息のような小さい吐息を一息つくと、ゆっくりとした口調で、なにかを言い聞かせるようなニュアンスを含ませながら言った。
「ご兄妹とはいえ、曲がりなりにも男女なのですから。」
そこで、カストル兄様も合点がいったようだ。
「いや、これは失礼しました。カトリアーナ、いいですか?」
慌てた素振りで、ジークに対して詫びの言葉を述べたカストル兄様は、左側で寄り添っている私を遠ざけようとする。しかし、私はここで直感した。罠だ。これは先刻、城に入ったときのやりとりと同じパターン。きっと、私とカストル兄様を引き離すためのジークの策略に違いない。その手は食わない。私はカストル兄様の言葉に反し、逆に兄様に身体をズイッと近付けてピタッと張り付く。兄様が困惑の声をあげる。
「え、おいコラ、そんな・・・」
本気で狼狽している。こんな兄様は正直見たことがないわ。しかしそんなこと構ってはいられない。私はしがみ付くようにカストル兄様に密着し、もはや十八番となった上目遣いで見上げながら、左手の箸をナプキンに持ち替えた。
「兄様、お口元がよごれていますわ」
まぁ、当然よごれてないけどね。ミニトマトを2個食べただけだもの。そこにある事実は問題じゃないの。私はナプキンを手にした左手をカストル兄様の口元へと近づける。
「いや、ちょっと・・・」
カストル兄様は抵抗しようとするが、その抗いは力無く弱々しい。ヘッヘッヘッ、奥さん口では嫌がってるが本当はコレが欲しいんだろう?
「動いちゃダメです❤️じっとしていてください」
私はそう言いながら、ナプキンで優しくカストル兄様の口元を拭った。
フキフキ...。
カストル兄様は硬直している。視点は定まらず宙を泳ぎ、頬はピクピクと引き攣っているが、その一方で口元はニヤけてフニャフニャとだらしなく緩んだままだ。あー、こんな兄様、あんまり見たく無いな・・・そう思った私は、思わず顔を背ける。そしてそのとき、ついチラッとジークの方を見てしまった。
私とジークの目が合った。
ジークは、ただじっと私たちを見ている。顔では笑っている。しかしやはり、その目は笑っていない。
これが王家の血を引く者の威圧感というものか、それとも底知れぬ悪意に基づく恫喝的な意味合いによるものか、ただならぬプレッシャーが私に向けられている。私は動けない。蛇に睨まれたカエル、とはこういうことを言うのだろう。ジークの視線に貫かれた私は、釘で十字架に打ち付けられた虜囚のように、身じろぎすらすることができない。
睨み合ったまま、いや、私が一方的に睨みつけられるまま、しばらくの沈黙があり、やがてジークが静かに口を開いた。
「誠に麗しい兄妹愛、とでも言っておきましょうか、カトリアーナ嬢?」
不気味な笑みを口元に滲ませながら、相変わらず悪意と敵意の入り混じった視線とともに、私に向けられたジークの言葉は、そこはかとなく挑発の響きを帯びている。ここで気圧されると負けだ。私はすかさず言い返す。
「ええ、屋敷の者たちにも、本当に仲が良いと言われます。」
そんな私の言葉に、ジークは目を少し細めると、やや首を傾げながら私に問いかけた。
「そうですか・・・お屋敷の方々はまだ誰も気付いていない、ということでしょうか?」
気付いてない?何のことだろう。文脈的に何のことを指し示しているのか皆目見当がつかなかった私は、ジークに聞き返した。
「どういうことでしょう?」
私の問いに、ジークは何も答えない。見定めるかのような目で、私の内心を探るかの如く、じっとこちらを見据えている。思わせぶりな態度で、私から何かを聞き出そうとしているのだろうか?何かを聞き出そうとしているなら、彼には何か知りたいことがあるということだが、それは一体?しかし、知りたいことがあるということは、それと同時に、それは彼が何かを知らないということ。そのジーク自身も知らない何かを私から聞き出そうとしているなら、やはり単なるブラフ?だけど、ブラフなら一体なんのためにそんなことを?様々な推測が私の中で錯綜するが、どれもが的外れに思える。何より、手掛かりなく、当てずっぽうに様々なことを考えてしまっているのは、私が完全にジークのペースに飲まれている証拠だ。まずい。ひりつかんばかりの焦燥感が私を襲う。
だが表情には出ていないはずだ。それだけは、私が普段から常に心がけ、心得ていることでもある。だからこそそれは、何の能力も持たないままに異世界に放り込まれた私にとって、咄嗟の場面でも頼ることのできる、数少ない武器の一つとも言えるのだ。
やはりジークは、私の反応から何かを探り出そうとしていたのかもしれない。やがて易からずと踏んだのだろうか、彼は諦めたような苦笑とともに目を伏せつつ、視線を逸らして少し横を向くと、フッといつもの微かなため息をつきながら言った。
「・・・まぁ、いいでしょう。」
それは私に向けて言っているというよりも、ジークの独り言のようにも感じられた。実際、何がいいのか、私には全くわからない。しかし、睨み合いの緊張感から解き放たれた安堵に、私の心は少し緩む。
が、そのとき、ジークが私の方に向けて流し目気味に視線を向けながら思わぬ台詞を放った。
「しかし、あなたの”秘密”に気付く者が、誰もいないとは思わない方がいい。」
私の背中に冷たいものが走る。———”秘密”・・・ジークは今、”秘密”と言った。
私の”秘密”・・・それが何を指し示すのか、可能性は一つしか考えられない。それはカトリアーナの、つまり私の持つ闇の魔力のことを言っているに違いない。ジークは私の闇の魔力のことに勘づいている?
「後ほど、湖のあたりをご案内します。風光明媚な良い場所ですよ。」
ジークは何事もなかったように言葉を続ける。しかし、私は動揺を隠すので精一杯だ。ジークが私の闇の魔力のことに気付いているなら、この城に私とカストル兄様を呼びつけた目的は?様々な憶測が脳裏で交錯する。混乱している私を他所に、ジークは席から立ち上がった。
「私は少々執務を残していますので、そちらを片付けてきます。お二人はどうぞごゆっくり。」
そう言い残して、ジークは昼食のテーブルを後にした。
カストル兄様とも幾許かのやりとりがあったが、それらはもはや私の耳には入ってこない。
ジークが私の闇の魔力のことに気付いている。その事実が、私の胸中に暗い影を投げかけ、陰鬱な恐怖が紙に溢したインクのように、心の内側を黒く塗りつぶしていく。正直、あまりの衝撃の大きさに、その後しばらくのことは何も覚えていない。
やがて、カストル兄様と一緒に昼食会場を出た私は、おぼつかない足取りで先ほどの控室に戻った。大きな扉を閉め、兄様と二人だけになると、私は力を使い果たしたように、部屋に置かれた大きなソファに座り込む。疲労と恐怖で身体に力が入らない。ジークの言葉によって引き起こされた心の動揺が今だに尾を引いている。しばらくの間、わたしは大きなソファの手すりに顔を埋め、頭をかかえるようにして、何とかして、この危険から脱する糸口を見つけ出そうと考え込む。
ジークが私の闇の魔力のことに気付いているとしたら、一体何の企みがあるのだろう。そもそも、闇の魔力についてどれだけのことを知っているのだろう。私自身も闇の魔力については、『魅了』スキルのことしか知らないし、その『魅了』スキルすら私の意思で自由に発動させることができないのに、ジークはそのことにも気付いているということなのだろうか。そして何よりも、彼自身は『魅了』スキルをかけられているという自覚はあるのだろうか。どれだけ考えても、ジークの意図も、その目的もさっぱり見当がつかないし、彼が何を企み、何を仕掛けてこようとしているかも全く読めない。しかし、わからない、読めないからといって、そのことばかりに拘泥していると、後手に回ってしまうし、それこそジークの思う壺だ。少なくとも、当初の方針通り、私がカストル兄様と離れずにいれば、ジークの目論見のとおりに事は運ばないはず。ここはもう、カストル兄様と一心同体になるレベルでくっついているしかないわ。いや、だから一心同体ってそういう意味じゃないってば。兄妹でそういうの、ホントにキモいから。思ってるだけなら綺麗なものなんだけどね。
よし、考えても分からないことはとにかく考えない!この城に来てしまったからには、なるようにしかならないし、恐れてばかりいても仕方ないんだから。とりあえず、次は湖畔の散策に出かけるわけなんだけど、そこでもカストル兄様から離れないことを第一の方針として、そうしながらジークの出方を伺っていれば、必ず何か突破口が見つかるはず。今はチャンスが来るのを待つ時よ。
そうして私が次の行動の方針と方策を検討していると、兄様が妙に改まった風情で語りかけてきた。
「カトリアーナ、話があります。」
何かしら?・・・だけど今日のカストル兄様、本当にちょっとヘン。なんだか堅苦しいわ。いつもみたいに、さりげなく自然な感じでいいのに。
「はい?なんでしょうか?」
私は兄様に尋ねる。カストル兄様は、ソファに腰掛ける私の前に片膝をつくと、私の瞳をじっと見つめながら、何やら思い詰めたような口調で、諭すように話し始めた。
「いいですか?カトリアーナ。君はジーク王子と婚約する。つまり、君はジーク王子の将来のお妃です。きっと王子もそのおつもり・・・その将来のお妃が、ご自身以外の男性と・・・その、身体を密接に寄せ合っていると、やはり面白くないと思うのです。それがたとえ兄妹であったとしても。わかりますね?」
いや、まだ婚約するって決まってないし、それを回避するために私は頑張ってるんだけど。
「はあ・・・。」
とりあえず、本日何回目かの生返事をして、兄様から離れたく無いと意思表示を示してみたが、どうも、兄様はそれでは納得してくれないようだ。
「いや、”はあ”じゃなくて・・・。あまりこう、私に近づきすぎるというか、密着するというか、そういった振る舞いは、ここでは控えた方がよいと思うのです。」
そんなこと言われても、カストル兄様から離れてジークと二人になると何が起きるかわからない。
まず、ジークが何を企んでいるかがわからない。彼が、私の闇の魔力に気付いていたとしても、彼の行動や振る舞いには不可解な点が多いし、何より私とカストル兄様を何とかして引き離そうとしているのが、とても気になる。ここで私がカストル兄様から離れれば、それはジークの思惑に乗ってしまうことになる。それは現段階では避けた方がいい。
そして、何より私が一番恐れているのは、なにかの拍子に闇の魔力が再び発動して、カトリアーナ(私)がもう一度ジークに『魅了』スキルをかけてしまい、それが『没落貴族の令嬢ですが、婚約破棄した第7王子と氷の貴公子と呼ばれる次期公爵がなぜか溺愛してきますっっっTHE GAME』の、ストーリー通りの効果を生じてしまうこと。そうなってしまえば、せっかく消滅したはずのジークルートが復活することになる。そして、そのストーリーの流れに従うと、闇の魔法の虜になったジークの手引きによって、次はカストル兄様が『魅了』スキルの餌食になってしまう。つまり、「ジークに『魅了』スキルをかける」ことが、その次にカストル兄様に『魅了』スキルをかけるルートに入るストーリー上の条件フラグになっているから、カストル兄様を『魅了』スキルの餌食にしないためには、その条件フラグである「ジークに『魅了』スキルをかける」イベントの発生確率が高まるような状況に持ち込まないことが重要で、そのためには、私は常に誰かの近くにいて、ジークと二人になるような隙を作らないようにするしかない。今、この城にいる人の中で、ジークがもっとも排除しにくいのは、身分的な面から考えてカストル兄様のはず。結局、カストル兄様を守るためにも、そのカストル兄様の近くにいるのが一番いい、ということになる。
だけど、これをカストル兄様に話すことはできない。それを話すことは、私に宿る闇の魔力の存在を知られてしまうことになる。とは言え、兄様の言いつけに素直に従うわけにもいかない。何度も言う通り、カストル兄様を守るためには、私はカストル兄様から離れるわけにいかないのだ。
「でもぉ・・・。」
私は駄々をこねるようにして承諾できないという素振りをしてみる。できるものならきっちり説明したいところなんだけど、前述の通り、それはできない。だからこういう返事しかできないのがもどかしい。
そんな私に、カストル兄様は本当に困ったような表情で続ける。
「いや、”でもぉ”じゃなくて・・・。実際のところ私としても、君が近くにいてくれると楽しいというか、触れてくれると嬉しいというか、そういう気持ちは確かにあるのですが、やはりそれは良くないというと思うところもあり、とはいえやはり、ずっとそばにいてくれた方が喜ばしいというか・・・」
よほど困っているのだろうか。普段は優しい口調ながら明晰でキレのいい語りを聞かせてくれるカストル兄様にしては、まったくもって歯切れが悪くまどろっこしい。今日の兄様、ホントにヘンよ?正直、なんだか良くわからない。カストル兄様的に、私は近くにいていいの?ダメなの?
「はい?」
私の口をついて出た短い問いは、少し強い口調になっていたのかもしれない。詰問されたように感じたのだろうか、少し怯んだような顔つきになったカストル兄様は、私から目を逸らせると、口をすぼめてボソボソと呟くように言った。
「その・・・恋人同士のように睦まじくするのは、人目を憚ると言いますか、まぁ、いや、その、もしも、二人きりの時なら、それでも構いませんし、むしろそうして欲しいのですが・・・」
は?なに言ってんの?私の頭からハテナマークがイデの巨人の全方位ミサイルばりに一斉発射される。
「え?」
一瞬の沈黙。言われたことの意味を理解できず、「?」が板野サーカスしている私。カストル兄様はハッとした表情で我に返ると、先ほどのキョドった風情からいつもの怜悧な顔つきに戻り、そして慌てたような早口で言った。
「と・・・とにかく!私たちは兄妹なのですから、弁えるべきです。兄妹なのですから。いいですね!」
そのいつになく強い口調に気押された私は、不承不承ながら兄様の言いつけを受け入れるしかなかった。
「・・・はぁい。」
やや不貞腐れ気味の私の返事を聞いて、カストル兄様は少しだけ安心したような表情で、ほっとため息をついた。
「では、私は自分の部屋に戻ります。次は、王子が湖の方を案内して下さるとのこと。君も準備しておきなさい。」
兄様は、そう言いながら立ち上がった。その横顔に私は問いかける。
「はい・・・兄様もご一緒ですよね?」
私は一応念のため、湖畔の散策にもカストル兄様が同行してくれることを確認しただけなのだが、なぜか兄様は苦しげな表情を見せると、詰まらせた息を搾り出すように答えた。
「あ・・・あぁ、無論です。私は、いつでも君と一緒ですよ。」
その表情が少し気になったが、兄様が一緒にいてくれるという言葉が私を安心させる。
「よかった。」
そういって私が微笑むと、カストル兄様も笑顔を返した。
「では、また後で。カトリアーナ。」
そう言い残して、兄様は踵を返した。私は、扉へ向かって歩く兄様を見送り、じっと見つめる。
「・・・そう、兄妹なんですから。」
部屋から出ようとしたカストル兄様が一言つぶやいた。私は、微かに聞こえたその呟きの意味するところが分からなかったが、兄様の横顔はどことなく悲しげに見えた。
(つづく)
何だよ、またその出だしからかよって思ってるでしょ。仕方ないじゃない。ストーリーが進んでないんだから。私が昼食の席についてから、字数としては1万5千字を超えてるけど、そこから時間的にはぜんっぜん進んでないのよね。しかも、私が「目標5000字」って言ったからって、5000字を超えたところでいきなり話を切っちゃうし。作者アホなの?そんなことしたら、あとで誤字脱字の修正とかで手直しするのに、字数の調節しなおさなきゃいけないからメンドくさいでしょうに。その上、中途半端に労力をかけたワリには今ひとつギャグとして面白くないってどういうことなのよ。すべるのは勝手だけど、付き合わされるこっちがいい迷惑だわ。(ごめん)
とにかく、メインイベントの昼食会の前に字数をかけ過ぎよ。私としては、本当に切実にお腹が空いたから、今回こそお昼を食べたい。てか、さっさと昼メシ食わせろ!オレ、今回こそストーリーを進めて、昼メシ食うんだ・・・あ、こういうこと言うとフラグになっちゃうのか。乙女ゲームの世界ってホント油断も隙もありゃしないわね。とにかくスタート!
さて、昼食会である(3回目)。・・・なんかわざわざ括弧付きで(3回目)ってなってると、少しイヤな予感がするんだけど、そこに言及したら、どうせまた話が逸れていって、(4回目)・(5回目)となって、昼食からどんどん遠ざかっていくに違いないからスルーするわよ。作者のワルダクミに引っかかるもんですか。(←チッ)
しかし、まったくもってお腹が空いた。先ほど、奥義・腹ペコ恥じらい光線で、空腹であることをカストル兄様に打ち明けたが、別にあれはアザトさを演出するためにウソをついたわけではない。実際、私はお腹が空いているのだ。考えてもみてほしい。早朝に出立し、長時間馬車に揺られてきた。電車で長旅すると腹が減るのと同じで、いい具合の振動が朝食べたモノの消化を促進し、胃袋はとっくの前にカラッポだ。これが電車なら途中の駅で駅弁でも買うところなのだろうが、残念ながら田舎道を馬車で行く異世界に駅弁など無い。そんなわけで、私はこの城に到着するまで、過酷な異世界ひとりラマダーンにチャレンジする羽目になってしまった。先ほど、カストル兄様にすこし怒ってしまったのは、空腹のイラつきのせいもあったのかもしれない。そうか、空腹が悪かったのね。だけど、その空腹を利用した技でピンチを脱したんだから、プラマイゼロってとこかしら。空腹も少しくらいは役に立つこともあるってことにしておきましょうか。それに、これだけお腹が空いてれば、きっと食事も美味しくいただけるはず。なにせ、今日の食事はいつもとは違う特別な食事。それは王家のお屋敷でいただく王家の食事。つまり、王家お抱えの料理人が腕によりをかけてつくった、王家のメニューをゴチになれるの!カンゲキー!!!
なーんて、私が今、こんなことを考えてるなんて、表情にも態度にも出してないわよ。私は澄ました表情で、可愛らしく、おとなしく、静かに座っているだけ。だって伯爵令嬢だもの。私の長文の(屁)理屈をずっと聞いてると勘違いするかもしれないけど、私のモノローグはあくまで私の脳内だけで考えていることであって、外面には一切出してないから。外向けの振る舞いはちゃんとしたお嬢様。そもそも、前世の記憶に目覚める前はフツーに貴族の娘として躾けられてきたし、記憶に目覚めて転生者であることを自覚した後も、伯爵令嬢たるべく施された教育は一応きっちりこなしてきたつもり。とは言っても、その貴族教育を受けるにあたっては、まぁまぁ色々あったんだけどね。私の教育計画を立案する母上(ヴィトン伯爵夫人)はお察しのとおりちょっとアレだし、そのうえ、あろうことか、家庭教師はあのエリザベス・・・エリザベスかぁ。食事前にちょっと嫌なこと思い出しちゃったな。豚肉出てきたらどうしよう。
一抹の不安が脳裏を掠める。しかし、そんな私の不安は、この別荘での諸事を取り仕切っている王家の執事、セバスチャンのすこし掠れた低音イケオジボイスによってたちまちかき消された。
「では、お食事をお持ちいたします。」
来た!本日のメインイベントにしてスペシャルイベント!エリザベスとオークのことなんて考えてる場合じゃないわ。脳内で不気味に再生されつつあったエリザベスとオークのアレな映像はスイッチアウトされ、私の意識は食事へと集中する。え?執事の名前にコメントしないのかって?だ~か~らぁ、『没落貴族の令嬢ですが、婚約破棄した第7王子と氷の貴公子と呼ばれる次期公爵がなぜか溺愛してきますっっっTHE GAME』の世界では基本、ネーミングはテキトーだって言ったでしょ。イマサラよ。そんなことより、今は食事が第一!待ちに待ってた出番が来ちゃったお昼ご飯に全身全霊でコンセントレーション!と言っても、やはり表情には出さず、上品な居住まいを崩さない。これは伯爵令嬢の基本テク。当然よね。そしてこのテクニックの一番重要なのポイントは”視線”。間違っても、運ばれてきている料理の方を見てはならない。手練の使い手は相手の視線からも攻撃を察知すると言われている。つまりこちらの意図を勘付かれないためには、視線を動かさずして視野の内側におさめたものを正確に捉える必要がある。そしてそれが可能となれば、視線を敵に読まれなくなると同時に、視野の中央以外の広範囲の敵に対して注意を払うことも可能となる。一流の格闘家は敵と相対した時、その敵を見るのではなく、敵の向こう側を見ていると言われる。それはつまり、一点を注視するのではく、視野の全体を捉えているということなのだ。しかし私はなぜ、乙女ゲーム世界でこの能力を身につけなければいけないのだろうか。疑問は尽きない。転生した私の人生、果たしてこれでいいのか。
・・・いいの!とにかく今は食事!
さて、ドーム状の覆いを被せた銀色の巨大なプラッターを掲げるように手に持ち、整然と列をなした給仕たちが、私たちのテーブルの方へと食事を運んでくる。期待は膨らむ。普段食べているヴィトン伯爵家の食事も貴族だけあって確かに豪華なのだが、今回は王家の食事である。家格の違いから考えて、おそらく伯爵家よりも数段上のレベルの豪華メニューが供されるに違いない。はっきり言って、今回の楽しみはそれだけだ。ご明察のとおり、私は大食いである。なぜならば、私は、前世の記憶から、乙女ゲームや少女漫画では「たくさん食べる女性キャラは、男性キャラからの好感度が高い」ということを知っている。
女子「パクパクモグモグ...」
↓
イケメン「おもしれー女❤️」
・・・って、んなわきゃねーだろーってリアルなら思うところだけど、ここは乙女ゲーム世界、んなわきゃないわけがない、むしろあるあるなのだ。多分。だから私は、好感度アップのため、自身の胃袋を拡張すべく日々鍛錬に努めた。鍛錬とは詰まるところ、たくさん食べたわけだが、ただ、たくさん食べるだけではない、しっかりよく噛んで、時間をかけて食べるのだ。前世で落合がそうやってるって聞いた覚えがある。あと、お風呂では指だけ出して浸かったりしたわ。村兆は、爪をふやかさないようにそうしてたんだって。それは関係ないか。まぁとにかく、私は毎日ひたすら大量に食べた。当然、お行儀にうるさい母上(ヴィトン伯爵夫人)が、常軌を逸した私のドカ食いを許すはずもなく、一度、食事禁止を言い渡されたことがある。あれは辛かった・・・。だって水も飲ませてもらえない。水道の蛇口は針金でしばってあるし。なんでバンタム級に体重合わせなきゃいけないのよ。これ乙女ゲームよね?大体、異世界に「水道の蛇口」とかアリなの?って思うけど、そこは異世界転生モノだから、都合よく上下水道完備ってことで。ビデもあります。まあ、それは置いといて、カストル兄様とパパ上(ヴィトン伯爵)が口添えしてくれたおかげで食事禁止令は解除されて、異世界ボクサーにクラスチェンジしなくて済んだけど、ほんと、メイド達が母上の目を盗んで部屋の扉の下から食べ物を差し入れてくれなかったらマジで餓死していたかもしれない。ヴィトン家のメイドたちって、皆やさしくて出来た娘たちばっかりね。そのうち母上も、何をどう思い直したのか、私の食事の量に何も言わなくなったので、めでたく大量摂食生活は再開され、そして努力の成果が実り、私はついに、ブラックホールの如き、底なしの胃袋を手に入れた。この世界でフードファイトがあれば三冠王を獲れるレベルだと思っている。やっぱり落合は偉大。なお、どれだけ食べても太らないのは、女子向けメルヘンのお約束である。2次元キャラってほんと都合よくできすぎよね。前世にいた頃、イベント帰りにファミレスでオタクの同志・・・じゃなくて趣味嗜好を同じくする朋友たちとドリンクバーをキメながら、よくそんな話しをしたわ。夜もすがらアニメや漫画のことで話し込み、この手の”大食いで好感度がアップしてしまう主役女性キャラ”の話題が出るたび、「この娘これだけ食べるからには、ウンコもどデカいのが出るんだろうねぇ」とか「こっちは便秘気味だからいっそ羨ましいわ」などと言い合っていたものよ。そして実際、異世界転生してからの私は大食いになってしまったせいで、常識を超えた大きいウンコが大量に出るようになってしまった。どのくらい大きいかというと、屋敷のトイレを割と頻繁に詰まらせてしまうくらいにはハイレベルに大きい。異世界の上下水道は、前述の通り都合よく現代日本と同じ水準で発達しているはずなのだが、そんなことお構いなしに、便器の底の排水口でガツンと詰まる巨大なウンコが毎日のように私の肛門からヒリ出される。おかげでアナルはガバガバである。処女なのに。将来結婚相手に疑われないか不安。(←なにを?)あらやだ、食事前にオゲフィンな話題はおやめいただけます?
さて、全てのプラッターが私たちの目の前に並べられたところで、給仕たちは恭しげに一礼すると、さながら宝物を覆い隠す神秘のベールを取り去るかの如く、プラッターに被されていた蓋を一斉に開け放った。———そこにあるのは、王家お抱えの料理人が作った料理の数々。いかにも高級な食材を使ったと思われる、見栄え良く美しく盛り付けられた、微に入り細にわたるまで匠の技を凝らした珠玉の品々。さすが王家の食事!一言で言えば豪華!そんな至高の逸品たちが銀色のトングで小皿に取り分けられ私たちへと供される・・・はずなのだが、今、私の目の前にあるのは、ほんの少しのパンと野菜と果物だけ。
・・・あれ?これだけ????いかにも高級な食材を使ったと思われる、見栄え良く美しく盛り付けられた、微に入り細にわたるまで匠の技を凝らした珠玉の品々はどこ?
想定外の事態に、さすがの私も戸惑いを隠すことができない。
そして、そんな私をよそにジークは一言、いつもの涼しげな口調で言う。
「この後の予定もありますから、お昼は軽くすませた方がいいかと思いまして。」
(軽くすませたほうがいいかと思いまして)
(まして.........)
(まして......)
(まして...)
私の脳内を、ジークの衝撃のセリフが多重エコーで鳴り響く。
ガビーン!・・・って、ナニその余計な気配り!? アンタ(←ジーク王子)、どうせ王家の連中がヴィトン家のことを色々と探ってるんだから、私が大食いってことだって知ってるはずでしょ!?知っててわざわざこんな真似を!?あ!!!もしかして罠!?このために私をこの城に呼びつけたの!?まんまとやられたわクヤッシイイイィーーーーッッッッッッッ!!!私は心の中で地団駄を踏むが、その感情を表に出すこともできず、口元を引き攣らせたまま、ただ呆然とする。
顔面を硬直させ表情を失った私を、流し目気味にチラリと見たジークは、やがて目を伏せると
「フッ・・・」
っと静かな微笑みを浮かべた。
ムッキィィィ-----!!!何よ、その勝ち誇ったような笑い!本気でアタマに来たわ。いつか思い知らせてやるから覚悟しておきなさい!!!テーブルのナプキンをハンカチ代わりにギリギリと噛んで悔しがるお約束のポーズをとりたいところだが、貴族の娘としての理性がそれを押し留め、激情を必死にこらえる。なによこの状況、もしかして私ザマァされちゃってる?まるで私、悪役令嬢みたいじゃない!まぁ悪役令嬢なんだけど。
とは言え、完全にしてやられた。恐るべしジークの神算鬼謀。大食いという私のチャームポイントを逆手にとり、ここまで有効かつ的確にして強烈なダメージを与えてくるとは!私はジークの攻撃によって受けた衝撃と、憤怒と落胆と困惑のあまり完全に茫然自失となってしまった。この傷は深い。今にも力尽きてしまいそうだ。(←腹へってるだけだろ)腹が減っては戦はできないの!もうダメ・・・死ぬ前に王家の昼ゴハン食べたかった・・・戦意を挫かれ、極度の飢餓状態に意識が朦朧とし、そのままテーブルに突っ伏してしまいそうになる。
———しかし、そんな私を、放ってはおけない、包み込むような温もりに満ち溢れた心優しい男性がいる。そう、それは私の、とっても頼りになる素敵なカストル兄様。顔面蒼白放心状態の私を見たカストル兄様は、すべてを察したという顔つきで、ジークの方へ向き直ると、力強い口調で切り出した。
「ジーク王子、これは———」
そう、そうよカストル兄様!ジークに一言いってやって!食事が少なすぎるって!こんなもんじゃ足りないって!!!
「———これはお気遣いをいただき、ありがとうございます。カトリアーナも喜んでいるようです。」
・・・カストル兄様は時々空気を読めない。どこをどう見たら私が喜んでいると思えるのか。私が大食いだって、カストル兄様も知ってるハズでしょ!バカ!カストル兄様のバカバカバカ!!!間抜け!役立たず!スカプラチンキ!!!うえーん!王家の食事!とっても豪華な王家の食事!楽しみにしてたのにいいいぃぃぃぃぃ!!!
悲嘆に暮れる私。
私を悲しみのどん底に突き落としたカストル兄様の言葉を受けて、ジークは口元に笑みを湛えたまま軽く頷いたが、そのとき、ふと何か大事なことを思い出したかのような顔をして言った。
「そうそう、カトリアーナ嬢のために、特別に用意させておいたものがあります。」
そして、ジークは両手を叩いて執事を呼ぶ。
「セバスチャン、例のものを。」
———なに?私のため?もしかして私だけの特別メニュー?・・・な~んだ、そういうのがあるなら最初から言って。勿体付けるんじゃないわよ。でも誤解しないで。私、食べ物に釣られるほどチョロい女じゃないから。だけど、私のために特別に用意したなら、仕方がないから味見くらいはしてあげなくもないわ。いいからさっさと出しなさいな。(←チョロい)
やがて、執事のセバスチャンがやってきた。
「お待たせいたしました。こちらをどうぞ。」
王子が特別に用意させたと言うモノが、静かに私の前に置かれる。私は、じっとそれを見つめる。私は当然、自分の顔を自分で見ることはできないが、きっと私の目は点になっているに違いない。私の目の前に置かれた物体は、2本の木の棒切れだった。ジークがまたしても、してやったりといった表情で、私に告げる。
「あなたが普段からそれをお使いだと聞いて。」
・・・箸である。
そう。私は前世の記憶に目覚めて以来、ナイフとフォークを使ったいかにも貴族っぽいテーブルマナーがどうにも窮屈でしっくりこなくなり、前世で使い慣れた箸で食事をするようになった。もちろん母上(ヴィトン伯爵夫人)は仰天から卒倒、そして逆上といういつもの三連コンボである。一応、箸の三大効用として、「指先が器用になる」「脳が発達する」「ハエがとれる」という説明はしたのだが、「淑女には必要ございません」とピシャリであった。まぁ、そりゃそうよね。そしてやはり、妙な道具のことを私に吹き込んだという容疑をかけられ、エリザベスは拷問を受けたらしい。その時、オークを使ったのかどうかは私は知らない。怖いから聞いてない。と、そんな感じでまたしても前世の記憶に目覚めた私の思想信条を巡って一悶着があったのだが、ここでもカストル兄様や、パパ上(ヴィトン伯爵)をはじめ、屋敷にいる色々な人たちの口添えのおかげで、家族だけでいるときは、箸を使って食事をしてもいい、ということになった。なんだか、今までの自分の身の回りに起きたことを色々思い出してみると、私って人に助けられてばっかりね。自分の力で運命を切り開くみたいな偉そうなこと言ってるけど、実際はその程度。助けてもらえるのはありがたいけど、イキってる割に一人では何もできていない自分が少し情けなくもある。
さて、それはさておき、2本の棒切れを目の前にして、私は自身が今置かれている状況を整理する。限界を超えた空腹。しかし期待に反してごく少量の昼食。与えられたものは2本の棒切れ。
そこにあるのは、深い喪失感、底知れぬ悲しみ。そして果てしない絶望。
・・・しかし、まだ希望は潰えていない。
この昼食会の真の目的は、私とジークの心の距離の遠さをアピールすることだった。(←忘れてた)覚えてたわよ!空腹のせいで、食べ物に気を取られてたってだけ!!!
こうなったらやるしかないわ。王家御用達の豪華な食事を思う存分心ゆくまで味わうという憧れていた夢が脆くも崩れ去った今、私に残されているのは、悪役令嬢として運命付けられている断罪追放エンドを逃れるために全力を尽くすことだけ。
あ、でもこの食事もちゃんと食べよっと。パンも果物もお野菜も、やっぱ王家の人たちが普段食べているものらしく、割と高級っぽくて美味しそうではあるし。
そんなわけで、ついに、当初の目的に目覚めた私は(←遅いな)、五感を研ぎ澄ませ、戦場へと注意を張り巡らせる。戦いの場となるこの昼食会場は広さにして100平方メートル強だろうか、この城の中では小さい部屋の部類に入るらしいが、それでも3人で食事をとるには広すぎるくらいに広い。しかし、部屋の雰囲気自体は、この城の内装のあちらこちらに見える重厚な豪華絢爛さではなく、かと言って、枯れた侘び寂びを感じさせるでもない、あくまでも貴人のための設えでありつつ、上品な爽やかさを醸し出したものになっている。群青色の肉厚の生地を金色の刺繍で縁取った絨毯が敷き広げられた床、それと対照的に壁から天井は、滑るように艶やかな純白の大理石で覆われ、窓から差し込む昼光と、吊るされた巨大なシャンデリアの灯りに照らされて、濡れたような反射光を放っている。部屋の南側は、全面に大きなガラス窓が取り付けられており、その外には手入れの行き届いた中庭の庭園が広がる。その窓から十分に取り入れられた外の灯りに程よく照らされ、一番奥まった場所の壁に取り付けられた巨大な暖炉のそば、一つだけ置かれた大きな丸テーブルを取り囲む椅子に、私とカストル兄様、ジークの3人は腰掛けている。窓の反対側の壁際には、執事のセバスチャンをはじめ給仕たちが直立不動で居並ぶ。ヴィトン家のメイド達や護衛は、この部屋の中には入れない。我が家のメイドたちはなにぶん、この城での勝手をしらないのだから止むを得ないところだが、この部屋がジークの手下達で占められているということは不安要素の一つではある。とは言っても私たちに何かあれば、妙に攻撃力の高いセーラが得物をもって駆けつけるだろう。何より、私にはカストル兄様がついている。空気読めないけど。(←根に持ってる)当たり前でしょ。食べ物絡みの怨念は末代まで祟るのよ。私とカストル兄様、ジークの位置関係は説明済みだからもういいわね。忘れた?すでに2万字くらい前の話だもんね・・・。
8時だョ!
さ、これで思い出したでしょ。次いってみよぉ。
ブォーーーー
パッパッパッパンパカパッパッパンパカパッパッパンパカパンッ
パッパラッパパッパー...
場面は変わりません。
さて、この戦場で、私は最大の目的である「私とジークの心の距離の遠さをアピールする」というミッションを遂行しなければならない。作戦はこうだ。ジークと私の間に相対的な距離を形成するため、私は先ずカストル兄様に近づき、そのすぐ隣に陣取る。これが第一段階。そこでカストル兄様に密着密接しつつ、親密濃密な雰囲気で誰にも邪魔されない二人だけの世界、すなわち『イチャラブ結界』を発生させる。これが第二段階。私たちが生成した強力なイチャラブ結界は、余人の侵入を阻み、ジークたりとも私たちの間に割り込むことはできないだろう。その様子を、ジークの配下たちが目の当たりにすることで、私が強度のブラコンであり、ジークと心を通わせることなど、金輪際、未来永劫、フォーエバー、一切無い、という事実が強く印象付けられる。これが第三段階。この情報はやがて、ジークの背後にいる王家の人々にも伝わるはず。私が強度のブラコンであるということが知れれば、王家の側もこの婚約の話は無かったことにしたいと思うかもしれない、ということは以前に話したとおり。
以上が今回の作戦の全容。名付けて、”ブラコン作戦”!・・・そのまんまだろって?いや、一応”ブラコン”と”ルビコン”をかけたつもりなんだけど。河を渡る方じゃなくて、コロニーに侵入する方ね。だけどそっちは失敗したんだっけ。なんだか縁起悪いわ。嘘だと言ってよ!私、ポケ戦は認めるけど、0083は認めません。
そんなわけで、作戦開始。
椅子に腰掛けた私は、そのままの姿勢で、絨毯に覆われた床を掴むように足を踏み締める。両足に力をいれて踏ん張ると、やっぱりアレよね。アレを歌いたくなってくる。大地を掴む両脚と、闘志を繋ぐ両腕に、いーのちをかけーたこの一打!これって、水木のアニキの歌のなかでも屈指の名曲よね。出だしの力を溜め込むイメージから、転調から力を解き放ち、高らかに勝利のフィナーレを歌い上げる表現力!本当に不世出の大歌手だったわ。アニキのアニソンってほんと元気になる。なんか私も闘志が漲ってきた感じ。ワイはカトリアーナや。悪役令嬢カトリアーナや!(←語呂悪いな)るっさいわねぇ。せっかく気分盛り上げてるのに水差さないでよ。ところで、水木のアニキにはすごく申し訳ないんだけど、私、2番の歌詞だけは少し失敗じゃないかな、と思ってるの。だって、ゴルフやってて「勝負をかけたこの一打」で、「白いボールよ星となれ」ってどうなの。そこを聴くと、どうしても、空の彼方に向かって吹っ飛んでいって最後にキラッって光る、アニメのギャグでありがちな映像が思い浮かんじゃう。でもこれ作詞、藤子先生なのよね・・・まぁ、この一言だけで歌としての価値が毀損されるわけじゃないから。(←日和った)日和ってないわよ!実際、屈指の名曲だって言ってるでしょ!!!それに、「聴けばその映像が思い浮かぶ歌」って、そうそうあるもんじゃないのよ。歌詞と曲が情景を想起させるほどにドラマチックであるが故に、聴く者の脳裏にその映像が思い描かれるわけであって、それはその作品が詩としても楽曲としても卓越してることなの。だけど、惜しむらくは、そこまでがあまりにもドラマチックであるが故に、「白いボールよ星となれ」のワンフレーズが、脳裏に浮かび上がった映像と共に「あぁ・・・OBだったんだ」と思わせてしまうのが、少し残念だなってことなの。「残念」っていうのは、近頃よく耳にするイヤな使い方で「残念な人」みたく他人を貶めるような意味じゃなくて、「期待とは違っていた」という本来の意味なので、そこんところもちゃんと読み取ってよね。たったワンフレーズの違和感だけで「残念」と言ってしまうことは表現として不適切かもしれないけど、逆に「こういうミスのあるところが面白い」とか言ってしまうと、それはそれで作ってる人をバカにしてる感じがするから、私は敢えて「残念である」と言ってます。それに、何度でも言うけど、1番の歌詞は疑いもなく素晴らしいし、2番の歌詞のそのワンフレーズを私だけがほんのチョッピリ気にしてるってだけで、他の人は別になんとも思ってないってことは、それはつまり、そんな細かいところが気にならないほど、歌全体に力と勢いがあるってことの証左でもあるのよ。(←ウマいな)でしょ?私は全体を評価した上で、そのうち一部に齟齬を感じる点があり、それが全体との比較においてバランスを欠いてしまう結果を生じることになってしまっているように感じられるので、少し気になるって言ってるだけだもの。でもまぁ正直言えば、「星となれ」は最後のサビのリフレインに入る前の一番盛り上がるところなので割とクリティカルなミスなんじゃないかな、と思うところもあって、笑うことも無視することもできなくて困惑してる、というのが本当のところなんだけど。とは言え、全体の評価をすっとばして、一部分だけ切り取って言い捨てて、それを笑いものにしてるわけじゃないし、そういうのは私が言ってる「無粋なツッコミ」ってやつです。以上!
さ、ウマくまとめたところで、話を先に進めるわよ。私は一刻も早く、カストル兄様のそばに行かなきゃいけないの!
とにかく、私は両膝に力を込め、自分の身体を椅子ごと、カストル兄様の方へ向け、引きずって位置をずらすようにグッ!と力を入れて動かしはじめた。その瞬間、壁際で控えている執事と給仕たちの方からざわめくような声が聞こえたが、私は構うことなく、そのまま椅子を身体ごと横方向へと動かしていく。チラリと給仕たちの方に目をやってみると、彼らは皆一様に驚きの表情を浮かべている。そりゃそうでしょうね。この椅子、無駄に豪華で色々な飾りがついてるから、すごく重いのよ。200kgくらいはあるんじゃないかしら。多分コンダラより重い。床に敷かれたフカフカの分厚い絨毯が摩擦を和らげてくれているけど、私はこの重量物を、座ったまま、腕を使わず足だけで、さらに、伯爵令嬢らしい可愛らしく可憐で優雅な居ずまいを保ちつつ、カストル兄様の方に向かって動かしている。並の人間なら動かすどころか、傾けることすら容易ではないだろう。だが私は、転生者として目覚めてから、異世界で生き抜くため、内面の涵養に努めるだけではなく、肉体の鍛錬も怠らなかった。闇の魔法を使えないなら、フィジカルで勝負!この時のために鍛え抜いた両足の内転筋と外転筋を駆使して、さらに椅子が体から離れないよう腰をしっかりと落としつつ臀部を座面に張り付かせ、私は巨大な椅子と一体となり、テーブルの縁に沿って円弧を描くように移動する。ズズズズズ・・・ズズズズズズズ・・・ズズズズズ・・・椅子の足が絨毯をすりつぶすかのような、重く低い音を上げる。執事・給仕たちの顔つきがこわばり、みるみる青ざめていく。彼らは普段から仕事でこの椅子を運んでいるから、その重さを知っているのだろう。控えめに言ってドン引きといった表情だ。しかし今の私は、そんなことを気にしてはいられない。そして幸い、カストル兄様とジークはこのことに気付いていない。あまり言いたくはないが、なんだかんだ言っても二人は貴族育ちであり、この椅子を運ぶ側ではなく、運んでもらう、動かしてもらう側の人間だ。だから私が動かすこの椅子の重さを彼らは知らないし、貴族が座るこの重い椅子を運ぶ人々の苦痛も知りはしない。それが、表面上は美しく彩られた封建社会の実質部分にある現実であり真実なのだ。
優雅に浮かぶ白鳥は、その水面下では激しく両足を動かしているという。その白鳥たるべく、僕は君を打つ!じゃなくて、私は優雅かつ優美そして可憐な姿を保ったまま、テーブルの下では鍛え抜かれた足腰の筋肉を力強く収縮させ、少しずつカストル兄様へとにじり寄っていく。時計で例えれば8時の位置にいた私は、もう「8時だョ!」などと小ネタを挟む余裕もなく、無我夢中で二の足を右へ左へと往復させながら、7時の位置へ、そして6時、5時・・・と短い針のような緩慢さで移動し、やがて4時の位置にいるカストル兄様のちょうど左隣へと辿り着いた。
ハァハァ・・・少し息が切れてしまった。空腹でエネルギー切れ寸前ということもあり、さすがの私もこれは大仕事だったわ。しかしこれで勝負のための準備が整った。戦いはまず、有利な位置を確保することが肝心。私は作戦通り、ジークから遠く距離をとりつつ、カストル兄様に密接するという絶好のポジションを獲得した。
「おや、カトリアーナどうしました?」
突如隣に出現した私を見て、少し驚いたような表情を見せるカストル兄様。私は得意の上目遣いで兄様を見つめながら答える。
「せっかくですもの。兄様のそばでご一緒したくて。」
そんな私の言葉に、カストル兄様はいつもの爽やかな笑顔を浮かべて言った。
「そうですか。では、一緒にいただきましょう。」
そう、これ。このスマートで自然な感じ。やっぱり素敵ねカストル兄様。さっきの空気読まないムーブは許してあげちゃう❤️
カストル兄様の隣に陣取るという、作戦の第一段階は完了した。作戦を次の段階へと移すべく、私は、ジークが私のために用意したという、私用の特別な箸をとろうと手を伸ばす・・・が、そこで、はたと気づいた。椅子とともに移動してきたとき、元いたところに箸を置いてきてしまったのだ。
しまったぁぁぁ。
あれがなければ、食事ができない。ナイフとフォークでもいいんだけど、ここはやはり箸でいきたい。何よりあれは、このブラコン作戦の重要な役割を担う必須アイテム。しかし、その必須アイテムは巨大なテーブル上の中心角度120度のはるか遠く、もはや私の手の届かない場所にある。ここで給仕を呼んで持って来させるというのは、私の流儀に反する。自身の不始末は、自分でできる限り、自分自身の手で始末する。それが私のやり方だ。止むを得ない。私は、次は逆方向へと椅子と共に移動するため、再び両足に力を込めた。
そのとき、壁際で控えていた執事のセバスチャンが、私の様子に気付いた。
「お嬢様、私共が・・・」
例の少し掠れた低音イケオジボイスで申し出るセバスチャン。持ってきてくれるってことかしら。さすが王家の執事をやっているだけあって気が利いてるわ。空気読まないカストル兄様とは大違いね。(←まだ根に持ってる)「許す」と「忘れる」は違うの。当たり前でしょ?
さて、セバスチャンは置き忘れてきた箸を取ってくれると申し出ているようだが、そんな彼に、私はニコリと令嬢スマイルを返して告げる。
「ありがとう、だけど大丈夫です。」
・・・断ってしまった。前世でガチの平民だった私は、つい要所要所で小市民の貧乏性が顔を出す。曲がりなりにも伯爵令嬢なのだから周囲にやってもらって当たり前のはずなのだが、世話を焼いてもらうと、なんか悪いな、と思ってしまうのだ。くぅ~っ、自分のこういう性格が恨めしい。とはいえ、言ってしまったものは仕方がない。私は覚悟を決めて、筋繊維を収縮させるために必要な酸素を取り入れるべく、また、それを周囲に悟られないよう、小さく静かに深呼吸をすると、もう一度、椅子と共にカストル兄様から遠ざかる方向、私の元いた位置を目指して移動を開始した。ズズズズズズズ・・・怪しまれないよう、先ほどよりも素早く動かなければならない。筋肉にかかる負荷はとうに限界を超えている。ズズズズズズズ・・・先ほどにもまして素早い私の動きを見た給仕達が静かにどよめく。もはやドン引きの域を超え、興奮と感動すら覚えているようだ。彼らが私に向ける眼差しは驚愕と尊崇の輝きを帯びている。そんな彼らの視線を浴びながら、私は元の8時の位置に戻り、その場に捨て置かれていた2本の棒切れを手に取ると、もう一度カストル兄様の隣へ向かって椅子を動かす・・・ズズズ・・・・・・ズズズ・・・既に悪役令嬢の雅な所作を演出するための、五七五七七のビートを刻むゆとりすらなく、私はひたすら必死に、もがくように両足を交互に動かす。そして、ついに私は、与えられた唯一の武器である箸を携え、なんとか再びカストル兄様の隣へとたどり着いた。
ゼェゼェ・・・さすがにキツかった。息が上がるだけじゃなくて、足もパンパンだわ。明日は筋肉痛で苦しむ覚悟をしておかなきゃ。そのとき私はふと思った。席を立って取りに行けば良かったんじゃね?
さぁ、気を取り直して次の段階に移るわよ(←涙目)。次は、カストル兄様と私のイチャラブ結界をつくるの!そのための武器はすでに私の手元にある。ジークは私に一泡吹かせたつもりかもしれないけど、彼は一つ重大な失敗を犯している。何を隠そう、彼は私に最も危険な武器を与えてしまった。今からそれに気付かせてあげるわ。
私はテーブルの上に並べられた料理を見渡す。ディナーばりのゴージャスさを予想していたこともあり、少々期待はずれではあったことは確かだが、このランチ、パンも野菜もスープもそのほかのサイドディッシュも、一つ一つの量は少ないながらも品数はそれなりに豊富ではあり、そしてどれも美味しそう!ジュルリ。その中のひとつ、ショボくて少なめ・・・じゃなくて上品に盛られたサラダの上に、小さな飾り付けのミニトマトのような野菜が目についた。よし、アレだ。私は料理から目を離すと、右隣に座るカストル兄様の方へと振り向き、もはやメインアームズとなった感のある上目遣いの視線を送る。
「兄様、私が食べさせてあげますわ。」
と、私は言いつつ、私用にジークが作らせたという箸をシャキーン!と左手にとると、その箸先でミニトマトを摘んだ。私は右利きである。しかし、この技を使うときは、左手で箸を持つ。そもそも、両手で剣を持つときも柄頭を握る左手の力が重要なのだから、左手で箸を持つことなど訳もない。なにより、この左手がものを言う技がある。それは、間合いの遠い敵を一気に貫く左片手一本付きだ。わたしはその左片手一本付きの構えの要領で、左手に持った箸を水平に構え、右手を軽く添える。そして深く腰を落として、力を溜め込み、裂帛の気合とともに標的へと箸先を打ち出した。
「はい、あーん❤️」
限界まで蓄えた力を込められた箸先は、強弓から放たれた矢の如く空気を切り裂き、ミニトマトはゆっくりとカストル兄様の口の中へと取り込まれていく・・・パクリ。
刀身を寝かせて構える左片手一本突きは、平刺突とも言われる。私はこの平刺突を極限まで鍛え、絶対の必殺技として昇華させた。名付けて『箸突』!(※注:突きません)
「———おいしい?」
またしても上目遣いで問いかける私に、カストル兄様は口をモグモグさせてゴクリと飲み込むと、満面の笑みを湛えて言った。
「うん、おいしいよ、カトリアーナ。」
クリティカルヒット。んん~ん、私あざとい!だけど、カストル兄様とこうしてる時って、ほんとに幸せ。はっきり言って、ジークなんかよりもカストル兄様の方が断然私のタイプ。ジーク同様、ちょっと美形過ぎるのが難点だけど、子供の頃からずっと同じ屋敷で暮らしてるおかげでもう慣れちゃったから問題なし。私とカストル兄様が結ばれるルートがあるなら、そっちに入って欲しいくらいの気持ちはある。だけど、残念ながら兄妹なのよね。クドいようだけど、こっちの世界には「兄妹の恋愛」という概念がないから、私がカストル兄様と結ばれるルートに入ることは絶対にない。正直いえば、私個人としては、カストル兄様に対する憧れというか、血が繋がってなかったら、みたいなのはあるんだけど、それと同時に、血の繋がりがあって兄妹であるからには、そういうのは許されないなっていう倫理的に超えちゃいけない一線も確実にあるの。常識的一般人の感覚として、異世界だろうが前世だろうが、兄と妹でそういうのは絶対にありえないでしょ。兄が妹に手をだすエロゲーとか、その発想が普通にキモい。
まぁエロゲーに限らず、古今東西の近親相姦ものって、その発想のキモさは単にスタート地点であって、ドラマの核になるのは行為の背徳性に起因する倫理観との葛藤なわけだから、一つの作品として見れば、一概に無しとは言い切れないんだけどね。でも、オタクの好きな妹系ジャンルって、近親相姦系ドラマの核であるはずの「背徳と倫理の葛藤」という精神的ハードルを割とあっさり飛び越えて速攻おちんぽ挿入しといて、そのくせ「泣ける~」とかやっちゃうの、ほんとマジで謎だわ。「いやいや、そこで泣く前に人としてもっと考えることあるだろ」って思っちゃう。まぁエロ作品の範疇で評価する限りはその程度で十分って言えばそうなんだろうけどさ。え?これって私の嫌いな「創作物に対する無粋なツッコミ」じゃないのかって?いや、違うでしょ。さっき言った通り、”エロ作品の範疇で評価する限り”においては、私は別になんとも思わないのよ。そのストーリーやドラマが、主眼であるエロに持ち込むための手段に過ぎないのなら、あくまでもメインはエロであって、ストーリーやドラマについて必要以上の批判を向けるべきではない。極端に言えば、エロに注力するなら、ストーリーやドラマにリアリティなんてなくてもいいし、論理的に破綻してても構わない。その上で、主題のエロを引き立てる要素として、感動できるドラマや練り込まれたストーリーがあるというなら、エロゲーなのに感動できる要素もある、と率直に評価すべきだとは思う。だけど、そのドラマやストーリーが『エロのための手段』を超えて『一般向けでも通用するだけの普遍的な感動と感銘を与えるものである』と主張するのなら、そのドラマ性にせよストーリー性にせよ、リアリティや論理的一貫性の面においても、「エロの手段から切り離されたドラマ・ストーリーとして質が高いと言えるか」という視点から検討を加えられて然るべきでしょ?エロゲーだからという理由で下げたハードルのそのままで評価する必要は全くない。むしろ、「エロゲー発」という理由だけで、低質なドラマやストーリーが幅を利かせて、一般人の認識可能なところまで侵食してくるなら、「エロゲー発」のものに対しては厳しい姿勢で臨むべきだと私は思う。あ、字面で思ったんだけど「エロゲー発」は「えろげいっぱつ」じゃなくて「えろげえはつ」だからね。なんにせよ、オタクはエロゲーに甘すぎなの。逆に私はオタクじゃないからエロゲーに甘くする必要は全くない。エロの範疇に収まっている限りは必要以上に厳しく見る理由もないけど、エロの枠から出てくるなら、一般向け作品と同じ基準で評価するのがフェアってもんでしょ?
まぁでも、前からずっと思ってたんだけど、エロの範疇に収まってる分にはそれで良かったのに、いつの頃からか、エロゲーとその関連物が「泣ける」とか「感動する」とか「スゴイ」とかみたいな話になってきて、一般向けに輸出されるようになっちゃったのは、ホントなんだかねって感じ。私はほぼエアプだし、今さら敢えてエロゲーなんてやる気もないし、異世界に来ちゃったからやろうと思ってもできないけど、知り得る限りの範囲で言えば、実際、一瞬は唸らせるようなモノもあることは認めるけど、なんというか「発想止まり」っていう評価がいいとこだと思う。エロゲーからの流入よりもかなり前の、80年代あたりに18禁エロ漫画から流入してきた作品群と重ね合わせて評価する人もいるけど、それとは何かが違うのよ。80年代~90年代前半あたりまでのエロ源流作品の一群は、荒削りであったことは確かだけど、その荒削りさを補って余りある、許されざる者の抑圧に対する鬱屈のエネルギーみたいなものがあった。だけど、エロゲー発のものって、特に2000年代あたりになると特定集団の内側だけで許された者の野放図な夜郎自大さが目立つ感じ。昔の作品にはあったはずの、エロから出てきた作家がエロという偏見と垣根を超えて作品を世に問う、というニュアンスは微塵も感じられなくて、18禁を足がかりにエロで釣ってオタクの仲間内でチヤホヤされることを志向してるような空気感。目を惹く斬新なアイデアは全く無いわけではないけど、それは作品内の一設定として消費されるのみで、ドラマに生かされるわけでもなく、その肝心のドラマは唐突かつ単発的なシチュエーションと演出で粉飾された安っぽい感動話で終わる。例えるなら、サビだけしか聴きどころのない、そのサビも何回か聴くとすぐ飽きる粗製濫造じぇいぽっぴーみたい。1個の作品全体として見ると、そんなに言うほど?っていうのが、私の率直な感想。だけどある時期、所謂一般向け作品が爛熟期を過ぎて色々と行き詰まり気味になってた時分にエロゲー界隈が妙に持ち上げられるようになったのって、それだけ一般向けで才能が払底してたってことなのかしらね。そこんところは私は業界人でもオタクでもないから、よくわかんないけど。とにかく、ある時期から、特にアニメやイラスト界隈がそうだと思うけど、エロゲー的なものが流入してきて、一般向けのものを作る側の人たちも、それを積極的に取り入れるようになった。ストーリーが一点突破の単発演出に依存するようになったのは、まぁこれはエロゲーの影響だけではないかもしれないけど、それ以外でやっぱり一番大きい影響を受けてるのは絵柄。現在の”アニメ絵”の起源がどこにあるかっていう問題も絡んできて複雑だし、私はオタクじゃないから深くは立ち入らないけど、少なくとも現状としては、アニメにしろ漫画にしろゲームにしろ、大体のキャラクター(特に女性キャラ)は直接的・間接的にエロゲーの影響下にあって、それを造形する人たちも手癖にエロが染み付いてしまっているように見える。作る側がエロゲー的なものを手癖で出すと、それを受け取る側も段々と手癖のエロに慣らされる。そうやって、作る方も受け取る方もなんとなくエロが普通になって、エロをエロと感じなくなり、知らない間に「常識ある一般的で普通の人であり、かつ、普段アニメを見ない・ゲームをやらない大多数の人たち」とエロに対する感覚が乖離しちゃうのね。もとから優劣とは別に、オタクと一般人は感覚が少し違うところがあるのかも知れないけど、その違いが「そこにある絵をエロいと感じるかどうか」という感覚的な閾値の差として現れ乖離していく。さらに面倒なことに、そこにある単なるエロを「フェチ」とか「性癖」とか言って、それが人間の本質を表現してると勘違いする連中がでてきた。まぁ、大体はインテリ高学歴クンか、そのインテリにかぶれたインテリ風味のオタク。偏差値で輪切りにされた狭い世界で人間ってものをロクすっぽ見ることもせずに学校や塾でテストに出るお勉強しかしてない高学歴サマが、中途半端にアニメとゲームを齧って、「こんなにアタマがイイのにサブカル方面にも造詣が深いボクちゃん」を気取って、ただのエロ表現でしかないものを薄っぺらい人間観とアカデミックで補強しちゃったわけ。そりゃオタクは大喜びよ。オタクって無駄に知識を身につけてるから、自分のことを頭がいいと思ってて、基本プライド高いのよね。自己認識がそういう「ホントは頭がいいボクたち」だから、インテリ様がオタクの目線に降りてきたら、「ホントに頭のいいエライ人に認められた!」と思って、勝手にシンパシー感じちゃう。インテリにしてみりゃ「オタクのレベルに降りてやってる」くらいのもんで、ハッキリ言って馬鹿にしてるんだけど。所詮オタクも、カネと地位と学歴と権威に弱い『日本人』に過ぎないから、インテリ様にオツムナデナデしてもらえたら無邪気に喜んじゃうのよね。ダサ。それはさておき、基本的に「作る側」の人たちは、「常識ある一般的普通人」の方を見てなくて商売相手のオタクの方を向いてるから、そこにあるオタクと一般人の「エロに対する許容度の乖離」を考慮できない。だから、「作らせる側」の商業的要請に従って「手癖のエロ」を無神経に出しちゃう。それはある意味仕方ない。仕事だもの。だけど、この「手癖のエロ」を提供する範囲も、アニメ・ゲームを好む層とその周辺に限っておけばよかったものを、何をトチ狂ったのか「常識ある一般的普通人」の目につくところに出しちゃった。「常識ある一般的普通人」はそういうのに眉を顰めるものだってわかりそうなものなんだけど、そこをガン無視しちゃったのよね。日本の「常識ある一般的普通人」って、そういうモノにたいして不快感を覚えた時、ちょっと嫌な顔をするかもしれないけど、基本は見て見ないふり、文句を言う人は少ない。よく言えば我慢強い、悪く言えば事なかれ主義。そう言うと、大体は後者の「事なかれ主義」にフォーカスして、声を上げない者が悪い!と画一的に決めつけがちだけど、普通の人は「ここからここまではエロいけど、ここから先はエロとは言えない。エロいかエロくないかの境界線はここだ。」みたいな話はしたくないのよ。当たり前でしょ。そこはみんな「そのくらい普通はわかるよなぁ」という、暗黙の了解にしたがって日常を送ってる。「胸を隠す布は、乳輪の外郭から1.5cm以上離れた部位までは覆うものとし、それ未満の大きさの布を用いたものは猥褻とみなす」みたいなことを話し合って決めることに、普通は時間を使いたくないの。普通の人はみんなエロとは無関係の普通の生活がある。オタクみたいに手癖に出るレベルでエロに囲まれて生きてるわけじゃない。オタクのエロ垂れ流しに何も言わないのは、それを許してるわけじゃなく、エロとは無関係の普通の生活のための時間を大事にしてるから。オタクとオタク業界はそこに付け込んだわけね。現時点で自分たちのやってきたことを正しく認識できているオタクはほとんどいないけど、というか自分たちが一方的に抑圧された被害者と思ってるからこんなこと思いもしないだろうけど、「文句を言わないってことはイイってことだろ?」っていう、小学生のいじめっ子が使うような理屈を、オタクの側が配慮なく使ってしまったということなの。「自主規制は良くない」みたいな言い分で正当性を主張するオタクもいたけど、それは要するに、自浄作用を自分たちで放棄したってこと。そうなっちゃうと、もうブレーキはかからなくなるわね。かくして半乳パンチラ腰クネポーズの美少女キャラが巷に氾濫することとなりました。駅の構内にバニーガールのイラストポスターみたいなのもあったわね。なんかもう本当、完全にタガが外れた感じがある。ああいうのを公衆の目につく場所に出す時、「これはちょっと良くないかな」と自発的に思えない人は良心と良識とそれらを下支えする理性が欠落してると評価せざるを得ない、と前世の私はぼんやり思ってたけど、異世界に転生してからの私は明確にそう思ってます。
まぁだけど、これだけだったら単純に「キモいオタクの良心と良識の問題」に過ぎなかった。ところが話はそこではおさまらない、てか、本当の悲劇はここから。こういったキモいオタクのエロ垂れ流しに対して眉を顰める「常識ある一般的普通人」の心情を代弁するフリをして、これらを「女性差別」と結びつけて騒ぎ立てる集団が出現。この人たちがまた困ったことに、単純に「常識」と「良識」の問題でしかないものを、「差別」や「人権」の問題とすりかえて、最大限好意的に解釈しても破綻してるとしか思えない論理構成で騒ぎ立てる、かなり難儀な人たちだった。まぁ、女性キャラのエロティシズムを強調した描かれ方やその展示方法について、男性優位社会で相対的弱者であった女性に対する歴史的・文化的な差別が遠因として存在するであろうことを全面的に否定することはできないけど、それを、「絵柄上のエロ表現を公序良俗の観点からどこまで許容すべきか」という問題と直接的に結びつけるには、割と無理があったのよね。一般にコンセンサスを得られている社会学的な知見に基づいた根拠もなく、ただ安直に個人の感受性と性差別問題を結びつけるだけでは、行き過ぎた主張と受け取られて当然で、実際それらは無理筋の難癖でしかなかった。
こういった無理筋の嫌がらせとも言える難癖が目立ちはじめると、それらの論争に対して客観的立ち位置にある「常識ある一般的普通人」も、キモいオタクの野放図なエロ散布行為を批判する気が失せてくる。もともと、エロ垂れ流しに対して良い感情は持ってなかったにせよ、先にも述べたとおり、一般市民の生活の中で必ずしも優先度の高い問題というわけではなかったし、基本は穏健派の事なかれ主義だから、批判の声を上げるにも相当なエネルギーを要する。だから基本、声はあげたくないのに、その上さらに「性差別を盾にして、筋違いの主張をする人々」と同類にされると思ったら、余計に声をあげにくくなるわよね。それどころか反動で、そういった「性差別を盾にして、筋違いの主張をする人々」に対する嫌悪感が高まってしまった結果、女性差別容認、家父長制堅持といった論調に賛同する人まで出てきた。女性差別を容認する人を擁護する気は微塵もないけれど、それとは別に、「性差別を盾にして、筋違いの主張をする人々」が、それまで中立であったり関心のなかった人たちを、女性差別容認派に転向させてしまったことについては、本当に罪深いし、もう取り返しがつかないでしょうね。
ここまででも、かなりウンザリする事案なんだけど、さらに悲劇の連鎖は続くんだな。次は、オタクと一般人のエロに対する許容度の乖離を意図的に無視したキモいオタク連中が、所謂ネット論客と手を組んで、憲法や法律やらを持ち出し、エロ表現を公然陳列展示する行為を正当化しはじめた。といっても所詮ネット論客はネット論客のレベル、キモいオタクはキモいオタクのレベルでしかなくて、法の趣旨や実質を理解せずに形式論だけで理論武装してるから、その主張はどうしようもなく薄っぺらではあったんだけど、薄っぺらい形式論であるだけに、法律を知らない、知る必要もない普通の人には有効だったのね。形式論っていうのは、つまるところ法律の条文として、明文で記載されているかどうか。まぁ、それだけなら、明記されていない範囲については論点としなければいいってだけの話なんだけど、ネット論客とキモいオタクのオツムのマジで謎なところは、何故かその規定を知っている側に、「明記されていない部分」を解釈する権限があるのね。裁判に例えると、ネット論客とキモいオタクの側が、一方当事者と裁判官の役割を両方とも握ってる状態。このルールって論理性の観点からみて筋の通らない稚拙なもので、公平性の観点からしても失当であることは明らかではあるけれど、その一方で、何も知らない人を言いくるめて騙せるっていう点においては非常に賢いとも言える。念の為言っとくと、「賢い」っていうのはイ・ヤ・ミ!はっきり言えば、単に悪辣なだけ。まぁ、そういったネット論客+キモいオタクの悪辣ルールだと、その規定を知っている側がそれを恣意的に解釈して、さも自説が法的に正しいかのように主張することで、議論を有利な方へ誘導できる。法律なんて実際に記述されている内容、とくに上位の法にはかなり幅のある解釈をする余地が残されていて、それを事案に応じて適切と考えられるよう裁量判断するんだけど、キモいオタクやネット論客にそんな”裁量判断”をする権限なんてないし、そもそもそんな能力もない。所詮彼らは、法律上形式的に記述された内容を後付けのプレハブ工法でお勉強して知ってるだけで、基本的な考え方を理解してそれが身に付いてるわけでもないから、どれだけ条文をつまみ食いしても自分に都合よく理屈をつけたオレ様解釈にしかならない。ほんとにお気の毒。だけど、アイツら何故か自信満々なのよね。自信満々のバカってホント強いわ。特に、ネット議論って、その場の雰囲気で「論破した」という形をつくれば、シンパがそれを大声で拡散して「勝った」という全体の空気を作ってくれる。ネット論客がオレ様解釈で定立した謎規範をクソッターみたいなウンコSNSで拡散すれば、あとはファンネルが働いて一丁上がり。見る人が見れば、知ったかのアホがマウントしたポーズを取ってるだけってわかるんだけど、多くの人には、知ったかのアホが相対的に正しく見えてしまう。サクラを使った商売と似たようなもんね。人間が外観から内面を推測することしかできない以上、外観から受ける印象に左右されてしまうのは仕方のないことではあるんだけど、所謂プロパガンダみたいな煽動行為って、常に、人間が本来持っている、そういう弱い部分を利用してくる。だから、誰でも引っかかる可能性はあるし、たとえそれを意識していたとしても引っかからないという保証はない。むしろ、引っかかった後で引き返せるかどうかが重要。引っかかったことについて責任を負うのは当然として、引き返せなかった時の損失の方が大きいんだから、違和感を感じた時点でさっさと離脱するのが正解。とは言え、一回引っかかってしまうと、人間意固地になっちゃうから、自分の中に生まれた違和感を認めることすら難しくなるのが辛いわね。それに、自分のことを論理的と思っている人ほど、違和感っていう漠然としたものに従えないから、より意固地になっちゃう。初めは真っ当なことを言ってた人が、おかしい連中に肩入れしはじめてから、どんどんおかしくなっていくのって、大体このパターン。策士策に溺れるじゃないけど、理論家ほど論理に陥るってところかしら。どんな頭がいい人でも、いや逆に、頭が良い人ほど、自分のことを頭がいいと思っているが故に、そうした自縄自縛に陥って深みに嵌っていくのかもね。「論理的に正しい」っていうのは、前提が間違っていれば、”正しく”間違った結果に辿り着いちゃうってことだもの。こわいこわい。まぁでも「アタマのいい人」って、「自分が間違ってるかも」っていうふうに自身に疑問を抱くようなタイプじゃないからこそ、「アタマのいい人」でいられるわけで、ある意味で当然の帰結ね。日本人のいうところの「頭がいい」っていうのは結局その程度のもの。だって学校のお勉強自体がそうでしょ。あんなものは、あらかじめ答えのある問題を与えられて、その答えを正当化する速さを競うゲームに過ぎないし、そのゲームで高得点をとることにステータスを全振りした偏差値エリートの高学歴サマは、つまるところ自己正当化に長けてるだけなのね。こう言うと、所謂「アタマのいい人」が反論してくるのよ。前に、「ボクたちは学校で答えのない問題に取り組んできました!ナンヤラブツリガクの講義で答えのでない問題を計算して、いや~アレはとても楽しかったなぁ!」みたいな言い方で絡んできた人がいて、さらに「学校のお勉強ができるボクちゃん」を妙に美化する抒情的なポエムも挟んでて心底キモチ悪かったわ。リケーってこんなのばっかり。オエーッ。このリケーのボクちゃんの得意げに言うところの「答えのない問題に取り組みました」なんて、「答えがない」という答えが一旦出ている問題を他者から与えられてるに過ぎないし、そのボクちゃん自身が「さも答えがない問題に取り組んだと思いこんでいる自分を正当化するアタマのいいボクちゃん」であることを自分から白状してるに他ならない。その上、その自白していると言う事実にすら全く気付いてないんだからホントに世話ないわね。多分、言われてもわからない。言われて分かるくらいなら、その前に自分で気付くはずだもの。むしろ、ずっとわからないままでいてほしい。なんにせよ、自分が間違ってる可能性を考慮するってほんと大事だわ。これを個々人の自信の有る無しの問題にすり替えて、自身の無謬主義を正当化する詭弁もまぁまぁありがちだけど、その手の詭弁家は、そういう言説がさらに間違いを生むってことをわかってない。わかってないというより、意図的に、個人の内心の認識を、外部的な事実状態とすり替えて、他者からの抑制を排除する方に誘導しようとしてるのね。そういう自信マンマン正当化クンに限って、割と社会的責任や高度な倫理観を要求される地位や職業に就いてたりするんだから恐ろしいことだわ。まぁ、日本はそういうのがノシあがるシステムで、他ならぬ日本人がその仕組みを選んで許してるんだから仕方ないけど。なぜ日本人がそれを選んでしまうかというと、個人としての自己を持たないが故の他者依存性に起因するのかもしれないけど、それはまた別の機会にしときましょうか。なんにせよ、人間ってどんな人でも常に間違ってる可能性がある。そして悲しいことに、それを内側から担保することは、人間が自らの過ちを予測できない以上、ほぼ不可能と言っていい。だから、自分たちが間違うという前提で、外側から担保するしかない。その、外側から担保する手段の一つが「手続き」ってものだと思うの。それは完全に間違いを防ぐものではないけど、少なくとも一種のブレーキとして機能するから、そのブレーキをあらかじめ持っていること自体が、他者に対する責任とも言えるのね。どれだけ運転が上手でも、ブレーキのない自転車に乗っちゃダメでしょ?その上、ブレーキのない自転車に乗る自分自身を正当化しはじめると、ダメを通り越して害悪。それと同じ。恣意的に解釈した法や、我欲を満たすための権利を声高に主張する人たちに対して抱くべき違和感っていうのは、結局のところ、自身を制御するブレーキとしての「手続き」について真摯な態度と姿勢を示しているかどうかってところで、その人たちの行為が「正しい手続きと言えるか」、その人たちの振る舞いが「誤った手続きを正当化していないか」に着目すれば、その主張が外観上はいかに正義を装ったものであっても、その主張の裏側にある意図を読み取る手掛かりにはなると思う。仮に、その主張内容が正しかったなら、その膾炙させる手段にいかなる方法を用いても正当化されるか?されません。そもそも、その主張を予め十全に正しいとする前提が正しくない。正しい主張が正しい手段で認められるとは限らないし、正しい手段で認められた主張が常に正しいとも言い難い。だけど、誤った手段で認められた主張には必ず誤りがあるものと考えるべき。正しくない手段を用いて認められた主張に正当性は無いの。いやほんとね、権利も差別も自由も法も、適切な目的について、適切な手続きで主張すべきよ。目的と手続きの適切性について誤りがあったとき、事後的に免責される余地はほぼ無いと思うの。重過失みたいなもんね。「重過失」は「フツーに考えればアホでも分かりそうなことなのに、なんで分からなかったの?バカなの?死ぬの?」って意味です。たとえ、その主張の背景に良心があったとしても、それはあくまで主観的な良心。自分でどれだけ良かれと思ってやったところで、手続きが間違っていれば、客観的には悪でしかない。少なくとも何かを主張するなら、その心積りを持っておくべきだと私は思う。正当な手続きを逸脱したなら、それがたとえ良い結果をもたらしたように見えても、逸脱したことについて責任を負うのが筋。四十七士は吉良上野介を討ち取った後、全員が潔く切腹したから英雄となり得たのであって、命を捨てる覚悟の上で仇討ちを決行したからこそ、同情と称賛を受けたんじゃない?罰せられる覚悟があれば、何をやってもいいってわけではないのは当然だけど、手続き的正義を逸脱してでも何かを主張するなら、目的を達したとしても罰せられるという覚悟が必要で、そして事前と事後を問わず、また結果はどうあれ、たとえ同情の声があったとしても、それは厳しく罰せられるべきなの。
だけど、2次元女性キャラをエロいと思うかどうかってだけの話に、権利とか憲法とか持ち出してキーキー騒ぎ立てて精子と経血ぶっかけあってるような人たちって、どっちもそこまでの矜持と覚悟をもって主張してるわけじゃないのね。実体的にも手続的にも、我欲を公共の利益とすり替えて正当化してるに過ぎない。こういう人ばっかりが目立ったら、問題の表層部分だけが一部の人間の我欲を満たすための燃料として消費されて、本質部分は覆い隠されたまま、普通の人はそこから遠ざけられる。ほんと、迷惑な話。正直、日本における女性の人権問題って、現状のプレイヤーを対抗勢力も含めて全員排除しないと、議論自体が正常化しないんじゃないかと思える。正常化されない議論から、より良い結論が得られることは永遠に無い。とは言え、どれだけ間違った人々であっても議論から排除してしまうことは、民主主義の精神に反するし、むしろ、間違った人たちでも参加することを保障されるのが民主主義。まぁまぁ地獄ね。それでも封建国家よりマシだわ。とは言っても、日本って民主的封建主義国家みたいなところがあって、民主主義の悪い部分に封建主義で時間無制限のバフがかかってるもんだから自発的に良くなる要素は全くないけど。そもそも、「正しい手続き」の話にしても、「手続」は権力の恣意を抑制する機能があるから、一般市民に要求する前に、権威権力の側が遵守すべきものなんだけど、日本は権威・権力をもつ者ほど「我欲のために、正しくない手続をとり、責任をとらない」という傾向があって、その上、日本人の大多数は、「権威・権力をもつ者が、我欲のために、正しくない手続をとり、責任をとらない」ということを許してしてしまう。しかし、「権威・権力をもつ者」にだけ、それが許され、権威・権力をもたない者に許されないとする道理はないから、そうなると、権威・権力をもたない大多数の者も、同じく「我欲のために、正しくない手続をとり、責任をとらない」方向へと堰を切ったように流れ始める。その行為が「権威・権力をもつ者」に成り上がる手段となり得るなら、尚更その流れは止められない。魚は頭から腐るの。上がそうだったら、その風潮は当然下の方に漏れ出していく。2次元キャラをめぐる論争に限らず、今の世間で頻繁に目にする、「我欲のために、正しくない方法で自由や権利を主張しながら、それを正当化して責任をとらない人々」の姿は、ある意味、上から腐って下まで腐敗が蔓延した、日本全体の映し絵ってことね。夢も希望もありません☆だけど、その姿こそ、まさに日本って感じだし、日本人にお似合いって気もする。それに、私もう異世界に来ちゃったから関係ないか!勝手にやっててね。反論があれば、乙女ゲーム『没落貴族の令嬢ですが、婚約破棄した第7王子と氷の貴公子と呼ばれる次期公爵がなぜか溺愛してきますっっっTHE GAME』の世界に転生してからどうぞ。勝負は同じ土俵で。それがフェアプレー⚾️まさしくシルバー魂🏰正々堂々と、試合開始!
デッデケデッデケデッデケデケデケデケデン!アクヤクレイジョウ!
え?私の思想的立ち位置?別に何でもいいわよ。私、そういうのを自認して自称すること自体がキライなの。そんなの他者からの評価でしょ。わざわざ自分から名乗るようなものじゃないわ。お好きなように呼んでいただいて結構よ。ラベリングして安心したいんでしょ?どうぞどうぞ、ご自由に。(←誰に言ってんの?)うん、まぁ、そんな人はココまで読んでないか。割とそういうの、振り落としていってる感じあるし、作者が。(←オマエが。)てか、ココまで読んでるあなた、ほんとヒマ人ね。悪いこと言わないから他のコトした方が絶対に有意義よ。人生は短いもの。いつ異世界に転生するか分かったもんじゃないし。
ところで、自認と自称がキライって話のついでに言っときたいんだけど、最近のアニメにしろ漫画にしろ、「ヒーロー」っていう言葉の用法に、私すっごい違和感があるのね。だって、最近のキャラって「ヒーロー」であることを自認して自称して、その上、そのヒーロー自認・自称行為が割と普通のこととして世間に受け入れられてるような雰囲気ない?「ヒーロー」とか「英雄」って、他者からの評価でしょ?周囲から「あいつはヒーローだ」「彼は英雄だ」と言われてはじめてそのひとは「ヒーロー」たり得るわけで、自分で「私はヒーローです」って自称するようなもんじゃないし、ましてや自分で「僕はヒーローだぞ!」って真面目に思い込んで自認してるとか、脳味噌が発酵するの通り越して腐敗しちゃってるのかな?って私は思ってしまう。
私の知り得る範囲内ではそういう”自認的自称ヒーロー”って、単発キャラはともかく、メインキャラとしては鉄人28号FXの金田親子あたりがハシリだと思ってるんだけど、当時のそれはあくまでも「自分でヒーローを名乗る(ヒーロー相応の能力・実力はあるけど)少しアタマがいっちゃってるヤツ」というある種のギャグ的なニュアンスだったはず。なぜそれがギャグとして成立したかというと、ナルシズムに対する素朴な揶揄に加えて、「ヒーロー」とは他者からの評価であり、「私はヒーローである」と思うことは、「私は他者からヒーローと評価されるべき者である」と思うことに他ならず、それはつまり、「カッコつけているけど他人からの評価と自己評価を履き違えている」という一種の間抜けさが面白さの要素としてあったからじゃないかと思うの。似たような例で「美少女」というのがあって、この、他者からの評価という点において「ヒーロー」と類似する呼び名についても、上の鉄人28号FXと同時期にやってた「美少女戦士」とか、ちょっと前の「美少女仮面」に対して、「自分で美少女とか言っちゃう?」みたいな感覚を持つ人は割といたらしい。「私は美しい」だとナルシズムだけど、「私は美少女」だとそこはかとないマヌケ感が醸し出されるの、不思議よね。あ、わたし「美少女戦士」についてはエアプです。あくまで、「美少女戦士」の愛好家にそう言ってる人がいたらしいっていう伝聞なので、証拠価値は低いかもね。なんにしても、この時代あたりは、”ヒーロー”のような「”他者からの評価による美称”を自認して自称する」ということ自体が少し恥ずかしい行為で、それをわざわざやっちゃうからには、そこにはギャグとしての意味合いが少なからず含まれていたはずなの。これが、日本人的価値観である謙譲の美徳に反するからなのかどうかは、そうかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。
風向きが変わったのは、かなり時代は下るけどやっぱりタイバニあたりかしら?あれは設定としてかなりエポックメイキングで、「ヒーロー」という言葉を、社会における地位や肩書きの一種にしちゃったのね。地位・肩書を表す呼称にすぎないから、「僕はヒーローです」「私はヒーローよ❤️」と自称することが、その作品世界における普通の行為になった。とはいえ、やっぱり「ヒーローが地位・肩書の一部になってしまった社会」に対する違和感みたいなものは作品の所々に残されていて、「ヒーロー」とされている者が、地位・肩書ではない、自身の内なる「ヒーロー」像と葛藤する姿がドラマの軸になってたりする。そこでは、外面的に「ヒーロー」である前に、「ヒーローたる者」は内面的にどうあるべきか、ということに重きがおかれていて、それはつまり、自身を主観的に「ヒーロー」とするのではなく、自分自身を客観的に見つめた上で、その客観的に理想とする「ヒーロー」像に自分自身を近づけていく姿が描かれていたのではないかと思う。私が言うところの「他者からヒーローと評価されてヒーロー足りうる」とは少し違っているけど、「ヒーローとは、その内面に対する、または、その行為とその行為を発した内面に対する、客観的評価である」という点については重なっているし、少なくとも「ヒーロー」とは、主観的に「ヒーロー」であることを他者に対して主張するようなものではない、というぼんやりとしたコンセンサスが、そのあたりまではアニメにしろ漫画にしろ、一般的な感覚としてもまだ残っていたように思えるのね。明確な言葉としては存在しなくても、なんとなくみんなそう思ってたはず。だからこそ、「ヒーロー」の意味を、内面ではなく、外面的な地位・肩書として限定した意味合いで用いられている世界設定が驚きをもって受け止められ、それでいながら物語としては内面的なヒーローを主題として綺麗にまとめ上げたから作品として評価された。女性からは「腐」的視点で評価されてる雰囲気あるし、2クール目は割とそっちに振った感じがあるけど、少なくとも1期におけるメインテーマは「人の内側にいるヒーロー」だったように思う。その内面を物語として描くために、対照となる外面としてのヒーローを地位・肩書とした設定は、巧みでありかつ物語の中でも綺麗に昇華されてたんじゃないか、と悪役令嬢の私は思ってます。(←唐突に悪役令嬢アピール)いやまぁ、たまに言っとかないとみんな忘れちゃうかなと思って。それはともかく、やっぱり、タイバニまでは「ヒーロー」は人の内側にあるもので、それを自称して外に向かってアピールすることって、ちょっと普通じゃない振る舞いであると、多くの人には捉えられていたはずなの。
だけど、それまでそこにあった「ヒーロー」のニュアンスをガン無視して、今は完全に「ヒーロー=地位・肩書の一種」になっちゃってる感じがするのね。一番影響力が強かったのはジャンプの漫画のアレだと思うけど、まぁアレについては、私は初手からそういう違和感をもってたので関連情報を極力回避してほぼエアプだから触れません。だけど、アレ以外にも似たような「ヒーロー=地位・肩書きの一種」としているような作品は他にも色々あるし、なんか創作物全般について折に触れて受け取る情報も、昔は「他者からの評価」としての呼称であったものを、「地位・肩書」としての用法で使ってくるから、受け取るこっちとしてはなんか居心地の悪いものを感じることって割とある。微妙なニュアンスを排除して、そこまで単純に分かりやすくしちゃっていいの?って思っちゃう。最近のファンタジー系作品の「勇者」の用法なんかも似てるかも。まぁ、あれはゲームから広がってきた流れもあるから、「ヒーロー」の地位・肩書化とは一緒くたにはできないんだけど、それでも、勇者っていうのはファンタジー世界での「尊称」またはゲームシステム上定義された「クラス」の一つであって、「地位・肩書」とは意味合いが違ってた気がするのね。なんというか、人種・民族よりも下位、地位・肩書きよりも上位くらいの、抽象的な分類群だと私は認識してた。そもそも、「戦士」「魔法使い」「盗賊」はポピュラーだった一方、「勇者」っていう「クラス」を導入してたゲームってそんなに無かったような気がする。やっぱ、ドラクエの影響なのかしら?なんにしても、ゲームに限らず、漫画でもアニメでもそうなんだけど、作中で「勇者」としての役割を割り当てられたキャラに対して、別のキャラが「勇者様」とか呼びかけてると、私はなんか白けてしまうのね。時代劇で町民が武士に「お侍様」っていうのとか、フィリピンパブで「シャチョサン」っていうのとかとは、ちょっと違うのよ。侍も社長も社会的地位または肩書を表す用法で使われる言葉だけど、何度も言うけど「勇者」ってそれと同じ種類の呼称ではないと思うの。まぁ、地位・肩書にしときゃ分かりやすいんだろうけど、誰に分かりやすくしてるかっていうと、その世界に住む人々に分かりやすくしてるんじゃなく、単に読者や視聴者に対して分かりやすくしてるわけで、そうなると「キャラが客の目線を意識している」ように思えて、作り物感しか感じなくなってその世界に没入できなくなる・・・これって、私だけかな。まぁ、そう感じる人が、世界に最低一人はいたわけだけど、今の私は異世界にいるので、もしかすると現時点では前世の世界に一人もいないかも。なんて言って、実はわたしドラクエやったことなくて、ダイ大を少し齧った程度だから、ドラクエ的「勇者」の文脈がよくわかっていなくて、ファンタジー作品全般で用いられている「勇者」という呼称についても、私の理解が誤っている可能性は少なからずある。なので、一応これは前述の「ヒーロー」の類似例としてちょっと無理やり結びつけただけです。本論ではありません。(←本論とは)本論は「ヒーロー」の用法でしょ?違った???まぁでも、実際のところ私にとっての「勇者」は、ファンタジーものの勇者より、どっちかといえばロボットのほうだったりします。ちなみに、私個人の定義する「勇者」の範囲は、エクスカイザーからゴルドランまで。ダグオンは勇者になりきれなかった感じ。せっかくジブリでやってた望月監督引っ張ってきたのに、なんか勿体なかった。他にやり方なかったのかなって思う。勇者の絵を支えてきたオグロさんの最終作でもあるから、勇者に入れたい気持ちもあるんだけど、やっぱ、なんかテイストとして、それまでと別物になっちゃった感じがあるのね。まぁそれを言うと、高松監督が最初にやったマイトガインも、その前の3作とはかなりテイストは違うから、ここが一つの境界線ともなり得るわけで、テイストの違いを認定基準とするにあたって矛盾を生じてしまうんだけど。とは言え、エクスカイザーの問題提起に対して一つの答えを出したという意味では、高松監督の2作目のジェイデッカーが一つの区切りになったとも言えるわけで、その観点からは、エクスカイザーからのテーマ性を引き継いだジェイデッカーまでの5作と、1シリーズでテーマを完結するパッケージとして新しく立ち上げたゴルドラン以降、と捉えることもできて、実は私としては本当はそっちを主張したいところではある。ただ、それだと分かりにくいっていうか、作品のもつ意味合いの境界とする基準があくまでも私の主観に過ぎなくて、客観性を欠くのね。それに谷田部監督が3本続けて作った形を引き継いで、高松監督も3作をかけて新しい勇者の形を作ったと感じられるところもあるし、そう考えれば谷田部三部作と高松三部作までっていうのがキリがいいと思うの。程度問題ではあるけど、そこまでは明確に「子供に見せる作品」を志向してたし、本来なら望月監督にも3作続けてやってもらうべきだったけど、1作だけで終わってしまったのが残念と言う意味も含めて。というわけで、ゴルドランまでが勇者。勇者シリーズ?なにその雑な括り。玩具会社と版権コロコロ会社が抱き合わせ商法やるためのカテゴライズにわざわざ付き合う必要ないでしょ。私が主張してることだって、私が勝手に言ってることで、どこからどこまでを一括りにするか、なんてどうでもいいこと。自分で言ったことを自分でひっくり返すみたいだけど、それらはタイトルに”勇者”と冠してるだけで、内容的には独立した作品群だから無理に類似性を探して「似たような作品」としてまとめてしまうのは正しくないと思う。ザンボット3とダイターン3とトライダーG7も、”無敵”を冠してたけど同一シリーズにするのって無理があるでしょ?それと同じ。ほんと、「シリーズ」なんて商業的な要請でしかない。せめてエルドランくらい世界設定の基本部分に、客観的で誰でもわかる一致があれば、シリーズでいいんだけど。あ、でも「シリーズ」ってしとけば、そのうちの1つだけでも見ておけば、その「シリーズ」を全部見てたようなフリをできるから、そういう効用もあるのかしら。なんにせよ、アホらしいので私はそう言うのに付き合う気はないです。なんか「勇者シリーズ」で超テキトーにひとくくりにして、ストーリーも世界観も完全に独立したものを一緒くたにして、あろうことか比較してその中で優劣をつけようとするような風潮すら感じられるので、そういうのから距離をとるために「私の勇者はゴルドランまで」と言ってるだけ。
え?なんで話題が90年代アニメ?やっぱり前世は昭和生まれのオッサンじゃないのかって?・・・ホンッッッッッッッットに分かってないわね。70年代アニメを日本アニメの原典とするなら、その発展と進化が80年代から90年代前半までのアニメなのであって、そこを通らずしてアニメの話なんてできるわけないでしょ?前世のオタク仲間・・・じゃなくて友誼を結んでいた朋輩たちだって、「90年代アニメは教養、それ以前は素養」って言ってたし。こんなのナウでヤング(←死語)な女子の間では常識よ。知ってるけど言わないだけ。ほら、アレよ。ビートルズが好きでいつも聴いてる女の子が、それを言おうもんならビートルズに詳しい風のジジイが顔をチンコにして寄ってきて蘊蓄タレはじめるから普段は誰にも言わないようにしてる、っていうのと同じ。そういう”若い娘と共通の話題に食い込んでくるジジイ”って、若い娘とセックスしたいという欲望が見えてるってだけでもキモチ悪いのに、なぜかその話題でマウントとってくるの、ホントマジで謎よね。マウントとって知識をひけらかしたら女がなびくとでも思ってんのかしら?もしかして、アニメとか漫画でよくある、親に叱られたことのない女の子が初めて男に怒られて「私、人に怒られたの初めて→ステキ❤️」ってなるみたいに、「わたし、今までビートルズでマウントとられたことなかったのに、こんなの初めて→オジさまステキ💀」・・・ってなるワケねーだろ!!!親父にぶたれたこともない男の子が殴られて「ブライトさんステキ❤️」なんてならなかったんだから、当たり前よね。多分あの後、「ブライトさんあの時なぐってくれて有り難う」とも思ってなかったはず。最後までそんな描写なかったし、その後のあの二人の関係性から見ても、そういう感情があったとはちょっと想定しにくいわよね。やっぱ富野演出には、人間の全てでは無いにせよ、一面の真実があるわ。ストーリーはアレだけど。御大もベテランの脚本家と組んでいれば良かったのに、自分で書いたらなんでああなっちゃうのかしら・・・だけど、「時間よ止まれ」って唯一御大が脚本書いたエピソードなのよね。
まぁ、それはそれでいいとして、話を本筋に戻すと、最近ってなんだか「ヒーロー」っていう言葉から、微妙なニュアンスが排除されて、単純化された、限定的な意味合いで使われてるように感じるのね。(←それ本筋?)いや、せっかく話はじめたんだから、最後まで話させてよ。ここのファミレス24時間だから、終電逃しても大丈夫だって。
私は「言葉は意味の集合体」と思っている人間なので、言葉が含んでいる様々な意味を単純化・矮小化してしまうのは絶対反対大反対で、ある言葉の意味を限定するなら、その制限は文章によって一時的な用法として明示すべきだと思うんだけど、なんか世間様は「分かりやすさ」を好むのよね。言語って簡素化されるものだし、長い言葉は省略されるものだけど、それは日本人がやってる「言葉の意味の単純化・矮小化」とは全く次元の異なるものじゃないかと思う。
だけどこういう「言葉の意味の単純化・矮小化」って、こと「ヒーロー」という言葉の用法に限って言うなら、社会の流れが「自己アピール重視」になったことや、日本人が本来もっている権威権力に対する依存心と密接に結びついてるような気もするのね。
ヒーローを自称するってことは、「僕は英雄です」と自分で言っちゃってるようなもので、私はそういうの真顔で言ってるのを聞くと、たとえそいつがホントに英雄であったとしても、アホか、としか思わないけど、世間の大多数の人はそうは思わないってことでしょ。私が、今時のヒーロー自称作品を見て、心底タチが悪いなって感じるところは、ヒーローたり得る能力と実力を客観的に備えた者に、「私はヒーローです」と言わせ、ヒーローたり得ない者はそれに口をつぐみ、それを許し、それどころかそれを礼賛すべきである、という雰囲気や風潮を作りあげてるところなの。え?考え過ぎ?作者そこまで考えてない?うん。多分作者はそこまで考えてない。単に編集者と一緒になって、そういうのがウケると思ってやってるだけ。だけど、残念ながらその作品を作っている人、作品に関わっている人の思想や信条、倫理観や価値観は、作品を通じて必ずどこかに出ます。それが高度に情報化された社会で流通して大量消費されると、その内在しているものは作品と一緒に必ず社会に広がって浸透するし、または、社会に広がりつつあるものを補強して根付かせることになると思う。だからこそ、その作品に内在しているものについて無関心であってはならないし、無関心になれば確実にそれに取り込まれる。私はそう思っている。ほら、某ドラゴンボール(←某の意味は)で、あるとき「戦闘力」っていう概念で強さを「数値化」しはじめたでしょ?人気が爆発して国民的人気作品になっていくのに従って、「なんでも数値化」みたいなのが広がって普通になってしまったような感じしない?それと同じ。あの作品自体は数値化の嚆矢的なもの——それ以前にも強さを数値化した作品はあったけど、国民的認知度を得る作品になったという意味において——であった反面、数値化できない、数値を超える何かを模索しようとはしていたと思えるフシはある。とは言え、数値化に伴って強さを量子化してしまった以上、“数値を超える何か”とは数値を別の尺度にすり替えただけのものにしかなり得ず、“数値を超えるものを模索する”という試みとして何らかの成功があったようには見えなかったし(とは言っても強さを量子化したからこそ、あのラスト前の展開があったわけで、そこについては見事だったと思う)、関連商品の展開は「数値化」が中心で、何より、読者がなんでも「数値化」してしまうことを普通のこととして受け入れてしまった。まぁ、当然それはステータスとして数値を重視するゲームの影響もあるし、何より大多数の日本人が本来的に持っている、個人としての自己が無いが故の、客観的指標に対する弱さに大きく起因する部分もあるんだけど、あの某ドラゴンボール(←だからさ)の影響で日本人って数値的評価に、弱いどころか盲目的に従うようになってしまったようにも思える。そこまでは言い過ぎであったとしても、小中高でテストの点数や偏差値という数値的評価で人生を決められてきたわけだから、「数値的指標に従うこと」が価値観に刷り込まれてるのは間違いないと思うし、漫画・アニメを通じてそれが補強されるというのは十分にあり得る話だと思う。私個人はそういう価値観は嫌いだけど、それすら結局は自分自身がその価値観を浴びて生きてきたからこそ「嫌い」と感じてるわけで、日本に生まれて日本の教育システムに放り込まれたからには、それを肯定するか否定するかに関わらず、すべてにおいて客観的指標により評価を受け、それを受け入れる価値観、つまり、「数値的指標こそ絶対」とする価値観から逃れることはできない。そういった日本人の気質というか風土のようなものが、「数値的指標を絶対」とする作品を受容する上での素地としてあり、だからこそ、多くの人に受け入れられ、国民的作品になりえたという部分もあるような気がする。そしてそれは同時に、アレを売りつけている側の日本人もまた「数値的指標こそ絶対」とする価値観を思想の根底に持っていた、ということでもあり、「数値的指標こそ絶対」とする者たちが、「数値的指標こそ絶対」とする作品を売り捌き、元から数値的指標に弱い人々に「数値的指標こそ絶対」とする価値観を植え付け、さらに強固なものとした、と言うこともできる。そして、人々は、何者かの恣意の下に作られた数値的指標によって支配される、数値的指標の奴隷となった。少し大袈裟で無理やりっぽく聞こえるかもしれないけど、アニメ・漫画を通じた価値観の浸透って、こういうふうにして起きるんじゃないかしら。逆に、それだけの力がアニメや漫画にはあるはずなんだけど、それを作っている人たちがその力に無自覚すぎるし、それを受容する側も単なる無自覚な消費者。自覚的にそれを利用しているのが、アニメや漫画を作らせて売り捌いて儲けてる連中だけっていうのが、なんだかホントに日本って感じ。
最近のヒーロー自称作品とそれを取り巻く状況も同じで、日本人的な日本人に、日本人が盲従しがちな価値観が浸透していく様がそのまま現れているように、私には思えるの。ヒーロー自称作品の中で、ヒーローたり得る者が自己賛美する姿勢に、ヒーローたり得ない者が異議を唱えることがないならば、その作者は「ヒーローに対して、ヒーローたり得ない者は異議をはさむべきではない」と考えているということであり、それは即ち「強者に対して弱者はひれ伏すべきである」という価値観が根底にあると言っていい。飛躍してる?そんなことないわよ。だって、「強者に対して弱者が異議を唱えるべき」と考えているなら、ヒーローの「ヒーロー自称」という一種の自己賛美的な行為は、欠点やツッコミどころとして描かれるはずだもの。それをせずに、ヒーローの自己賛美的行為を、作品世界で一般的に受け入れられている普通の行為として描くということは、「強者の欠点や瑕疵も、それは強者の一部として、弱者は許し受け入れよ」という考えが、作品を通じて現れているということ。それは即ち、「強者の全てを、弱者は認め平伏すべし」とする価値観が根底にあるということに他ならないの。こういう「弱者は強者に全面的にしたがうべし。一切の異議を認めない。」っていう考え方は、価値観というより日本人固有の日本的奴隷根性と言った方が正しいかもね。あえて「権威主義」という言葉は使いません。なんか、最近あっちこっちで濫用されてるせいでちょっと意味が広くなり過ぎてて、論旨と異なる解釈をされる可能性があるので。それはともかく、そうした日本的奴隷根性は昔からあるものだけれど、それでも昔はその奴隷根性とはまた別に、日本人特有の島国根性というか嫉妬心みたいなものがあって、それは当然褒めるような感情ではないにせよ、反面として「持てる者に対する抵抗」として、奴隷根性に対する抑止的な機能を果たしてしていたようにも思える。ブルジョワやコーガクレキに「チッ」といって舌打ちする、それは嫉妬であると同時に反骨心としてのエネルギーに転化することもあったし、権威権力の増長を防ぐ契機にもなったはずだけど、いまはそうやって「持てる者に、持たざる者が舌打ちする」ことすら許されないような雰囲気あるわよね。「持たざる者は、持ってから文句を言え」みたいなやつ。それは「持てる者」の理屈であって、「持てる者」を利しているに過ぎない。
これらの、いろいろな要素が絡み合った結果、もしくはその反映として、ヒーローという言葉の意味が変わったのかもしれない。もともと強者に隷属するという風土・気質があり、そこに外国から自己主張を重視する価値観が導入された。自己主張は当然に自己賛美の要素を含むことがあり、自己賛美はおなじく当然に賛美できるものを所有する強者によって行われた。やがて日本が経済的文化的衰退期に入り、効率化と言う名のコストカットが優れた戦略として持て囃される時代に入ると、弱者は全体の効率を下げる要素として切り捨ての対象となる。さらに、退潮した社会全体の閉塞感が合わさることによって、弱者に対する風当たりが厳しくなり、日本人が本来的にもっていた「弱者の反発を許さない風潮」がより強くなると、その反射的効果として、強者の自己賛美に対する抑制がはたらかなくなり、結果として、日本における”自己主張”とは、”増長した強者の自己賛美”に過ぎなくなった。強者の自己賛美が一般に許容されるに伴い、「ヒーローを自称する行為」に対する違和感は減じ、それとともに「ヒーロー」という言葉の意味合い自体も単純化・矮小化し、地位または肩書きを表す言葉としての用法が定着した。といった流れ。
昔、司馬遼太郎が何かで「日本人は海外から取り入れた思想・文化を換骨奪胎して別のものにして受容してしまう」みたいなことを書いてて、私シバリョーは好きじゃないけど、これについては流石見識ある考察だなって思ってたの。実際、日本ではいろいろなところに似たような現象が見られるのよね。大体マイナス方面ばっかりだけど。いつの頃からか海外から「自己主張を重視する」という価値観を取り入れて、世間のそこかしこで「自己紹介」とか「自己アピール」とかをやらせるようになったけど、結局のところ日本に根付いたのは「自己主張」じゃなくて「自己賛美」ってところがなんか笑っちゃうわね。
話は長くなったけど、つまるところ私が、「自認して自称する行為」をキライなのは、そこにどうにも「自己賛美」の臭いを感じてしまうからなの。正直、自称「オタク」もどうかと思うわ。別に、オタクであることに誇りをもつことはいいのよ。それだけのことなら、それは人の勝手だし内面の自由。他にもっと誇りをもてること探せよなんて、私は一切思わない。価値観は人それぞれだし、むしろ自分自身の価値観を自分の中で大切にする姿勢には敬意を表します。だけど、「僕はオタクです」とドヤ顔で自称されると、なんだかねって思うの。なんでそれを自称しちゃうわけ?オタクが迫害されてた時代でも堂々と言えた?今アニメが流行っててオタクが世間的に認知されて、少し特別な目で他人様に見られることを期待してない?それって他人からの評価に縋ってるっていうことで、自分自身の価値観を大切にしてるって言える?・・・って思っちゃう。ちなみに私はオタクじゃありません。アニメと漫画とゲームをちょっとだけかじった普通の常識的な一般人が異世界に転生した悪役令嬢です。
さて、ここで「オマエも”悪役令嬢”を自認して自称してるじゃんかよwww」と思った人に問題です。
問 ここまでの文章で、主人公が”悪役令嬢”であることについて自己賛美している箇所を抜き出して答えよ。
解答 そんな箇所はありません。
解説 『「自認して自称する行為」をキライな理由は、「自己賛美」の臭いを感じるから』って、私言ったでしょ?私の主張には「自認して自称する行為」の前提として、「自己賛美」があるの。少なくとも私の主張の論旨に沿って考えると、たとえ形式的に「自認して自称する行為」があったとしても、その前提となる「自己賛美」がなければ、論旨・文脈上の「自認して自称する行為」とは言えないわけね。文中で私が、”悪役令嬢”であることを自己賛美していない以上、文中で私が自分のことを”悪役令嬢”と称したとしても、それは字面の上での形式的な「悪役令嬢を自認して自称する行為」であり、私の主張における論旨・文脈上の「悪役令嬢を自認して自称する行為」とは言えないの。つまり、「オマエも”悪役令嬢”を自認して自称してるじゃんかよwww」っていうツッコミは、私の主張の論旨とは、まったく噛み合わないことを言って草を生やしてるに過ぎないってこと。
ね?自分が文章読めてないってわかった?わかったら、もうここから先は読まなくていいわよ。ここまで読めてないんだから、どうせここから先も読めないもの。私の親切丁寧な解説すら読めてないんじゃないかしら。なんにせよ、読解力ない人は、クソッターや2chで短文読んでキャッキャしてハシャいでるのがお似合いなので、そっち行ってて💩バイバーイ⭐️読めてる人はご自由にしていただければよろしいけれど、あんまりオススメはしません。
とまぁ、色々言ってきたけど、自称オタクはまぁいいのよ。まだ許せる。昔ながらのオタクであり、オタクという言葉の内包している否定的な意味合いを知った上でオタクを名乗るなら、そこに見え隠れする自虐や露悪や含羞のようなものと同時に、そういった外部からの否定的な評価に対しても曲がらないその人自身が垣間見えることもあるから。自分自身を貫く意思表示と解する余地があれば、それはそれで、その意気や良し。だから、自称オタクはオールオッケーではないにせよ、まぁいいの。
私が一番キライなのは、自称「歴女」!
「歴史の好きな女性」はいいのよ。自分の生まれ育った国の歴史に興味をもつのは普通のことだし、それを学んで知識を深めることについては、趣味であれ本職であれ、そこに貶めるべき理由は一切ない。だけど、自分のことを「歴女」って言っちゃうヤツ、これだけはダメね。本当に無理。クソッターのアカウント名とかプロフに「歴女」とか書いてるのを見ただけで、オエッってなる。どれだけ歴史に対する知識があろうが、どれだけ史跡巡りをやっていようが、どれだけ蘊蓄垂れようが、「歴女」を自認し自称した時点で、「チテキでステキなワ・タ・シ」を演出するために学問を利用する性根が透けて見え、心底からの吐き気を禁じ得ない。学問を内面の成長と成熟ではなく、外面を飾り立てるアクセサリーとしか考えていない、「学問の消費者」って感じ。日本社会における学問のエンタメ化が推し進められた結果として生み出された、イケすかなくてハナにつく、自己演出と上昇志向のグロテスクなキメラ、と言ってもいいわね。
え?ひどいこと言ってるって???そうかなぁ・・・「知識があること」とか「史跡巡りをしてること」については認めてあげてるんだから、自称「歴女」も満足でしょ。ただ、私にとっては、「知識」も「史跡巡り」も「蘊蓄」も、「チテキでステキなアナタ」に、当然には結びつかないってだけの話。
ついでに言うと、自称「毒舌」もダメ。初対面から「ワタシ、ドクゼツだから」みたいな言い草カマしてくる人って割といるけど、それって要するに「アナタに何を言っても、傷つけても、貶めても、ワタシは毒舌だから許してネ⭐︎最初に言っといたんだから、ワタシに何言われてもアナタが悪いよ~❤️」みたく、見え見えの自分本位な防御線を張ってるわけで、それで許してもらえると思ってるとか、社会に甘えてんのかって思うわ。世間様は自称毒舌家に「何も言えない」んじゃなくて、「何も言わない」だけなの。毒舌な自分を許されてるって勘違いしてるなら、それは社会から温か~く保護されているに過ぎないってこと、弁えたほうがいいわね。あ、私は毒舌じゃないです。別に新奇なことや突飛なことも言ってるつもりもないし、割と普通の、誰でも思ってることしか言ってないと思う。どっかのオデン眼鏡みたいに、人間としての良心と倫理に反するに過ぎない世迷言をさも真実をついた新説であるかのように喧伝してるつもりもない。私が言ってることって、ほんと当たり前で普通のことばっかり。普通のこと言ってるのに、悪態ついてるように言われるって失礼しちゃうわ。
・・・
・・・はぁ~~~~っ(ため息)、いやー喋った喋った!前世でのイベント帰りも確かこんな感じだったわ。ファミレスのドリンクバーだけで何時間も粘って、みんなで楽しいことやつまんないことやムカつくことを、ほんとバカみたいにペラペラしゃべって、夜通し喋り続けるつもりが割と早い時間帯で飽きてネタも尽きるんだけど、黙ってしまうのも少し悔しいから、話を転がすためだけに理屈なんて考えずに思いついたこと脊髄反射でダラダラ喋るのよ。それでも話が続かなくなって、仕方ないからみんなでボーっとして時間つぶしてると、そこのファミレス24時間だと思ってたのが、実は3時までで、みんなして「えーっ!?」てなって、しぶしぶ店を出て、みんなで途方にくれるのね。だけど行くあてがあるわけでもないし、お金もないからトボトボと暗い通りをどこへ行くでもなく歩いてると、明らかに住む世界の違うチャラい見た目の人が声をかけてきて、絡まれても困るし怖いから丁重にお断りして、その場から逃げて。逃げ切ったら、誰かがクスクス笑いだして、そのうちつられてみんなで笑い出して。そんな感じで、みんなはじめのうちは、夜道を歩くちょっとした緊張感がゲームみたいで妙にテンション高くなってはしゃいでるんだけど、そのうち疲れて、笑う元気もなくなって、黙り込んだままふらついてるうちに、通りから外れて知らない場所に出ちゃって、ここどこ?みたいな話になって、一人、一人と道端に座り込んじゃって。これから始発までどうすんのって気分に打ちひしがれて、結局そうこうしてたらやっと空が白んできて、そしたら少しだけ元気が出て、夜明けの少しもやのかかったような薄明かりの中を、ゴミの散らかった通りに戻って駅まで歩いて、そこでみんなとバイバイして始発に乗って帰るの。始発の下り列車はガラガラで、座ってるとシートの暖かさで眠くなって、少ないお小遣いとバイト代をはたいて手に入れた戦利品を抱えてそのまま眠るのね。ヨダレ垂らして。じぶんとこの駅についたら慌てて降りて、駅から家の方へ出るバスは朝方は時間がまばらだから、家まで少し遠いけど頑張って歩いて、出勤途中の近所の人たちとすれ違って少し気まずくて。そしてようやく家にたどりついて、音を立てないように静かに鍵を開けて入ったら、玄関でお母さんと鉢合わせして・・・。
・・・なんだか思い出しちゃった。お母さん、会いたいな。思えば私、お母さんに何もしてあげられないまま、こっちの世界に来ちゃったな。こんなことになるんだったら、もっとお母さんのために何かしてあげたらよかった。この世界で、私がどう生きて、何を成し遂げたとしても、お母さんに喜んでもらえるわけじゃない。この世界で私が生きていることを、前世の私の家族も、私の友人も、誰も知ることはない。この世界での私の人生は、もといた世界であるはずだった、私が生きるはずだった私自身の人生じゃない。だから時々、なんだか虚しい。
———って!なにセンチになってんのよ!今はそんな場合じゃないから!センチってセンチメンタルってこと!これもナウなヤングの常識!センチメンタルジャーニーはドリス=デイなんて気取らずに、素直に16歳のほうしか知らないって言っときます。センチメーンタール、カーニバール♪(←それ違う)
ところで何の話だっけ。そうそう。この世界の固定観念どうこうは抜きにしても、普通に考えて、兄妹の恋愛は倫理的・常識的にありえないって話。そういえば、それがホントの本筋だったわ。チョッピリ脱線しちゃったけど、要するに、この世界の概念としても、私個人の倫理観や常識からしても、兄弟の恋愛はありえない。だから、私とカストル兄様の恋愛もありえない。逆に、ありえないから、こういうカストル兄様との「恋人ごっこ」のようなことを遠慮なくできる、ってところもあるんだけどね。
さぁ、ホントにホンの少しだけ横道にそれちゃったせいで、みんな忘れてるかもしれないけど、今はまだ、”ブラコン作戦”の真っ最中。私の必殺技『箸突』によって、カストル兄様はもうデレデレで、すでにメロメロ。今のところ作戦は順調よ。思惑通り、私と兄様の周囲にはイチャラブ結界が展開され、誰も私たち二人の邪魔はできないはず。そして、私たちの親密ラブラブ波動はこの部屋全体に伝播して、この場にいる人たちに、私とカストル兄様が親密度120%であることを知らしめているに違いない。
だけど、まだ足りないわ。イチャラブ結界をさらに強力なものとして完成させるためには、ここでもうひと押し。私は仕上げとばかりに、さらにカストル兄様に近づいて、身体をピッタリと密着させる。
「じゃあ、もうひとつ、いかが?」
私はそう言いつつ、箸を持った左腕を前に伸ばし、サラダの上のミニトマトをまた一つ箸先で摘み上げた。
「はい、あーん❤️」
兄様パクリ。
間合いの無い密着状態から上半身の発条(ばね)のみで繰り出されるこの技は名付けて『箸突・零式』!(※注・突きません〔2回目〕)
「どう兄様?おいしい?」
私はまたもや上目遣いで、さらにカストル兄様に体をピッタリくっつけたまま問いかける。『零式』は密着して放つから破壊力も抜群よ。手加減なしで決まったら上半身が吹っ飛んじゃうかも☆そんな技をまともに食らったカストル兄様が、平気でいられるはずがない。モグモグゴックンした兄様はさきほどの満面の笑みをさらに崩れさせ、破顔と言ってもいいほどの喜びに表情を溢れかえらせながら言った。
「うん、カトリアーナが食べさせてくれるから、さっきの2倍おいしいよ。」
またしてもクリティカルヒット。んんんん~~~~~~ん!私あざとい!!!『零式』の破壊力が2倍ということも証明されてしまったわ。だけど兄様、その顔はちょっとフニャけすぎよ。自然で爽やかなのがカストル兄様なんだから、あんまりデレデレ鼻の下伸ばしすぎるのはダメ。(←勝手すぎる)女は正直なの。てか、もともと『没落貴族の令嬢ですが、婚約破棄した第7王子と氷の貴公子と呼ばれる次期公爵がなぜか溺愛してきますっっっTHE GAME』の公式設定では、カストル兄様は「スマートで自然かつ爽やかな好青年」なんだから、あんまりデレすぎるのは少し違う。だけど、この城に来てからのカストル兄様って、設定通りの「自然で爽やか」なキャラじゃなくて、どことなく不自然でモジモジデレデレして、なんだかキャラ崩壊気味に感じられるんだけど、気のせいかしら。
カストル兄様とイチャイチャしながらも私がそんなことを考えていると、不意にジークが口を挟んできた。
「お二人とも、少々よろしいでしょうか?」
「はい?」
カストル兄様と私は、思わずふたりして、その呼びかけてきたジークの方を見る。
ジークは私たちをじっと見つめている。口元には微かな微笑を湛えており、一見すると、いつもの気品と余裕に満ちた涼しげな表情だ。しかし、目が違う。その目から放たれる視線は刺すように鋭く、明らかな敵意が感じられる。その、どす黒く邪悪な思念を孕んだ眼差しに私は怯んだ。カストル兄様も驚いた顔つきで言う。
「・・・どうか、なさいましたか?」
カストル兄様は決して臆病なわけではない。ヴィトン伯爵家の次期当主として、気力も胆力も備わっている。しかし、今のジークが放つ威圧感には、そうやって短く返すのが精一杯のようだ。
そんなカストル兄様の反応を見たジークの態度が少し変わった。先ほどまで見せていた敵意と悪意は瞬時になりを潜め、普段通りの雰囲気にもどったジークは、軽く咳払いをすると、意識的にそうしていると感じさせる少しばかり作為の色を帯びた、柔らかい口調で言う。
「ご兄妹仲がよろしいのは結構なことですが、少々近付きすぎではないでしょうか?」
ジークの言葉の意味を図りかねたようで、カストル兄様は少したじろいたまま問い返す。
「は?」
ジークは、そんなカストル兄様を見つめ、ため息のような小さい吐息を一息つくと、ゆっくりとした口調で、なにかを言い聞かせるようなニュアンスを含ませながら言った。
「ご兄妹とはいえ、曲がりなりにも男女なのですから。」
そこで、カストル兄様も合点がいったようだ。
「いや、これは失礼しました。カトリアーナ、いいですか?」
慌てた素振りで、ジークに対して詫びの言葉を述べたカストル兄様は、左側で寄り添っている私を遠ざけようとする。しかし、私はここで直感した。罠だ。これは先刻、城に入ったときのやりとりと同じパターン。きっと、私とカストル兄様を引き離すためのジークの策略に違いない。その手は食わない。私はカストル兄様の言葉に反し、逆に兄様に身体をズイッと近付けてピタッと張り付く。兄様が困惑の声をあげる。
「え、おいコラ、そんな・・・」
本気で狼狽している。こんな兄様は正直見たことがないわ。しかしそんなこと構ってはいられない。私はしがみ付くようにカストル兄様に密着し、もはや十八番となった上目遣いで見上げながら、左手の箸をナプキンに持ち替えた。
「兄様、お口元がよごれていますわ」
まぁ、当然よごれてないけどね。ミニトマトを2個食べただけだもの。そこにある事実は問題じゃないの。私はナプキンを手にした左手をカストル兄様の口元へと近づける。
「いや、ちょっと・・・」
カストル兄様は抵抗しようとするが、その抗いは力無く弱々しい。ヘッヘッヘッ、奥さん口では嫌がってるが本当はコレが欲しいんだろう?
「動いちゃダメです❤️じっとしていてください」
私はそう言いながら、ナプキンで優しくカストル兄様の口元を拭った。
フキフキ...。
カストル兄様は硬直している。視点は定まらず宙を泳ぎ、頬はピクピクと引き攣っているが、その一方で口元はニヤけてフニャフニャとだらしなく緩んだままだ。あー、こんな兄様、あんまり見たく無いな・・・そう思った私は、思わず顔を背ける。そしてそのとき、ついチラッとジークの方を見てしまった。
私とジークの目が合った。
ジークは、ただじっと私たちを見ている。顔では笑っている。しかしやはり、その目は笑っていない。
これが王家の血を引く者の威圧感というものか、それとも底知れぬ悪意に基づく恫喝的な意味合いによるものか、ただならぬプレッシャーが私に向けられている。私は動けない。蛇に睨まれたカエル、とはこういうことを言うのだろう。ジークの視線に貫かれた私は、釘で十字架に打ち付けられた虜囚のように、身じろぎすらすることができない。
睨み合ったまま、いや、私が一方的に睨みつけられるまま、しばらくの沈黙があり、やがてジークが静かに口を開いた。
「誠に麗しい兄妹愛、とでも言っておきましょうか、カトリアーナ嬢?」
不気味な笑みを口元に滲ませながら、相変わらず悪意と敵意の入り混じった視線とともに、私に向けられたジークの言葉は、そこはかとなく挑発の響きを帯びている。ここで気圧されると負けだ。私はすかさず言い返す。
「ええ、屋敷の者たちにも、本当に仲が良いと言われます。」
そんな私の言葉に、ジークは目を少し細めると、やや首を傾げながら私に問いかけた。
「そうですか・・・お屋敷の方々はまだ誰も気付いていない、ということでしょうか?」
気付いてない?何のことだろう。文脈的に何のことを指し示しているのか皆目見当がつかなかった私は、ジークに聞き返した。
「どういうことでしょう?」
私の問いに、ジークは何も答えない。見定めるかのような目で、私の内心を探るかの如く、じっとこちらを見据えている。思わせぶりな態度で、私から何かを聞き出そうとしているのだろうか?何かを聞き出そうとしているなら、彼には何か知りたいことがあるということだが、それは一体?しかし、知りたいことがあるということは、それと同時に、それは彼が何かを知らないということ。そのジーク自身も知らない何かを私から聞き出そうとしているなら、やはり単なるブラフ?だけど、ブラフなら一体なんのためにそんなことを?様々な推測が私の中で錯綜するが、どれもが的外れに思える。何より、手掛かりなく、当てずっぽうに様々なことを考えてしまっているのは、私が完全にジークのペースに飲まれている証拠だ。まずい。ひりつかんばかりの焦燥感が私を襲う。
だが表情には出ていないはずだ。それだけは、私が普段から常に心がけ、心得ていることでもある。だからこそそれは、何の能力も持たないままに異世界に放り込まれた私にとって、咄嗟の場面でも頼ることのできる、数少ない武器の一つとも言えるのだ。
やはりジークは、私の反応から何かを探り出そうとしていたのかもしれない。やがて易からずと踏んだのだろうか、彼は諦めたような苦笑とともに目を伏せつつ、視線を逸らして少し横を向くと、フッといつもの微かなため息をつきながら言った。
「・・・まぁ、いいでしょう。」
それは私に向けて言っているというよりも、ジークの独り言のようにも感じられた。実際、何がいいのか、私には全くわからない。しかし、睨み合いの緊張感から解き放たれた安堵に、私の心は少し緩む。
が、そのとき、ジークが私の方に向けて流し目気味に視線を向けながら思わぬ台詞を放った。
「しかし、あなたの”秘密”に気付く者が、誰もいないとは思わない方がいい。」
私の背中に冷たいものが走る。———”秘密”・・・ジークは今、”秘密”と言った。
私の”秘密”・・・それが何を指し示すのか、可能性は一つしか考えられない。それはカトリアーナの、つまり私の持つ闇の魔力のことを言っているに違いない。ジークは私の闇の魔力のことに勘づいている?
「後ほど、湖のあたりをご案内します。風光明媚な良い場所ですよ。」
ジークは何事もなかったように言葉を続ける。しかし、私は動揺を隠すので精一杯だ。ジークが私の闇の魔力のことに気付いているなら、この城に私とカストル兄様を呼びつけた目的は?様々な憶測が脳裏で交錯する。混乱している私を他所に、ジークは席から立ち上がった。
「私は少々執務を残していますので、そちらを片付けてきます。お二人はどうぞごゆっくり。」
そう言い残して、ジークは昼食のテーブルを後にした。
カストル兄様とも幾許かのやりとりがあったが、それらはもはや私の耳には入ってこない。
ジークが私の闇の魔力のことに気付いている。その事実が、私の胸中に暗い影を投げかけ、陰鬱な恐怖が紙に溢したインクのように、心の内側を黒く塗りつぶしていく。正直、あまりの衝撃の大きさに、その後しばらくのことは何も覚えていない。
やがて、カストル兄様と一緒に昼食会場を出た私は、おぼつかない足取りで先ほどの控室に戻った。大きな扉を閉め、兄様と二人だけになると、私は力を使い果たしたように、部屋に置かれた大きなソファに座り込む。疲労と恐怖で身体に力が入らない。ジークの言葉によって引き起こされた心の動揺が今だに尾を引いている。しばらくの間、わたしは大きなソファの手すりに顔を埋め、頭をかかえるようにして、何とかして、この危険から脱する糸口を見つけ出そうと考え込む。
ジークが私の闇の魔力のことに気付いているとしたら、一体何の企みがあるのだろう。そもそも、闇の魔力についてどれだけのことを知っているのだろう。私自身も闇の魔力については、『魅了』スキルのことしか知らないし、その『魅了』スキルすら私の意思で自由に発動させることができないのに、ジークはそのことにも気付いているということなのだろうか。そして何よりも、彼自身は『魅了』スキルをかけられているという自覚はあるのだろうか。どれだけ考えても、ジークの意図も、その目的もさっぱり見当がつかないし、彼が何を企み、何を仕掛けてこようとしているかも全く読めない。しかし、わからない、読めないからといって、そのことばかりに拘泥していると、後手に回ってしまうし、それこそジークの思う壺だ。少なくとも、当初の方針通り、私がカストル兄様と離れずにいれば、ジークの目論見のとおりに事は運ばないはず。ここはもう、カストル兄様と一心同体になるレベルでくっついているしかないわ。いや、だから一心同体ってそういう意味じゃないってば。兄妹でそういうの、ホントにキモいから。思ってるだけなら綺麗なものなんだけどね。
よし、考えても分からないことはとにかく考えない!この城に来てしまったからには、なるようにしかならないし、恐れてばかりいても仕方ないんだから。とりあえず、次は湖畔の散策に出かけるわけなんだけど、そこでもカストル兄様から離れないことを第一の方針として、そうしながらジークの出方を伺っていれば、必ず何か突破口が見つかるはず。今はチャンスが来るのを待つ時よ。
そうして私が次の行動の方針と方策を検討していると、兄様が妙に改まった風情で語りかけてきた。
「カトリアーナ、話があります。」
何かしら?・・・だけど今日のカストル兄様、本当にちょっとヘン。なんだか堅苦しいわ。いつもみたいに、さりげなく自然な感じでいいのに。
「はい?なんでしょうか?」
私は兄様に尋ねる。カストル兄様は、ソファに腰掛ける私の前に片膝をつくと、私の瞳をじっと見つめながら、何やら思い詰めたような口調で、諭すように話し始めた。
「いいですか?カトリアーナ。君はジーク王子と婚約する。つまり、君はジーク王子の将来のお妃です。きっと王子もそのおつもり・・・その将来のお妃が、ご自身以外の男性と・・・その、身体を密接に寄せ合っていると、やはり面白くないと思うのです。それがたとえ兄妹であったとしても。わかりますね?」
いや、まだ婚約するって決まってないし、それを回避するために私は頑張ってるんだけど。
「はあ・・・。」
とりあえず、本日何回目かの生返事をして、兄様から離れたく無いと意思表示を示してみたが、どうも、兄様はそれでは納得してくれないようだ。
「いや、”はあ”じゃなくて・・・。あまりこう、私に近づきすぎるというか、密着するというか、そういった振る舞いは、ここでは控えた方がよいと思うのです。」
そんなこと言われても、カストル兄様から離れてジークと二人になると何が起きるかわからない。
まず、ジークが何を企んでいるかがわからない。彼が、私の闇の魔力に気付いていたとしても、彼の行動や振る舞いには不可解な点が多いし、何より私とカストル兄様を何とかして引き離そうとしているのが、とても気になる。ここで私がカストル兄様から離れれば、それはジークの思惑に乗ってしまうことになる。それは現段階では避けた方がいい。
そして、何より私が一番恐れているのは、なにかの拍子に闇の魔力が再び発動して、カトリアーナ(私)がもう一度ジークに『魅了』スキルをかけてしまい、それが『没落貴族の令嬢ですが、婚約破棄した第7王子と氷の貴公子と呼ばれる次期公爵がなぜか溺愛してきますっっっTHE GAME』の、ストーリー通りの効果を生じてしまうこと。そうなってしまえば、せっかく消滅したはずのジークルートが復活することになる。そして、そのストーリーの流れに従うと、闇の魔法の虜になったジークの手引きによって、次はカストル兄様が『魅了』スキルの餌食になってしまう。つまり、「ジークに『魅了』スキルをかける」ことが、その次にカストル兄様に『魅了』スキルをかけるルートに入るストーリー上の条件フラグになっているから、カストル兄様を『魅了』スキルの餌食にしないためには、その条件フラグである「ジークに『魅了』スキルをかける」イベントの発生確率が高まるような状況に持ち込まないことが重要で、そのためには、私は常に誰かの近くにいて、ジークと二人になるような隙を作らないようにするしかない。今、この城にいる人の中で、ジークがもっとも排除しにくいのは、身分的な面から考えてカストル兄様のはず。結局、カストル兄様を守るためにも、そのカストル兄様の近くにいるのが一番いい、ということになる。
だけど、これをカストル兄様に話すことはできない。それを話すことは、私に宿る闇の魔力の存在を知られてしまうことになる。とは言え、兄様の言いつけに素直に従うわけにもいかない。何度も言う通り、カストル兄様を守るためには、私はカストル兄様から離れるわけにいかないのだ。
「でもぉ・・・。」
私は駄々をこねるようにして承諾できないという素振りをしてみる。できるものならきっちり説明したいところなんだけど、前述の通り、それはできない。だからこういう返事しかできないのがもどかしい。
そんな私に、カストル兄様は本当に困ったような表情で続ける。
「いや、”でもぉ”じゃなくて・・・。実際のところ私としても、君が近くにいてくれると楽しいというか、触れてくれると嬉しいというか、そういう気持ちは確かにあるのですが、やはりそれは良くないというと思うところもあり、とはいえやはり、ずっとそばにいてくれた方が喜ばしいというか・・・」
よほど困っているのだろうか。普段は優しい口調ながら明晰でキレのいい語りを聞かせてくれるカストル兄様にしては、まったくもって歯切れが悪くまどろっこしい。今日の兄様、ホントにヘンよ?正直、なんだか良くわからない。カストル兄様的に、私は近くにいていいの?ダメなの?
「はい?」
私の口をついて出た短い問いは、少し強い口調になっていたのかもしれない。詰問されたように感じたのだろうか、少し怯んだような顔つきになったカストル兄様は、私から目を逸らせると、口をすぼめてボソボソと呟くように言った。
「その・・・恋人同士のように睦まじくするのは、人目を憚ると言いますか、まぁ、いや、その、もしも、二人きりの時なら、それでも構いませんし、むしろそうして欲しいのですが・・・」
は?なに言ってんの?私の頭からハテナマークがイデの巨人の全方位ミサイルばりに一斉発射される。
「え?」
一瞬の沈黙。言われたことの意味を理解できず、「?」が板野サーカスしている私。カストル兄様はハッとした表情で我に返ると、先ほどのキョドった風情からいつもの怜悧な顔つきに戻り、そして慌てたような早口で言った。
「と・・・とにかく!私たちは兄妹なのですから、弁えるべきです。兄妹なのですから。いいですね!」
そのいつになく強い口調に気押された私は、不承不承ながら兄様の言いつけを受け入れるしかなかった。
「・・・はぁい。」
やや不貞腐れ気味の私の返事を聞いて、カストル兄様は少しだけ安心したような表情で、ほっとため息をついた。
「では、私は自分の部屋に戻ります。次は、王子が湖の方を案内して下さるとのこと。君も準備しておきなさい。」
兄様は、そう言いながら立ち上がった。その横顔に私は問いかける。
「はい・・・兄様もご一緒ですよね?」
私は一応念のため、湖畔の散策にもカストル兄様が同行してくれることを確認しただけなのだが、なぜか兄様は苦しげな表情を見せると、詰まらせた息を搾り出すように答えた。
「あ・・・あぁ、無論です。私は、いつでも君と一緒ですよ。」
その表情が少し気になったが、兄様が一緒にいてくれるという言葉が私を安心させる。
「よかった。」
そういって私が微笑むと、カストル兄様も笑顔を返した。
「では、また後で。カトリアーナ。」
そう言い残して、兄様は踵を返した。私は、扉へ向かって歩く兄様を見送り、じっと見つめる。
「・・・そう、兄妹なんですから。」
部屋から出ようとしたカストル兄様が一言つぶやいた。私は、微かに聞こえたその呟きの意味するところが分からなかったが、兄様の横顔はどことなく悲しげに見えた。
(つづく)
0
お気に入りに追加
6
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
ミリしら作品の悪役令息に転生した。BL作品なんて聞いてない!
宵のうさぎ
BL
転生したけど、オタク御用達の青い店でポスターか店頭販促動画か何かで見たことがあるだけのミリしら作品の世界だった。
記憶が確かならば、ポスターの立ち位置からしてたぶん自分は悪役キャラっぽい。
内容は全然知らないけど、死んだりするのも嫌なので目立たないように生きていたのに、パーティーでなぜか断罪が始まった。
え、ここBL作品の世界なの!?
もしかしたら続けるかも
続いたら、原作受け(スパダリ/ソフトヤンデレ)×原作悪役(主人公)です
BL習作なのであたたかい目で見てください

異世界召喚に巻き込まれた料理人の話
ミミナガ
BL
神子として異世界に召喚された高校生⋯に巻き込まれてしまった29歳料理人の俺。
魔力が全てのこの世界で魔力0の俺は蔑みの対象だったが、皆の胃袋を掴んだ途端に態度が激変。
そして魔王討伐の旅に調理担当として同行することになってしまった。
α主人公の友人モブαのはずが、なぜか俺が迫られている。
宵のうさぎ
BL
異世界に転生したと思ったら、オメガバースの世界でした。
しかも、どうやらここは前世の姉ちゃんが読んでいたBL漫画の世界らしい。
漫画の主人公であるハイスぺアルファ・レオンの友人モブアルファ・カイルとして過ごしていたはずなのに、なぜか俺が迫られている。
「カイル、君の為なら僕は全てを捨てられる」
え、後天的Ω?ビッチング!?
「カイル、僕を君のオメガにしてくれ」
この小説は主人公攻め、受けのビッチング(後天的Ω)の要素が含まれていますのでご注意を!
騎士団長子息モブアルファ×原作主人公アルファ(後天的Ωになる)

「お幸せに」と微笑んだ悪役令嬢は、二度と戻らなかった。
パリパリかぷちーの
恋愛
王太子から婚約破棄を告げられたその日、
クラリーチェ=ヴァレンティナは微笑んでこう言った。
「どうか、お幸せに」──そして姿を消した。
完璧すぎる令嬢。誰にも本心を明かさなかった彼女が、
“何も持たずに”去ったその先にあったものとは。
これは誰かのために生きることをやめ、
「私自身の幸せ」を選びなおした、
ひとりの元・悪役令嬢の再生と静かな愛の物語。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?
みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。
ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる
色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

5番目の王子
Moma
BL
王位継承権を持たぬ王子・リューネは、名も知られぬ存在として穏やかな日々を過ごしていた。しかし、突如彼は何者かに襲われる。身分を伏せていたはずの彼が、なぜ標的となったのか?
リューネを救ったのは、カフェで偶然出会った謎の男・アル。二人の運命が動く!

乙女ゲームの断罪イベントが終わった世界で転生したモブは何を思う
ひなクラゲ
ファンタジー
ここは乙女ゲームの世界
悪役令嬢の断罪イベントも終わり、無事にエンディングを迎えたのだろう…
主人公と王子の幸せそうな笑顔で…
でも転生者であるモブは思う
きっとこのまま幸福なまま終わる筈がないと…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる