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第1章
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屋外用のバスケットゴールは、グラウンドの片隅、体育館の近くにあった。放課後にここを使うのはもっぱらバスケ部だが、今は外周をランニング中だ。そして少し離れた場所では、サッカー部や陸上部が活動している。
ゴールの高さはおよそ3メートル。大きな白色ボードの内側に赤いラインが引かれ、その中心部にネット付きのリングが設えられていた。
陵はバスケットボール片手に、神妙な顔でゴールに臨んだ。上着のブレザーはすでに脱ぎ、シャツの両袖を肘まで捲っている。空を見上げると一面灰色の雲に覆われ、光の眩しさに悩まされることはなさそうだった。
やがて、
「使えるのはドリブルとシュートだけ。で、先に3本入れた方が勝ち。これでどうだ?」
陵は右手で軽くボールを突きながら、後ろの斉二に言った。
「オッケーだよ!」
同じくシャツ姿の斉二が、陵とは対照的に、浮き浮きしながら頷いた。
「本当に、大丈夫かな?」
二人から少し離れた所で、葵が心配そうに呟いた。
「あの陵って奴が、これで納得すればいいんだけど……」
葵の隣にいた斉二の友人が、困り顔で答える。彼らも事の成り行きを見届けようと、陵たちについてきたのだ。
「どうせ、陵が勝つに決まってるよ」
さらに、その横に立つ伊勢が、高飛車に決めつけた。後で事情を知った伊勢と小塚も、ギャラリーに加わっていた。
「そうかなあ……」
小塚の方は煮えきらぬ態度で、陵と斉二を交互に見つめている。
間もなく、陵と斉二はじゃんけんをした。陵はグーで、斉二はチョキ。
「じゃあ、ボールは俺からな」
陵は勝ち誇って言うが早いか、斉二が返事をするより先に、ドリブルしながら駆け出した。
「陵ってば、いきなりスタートするなんて!」
葵のブーイングが聞こえるが、
「へっ、ボーッとしてる方が悪いんだよ!」
陵は右で強くボールを突き、一気に加速してゴール下へ向かう。その時、斉二はと言えば、ぽかんと口を開けて陵の動きを眺めていた。
(ふん。やっぱり大した相手じゃねえな)
陵は斉二を一瞥したのち、すぐに視線をゴールに定めた。狙いをつけ、右腕をまっすぐ上げると、手首を柔らかく曲げてボールを投げた。ボールはきれいな弧を描いて飛び、リングの中へ吸い込まれていく。
お手本のように決まったシュートに、葵や伊勢たちからワッと歓声が上がる。
「よっしゃ!!」
陵自身、嬉しさからガッツポーズをとった。
「うわ~、カッコいいね!」
はしゃいで言ったのは斉二だった。その顔には点を取られた悔しさはなく、むしろ、陵の腕前を素直に称賛している。
「ぼくもやる!」
斉二は楽しそうに宣言すると、次の瞬間にはゴールに向かって走り出していた。
(しまった、ボールが――)
リングを通って落ちたボールは地面でリバウンドし、外側へ転がる。陵は慌ててそれを追ったが、
「もーらいっ!」
陵の指先がボールにふれる直前に、斉二の左手がそれをかっさらった。
「山那くん、速っ!」
斉二の俊足に、感嘆する葵。
「させるかよ!」
陵はすばやく両腕を広げ、ディフェンスの構えをとった。ゴールまでの距離は短く、シュートすれば入る可能性は充分にある。上へ飛ぶか、左右に走るか、陵は斉二の視線や動きを寸分もらさず観察した。
ところが、斉二はいたずらっ子のように小さく舌を出すと、わずかに後ろへ飛んだ。そうすることで、陵との間にスペースが生まれる。それを利用し、斉二は持っていたボールをすかさず投げた。
「フェイダウェイ!?」
陵が驚愕の声を上げる。
フェイダウェイとは、後方に飛びながらシュートするという、バスケットボールの技術の一つだ。しかし、難易度が高く、とても素人にできる技ではない。
(まさか、ただの真似事だ。決まるわけねえ)
陵がゴールを仰ぐと、まさにボールがリングに到達したところだった。ボールはすぐには入らず、リングの上をぐるぐると回っている。
「外れろ!」
陵はゴールに向かって思わずそう怒鳴ったが、願い虚しく、ボールはリングの内側へ滑るように落ちた。
「やった、同点!」
斉二が諸手を上げて喜び、葵たちもまた盛り上がった。
「せいちゃん、すごい!」
興奮する小塚に、
「あんなの、まぐれだ!」
伊勢はそう吐き捨てると、きつい目で斉二をにらみつけた。
一方、陵はもはや斉二など省みず、まっしぐらにゴール下へ走っていた。
(あいつにボールを持たせたらヤバい)
陵の直感がそう訴えている。1対1の勝負である以上、チーム戦と違って仲間の援護がない。それゆえ、優れた相手との対戦は非常に厳しいものになるのだ。
切実な思いが報われたのか、陵は落ちてきたボールをキャッチできた。
(とにかく、さっさと点を――)
取るぞと心に決め、陵は至近距離からのシュートを試みた。両足で地面を蹴って飛ぶと同時に、右手からボールを放つ。
しかし、シュートの際の体幹が歪み、コースにもずれが生じた。ボールはリングではなく、ボードに当たって跳ね返ってしまう。
「くそっ……!」
「残念でした~!」
陵が歯噛みした時、すでに斉二は動いていた。スニーカーで地面を強く蹴り、砂埃が舞う。斉二はボールの軌道を予測していたかのごとく、飛んできたボールを受け止める。
無論、陵もすぐに走った。相手の俊敏さはわかっている。ボールこそ奪われたが、陵は再びディフェンスの体勢をとり、斉二の行く手を阻んだ。
「今度は打たせねえぞ!」
陵という壁を前に、斉二は珍しく真面目な顔で腰を落とし、右手で強く、低くドリブルする。陵は隙あらばボールを取り返そうと、斉二に張りついて離れない。互いの視線が正面からぶつかり合い、交錯した。
勝負は一瞬で決まる。読み違えてはならない――陵は神経を集中させ、斉二のどんな動きも見逃さなかった。そして、斉二の目がわずかに左を捉えた時、陵は迷わず左へ動いた。
しかし、実際には斉二は逆の方向へ駆け出した。視線で陵を誘導した隙に、ボールを背後で右から左へ持ちかえ、ドリブルで陵を引き離す。
「しまった、フェイク!」
してやられたと悟った陵だが、後悔先に立たずである。
「わぁい、引っかかった~!」
斉二はいたずらがうまくいった子どものように上機嫌に、颯爽とシュートを打った。遮るものは何もなく、ボールはきれいにリングに収まる。
「2点目だと!?」
陵は愕然と呟いた。もし斉二がシュートをあと一本決めれば、このゲームは終わる。それは即ち、陵の負けを意味していた。
「陵、走って!!」
斉二のシュートに沸く見物人の中、伊勢が唯一、陵に向かって叫ぶ。その声が陵を活気づけた。
(そうだ、止めるんだ。あんな奴に負けられるか)
斉二はすでに動き、またもボールを手にしている。何としても3点目だけは阻止すべく、陵は全力で駆けた。
その時、にわかに雲間から太陽が顔をのぞかせた。日光はグラウンドを照らし、土に伸びた影が、いっせいに濃く浮かび上がる。ボールを奪いたい一心の陵は、背後から斉二に迫り、彼の影を踏んだ。
すると、その瞬間、陵は心の臓を掴まれるのにも似た衝撃を感じた。ほぼ同時に、斉二がボールを持ったまま振り返って陵を見る。まるで、踏まれた影が己の血の通った一部であるかのように。
それは一瞬にも永遠にも思える時間だった。陵の心に渦巻いていた斉二への怒りや勝負に対するこだわりや焦りといった感情が、今だけはきれいに消え去っていた。
そんな陵と向き合う斉二も、普段の明るさや無邪気さを一切まとわぬ、素の表情をさらけ出していた。二人はただ純粋な驚きをもって、互いに見つめ合う。
けれど、それは束の間のことであった。
「こら~っ! お前ら、何勝手にゴール使ってんだ!」
男子バスケ部の部員たちが、ランニングを終えてぞろぞろと戻ってきたのだ。
「ここは今からバスケ部が使うんだ。遊びなら他でやれ」
主将とおぼしき三年生にそう告げられ、陵たちはこの場所を開け渡さざるを得なくなってしまった。
ゴールの高さはおよそ3メートル。大きな白色ボードの内側に赤いラインが引かれ、その中心部にネット付きのリングが設えられていた。
陵はバスケットボール片手に、神妙な顔でゴールに臨んだ。上着のブレザーはすでに脱ぎ、シャツの両袖を肘まで捲っている。空を見上げると一面灰色の雲に覆われ、光の眩しさに悩まされることはなさそうだった。
やがて、
「使えるのはドリブルとシュートだけ。で、先に3本入れた方が勝ち。これでどうだ?」
陵は右手で軽くボールを突きながら、後ろの斉二に言った。
「オッケーだよ!」
同じくシャツ姿の斉二が、陵とは対照的に、浮き浮きしながら頷いた。
「本当に、大丈夫かな?」
二人から少し離れた所で、葵が心配そうに呟いた。
「あの陵って奴が、これで納得すればいいんだけど……」
葵の隣にいた斉二の友人が、困り顔で答える。彼らも事の成り行きを見届けようと、陵たちについてきたのだ。
「どうせ、陵が勝つに決まってるよ」
さらに、その横に立つ伊勢が、高飛車に決めつけた。後で事情を知った伊勢と小塚も、ギャラリーに加わっていた。
「そうかなあ……」
小塚の方は煮えきらぬ態度で、陵と斉二を交互に見つめている。
間もなく、陵と斉二はじゃんけんをした。陵はグーで、斉二はチョキ。
「じゃあ、ボールは俺からな」
陵は勝ち誇って言うが早いか、斉二が返事をするより先に、ドリブルしながら駆け出した。
「陵ってば、いきなりスタートするなんて!」
葵のブーイングが聞こえるが、
「へっ、ボーッとしてる方が悪いんだよ!」
陵は右で強くボールを突き、一気に加速してゴール下へ向かう。その時、斉二はと言えば、ぽかんと口を開けて陵の動きを眺めていた。
(ふん。やっぱり大した相手じゃねえな)
陵は斉二を一瞥したのち、すぐに視線をゴールに定めた。狙いをつけ、右腕をまっすぐ上げると、手首を柔らかく曲げてボールを投げた。ボールはきれいな弧を描いて飛び、リングの中へ吸い込まれていく。
お手本のように決まったシュートに、葵や伊勢たちからワッと歓声が上がる。
「よっしゃ!!」
陵自身、嬉しさからガッツポーズをとった。
「うわ~、カッコいいね!」
はしゃいで言ったのは斉二だった。その顔には点を取られた悔しさはなく、むしろ、陵の腕前を素直に称賛している。
「ぼくもやる!」
斉二は楽しそうに宣言すると、次の瞬間にはゴールに向かって走り出していた。
(しまった、ボールが――)
リングを通って落ちたボールは地面でリバウンドし、外側へ転がる。陵は慌ててそれを追ったが、
「もーらいっ!」
陵の指先がボールにふれる直前に、斉二の左手がそれをかっさらった。
「山那くん、速っ!」
斉二の俊足に、感嘆する葵。
「させるかよ!」
陵はすばやく両腕を広げ、ディフェンスの構えをとった。ゴールまでの距離は短く、シュートすれば入る可能性は充分にある。上へ飛ぶか、左右に走るか、陵は斉二の視線や動きを寸分もらさず観察した。
ところが、斉二はいたずらっ子のように小さく舌を出すと、わずかに後ろへ飛んだ。そうすることで、陵との間にスペースが生まれる。それを利用し、斉二は持っていたボールをすかさず投げた。
「フェイダウェイ!?」
陵が驚愕の声を上げる。
フェイダウェイとは、後方に飛びながらシュートするという、バスケットボールの技術の一つだ。しかし、難易度が高く、とても素人にできる技ではない。
(まさか、ただの真似事だ。決まるわけねえ)
陵がゴールを仰ぐと、まさにボールがリングに到達したところだった。ボールはすぐには入らず、リングの上をぐるぐると回っている。
「外れろ!」
陵はゴールに向かって思わずそう怒鳴ったが、願い虚しく、ボールはリングの内側へ滑るように落ちた。
「やった、同点!」
斉二が諸手を上げて喜び、葵たちもまた盛り上がった。
「せいちゃん、すごい!」
興奮する小塚に、
「あんなの、まぐれだ!」
伊勢はそう吐き捨てると、きつい目で斉二をにらみつけた。
一方、陵はもはや斉二など省みず、まっしぐらにゴール下へ走っていた。
(あいつにボールを持たせたらヤバい)
陵の直感がそう訴えている。1対1の勝負である以上、チーム戦と違って仲間の援護がない。それゆえ、優れた相手との対戦は非常に厳しいものになるのだ。
切実な思いが報われたのか、陵は落ちてきたボールをキャッチできた。
(とにかく、さっさと点を――)
取るぞと心に決め、陵は至近距離からのシュートを試みた。両足で地面を蹴って飛ぶと同時に、右手からボールを放つ。
しかし、シュートの際の体幹が歪み、コースにもずれが生じた。ボールはリングではなく、ボードに当たって跳ね返ってしまう。
「くそっ……!」
「残念でした~!」
陵が歯噛みした時、すでに斉二は動いていた。スニーカーで地面を強く蹴り、砂埃が舞う。斉二はボールの軌道を予測していたかのごとく、飛んできたボールを受け止める。
無論、陵もすぐに走った。相手の俊敏さはわかっている。ボールこそ奪われたが、陵は再びディフェンスの体勢をとり、斉二の行く手を阻んだ。
「今度は打たせねえぞ!」
陵という壁を前に、斉二は珍しく真面目な顔で腰を落とし、右手で強く、低くドリブルする。陵は隙あらばボールを取り返そうと、斉二に張りついて離れない。互いの視線が正面からぶつかり合い、交錯した。
勝負は一瞬で決まる。読み違えてはならない――陵は神経を集中させ、斉二のどんな動きも見逃さなかった。そして、斉二の目がわずかに左を捉えた時、陵は迷わず左へ動いた。
しかし、実際には斉二は逆の方向へ駆け出した。視線で陵を誘導した隙に、ボールを背後で右から左へ持ちかえ、ドリブルで陵を引き離す。
「しまった、フェイク!」
してやられたと悟った陵だが、後悔先に立たずである。
「わぁい、引っかかった~!」
斉二はいたずらがうまくいった子どものように上機嫌に、颯爽とシュートを打った。遮るものは何もなく、ボールはきれいにリングに収まる。
「2点目だと!?」
陵は愕然と呟いた。もし斉二がシュートをあと一本決めれば、このゲームは終わる。それは即ち、陵の負けを意味していた。
「陵、走って!!」
斉二のシュートに沸く見物人の中、伊勢が唯一、陵に向かって叫ぶ。その声が陵を活気づけた。
(そうだ、止めるんだ。あんな奴に負けられるか)
斉二はすでに動き、またもボールを手にしている。何としても3点目だけは阻止すべく、陵は全力で駆けた。
その時、にわかに雲間から太陽が顔をのぞかせた。日光はグラウンドを照らし、土に伸びた影が、いっせいに濃く浮かび上がる。ボールを奪いたい一心の陵は、背後から斉二に迫り、彼の影を踏んだ。
すると、その瞬間、陵は心の臓を掴まれるのにも似た衝撃を感じた。ほぼ同時に、斉二がボールを持ったまま振り返って陵を見る。まるで、踏まれた影が己の血の通った一部であるかのように。
それは一瞬にも永遠にも思える時間だった。陵の心に渦巻いていた斉二への怒りや勝負に対するこだわりや焦りといった感情が、今だけはきれいに消え去っていた。
そんな陵と向き合う斉二も、普段の明るさや無邪気さを一切まとわぬ、素の表情をさらけ出していた。二人はただ純粋な驚きをもって、互いに見つめ合う。
けれど、それは束の間のことであった。
「こら~っ! お前ら、何勝手にゴール使ってんだ!」
男子バスケ部の部員たちが、ランニングを終えてぞろぞろと戻ってきたのだ。
「ここは今からバスケ部が使うんだ。遊びなら他でやれ」
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