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第一章
嘘と真実 5
しおりを挟む部屋に通されたはいいけれど、肝心のルークさんは不在だった。
一瞬まさかこんな田舎町でも女遊びや賭け事なんかに興じてるんじゃあるまいな、と思ったけれど、執事らしい老紳士の話では、そういう事ではないらしい。というより、以前ライドに聞いた通りティアと出会って改心したルークさんは、それから未だに健全生活を送っているというのだ。まあ、ルークさん寄りの執事さんの話だから、どうだか分からないけど。
屋敷の裏という程近くは無いが、背後に聳えるヴェジラ山脈には野生馬が生息しているらしく、この村には時折怪我をして群れから離れた馬が迷い込んでくるらしい。そのうちの一頭をルークさんが散策か何かの折に保護したようで、その保護した馬の怪我の経過を毎日見に行っているのだそうだ。
村の外れの農場に居るルークさんに遣いを出したというから、すぐ戻ってくるだろう、とのこと。
一瞬もしや農場に若い娘でもいるんじゃないだろうなと邪推したが、メイドさんの一人が頭が取れそうな程激しく否定を見せたので、信じる事にした。
俺の中でのルークさんのイメージが、手当たり次第女性にこなを振っているイメージだから、執事さんやメイドさんには申し訳ないけれど、何かある度にそんな風に繋げてしまう。
待っている間は、クリフと一緒にノードという盤上ゲームをする事にした。チェスをした事がないからゲームとして似ているのかどうかは分からないけれど、枡のある四角い盤板と、ガラスや陶器の駒が馬や人を模しているので、チェスみたいだなという印象を持つ。
このノードというのはどの国でも知らない者の居ないくらい、メジャーなゲームのようだ。
駒のくびれの部分が赤と青の二種類。片方が赤で片方が青の駒を動かし、相手の王様を取る、という、分かり易いルールだ。
早ければ十五分程で終わってしまうそれで、雑談交じりにゆっくり遊ぶ。
気を遣ったのか、ただ単に居づらいだけなのか、執事さんもメイドさんも部屋の外だ。
「ツカサ様、その駒は斜め後ろには戻れません」
ノード自体は何度か遊んだ事があるけれど、駒の役割はまだ覚え切れていない。そんな俺に、時々クリフの注意が飛ぶ。
「あ、ごめん。じゃあこっちで」
「それだと私の駒が、一直線にキングを取れてしまいます」
「あ、そっか。……あれ、でもどっちにしろ俺、負けじゃない?」
「……恐れながら」
――とまあそんな感じで、勝負にならないくらいの有様だから、ただの暇潰しだ。
「クリフはルークさんに会った事あるんだっけ?」
何度目かの降参を告げた後、話のネタも尽きて来た俺は、そんな話を振る。
これから対峙する相手の情報を少しでも増やそう、と考えたのが今更では意味がないかもしれないけれど、とりあえず。
「遠目には幾度か」
クリフは逡巡した後、お役に立てるお話はございませんが、と生真面目な返答をくれる。
「アレクセス城で行われる夜会には私も警備に入る事がありますので、ロード・ルークが登城された折にお目にかかる事もあります。何分目立つ方ですから、そのお姿は記憶には残っておりますね」
「ああ、成程」
「夜会でのご様子は詳しく存じませんが、噂に違わず、という様子でいらっしゃったようです。私は内部の警備は管轄外ですので、聞く限りですが。華やかな社交振りが一年程前から潜んでおいでになるのは、既にツカサ様のご存知の通りです」
空になった俺のカップに紅茶を注いでくれながらのクリフに、俺は相槌を打つ。
一年程前というのが、調度ティアと云々の辺りらしい。何故改心したのかは定かでは無いが、ルークさんは人が変ったように大人しいというのがその当時の噂だと聞いた。それから何事か国王陛下の不興を買ったらしいルークさんは辺境のジェルダイン領に飛ばされた。
半年前のその時期にはルークさんの話で持ち切りだった王都も、今となっては記憶の彼方。社交の場では第二のルークさんが現れて、その手の醜聞もルークさんに取って変わった。
「その後のロードの生活は、私の耳には聞こえて参りません。ツカサ様がこちらの世界にやって来られて初めて、事実を知った程です」
実の所クリフがティアとルークの関係を知ったのは、数日前の事だ。俺がルークさんを訪ねると決意したあの日まで、クリフはティアが俺を召喚するに至った理由など、全く知らなかった。ティアとルークさんが駆け落ちしようとした事も、城に仕えるクリフすら知らない程、小規模の事だったのだ。
「ですから、私ではお役に立てません。ツカサ様のお目であれば、そのような情報など無くてもロードの人となりをご判断出来ましょう」
まるで自分の事のように胸を張って言い切るクリフは、俺という人間を誤解したままだ。クリフのこの信頼は一体どこからくるのだろう、なんて、俺の不用意な発言が招いたあれこれがいけないのだけれど思ってしまう。
俺に人を見る目なんてないんだけどな、なんて言っても詮無い事なので、口にはしないが。
ルークさんとティアを結婚させる、なんて息巻いて旅立ったけれど、その間に俺は若干の不安を覚え出していた。
ルークさんが噂通りの人で、改心なんて全くしてなくて、国王陛下がルークさんを拒否するだけの理由が本当にあった時、それでも俺は、二人を結婚させるのかとうか。
別段その噂以外に誰の口からもルークさんの人格を否定するような言葉は聞いた事がないけれど、何が国王陛下に「否」と言わせたのか、分からないままであった事を失念していた。
旅立つ前日。
『あいつがあいつである限り、事は中々に厳しいぞ』
とライドがため息交じりに言った時、その一端であろう問題を聞かせてもらったのだが、ルークさんが改心したかどうかは大きな問題ではないようだった。
勿論華々しい恋愛歴や自堕落な生活振りも理由ではあったが、それ以上にルークさんのおうち、クラウディ家の問題がある。
それから、ルークさん自体がティアの結婚相手として相応しくない、という点。
家柄は申し分ない。そして国王陛下はそれを判断基準に入れていない。
じゃあ何が相応しくないのか――という事は、終に誰も教えてくれなかった。
ここに、矛盾を感じてしまうのは俺だけだろうか。
最初は誰でも良かった筈で。家柄も身分も、国籍すら関係なく、相手は誰でも良かった筈で。
どんな家にティアが嫁ごうと、あるいは婿を取ろうと、利にもならなければ打撃にもならない。そういう話だった筈で。
それであれば【ルークさんがクラウディ家の人間】という事情があった所で、問題にならない筈で。
異世界から俺を召喚して、何から何までを教え込んで教育する必要なんかない筈で。
ルークさんがティアを幸せに出来ない理由は何か。
陛下の大らかな判断基準に引っかかる事情は何か。
そこの所がさっぱり分からない。
――分からないから。
例えば俺の眼鏡に適って、ルークさんが素晴らしい人格者だったとしても、ティアとルークさんの結婚の意志が一致しても。
その何かとやらが取り除けない限り、国王陛下の承諾が得られない。
全く何も進展していないような気がするのは、俺だけだろうか。
その不安を口に出来ないのは、肯定されても困るからだったりする。
のんびりとした動作で盤上の駒をスタートの位置に戻すクリフを眺めながら、俺は小さく嘆息する。
開け放たれた窓から外に目を移せば、手が届きそうだと錯覚しそうな位置に、山々の稜線が見える。真っ青な空に、なだらかな曲線を描いてどこまでも続く。
長閑、その一言に尽きる風景だ。
都会の生活から一転、何も娯楽のないような田舎の村で、一体ルークさんはどのように過ごしているのだろう。
自分だったらどうだろう、と考える。明日から剣道の鍛錬をしなくていいと、学校にも行かずにいいと言われたら――きっと退屈で死ねる。
朝五時なんて時間に起きなくて済むとか、夜更かしして深夜番組でも見れるとか、健康管理なんて気にせず好きな時に好きな物を食べて飲む生活だとか、今まで制限されていた事象を楽しめる、と嬉しいだろうが、恐らく馴染む事は出来ない。何だかんだ言って、剣道の鍛錬をしない生活なんて、俺には出来ない。
「……ルークさんはここでの生活に、満足してるのかなぁ」
ぽつり、独り言として呟いたのだけど、クリフは脈絡の無い俺の言葉に反応して、「どうでしょうね」等と返しながら悩むように眉根を寄せた。何時もの顎を撫でる動作もつく。
「勤めるべく仕事の無い貴族ですと、一日の大半を遊んで過ごすと聞きます。ほとんどを社交の場で過ごす生活は、こちらでは出来ませんでしょう。そういう意味では不満を感じる事はあると思いますが――」
「クリフだったら?」
「何もする事がない、というのは拷問のように感じます」
きっぱり、言い切るクリフに呆気に取られてしまう。これは遠まわしに、ルークさんはここの生活に満足していないと言っているのだろうか。それとも単純に、自分はという事なのだろうか。
少し思案してから、俺は言葉を変えた。
「ルークさんはここで、何をして過ごしているのかな」
「さあ、どうでしょう」
けれどもクリフからは、俺が求めるような応えは返ってこない。知らない、というのもあるだろうが、それよりも興味が無いと暗に語っている素っ気無さだ。
駒を綺麗に並べ終えたクリフは、顔を上げて微かに笑む。
「もう1ゲーム致しましょう」
――ルークさんの話はそれで打ち切られて、俺達はノードを再開した。
しばらくして老年の執事さんがルークさんの帰宅を告げにやって来て、それから数分後、件のルークさんが姿を現した。
「大変お待たせ致しました、シゼル。かような地へ、ようこそおいで下さいました」
ルーク・クラウディと名乗ったその人は、聞いていた通り整った顔立ちの、好青年だった。ウィリアムさんやシリウスさんのような女性の目を奪うような色気のある華やかさは無いが、第一印象でこの人モテルだろうなと確信できる容姿だった。口元に自然に浮かんだ微笑みといい、若干たれがちの優しい目元といい、先入観を持たずに出会えば間違いなく友達になりたい人ナンバー1という感じ。
ウェーブの掛かった紅茶色の髪の毛を、女性のように赤いリボンで結んでいる様がどこか可愛らしくもある。瞳の色は明るい藍色だ。
服のセンスが抜群に良く、けして派手という事はないのだが、カフスや髪の毛を束ねるリボン、凝った作りの編み上げブーツなど、どことなく洒落た感じがある。
「お目にかかれて光栄でございます」
と丁寧にお辞儀をした彼には、突然の客に対しての戸惑いは無く、十年来の友人でも迎え入れるような歓迎の意があった。
執事達さんとは違って、俺が誰であるかを知っているような口振りだった。
それもその筈、彼はダ・ブラッドという名とツカサという本名を、国王陛下から聞いているのだ。
ルークさんと目が合ってやっと驚きから解放された俺は、ひどく無機質な声音でルークさんの歓迎に答えた。
「こちらこそ、歓迎に感謝します」
笑み一つ返せぬ強張った態の俺に、それでもルークさんは嫌な顔を見せない。
俺が驚いてしまったのは、ルークさんが何も、好印象であったからでは無い。もっとちゃらんぽらんしたダメ男と思っていたのは間違いないし、思ったより好青年で、聞いていた噂話の片鱗も見えないようなしっかりした青年であるように感じるが、それよりもまず、彼の健康的な肌の色に目を見開いてしまう。その肌の色は、明らかに太陽に焼かれたそれなのだ。元々が地黒というわけではけしてなく、まるで日中を外で健康的に過ごす――例えるならスポーツ選手のそれのような状態で、社交界を賑わすという風にはとても見えない。
俺の持っていたルークさん像ががらがらと崩れ出して、戸惑う。
「失礼ですが、貴方はロード・ルークご本人ですか?」
想像の範疇外過ぎて、思わずそんな事を聞いてしまう。ルークさん本人が間に合わなくって、誰か影武者でも使った――なんて事はあるわけないが。
「勿論でございます」
ルークさんは一瞬目を見張ったが、それだけ。軽く頷いて、無表情を保つ事に失敗して狼狽した執事さんを退出させた。
それから立ち上がったままの俺とクリフを席に促して、自分も対面にかけた。
「……私がこの地に馴染んでいるのが、不思議でいらっしゃいますか」
そう、それだ!!
ルークさんが窺うようにして紡いだ言葉に、得心がいった。
つまりルークさんは、この自然溢れる田舎の村に違和感の無い、そういう雰囲気なのだ。容姿は牧歌的な長閑な村には似合わないし、物腰も服装も都会的なのだが、それなのにどうしてか、この村で生まれ育ったと聞いても納得できそうな不可思議さがある。
「ティシア王女への手紙を、失礼ながら私も拝見しました」
それをどう口にしたものか悩んだ末、俺は言葉を探しながら、事の発端を口にした。
それはルークさんの言葉に対しての反応には程遠かったし、性急過ぎた感は否めなかったが、ルークさんはただ目を細めて首肯しただけだった。
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