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なち

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第一章

幕間 アレクセス城にて 1

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 エディアルド・アラクシス=グランディア・リカルド二世は、その日、見る者が見れば分かる程度に、不機嫌だった。
 蝋で出来た彫刻のような顔形にその片鱗は見えねども、忙しく執務をこなす合間、彼はその不機嫌の原因を思い浮かべる。
 原因はリカルド二世を苛立たせる事の数多くある、彼の言う所の暢気と阿呆の護衛コンビでもなければ、無駄に愛想を振り撒く宰相でもなく、初恋を引き摺る可愛い妹王女でもなかった。自分の顔色を窺ってばかりの臣下や、忘れたい過去を知る叔父でもない。
 リカルド二世にとって義弟となる予定の、異世界から喚んだ貧弱な青年だった。
 ナガセ・ツカサと耳慣れない名前を名乗った青年は、はっきり言ってリカルド二世にしてみればどうでも良い相手だ。
 ただ妹であるティシアの婿になる、というだけの事である。
 「言い過ぎだ」と護衛であるウィリアムに咎められる程度の毒を吐いた事もあるが、それはツカサという人物に特定しての話ではない。彼に対して特別な感慨を持った為では無く、それが妹の婿になるからというだけの話だ。
 むしろ異世界から喚んだ相手であるから、それだけに留めた。
 ティシアの幸福が約束された、揺ぎ無いものであるから――とは言え、リカルド二世自身は異世界人のもたらす恩恵など夢物語と信じてもいないのだが――【覚悟】を持たなかろうが、ツカサの存在を受け入れた。
 ティシアの隣に存在する事を“許した”。
 それだけの、歯牙にもかからない相手に自身が不機嫌にされるなどと、前日までのリカルド二世は露とも思ってはいなかった。
 目の前で行われた召喚の儀式で現れた、間違いなく異世界人と分かる容姿をした青年。兎に角貧相だというのが第一印象だった。黒硝子のような瞳と独特の色味を持った肌は瑞々しく、容貌はまずまずといった感想を持った。ただし品性の欠片も無し。
 文句を挙げようとすれば幾つでも数えられたが、それを数えた所で詮無い事だった。
 ルーク・クラウディ以外であれば、誰でも良い。
 それがリカルド二世の答えだった。
 ティシアが好いた者、ティシアが選んだ者であれば、欠点があろうと、誰であれ結婚を認める――その考えは、リカルド二世の中で一貫して変わってはいない。ただそれは最初から、ルーク・クラウディを除いての話だった。まさかたった一人の例外をティシアが選ぶとは思ってもみなかったのだ。
 これが同じクラウディ家でも、長男のガリオンや三男のバルツァーであれば承服できた。この二人に対してもティシアの選択肢にも入らないと考えてはいたが、仮に万が一その二人にティシアが好意を向けたとしても、許しただろう。彼らには王族という身分を与えた所で、何の害にもならない。
 けれどルーク・クラウディは――彼だけは、異質なのだ。
 リカルド二世が今まで対峙して来た人間は、大きく分けて三通りだ。
 己を恐れ萎縮し、ただ脅え、惑うだけの能の無い者。自身に過剰な自信を抱く者は、己を侮り、掌握しようと野心を燃やす。上辺だけで諂い、巧く内心を隠せているつもりで何とも分かり易い者達だ。
 そうして今一つが、己と志を共にする者。己と対等に立とうとする者。国王としてでは無いリカルド二世を、理解しようとする者だ。
 けれどルーク・クラウディはそのどれとも違う。時に脅え、時に諂い、時に惑っても、そのどの行動・言動にも、中身が伴わない。そのどこにも真実が無い。思考が無いわけでも、感情が無いわけでもけしてない。
 彼だけは、賢王と敬われ、稀代の才と賞賛される己を持ってしても、理解が及ばない相手だった。
 そのような不安要素を、王国の懐に受け入れるわけにはいかない。
 彼は何時かその異質さ故に、身を滅ぼす。その時はティシア諸共だ。
 それならば、同じ不安要素でも、胡散臭い夢物語でしかない異世界人の方が遥かにましである。
 後はただ信の置ける臣下達の手腕に任せ、この件はリカルド二世の手を離れた筈だった。
 そうして概ね良好に、ナガセ・ツカサという異邦人はティシアの傍に馴染みつつあった。
 ――ティシアの選ぶ相手は、余の理解の範疇を超える。
 書類の束を些か乱暴に捲りながら、リカルド二世は胸中で舌打ちを漏らした。
 誰もがそうするように、初対面のナガセ・ツカサは己を見た瞬間に目を大きく見開き、息を呑んだ。そのまま呼吸が止まりそうな程に固まった。凍える視線とあだ名されるリカルド二世の視線を受け止めて、誰もがそうであるように戦慄し、目を逸らして縮こまる。後はただリカルド二世を恐れ、避けるだけ。
 二度目に会い見えた早朝の鍛錬場では、今にも逃げたいと全身が告げていた。リカルド二世が吐いた鮮烈な脅しは効果抜群で、過剰に脅え、その後の一月ばかりはティシア至上主義のハンナまでもが心配を口にする程だったと聞く。
 リカルド二世は満足した。
 後悔など微塵も無かった。
 己に萎縮する以上はけして馬鹿な真似はするまいと、反逆の意志すら見せず従順に、傀儡の如く、ティシアの幸福の為に傍らにあろうとするだろう、と。
 しかし三度目の謁見では、けして拭えぬと思えた己への恐怖を、怒気で消し去って現れた。
 リカルド二世を真正面から見据える者は、珍しい。それも憤怒を従えて、など。
 一秒、二秒、数える間も無く、揺れる瞳は逸らされる。それが王としての冷厳さを備えたリカルド二世の常だった。
 数多に漏れずそうであった相手が、ナガセ・ツカサが、射るような視線で己を睨む。
 非難の篭った黒硝子の瞳に、その時確かに、リカルド二世の感情は波立った。
 己の命の危険を顧みず、慮ったのがティシアの心であったからこそ。
 私利私欲などあったものではない。ただ単純に腹を立てる様子に、激情のままの暴挙に、その根底にある意志を見た。
 リカルド二世が抱く願いと同様、“ティシアの幸福”――それがあの時、ツカサを突き動かした衝動だった。
 それを最優先に、国王たるリカルド二世を非難する。
 ましてや張り倒そうとまでして、ティシアの涙を訴えた。
 それが死に繋がる罪等と、恐らくは知らないのだろうと、リカルド二世は思った。
 反逆と見て、その場で切り捨てられておかしくない不敬な行為だと、あの愚かな青年はけして知らない。
 それでもツカサは、異世界人故にリカルド二世が望むのを諦めた“意志”を、“覚悟”を示してみせた。
 否、あの時――リカルド二世は、異世界人故に、“意志”と“覚悟”を示したのだと――夢物語と否定してきた異世界人の恩恵を、一瞬信じた。
 己の代わりに、ティシアを全身全霊をかけて守れる存在などと――思ってしまった自分が、何より愚か。
 玉座についてからのリカルド二世の感情の揺り幅が、あの時程傾いだ事は無かっただろう。
 リカルド二世の不機嫌の原因である、ナガセ・ツカサが吐き捨てた一言は、何度も何度も脳内に浮かび上がった。

『ただし、ティアとは結婚しません』

 顔色一つ変えずツカサを見送ったリカルド二世の中で、ツカサが路傍の石から昇格したのか降格したのか、それは誰にも分からない。
 リカルド二世がツカサに新たな烙印を押す前に、執務室をノックする音がリカルド二世の思考を遮った。
「陛下、失礼してよろしいですか?」
 殊勝にそう言いながらも、返答の前に扉を開けるのは、国王の護衛であるウィリアム・アンサだ。常に国王の身を守るべく控えている筈の護衛が、その日数時間ぶりに姿を見せた。
 護衛職を放棄するように、王城内ではリカルド二世に付き従っている事の方が少ないライディティル・ブラガットに対して、ウィリアムは概ね忠実である。
 ではあるが――この日に限っては、「少し外出して来ます」と主の承諾も無いまま、近衛兵にその警護を一任して姿を消していた。
 彼のその気ままさも、リカルド二世の不機嫌の一因でもある。
 悪びれない様子で現れた護衛を、リカルド二世は冷ややかな視線で射た。
「お傍を離れまして、申し訳ありません」
肩を竦めて詫びてみせても、謝罪の意が篭って居ないのは一目瞭然だった。
 リカルド二世の瞳の色が、凍りついた湖面のように更に温度を下げる。ぴくりとも動かぬ表情の代わりに、その瞳だけが何時も雄弁に物を語る。
 けれどウィリアムには、リカルド二世の無言の非難など何処吹く風である。
「ところで、陛下」
 そうして何時も通りの、リカルド二世には何ら効果の無い華やかな笑顔を浮かべて、地雷を踏んだ。
「ツカサ様は今、どちらにいらっしゃるのでしょう?」




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