alexandrite

なち

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第一章

来たりし者 5

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 ――最初は、乗り気じゃなかった筈なのに。
 本音を言えば、誰とも会いたくないし、誰とも喋りたくない。不安と、恐怖と、焦燥を感じる心を持て余し、余裕の無い自分を曝け出すのが嫌で、部屋に籠もっていたかった。
 欲しいのは、自分の世界に帰る術。
 それ以外、何も考えたくなかった。
 だけど同時に、自分がこの世界でただの厄介者になるのも怖かった。
 そう、ゲオルグ殿下やティアに思われるのが怖かった。
 だから、ゲオルグ殿下の気に入るままの自分でいたかった。
 だから、殿下の誘いを断われなかった。
 そうしてやってきたアラクシス家別邸だった。
 それなのに単純な俺は、綺麗な景色と美味しい食べ物を前に、笑う事が出来る。胸の内の不安に蓋をして、笑っている自分がいる。
 俺の事情を知らないセルジオさんが一緒だったから、というのも確かだろう。
 逃避しているだけだというのは重々承知していたけれど。
 和やかに始まって終わった昼食は、平静を取り戻すいい機会だった。



 遠乗りに出かけるというブラッドとクリストフを見送ったゲオルグとセルジオは、居間に戻った。遠乗りを理由にノードを断わられたセルジオに、相手をするとゲオルグが告げたからだ。
 早速並べた駒を一つ動かしながら、セルジオは本題に入る。
「そろそろご説明頂けますか」
 対面で葉巻を銜えたゲオルグもまた、駒を動かす。陶器の盤が音を鳴らす。
「何をだ」
「私とブラッド様を会わせた意図ですよ」
 テンポ良く駒が動いては、相手の指に浚われていく。取っては取り返し、奪っては奪い返す。
「ふん?」
 ゲオルグは逡巡した後、動かす駒を変える。
「お前、ブラッドをどう見る?」
「どう、とは」
「ありのままの感想だ」
 複雑怪奇なゲオルグの一手を、セルジオは正攻法で返す。
「……南の出か、移民の血が流れているのは間違いないでしょう。ただ、庶民の子にしては、その所作が洗練されています。グランディア貴族の作法を叩き込まれた印象がありますが、少なくとも、私の見知った家の出ではないのは一目瞭然。では何処か遠方の地から来たか、と言われれば……それも否」
 今の今まで綺麗な陣を敷いていたセルジオの駒が、一部、歪む。
「彼には癖が一つも無い。あれは生粋の王都育ちの動きでしょう」
「そうか」
「しかしそうとは思えぬ程、知識に乏しい。完璧なのは、技だけです」
 アレクサの、否、グランディアの貴族に縁のある人間であれば目新しくもない、レスコ式庭園然り、食卓に上がった料理然り、まるで初めて見るかのように目を輝かかせる要素がないものに、ブラッドはしきりに感心した。
「兄上が後見される前は一体どこで何をして暮らしていたのか――疑問ばかりが浮かびますね。人里遠い山奥で、ただ作法だけを教え込まれて育ったとでも聞けば納得しますが、そんな風に育つ必要のある人間は、どんな人間でしょうね」
「スチュワートと同じ様には、いかぬか」
「ご冗談でしょう。スチュワート同様貧民窟から拾われてきた人間が、貴族の真似事を? 彼を近衛に引き立てたくらいなら父上の酔狂で終われますが、ブラッド様はそうはいきません。
 彼は既に、貴人として認知されている。彼を庶子の出としたのなら、父上がたの優遇の仕方は奇怪に過ぎない。ありえてはならない憶測が飛ぶだけです」
「ならばどうする」
「彼を貴族として完璧に仕上げる他ありません」
 力強く言い切ったセルジオだったが、自分の言に驚くように目を見張った後、眼鏡の縁を人差し指で押し上げた。
「――読めてきましたよ」
 不遜に笑う父親を見て、ため息を一つ。
「ブラッド様のバックグラウンドを、私に作れと言うんですね?」
「お前は、本当に優秀だな」
 そうしてゲオルグが動かした駒に、セルジオは口元を引き攣らせる。
「王手」
 言動同様、誘い込んだ筈が罠に嵌ったのは、セルジオだった。



「――あ」
 呟いたのは、ラシークだったのか、ユージィンだったのか。
 人込みの中、睨むような眼差しにぶち当たって反転したのは、ユージィンが早かった。
 グランディア王国コッパーウッド領、ウルドネスの街は、王都アレクサから馬車で二日程の距離にある。西南へ下る雄大な河川、ウルドを臨む肥沃な大地の上で栄える、交易都市の一つである。道と言う道に店が立ち、屋台からは常に香ばしい匂いが立ち上る。活気溢れた市民と旅人が溢れ、日昼夜静まる事を知らない。
 串焼きを頬張りつつ人波に流されていた二人の少年は、左右にばかり気を取られ、前方には不注意だった。
 男は激流の中にあっても揺るがぬ大木のように、一歩も動く事なく二人を見ていた。その細い瞳には、責める色ばかりがあった。
 その見慣れた顔を見て「おや」などと呑気に呟いたラシークだったが、先ず背を翻した筈のユージィンが上げた悲鳴に、ゆっくりと振り返る。
 年下の友人は、兵士に両肩を抑えられていた。そして何時の間にか自らも、前後を兵士に囲まれている。
 甲冑姿の兵士は、ウルドネスを守護する騎士では無かった。街の治安を守る為にウルドネスに駐屯するは兵士ではなく、王の命を受けた騎士の一団であり、彼らはウルドネス騎士団と呼ばれ、甲冑の胸元に市章が見られた。彼らの姿は街の至る所でお目にかかれる。
 けれどユージィンとラシークを囲むのは、ウルドネス騎士団には当たらない。腰に帯びた剣の柄には、とある家の私兵を意味する家紋が刻まれていた。
 交差する剣の上に獅子の顔――すなわち、王家アラクシスの紋章である。
 わざとらしくそれを二人の少年に見せつけ、ユージィンを押さえていた兵士はその身体を更に反転させた。
 その眼前には、何時の間にか旅装姿の男が迫っている。
「ミュ・ゼル」
 静かな声で、男は【主人】と呼んだ。彼はユージィンの従僕、マティウスという。ユージィンが滞在先の友人宅で下剤を盛って振り切った男である。
 強力な下剤に数日苦しんだ男の様相は、記憶にあるより随分窶れていた。げっそりとこけた頬から尖った顎までのラインは、不健康でしかない。
 その顔を見て、
「元気そうで、何より」
などとどの口が言えるのか。ユージィンの嫌味に、マティウスは細い目を更に細めた。
「ミュ・ゼルもお変わりないようですね」
 恨みの籠もった言葉だった。
「休暇を十分お楽しみになりましたでしょう。お父上が首を長くしてお待ちでいらっしゃいます。私と一緒にお帰り願いますよ」
 言ってマティウスは、主の強張った手を優しく開いた。
 ユージィンの手から浚われた食べ掛けの串焼きが、マティウスの口へと消えていく。味わう、というよりただ飲みこんだ、という様子のそれは、完全な当て付けである。
「お二人とも、よろしいですね」
 手の甲で脂ぎった口元を拭ったマティウスに、ラシークは
「無論」
と頷き、ユージィンはただ唸った。
 元より、一度捕獲されてしまえば、それまでとは承知の上だ。
 これでも長く自由を謳歌した、と思うのはラシークだけではあったが。
 唇をかみ締めるユージィンにさぞ満足がいったのだろう、にんまりと笑顔を浮かべたマティウスは慇懃に礼をして、二人を促す。
「それでは馬車までご案内致します。荷物は既に積み込んでございますので、ご安心を」





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