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魔王の朝は早い

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 魔界の朝は早い。

 カラスの群れが俺の安眠を阻害する。

 重い体を引きずりながら自室のカーテンを開く、遠くに所狭しとぼろ臭い家と畑が建ち並びんでいる。

 魔界の昔からの光景ではあるが、どうも今日はあまり見ていて良い気分がしない、どこを見ても、変わり映えのない景色しか見えないのは何だか味気ない、と、言っても、俺も、前まではあのぼろ臭い家の一つに住んでいたわけだが。

 魔界の周りを囲むように崖があり、その崖の先はここからでは霧が濃く、確認出来ない、俺の知っている限りでは崖の先を見に行くといって旅だった者で帰ってきた奴は一人もいない。

 そんな面白みのない魔界の中で一際目立つ俺の屋敷、家の表札には大きく「魔王」と書かれている。

 俺は、その屋敷と表札を尻目に、屋敷近くに置かれている台座への一本道を歩いている。

 普通の日の魔王の仕事なんて、朝起きたら、着替えて夜が更けるまであの台座に座っているだけなので、本当につまらない。

 俺が魔王になってから、もう何年たったろうな。

 思い返せば、前サタンが体調不良の時に運良く魔王決定戦が行われて偶然その日、挑戦者に選ばれた俺が前サタンの下腹部を執拗に攻めて勝ちを得たのが全ての始まりだった。

 一魔界の農民だった俺が今じゃ魔王サタンですよ。

 魔王サタン襲名制度なんて馬鹿げた制度が議会で承認を得たのが良かったのか悪かったのか、そんな制度がなかったら今頃は畑の種付けしてましたよ。

 魔王サタン襲名制度なんて俺が魔王サタンになって初めての議会でなくしたけどね!

 だって俺、正直強くないし。

 出来ることと言えば指先からお湯が出る程度ですよ。

 まぁ、それはいいとして、魔王になってから俺の人生は一変した。

 今まで俺を馬鹿にしていた奴らが俺の前に跪き、俺に見向きもしなかった魔界中の美女達が俺の子供を産みたいと、こぞって集まってきた。

 俺はその中から一番気に入った一人と結婚の儀をあげ、夫婦になり、その数年後にその美女との間に元気な娘が生まれた。

 残念な事に娘が二歳になる頃に妻は他界してしまったので、今は娘と二人暮らしだ。

 と、言っても家には召使いが山ほどいるのでそんなに苦労はしていない。

 苦労していると言えば、最近の議会では俺をサタンから引きずり下ろそうとする奴がいて、危ない案を山ほど出してくる。

 この前なんて魔王サタン襲名制度の復活の事案を出してきたときには冷や冷やだった。

 どうにか賛成が三人しかいなかったので否決になったから良かったものを、結果がわかるまでは生きた心地がしなかったわ!

 どう考えてもおかしいんだよ襲名の方法がランダムに選ばれた魔界の奴と魔王を一対一で闘わして勝った方が新しいサタンだなんて!

 もう一度言っておくが俺が出来ることと言えば指先からお湯が出来る程度だからな!

 そして、巷では悲しきかな、俺の目から怪光線が出るとか、俺が近づくだけで魂が抜かれるとか言われているらしい。

 そんな噂のせいで、この頃、娘以外みんな俺と目を合わせてくれないし近くにも寄ってきてくれなくなった。

 家の召使いさえ俺から一定の距離をとって会話も長い筒を使って話しかけてきますけど何か?

 もっと不可思議なのは、俺の座っている台座の肘置きに置いてある、この紙コップ。

 これは何かと言うと、議会の連中や連絡役の奴が俺と話すようにとの計らいで置いてくれた糸電話の先である。

 お前ら議会で目の前に座って目見て話してるよな。

 嫌がらせか、嫌がらせなのか!

 つか、魔王に話すときに糸電話使うって失礼極まりなくないか?

 だから、俺は唯一気兼ねなく近くに寄ってきてくれる娘が可愛くて仕方ない。

 少し前まで言葉足らずだったが最近は色んな言葉を覚えては、その言葉の意味を俺に「おしえて」と聞いてくる。

 議会で忙しいときなどは少し面倒くさいときもあるが、実の娘でしかも俺に唯一近くで話しかけてくれるんだから悪い気分はしない。

 だがその日の娘の質問に俺は困惑することになる。

 本当に・・・・・・魔王なんて良いことないよ。


□ 


 その日も、いつもの様に娘が俺に自分が覚えた言葉の内容を教えて貰おうと質問してきた。

「ぱぱー、おしえてほしいのー」

「んー、何だい? パパに任せておきなさい、パパは魔界の王様だから何でも知っているよ」

「すごいねー」

「凄いだろー」

 いや、本当は魔王になるまで畑の耕し方しかしらなかったけども。

 台座によじ登ってくる娘を片手で持ち上げて自分の膝にのせる。

「さぁ、何が聞きたいんだい?」

 どうせまた召使いが言っていた会話でも盗み聞きして覚えてきた言葉だろう。

「あのねー、やきゆうってなーに?」

 娘の言葉に俺の時が止まる。

「や・・・・・・やきゆうねぇ・・・・・・」

 何それ、知らない。

「そ・・・・・・そうだね・・・・・・美味しい・・・・・・かな?」

「たべものなの?」

 俺の頭の中は「やきゆう」を考える事を止め、新たな食物「やきゆう」を考え出すことに向けられていた。

「こう、あれ、甘い中にも、深みがある・・・・・・」

「じゃあ、きょうのよるごはんはやきゆうだね!」

「ふがっ!」

 思わず鼻から息が漏れてしまった。

「どっ、どうだろう? 家の召使い達は作れるかな?」

「きいてみるー」

「あっ! ちょっと!」

 娘は俺の膝の上から、軽くジャンプして下に降り、一目散に屋敷の方へ走っていった。

「うわー、マジか、やきゆうとか知らないし、食べ物かどうかも定かじゃないし、ああ、メイドがやきゆう知ってて娘が俺に食べ物って聞いたとか言ったら絶対陰口言われるよ! 『魔王様、知りもしない言葉を娘に教えるなんてアホみたい、そう言えば昨日鼻毛出てたわよ奥さん』とか言われちゃうよ」

 俺は頭を抱えた。

 かーっ、言わなきゃよかった。

「あ、戻ってきた」

 遠くから戻ってくる娘は頬を膨らまし、少し怒っている様子でこちらへ戻ってきた。

「ぱぱー、みんな、やきゆうしらないんだってー、ぱぱがうそついたっていうから『ちがうよ』って言っておいたからね!」

 おーう、俺、嘘つき言われてたんかい。

 いや、間違ってはいないがな。

「あっ、あぁ、そうだな、珍しい食べ物だからみんな知らないんだよ」

「ふーん」

「いいかい? パパは何でも知っているけど他の人は何でも知っていはいなんだよ。だから、許しておやり」

「はーいっ!」

 よかった! 何か色々とよかった!

 元気に手を上げる娘を前に俺は小さく拳を握った。

 その後、娘は満足したように俺に手を振りながら屋敷へと帰っていった。

「ふー、どうにか切り抜けられたな・・・・・・」

 俺は額に浮かんだ汗を拭って安堵した。
 
 だが、次の日、悪夢は続く。

 その日も娘は俺に満面の笑みで近づいてき、こう言った。

「ぱぱー、ふあみれすってなーに?」

 また、きたか、俺はとっさに娘に向かって身構えた。

「ふあみれす・・・・・・ふあみれすねぇ・・・・・・少し待ってなさい、お前がわかるように説明するために少し考えるから
な、別にパパが知らないから悩んでいるわけじゃない事を承知しろよ?」

「しょうちしたー」

「良い子だ」

 ふんすー! ふあみれすって何よ! 大体ふあって何だよ! いや、むしろみれすの方か!

 考えろ! 考えるんだ俺!

「ちっ、ちなみに、おっ、お前は何だと思う?」

「んー、とねー、おみせのなまえ!」

 それ、いただき。

「当たりだ! さすがパパの娘だ! 賢いなー」

 俺は額に滝のような汗をかきながら必死に娘の頭を撫でた。

「えへへー」

 満面の笑みで撫でられている手を触っている娘に俺は言葉を続けた。

「ところで、今みたいな言葉いつも誰に教わるんだい?」

 元凶は誰だ! 誰なんだ! 見つけ出してお湯をぶっかけてやる!

「べるぜぶぶおじちゃんだよー『ぱぱは、なんでもしってるからこのことばきいてきな』っておしえてくれるのー」
 あの野郎!

 ベルゼブブとは議会で俺を目の敵にしているでかい蠅頭の輩である。

 前回の魔王襲名制度の復活を提案したのもこいつだ。

 どうやらこいつ極限に俺の事が嫌いらしい。 

「そうか、ところで今のふあみれす以外にどんな言葉を教わったんだい?」

 先に聞いておけばなにかしらの対策が立てられるはずだ。

 俺は袖の下から紙とペンを取りだしていつでも書ける準備をした。

「んーと、ぱずる、ぱそこん、くるま、ようしきといれ、さこつ、だよー」

 俺は必死に今娘が言った言葉を紙に書いた。

 やばい、一つもわからない。

 本当にこんな言葉あるのかよ。

「ちなみにベルゼブブはどこの言葉だと言ってた?」

「にほんのことばっていってたよ」

 にほん、にほんっと。

「よし、わかった。今日はもう遅いから、明日この言葉の意味を教えてあげるからなー今日はもう屋敷に帰りなさい」

「はーい」

    娘は元気に返事をして屋敷に戻っていった。

「さて、どうしたものか……」

    にほんか、たしか地上にある国だったな、問題は、ぱずる、ぱそこん、くるま、ようしきといれ、さこつだな。

    魔界の奴らに聞くにしても誰も俺に近寄ってくれないから聞くに聞けないやんけ。

    いや、まてよ?   ここで、魔界の誰かに聞いたらベルゼブブに付け口されて俺が無知なことがバレてしまうかもしれない。

   それだけは避けなければ……そうだ。

「にほんの奴に聞けばいいんじゃないか!」

    さすが俺、仮にも魔王!

   しかし、名案ではあるがどうやってにほんの奴に連絡を取るかだな。

   俺は自分の周りに何かないか見渡してみる。

    ……糸電話しかねぇ……

「ん?  糸電話?」

    俺は糸電話の糸を手繰ってみた。

「結構長いな」

    糸電話の糸は遙か遠くに延びていて先にあるはずの紙コップの姿はいつまでたっても見えてこない。

「ここまで遠くから話されてるとわかると若干凹んでくるな」

   思わぬところで心に傷を追いながらも、俺は糸をどうにか最後まで手繰り寄せた。

「それで、この紙コップを外して、っと、おーい、カラスそこら辺にいる?」

    俺の一声を聞くと何処からともなくカラスが一匹飛んできて台座の前に降りたった。

「この糸をにほんにある電話に繋いで来てくれ」

 俺はカラスの足に糸を結んだ。

「ほら、いけっ!」

 カラスの尻を軽く押すと、カラスは鳴き声を上げながら漆黒の空へと飛び立っていった。

「ふぅ・・・・・・」

 一つ、大きく息を吐く。 

 あー、畑耕してぇな・・・・・・






 次の日の朝、台座に行くと昨日にほんに行かせたカラスが台座の前で毛繕いをしていた。

「お前・・・・・・めっさ黒い毛が台座に落ちてるんだけど嫌がらせか? それはいいとして・・・・・・繋いできたか?」

 カラスは自信満々に鳴いて見せた。

「ありがとう、もう、戻って良いぞ」

 カラスは一鳴きした後、すぐに飛び立っていった。

 カラスが何処から来て何処に戻っていくのかは誰も知らない、ただ呼べば来るし、命令もきちんと聞いてくれる。

 まったく不思議な生き物である。

 カラスの姿が見えなくなったのを確認してから、俺は紙コップに向けて話を始めた。

「あーあー、聞こえますかどーぞー」

『おわっ! 誰!』

 あちらから驚いたような、と、言うか驚いた声が聞こえてきた。

「こちら、魔界の魔王サタンですどーぞー」

『何だ、悪戯電話か』

 「ぶちっ」とあちらから音がして何も話さなくなったので俺は再度、話を始めた。

「おい、聞けや」

『なんだよ! 悪戯電話なのにしつこいぞ!』

「悪戯やない、魔王や、魔王サタンや!」

『何でそんなに自信満々なんだよ! もういい切るぞ!』

「切ったら、魔王権限でお前は一生「ぴ」が言えない体にするぞ!」

『なんだよ! 何か怖いよそれ!』

 意外と魔王に与えられる権限は多く、些細なことなら願いさえすれば叶ってしまう。

 だけど、これにも制約があって、俺の権限で決めたことは次の月の議会で必ず問題になるのだ。

 それならこんな権限持たせるなと思うんだが、由緒正しき魔王に受け継がれるものだから、こればっかりは消せない物らしい。

「いいか、いまからお試しで「ぴ」を言えない体にするからな!」

『おいっ! ちょ!』

「ぬふーっ! はい、なったぞ」

『え? まじか?』

「嘘だと思うなら「ぴ」の着く言葉を言ってみろ。「ぴ」のつく言葉を言おうとするとお前の体はおもっくそ痒くな
るようにしたからな」

『嘘くさいな。じゃあーえんぎゃあああああああああああああかゆぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!』

「ははは」

『はははじゃねえよ! まだ痒いわ! 何者だお前!?』

「だから、魔王サタンだって言ってるだろ? そろそろ信じろよ!」

『いや、しかし実際問題いきなり自分の携帯に知らない電話番号から電話がかかってきてでたら「俺、魔王」とか言われていきなり信じる奴なんていないだろ?』

「じゃあ、もういっちょやってみるか?    今度は……」

『いや、いいよ!    信じるから止めろよ!』

「ああ、そうしてくれると助かる」

    これ以上権限使うと本当に議会で問題になるからな。

「で?    お前名前は?」

『俺?    山野彦一』

「よろしくなヤマヒコ」

『鬼のように馴れ馴れしいなおいっ!』

「鬼じゃねえよ。サタンだよ!」

『そんなこと聞いてないわ!』

「ヤマヒコよ。冗談は置いといてだ。このサタンがお前に電話をしたのは他でもない重大な話があるんだ」

『なっ・・・・・・なんだよ・・・・・・』

 俺は手に持っていたノートに書いてある文字を読み上げる。

「ぱずる、ぱそこん、くるま、ようしきといれ、さこつ、この言葉について教えてくれ」

『は?』

 紙コップ越しに素っ頓狂な声が聞こえた。

「いや、だから、ぱず」

『いや、知ってるけど、何で魔王がパズルなんて知りたいんだよ。つか、鎖骨って・・・・・・』

「魔界にも色々事情があるんだよ! そこらへんは察しろ!」

『察しろって無理言うなよ・・・・・・まっ、いいけどさ、最初はパズルだっけ?』

「そうそう、ぱずる、出来るだけ詳しく教えてくれ」

『パズルってのは・・・・・・』


 俺はこの後、ヤマヒコから今日娘がベルゼブブから教わってきた言葉を全て事細かに、教えて貰った。

「凄いな、にほん、凄いな!」

 俺は鼻息荒く言った。

「さこつ、とは何と神秘的なものか!」

『まさか、鎖骨の説明しただけでこんなに凄いなんて言われる日が来るとはな・・・・・・』

「いや、本当に助かった。ありがとう、感謝するよ!」

『いや、別にいいよ。俺も楽しかったし』

「申し訳ないが、また明日になったら聞きたいことが増えるかもしれん、その時はまた、電話してもいいか?」

 多分明日もベルゼブブは娘に新たな言葉を教えて俺に恥をかかせようとするだろうからな。

『おう、俺帰宅部だから夕方から暇だからいつでも電話大丈夫だよ。土日はいつでも大丈夫だしな』

「きたくぶ? どにち? よくわからんが、また電話すると思うので、その時はよろしく」

『あいよー』

「では」 

 俺は紙コップを台座に置いた。

「・・・・・・楽しかったな」

 こんなに気兼ねなく会話をしたのはいつぶりだろうか、腹の中では何を考えているのかわからない議会の奴らと話すのと大違いだ。

 興奮した気持ちを静めるために、一回大きく息を吐いた。

 ヤマヒコの説明の中で、わからない部分もやはり、多々あったものの、その内容に俺は胸踊らせた。 

 明日、娘に説明するのが少し楽しみに思えた。

「こんなのも、悪くないよな」

 誰に言うわけでもないが、そう、一言呟いて軽く笑った。


『おう、今日は何の言葉だ?』

 娘は今日もベルゼブブから新しいにほんの言葉を教えて貰い、俺に聞いてきた。

 娘には「明日説明してあげるから、その言葉の意味を自分なりに考えてみなさい」と、ヤマヒコに聞くための時間
を作っている。

「えーっと、いっけんや、とこや、やきにく、あふろ、だな」

『また面白い組み合わせだな』

 言葉の意味がわからないので面白いのかどうかはまだ、わからないが、俺はヤマヒコに言葉の意味を教えて貰うのが少しばかし好きになってきていた。

 いままで体感したことのない言葉に触れて、見たことのない世界の物を聞ける。

 農民の時も、魔王になってからもそんな体験は、したことがなかった。

 魔王になってからは何でも手に入ったが、逆に出来なくなったこともたくさんあった。

 俺が耕していた農地は無くなり、その変わりに馬鹿でかい屋敷が建った。

「いっけんや、は家の事か、ふむふむ」

『それにしても魔界ってのは本当に日本とは全然違うんだな。不便じゃないのか?』

 ヤマヒコの問いに、一瞬考える。

「不便か、実際問題、飛べる奴には、くるまはいらないし、といれと言われても魔界のやつらはといれにいかないん
だよ」

『そうなのか?』

「食べることはそっちと同じなんだが、魔界に住んでる奴らは食べた物はどこにいってるかわからないんだよ」

『太ったり、痩せたりしないのか?』

「ふとったり? やせたり? なんだそれ?」

『体が大きくなったり、細くなったりはしないのか?』

「体自体は大きくなるが、体型に変化はないな」

『俺とお前が日本語で普通に話せてるのも疑問だしな』

「そういえばそうだな」

『意外と魔界の日本って近かったりしてな』

 ヤマヒコの笑い声が紙コップごしに聞こえてくる。

「おお、それならいつか是非、会ってみたいものだな」

 二人の笑い声が紙コップ越しに交わる。

「では、またな」

『おう、またな』

 まったく、不思議な関係である。

 でも嫌な感じもしない。

「本当に一回会ってみたいもんだ」

 その時、遠くから誰かがこちらへ向かってきた。

「魔王様ー!」

 遠くに小さく見えるのは、議会の連絡係のルシファーであった。

「ん、ルシファーか、今日も一段と堕天使ってるな! 今日はどうした?」

 背中に生えた二つの翼を揺らしながら走ってくるルシファーだが、ある程度まで近づいたところで、足が急に止まった。

「あーっ! ごめんなさい! 魂だけは抜かないで下さい! 光線も止めてください!」

「そんなもんでねえよ! いいから早く用件を言え!」

「あっ・・・・・・今日は出ないんですね・・・・・・よかった」

 今日も、明日も明後日もでねえよ。

「すいません。いつも使っていた糸電話の紙コップがなくなっていたので連絡が遅くなってしまいました。明日の夕刻から議会を開きますのでよろしくお願い致します。内容につきましてはトーニ様からゴート様への申し立てが一つ、ベルゼブブ様の魔王様へのご相談が一つと、ご提案が一つあるとのことでした」

 また、あいつか。

「では、私目はこれで・・・・・・」

「はい、お疲れ様」

 踵を返し、来たときよりも早く走っていったルシファーはすぐに姿が見えなくなった。

 ベルゼブブからの提案が二件か・・・・・・嫌な予感がするな。





 テーブルの一番奥の席に座りながら俺は溜息をついていた。

「で、あるからして、今回の貴殿の行いは!」

「何を言っているかトーニ!」 

 トーニとゴートの言い争いがいつまでも続いていて話が前に進まない。

「あー、ちょっといいかな?」

 俺は手を上げて発言をする。テーブルに座っている俺以外の九人のお偉方の視線が全部俺の方に向けられた。

「あのさ、別にゴートが誰に恋をしようといいじゃないか、そりゃあ、トーニの娘なんだから意見があるのもわかるが、その事を議会に持ち込まなくてもいいんじゃないか?」

 にらみ合いをしていたトーニの視線がこっちを向く。

「しかし魔王!」

「言い争いがあるなら議会が終わってからにしてくれ? わかったな?」

「・・・・・・申し訳ありませんでした」

 二人が俺に頭を下げて席に座ったところで、俺は右側に座っているベルゼブブに視線を向けた。

「で、ベルゼブブ、昨日ルシファーから話があったんだが、二つほど話があるらしいじゃないか、是非聞かせてもらいたいんだが?」

 どうぜ、俺を陥れるような事考えてるんだろうな。

「はい、いきなりではありますが魔王様、日本はご存じかな?」

 俺の体が動揺で、少し揺れる。

「知ってるが?」

「さすが魔王様! 聞くところによると最近では日本の言葉を娘様にお教えとのことで、いや、本当にお偉いことです」

 何を言ってるんだか、教えてるのはお前だろうが!

「話は変わりますが、最近魔界では新たな生命の誕生が数多く報告されております」

「それは良いことだな、魔界の住人が増えることは嬉しいことだ」

「それが魔王様、良いことばかりではないのですよ。知っての通り、魔界の広さには限度があります。魔界の下々の者達はいまや住むところさえない状態なのです」

 そうなのか、知らなかった。

「それは大変だな。すぐに住む所の手配を・・・・・・」

「そういうことではありません!」

 ベルゼブブがいきなりテーブルを叩いた。

「今話をしていることは住む家をどうすればいいと言っているわけではないのです! 前提として、もう魔界には下々が住める所がないと私は申しておるのです!」

 本当に暑苦しいなこいつ。

「それが今回の相談事かい?」

「はい、そして、これからが本題でございます」

 ベルゼブブには表情はないが、雰囲気だけで良くないことを考えていると察しがつく。

「先に話した通り、魔界にはいまや住む所がありません。そこで、我々はどうすればいいのか? それは、魔界に住んでいる者の間引きでございます」

 俺の左側に座っていた議会での内容を記録しているロウジンがベルゼブブに声をかけた。

「ベルゼブブよ・・・・・・気でも狂ったか? 今まで魔界の議会が始まってから、そんな事を言った輩なぞおらんかったぞ」

「それは今までに魔界がこのような状況になったことがなかっただけではないのか? 実際問題として、もう魔界に
は切り開ける土地はない、その問題を貴殿は見過ごせと言うのか」

「いや・・・・・・そんなことは・・・・・・」

「私とて、今回の件、苦渋の決断であった。幾度、この目を涙で深紅に腫らしたことか!」

 大嘘こきが、まずお前に涙を流す機能があるかどうかさえ怪しいわ。

 そんな事よりも、だ。

「ごめん、ひとつ聞きたいんだけどいいかな?」

「どう致しました魔王様?」

「間引きってそもそも何?」

「魔王様・・・・・・」

「ロウジン、そんな呆れた顔しないでくれよ。俺がこの言葉の意味わからないと、話し合いにならないだろ? そんな顔されたら、俺は泣いてしまうぞ」

 うっすらと涙を浮かべながらロウジンに訴えかけた。

 そのやりとりを聞いて、ベルゼブブが意気揚々と話し始めた。

「では、魔王様に間引きをお教えし、その後に細かなこれからの流れを説明させていただくことにします」

 それは非常にありがたい、今議会の雰囲気はビックリするくらい重々しいので、多分大変なことなんだろう。

「まず、魔王様、間引きと言うのは、親が子を殺すこと、言い方を変えれば子殺しでございます」

 ベルゼブブの言葉を聞いて、俺はやっと事の重大さに気がつく。

「何を言っているんだ! そんなこと出来るはずがないだろう!」

「魔王様・・・・・・遅いです・・・・・・」

 ・・・・・・ロウジン・・・・・・うるさいよ

「魔王様、少しお待ちください、私の話もまだ途中でなので、最後まで聞いていただきたい、確かに、この間引きは大変な問題になることでしょう。ですが、今これをやらねば、近い将来、魔界に生まれ来る物達はどうなるでしょうか? 魔界は浮浪者でわき上がり、いつしかカラスに育てられた者さえ出てくるかもしれません、ですが、それでも名前が違うとは言え子殺しを下々の者達だけに強要するのはいかがなものでしょうか?」

 俺はベルゼブブを睨み付けながら話を聞いている。

 ふろうしゃとは何なのかはわからないが、あえてそこは聞かないことにした。

「そこで私は考えました。この様な重大な決断をするにあたって率先して行うべきは議会の者達ではないのかと! この議題が可決されましたら明朝、議会の者達は間引きを行い、下々の者達に示しをつけるのです!」

 ベルゼブブが話を止め、視線を周りに巡らせる。

 俺も含め議会全員今のベルゼブブの議題に反対のはずである。

 間違ってもこんな事が可決になるはずがないことはベルゼブブならわかると思うが・・・・・・?

「・・・・・・それでは、これから挙手にて・・・・・・」

「まだ、お待ちください!」

 ロウジンの言葉をベルゼブブが制した。

「こんな事を言っておいてなんだが、この案が可決になることはまず間違いなくありえないだろう。そこでもう一つ提案があるのです。みなさんには今から言います提案か間引き、どちらか一方を選んでいただく形にしていただいてもよろしいでしょうか? 誠に遺憾ではありますが、このどちらかを選ばなければ魔界の未来はないかと思われます」

 ・・・・・・ここからが本題って事か、本当に嫌な奴だなこいつ・・・・・・そりゃあ誰でも自分の子供を殺すのと引き替えにならもう片方の提案を飲むに決まってるじゃないか。

「魔王様」

 いきなり声をかけられて俺は裏声になりながら返事をする。

「カラスがどこから魔界に来ているかご存じですか?」

「知らない」

「私も最近までカラスが何処へ行き、何処から戻ってくるのか不思議でなりませんでした。しかし、つい先日カラスが足に紐をつけ飛んでいる姿を発見致しました」

 うわっ、見つかってた。

「その糸について、私には心当たりがあります。魔王様が私達と会話をするために使われていた糸電話の糸です。そうですね魔王様」

 俺は弱々しく返事をした。

「足に糸をつけたカラスは一直線に崖の方へと飛んでいき、そのまま見えなくなっていきました。さて、そのカラス
は何処へ行ったのでしょうか? 魔王様、わかりますかな?」

「・・・・・・」

 知ってるくせしやがって、回りくどい奴だ。

「私が寝ずに調べた結果、何とその先には日本があることがわかったのです! 今まで「地上にある」としかわからなかった日本への行き方を何とカラスは知っていたのです!」

「ベルゼブブよ。それ自体は驚くべき発見だとは思うが、それが今回の件と関係性があるのか?」

「ロウジンよ。話を急がないで頂きたい。この日本が魔界を救う為に絶対に必要なのです! 私は昔から魔界にある文献にて日本についての知識を深めていました。それによると日本はこの魔界よりも遙かに発展し、国土も魔界の数百倍あることは明白なのです。魔王様、車はご存じでしょうか? ご存じのはずだ。是非、説明して頂きたい」

 俺はゆっくりと立ち上がる。

「それを説明させてどうするんだ?」

 両手をテーブルに置き、ベルゼブブに問いかけた。

「ベルゼブブよ。俺がにほんの事を知っている事が何か問題か?」

「いえ、何も問題ではありませんが、魔王様、先日権限をお使いになられたようですが、それは何方に使われたのですか?」

「・・・・・・お前には関係ない」

「関係ない事はありません! これは重大な事なのです! 魔王様が言わないのであれば私の方から言わせていただきましょうか?」

「・・・・・・にほんの者に使った」

「何と・・・・・・」

 ロウジンが驚いた顔でこちらを見ている。

 それだけではない、議会にいるベルゼブブを除く全員が俺に対して驚愕の眼差しを向けていた。

「そうなのです。先に話した通り、カラスが足につけていたのは糸電話の糸でした。魔王様はそれを日本にある電話に繋げ、日本の者と会話を交えていたのです!」

「・・・・・・それは罰せられる事なのか」

「いいえ、魔王様、そのような事はありません。むしろ今回の魔王様の行いは魔界を救う大きな一歩になったのです」

 魔界を救う大きな一歩? 俺はその言葉の意味がわからず、ベルゼブブの次の言葉を待った。

「この魔王様の行動で、日本への行き方がわかった時、私の頭の中に魔界を救う妙案が沸いてきたのです。それは、日本を我が魔界の領土にする事です! 我ら議会の面々が直々に日本に出向き、戦火を持って魔界の領地にするのです!」

 議会がシンッと静かになる。

 ベルゼブブが何を言っているのか全員頭の中で必死に考えているのだろう。

 俺と来たらせんかの意味がわからないのでいまいち出遅れている。

「だが、ベルゼブブよ。日本へ行くのは反対はしないが、一体どうやって行くつもりだ? 私達にはカラスのような羽もない、それとも、その糸電話の糸を伝って行けとでも言うのか?」

 ロウジンの言葉を聞いたベルゼブブは「待ってました」と言わんばかりに話し始めた。

「そこはご心配ありません。私に秘策がございます。今ここで、と、言うわけにはいかないので、この提案が可決され、日本に赴く事になりましたら私の屋敷の前でご覧頂きましょう。ではロウジン、挙手にて間引きか、日本か、決めていただこうではないか」

「俺はどちらも反対だぞ」

「では、魔王様は挙手には参加なさらないのですな?」

「俺は魔王の権限でこの提案を却下する。ロウジン出来るよな?」

 それぐらい、許されるはずだ。

「・・・・・・魔王様、それは出来ません。いくら最高位の権限があるとしても議会の提案を反対だからの一点張りで却下することは不可能です」

 そんな・・・・・・

「魔王様、辛いとは思いますが、これも魔界にとって必要なご判断かと・・・・・・では、魔王様は参加なさらないそうなので九人での挙手によりどちらかを選ぶことにする!」

 俺は力なく椅子に腰掛けた。

「では、初めに、間引きを行うに賛成の者は挙手をせい」

 前を見ると、誰一人として手を上げていなかった。

 そりゃそうだ。

 みんな、それぞれに子供がいる。

 その子供を魔界の為と割り切って殺せる者なんていないんだ。

「誰もおらんな? では、次に、我らが日本に赴き、議会の力にて領地を貰い受けるに賛成の者は挙手をせい」

 九人全員、迷いなくこちらに手を上げた。

「決まりですな。では、議会の皆さん、明日の夕刻に私の屋敷に来ていただきたい、そこで日本への侵攻作戦を説明させて頂く、では、私はこれで」

 こちらに背を向けて、ベルゼブブは議会を後にした。

 残った九人は未だ席に座りっぱなしである。

「わっ・・・・・・私は別に娘との交際を否定しているわけではない・・・・・・」

 口を開けたのはトーニだった。

「考えてしまったのだよ・・・・・・ゴートと結婚の儀をあげ、幸せそうな顔をしている娘を・・・・・・その娘に子供が出来た
ときに、もし間引きしなければならなかったら・・・・・・」

 拳を握り肩を小刻みに震わしているトーニにゴートが近寄った。

「・・・・・・日本に赴き、間引きなぞ行わずとも良い魔界にしていきましょう・・・・・・」

「ああ・・・・・・ああ・・・・・・」

 二人ともゆっくりと議会を去っていった。

「・・・・・・明日か」

 俺は静かにそう言った。

「魔王様、無理はしなさんな、魔界に残っていてよいですぞ」

「元々、俺なんて魔王なんて柄じゃないんだよな・・・・・・」

「今は娘様の事を大事に思いましょうではないか、間引きが始まったら娘様を殺めることになったんですぞ?」

「絶対に無理だ・・・・・・」

「気を落とさずに、では、私はこれで」

 ロウジンも立ち上がり俺に背を向けて、歩きはじめる。

「ロウジンよ」

「何か?」

「にほんの者達にも家族はいるんじゃないか? これからやることは間引きと同じなんじゃないのか?」

 俺は馬鹿だから違いがわからない。

「・・・・・・そうですな」

 ロウジンは振り向かずにそう言って去っていった。


「どうしてこうなった」

 俺は台座に座って、腰を折り、前屈みで頭を抱えていた。

 普通ならば屋敷に戻って娘と一緒に食事をしている頃なのだが、今日はそんな気分になれない。

 一本道の先に見える屋敷は何処か他人行儀で、本当に自分が住んでいるのかさえ怪しく思えてくる。

「ん?」

 よく見れば、屋敷から一つ、小さな影がこちらに向かってきている。

「ぱーぱー」

 小さい体ながらもこちらに見えるように大きく手を振っている。

 娘が小走りで息を切らしながら俺の前にやってきた。

「おそいねーおなかすいてしまったー」

「ああ、ごめん、ごめん・・・・・・」

 娘の頭を撫でながら俺は考えた。

 この子を殺すなんて出来るはずない。

 だけど・・・・・・

「なあ、一つ聞いていいかい?」

「んー? いいよーどぞー」

「パパの事、好きかい?」

「んーとねー・・・・・・だいだいだいだいーすーき!」

 無邪気な顔の娘は俺に少しだけ、勇気をくれた。

「ん、そうか、ありがとうな・・・・・・パパもう少しここにいるから先に屋敷に戻ってご飯食べてなさい」

「あいあいさー」

 俺は小さく手を振りながら娘の背中を見送った。

 一つ、自分の中で気持ちが固まった。

 もう一つ、やっておきたいことがある。

 俺は肘掛けに置いてある紙コップに手を伸ばした。

「もしもし、ヤマヒコ聞こえるか?」

『おー、魔王か? 今日はいつもより遅い時間の電話だな』

「まあな、それでな、聞きたいんだけどにほんて・・・・・・強いか?」

『あん? なんだそれ? いや、強いか弱いかで言えば他の国と比べたら弱いんじゃないか?』

 弱いか・・・・・・

「そうか・・・・・・ヤマヒコよ・・・・・・にほんは俺が守るよ・・・・・・」

『何を訳のわからないこと言ってるんだお前は・・・・・・』

「じゃあな・・・・・・」

 俺は紙コップに繋がっていた紐を思い切り引っ張った。

 空中に伸びていた糸は何処かで切れたようでそのままゆっくりと地面に落ちていった。

 紙コップを肘掛けに置き、俺は台座から立ち上がった。

「決戦は・・・・・・明日だ!」

 俺が、にほんを守る!

「俺は・・・・・・魔王サタンだ!」

 俺は全指からお湯を出しながら空に向かって声を張り上げた。

「決戦は明日! ベルゼブブの屋敷だ!」

 今日は早くお風呂に入って寝る!

 俺は屋敷に向けて全速力で走りはじめた。



 次の日、俺がベルゼブブの屋敷に到着すると、屋敷の前にトーニ、ゴート、ロウジン、ベルゼブブが立っていた。

「どうやら来たのは私達だけみたいですな」

 ロウジンは溜息を吐きながら一言そう言ってベルゼブブの方を見た。

「何も問題はない、ところで魔王様は本当に大丈夫ですかな? 今なら魔界に残る選択肢もありますが・・・・・・?」

「全然大丈夫、やる気あります!」

 俺は右手を挙げながら返事をした。

「それならばいいのですが・・・・・・」

「ところでベルゼブブよ。日本へ行くための秘策とやらをまだ見せて貰っていないが?」

「トーニよ。焦るでない、今見せる」

 ベルゼブブが手を二回叩くと屋敷の床に亀裂が入り、ゆっくりと開いていく。

「皆さん、危ないので私の隣まで下がって頂きたい」

 ベルゼブブの言葉を聞いて、全員ベルゼブブが立っている場所に移動した。

 亀裂が円形に開ききると同時に、下からゆっくりと、大きなカラスの形をした物が姿を現した。

「これは一体・・・・・・」

「説明致しましょう。これは日本で飛行機と呼ばれる乗り物です。今からこれに乗り日本へ向かうのです」

「何と、これが飛ぶとでも言うのか? ワシにそんな夢物語を信じろと?」

「ロウジンよ。何回も言わせないで頂きたい。時代は変わったのだよ。私は昔から自分の屋敷にある書庫で研究を重ね、この飛行機を完成させた。この乗り物は日本の空を縦横無尽に飛んでいるのだよ。飛行テストも数えきれぬほど
行い、安全性も十分である」

「それならばよいのだが」

 俺は何も言わずにひこうきを眺めている。

 こんな物があるならにほんへ行くのなんて本当は簡単だったろう。

 俺の糸電話の糸でにほんの場所がわかった? 嘘つくな。

 ベルゼブブは最初からにほんへの行き方を知っていた。

 だけど、それを自分から言い出すのは分が悪い。

 だから俺ににほんへ連絡させてその事を議会に持ち出した。

 その為の糸電話か・・・・・・

「くそっ・・・・・・」

 誰にも聞こえないほどの声で俺はそう呟いた。

「では、全員準備はよろしいかな? これから飛行機へ乗って頂く、日本に着いた後は激しい戦いが予想されるので帰りたい者は今のうちだぞ?」

 ベルゼブブの問いに誰一人として帰ろうとする者はいなかった。

「・・・・・・そうか。では、着いてきてくれ」

 ベルゼブブはそう言うとひこうきの足下に立って、右足の真ん中辺りに着いている赤いボタンを押した。

 すると、ちょうど両足の真ん中に位置する腹の辺りが開き、一人が通れる程度の階段が降りてきた。

「順番に上がって頂きたい。最初は私が行かせてもらう」

 さっさとひこうきの中へ入っていくベルゼブブに続き、全員階段を上がって中へ入っていった。

 ひこうきの中には床に固定されている椅子がいくつも並び、一番前に何かわからないレバーやボタンがたくさんついた席が一つあり、ベルゼブブはそこに腰掛けていた。

「みなさんはどの席でも自由に座って頂いてよろしいです。私は飛行機を運転するので一番前に座らせて頂いている
だけですので」

 俺は一番後ろの席に座る。

 ベルゼブブが右手近くのボタンを押すと、後ろで階段が持ち上がって床に固定された。全員が席に座ったのを確認した後に、ベルゼブブが自分の周りのボタンを押し初める。

 ボタンを一通り押し終わるとひこうきがゆっくりと動き始めた。

 ベルゼブブは自分の目の前にあるレバーを前後に操作している。

 走っているひこうきの速度が徐々に上がってくる。

「本当に飛ぶのか?」

 俺の問いにベルゼブブは答えない。

 と、その時、体に重い感触があった。

 ベルゼブブはレバーを思い切り、自分の体の方へ向けて傾けた。

 そうすると、どうだ。ひこうきの前部分が上を向き、体は後ろに押され、俺は身動きがとれなくなったいた。

「飛ぶのが落ち着くまで、もう少しお待ち下され」

 外の様子が見たいが、見れるのはベルゼブブの前にある大きなガラスの所しかない。そこからは雲に覆われた空しか見えていないので、自分が本当に空を飛んでいるのかわからない。

 ゆっくりと前部分が下に折り、ひこうきは水平に戻った。

「飛行が安定した。後はこのまま真っ直ぐ飛んでいけば日本に着きますぞ」

 ベルゼブブの言葉を聞いてから、俺は意を決して話し始めた。

「なあ、ベルゼブブ。お前、本当はにほんへの行き方しっていたろ?」

 ゆっくりと自分が座っていた席から立ち上がる。

「何を言いますか、今回日本の場所がわかったのは全て魔王様のおかげです」

 目の前の雲を見つめながらベルゼブブは答える。

 俺は前に座っているトーニとゴートの背中に手を当てた。

「二人とも申し訳ないが少し床でゆっくりしていてくれ」

 俺は二人が返事をする前に全部の指から自分が出せる最高温度のお湯を大量に二人の背中にかけた。

「あつううううううううううううううううう!」

「のああああああああああああああ!」

 二人は瞬く間に椅子から転げ落ちて自分の背中をさすりながら床をのたうち回っている。

「何をするのですか魔王様!」

 振り向いたロウジンの顔にある程度抑えめの温度のお湯を勢いよくかける。

「これはああああああああああああ!」

 顔を押さえながらロウジンも床に転げ落ちる。

「これで、ゆっくり話せるなベルゼブブ」

「・・・・・・貴様・・・・・・」

「魔王に対して貴様とは何だねベルゼブブよ」

 ゆっくりとベルゼブブに近づいて背中に手を当てた。目の前ガラスの下には魔界の風景が小さく見え、それがゆっくりと動いているのがわかった。

「聞きたいことがあるんだけどいいかな? 何でお前は俺を使ってまでにほんに行こうとしたんだ? 本当に魔界を広げるためか?」

「・・・・・・そうです」

 俺は指からお湯をしみ出させた。

「今ここで、本当の事を言うか、それとも何も言わないで俺にお湯をかけられてひこうきごと全員魔界に落ちるか、どっちがいい?」

 ちなみに、俺は落ちたくないけどな!

「貴様にわかるか、いくら望んでも魔王になれない者の気持ちが! 私が魔王になる為に魔王襲名制度を提案してやっとの思いで成立させたのだ! 本当は私が体調不良の魔王と闘い、そして魔王になるはずだった! それがルシファーの馬鹿が手はずを間違えてお前の様な農民が選ばれてしまった!」

「それは逆恨みって言うんだよ」

「うるさい! 魔王襲名制度の復活を申し出ても却下され、私の思いは潰えようとしていた。そこで、考えたのだよ。魔王がいなくなったらどうなるかとな!」

「それで、にほんに行くことにした・・・・・・か?」

「頭が悪いなりに鋭いな。そうだ、街にお前の噂を流させ、糸電話を貴様の前に置き、娘に日本の言葉を教えた。最初は上手くいくか半信半疑だったが、お前は魔界の奴らに聞けないと思って、まんまと日本に連絡を入れた」

「あのカラスは?」

「私が用意したカラスだ。日本の行き先を私が教えた。しかし、日本にある携帯電話に繋げたのは私だよ! 電話が糸だけで繋がるはずがなかろう!」

 あ・・・・・・そうなんだ。

「で、最終的に俺をにほんに連れて行ってどうする気だったんだ?」

「・・・・・・私達が隙を見て、貴様だけを日本に置いたまま魔界へもどる手はずだった」

「・・・・・・私達?」

 後ろで床に転がっているトーニとゴートとロウジンを順番に見る。

「いつ私が自分だけでこの計画を考えたと言った」

「・・・・・・」

 立ち上がろうとしていたゴートの顔に思い切りお湯をかけて再度床に倒してから俺はベルゼブブに視線を戻した。

「そうだったのか、いや、そうだろうな。こんな農民が魔王になったのを喜ぶ奴なんていないよな」

 渇いた笑いが自然と零れる。

「でも、俺は今魔界の魔王だ。このままお前らの好きにはさせない。ベルゼブブ、ひこうきを魔界に降ろせ」

 未だ、厚い雲に覆われた中を飛ぶひこうきが魔界のどの当たりを飛んでいるかはわからないが、ベルゼブブの企みがわかった以上、にほんに行くわけにはいかない。

「・・・・・・」

「聞いてるのか? 魔界に戻れ!」

 俺は指に力を込める。

「・・・・・・わかりました」

 ベルゼブブがそう答え、レバーを手前に思い切り引いた。

 ひこうきの前方が大きく上を向いて、俺の体はひこうきの後ろまで飛ばされた。

 他の三人はかろうじて椅子にしがみついているのが横目で見えた。

「がっ!」

 背中を強く壁に打ち付けて、自分でもどこから出ているかわからない声が漏れる。

「そんなに降りたいのならば今すぐ降りて頂く!」

 ベルゼブブの手が、右手のボタンに伸びる。

「さらばだ。魔王!」

 ベルゼブブがボタンを押すと階段が下に降りる。

「ベルゼブブ! 後で覚えてろよおおおおお!」

「貴様に後なんてものはない! そのまま落ちてしまえ!」

 俺は下に落ちないように階段に必死に捕まる。下からはとんでもない勢いの風が吹き、顔を少し下に向けると、黒い雲が一面に広がっていた。

「これでさよならだ!」

 ベルゼブブがそう言うとひこうきが大きく右向きに体を倒した。

 俺の体は左に流され、どうにか掴んでいた階段から手が離れてしまう。

「うっ、うわあああああああああああああああああああ」

 凄まじい勢いで体が下に落ちていくのがわかる。

 今まで乗っていたひこうきが瞬時に小さくなり、すぐに見えなくなった。

「・・・・・・くそっ! くそおおおおお!」

 俺の声は、そのまま風にかき消された。






「皆の者聞けい!」

 壇上に立つベルゼブブが声をあげる。

「前魔王が日本にて名誉の戦死をし早一年! 私達は悲しみに明け暮れた! 私は前魔王様の意志を受け継ぎ、魔界をより良くすべく働いてきた! 前魔王の娘様も悲しみを乗り越えすくすくと成長している!」

 魔界の民から拍手がわき上がる。

「ありがとう民よ! 魔王不在の一年! 私は体を張り魔界の為、働いてきた! そこでどうだろう! 皆が賛成して下さるのならば私が、前魔王を次、魔王になると言うのは!」

 歓声が起こるのをベルゼブブが手で制した。

「だが、それでも不満があるものは必ずいるはずだ・・・・・・もし、このベルゼブブが魔王になるのが不満な者はその場で手を上げい!」

 そんな奴はこの魔界の中にいるはずがない。そう、ベルゼブブが思っていたとき、二つの手が民の間を縫って上がった。

「ほう・・・・・・良い! では壇上に上がって参れ!」

 民をかき分けてゆっくりと前に出てくる二つの影。

 壇上の階段を上がってくる時に、ベルゼブブの顔から余裕が消えた。

「おっ・・・・・・お前は・・・・・・」

 一人は魔界に住んでいる者全てが見たことがない服を着ていた。

 外見は、ベルゼブブが家の書庫でしか見たことのない人間の若者。

「おー、こいつがベルゼブブか、すげえでかい蠅だな。おい」

 もう一人は・・・・・・

「久しぶりだな」

「まっ・・・・・・魔王!」

 魔王は軽く微笑み隣の影に声をかけた。

「さあ! 行こうヤマヒコ! 最終決戦の始まりだ!」
 
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