月は夜に抱かれて

凪瀬夜霧

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2章:王の胎動

2話:動向

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▼ルーカス

 聖ローレンス砦で怪しい夜会が開かれている頃、タニス王都でも動きがあった。執務室へと入ったルーカスは、そこで満足げな顔をするジョシュを見た。

「何か分かったのか?」
「あぁ、やっとだよ。捕えた兵の一人が王太子の居場所を吐いた」
「どこだ?」
「ここから馬で一日の距離にある、聖ローレンス砦だよ」

 ジョシュは机に地図を広げ、そこを指した。大陸行路の中継地点からほんの少し離れた場所にある。だが、どう考えても王太子を置くほどの重要拠点には見えなかった。

「かつてはここから各砦に兵を送ったり、物資を送ったりする重要拠点だったらしいけれどね。今は道が整備され、その役割を半分以上終えているはずだ」
「ではやはり、王太子は左遷されたんだな」

 ルーカスの言葉に、ジョシュも静かに頷いた。

「捕えた兵の話によると、やはり王太子は貴族階層からの支持を得られていなかったみたいだね。政治を動かす大半は貴族出身。当然、後ろ盾の王が彼の味方につかなければ、彼の立場は悪くなる一方だったわけだ」

 兵の大半は王太子を庇い、誰も口を開かなかった。口を開いたのは貴族出身だった第二部隊隊長だった。彼は身の解放を条件に口を開いたが、こういう人間をジョシュもルーカスも信用していない。今頃は虚しく天井を見つめているだろう。

「王太子は政治の腐敗を嫌う人物らしい。潔癖で苛烈。けれど実力主義で、若い者でも能力を買っていたから、兵士には人気があるみたいだよ」
「そういう人間は、政治の世界では生きづらいだろうな」

 ルーカスは苦笑する。どことなく気性や置かれた状況に自分と重なる部分があった。
 ルーカスの場合、国政については安定している。継げる人間はルーカス以外にいなかったし、若い時から携わってきた。

 だが、教会はルーカスを敵視している。
 ルーカスは宗教を隠れ蓑に不正な財を蓄え、神の教えも蔑ろにする宗教家達を危険視している。彼らは自身の組織の中に巨大な軍を作り、神の名の元に奪われた地を取り戻すと言って代々の王を脅迫している。奴らが盾にするのはいつも、神を信仰する普通の民だ。
 王太子時代から教会の持つ軍の解体を考えていたルーカスが王となったことを、現教皇は快く思っていない。それが結果、このような事態だ。

「タニスの王太子に、同情するのかい?」
「是非とも会って話がしたいとは思う。もしかしたら、良き話し相手になれるかもしれない」

 まぁ、簡単な相手ではないのだろうが。

「どうする、ルーカス。必要ならば捕えに行くが」
「……いや、見張るだけに留める」

 ジョシュの提案を、考えた末にルーカスは断った。

「まずは、タニス王都の支配を盤石なものにしたい。こちらも割ける兵の数に限りがある。現状のままでタニス王都から多くの兵を出しては、足元が危うくなる」

 現在、キエフ港から兵と物資を集めて運んでいるが、人の数には限りがある。今回の戦で、ルーカスは徴兵を行わなかった。一般の民にまで害が及ぶ事を嫌った結果だった。

「何より、聖ローレンス砦に行き着くまでにはいくつかの砦を越えなければならない。そうなれば、戦いは避けられないだろう。ラインバール平原の兵をこちらに回す事もできないからな」
「では、偵察の者を数名向かわせ動きがないかを見張らせる。動きがあった時には、また考える。それでいいかい?」
「あぁ、そうしよう」

 ルーカスは言って立ち上がり、執務室を出て行った。

 既に夜は更けて、綺麗な月が光を地へと注いでいる。ルーカスが向かったのは、あの中庭だった。手には綺麗な水を持っている。そしてその水を、無名の碑へと注いだ。
 あの日以来、ここに立ち寄り水を手向ける事が日課のようになっている。そうしていると落ち着くのだ。なんとなく、許される気がして。
 傍の草地へ腰を下ろし、空を見上げる。ここから月は綺麗に見える。そしてふと、出会った人の影を思い出した。

「リューヌ、君は今どこにいるのだろうか。悪い者に魅入られていなければいいが」

 あの日以来、月の綺麗な日は彼を思い出す。そしてふと、心が軽くなる。それを一番感じられるのが、この中庭と現在使っているあの部屋だった。
 不思議な感覚だ。胸に抱くだけで温かく、そして優しくなれるなんて。こんな緊張ばかりの日々に身を置いているのに、彼の笑みを、瞳を、声を思い出すとそれが和らぐ。

「旅か……。したいが、今は怒られるだろうな」

 旅人の神も旅をしない者には加護を与えない。この城に縛られている現状では、出会う事は不可能だ。
 だが思う。どうか彼が無事であるように。荒んだ人の悪しき手に、囚われてしまう事のないように。日々安らかであるように。飢える事のないように。雨風を凌ぐ場所が、与えられているように。

◆◇◆

 その夜から一週間、事態は大きく動いた。

「王太子自らが、砦を出るのか?」

 密偵からの報告を受けて、ルーカスは驚いた。これにはジョシュも同意見だった。

「最近、聖ローレンス砦から兵が出ては帰るを繰り返しているそうだ。出て行った兵を追って町で聞き込むと、近々王太子がその町に滞在するという話が宿屋などから出てきた」

 報告を受けたジョシュは、何とも言えない顔をしている。自身の部下を疑うわけではないが、これを鵜吞みにしていいかは判断に困るところだ。

「宿から情報が出たのか?」
「そのようだね。どうやら、口止めはしていないようだ。何かあると考えるのが普通かな」

 ジョシュは疲れたようにソファーの背もたれに体を預ける。ルーカスも眉間に皺を寄せて考え込んだ。

「どう思う、ルーカス」
「誘っているだろうな。動けと言わんばかりだ」
「僕もそう思う。ここで動くのも癪だけど、まったく動きなしというわけにもゆかないかな」

 やはり嫌な相手だと、ジョシュは深々と溜息をついた。
 一斉蜂起の準備と、士気向上を狙っての王太子訪問と考える事もできる。だが、そんなに単純な事か? どうにも深読みをしてしまう。

「こちらの足元を見られているな。王都を支配しきれていない今、兵を大きく動かす事はできないとあちらも読んでいる。何より進軍となればそこに至るまでの砦から攻撃を受けかねない。大軍は動かないと分かっている」
「ほら、性格が悪い。こういう事をするんだよ、ユリエル王太子は。明らかにあちらが劣勢だというのに、こちらを嘲笑うように動くんだ。もう、僕は疲れるよ」

 大げさな嘆きように、ルーカスは気の毒そうに笑う。が、彼の言い分もわからなくはない。
 駆け引きを持ちかけられている。こちらがどう動くかを、ユリエルは待っているのだろう。大きく軍を動かす事はできない。では、どうする?

「……俺が出る」
「王自らが御出馬を? それほどの事かい?」
「見過ごせば本当に蜂起の芽となりかねない。何より、奴が何を狙っているのかが今の段階では不明瞭だ。現場で指示を出す事もあるだろうからな」
「それは、そうだけど」

 ジョシュはあからさまに不満な顔をする。王であるルーカス自らが前線に出て危険を冒す事を心配しているのだ。

「部下を二十連れて行く。少人数ずつ、周囲に溶け込めるよう変装のうえで移動させ、周囲の森で落ち合うようにする。これで砦の警戒も突破できるだろうし、町にも入りやすい」
「確かにその方が安全ではあるけれど。でも」
「心配するな、深追いはしない。俺は見てみたいんだ。タニス王太子、ユリエルという人物を」

 もしかしたら、見る事が出来るかもしれない。姿も知らぬタニスの王太子を、遠くからでも。
 そこまで言われるとジョシュも諦めたように肩を落として了承するしかない。そして、さっそく優秀な部下を二十人選び、それぞれに変装をさせ、随時数人ずつを出す準備を始めるのだった。

◆◇◆

▼ユリエル

 聖ローレンス砦でも準備は整っていた。

「まったく、貴方という人は豪胆というか、無謀というか」

 溜息をついたクレメンスに、ユリエルは満面の笑みを浮かべる。それというのも、久々に大きく動けるように今回の作戦を練ったからだった。

 今回、本当の目的はマリアンヌ港にでる海賊『バルカロール』を引き入れること。
 それをルルエ側に知られることは得策ではない。タニス海軍を抑えた事で、現在キエフ港は海上の防御を最低限しか行っていない。この隙をつくのが、キエフ港奪還を容易にするカギとなる。もしも海賊を引き入れたと知れれば、防御を固められてしまう。それは、王都奪還にも影響を及ぼすだろう。
 そこに目が行かないように、ユリエルは派手に兵を砦から出し、中継の町ウィズリーに向かわせた。ここで、囮と本体を分けるつもりだ。
 皆が問題としているのは、その方法だった。

「ルルエの密偵は、この事態を逐一ジョシュ将軍に報告していることでしょうね」
「そうでなければ、こちらの作戦は半分失敗です」

 ユリエルは兵達に詳しい話をしていない。「王都奪還に必要な作戦だ」として内容は語っていない。だが、下準備をする兵に対してはこう命じていた。
 こそこそと隠れる必要はない、堂々と王太子ユリエルの名を出して構わない。また、宿屋の主人に口止めも不要と。
 宿屋というのは宿泊ばかりではなく、情報を交換する場としての役割も大きい。宿屋の主人は独自の情報で宿泊客を満足させ、客はそれも楽しみにしてくる。
 ただ、一般に王侯に関しては無礼講とはいかない。口止めされれば宿屋の主人も口を割らないのが一般的。だが、そういうことこそ話したいのが世の常。口止めされなければ、宿屋の主人は話したいのだ。

「今頃宿屋では、ここに王太子が宿泊するんだと主人がそれは誇らしげに話しているだろうね」
「こちらの蜂起を警戒している今、王太子自らが動くとなればルルエ側は穏やかではいられません。どう動くかは分かりませんが、何かしらのアクションはあるでしょう」

 それこそが目的だ。馬車でウィズリーに向かい、宿に入ってそこでユリエルは変装し、事前に用意している別動隊と合流、マリアンヌ港へと向かう。そして残った兵には陽動としてユリエルの変装をさせ、適当な砦へと向かいそこで解散させる。
 ルルエ軍を陽動のほうへ、できるだけ長く向かわせたい。だが、向こうも少人数で行動せざるをえないだろう状況で、それを任される人物の目をどこまで欺けるか。そこが問題だ。

「クレメンス、砦の守りをお願いします」
「それは勿論。グリフィスは暫く荒れるでしょうが、宥めておきましょう。シリル様の事もお任せください」

 苦笑するクレメンスに、ユリエルもまた苦笑した。
 案の定ではあったが、心配性のグリフィスはこの作戦に大反対した。クレメンスすらも腕を組んで無謀さと型破りさに唸ったくらいだ、当然の反応と言えた。
 だが、結局は押し切った。それ以来、どうも荒れている。その荒れた彼が兵の訓練をしているものだから、厳しさ上乗せ状態になっている。

「すみません、任せます」
「お任せを」

 そんな事を言っていると、扉がノックされ一人の兵士が一通の手紙を持って入ってきた。その手紙を受け取り中身を確認したクレメンスは、溜息をついた。

「レヴィンからです。準備は整っているとのことです。それにしても、これだけの内容にこんなに美辞麗句を並び立てて装飾するとは。詩人でも辟易する」

 その手紙を受け取ったユリエルは、おもわず笑った。流れるような筆跡で、詩でも書きつけたような内容だった。

「『涼やかなる風が過ぎる今日この頃、いかがお過ごしか? こちらは旅の途中で立ち寄ったオアシスで、女神に出会ったよ。だが、やはり月の女神がいないと締まらない。今宵、星の寝台を用意して女神が降り立つのを待つとしよう。枕を並べ、同じ床につける日を願う』
女性を口説くにはクサすぎますし、詩人としては俗物で三流。これを私に宛てるとなると、彼は私を口説いているのでしょうかね」

 レヴィンからの手紙はいつも、女性に宛てた口説き文句のようだ。読む相手がユリエルだと分かっていて書いているのだから、これは口説かれているのか。
 だが残念なことに、これにはまったく心を動かされない。動いても困るが。

「敵方は既に数人入り込んでいるようですね。後は私が動けばいい。敵の人数は把握できていないようですが」
「今のところ殿下の思惑通りですか。ですが、十分に気を付けていただきたい。貴方に何かあれば、我軍は瓦解しかねないので」
「分かっていますよ」

 クレメンスの念押しに軽く笑い、ユリエルは席を立つ。クレメンスもそれに続いて、作戦決行を伝えに行った。

 一人になったユリエルは自室に戻り、窓を開ける。そこからは綺麗な月が見えている。この月を見ると、あの日の彼を思い出す。それと同時に、心が温まる。レヴィンの安い口説き文句ではない、心に迫る言葉を思い出す。

「エトワール、貴方は今頃どこにいるのでしょうね」

 危険が迫っていなければいいが。そんな事を思い、心配しすぎだと苦笑する。触れた彼の手は硬く、たこが出来ていた。剣を握る者の手だ。旅をするのだから、ある程度自衛ができなければならない。自分の身は自身で守らなければ、長く旅人など続けていられない。
 それでも願う。彼が無事でいることを。健やかに過ごせている事を。またどこかで、出会えることを。
 明日には動き出すというのに、ユリエルは穏やかで温かな気持ちのまま布団に入った。そして、すぐに眠りが落ちてきた。
 胸に抱くのは彼の姿、声、言葉、星を思わせる金の瞳。あの優しい瞳が見つめ、笑いかけるのを感じると胸の奥が解れ、柔らかくなる。それを感じて眠るのは、とても幸福な事だった。
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