月は夜に抱かれて

凪瀬夜霧

文字の大きさ
80 / 110
5章:ルルエ平定

4話:宿敵

しおりを挟む
 キエフ港の沖合に、一艘の船が停泊している。その船に一日一回、食料と水を運び入れている船がいる。どうやら武装船らしく、船に食材はそう多く積んでいないという話を先行して情報を集めていたフェリスが掴んできた。
 ユリエルが取った作戦は、以前ルーカスをやり過ごしたのと同じものだった。船の乗組員と船を一日買い取り、その荷の中に潜伏するというものだ。船員の一部にバルカロールの中から特に白鯨戦に強い者を入れた。
 荷の中にはユリエル、フィノーラ。そしてシャスタ族のアルクースとファルハードが入った。ツェザーリは自身の船を後から回し、捕らえた者を輸送すると共に残ったバルカロールの船員を乗せて来る事になった。

 自身の入っている箱が持ち上がり、敵船へと運び込まれる。頭上には沢山のリンゴが入っていて、緊張する場面であるのに妙にリラックスもする。そんなおかしな状態だ。

「荷はこれで全部か」

 厳しい様子の声が聞こえる。この声の張り方は軍人だろう。思うと同時に、ズキリと痛む。
 ルルエの海軍だと考えれば、ルーカスが海戦へと場を移した事になる。攻める意志のないはずの彼が海軍を動かしたなら、そうせざるを得ない状況になってしまったのかもしれない。もう、一ヶ月以上会っていないのだから。

「おい、お前達は何をしている」

 同じ男の声がして、船が揺れた。同時に、箱がひっくり返される。蓋が開き、リンゴが転がり落ちていく。これが合図だ。


 船の甲板へと転がり出たユリエルは即座に立ち上がり、剣に手をかけた。ファルハード、アルクース、フィノーラとバルカロールの船員だけが甲板に残り、荷を運び込んでいた船は既に橋を引き上げて僅かに間を取っている。
 目の前にはルルエのマントを纏う者達が数十人、中型船の甲板を埋め尽くしている。

「まさか、乗り込んでくるとは」

 そう言いながらも前に出た男の声は、さっき箱の中で聞いていたものと同じだ。赤と白のルルエのマント。そこに描かれているのは二頭の獅子。手には剣と……十字架を持っている。

 違う。これはルルエ海軍ではない。

 ユリエルの憂いはなくなった。それと同時に、またとない獲物が掛かった事が分かった。口元に笑みが浮かぶ。

「タニス国王、ユリエル・ハーディングとお見受けする」
「そちらは、ルルエ聖教騎士団ですか?」

 問えば男はニヤリと笑う。自信に満ち、自らが負ける事など微塵も考えていない男の姿に、ユリエルも鋭い笑みを浮かべた。
 甲板は直ぐにも激しい戦いとなった。普通に考えれば数十いる敵の方が優位。だが、ユリエルはそれを覆す精鋭を選んできた。見る間に形勢を逆転したのは、ユリエル達だ。

「タニス国王は武に長けた者だと聞いたが、聞きしに勝る」
「貴方もなかなかですよ」

 切り結びながら、互いに言葉を交わして鋭い笑みを浮かべる。おそらく全ての指揮を執っているだろう男は強く、揺れる足元などまったく意にも介さない。だがそれはユリエルも同じだ。激しい剣の交わりにも、足元が危うくなる事はない。
 何合そうして切り結んだか。男の剣がユリエルの懐深くを切り裂くように走った。だがユリエルはそれを無理に避けようとはしなかった。脇を掠めた剣が衣服を裂いて赤い色が滲み出る。だが同時に、男の負けだ。ユリエルの手が男の顔を鷲づかみ後ろへと押し倒す。甲板に仰向けに倒れた男の首に、ユリエルの剣が当たった。

「王たる騎士が、なんと俗な!」
「生きるか死ぬかの戦場で、綺麗な戦い方などしていられませんよ」

 ズキズキと切れた部分は痛みを発する。だがこの程度で死にはしない。傷は薄いと分かっていて、あえて受けたのだから。
 船の上は、気づけば大分静かになった。耳だけで探ればおそらくこちらが勝ったのだろう。アルクースやフィノーラの声がする。

「陛下~」
「遅い、ツェザーリ!」

 暢気な声が響き、ユリエルは怒鳴るように言った。それに別の船を横づけたツェザーリがビクリと肩を震わせた。

「いやぁ、激しい戦いの最中にわいのようなド素人が入っていくのは厳しいもんで。って……怪我しとるやないけ」
「かすり傷です。それよりも、この男を縛って下さい」

 近づいたツェザーリはテキパキと仕事をする。ユリエルに剣を向けられたまま縛り上げられた男は、悔しげにユリエルを見上げていた。

「生かすことを後悔するぞ」
「死にたいならそのうち死なせてあげますよ。その前に、聞きたいことが山ほどです」

 縛り上げられたうえに木箱に詰められ、更には蓋を釘で打ち付けられて運び込まれた男が遠ざかって行く。それを見ていると、ツツッと傷のある脇を撫でる手に思わず呻いた。

「アルクース!」
「静かに。傷は浅いけれど流して消毒、薬塗って包帯ね。少しそこで待ってて」
「そんな悠長な!」
「大丈夫、フィノーラ姉さんが船倉に駆け込んで行きましたので」

 座らせられ、直ぐに治療に必要な物を持ち出してくる。既に場はユリエル達が抑えていて、危険は去っていた。
 純度の高い蒸留酒を染みこませた綿が傷を撫でると痛みに飛び上がりたくなる。それでも口をつぐみ飲み込んで、ユリエルはされるがままに治療を受ける。傷口に軟膏が塗られ、綺麗な包帯が巻かれていく。

「助かります」
「うん、任せてよ。最近ロアール医師からも応急処置の方法教わってるからね」

 服に袖を通し、ユリエルは立ち上がる。そして、船倉へと続く階段を見た。

「行ってあげて。必要そうなものがあれば言って。ヴィオ、助けてあげてね」

 送り出され、ユリエルは頷く。そして深く息を吐いて、船倉へと潜り込んでいった。


 薄暗い廊下の両脇に部屋がある。その中の一つが開け放たれていた。そしてそこから、なんとも情けない声が響いていた。

「ひぃぃぃぃ! 助け、助けてくれぇ!」
「まだ言うの! 貴様が……父や母のみならず弟までも!」

 駆けるように部屋に向かったユリエルの目に、室内は鮮明に見渡せた。汚れきった室内はむせるような男の臭いがしている。その中でヴィオは裸にされ、細い白魚のような肌を汚して横たわっている。
 そして近くにはナイフ転がっているが、血はついていない。そして、随分と太った男が現在、ボロ雑巾のようにフィノーラの鞭に叩かれていた。

「フィノーラ!」
「陛下!」

 フィノーラの手は止まらない。既に男の服はボロボロに裂け、ブヨブヨとした肌は腫れ上がって切れている。血を流し、痛みに蹲る男を睨み付けながら、フィノーラは涙を流した。

「ヴィオが……」

 側に行って抱き上げたヴィオの体は、まだ温かく色がある。だがその瞳にかつての無邪気な光はない。心を壊してしまったように力もなく、泣いたのだろう跡だけが頬に張り付いている。

「ヴィオ」

 抱き上げて、裸の体を摩っている。懐から小瓶を取り出し、気付けの薬を嗅がせるも反応がない。手はだらりと下がっている。
 不意に、コポッと咳き込むような気配があって俯けて背を摩っていると口の端から白いものがポタポタと落ちていく。それが何であるかなど、問うまでもない。強く抱きしめて、もっと早くに助けられなかった事をひたすらに詫びた。

「ヴィオ、頑張りましたね。もう大丈夫、全員無事ですよ。貴方の仲間は皆、無事です」

 何をしてあげられるだろうか。纏っていたマントで体を包み込み、なおも冷たく冷えた体を撫でる。綺麗な髪は絡まってゴワゴワになり、酷い臭いがしている。

「陛下、そっちはどない……」

 そう言って入ってきたツェザーリもまた、あまりの異臭に口元を覆う。だがこの男は偉い。それでも入ってきて、ユリエルが必死に抱きしめているヴィオを見て、眉根を寄せた。

「こら、酷い。直ぐにわいの船に」
「お願いします」
「姉さん、それ殴りすぎや。死んだら元も子もあらへん。そんな汚ったないの放っとけや。この部屋に閉じ込めて、はよ引き上げんと弟大変や」
「分かってます!」

 言いながらも、フィノーラの怒りは未だにおさまっていない。目の前にいる男、大商人グリオンは既に白目をむいている。

「フィノーラ、この船を操船してキエフ港へと寄せられますか?」
「やります。陛下に、ヴィオを任せてもいいかしら」
「えぇ、大丈夫ですよ」

 まだ、鼓動は確かに感じている。心が戻ってくるように、温かく抱きしめたユリエルはそのままツェザーリの船へと乗り込んだ。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

ノリで付き合っただけなのに、別れてくれなくて詰んでる

cheeery
BL
告白23連敗中の高校二年生・浅海凪。失恋のショックと友人たちの悪ノリから、クラス一のモテ男で親友、久遠碧斗に勢いで「付き合うか」と言ってしまう。冗談で済むと思いきや、碧斗は「いいよ」とあっさり承諾し本気で付き合うことになってしまった。 「付き合おうって言ったのは凪だよね」 あの流れで本気だとは思わないだろおおお。 凪はなんとか碧斗に愛想を尽かされようと、嫌われよう大作戦を実行するが……?

ざこてん〜初期雑魚モンスターに転生した俺は、勇者にテイムしてもらう〜

キノア9g
BL
「俺の血を啜るとは……それほど俺を愛しているのか?」 (いえ、ただの生存戦略です!!) 【元社畜の雑魚モンスター(うさぎ)】×【勘違い独占欲勇者】 生き残るために媚びを売ったら、最強の勇者に溺愛されました。 ブラック企業で過労死した俺が転生したのは、RPGの最弱モンスター『ダーク・ラビット(黒うさぎ)』だった。 のんびり草を食んでいたある日、目の前に現れたのはゲーム最強の勇者・アレクセイ。 「経験値」として狩られる!と焦った俺は、生き残るために咄嗟の機転で彼と『従魔契約』を結ぶことに成功する。 「殺さないでくれ!」という一心で、傷口を舐めて契約しただけなのに……。 「魔物の分際で、俺にこれほど情熱的な求愛をするとは」 なぜか勇者様、俺のことを「自分に惚れ込んでいる健気な相棒」だと盛大に勘違い!? 勘違いされたまま、勇者の膝の上で可愛がられる日々。 捨てられないために必死で「有能なペット」を演じていたら、勇者の魔力を受けすぎて、なんと人間の姿に進化してしまい――!? 「もう使い魔の枠には収まらない。俺のすべてはお前のものだ」 ま、待ってください勇者様、愛が重すぎます! 元社畜の生存本能が生んだ、すれ違いと溺愛の異世界BLファンタジー!

完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました

美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!

【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。【番外編あります】

紫紺
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。 相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。 超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。 失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。 彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。 ※番外編を公開しました(2024.10.21) 生活に追われて恋とは無縁の極貧イケメンの涼と、何もかもに恵まれた晄矢のラブコメBL。二人の気持ちはどっちに向いていくのか。 ※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。

強制悪役劣等生、レベル99の超人達の激重愛に逃げられない

砂糖犬
BL
悪名高い乙女ゲームの悪役令息に生まれ変わった主人公。 自分の未来は自分で変えると強制力に抗う事に。 ただ平穏に暮らしたい、それだけだった。 とあるきっかけフラグのせいで、友情ルートは崩れ去っていく。 恋愛ルートを認めない弱々キャラにわからせ愛を仕掛ける攻略キャラクター達。 ヒロインは?悪役令嬢は?それどころではない。 落第が掛かっている大事な時に、主人公は及第点を取れるのか!? 最強の力を内に憑依する時、その力は目覚める。 12人の攻略キャラクター×強制力に苦しむ悪役劣等生

【完結】抱っこからはじまる恋

  *  ゆるゆ
BL
満員電車で、立ったまま寄りかかるように寝てしまった高校生の愛希を抱っこしてくれたのは、かっこいい社会人の真紀でした。接点なんて、まるでないふたりの、抱っこからはじまる、しあわせな恋のお話です。 ふたりの動画をつくりました! インスタ @yuruyu0 絵もあがります。 YouTube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。 プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら! 完結しました! おまけのお話を時々更新しています。 BLoveさまのコンテストに応募しているお話を倍以上の字数増量でお送りする、アルファポリスさま限定版です! 名前が  *   ゆるゆ  になりましたー! 中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!

【完結】社畜の俺が一途な犬系イケメン大学生に告白された話

日向汐
BL
「好きです」 「…手離せよ」 「いやだ、」 じっと見つめてくる眼力に気圧される。 ただでさえ16時間勤務の後なんだ。勘弁してくれ──。 ・:* ✧.---------・:* ✧.---------˚✧₊.:・: 純真天然イケメン大学生(21)× 気怠げ社畜お兄さん(26) 閉店間際のスーパーでの出会いから始まる、 一途でほんわか甘いラブストーリー🥐☕️💕 ・:* ✧.---------・:* ✧.---------˚✧₊.:・: 📚 **全5話/9月20日(土)完結!** ✨ 短期でサクッと読める完結作です♡ ぜひぜひ ゆるりとお楽しみください☻* ・───────────・ 🧸更新のお知らせや、2人の“舞台裏”の小話🫧 ❥❥❥ https://x.com/ushio_hinata_2?s=21 ・───────────・ 応援していただけると励みになります💪( ¨̮ 💪) なにとぞ、よしなに♡ ・───────────・

魔王の息子を育てることになった俺の話

お鮫
BL
俺が18歳の時森で少年を拾った。その子が将来魔王になることを知りながら俺は今日も息子としてこの子を育てる。そう決意してはや数年。 「今なんつった?よっぽど死にたいんだね。そんなに俺と離れたい?」 現在俺はかわいい息子に殺害予告を受けている。あれ、魔王は?旅に出なくていいの?とりあえず放してくれません? 魔王になる予定の男と育て親のヤンデレBL BLは初めて書きます。見ずらい点多々あるかと思いますが、もしありましたら指摘くださるとありがたいです。 BL大賞エントリー中です。

処理中です...