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6章:二王並び立つ
7話:咎人の涙
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数日の後、ラインバールの壇上にキアは上がった。数珠つなぎにされたロープに手を縛られ、一番最後に。
先頭を兵が引き、アンブローズと、そこに加担した元聖教騎士が連なる。そして一番最後、みすぼらしいねずみ色のワンピースを着たキアが続いた。
「あんな女の子まで」
裁判は既に前日行われ、ルーカス暗殺に加担した最も重い責任がある彼らの公開処刑が今日、人々の前で行われる。キアはその場に立った。
木で組まれた頑丈な枠にロープの輪が五つ下がっている。死刑執行人がロープに繋いだままの罪人の頭に麻の袋をかぶせ、首にロープをかけた。連なったロープは解かれたが後ろ手で括られたまま台の際に立たされ、前へと突き飛ばされる。突き飛ばされた先には当然地面などない。罪人はそのまま首を吊られてゆく。
キアは最後だった。一人、また一人と知った顔が死んでいくのを見ていた。
怖くて、足が震えた。あれほど怖かったアンブローズが真っ先に執行され、揺れている。麻袋をかぶせられる前まではあんなに喚いていたのに、今はもう何も言いはしない。
屈強だった騎士が、世話役の男が、次々と物言わぬものになっていく。人々の好奇と、興奮と、哀れみが残されたキアへと注がれた。
震えていた。手を後ろに戒められ、目の前に藁を敷き詰めた地面が見える。麻袋を被せにきた赤髪の執行人が、ふと手を止めた。
「お待ち下さい陛下!」
死刑執行を黙って見ているユリエルの前に、ガレスが転がるように前に出て膝を着き、額を地に擦るようにして頭を下げる。その姿を、キアは呆然と見ていた。
「ガレス」
「キアの処刑を、どうかもう一度お考え直しください! 彼は長年ルーカス様に仕えてきたのです。長年、ずっと……人の心の弱さにつけ込んだアンブローズが元凶なのです! キアは悪くはありません!」
必死なその声に、観衆もまた飲まれるように声を潜めた。興奮が消えていく。「可哀想に」「あんなに若い子が」と、声が聞こえてきた。
「ユリエル様、僕からもお願いします」
「ヨハン」
「確かに彼の行いは裏切りです。貴方を売り、ルーカス様を傷つけた。ですが、十分に情状の余地があります。望まれず産まれ、産まれた事すらも隠され、洗礼さえも受けられず、女性として生きる事を許されなかった。アンブローズはそんなキアに、洗礼を受けられない者は地獄に落ちるのだと脅し言う事を聞かせていたのです。お願いです、命まで奪う事は」
静かでも、ヨハンの声は観衆に届いた。息を呑むような緊張があった。人々の目が、執行人達もが同情の眼差しをキアへ注ぎ、ユリエルを注目した。
だがユリエルは冷たい瞳のまま、スッと手をあげた。
キアの頭に麻の袋が被せられる。そして、首に縄がかかった。
「非道だ!」
「その子が可哀想だ!」
人々の非難の声だけが波のように押し寄せた。それを聞いて、キアは麻袋の中で泣いていた。裁判を受けて、キアは素直に全てを話した。自分の生い立ち、アンブローズからの脅し、自らの罪。それもあってアンブローズは処刑となったのだ。
体が震える。少しでもへたり込めばロープが首に食い込む。怖い、死にたくない。今死んだら、どうなってしまうのだろう。やはり地獄に落ちるのだろうか。天国の門で天使に名を問われ、答える名すら持たないままに落ちていくのか。アンブローズは? 先に死んだ人々は答える名を持っている。裁判を受ける事ができる。キアは裁判すらも受けられない。
体が、ドンと後ろから押される。瞬間、首にロープが食い込み息が詰まった。悲鳴が上がり、人々の非難の声も途切れた。それでも簡単に死ねない。息が苦しいのに止まらない。
死にたくない。死にたくない。死にたくない!
もがくように体を捻り、泣いて暴れた。
途端、体が下へと落ちた。心地よい浮遊感の後、ドサリと体が何かに埋まる。家畜の臭い、痛みがないわけではないが転んだのと変わらない程度の痛み。息が楽になり、麻袋の中で何度も咽せた。
何が起こったのか分からない。ただ確かなのは、まだ生きている事だ。
ゆっくりと麻袋が取られる。キアの体は下にある藁の中に落ちていた。ロープが途中で千切れてボサボサになって落ちていた。
ユリエルが立ち上がり、ゆっくりと近づいてくる。見下すような冷たい視線のまま、処刑台の上に上がってきた。
「ロープが古くなっていたようですね」
静かに、そう呟く。怖かった。またあのような怖い思いをするのだろうか。新しいロープを持った死刑執行人が駆けつけてくるのが見える。彼らにとってこれは失態だ。
だがユリエルは執行人達を押しとどめた。そして、脇に控えていたハウエルを呼んだ。彼は処刑された人々に最後の祈りを捧げる為に控えていたのだ。
「ハウエル殿、こうした場合はどのように考えられる」
問われ、ハウエルは白い法衣のまま丁寧にお辞儀をして進み出た。
「自然と切れたのであれば、それは神のご意志。まだその者は天に召されるべきではないと、神が判断したのでしょう」
「そうですか」
ユリエルは後ろ手に縛られたままのキアの腕を掴み、人々の前につれてゆく。膝を折って座らせ、首を落とされる罪人のような姿勢を取らせた。
「そのまま、何があっても動くな」
低くキアにだけ聞こえる声で命じられ、キアは身を固くしたまま目を閉じた。剣の抜ける音がする。人々の悲鳴が上がった。あぁ、このまま首を落とされるのか。思って、涙が溢れた。
シュン! という音が響く。首の後ろに僅かな痛みがあった。だが、首は落ちていない。煩い心臓の音は未だに響いている。見れば目の前に、首に掛かっていた処刑のロープが切れて落ちていた。
「キア・アッカーソンは、今ここに死んだ」
静かな声が、澄んで響いていく。その声を誰よりもキアが呆然と聞いていた。「死んだ」という声が、落ちたロープが、ズキズキとする首の後ろが。色んな事が重なって流れていって、混乱している。
「ここにいる者は既に何者でもない。名を改め、神に生かされた命を国と主の為に捧げよ」
「……え?」
「ハウエル殿、新たな名を与え洗礼をお願いします」
「え?」
剣を収めたユリエルを、彼女は呆然と見上げた。その瞳は凛としていた。淀みない光を宿すそれはルーカスにも似ている。
「あの……」
「私は言い渡しましたよ。神が貴方の命に猶予を与えたのです。罪人の生は今私が断ち切りました。貴方はこれから、貴方だけの生を生きるのです。不遇な生い立ちも、犯した罪も忘れなさい。新たな名を与え、新たな生を生きるのですから神に伝える名もまた、新たなものが必要ですよ」
涙が浮かんだ。ただそれは、恐怖からではなかった。
断ち切られたのは首にかかったロープではなかった。腕を、足を、首を縛った見えない鎖を、この人は断ち切ってくれたのだ。
「あ……有り難うございます。有り難う……」
震える声で彼女は伝え、ユリエルの足元に傅いて泣いた。肩をハウエルが優しく包んだ。ガレスが、ヨハンが、許されて駆け寄って励ますように抱きしめた。人々が、この裁きに歓喜の声を上げた。
新たな生を与えられた彼女は名をクラリスと改め、彼女の為に行われた洗礼の儀式には多くの人が祝福をした。教皇ハウエルの手で行われた儀式に立った彼女はもう男の格好などせず、美しい女性の姿で人々の前に堂々と立っていた。
◆◇◆
ラインバールに設けられた献花と聖火は未だに燃えている。人々はそこへ花を手向けていく。その姿を砦の中から、二人の王は見ていた。
「起き上がっていいのですか、ルーカス」
ベッド脇へと椅子を寄せているユリエルは、同じように上体を起こしているルーカスを見た。傷を負って数日、未だ安静を言い渡されているものの本人はいたって穏やかな様子で頷いた。
「大きく声は張れないが、呼吸は苦しくない。ロアール医師の治療が早かったから、そのおかげだな。とにかく安静にということだから、後はのんびりとするさ」
「そうですか」
ユリエルは穏やかに微笑み、手を重ねる。こうした時間がとても穏やかで心地よい。そのまま二人は、外の様子を見ていた。
「キア……ではもうないが、有り難う」
「ん?」
静かに伝えられる言葉に、ユリエルは視線を向けて小さく笑う。大した事ではなかった。
ユリエルだって同情はした。頭に血は上ったものの、苦しい人生だった事は否定しない。だから、一度終わらせようと思いハウエルに相談した。そして、あのような手を取った。
執行人にレヴィンを混ぜておいた。そして彼に、ロープを弱く切れやすくする薬品を少量塗り込んでもらった。見た目には分からないが徐々に繊維を弱めるものだ。
後は加重がかかれば切れるはずだが、絶対とは言えなかった。だから、これはユリエルとハウエル、そして実行役のレヴィンしか知らせなかった。神の加護があれば彼女は助かるだろうと運を天に任せたのだ。
「父が、最後まで気にしていたんだ。可哀想な子だと憐れんでいた。俺もどうにかしたいとは思っていたが」
「巡り合わせがありますよ。もしかしたら、本当に神の巡り合わせがあったのかもしれません。彼女にとって」
時が巡ってこなければ解決しない事だってある。それをユリエルは五年の歳月で知った。悠長な性格ではないが、焦って事を起こしても上手く行かない事もあった。押さえつける事では上手く行かず、反発が多かったりもした。そうした事は時が解決してくれる。
クラリスの事もそうだったのだろう。平時に言っても彼女は受け入れたか分からないし、キアとして生きてきた鎖を自然と切る方法もまた難しかった。全てを「神の思し召し」として本人にも、周囲にも受け入れさせる。荒っぽい方法ではあったが過ぎれば最良だったように思えた。
「それにしても、彼女がお前に仕える事にするとはな」
可笑しそうに笑うルーカスをユリエルは睨み付けた。そして、困ったように息をついた。
クラリスは新たな主をユリエルとして、側に仕える事を願い出た。これに一番困惑したのはユリエルだった。てっきりルーカスの側に戻ると思ったのだ。
だが、彼女は憑きものが落ちたような様子で微笑み、首を横に振った。
「ルーカス様はお仕えするには少し優しすぎます。それでは私の恋慕はいつになっても断ち切る事ができません。貴方が丁度よいのでしょう」
そんな風に言ったのだ。これにはどんな顔をすればいいのかユリエルも困った。遠回しに「人でなし」と言われている気がしてしまった。
「それにもう一つ、私は決して貴方に対して恋情を持つ事がありません」
「え?」
「だって、自分よりも美しい人に恋するなんて、虚しいばかりですもの」
そんな風にクスクス笑う彼女を、ユリエルは困ったように笑って受け入れた。
その時の事を話せば、ルーカスは困ったように笑って頷いた。そして一つ「頼む」と言って頭を下げられた。
「国の統合についてはまた日を改める事となってしまったな」
申し訳なく言われ、ユリエルは首を横に振る。これで良かったのかもしれない。今はそう思えるのだ。
ルーカスの体が回復するまで、国の統合については後日とした。そのかわり皆の提案で国中に触れを出すことになった。国の統合、王は今までと同じ二人が立つ事、王都をラインバールへと遷都すること。それらの準備を今行っているところだ。
「ここまできたら、のんびりと行きましょう。待てますよ、いつまでも。貴方とこうして寄り添う時間があるのですから」
ルーカスはラインバールの砦で養生し、ここで執務を行う事にしたらしい。ならばと、ユリエルも同じようにした。砦は離れているが徒歩で行ける距離だ。遠く離れているわけでも、隔てる障害があるわけでもない。
不意に、ルーカスはユリエルの手を握った。振り向けば真剣な、優しい瞳が見つめている。吸い込まれるような眼差しから目が離せなくなった。
「ユリエル、改めてだ」
「え?」
「俺はもう、君を失って生きる意味を見いだせない。君がいなくなってしまっては残る時間は闇の中だ。俺の残る時間の全てを、君の為に。君と一緒に生きていきたい。許してくれるだろうか」
それは、不意打ちのプロポーズだった。途端早鐘を打つ心臓にユリエルは顔を赤くした。なんて言葉を継げばいいか分からない。嬉しさに体が震える。耳まで真っ赤になって、ユリエルは俯いた。
「ずるい」
「ん?」
「不意打ちです、こんなの。こんな……心臓破裂しそうです」
胸が痛く思うくらいドキドキと鳴っている。その音が伝わってしまうのではと思うくらいだ。
「ユリエル」
「んっ」
耳に触れる吐息がくすぐったい。この人は安静にしなければならず、欲情にかられてはならないのに。
「もぉ、煽らないでください」
「ダメか?」
「安静!」
怒ったように言えば楽しげに笑って、「そうだった」と言われる。そして、少し距離が出来た。
「……好き、ですよ」
「え?」
「貴方の事が好きです。どれほどの年月が経とうと、私は貴方に夢中になる。この気持ちに終わりなどきっとありません。私は貴方のものです。そして貴方は、私のものです」
深く強い独占欲はどれほど経っても薄れることがない。自分はこれほどに欲深いかと疑うほどだ。この人の全てを欲しいなんて思ってしまう自分に呆れ、それでも願うのだ。
ルーカスは赤くなり、口元を抑えている。金の瞳が困ったようにこちらを見て、やがて腕が伸びて抱き寄せられる。そしてそっと、唇を交わした。
「俺の全てを、君に」
「私の全てを、貴方に」
誓い合い、二人は寄り添う。もう二度と、誰であってもこの間には立たせない。これは二人の、強い誓いだった。
先頭を兵が引き、アンブローズと、そこに加担した元聖教騎士が連なる。そして一番最後、みすぼらしいねずみ色のワンピースを着たキアが続いた。
「あんな女の子まで」
裁判は既に前日行われ、ルーカス暗殺に加担した最も重い責任がある彼らの公開処刑が今日、人々の前で行われる。キアはその場に立った。
木で組まれた頑丈な枠にロープの輪が五つ下がっている。死刑執行人がロープに繋いだままの罪人の頭に麻の袋をかぶせ、首にロープをかけた。連なったロープは解かれたが後ろ手で括られたまま台の際に立たされ、前へと突き飛ばされる。突き飛ばされた先には当然地面などない。罪人はそのまま首を吊られてゆく。
キアは最後だった。一人、また一人と知った顔が死んでいくのを見ていた。
怖くて、足が震えた。あれほど怖かったアンブローズが真っ先に執行され、揺れている。麻袋をかぶせられる前まではあんなに喚いていたのに、今はもう何も言いはしない。
屈強だった騎士が、世話役の男が、次々と物言わぬものになっていく。人々の好奇と、興奮と、哀れみが残されたキアへと注がれた。
震えていた。手を後ろに戒められ、目の前に藁を敷き詰めた地面が見える。麻袋を被せにきた赤髪の執行人が、ふと手を止めた。
「お待ち下さい陛下!」
死刑執行を黙って見ているユリエルの前に、ガレスが転がるように前に出て膝を着き、額を地に擦るようにして頭を下げる。その姿を、キアは呆然と見ていた。
「ガレス」
「キアの処刑を、どうかもう一度お考え直しください! 彼は長年ルーカス様に仕えてきたのです。長年、ずっと……人の心の弱さにつけ込んだアンブローズが元凶なのです! キアは悪くはありません!」
必死なその声に、観衆もまた飲まれるように声を潜めた。興奮が消えていく。「可哀想に」「あんなに若い子が」と、声が聞こえてきた。
「ユリエル様、僕からもお願いします」
「ヨハン」
「確かに彼の行いは裏切りです。貴方を売り、ルーカス様を傷つけた。ですが、十分に情状の余地があります。望まれず産まれ、産まれた事すらも隠され、洗礼さえも受けられず、女性として生きる事を許されなかった。アンブローズはそんなキアに、洗礼を受けられない者は地獄に落ちるのだと脅し言う事を聞かせていたのです。お願いです、命まで奪う事は」
静かでも、ヨハンの声は観衆に届いた。息を呑むような緊張があった。人々の目が、執行人達もが同情の眼差しをキアへ注ぎ、ユリエルを注目した。
だがユリエルは冷たい瞳のまま、スッと手をあげた。
キアの頭に麻の袋が被せられる。そして、首に縄がかかった。
「非道だ!」
「その子が可哀想だ!」
人々の非難の声だけが波のように押し寄せた。それを聞いて、キアは麻袋の中で泣いていた。裁判を受けて、キアは素直に全てを話した。自分の生い立ち、アンブローズからの脅し、自らの罪。それもあってアンブローズは処刑となったのだ。
体が震える。少しでもへたり込めばロープが首に食い込む。怖い、死にたくない。今死んだら、どうなってしまうのだろう。やはり地獄に落ちるのだろうか。天国の門で天使に名を問われ、答える名すら持たないままに落ちていくのか。アンブローズは? 先に死んだ人々は答える名を持っている。裁判を受ける事ができる。キアは裁判すらも受けられない。
体が、ドンと後ろから押される。瞬間、首にロープが食い込み息が詰まった。悲鳴が上がり、人々の非難の声も途切れた。それでも簡単に死ねない。息が苦しいのに止まらない。
死にたくない。死にたくない。死にたくない!
もがくように体を捻り、泣いて暴れた。
途端、体が下へと落ちた。心地よい浮遊感の後、ドサリと体が何かに埋まる。家畜の臭い、痛みがないわけではないが転んだのと変わらない程度の痛み。息が楽になり、麻袋の中で何度も咽せた。
何が起こったのか分からない。ただ確かなのは、まだ生きている事だ。
ゆっくりと麻袋が取られる。キアの体は下にある藁の中に落ちていた。ロープが途中で千切れてボサボサになって落ちていた。
ユリエルが立ち上がり、ゆっくりと近づいてくる。見下すような冷たい視線のまま、処刑台の上に上がってきた。
「ロープが古くなっていたようですね」
静かに、そう呟く。怖かった。またあのような怖い思いをするのだろうか。新しいロープを持った死刑執行人が駆けつけてくるのが見える。彼らにとってこれは失態だ。
だがユリエルは執行人達を押しとどめた。そして、脇に控えていたハウエルを呼んだ。彼は処刑された人々に最後の祈りを捧げる為に控えていたのだ。
「ハウエル殿、こうした場合はどのように考えられる」
問われ、ハウエルは白い法衣のまま丁寧にお辞儀をして進み出た。
「自然と切れたのであれば、それは神のご意志。まだその者は天に召されるべきではないと、神が判断したのでしょう」
「そうですか」
ユリエルは後ろ手に縛られたままのキアの腕を掴み、人々の前につれてゆく。膝を折って座らせ、首を落とされる罪人のような姿勢を取らせた。
「そのまま、何があっても動くな」
低くキアにだけ聞こえる声で命じられ、キアは身を固くしたまま目を閉じた。剣の抜ける音がする。人々の悲鳴が上がった。あぁ、このまま首を落とされるのか。思って、涙が溢れた。
シュン! という音が響く。首の後ろに僅かな痛みがあった。だが、首は落ちていない。煩い心臓の音は未だに響いている。見れば目の前に、首に掛かっていた処刑のロープが切れて落ちていた。
「キア・アッカーソンは、今ここに死んだ」
静かな声が、澄んで響いていく。その声を誰よりもキアが呆然と聞いていた。「死んだ」という声が、落ちたロープが、ズキズキとする首の後ろが。色んな事が重なって流れていって、混乱している。
「ここにいる者は既に何者でもない。名を改め、神に生かされた命を国と主の為に捧げよ」
「……え?」
「ハウエル殿、新たな名を与え洗礼をお願いします」
「え?」
剣を収めたユリエルを、彼女は呆然と見上げた。その瞳は凛としていた。淀みない光を宿すそれはルーカスにも似ている。
「あの……」
「私は言い渡しましたよ。神が貴方の命に猶予を与えたのです。罪人の生は今私が断ち切りました。貴方はこれから、貴方だけの生を生きるのです。不遇な生い立ちも、犯した罪も忘れなさい。新たな名を与え、新たな生を生きるのですから神に伝える名もまた、新たなものが必要ですよ」
涙が浮かんだ。ただそれは、恐怖からではなかった。
断ち切られたのは首にかかったロープではなかった。腕を、足を、首を縛った見えない鎖を、この人は断ち切ってくれたのだ。
「あ……有り難うございます。有り難う……」
震える声で彼女は伝え、ユリエルの足元に傅いて泣いた。肩をハウエルが優しく包んだ。ガレスが、ヨハンが、許されて駆け寄って励ますように抱きしめた。人々が、この裁きに歓喜の声を上げた。
新たな生を与えられた彼女は名をクラリスと改め、彼女の為に行われた洗礼の儀式には多くの人が祝福をした。教皇ハウエルの手で行われた儀式に立った彼女はもう男の格好などせず、美しい女性の姿で人々の前に堂々と立っていた。
◆◇◆
ラインバールに設けられた献花と聖火は未だに燃えている。人々はそこへ花を手向けていく。その姿を砦の中から、二人の王は見ていた。
「起き上がっていいのですか、ルーカス」
ベッド脇へと椅子を寄せているユリエルは、同じように上体を起こしているルーカスを見た。傷を負って数日、未だ安静を言い渡されているものの本人はいたって穏やかな様子で頷いた。
「大きく声は張れないが、呼吸は苦しくない。ロアール医師の治療が早かったから、そのおかげだな。とにかく安静にということだから、後はのんびりとするさ」
「そうですか」
ユリエルは穏やかに微笑み、手を重ねる。こうした時間がとても穏やかで心地よい。そのまま二人は、外の様子を見ていた。
「キア……ではもうないが、有り難う」
「ん?」
静かに伝えられる言葉に、ユリエルは視線を向けて小さく笑う。大した事ではなかった。
ユリエルだって同情はした。頭に血は上ったものの、苦しい人生だった事は否定しない。だから、一度終わらせようと思いハウエルに相談した。そして、あのような手を取った。
執行人にレヴィンを混ぜておいた。そして彼に、ロープを弱く切れやすくする薬品を少量塗り込んでもらった。見た目には分からないが徐々に繊維を弱めるものだ。
後は加重がかかれば切れるはずだが、絶対とは言えなかった。だから、これはユリエルとハウエル、そして実行役のレヴィンしか知らせなかった。神の加護があれば彼女は助かるだろうと運を天に任せたのだ。
「父が、最後まで気にしていたんだ。可哀想な子だと憐れんでいた。俺もどうにかしたいとは思っていたが」
「巡り合わせがありますよ。もしかしたら、本当に神の巡り合わせがあったのかもしれません。彼女にとって」
時が巡ってこなければ解決しない事だってある。それをユリエルは五年の歳月で知った。悠長な性格ではないが、焦って事を起こしても上手く行かない事もあった。押さえつける事では上手く行かず、反発が多かったりもした。そうした事は時が解決してくれる。
クラリスの事もそうだったのだろう。平時に言っても彼女は受け入れたか分からないし、キアとして生きてきた鎖を自然と切る方法もまた難しかった。全てを「神の思し召し」として本人にも、周囲にも受け入れさせる。荒っぽい方法ではあったが過ぎれば最良だったように思えた。
「それにしても、彼女がお前に仕える事にするとはな」
可笑しそうに笑うルーカスをユリエルは睨み付けた。そして、困ったように息をついた。
クラリスは新たな主をユリエルとして、側に仕える事を願い出た。これに一番困惑したのはユリエルだった。てっきりルーカスの側に戻ると思ったのだ。
だが、彼女は憑きものが落ちたような様子で微笑み、首を横に振った。
「ルーカス様はお仕えするには少し優しすぎます。それでは私の恋慕はいつになっても断ち切る事ができません。貴方が丁度よいのでしょう」
そんな風に言ったのだ。これにはどんな顔をすればいいのかユリエルも困った。遠回しに「人でなし」と言われている気がしてしまった。
「それにもう一つ、私は決して貴方に対して恋情を持つ事がありません」
「え?」
「だって、自分よりも美しい人に恋するなんて、虚しいばかりですもの」
そんな風にクスクス笑う彼女を、ユリエルは困ったように笑って受け入れた。
その時の事を話せば、ルーカスは困ったように笑って頷いた。そして一つ「頼む」と言って頭を下げられた。
「国の統合についてはまた日を改める事となってしまったな」
申し訳なく言われ、ユリエルは首を横に振る。これで良かったのかもしれない。今はそう思えるのだ。
ルーカスの体が回復するまで、国の統合については後日とした。そのかわり皆の提案で国中に触れを出すことになった。国の統合、王は今までと同じ二人が立つ事、王都をラインバールへと遷都すること。それらの準備を今行っているところだ。
「ここまできたら、のんびりと行きましょう。待てますよ、いつまでも。貴方とこうして寄り添う時間があるのですから」
ルーカスはラインバールの砦で養生し、ここで執務を行う事にしたらしい。ならばと、ユリエルも同じようにした。砦は離れているが徒歩で行ける距離だ。遠く離れているわけでも、隔てる障害があるわけでもない。
不意に、ルーカスはユリエルの手を握った。振り向けば真剣な、優しい瞳が見つめている。吸い込まれるような眼差しから目が離せなくなった。
「ユリエル、改めてだ」
「え?」
「俺はもう、君を失って生きる意味を見いだせない。君がいなくなってしまっては残る時間は闇の中だ。俺の残る時間の全てを、君の為に。君と一緒に生きていきたい。許してくれるだろうか」
それは、不意打ちのプロポーズだった。途端早鐘を打つ心臓にユリエルは顔を赤くした。なんて言葉を継げばいいか分からない。嬉しさに体が震える。耳まで真っ赤になって、ユリエルは俯いた。
「ずるい」
「ん?」
「不意打ちです、こんなの。こんな……心臓破裂しそうです」
胸が痛く思うくらいドキドキと鳴っている。その音が伝わってしまうのではと思うくらいだ。
「ユリエル」
「んっ」
耳に触れる吐息がくすぐったい。この人は安静にしなければならず、欲情にかられてはならないのに。
「もぉ、煽らないでください」
「ダメか?」
「安静!」
怒ったように言えば楽しげに笑って、「そうだった」と言われる。そして、少し距離が出来た。
「……好き、ですよ」
「え?」
「貴方の事が好きです。どれほどの年月が経とうと、私は貴方に夢中になる。この気持ちに終わりなどきっとありません。私は貴方のものです。そして貴方は、私のものです」
深く強い独占欲はどれほど経っても薄れることがない。自分はこれほどに欲深いかと疑うほどだ。この人の全てを欲しいなんて思ってしまう自分に呆れ、それでも願うのだ。
ルーカスは赤くなり、口元を抑えている。金の瞳が困ったようにこちらを見て、やがて腕が伸びて抱き寄せられる。そしてそっと、唇を交わした。
「俺の全てを、君に」
「私の全てを、貴方に」
誓い合い、二人は寄り添う。もう二度と、誰であってもこの間には立たせない。これは二人の、強い誓いだった。
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満員電車で、立ったまま寄りかかるように寝てしまった高校生の愛希を抱っこしてくれたのは、かっこいい社会人の真紀でした。接点なんて、まるでないふたりの、抱っこからはじまる、しあわせな恋のお話です。
ふたりの動画をつくりました!
インスタ @yuruyu0 絵もあがります。
YouTube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。
プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら!
完結しました!
おまけのお話を時々更新しています。
BLoveさまのコンテストに応募しているお話を倍以上の字数増量でお送りする、アルファポリスさま限定版です!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
【完結】社畜の俺が一途な犬系イケメン大学生に告白された話
日向汐
BL
「好きです」
「…手離せよ」
「いやだ、」
じっと見つめてくる眼力に気圧される。
ただでさえ16時間勤務の後なんだ。勘弁してくれ──。
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純真天然イケメン大学生(21)× 気怠げ社畜お兄さん(26)
閉店間際のスーパーでの出会いから始まる、
一途でほんわか甘いラブストーリー🥐☕️💕
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📚 **全5話/9月20日(土)完結!** ✨
短期でサクッと読める完結作です♡
ぜひぜひ
ゆるりとお楽しみください☻*
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🧸更新のお知らせや、2人の“舞台裏”の小話🫧
❥❥❥ https://x.com/ushio_hinata_2?s=21
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なにとぞ、よしなに♡
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魔王の息子を育てることになった俺の話
お鮫
BL
俺が18歳の時森で少年を拾った。その子が将来魔王になることを知りながら俺は今日も息子としてこの子を育てる。そう決意してはや数年。
「今なんつった?よっぽど死にたいんだね。そんなに俺と離れたい?」
現在俺はかわいい息子に殺害予告を受けている。あれ、魔王は?旅に出なくていいの?とりあえず放してくれません?
魔王になる予定の男と育て親のヤンデレBL
BLは初めて書きます。見ずらい点多々あるかと思いますが、もしありましたら指摘くださるとありがたいです。
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