恋愛騎士物語4~孤独な騎士のヴァージンロード~

凪瀬夜霧

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1章:ラブ・シンドローム?

3話:思い出の味(ベリアンス)

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 帝国騎士団に来て、二週間と少し。ここは活気がある。
 チェルルの一件や、それに伴う恋人の襲撃や捕り物もあったが、実に手際よく騎士団は処理している。それだけ隊員の厚みがあり、何処かが力を落としてもそれを補う力があるのだろう。
 見習うべきだ。むしろ今から作らなければならない祖国の軍事改革には、このような人間の厚みが欲しい。
 聞いてみると、カール皇帝の前はこうではなかったらしい。そこを詳しく聞いて、納得した。魅力的で強いリーダーの元、下がそれを支え、憧れ、追いつきたいと思う事でこうなった。

 辺境騎士団もそうだ。元はただの一般人が、故郷を守りたいという気持ちで立ち上がり、今にいたるのだ。
 そして今、あそこにはダンクラートがいる。あいつは強く、気持ちがよく、人との間に壁を作らない。人を惚れさせる、そんな魅力が間違いなくある。
 あいつが育てて行ってくれる。ベリアンスに出来るのは、その手助けとなる助言くらいだ。

 シウスやファウストに頼んで、帝国騎士団の組織作りを学ばせてもらっている。そしてその場でレポートを書き、検閲してもらい、ダンクラートに送る事にした。他の国から学ぶ事は多い。それくらいしか、今はしてやれない。

 レポートを書く手が時々止まる。まるで昔の……なんの肩書きもなく、必死になっていた時代を思い出すのだ。ただ故郷と、そこにいる大切な人を守りたいとがむしゃらになっていた。
 あの時代は良かった。チェルルやリオガン、ハクイン、キフラス、レーティスがいて、隣にはダンクラートがいて、他の仲間もいた。
 毎日が戦いで、毎日仲間が犠牲になって、苦しくてたまらない気持ちと生き残った喜びを感じていた。勝利できれば、それを喜んでいた。
 主であるアルブレヒトが来て状況は一変して、荒れ果てた故郷が少しずつ復興していった。王族なのに一緒に汚れて、それでも楽しそうにしているアルブレヒトを見て、この人の為に何かがしたいと思った。

 あの時代が、一番楽しかった。でも、もう戻ってはこないんだ。

 思うように動かない左手を握ってみる。リハビリをしているが、右手に比べれば握りが甘い。肩はようやく水平に持ち上がるようになったがこれも短時間。そこから上には痺れと虚脱で上がらない。高い場所の物を取ることができない。
 この腕は、手は、もう戻らない。エリオットや、医療府のリハビリ専門医は「そんなことはない」と言うけれど、正直気休めに聞こえる。自分が一番分かっている。ここから先は、きっと無理なんだと。

 考えた。もう祖国に顔向けはできない。どんな言い訳をしてもキルヒアイスに加担したのはベリアンスだ。セシリアを死に追いやったのはベリアンスだ。レーティスを苦しませる原因も、ベリアンスだ。
 セシリアを引き渡せと言われ、ナルサッハに「人質に手は出させません」と言われ、仲間や部下の命まで取引に出されて……セシリアからも行くと言われて、ベリアンスはそれを許してしまった。
 守らなければならなかったんだ、大切な家族を。母を病気で亡くし、父と妹の三人だけだった。セシリアはベリアンスを信じてついてきてくれたのに。

 セシリアからの手紙は、あまり長くなかった。むしろ、書き付けのようだった。

『生きて、どんなに小さくても笑えるような、そんな生き方をしてください。兄様の笑顔が私への一番の償いです。もう何に縛られる事なく、思う道を生きてください。間違っても、不幸な顔をして私の側にいない事! 私まで不幸な気分になります』

 最後にこんな風に書いてあったのを読んで、ダンクラートの前だっていうのに泣いてしまった。あいつには、弱みなど見せたくなかったのに。
 本当に、最後まで他人の心配だった。昔から危ないというのに後方支援をして、炊き出しだの治療だのと。言う事を聞かない妹は……最後まで何の相談も無しに逝ってしまった。

 その時、コトリと音がして弾かれた様に顔を上げた。
 ここは遅い時間の食堂。既に遅番の隊員も食事を終え、明日の下ごしらえをする料理府の隊員もいない。それでもギリギリまでここで、ベリアンスはレポートを書いたり、書庫にある過去の事件の報告書を読むのが日課になっている。

 見るとここの主である料理府長のアルフォンスが、穏やかな瞳でこちらを見ている。置かれたのはホットミルクだ。

「どうぞ」
「あぁ、すまない……」

 勧められて飲み込むミルクはほんのりと甘い。そして、程よい温度だ。

 ここで過ごすようになって、アルフォンスは夜にこうして声をかけてくれるようになった。飲み物を差し入れてくれるようになって、そのうちに話をするようになった。
 ベリアンスの正面に座ったアルフォンスは読んでいる調書に視線を向ける。

「勉強熱心なんだな」
「そんなことはない。……これしか、出来る事がないだけだ」

 まともな訓練はできない。だからといって単独行動はできない。捕虜という立場上、誰かしらが側にいる。外出の許可は今のところ出ていない。部屋は一人部屋だが、就寝時間には部屋に誰かが来ている事を確認され、朝も迎えが来るまでは部屋で待機だ。
 これを受け入れる事を条件に、帝国に来た。一つは祖国の為に学びたいという気持ち、一つはリハビリと新たな力を手にするため。けれど気持ちの大半は、祖国から逃げたという気持ちだ。
 傷が癒える事はないかもしれない。いつまでも苦しいままの可能性の方が高い。けれど祖国と切り離されてしまえば、新たに何かを始められる気がしたのだ。

 不意に、読みかけの調書が閉じられる。いつの間にか俯けていた顔を上げると、アルフォンスの青い瞳が僅かに気遣わしげだった。

「夜に不安を募らせても、解決はないよ」
「え?」

 キョトッとすると、そのまま調書はテーブルの端に寄せられてしまう。困るが、無言のままに「ダメ」と言われている気がした。

「夜は心を穏やかに整えて、心配事は明日にしておく。その方がいい案が思い浮かぶものだ」

 そんな事を言われても、とても気持ちが前向きになるとは思えない。
 ホットミルクを一口。すると不思議と気持ちが落ち着いた。

「ベリアンスは、素朴な甘い物が好きだな」
「え?」

 思わず見ると、とても嬉しそうにするアルフォンスがいる。そういえばこの人はよく、食べている人の顔を見ている。ジェイクという人物も食べている隊員を見ているが、あちらはもう少し厳しい感じがある。おそらく、体調管理や様子の違いを見ているんだ。

「誰かが食べているのを見るのが、好きなのか?」

 聞いてみるとアルフォンスは僅かに首を傾け、次には子供のような素直な顔で笑った。

「料理人なら好きだろ。自分達が作った料理をどんな顔をして食べているのか、それを気にしない奴はいない。俺はここみたいに近い距離でそれを見ているのがいいんだ」

 大人の男の色気が、子供っぽい無邪気な笑みと合わさると妙に見てしまう。そのくらいには魅力のある男なのだろう。
 やや色の濃い肌に、男らしい輪郭。鼻筋が通っていて、唇は少し厚い。首筋や腕はやや太く、長身で。そのくせ、青い瞳は人好きのする感じがする。

「ジェイクの奴はしがらみなく好きな料理をしたり、研究をしたり、メニュー開発がしたくてここにいるがな。俺は食べている人の側にいたいんだ。食べる時、幸せそうだったり楽しそうだったりしてくれればそれが一番嬉しい」
「個人の店を出そうとは思わなかったのか?」

 この腕前なら、きっと店も繁盛するだろう。
 だが、アルフォンスは苦笑して首を横に振った。

「案外面倒なんだ。誰が師で、どこで修行して、誰と仲がいいのかとか。そういうしがらみもなくやりたくて悩んでいた時に、ここの話が舞い込んだ。ここならしがらみもないし、俺の望みも叶うと思ったんだ」

 やはり、どこの世界も面倒らしい。料理の世界までこんなに面倒なのかと、ふと表情が沈んだ。
 その時、就寝前を知らせる隊員がそれぞれに声をかけにきた。

「すまない、そろそろ行く」

 適温から少し温くなったホットミルクを飲み干して、礼を言って立ち上がる。手には調書を持って、ベリアンスは自室へと戻っていった。


 数日して、ベリアンスに祖国から手紙が届いた。検閲してからだが、シウス達は目の前でそれらをする。下手に隠さない方がいいだろと言ってくれる。
 その手紙で、色んな事を知った。

「レーティスは、故郷に戻る事を決めたのか」

 どうやら彼は感情的にも落ち着きだし、道を決めたようだった。故郷に戻り、立て直す。元々父親が領主なのだから自然な流れだ。そこにオーギュストという騎士もついていくらしい。蜜月、ということなのだろう。

「オーギュストも勝手をしよる。これではなんの為にジェームダルに残したと思っておるのか」
「レーティスの為だろ?」

 苦言を一応は言うシウスに対して、ファウストはさも当然と言ってのけた。そして、一つの書状をベリアンスに見せた。

「これは……」
「来年には陛下の第一子が生まれる。それに、ジェームダルとの和平同盟も順調に結ばれる。その時に出す恩赦だ」
「オーギュストは、元テロリストなのか……」

 知らなかった。献身的にレーティスの世話をしている彼からはそのような感じを受けなかったのに。

「実際は、彼の元主が主犯だった。その原因は前皇帝にあった。元々陛下はこの件に関して心を痛めていたんだ。十年の強制労働という刑が下ったが、オーギュストは十分な働きをしているし、今は反乱の意志もない。そういう人物なら、自由にするのも構わないという判断だ」

 そんな過去があったのか。だが、レーティスを思えば有り難いだろう。彼の弱い部分を覆うように側にあるオーギュストの様子を思い出せば、今後も側にいてくれると安心できる。
 故郷を離れたベリアンスには、それしか言えなかった。

「俺も、レーティスには幸せになってもらいたい」

 そう言って笑ったランバートに首を傾げると、彼はとても穏やかにレーティスとの因縁を話してくれた。

「これまで何度もやり合った相手だから、思い入れもあるんだ。それに、本来の彼は穏やかだし。戦いから離れられて、ちょっと安心している」
「バロッサから始まり、一度奴に殺されかけたからの」
「それを言わないでください、シウス様。それでも、放っておけない相手だったんですよ。わだかまりもなくなったんで、今は素直に彼の幸せを祈っています」

 ふんっ、とそっぽを向いたランバートは少し忙しげにシウスに書類を出し、代わりに倍は分厚い紙束を持って出ていく。その後ろを、苦笑したファウストがついていく。

「なんにしても、ジェームダルは少しずつ動き出しておるようじゃ。心配せず、其方はここでやれる事をする事じゃぞ」
「分かっている」

 言いながら、本当に分かっているのか疑問に思える。本当はずっと迷子だ。何が正しいのか、何をするべきなのか、本当に前に進めているのか。それすらも分からない。
 ベリアンスの焦りは、祖国の前進を知るほどに強くなっているように思えた。

 その日、少しリハビリを増やしたせいか夜になっても微妙な痺れが左指にあった。そのせいで集中できず、調書を読むのも諦めた。
 温めるのがいい。そう言われたが時間はとっくに遅い時間だ。

「調子が悪いのか?」
「え?」

 不意にかけられた声に視線を上げると、アルフォンスが心配そうな顔をして側にいる。そしてスッと、痺れの残る左手を指さした。

「使いづらそうにしている。調子が悪いなら、医務室に行った方がいい」
「あぁ、いや。それほどじゃない。リハビリを頑張りすぎたんだ」

 最近は調子を崩している隊員も多い。半年ほどの長期遠征の後にグッと気温が下がった。同時に空気の乾燥も急に始まった感じがある。加えて、暖かいジェームダルから帰ったばかりだからだ。ほんの少しの差だろうが、疲弊した体には応えたのだろう。
 そんな事で医務班は忙しくしている。チェルルの恋人も順調な回復らしいが、まだ騎士団宿舎の中で様子を見ている。
 そんな状況で、たかが左手の痺れくらいで医務室へ行くのは憚られた。

 だが、アルフォンスは心配そうな顔をして、突如手を差し伸べてきた。

「こっちだ」
「え?」
「料理府長室」

 腕を取られる、その意外な強さに驚いてしまう。盛り上がりのある、逞しい腕だとは思っていたが見せかけじゃなかった。
 連れられるまま調理場の奥にあるスタッフルーム、更に奥にある料理府長室へと連れてこられる。そこにある椅子に座らされて、呆然としたままアルフォンスは出て行ってしまった。

「どうしたんだ?」

 どうしてここに連れてこられたのか。慣れない場所にキョロキョロしていると、早い段階で彼は戻ってくる。手には湯気を上げる桶とタオルを持って。

「左肩を出してくれ」
「えっ、いや……」
「いいから」

 強い口調で言われ、ベリアンスはおずおずと前を開けて左肩を出した。
 深い傷が、まだ生々しくある。傷の痛みはないが、未だに痺れを発する場所だ。

 アルフォンスの精悍な眉が辛そうに寄る。けれど次には温かい湯に浸したタオルを絞り、それを傷のある肩に当てた。

「あ……」

 気持ちがいい……

 怠い感じのする部分が温まって、痺れが緩和されていく。少し冷めると再び浸し、同じように当ててくれる。そうしているうちに、随分と楽になった。

「左手、どうだ?」
「……痺れがなくなった」

 握ってみても違和感はない。特に酷い親指の付け根が楽だ。
 アルフォンスを振り返ると、彼はとても穏やかな表情をしてそのまま服をきせかけてくれる。そうして、使った桶などを片付けにいった。

 こんな事まで気にかけてくれるのは、有り難いが申し訳ない。彼がここまでしてくれる義理はないのだから。
 けれど、荒んでいるだろう心に彼の気遣いはとても染み入る。側にいてくれると穏やかになっていくような、そんな気分だ。

 少し時間があって戻って来た彼は、温かなミルクと一枚の皿を持っている。その皿に乗っている物を見て、ベリアンスは思わず「あ!」と声を上げた。
 フレンチトーストが、美味しそうに焼けている。ほんの少し蜂蜜がかけてある。
 それを見たベリアンスの目からは、意図せずに涙がこぼれた。色んな事を思いだしたのだ。

「どうした! 嫌い、だったか?」
「違う……」

 落ちた涙を乱暴に拭ったベリアンスは、パンを一口大にして口に放り込む。しっかりと染みた卵液の素朴な美味しさと、柔らかくて所々が香ばしくカリッとしている。そこに、蜂蜜の甘い味がした。

「余り物のパンですまないが」
「余って、硬くなったパンを美味しく食べられる。そう言って、妹が時々夜食に作ってくれたんだ」

 知っている、余ってしまったんじゃなく、我慢して余してくれていた。辛いのに、高い蜂蜜をかけて……

「俺が疲れている時や、頑張った時に。食べるのもやっとなのに……俺が甘い物が好きなのを知っていて、無理をして」

 こんな、温かい味だった。優しさが沢山詰まった味がした。
 泣きながら、夢中になって皿の中身を空にして。そうして丁寧に「ご馳走様でした」と感謝を述べた。

 目の前にいるアルフォンスはずっと黙って聞いていて、「お粗末様でした」と返すとハンカチを出して、未だ止まらない涙を拭った。

「また作ろう。特別メニューだからここでだが」
「いい、のか?」
「構わないさ。その時にはまた、話を聞かせて欲しい」

 包むように柔らかく、美味しい料理に思い出を乗せて。けれど甘さと優しさがじんわりと、硬い心に染みていったように思えた。
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