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4章:リッツ・ベルギウス失踪事件
5話:囚われの身の上(リッツ)
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聞き慣れた波音も船倉となれば聞こえが違う。何より今はそれよりも不愉快な雑音が多すぎる。
「ほら、しっかりしゃぶれって」
だらしなく目の前に出された肉棒はわりと限界だってのに、そんな強がりを口にする。身なりは悪くないがなんせ中身がスカスカで、アレも大きくない。正直物足りなくてがっかりだ。
それでも大人しくしゃぶり倒してイカせてやるのは、それなりの理由がある。
口の中にたっぷりと出した男は気持ち良さそうな顔をするが、こっちとしては萎えることこの上ない。
「ほら、満足したなら下がれよ。お前で最後だろ」
「ったく、可愛くない野郎だぜ。顔がいいってのに勿体ねぇ」
「大きなお世話だ」
こんな野郎の子種、飲むだけ無駄。リッツは口の中の白濁をこれ見よがしに吐き捨てる。その様子に男は下半身丸出しで「ひでぇ!」と言いやがった。
ここは船倉。そこにある大型獣用の檻の中だ。ただ、これといって不自由はない。裸に首輪というお決まりのスタイルではあるが、拘束されているわけではないし、妙な薬を使われているわけでもない。勿論暴力も振るわれない。
毎日三食を食べ、日に一度は綺麗に体を清められて髪なんかは香油などでケアされる。寝る場所は柔らかな布団を直敷きで快適だ。
それというのもリッツは商品。しかも高額が期待できる商品だからだ。こいつらのボスはそういう価値のあるものに手間を惜しまないらしい。
まぁ、そのくせ契約の範疇で男の相手をさせるんだが。
「おい、そろそろ食事だぞ」
「その前に約束果たせ。兄貴は無事なんだろうな!」
睨み付けるように言うと身支度を整えた男が煩そうな顔をする。明らかに面倒そうだ。
「ちゃんと生きてるっての」
「生きてるじゃなくて、人間として扱ってるのかって聞いてんだ!」
「うるっさい商品だな、ったく。こんなに要求の多い商品は初めてだ。大抵がビビってちびるのに」
「こちとら商人様だぞ、んな事するか。いいから兄貴と会わせろ!」
リッツの要求に男は「へいへい」と言って首輪に鎖を繋ぐ。そしてリッツを別室へと連れて行った。
その部屋はリッツのいる場所とは違って物品庫っぽく、扱いも雑だ。
その中に兄フランクリンはいる。左足が明らかに赤紫に腫れ上がっているし、体を僅かに折り曲げた状態のまま動けない。息はヒューヒューと苦しそうだ。
「兄貴! おい、どうして治療してないんだよ!」
駆け寄り、側に膝をついて顔を上げさせる。眼鏡なんて既になくて、目は虚ろなままだ。
「そいつが嫌がるんだから仕方がないだろ」
「こんな状態でどうやって反抗できるんだよ!」
「煩いな。生かしてるだけでも異例だってのに」
めんどくさそうな男を睨み付け、リッツはフランクリンの体を撫でて側の毛布を巻き付けた。このままじゃリッツよりもフランクリンが死んでしまう。
「兄貴、もう少し辛抱な。絶対、絶対助けるから」
届いているのだろうか、分からない。それでも言わないと、リッツ自身も壊れそうだ。信じていると言わないと、絶望に押し潰されてしまいそうなんだ。
アルブレヒトに商品を納めた夜、リッツは機嫌良く宿に入った。
仕上がったドレスを見たアルブレヒトと、新郎のダンは大いに喜んでくれた。そして代金に色をつけてくれただけでなく、何かあった時にはまたお願いしたいと言ってくれたのだ。
それと一緒にフランクリンも紹介した。このジェームダルで何か仕事を纏められれば、きっと父アラステアの溜飲も下りるだろうと思ったのだ。
その夜、リッツと同室のフランクリンは突如「外に飲みにいかないか」と誘ってきた。
「ダメだって。今の王様になって少し治安は良くなったとは言え、まだまだ油断出来ない国なんだから。夜間の飲み屋は安心して行ける店を選ばないと本当に危ないって」
追い剥ぎがいるなんてのはよくある。それを避けるならある程度のランクの店でなければならない。実際今日の食事は城でそうした上級の店を紹介してもらって行ったんだし。
けれどこの日のフランクリンはなかなか引き下がらない。言い募られて、困っている。
「ほんの少しでいいんだ。そういう酒場では稀にいい商売相手がいるんだろ?」
「あのな兄貴。そういう場所での相手こそ気を付けないとこっちが身ぐるみ剥がされるんだぞ。危ない相手と分かって付き合うなら、そのやり方だって必要だ。細い橋の上を歩くみたいなやり取りなんて、あまりしない方がいいって」
実際トラブルも多い。治安の悪い所で商売をする人間は、大抵が裏に何かを隠している。非合法もあるだろう。そういう相手は表の商人と結びたがるが、こっちとしては犯罪に加担する事は避けたい。真っ当な商売しないと危険が多いのだ。
なにより交渉ベタなフランクリンに、そんな薄氷の上を歩くような高等テクや度胸はないだろう。
「真っ当な商売で十分稼げる。それじゃダメなのか?」
「……分かった」
俯いたフランクリンを見ているのが少し辛くて、リッツは立ち上がった。明日の打ち合わせを軽くするつもりで部屋を離れる事にしたのだった。
そのまま従者と御者、両方と一階で打ち合わせを軽くした。予定よりも少し早くここを出る事にしたのだ。
それというのもフランクリンの様子が気になる。かなり焦っているし、何か違う。日中、リッツが二時間ほど席を外していた時に単独行動をしていたらしい。それでも城からそう離れてはいないらしいが。
それに、御者が見知らぬ男と歩いているのを見たと言っていた。どういう意図で接触してきたのだろう。
「じゃ、よろしく。早くなった分、今日はもう休んでくれ。俺も出る事はないから」
「分かりました」
「お疲れ様です」
二人も無事に行程の半分が過ぎた事に安堵した顔をしている。旅は帰るまでが旅だから、まだ気は抜けないのだが。
そうして二階に上がり、部屋に入る。その直後に何者かがリッツを乱暴に床に転がし、速攻で猿ぐつわをする。更に足を縛り、後手に縛りあげた。
「こりゃ上物だな。ボスが欲しがったわけだ」
「あぁ、メインに出せる商品探してたしな」
見れば窓が開いている。そして見知らぬ男が五人ほどいた。
「んぅ!!」
青い顔をした兄フランクリンが、この乱暴な扱いに戸惑っている。その側には身なりだけはいい男が立っていた。
「乱暴な事はしないと約束のはずだろ!」
「乱暴じゃないっての。これでも丁寧だ。縄は柔らか素材だし、速攻で縛りあげたんだからな」
「そんな!」
「煩いお坊ちゃんだな。ほら、出るぞ」
「ん゛!」
体格のいい男がリッツを担ぎ上げて毛布でくるみ、窓際のロープに胴体を括り付ける。この窓の下は裏手で、明かりも何もない。そこに身なりのいい馬車が止まっていた。
「おい、こいつかなり金持ってるぞ」
窓から出される寸前に、ひょろい出っ歯の男が言う。そうしてアルブレヒトから受け取った代金の袋を持ち上げた。
「おい、ボスにネコババがバレたらバラされるぞ」
「黙ってればバレないっての」
出っ歯男はそれを懐にしまい込む。そしてリッツを下へと降ろした。
引っ越しで出される家具の気分だ。傷がつかないように包まれて、頭に袋を被せられる。何処かに運ぶつもりだが、何処かは悟らせない為だ。
「エニアス殿は乱暴な事はしないと約束したじゃないか。こんな」
「自分の保身の為に弟売り払おうっていう兄貴が何を言ってるんだかな」
「!」
その言葉は、やはりショックだった。いや、この状況だから疑わないし、いつか疎まれるだろうとは思っていた。でもまさか、ここまでだったなんて。
フランクリンは、恐れたんだろう。このままでは自分の今までが全否定される。リッツが家督を継ぐと、フランクリンは兄であるにも関わらずリッツの下につくことになる。これまでの努力は無駄となり、弟に顎で使われるんだ。
決してプライドが高いというわけじゃない。ただ、不器用なんだ。そして人として当然くらいのプライドと、真面目さを持っているんだ。ある意味で、普通なんだ。
やがて鼻に知っている匂いがする。潮風と、波音。走る馬車の車輪はなだらかで無駄な揺れがない。平らな石畳を走っている証拠だ。整備されていないガタガタの道や砂利道なら、もっと派手に体が跳ねるし不規則だ。
そうなると、おそらく港だ。走っている時間から考えても王都の港。
暫くして馬車は停まった。そしてリッツは誰かに担がれる。フランクリンは「丁寧にしてくれ!」と言っているが、こいつらは聞く耳を持たないだろう。元々そんなに出のいい奴等じゃない。所詮はそのエニアスというボスの、切り捨て可能な手足だ。
だからこそ大人しく担がれた。こいつらはいい衣装を着せられただけで中身はごろつきと変わらない。おそらくフランクリンの隣りにいた一番身なりのいい男なら多少の話はできるだろうが、他は木偶。そうなると、無駄に抵抗すれば簡単に暴力に訴える。
今、体力を使うわけにはいかない。港に着いたとなれば、側の屋敷につれていかれるか船だ。すぐに逃げ出す方法はなくても、ジッと待って体力を温存して、何かの機会に逃げられる準備をしないといけない。ランバートみたいに武力はないのだから。
それに信じている。翌朝、従者か御者が異変に気付く。そうなればルール通り、一人はルフランに、もう一人は問題が発生した国の騎士団に報告してくれる。つまり、アルブレヒトと帝国騎士団に事が伝わるはずなんだ。
アルブレヒトの性格からして、すぐに動いてくれるだろう。今日会った人間が攫われたんだ、許すはずがない。捜索してくれるに違いない。
それに、時間がかかっても帝国に伝われば……グリフィスに届く。助けにきてくれると信じたい。それまでは絶対に、選択肢を狭めちゃいけない。動ける力を残しておくこと、状況を把握しておくことだ。
リッツを担いだ男は歩きづらそうに少し横に揺れる。ギッ、ギッという音がしている。それにリッツ自身も体に馴染んだ揺れを感じる。船の中だ。
状況としては良くない。船がどこかに出てしまえば追うのは難しくなる。領海を出た途端にアウトだ。
ただ、希望も残されている。こいつらは確かに「メインに出せる商品」と言った。ということは、リッツを売るつもりで捕まえたんだ。そして「出せる」という言葉。客に見せびらかして売り払うつもりなら、客を集めたオークションが開かれる。おそらく海上。
聴覚だけだが、騒がしさは感じない。まだ客はいないし、パーティーもオークションも開かれてない。この船に客を乗せてのオークションなら、まだ品物を搬入している最中となる。それなら、時間がある。
その間に誰かが気付いてくれれば、希望は消えない。
やがてリッツは何処かの部屋に入り、そこで降ろされ頭の袋を取られた。
船長室、だろうか。中々豪華だ。カーペットは柔らかいし、調度品もある。高そうな花瓶なんかも置かれている。
そこの椅子にその男はいた。薄い金髪を撫でつけ、緑色に金糸のジャケットを着た男は見た目こそ華がある。だがその目は明らかに損益で動く商人のそれだ。
これがエニアスという男なら、骨が折れる。同業者同士の化かし合いか、度胸試しだ。救いは脳筋タイプじゃないこと。まだ、話ができる。
「城でみかけて、好みだったんだが……うん、やはりいい。この国にはない甘いキャラメルの瞳と髪だ」
お眼鏡にかなったようでなによりだ、クソ野郎め。
睨み付けるリッツを、エニアスは楽しそうにしている。そして背後のフランクリンに、用意してあった金の袋を投げた。
「お約束の代金です。手引き、有り難うございました」
床に投げられた袋を、フランクリンは受け取れないでいる。顔だけを向けると震えていて、瞳は揺れていた。
このまま逃げて、できれば従者辺りにこの事を伝えてほしい。そうすれば事は早くおさまる。兄の罪もそれほど重くはならない。全くの無罪とはならないだろうが、フランクリンは帝国の人間で司法取引が成立する可能性が高いのだ。
だがフランクリンは投げられた袋を無視してリッツの側にきて、あろう事か足の縄を解き猿ぐつわを外してしまった。
「悪いがやはり、この取引はなしにしてもらう!」
「!」
弟としては嬉しい言葉だが、商談としては最悪のタイミングだ。口約束でも事が動いてしまった以上、無理矢理履行されるだろう。しかもここは敵地で、誰かが助けてくれるわけでも、気付いてくれるわけでもない。
案の定、フランクリンはすぐに取り押さえられて引き離される。だが幸いなのは、誰もリッツを縛り直そうとはしなかったことだ。ここが自分達の領域であるという油断がある。
「困りましたね、フランクリンさん。今更そんな事が通用するはずがないでしょ?」
「約束が違う! リッツに乱暴な事はしない。他国で普通に生活ができると」
「人を売ろうという時点で、そんな事ありえませんよ。私の言葉を鵜呑みにした貴方がバカです」
「!」
ダメだ、フランクリンじゃとても敵わない。相手が何枚も上手だ。あのまま大人しく代金を持って宿に戻ってくれればまだ状況を知らせるチャンスがあったかもしれないのに、真面目過ぎてそういう戦いができなかった。
「騙したのか!」
「商人なら、このくらいは常識ですよ」
それが分かる人ならそんなに心配してない。机仕事が長い純粋培養が、裏の事まで知るはずがない。
「さて、困りましたね。大人しく帰ってくれるなら見逃しましたが、これで国に駆け込まれては敵いません。お返しするわけには、いかなくなりましたね」
「え? ぐぅ!」
筋肉質な男が突如フランクリンの肩を片手で押さえて正面から鳩尾を殴りつける。衝撃で眼鏡が飛び、倒れて激しく咳き込むフランクリンの足を、男は持ち上げて一気に不自然な方向へと曲げた。
「うあぁぁぁぁぁ!」
骨の折れる嫌な音と、断末魔の悲鳴。痛みから涙がこぼれ、口はだらしなく開いて涎が垂れた。
「とりあえず殺して、後で海に捨てる。今は色々煩いからな」
男達の笑いから、一発で楽にする事はないと覚った。このまま殴り殺すつもりだ。ここなら音が聞こえないし、隠す場所はいくらでもある。逃げる手段を失ったフランクリンを殺すことなんて、一時間いらないだろう。
リッツは動いた。自由になった足でどうにか立ち上がり、そのまま走ってガラス戸の飾り棚へと駆け寄った。
「その人に乱暴をするな! さもないと、せっかくの商品が傷物になるぞ」
リッツの声に、エニアスは目を丸くして口元を上げる。どうやら性格は悪いが、交渉の出来る相手らしい。今は同じ商人として、リッツとのやり取りを楽しむつもりらしい。
「貴方に何ができます? まさか、ここから逃げられるとでも?」
「逃げない。けれど、その人を殺したり、これ以上の乱暴を加えるならあんたが選んだ商品はここで失われる」
「どうやってかな?」
「こうやってだよ!」
リッツは背中を向けて、思いきり飾り棚に頭突きした。正直もの凄く痛かったし、あちこち切れた。出来るだけ頭からいったし、こういう家具のガラス戸は薄いガラスを使う。割れやすいが、大怪我までいかない。
背後でエニアスは明らかに狼狽えた。だがリッツは素早く薄いガラス片を一枚口に咥えた。飲み込めるサイズだ。
「バカな事だと思わないのかい? 貴方を売ろうとした兄を助ける為に、死のうと言うのかい?」
コクンと頷く。ここで抵抗をやめればどこぞに売られる運命で、フランクリンは目の前でなぶり殺され魚の餌だ。それを見るくらいなら多少痛い思いをしても抵抗はやめない。
エニアスは迷っている。リッツの本気は伝わっただろう。しかも今にも尖ったガラス片を飲み込もうとしている。背後に隠し扉なりがあって、突然誰かが飛び出さないかぎり奴等が動くよりも先に行動できる。
商人ははったりも度胸も虚勢も時に必要だ。怖いとか、死にたくないとか、そんなのを押し殺す演技くらい出来てなんぼだ。本気だと思わせる目で睨み付けたまま、リッツは動かない。少しでも震えたら、その瞬間に躊躇いを悟られる。
「……わかりました、交渉しましょう。おい」
エニアスは溜息をつき、男の一人を顎で使う。フランクリンは解放され、リッツに近づいてきた身なりのいい黒髪の男がリッツの手を一度解放する。
それでもリッツは抵抗しなかった。ガラス片は手に持ったまま、エニアスに近づいていく。頭や額が僅かに切れて、そこから流れる血が目に入って見づらい。
「まずは治療をさせていただきたい。貴方は大事な商品なので、傷が深いと値段に響きます」
「兄貴の治療もしろ」
「仕方がありませんね」
溜息をついたエニアスは、それでもリッツが大人しくしていることに落ち着いている。そうしてすぐに人がきて、リッツの額や頭からガラス片を全部とり、傷を治療していった。
「幸い、深く刺さっている部分はありません。切り傷も綺麗に治ります」
「兄貴のほうは」
「左足は複雑に折れておりますからな……。後は肋骨にヒビが」
「治療しろ」
「はいはい」
エニアスはリッツの尊大な態度を許している。それどころか楽しそうだ。
フランクリンがいるかぎり、リッツは逃げない。けれど交渉が決裂すれば、リッツはすぐにでも死ぬつもりでいる。首にずっと触れている手には、鋭いガラスがあるのだから。
「まさか自分の価値を盾に、私に交渉を挑む人がいるとは思わなかった。実に楽しい」
「こっちは不愉快だけど」
「だろうね。だが、貴方の思惑は見事に成功している。分かっていると思うが、あくまで商品としての扱いに関する交渉しかこちらは乗らない。逃がす事はできない」
「そこは無理をしない。こちらは戦う力はないただの商人だ」
「賢い方で助かりますね」
ニッコリ笑ったエニアスが交渉の席に着く。正面に座った男は、楽しげにリッツを見ていた。
「では、まずは貴方の扱いについて」
「書面に起こせ」
「同業者としては会いたくないタイプだ。いいでしょう」
エニアスは真新しい紙にリッツの扱いとフランクリンの処遇を書き込む。それをリッツに提示した。
「こちらの処遇としては、貴方の健康管理と十分な食事を提供しましょう。引き渡されるまでは、VIP待遇ですが」
「兄貴の治療と人間らしい扱いについてが明記されていない。殺さないの一言で誤魔化すな」
「目敏い。いいでしょう。ですがこうも条件が多いとこちらが損です。貴方からも何か頂かなくては」
「……この服、そこそこ仕立ていいけど」
「なるほど。では脱がせましょうか。そのかわり、首輪を差しあげましょう」
「悪趣味」
今持てるものはこれだけだ。それに、きっと最終的に脱がされるのだろうから自主的に脱いだ方がまだ抵抗がない。
「こちらの要求は逃げ出さない事ですが」
「兄貴がこの状態だ、逃げる事はできない」
「自殺も困りますよ」
「無事に交渉が成立して履行されている間はそんな無駄な事をするつもりはない。言っとくけど、少しでも違反があったら舌噛んででも死ぬから」
「いいでしょう。貴方が抵抗しないなら、手足の自由も約束してあげましょう。そのかわりといっては何ですが、事前に準備をさせてもらいたい」
「準備?」
リッツが首を傾げると、エニアスはニヤリと笑う。その表情だけで、何の要求か分かるというものだ。
「あぁ、性的な準備ね」
「話が早い」
「俺、初物じゃないけど?」
「おや、そうですか。それでも貴方に価値をつけるのに、何人かを相手させたい。抵抗されては傷物になるので、受け入れていただきたい」
「条件がある。まず、病気持ちじゃないのを確実によこせ。こんな所で病気移されちゃかなわない」
「それは勿論。商品に損害が出ますからね。間違いなく約束しましょう。ついでに、貴方が抵抗しなければ薬も暴力もありません。これも商品価値を下げます」
「そりゃ願ったり叶ったりかな。違えないように書き加えて」
エニアスが条件を書き加える。それを改めて頭から終わりまで読んだリッツは、一字一句間違いなく読み、下に他の契約書などが重なっていないかも確認した。
「間違いがなければ署名を」
「あんたからな」
「用心深い。貴方の慎重さを、そちらの彼にも分けてあげればよいのに」
チラリとフランクリンを見たエニアスが笑う。リッツはチラリと見て、それ以上は目にいれなかった。折られた左足が、赤紫になっていた。
「治療はいたしますよ」
「絶対だ。そのかわり、いい事教えてやるよ」
「ほぉ」
「さっき俺を連れてきた中に、ひょろい出っ歯がいただろ。あいつ、俺の持ってた売上金くすねたぜ」
背後で出っ歯がビクリと震え、エニアスに残酷な笑みが浮かぶ。その後すぐに人が呼ばれ、出っ歯は連れ出された。
悪いがあれも利用する。この情報を流してこちらの信用を少しでも高めておくのは悪くない。逆らわない事で油断を誘えるかもしれない。
何より苦労して商品を納めたってのに、その代金をあんな下っ端に持ち逃げされるのは癪だ。本当なら返せ、二五〇ゴールド。
署名を終えたエニアスの下に、リッツも署名する。あくまでこれはここにいる間の契約。ここを出れば効力を失う。それも明記させた。
これで、リッツは手足の自由と好待遇と引き換えに男達の求めを断れなくなった。あちらは契約通り履行している。その間はリッツも従うしかない。
「兄貴、もう少しだから」
きっと、助けてくれる。きっときてくれる。そう信じないと、ダメになる。どれだけ他の男を受け入れても、気持ちが張り裂けそうだ。何も気持ち良くないし、申し訳なくて苦しい。グリフィスだけと、約束したのに。
でも、絶対に生き残る。約束を破っても、今だけは。生きて絶対に、グリフィスの所に戻るのだから。
「ほら、しっかりしゃぶれって」
だらしなく目の前に出された肉棒はわりと限界だってのに、そんな強がりを口にする。身なりは悪くないがなんせ中身がスカスカで、アレも大きくない。正直物足りなくてがっかりだ。
それでも大人しくしゃぶり倒してイカせてやるのは、それなりの理由がある。
口の中にたっぷりと出した男は気持ち良さそうな顔をするが、こっちとしては萎えることこの上ない。
「ほら、満足したなら下がれよ。お前で最後だろ」
「ったく、可愛くない野郎だぜ。顔がいいってのに勿体ねぇ」
「大きなお世話だ」
こんな野郎の子種、飲むだけ無駄。リッツは口の中の白濁をこれ見よがしに吐き捨てる。その様子に男は下半身丸出しで「ひでぇ!」と言いやがった。
ここは船倉。そこにある大型獣用の檻の中だ。ただ、これといって不自由はない。裸に首輪というお決まりのスタイルではあるが、拘束されているわけではないし、妙な薬を使われているわけでもない。勿論暴力も振るわれない。
毎日三食を食べ、日に一度は綺麗に体を清められて髪なんかは香油などでケアされる。寝る場所は柔らかな布団を直敷きで快適だ。
それというのもリッツは商品。しかも高額が期待できる商品だからだ。こいつらのボスはそういう価値のあるものに手間を惜しまないらしい。
まぁ、そのくせ契約の範疇で男の相手をさせるんだが。
「おい、そろそろ食事だぞ」
「その前に約束果たせ。兄貴は無事なんだろうな!」
睨み付けるように言うと身支度を整えた男が煩そうな顔をする。明らかに面倒そうだ。
「ちゃんと生きてるっての」
「生きてるじゃなくて、人間として扱ってるのかって聞いてんだ!」
「うるっさい商品だな、ったく。こんなに要求の多い商品は初めてだ。大抵がビビってちびるのに」
「こちとら商人様だぞ、んな事するか。いいから兄貴と会わせろ!」
リッツの要求に男は「へいへい」と言って首輪に鎖を繋ぐ。そしてリッツを別室へと連れて行った。
その部屋はリッツのいる場所とは違って物品庫っぽく、扱いも雑だ。
その中に兄フランクリンはいる。左足が明らかに赤紫に腫れ上がっているし、体を僅かに折り曲げた状態のまま動けない。息はヒューヒューと苦しそうだ。
「兄貴! おい、どうして治療してないんだよ!」
駆け寄り、側に膝をついて顔を上げさせる。眼鏡なんて既になくて、目は虚ろなままだ。
「そいつが嫌がるんだから仕方がないだろ」
「こんな状態でどうやって反抗できるんだよ!」
「煩いな。生かしてるだけでも異例だってのに」
めんどくさそうな男を睨み付け、リッツはフランクリンの体を撫でて側の毛布を巻き付けた。このままじゃリッツよりもフランクリンが死んでしまう。
「兄貴、もう少し辛抱な。絶対、絶対助けるから」
届いているのだろうか、分からない。それでも言わないと、リッツ自身も壊れそうだ。信じていると言わないと、絶望に押し潰されてしまいそうなんだ。
アルブレヒトに商品を納めた夜、リッツは機嫌良く宿に入った。
仕上がったドレスを見たアルブレヒトと、新郎のダンは大いに喜んでくれた。そして代金に色をつけてくれただけでなく、何かあった時にはまたお願いしたいと言ってくれたのだ。
それと一緒にフランクリンも紹介した。このジェームダルで何か仕事を纏められれば、きっと父アラステアの溜飲も下りるだろうと思ったのだ。
その夜、リッツと同室のフランクリンは突如「外に飲みにいかないか」と誘ってきた。
「ダメだって。今の王様になって少し治安は良くなったとは言え、まだまだ油断出来ない国なんだから。夜間の飲み屋は安心して行ける店を選ばないと本当に危ないって」
追い剥ぎがいるなんてのはよくある。それを避けるならある程度のランクの店でなければならない。実際今日の食事は城でそうした上級の店を紹介してもらって行ったんだし。
けれどこの日のフランクリンはなかなか引き下がらない。言い募られて、困っている。
「ほんの少しでいいんだ。そういう酒場では稀にいい商売相手がいるんだろ?」
「あのな兄貴。そういう場所での相手こそ気を付けないとこっちが身ぐるみ剥がされるんだぞ。危ない相手と分かって付き合うなら、そのやり方だって必要だ。細い橋の上を歩くみたいなやり取りなんて、あまりしない方がいいって」
実際トラブルも多い。治安の悪い所で商売をする人間は、大抵が裏に何かを隠している。非合法もあるだろう。そういう相手は表の商人と結びたがるが、こっちとしては犯罪に加担する事は避けたい。真っ当な商売しないと危険が多いのだ。
なにより交渉ベタなフランクリンに、そんな薄氷の上を歩くような高等テクや度胸はないだろう。
「真っ当な商売で十分稼げる。それじゃダメなのか?」
「……分かった」
俯いたフランクリンを見ているのが少し辛くて、リッツは立ち上がった。明日の打ち合わせを軽くするつもりで部屋を離れる事にしたのだった。
そのまま従者と御者、両方と一階で打ち合わせを軽くした。予定よりも少し早くここを出る事にしたのだ。
それというのもフランクリンの様子が気になる。かなり焦っているし、何か違う。日中、リッツが二時間ほど席を外していた時に単独行動をしていたらしい。それでも城からそう離れてはいないらしいが。
それに、御者が見知らぬ男と歩いているのを見たと言っていた。どういう意図で接触してきたのだろう。
「じゃ、よろしく。早くなった分、今日はもう休んでくれ。俺も出る事はないから」
「分かりました」
「お疲れ様です」
二人も無事に行程の半分が過ぎた事に安堵した顔をしている。旅は帰るまでが旅だから、まだ気は抜けないのだが。
そうして二階に上がり、部屋に入る。その直後に何者かがリッツを乱暴に床に転がし、速攻で猿ぐつわをする。更に足を縛り、後手に縛りあげた。
「こりゃ上物だな。ボスが欲しがったわけだ」
「あぁ、メインに出せる商品探してたしな」
見れば窓が開いている。そして見知らぬ男が五人ほどいた。
「んぅ!!」
青い顔をした兄フランクリンが、この乱暴な扱いに戸惑っている。その側には身なりだけはいい男が立っていた。
「乱暴な事はしないと約束のはずだろ!」
「乱暴じゃないっての。これでも丁寧だ。縄は柔らか素材だし、速攻で縛りあげたんだからな」
「そんな!」
「煩いお坊ちゃんだな。ほら、出るぞ」
「ん゛!」
体格のいい男がリッツを担ぎ上げて毛布でくるみ、窓際のロープに胴体を括り付ける。この窓の下は裏手で、明かりも何もない。そこに身なりのいい馬車が止まっていた。
「おい、こいつかなり金持ってるぞ」
窓から出される寸前に、ひょろい出っ歯の男が言う。そうしてアルブレヒトから受け取った代金の袋を持ち上げた。
「おい、ボスにネコババがバレたらバラされるぞ」
「黙ってればバレないっての」
出っ歯男はそれを懐にしまい込む。そしてリッツを下へと降ろした。
引っ越しで出される家具の気分だ。傷がつかないように包まれて、頭に袋を被せられる。何処かに運ぶつもりだが、何処かは悟らせない為だ。
「エニアス殿は乱暴な事はしないと約束したじゃないか。こんな」
「自分の保身の為に弟売り払おうっていう兄貴が何を言ってるんだかな」
「!」
その言葉は、やはりショックだった。いや、この状況だから疑わないし、いつか疎まれるだろうとは思っていた。でもまさか、ここまでだったなんて。
フランクリンは、恐れたんだろう。このままでは自分の今までが全否定される。リッツが家督を継ぐと、フランクリンは兄であるにも関わらずリッツの下につくことになる。これまでの努力は無駄となり、弟に顎で使われるんだ。
決してプライドが高いというわけじゃない。ただ、不器用なんだ。そして人として当然くらいのプライドと、真面目さを持っているんだ。ある意味で、普通なんだ。
やがて鼻に知っている匂いがする。潮風と、波音。走る馬車の車輪はなだらかで無駄な揺れがない。平らな石畳を走っている証拠だ。整備されていないガタガタの道や砂利道なら、もっと派手に体が跳ねるし不規則だ。
そうなると、おそらく港だ。走っている時間から考えても王都の港。
暫くして馬車は停まった。そしてリッツは誰かに担がれる。フランクリンは「丁寧にしてくれ!」と言っているが、こいつらは聞く耳を持たないだろう。元々そんなに出のいい奴等じゃない。所詮はそのエニアスというボスの、切り捨て可能な手足だ。
だからこそ大人しく担がれた。こいつらはいい衣装を着せられただけで中身はごろつきと変わらない。おそらくフランクリンの隣りにいた一番身なりのいい男なら多少の話はできるだろうが、他は木偶。そうなると、無駄に抵抗すれば簡単に暴力に訴える。
今、体力を使うわけにはいかない。港に着いたとなれば、側の屋敷につれていかれるか船だ。すぐに逃げ出す方法はなくても、ジッと待って体力を温存して、何かの機会に逃げられる準備をしないといけない。ランバートみたいに武力はないのだから。
それに信じている。翌朝、従者か御者が異変に気付く。そうなればルール通り、一人はルフランに、もう一人は問題が発生した国の騎士団に報告してくれる。つまり、アルブレヒトと帝国騎士団に事が伝わるはずなんだ。
アルブレヒトの性格からして、すぐに動いてくれるだろう。今日会った人間が攫われたんだ、許すはずがない。捜索してくれるに違いない。
それに、時間がかかっても帝国に伝われば……グリフィスに届く。助けにきてくれると信じたい。それまでは絶対に、選択肢を狭めちゃいけない。動ける力を残しておくこと、状況を把握しておくことだ。
リッツを担いだ男は歩きづらそうに少し横に揺れる。ギッ、ギッという音がしている。それにリッツ自身も体に馴染んだ揺れを感じる。船の中だ。
状況としては良くない。船がどこかに出てしまえば追うのは難しくなる。領海を出た途端にアウトだ。
ただ、希望も残されている。こいつらは確かに「メインに出せる商品」と言った。ということは、リッツを売るつもりで捕まえたんだ。そして「出せる」という言葉。客に見せびらかして売り払うつもりなら、客を集めたオークションが開かれる。おそらく海上。
聴覚だけだが、騒がしさは感じない。まだ客はいないし、パーティーもオークションも開かれてない。この船に客を乗せてのオークションなら、まだ品物を搬入している最中となる。それなら、時間がある。
その間に誰かが気付いてくれれば、希望は消えない。
やがてリッツは何処かの部屋に入り、そこで降ろされ頭の袋を取られた。
船長室、だろうか。中々豪華だ。カーペットは柔らかいし、調度品もある。高そうな花瓶なんかも置かれている。
そこの椅子にその男はいた。薄い金髪を撫でつけ、緑色に金糸のジャケットを着た男は見た目こそ華がある。だがその目は明らかに損益で動く商人のそれだ。
これがエニアスという男なら、骨が折れる。同業者同士の化かし合いか、度胸試しだ。救いは脳筋タイプじゃないこと。まだ、話ができる。
「城でみかけて、好みだったんだが……うん、やはりいい。この国にはない甘いキャラメルの瞳と髪だ」
お眼鏡にかなったようでなによりだ、クソ野郎め。
睨み付けるリッツを、エニアスは楽しそうにしている。そして背後のフランクリンに、用意してあった金の袋を投げた。
「お約束の代金です。手引き、有り難うございました」
床に投げられた袋を、フランクリンは受け取れないでいる。顔だけを向けると震えていて、瞳は揺れていた。
このまま逃げて、できれば従者辺りにこの事を伝えてほしい。そうすれば事は早くおさまる。兄の罪もそれほど重くはならない。全くの無罪とはならないだろうが、フランクリンは帝国の人間で司法取引が成立する可能性が高いのだ。
だがフランクリンは投げられた袋を無視してリッツの側にきて、あろう事か足の縄を解き猿ぐつわを外してしまった。
「悪いがやはり、この取引はなしにしてもらう!」
「!」
弟としては嬉しい言葉だが、商談としては最悪のタイミングだ。口約束でも事が動いてしまった以上、無理矢理履行されるだろう。しかもここは敵地で、誰かが助けてくれるわけでも、気付いてくれるわけでもない。
案の定、フランクリンはすぐに取り押さえられて引き離される。だが幸いなのは、誰もリッツを縛り直そうとはしなかったことだ。ここが自分達の領域であるという油断がある。
「困りましたね、フランクリンさん。今更そんな事が通用するはずがないでしょ?」
「約束が違う! リッツに乱暴な事はしない。他国で普通に生活ができると」
「人を売ろうという時点で、そんな事ありえませんよ。私の言葉を鵜呑みにした貴方がバカです」
「!」
ダメだ、フランクリンじゃとても敵わない。相手が何枚も上手だ。あのまま大人しく代金を持って宿に戻ってくれればまだ状況を知らせるチャンスがあったかもしれないのに、真面目過ぎてそういう戦いができなかった。
「騙したのか!」
「商人なら、このくらいは常識ですよ」
それが分かる人ならそんなに心配してない。机仕事が長い純粋培養が、裏の事まで知るはずがない。
「さて、困りましたね。大人しく帰ってくれるなら見逃しましたが、これで国に駆け込まれては敵いません。お返しするわけには、いかなくなりましたね」
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「うあぁぁぁぁぁ!」
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「その人に乱暴をするな! さもないと、せっかくの商品が傷物になるぞ」
リッツの声に、エニアスは目を丸くして口元を上げる。どうやら性格は悪いが、交渉の出来る相手らしい。今は同じ商人として、リッツとのやり取りを楽しむつもりらしい。
「貴方に何ができます? まさか、ここから逃げられるとでも?」
「逃げない。けれど、その人を殺したり、これ以上の乱暴を加えるならあんたが選んだ商品はここで失われる」
「どうやってかな?」
「こうやってだよ!」
リッツは背中を向けて、思いきり飾り棚に頭突きした。正直もの凄く痛かったし、あちこち切れた。出来るだけ頭からいったし、こういう家具のガラス戸は薄いガラスを使う。割れやすいが、大怪我までいかない。
背後でエニアスは明らかに狼狽えた。だがリッツは素早く薄いガラス片を一枚口に咥えた。飲み込めるサイズだ。
「バカな事だと思わないのかい? 貴方を売ろうとした兄を助ける為に、死のうと言うのかい?」
コクンと頷く。ここで抵抗をやめればどこぞに売られる運命で、フランクリンは目の前でなぶり殺され魚の餌だ。それを見るくらいなら多少痛い思いをしても抵抗はやめない。
エニアスは迷っている。リッツの本気は伝わっただろう。しかも今にも尖ったガラス片を飲み込もうとしている。背後に隠し扉なりがあって、突然誰かが飛び出さないかぎり奴等が動くよりも先に行動できる。
商人ははったりも度胸も虚勢も時に必要だ。怖いとか、死にたくないとか、そんなのを押し殺す演技くらい出来てなんぼだ。本気だと思わせる目で睨み付けたまま、リッツは動かない。少しでも震えたら、その瞬間に躊躇いを悟られる。
「……わかりました、交渉しましょう。おい」
エニアスは溜息をつき、男の一人を顎で使う。フランクリンは解放され、リッツに近づいてきた身なりのいい黒髪の男がリッツの手を一度解放する。
それでもリッツは抵抗しなかった。ガラス片は手に持ったまま、エニアスに近づいていく。頭や額が僅かに切れて、そこから流れる血が目に入って見づらい。
「まずは治療をさせていただきたい。貴方は大事な商品なので、傷が深いと値段に響きます」
「兄貴の治療もしろ」
「仕方がありませんね」
溜息をついたエニアスは、それでもリッツが大人しくしていることに落ち着いている。そうしてすぐに人がきて、リッツの額や頭からガラス片を全部とり、傷を治療していった。
「幸い、深く刺さっている部分はありません。切り傷も綺麗に治ります」
「兄貴のほうは」
「左足は複雑に折れておりますからな……。後は肋骨にヒビが」
「治療しろ」
「はいはい」
エニアスはリッツの尊大な態度を許している。それどころか楽しそうだ。
フランクリンがいるかぎり、リッツは逃げない。けれど交渉が決裂すれば、リッツはすぐにでも死ぬつもりでいる。首にずっと触れている手には、鋭いガラスがあるのだから。
「まさか自分の価値を盾に、私に交渉を挑む人がいるとは思わなかった。実に楽しい」
「こっちは不愉快だけど」
「だろうね。だが、貴方の思惑は見事に成功している。分かっていると思うが、あくまで商品としての扱いに関する交渉しかこちらは乗らない。逃がす事はできない」
「そこは無理をしない。こちらは戦う力はないただの商人だ」
「賢い方で助かりますね」
ニッコリ笑ったエニアスが交渉の席に着く。正面に座った男は、楽しげにリッツを見ていた。
「では、まずは貴方の扱いについて」
「書面に起こせ」
「同業者としては会いたくないタイプだ。いいでしょう」
エニアスは真新しい紙にリッツの扱いとフランクリンの処遇を書き込む。それをリッツに提示した。
「こちらの処遇としては、貴方の健康管理と十分な食事を提供しましょう。引き渡されるまでは、VIP待遇ですが」
「兄貴の治療と人間らしい扱いについてが明記されていない。殺さないの一言で誤魔化すな」
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「こちらの要求は逃げ出さない事ですが」
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「自殺も困りますよ」
「無事に交渉が成立して履行されている間はそんな無駄な事をするつもりはない。言っとくけど、少しでも違反があったら舌噛んででも死ぬから」
「いいでしょう。貴方が抵抗しないなら、手足の自由も約束してあげましょう。そのかわりといっては何ですが、事前に準備をさせてもらいたい」
「準備?」
リッツが首を傾げると、エニアスはニヤリと笑う。その表情だけで、何の要求か分かるというものだ。
「あぁ、性的な準備ね」
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「俺、初物じゃないけど?」
「おや、そうですか。それでも貴方に価値をつけるのに、何人かを相手させたい。抵抗されては傷物になるので、受け入れていただきたい」
「条件がある。まず、病気持ちじゃないのを確実によこせ。こんな所で病気移されちゃかなわない」
「それは勿論。商品に損害が出ますからね。間違いなく約束しましょう。ついでに、貴方が抵抗しなければ薬も暴力もありません。これも商品価値を下げます」
「そりゃ願ったり叶ったりかな。違えないように書き加えて」
エニアスが条件を書き加える。それを改めて頭から終わりまで読んだリッツは、一字一句間違いなく読み、下に他の契約書などが重なっていないかも確認した。
「間違いがなければ署名を」
「あんたからな」
「用心深い。貴方の慎重さを、そちらの彼にも分けてあげればよいのに」
チラリとフランクリンを見たエニアスが笑う。リッツはチラリと見て、それ以上は目にいれなかった。折られた左足が、赤紫になっていた。
「治療はいたしますよ」
「絶対だ。そのかわり、いい事教えてやるよ」
「ほぉ」
「さっき俺を連れてきた中に、ひょろい出っ歯がいただろ。あいつ、俺の持ってた売上金くすねたぜ」
背後で出っ歯がビクリと震え、エニアスに残酷な笑みが浮かぶ。その後すぐに人が呼ばれ、出っ歯は連れ出された。
悪いがあれも利用する。この情報を流してこちらの信用を少しでも高めておくのは悪くない。逆らわない事で油断を誘えるかもしれない。
何より苦労して商品を納めたってのに、その代金をあんな下っ端に持ち逃げされるのは癪だ。本当なら返せ、二五〇ゴールド。
署名を終えたエニアスの下に、リッツも署名する。あくまでこれはここにいる間の契約。ここを出れば効力を失う。それも明記させた。
これで、リッツは手足の自由と好待遇と引き換えに男達の求めを断れなくなった。あちらは契約通り履行している。その間はリッツも従うしかない。
「兄貴、もう少しだから」
きっと、助けてくれる。きっときてくれる。そう信じないと、ダメになる。どれだけ他の男を受け入れても、気持ちが張り裂けそうだ。何も気持ち良くないし、申し訳なくて苦しい。グリフィスだけと、約束したのに。
でも、絶対に生き残る。約束を破っても、今だけは。生きて絶対に、グリフィスの所に戻るのだから。
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