恋愛騎士物語4~孤独な騎士のヴァージンロード~

凪瀬夜霧

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8章:ジェームダルから愛をこめて

4話:思いがけない再会(キフラス)

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 かつて帝国との国境だったラジェーナ砦は、今は争いの様子は見られない。ここで多くの人が亡くなったとは……一国の王だった者が葬られたとは思えない賑わいとなっている。

 この地は戦争賠償の一つとして帝国へと渡ることになり、砦はその機能を失った。早急に武器の類いは砦から取り払われ、今は建物だけが残っている。
 簡易に作られたキルヒアイスの処刑台も撤去された。

 帝国は砦は残すものの、軍は僅かな警備程度にしか置かないらしい。そのかわり、この地は大きな教会が建つ予定だ。それだけ、ここでは多くの人が死んだ。
 ラン・カレイユから連れ出された武力をほぼ持たなかった人、軍神に挑み一瞬でその命を奪われた人。そして一度は権力を手にした暴君。あまりに多くの念を抱えた地だ。
 ここに建つ教会は、そうした人々の魂が安らかであるようにと祈りを込めるそうだ。

 現在その下地を作るべく、ジェームダルの兵士や帝国の騎士、一般の大工や、この地に集う人々を相手にする商人、そして手伝いにくる人々と賑やかになっている。
 広い土地は簡易のテントや小屋、砦の一部も開放して、そうした人々を受け入れている。

 キフラスがこの地の責任者として着ているのは、不甲斐ない兄の為だ。
 あの兄は色町ではなかなかにモテたが、いざ嫁となると手をこまねいている。それに、義姉は悩みを抱えているようだった。
 そんな姿を見ているだけに、今二人を離して長期の出張となれば間が冷え込みかねない。もしくはイシュクイナが乗り込んできかねない。これを見越して、軍部でも上層に着いたキフラスが赴任したのだ。

 現在の肩書きは、軍事副長の一人。他国に争いの種を蒔いていた自分が、こんな不相応な地位についている。
 これを賜ったとき、キフラスは「受け取れない」とアルブレヒトに伝えた。どんな理由があっても他国の侵略に加担した事実がある以上、そんな大役を受ける事はできない。情状酌量と、既に十分な反省、償いとなる行いをしていると言われても到底納得はできない。
 だがあの方は頑として聞き入れず、この地位をキフラスに与えた。そして「この国と帝国のために尽力することが贖罪です」と伝えた。

 贖罪。その言葉で受け入れた。許される事はないだろうし、殺した命はどうしたって戻らない。だから生きている間、二国の為にこの身を尽くす事を決めた。

 ここへの赴任は皆が嫌がり、ダンが「行こうか?」と言いだした時、キフラスは迷いなく着くことを伝えた。辛い肉体労働で、気も使う割に合わない仕事だろうが、償いなのだからこれでよかった。


 夜が明ければ新年という夜、キフラスは変わらず砦の執務室で書類に目を通していた。掛かった経費の精算や、入ってきた物資の書類。不満や嘆願の陳述書。作業リーダーの日報と、作業の進捗を知らせる報告書。

 それらに目を通していると、不意にドアをノックする者があった。

「はい」
「失礼します」

 そう言って入ってきたのはバルンという青年だ。元は宰相ナルサッハの懐刀をしていた青年だが、彼自身は武力は多少という程度。どちらかと言えば人を使う事に長け、全体を把握する指揮系統に優れている。ここにはそうした才能が必要と判断し、彼自身もここに着くことに異論が無かった為に補佐としてつけた。

「どうした、バルン」
「どうしたもこうしたも、夕食お持ちしたってわけですよ。うちの将軍様は放っておくと寝食忘れるんで」

 見れば外は相当暗くなっている。そういえば、手元のランプはいつつけたか。

「すまない」
「いいですけれど。今日はちょっと趣向を変えて、外の屋台で買ってきましたよ」

 そう言って彼が出したのは、野菜と肉が沢山挟まったサンドイッチに、温かな湯気を上げるコーンスープ、そしてサラダだった。

「帝国側の店で、手軽だけどボリュームあるって兵士に人気でしてね」
「そうか」

 なんだか、懐かしい感じがする。帝国でハムレットに匿われている間、郊外のあの町で自警団にいた。あの時によく食べていた物に似ている。
 仕事の手を止めてバルンと二人ソファーに移動したキフラスは早速サンドイッチにかぶりつき、目を丸くした。続いてスープを、そしてサラダを。咀嚼して、飲み込んで、立ち上がった。

「この食事を出している屋台はどこだ?」
「え? あっと……帝国側の砦の近くにある店で、女性が一人で切り盛りしてますが……なんかありました?」
「……知り合いかもしれない」

 この味と、これを持ってくる女性を覚えている。ほぼ毎日のように顔を合わせていたのだ。そして、別れもろくに言えないままに出て来てそれっきりだった。

「そういう事なら呼びましょうか? その店、閉店早いんで今頃店じまいですよ」

 腰を上げたバルンはさっさと出て行ってしまう。自ら行こうとしていたキフラスが止める暇もない。ゆったりしているくせに、いつの間にか動いている癖のある部下だ。

 差し入れられた夕食を食べ終わった頃、ドアがノックされてバルンが一人の女性を連れてきた。金の髪をおさげにした彼女は緊張した面持ちで立っていたが、キフラスを見た途端にぱっと青い瞳を輝かせた。

「キフラスさん! え、あの……」
「ビアンカ、やはり君だったのか」

 久しぶりに会った彼女は頬のそばかすも薄くなって、女性らしくなっていた。けれど浮かべる表情は知っているもので、思わず懐かしく嬉しくなってしまう。

「んじゃ、後はごゆっくり。帰りはキフラス様送って行ってくださいね」
「あ、こら!」

 気の抜ける声で言ったバルンがパタンとドアを閉めてしまい、残された二人は少し居心地が悪い。互いにソワソワと様子を伺う感じだ。

「とりあえず、掛けてくれ。お茶を淹れる」
「あっ、それなら私が」
「いや、大丈夫だよ」

 ソファーに彼女を座らせ、お茶を淹れて対面に座る。緊張した面持ちの彼女がぎこちなくお茶を飲むのを、キフラスは見ていた。

「すまない、突然。君の作ったサンドイッチを食べて、もしかしたらと思って部下に話したら連れてくると言われてしまって」
「あっ、いいえ! ちょっと驚きましたけど」

 ぱっと手を胸の前で振るビアンカの頬はやはり赤い。あの別荘地で接した彼女そのままの表情に懐かしく、自然と頬が緩んだ。
 それを見たビアンカの顔が更に赤くなっていくので、キフラスはちょっと心配になったくらいだ。

「それにしても、懐かしい。店の親父さんとお袋さんは元気なのか?」
「はい、元気です! 自警団の皆も元気ですよ。皆、寂しがってました。キフラスさんだけじゃなく、リオガンちゃんもいなくなってしまうし」
「悪かった。思ったよりも慌ただしく行かねばならなくなって、ろくな挨拶もできなくて」

 突然戻って来たアルブレヒトの側について準備をして、準備が終わったらもう出る事になって、本当に自警団長に一言二言話すのが精々だった。

 申し訳無い気持ちに頭をかくキフラスに、ビアンカはくすくすと笑った。

「でもこれで、いい報告ができます。他の皆は元気なんですか? ハクインくんとか、レーティスさんとか」
「あぁ、元気だ。チェルルはあの別荘地に戻っていると思うが」
「何度か挨拶はしたんだけど、綺麗な女の人が一緒にいたり、お医者先生と一緒だったりでお話する感じじゃなくて」

 首を竦めるビアンカに疑問を投げると、ビアンカは「お医者先生のお母様なんですって」と言う。どうやらハムレットの母に好かれたようだ。
 チェルルは人の懐に入るのが上手く、昔から年上に可愛がられる事が多かったが、今回もほぼ無自覚にそういう状況なのだろう。何にしても上手くやっているようで安心した。

「キフラスさんは、ジェームダルの騎士様だったのね」
「……あぁ」

 不意に沈んだ声で言われ、言葉に多少詰まる。ジェームダルが帝国にした事の大きさは理解しているつもりだ。だからこそ、キフラスも言葉が重い。

「すまない、騙すような事をしていた。本当なら何を今更、のこのこと顔を出しているんだと言いたいだろうが」
「あっ、そういう事じゃなくて!!」

 慌てて否定するビアンカに、キフラスは首を傾げる。罵られても仕方がないと思っていたが、どうやら違うらしい。
 彼女は少し恥ずかしそうにしながら、ちらちらとこちらを見ていた。

「遠い国っていうから、どこだろうと。北のクシュナートとは特徴が違うしって。遠いって、どのくらいかなって思っていたんです」
「あぁ、そういう事か」

 当時交戦一歩手前だったせいで、国名を明かしていなかった。

「ジェームダルなら、案外遠くないですね」

 ニパッと屈託なく笑ったビアンカの明るさに、キフラスも自然と微笑みが浮かんだ。

「そう言えば、君はどうしてここに屋台を?」
「出張所? です。丁度お店も落ち着いてるし、期間限定で店を出してみたくて。他にも女性が多くお店を出してるって聞いてきたんですけれど、私勘違いしてしまっていて。他の女性って、夜のお仕事の方だったんですね。私、驚いてしまいました」

 本当に困った顔をして言うビアンカに、キフラスは額に指を当てて軽い頭痛を感じる。
 前から少し前傾姿勢な部分はあったし、思い込んだら突き進む女性ではあった。だがまさか、前線の兵士を相手にする娼婦を「店を出したい人」と思い込んでいたなんて。

 いや、これは笑い事ではない事態だ。帝国の騎士がそんな無体を働くとは思えないし、現在統制を取っている自軍の人間が商売の女性以外に手を上げる事は考えたく無い。だが、そうじゃない一般人もいる。ここには店を出す人間も、大工やなんかもいるのだ。
 それに、店をしている女性も娼婦の女性も見分けがつかないと言われたらどうにもならない。間違いがあってはならない。

「あの、キフラスさん?」
「君は……今は誰かと一緒に行動しているのか? 誰かと一緒に来ているのか?」
「え? いいえ。帝国の騎士様に、夜の九時前には店を閉めて帝国側の砦で寝泊まりするようにと言われていますが」

 これでも精一杯のバックアップを、帝国側がしてくれているようだ。

「何か危険な事とかはないか? しつこく言いよられているとか?」
「まさか、私がですか? ありませんよ、私みたいな普通の娘に。みんないい人で、毎日顔を出しては冗談みたいに「今夜オレとどうだい?」なんて事は言われますけれど」
「……」

 しっかり誘われている。冗談と思っているが、冗談じゃ無かった時が怖い。

「……他には?」
「? 来てはお花を持って来てくれる人とか、終わりの時間を聞かれたりとか、「彼氏はいるの?」と聞かれたりとか……」
「思いきり誘われているだろ。危険はなかったのか?」
「買い付けの時に触られた事はありますけれど、明るかったのでちょっと騒いだら逃げていきました」
「危険だ!」

 本当に、どうしてその状況でこんなにも危機感がないんだ。

「……買い出しの時間は、だいたいいつだ?」
「え?」
「心配だ。君にはとても世話になった、何かあってからでは遅いし、心苦しい。夜間外出する時も、事前にわかっていれば声をかけてくれ。さっきの男、バルンというが、あいつに声をかければ俺に繋がる。同行しよう」
「え! そんな、悪いです! お忙しいですし」

 遠慮する彼女だが、これでは気になって仕事どころじゃない。

「丁度部下からもデスクワークが多すぎると言われていたんだ、散歩程度の事だから気にしないでくれ。ついでにこの場を見回れるから一石二鳥だ」
「でも……」
「ビアンカ、頼む」

 言い募ると、彼女はすごすごと予定を教えてくれた。
 これで少し行動を共にしている姿を見せれば、下手に手を出す者も減るだろう。彼女にとっては不本意かもしれないが、ここにいる間だけでも恋仲と見せた方が安全かもしれない。こればっかりは、彼女の同意無しにはやれないが。

「出来ればここにいる間だけでも、俺と恋仲のフリをしてくれると君の身の安全になるのだが」
「恋仲!!」
「年頃の君にとっては不本意なことだから、無理にとは……」
「あっ、なりたいです! あの、ちが! えっと……」

 今度こそ真っ赤になったビアンカは湯気が出そうだ。首を傾げたキフラスに、彼女は顔を上げて頭を下げた。

「お気遣い、有り難うございます。あの、お手数でなければよろしくお願いします!」
「? こちらが言いだした事だ、気に病む事はない。君こそ迷惑でなければ」
「迷惑なんてそんな! むしろ、嬉しいです」

 ほんのりと顔を赤くする彼女に首を傾げつつ、互いのお茶が無くなったのを切っ掛けにキフラスは立ち上がって手を差し伸べた。

「随分遅くなってしまった。送っていこう」

 こうしていると、あの別荘地での事を思い出す。ケータリングを届けに来た彼女を店まで送っていくのは、いつもキフラスだった。
 素直に手を取った彼女と二人、連れだって砦を出て人がまだ賑わう中を歩いていく。数人がこちらを見ているが、隣を行く彼女はあまり気にならないようだ。

「なんだか、別荘地での事を思い出します。あの時もよくこうして送ってもらいました」
「あぁ、俺もそれを思いだしていた」
「うちのお父ちゃんなんて、私とキフラスさんは付き合ってるんだって暫く思い込んでたんですよ」
「そうなのか? それはすまない事をしてしまった。年ごろの君に対する配慮が足りなかったな」
「そこなんですか?」
「?」

 他に何か、配慮に欠ける所があっただろうか?

 疑問に思っていたが、どうやら怒っているとか、困った事があった訳ではなさそうだ。

「まぁ、そういう所がキフラスさんですよね?」
「?」
「いえ、なんでもないです」

 やはり女性は難しいらしい。義姉のようにはっきりとした女性の方が珍しいのだろうから。

 やがて帝国側の砦の到着し、明日の仕入れの時間にここでと約束をし、ついでに帝国の騎士とも少し話をする。そうして帰る道すがら、遠く花火の上がる音が響いて空を見上げた。
 新年を知らせる帝国の花火が、とても小さく夜空を彩っていた。
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