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20章:サバルド王子暗殺未遂事件
5話:エキルゾの使者
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グリフィスとラティーフの話し合いはどうやら穏やかに終わったらしく、ファウストと共に報告を受けた時にはどこかほっとした。
その後リッツからも話を聞いたが、ラティーフは落ち着きを取り戻し、むしろ少し前向きになったようだとの事だ。そしてあの夜以来、グリフィスの事を口にしないそうだ。
整理をつけているのかもしれない。だが、自身が言ったとおり死んだ事にする。もしくはそんな人物いなかったということにする。その意志を強くしているのかもしれない。
なんにしてもここ数日は穏やかな時が流れた。
事態が急変したのは、何でもない午後。一度休もうと体を伸ばし、お茶の準備をしようと立ち上がった時だった。
突如したノックの音に目を向けたランバートが応じると、暗府の一年目がそろりと中を覗きこんだ。
「あの……ランバート様とファウスト様に、ボスが火急の用件なので暗府執務室に集まって欲しいとことなのですが」
「あぁ、ご苦労様。ファウストは今少し出ているので、少し時間が欲しいと伝えてくれるか?」
「あの、俺が行きましょうか?」
「いや、多分俺が行くのが早い。クラウル様によろしく頼む」
「かしこまりました」
まだまだ初々しさというか、不慣れさが見える青年がぺこりと頭を下げてドアを閉める。そして相も変わらず、暗府の人物はどこにでもいそうな人が多い。さっきの子も知り合いに一人か二人いそうな顔なのだ。
イーサンなどが少し濃いが、彼らは変装能力や気配の消し方が超人みたいなものだからな。どっちにしても、やはり暗府はただ者では無い。
そんな事をふと思いながらも、ランバートはお茶を取りやめファウストを呼びに訓練用の森へと向かった。
この日、訓練用の森では第二師団が訓練をしている。それにファウストも参加しているのだ。
集合用の少し開けた場所にはクタクタに疲れ切った第二師団が転がっている。それを師団長のウェインが腕を組んで笑っていた。
「お疲れ様です、ウェイン様」
「あぁ、ランバートお疲れ。参加しにきたの?」
声をかけたランバートに振り向き、ウェインは期待した目をする。それに苦笑したランバートは軽く首を横に振った。
「クラウル様から招集がかかったので、呼びにきたんですよ」
「そうなの? じゃあ、手伝う? 平気な奴らも駆り出すよ?」
「あの、流石に酷だと」
何せ地面にへばっている。まだ雪があるというのに、冷たいのも気にしないようだ。
「鬼ごっこですよね?」
「うん」
「では、俺がファウスト様を探して追います」
「イチャラブな追いかけっこだね!」
「両者そこそこに鬼気迫る顔をしていますけれど」
苦笑しながら軽い準備運動をしたランバートは足元などを軽く確かめる。そして、周囲とウェインを見た。
「まだ頑張ってるのって、チェスターとユーインですか?」
ざっと見た感じ、その二人の姿が見えない。チェスターはまだ分かる、彼はすばしっこいしなかなか体の使い方が上手い。ファウストも「あいつとの追いかけっこは楽しい」と言っていた。実に可哀想な事だ。
だがユーインまでというのは意外だ。気が弱くて小柄で臆病な子だと認識している。
ウェインは満足そうに頷いて、腰に手を当てた。
「ユーインは臆病だからかさ、気配を消すのが凄く上手いんだ。それに体も小さいからちょっとした所に隠れられる。ファウスト様みたいに大きいと目視で小さなものを視認するって苦手みたいでね、苦労してるんだよ」
「あの人、咄嗟には目よりも気配で感知してる部分がありますからね」
「そうそう。そういう人にとってはユーインは見つけにくい!」
実に意外な才能だが、隠れるのが上手いというのは悪いことじゃない。物理的な戦力にはならないかもしれないが、確実に生きて情報を持ち帰る可能性が高い。第二部隊は斥候、遊撃部隊。彼は斥候としての才能がありそうだ。
「育ててますか?」
「うん。立派に育ててみせるよ」
ウェインの得意顔を見れば平気だろう。手元や首も回し、筋もしっかり伸ばしてトントンと足を鳴らしたランバートは、そのまま森へと向き直った。
「では、探し出して連れていきますね」
「了解」
手を振るウェインを背に、ランバートは訓練用の森へと入っていった。
森に入り、ランバートは辺りを警戒しながら周囲を見回し、スッと息を吸い込んだ。そうして気持ちを静め、感覚を研ぎ澄ませていく。騎士団に入ってファウストについているうちに身についた事だった。
そうすると、周囲がとても静かで手に取るように色んなものが見えてくる気がする。僅かな葉擦れの音、気配、息づかいを感じ取れる気がする。
ファウストに言わせるともっと凄い。肌の全部が気配を感知する何かになっている。視界は見たいと思うものを一瞬で捕捉する。耳は僅かな音でも拾う。そして人の体の動きがとても遅く感じ、痛みを忘れるのだという。相手の血の流れが聞こえる事もあれば、隙のある部分を見定めてもいるようだ。
エリオットにこの話をすると、彼は「戦う者特有の超感覚だろう」と言っていた。
森に入って中ほどを歩いていると、不意に小さな息づかいを感じた。茂みの中、とても小さな、でも緊張したように聞こえる音だ。そちらへと、ランバートはゆっくりと近づきながら声をかけた。
「ユーイン、いるのか?」
「! ランバート様?」
この場にいるはずのない人物の声にユーインが驚き僅かに茂みの中から顔を出す。そして目視でもランバートを確認して、ほっとしたように息をついた。
「よか、った。ファウスト様じゃ、ない」
「あははっ、怖い?」
「こ、わい、です。とても、あの……死んでしま、いそう」
……凄く小さくなって言うユーインを見るとどうにも気の毒だ。決してそんな事はしないし、見つかったからってペナルティーがあるわけじゃない。だが気の弱い人間からしたら鬼気迫る顔で追いかけられるだけでホラーだろう。
「あの、何故?」
「あぁ。緊急招集がかかってさ。呼びに来たんだ」
「それ、なら。ファウスト、様は、チェスター先輩を、追ってこっち、に」
ユーインが指し示す方向を見て、ランバートは笑い小さな頭を優しく撫でる。子猫にでもしているような優しさだ。それにユーインは僅かに頬を染めて、嬉しそうにしていた。
「有り難う。ちなみに、どのくらい前かな?」
「十分、ほど。見つかりそうに、なって。先輩、庇ってくれて」
少しもじもじと言うユーインの言葉を推測するに、見つかりそうになったユーインにチェスターが気づき、ファウストの気を引いて逃げた。ということのようだった。
「あいつ、案外かっこつけだよな」
「かっこ、いいで、す。いつも庇って下さって、嬉しく、て」
「うんうん」
後輩の面倒はよく見ている。ランバートやチェスターもそうしてもらったように。
いなくなった先輩も多い。任務中の怪我が原因だったり、激化した戦いに疲弊したという原因も。そして当然の様に、戦死した人もいた。
でもそういう先輩がしてくれた多くの優しさと厳しさを、受け継いでいる。厳しく、優しく、見守って。今は離れてしまっても、一人一人の胸の中にその教えはあるのだ。
「ユーインが、受け継いでくれよ」
「え?」
「チェスターがお前に見せている優しさとか、そういうもの。後輩が出来たらそれを教えていってくれよ」
そうして途絶える事無く引き継がれると思うから、ランバート達も安心して戦いに出ていけるのだろう。
ユーインには先にウェインの所に戻るように伝えた。ファウストに急用ができたのでは訓練はここまでだし。
教えてもらった先へと向かうランバートの肌に、もうヒリヒリとしたものが伝わる。これは闘気だろうか。どうやら友は善戦しているらしい。
僅かに足を速めたランバートの目にも影が見えた。十分に間合いを取って対峙しているチェスターとファウストだが、どちらが優勢かは明らか。息を切らし汗を拭うチェスターは辛そうだし、そこに向き合うファウストは息一つ乱していない。
この鬼ごっこは叩きのめされて終わりじゃなく、見つかって触れられたら終わりだ。まぁ、ファウストの場合「触れる」というのはイコール「ぶん投げる」なのだが。
どうやらチェスターはまだ負けてはいないのだろう。歯を食いしばりながらもその目に逃げは見られない。昔に比べてかなり根性が入っている。ジリリと足元を整えながら間合いを詰める機会を伺っているチェスターを見て、ランバートは苦笑した。いい顔をしている。
少し考えて、足元の雪を僅かに手に取ってそれを玉にした。そして、チェスターが飛びかかりファウストが構えるその瞬間を目指して、手の中の雪玉をファウストめがけて投げつけた。
突如あらぬ方向から雪玉が飛んできて、ファウストの注意がそちらへと削がれた。その一瞬の隙があれば十分だ。腹に突進覚悟のチェスターに押し倒されるファウストの足元は滑った。そうして見事に倒したチェスターが、その事実に自分で驚いている。
目を丸くして、二人とも倒れているのにファウストを見下ろして、徐々に頬を紅潮させていった。
「ファウスト様から、一本とった……」
「……おい、ランバート」
感極まるチェスターを憎らしげに見ながら、その声はランバートへと飛んでくる。突如名が出てチェスターは驚いたが、ゆっくりと姿を現すと目を丸くした。
「邪魔するな」
「いいじゃないか、たまには勝ちを譲ったって。チェスターは十分な動きをしただろ?」
「ずるいぞ」
「組んじゃいけないなんて言ってないだろ? むしろ少人数で組んで対処する訓練を俺達第二師団はしてるんだし」
チェスターの側へと近づき、手を上げる。すると彼も笑ってハイタッチをした。
その側で服に付いた雪を払ったファウストがブスくれる。が、割と早く落ち着いた。
「どうした?」
「暗府から緊急招集がかかりましたので、呼びにきました。俺も出ます」
「分かった。ユーインがまだだが」
「途中会いましたので伝えました。今頃ウェイン様と合流しているはずです」
「分かった。チェスター、悪いがこれで俺の訓練はお終いになる。ウェインにもよろしく伝えてくれ」
「はい、有り難うございました!」
きっちりと礼を言うチェスターに笑い、ランバート達はそのまま真っ直ぐ寄宿舎の暗府執務室へと向かった。
暗府執務室にはシウスの姿もあり、ネイサンもいた。この面子を見るだけで事が多少大がかりになる事が予想できる。しかもネイサンもいるということは、サバルド関係なんだろうと予想がついた。
「随分と遅かったなえ」
「森での訓練だったからな」
「あぁ、例の鬼ごっこか」
クラウルの言葉に、シウスは「げっ」という顔をした。
「あれであろ? 森の中を鬼の形相したお前に延々追いかけ回される」
「ヘラヘラして追いかけ回す方がいいのか?」
「いや、ある意味怖いぞそれ」
冷静にツッコミをいれるクラウルというレアなものを見たランバートだった。
「それでも、今日はチェスターが一本取ったんですよ」
「ほぉ! あやつも根性が入ったのぉ!」
「あれはこいつがいきなり死角から雪玉を投げたからだろ!」
「それでも油断はあっただろ?」
「……くそ」
実に悔しそうなファウストに、他の面々は大いに笑った。
「クラウル、用件を早く言え!」
「あぁ、そうだったな」
微かに笑いを含む返しをするクラウルが、一つ咳払いをして場を引き締めた。そしてその後は一切、笑いは起らなかった。
「数日前、北の砦にボロボロの少年が駆け込んできた。小柄で痩せてはいたが褐色の肌に、緩く癖のある黒髪の少年だった」
「……間違いなく、サバルドからだろうの」
シウスの言葉にネイサンが頷き、クラウルの確認を取って話を引き継いだ。
「問題はこの少年がラティーフ様を狙ってきた前王派なのか、現王派なのかでした。ですがそれを確認する前に少年は怪我により意識を失い、その後もしばらく治療が優先された為に話が聞けませんでした。ですがようやく話ができたので、ご報告と出動要請です」
「どうだった?」
「現王派、カシムという人物の従者だとの事。ひっそりとラティーフ様に会うために帝国に忍び込んだが、前王派の残党によってカシムは囚われ、自分はなんとか逃げ出したそうです」
「……どのくらい時間が経っている?」
「少なくとも三週間くらいです」
「それは、生きているのでしょうか?」
冷静なランバートの問いに、誰もが答えられなかった。
普通はさっさと始末するだろう。憎い相手なのだろうし、自分たちの指導者を追い詰めた奴の一味だ。生かしておいてもいい事はない。
だが、絶対にそうだとも言えない。唯一生き残っている可能性があるとすれば、情報を持っている事を匂わせながらも言わない事。ただ、恐ろしい拷問があるだろうが。
「……まぁ、動かないわけにも行かないの」
シウスの静かな言葉が全部だったように思う。
「半年程前から急激に多くなっておりました不審な木造船ですが、やはりサバルドからの密航船だろうと思います。他の国にも問い合わせましたら、似たような船が流れ着いているという事です。前王派が戦況不利を察して、帝国へと逃れてきたのだろうと考えております」
「目的はラティーフ殿下か」
「まぁ、それしかあるまいな」
「居場所が分からないが、帝国に流れ着いている事だけは掴んでいるだろう。オスカルとエリオットが保護した時、襲われていたそうだしな」
「カシムを捕え、居場所を聞き出す。今も話していなければギリギリ生きているでしょうね」
概ね同じ事を考えただろう、全員が頷いた。
「となれば救出だが……ネイサン、奴らの行動について報告は入っているかえ?」
シウスの問いに、ネイサンはにっこりと笑う。そして地図とメモとを広げた。
「サバルドの特徴は帝国では目立ちますからね。そういう特徴のある人物を見かけたら日にちと場所を記録しておくように各所の砦に通達しておりました。それによると……」
小さな紙片には日にちと場所と何があったのか。大概が食料や日用品の買い物。後は診療所に来たというものだ。それらはおおよそ二箇所に多い。北スノーネル周辺と、王都に近いバロッサ近郊。
「おそらく目撃情報の多いこの辺りに、奴らのアジトがあるかと思います」
「スノーネルまでは距離があるな。人員は砦の者でどうにかなるが……」
「場所を絞り込まねば逃げられるの。どれ」
シウスが机の前に立った。
「保護された少年というのは、何か言っておったかえ? 自分たちがどこから入国したかとか」
「クシュナートだそうです。彼の国は外海に面しておりますから、元から取り引きがあるようです」
「囚われた後は、どのように過ごしていた?」
「捕まった直後にカシムとは引き離され、一人地下牢にいて尋問されていたそうです」
「何故逃げられた」
「尋問中、外で騒ぎがあって尋問していた奴が鍵もかけずに出て行った。その隙に」
「逃げられると、思うかえ?」
シウスの言葉に、今度こそ誰もが黙った。例え尋問していた地下牢から逃げられたとしても、その後誰にも会わずに逃げおおせるのか? 傷で動けなくなるほど弱っている人間が?
「……きなくさいな」
「あの王子様の味方は、果たして誰なのか。保護しているだけの我等がそこまで気を遣ってやる必要もないのかもしれぬが、気にはなる」
シウスの冷静な言葉に、誰もが思った事を飲み込んだ。それはあまりに、残酷な事だったから。
▼グリフィス
ファウストから直接、サバルドの要人を救出する作戦がある事を聞いた。ただ、グリフィスは不参加だ。当然と言えば当然だが、煮え切らない思いもある。
「悪いな、グリフィス」
「いえ、仕方がありません。俺の方こそ気を遣わせてすみません、ファウスト様」
静かに酒を飲みながらの会話は久しぶりだ。グリフィスも手元のグラスを僅かに傾けた。
「実際の所、あの国はどうなってるんでしょうか?」
「指導者のマジード将軍が処刑されたことは事実だ。だがそれよりも前にラティーフ殿下へ刺客が放たれていたのだろう。数は分からないが……まぁ、第一師団ほど人が入っているとも思えないしな」
「まぁ、それはそうでしょうな」
数百入りこんでいれば多い方だろう。このくらいの数なら簡単に制圧できる。まぁ、人質が生きているかは保証できないが。そういう細かい事ならランバートかアシュレーが得意だろうし。
だが、ファウストの表情は晴れないままだ。何がそんなの気がかりなのか、気になる所だ。
「何かあるんすか?」
「……ラティーフ殿下には、思った以上に味方が少ないかもしれない」
「ん?」
「カシムという人物は、本当にラティーフ殿下の味方なのか」
「……」
それについて、グリフィスは答えを持たないだろう。おそらく、だが。
「その、カシムという奴のちゃんとした名は聞いてるんで?」
「あぁ、報告にあったな。確か、カシム・バウワーブだ」
「バウワーブ(門番)?」
自分が知っている事で何かあれば、そう思って聞いたのだが……思い当たらない名だ。これでも一応、父の側にいた側近の名前くらいは覚えているのだが。
いや、そもそも父の側近達が今もそれなりのポジションにいるなんて事はないだろう。相当生きにくいだろうし、なんなら名を変えている可能性も大いにある。
……名を、変えている。
「どうした?」
「……一つ、お願いがあります」
「なんだ?」
「ファウスト様達が人質救出に出ている間、ラティーフ殿下とリッツの護衛に俺も出たいのですが」
ジャミルがいて、しかもベルギウス家にいれば問題はないだろう。そこに何者かが侵入してくるとは考えていない。だが、ラティーフに確認したい事も出てきた。もし見誤れば、それこそラティーフの命はないだろう。サバルドという国に王子がいなくなる可能性がある。
戻りたいとは思わない。だが、父が愛した国でもある。ならば、せめて争いの少ない国であるように。人が笑っていられる国であるように。そう、願うくらいには思うのだ。
ファウストは考えていたが、一言「シウスに伝えてみる」と言ってくれた。
そして、既に身バレしていることもあってこれは許される事となったのである。
その後リッツからも話を聞いたが、ラティーフは落ち着きを取り戻し、むしろ少し前向きになったようだとの事だ。そしてあの夜以来、グリフィスの事を口にしないそうだ。
整理をつけているのかもしれない。だが、自身が言ったとおり死んだ事にする。もしくはそんな人物いなかったということにする。その意志を強くしているのかもしれない。
なんにしてもここ数日は穏やかな時が流れた。
事態が急変したのは、何でもない午後。一度休もうと体を伸ばし、お茶の準備をしようと立ち上がった時だった。
突如したノックの音に目を向けたランバートが応じると、暗府の一年目がそろりと中を覗きこんだ。
「あの……ランバート様とファウスト様に、ボスが火急の用件なので暗府執務室に集まって欲しいとことなのですが」
「あぁ、ご苦労様。ファウストは今少し出ているので、少し時間が欲しいと伝えてくれるか?」
「あの、俺が行きましょうか?」
「いや、多分俺が行くのが早い。クラウル様によろしく頼む」
「かしこまりました」
まだまだ初々しさというか、不慣れさが見える青年がぺこりと頭を下げてドアを閉める。そして相も変わらず、暗府の人物はどこにでもいそうな人が多い。さっきの子も知り合いに一人か二人いそうな顔なのだ。
イーサンなどが少し濃いが、彼らは変装能力や気配の消し方が超人みたいなものだからな。どっちにしても、やはり暗府はただ者では無い。
そんな事をふと思いながらも、ランバートはお茶を取りやめファウストを呼びに訓練用の森へと向かった。
この日、訓練用の森では第二師団が訓練をしている。それにファウストも参加しているのだ。
集合用の少し開けた場所にはクタクタに疲れ切った第二師団が転がっている。それを師団長のウェインが腕を組んで笑っていた。
「お疲れ様です、ウェイン様」
「あぁ、ランバートお疲れ。参加しにきたの?」
声をかけたランバートに振り向き、ウェインは期待した目をする。それに苦笑したランバートは軽く首を横に振った。
「クラウル様から招集がかかったので、呼びにきたんですよ」
「そうなの? じゃあ、手伝う? 平気な奴らも駆り出すよ?」
「あの、流石に酷だと」
何せ地面にへばっている。まだ雪があるというのに、冷たいのも気にしないようだ。
「鬼ごっこですよね?」
「うん」
「では、俺がファウスト様を探して追います」
「イチャラブな追いかけっこだね!」
「両者そこそこに鬼気迫る顔をしていますけれど」
苦笑しながら軽い準備運動をしたランバートは足元などを軽く確かめる。そして、周囲とウェインを見た。
「まだ頑張ってるのって、チェスターとユーインですか?」
ざっと見た感じ、その二人の姿が見えない。チェスターはまだ分かる、彼はすばしっこいしなかなか体の使い方が上手い。ファウストも「あいつとの追いかけっこは楽しい」と言っていた。実に可哀想な事だ。
だがユーインまでというのは意外だ。気が弱くて小柄で臆病な子だと認識している。
ウェインは満足そうに頷いて、腰に手を当てた。
「ユーインは臆病だからかさ、気配を消すのが凄く上手いんだ。それに体も小さいからちょっとした所に隠れられる。ファウスト様みたいに大きいと目視で小さなものを視認するって苦手みたいでね、苦労してるんだよ」
「あの人、咄嗟には目よりも気配で感知してる部分がありますからね」
「そうそう。そういう人にとってはユーインは見つけにくい!」
実に意外な才能だが、隠れるのが上手いというのは悪いことじゃない。物理的な戦力にはならないかもしれないが、確実に生きて情報を持ち帰る可能性が高い。第二部隊は斥候、遊撃部隊。彼は斥候としての才能がありそうだ。
「育ててますか?」
「うん。立派に育ててみせるよ」
ウェインの得意顔を見れば平気だろう。手元や首も回し、筋もしっかり伸ばしてトントンと足を鳴らしたランバートは、そのまま森へと向き直った。
「では、探し出して連れていきますね」
「了解」
手を振るウェインを背に、ランバートは訓練用の森へと入っていった。
森に入り、ランバートは辺りを警戒しながら周囲を見回し、スッと息を吸い込んだ。そうして気持ちを静め、感覚を研ぎ澄ませていく。騎士団に入ってファウストについているうちに身についた事だった。
そうすると、周囲がとても静かで手に取るように色んなものが見えてくる気がする。僅かな葉擦れの音、気配、息づかいを感じ取れる気がする。
ファウストに言わせるともっと凄い。肌の全部が気配を感知する何かになっている。視界は見たいと思うものを一瞬で捕捉する。耳は僅かな音でも拾う。そして人の体の動きがとても遅く感じ、痛みを忘れるのだという。相手の血の流れが聞こえる事もあれば、隙のある部分を見定めてもいるようだ。
エリオットにこの話をすると、彼は「戦う者特有の超感覚だろう」と言っていた。
森に入って中ほどを歩いていると、不意に小さな息づかいを感じた。茂みの中、とても小さな、でも緊張したように聞こえる音だ。そちらへと、ランバートはゆっくりと近づきながら声をかけた。
「ユーイン、いるのか?」
「! ランバート様?」
この場にいるはずのない人物の声にユーインが驚き僅かに茂みの中から顔を出す。そして目視でもランバートを確認して、ほっとしたように息をついた。
「よか、った。ファウスト様じゃ、ない」
「あははっ、怖い?」
「こ、わい、です。とても、あの……死んでしま、いそう」
……凄く小さくなって言うユーインを見るとどうにも気の毒だ。決してそんな事はしないし、見つかったからってペナルティーがあるわけじゃない。だが気の弱い人間からしたら鬼気迫る顔で追いかけられるだけでホラーだろう。
「あの、何故?」
「あぁ。緊急招集がかかってさ。呼びに来たんだ」
「それ、なら。ファウスト、様は、チェスター先輩を、追ってこっち、に」
ユーインが指し示す方向を見て、ランバートは笑い小さな頭を優しく撫でる。子猫にでもしているような優しさだ。それにユーインは僅かに頬を染めて、嬉しそうにしていた。
「有り難う。ちなみに、どのくらい前かな?」
「十分、ほど。見つかりそうに、なって。先輩、庇ってくれて」
少しもじもじと言うユーインの言葉を推測するに、見つかりそうになったユーインにチェスターが気づき、ファウストの気を引いて逃げた。ということのようだった。
「あいつ、案外かっこつけだよな」
「かっこ、いいで、す。いつも庇って下さって、嬉しく、て」
「うんうん」
後輩の面倒はよく見ている。ランバートやチェスターもそうしてもらったように。
いなくなった先輩も多い。任務中の怪我が原因だったり、激化した戦いに疲弊したという原因も。そして当然の様に、戦死した人もいた。
でもそういう先輩がしてくれた多くの優しさと厳しさを、受け継いでいる。厳しく、優しく、見守って。今は離れてしまっても、一人一人の胸の中にその教えはあるのだ。
「ユーインが、受け継いでくれよ」
「え?」
「チェスターがお前に見せている優しさとか、そういうもの。後輩が出来たらそれを教えていってくれよ」
そうして途絶える事無く引き継がれると思うから、ランバート達も安心して戦いに出ていけるのだろう。
ユーインには先にウェインの所に戻るように伝えた。ファウストに急用ができたのでは訓練はここまでだし。
教えてもらった先へと向かうランバートの肌に、もうヒリヒリとしたものが伝わる。これは闘気だろうか。どうやら友は善戦しているらしい。
僅かに足を速めたランバートの目にも影が見えた。十分に間合いを取って対峙しているチェスターとファウストだが、どちらが優勢かは明らか。息を切らし汗を拭うチェスターは辛そうだし、そこに向き合うファウストは息一つ乱していない。
この鬼ごっこは叩きのめされて終わりじゃなく、見つかって触れられたら終わりだ。まぁ、ファウストの場合「触れる」というのはイコール「ぶん投げる」なのだが。
どうやらチェスターはまだ負けてはいないのだろう。歯を食いしばりながらもその目に逃げは見られない。昔に比べてかなり根性が入っている。ジリリと足元を整えながら間合いを詰める機会を伺っているチェスターを見て、ランバートは苦笑した。いい顔をしている。
少し考えて、足元の雪を僅かに手に取ってそれを玉にした。そして、チェスターが飛びかかりファウストが構えるその瞬間を目指して、手の中の雪玉をファウストめがけて投げつけた。
突如あらぬ方向から雪玉が飛んできて、ファウストの注意がそちらへと削がれた。その一瞬の隙があれば十分だ。腹に突進覚悟のチェスターに押し倒されるファウストの足元は滑った。そうして見事に倒したチェスターが、その事実に自分で驚いている。
目を丸くして、二人とも倒れているのにファウストを見下ろして、徐々に頬を紅潮させていった。
「ファウスト様から、一本とった……」
「……おい、ランバート」
感極まるチェスターを憎らしげに見ながら、その声はランバートへと飛んでくる。突如名が出てチェスターは驚いたが、ゆっくりと姿を現すと目を丸くした。
「邪魔するな」
「いいじゃないか、たまには勝ちを譲ったって。チェスターは十分な動きをしただろ?」
「ずるいぞ」
「組んじゃいけないなんて言ってないだろ? むしろ少人数で組んで対処する訓練を俺達第二師団はしてるんだし」
チェスターの側へと近づき、手を上げる。すると彼も笑ってハイタッチをした。
その側で服に付いた雪を払ったファウストがブスくれる。が、割と早く落ち着いた。
「どうした?」
「暗府から緊急招集がかかりましたので、呼びにきました。俺も出ます」
「分かった。ユーインがまだだが」
「途中会いましたので伝えました。今頃ウェイン様と合流しているはずです」
「分かった。チェスター、悪いがこれで俺の訓練はお終いになる。ウェインにもよろしく伝えてくれ」
「はい、有り難うございました!」
きっちりと礼を言うチェスターに笑い、ランバート達はそのまま真っ直ぐ寄宿舎の暗府執務室へと向かった。
暗府執務室にはシウスの姿もあり、ネイサンもいた。この面子を見るだけで事が多少大がかりになる事が予想できる。しかもネイサンもいるということは、サバルド関係なんだろうと予想がついた。
「随分と遅かったなえ」
「森での訓練だったからな」
「あぁ、例の鬼ごっこか」
クラウルの言葉に、シウスは「げっ」という顔をした。
「あれであろ? 森の中を鬼の形相したお前に延々追いかけ回される」
「ヘラヘラして追いかけ回す方がいいのか?」
「いや、ある意味怖いぞそれ」
冷静にツッコミをいれるクラウルというレアなものを見たランバートだった。
「それでも、今日はチェスターが一本取ったんですよ」
「ほぉ! あやつも根性が入ったのぉ!」
「あれはこいつがいきなり死角から雪玉を投げたからだろ!」
「それでも油断はあっただろ?」
「……くそ」
実に悔しそうなファウストに、他の面々は大いに笑った。
「クラウル、用件を早く言え!」
「あぁ、そうだったな」
微かに笑いを含む返しをするクラウルが、一つ咳払いをして場を引き締めた。そしてその後は一切、笑いは起らなかった。
「数日前、北の砦にボロボロの少年が駆け込んできた。小柄で痩せてはいたが褐色の肌に、緩く癖のある黒髪の少年だった」
「……間違いなく、サバルドからだろうの」
シウスの言葉にネイサンが頷き、クラウルの確認を取って話を引き継いだ。
「問題はこの少年がラティーフ様を狙ってきた前王派なのか、現王派なのかでした。ですがそれを確認する前に少年は怪我により意識を失い、その後もしばらく治療が優先された為に話が聞けませんでした。ですがようやく話ができたので、ご報告と出動要請です」
「どうだった?」
「現王派、カシムという人物の従者だとの事。ひっそりとラティーフ様に会うために帝国に忍び込んだが、前王派の残党によってカシムは囚われ、自分はなんとか逃げ出したそうです」
「……どのくらい時間が経っている?」
「少なくとも三週間くらいです」
「それは、生きているのでしょうか?」
冷静なランバートの問いに、誰もが答えられなかった。
普通はさっさと始末するだろう。憎い相手なのだろうし、自分たちの指導者を追い詰めた奴の一味だ。生かしておいてもいい事はない。
だが、絶対にそうだとも言えない。唯一生き残っている可能性があるとすれば、情報を持っている事を匂わせながらも言わない事。ただ、恐ろしい拷問があるだろうが。
「……まぁ、動かないわけにも行かないの」
シウスの静かな言葉が全部だったように思う。
「半年程前から急激に多くなっておりました不審な木造船ですが、やはりサバルドからの密航船だろうと思います。他の国にも問い合わせましたら、似たような船が流れ着いているという事です。前王派が戦況不利を察して、帝国へと逃れてきたのだろうと考えております」
「目的はラティーフ殿下か」
「まぁ、それしかあるまいな」
「居場所が分からないが、帝国に流れ着いている事だけは掴んでいるだろう。オスカルとエリオットが保護した時、襲われていたそうだしな」
「カシムを捕え、居場所を聞き出す。今も話していなければギリギリ生きているでしょうね」
概ね同じ事を考えただろう、全員が頷いた。
「となれば救出だが……ネイサン、奴らの行動について報告は入っているかえ?」
シウスの問いに、ネイサンはにっこりと笑う。そして地図とメモとを広げた。
「サバルドの特徴は帝国では目立ちますからね。そういう特徴のある人物を見かけたら日にちと場所を記録しておくように各所の砦に通達しておりました。それによると……」
小さな紙片には日にちと場所と何があったのか。大概が食料や日用品の買い物。後は診療所に来たというものだ。それらはおおよそ二箇所に多い。北スノーネル周辺と、王都に近いバロッサ近郊。
「おそらく目撃情報の多いこの辺りに、奴らのアジトがあるかと思います」
「スノーネルまでは距離があるな。人員は砦の者でどうにかなるが……」
「場所を絞り込まねば逃げられるの。どれ」
シウスが机の前に立った。
「保護された少年というのは、何か言っておったかえ? 自分たちがどこから入国したかとか」
「クシュナートだそうです。彼の国は外海に面しておりますから、元から取り引きがあるようです」
「囚われた後は、どのように過ごしていた?」
「捕まった直後にカシムとは引き離され、一人地下牢にいて尋問されていたそうです」
「何故逃げられた」
「尋問中、外で騒ぎがあって尋問していた奴が鍵もかけずに出て行った。その隙に」
「逃げられると、思うかえ?」
シウスの言葉に、今度こそ誰もが黙った。例え尋問していた地下牢から逃げられたとしても、その後誰にも会わずに逃げおおせるのか? 傷で動けなくなるほど弱っている人間が?
「……きなくさいな」
「あの王子様の味方は、果たして誰なのか。保護しているだけの我等がそこまで気を遣ってやる必要もないのかもしれぬが、気にはなる」
シウスの冷静な言葉に、誰もが思った事を飲み込んだ。それはあまりに、残酷な事だったから。
▼グリフィス
ファウストから直接、サバルドの要人を救出する作戦がある事を聞いた。ただ、グリフィスは不参加だ。当然と言えば当然だが、煮え切らない思いもある。
「悪いな、グリフィス」
「いえ、仕方がありません。俺の方こそ気を遣わせてすみません、ファウスト様」
静かに酒を飲みながらの会話は久しぶりだ。グリフィスも手元のグラスを僅かに傾けた。
「実際の所、あの国はどうなってるんでしょうか?」
「指導者のマジード将軍が処刑されたことは事実だ。だがそれよりも前にラティーフ殿下へ刺客が放たれていたのだろう。数は分からないが……まぁ、第一師団ほど人が入っているとも思えないしな」
「まぁ、それはそうでしょうな」
数百入りこんでいれば多い方だろう。このくらいの数なら簡単に制圧できる。まぁ、人質が生きているかは保証できないが。そういう細かい事ならランバートかアシュレーが得意だろうし。
だが、ファウストの表情は晴れないままだ。何がそんなの気がかりなのか、気になる所だ。
「何かあるんすか?」
「……ラティーフ殿下には、思った以上に味方が少ないかもしれない」
「ん?」
「カシムという人物は、本当にラティーフ殿下の味方なのか」
「……」
それについて、グリフィスは答えを持たないだろう。おそらく、だが。
「その、カシムという奴のちゃんとした名は聞いてるんで?」
「あぁ、報告にあったな。確か、カシム・バウワーブだ」
「バウワーブ(門番)?」
自分が知っている事で何かあれば、そう思って聞いたのだが……思い当たらない名だ。これでも一応、父の側にいた側近の名前くらいは覚えているのだが。
いや、そもそも父の側近達が今もそれなりのポジションにいるなんて事はないだろう。相当生きにくいだろうし、なんなら名を変えている可能性も大いにある。
……名を、変えている。
「どうした?」
「……一つ、お願いがあります」
「なんだ?」
「ファウスト様達が人質救出に出ている間、ラティーフ殿下とリッツの護衛に俺も出たいのですが」
ジャミルがいて、しかもベルギウス家にいれば問題はないだろう。そこに何者かが侵入してくるとは考えていない。だが、ラティーフに確認したい事も出てきた。もし見誤れば、それこそラティーフの命はないだろう。サバルドという国に王子がいなくなる可能性がある。
戻りたいとは思わない。だが、父が愛した国でもある。ならば、せめて争いの少ない国であるように。人が笑っていられる国であるように。そう、願うくらいには思うのだ。
ファウストは考えていたが、一言「シウスに伝えてみる」と言ってくれた。
そして、既に身バレしていることもあってこれは許される事となったのである。
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