恋愛騎士物語4~孤独な騎士のヴァージンロード~

凪瀬夜霧

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20章:サバルド王子暗殺未遂事件

8話:拭えぬ胸騒ぎ(リッツ)

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 バロッサでの作戦を終えたファウストからの伝令を持った隊員が駆け込んできたのは、作戦の日の午後だった。
 カシムの無事な生還は期待しない方がいいと事前に言われていたラティーフは、若干の衰弱の他は軽傷と知ってホッと胸をなで下ろしている。
 だがリッツは若干の違和感を抱いた。本当に、そんな事があるだろうか?
 ラティーフには執拗な追っ手がかかっていた。ジャミル程の手練れがかなりの傷を負わされるくらいの刺客を放たれていた。カシムは明らかに文官で大した武力は持たなくて、更にラティーフの居場所を知っている。本当ならもっと拷問まがいの事が行われて傷だらけでもおかしくはないのに。

 グリフィスはカシムが本当は旧王権派ではないかと疑っていたが、ラティーフの言うことが正しければその可能性は薄くなる。それなら奴らにとっては明らかな敵なのに、どうして……。

 考えても答えは出ない。なんとなく、考える材料が揃っていない感じがする。そういう時は憶測で空いた穴を埋めるけれど憶測でしかなく、しかも今回は重要な材料が足りていない気がする。

 なんにしても嬉しそうなラティーフを前に不安な事を口にするのは、どこか憚られたのだった。


 事件から三日、リッツは現在あまり具合の良くない状況に置かれている。

「いやぁ、それにしても本当に困りましたなぁ。まさかクシュナートへ行く道が雪崩で寸断されてしまったとは」

 リッツのいるベルギウス本邸ではラティーフを交えたお茶の時間となっている。いつものようにリッツと兄のフランクリン。ラティーフの後ろには相変わらずジャミルがついている。そしてもう一人、カシムがここに加わっていた。

「えぇ、本当に困りましたね。随分と大きく崩れたようで、人手も足りていないといいますし」

 にこやかに返すフランクリンを見て、リッツは随分と面の皮が厚くなったと感心してしまう。この人もまた、カシムをいまいち信用していないはずなんだ。


 カシムが救出された翌日、リッツはジャミルとラティーフを伴って王宮に赴いた。再会を喜ぶラティーフの後ろで、ジャミルは随分と怖い顔をしていたのを覚えている。
 その時に今後の事を話し合っている最中、クシュナートへ続く……更に言えばスノーネルに続く途中の道が雪崩と、それに伴う土砂崩れによって寸断されたと連絡が入ったのだ。
 どうやらカシムはクシュナートに国軍の船を入れていて、それに乗って自国へと帰る予定だったらしい。面倒だがあり得ない話ではない。なぜならサバルドは帝国よりもクシュナートとの交易が盛んで信頼もある。しかも国情はここ数年安定している。
 だが、そのクシュナートへ行くルートが切れた。そうなると東の大森林地帯を抜けて入るか、さもなければぐるりと帝国の外周を回る形でスノーネルに行き、そこから通常ルートを使うかだが、あまりに時間が掛かりすぎてしまう。その間に春になり、潮目が変わって帝国からでも比較的安全にサバルドへと渡れるようになる。

 完全なルートの復旧には数週間は最低でもかかるだろうという決断が下り、それならば渡航経験も豊富なリッツが潮の変わったタイミングでサバルドかクシュナートへと彼らを送り届ければいい。そういう結論に達し、引き続きラティーフとジャミル、そして新たにカシムを屋敷に置くことになったのだ。


「まぁ、自然災害は予見も出来ない事ですからね。それに私としてはとてもラッキーでしたよ。こんなに美味しい料理が食べられるのですから」

 サバルド人にしてはふくよかなカシムは嬉しそうにケーキを食べている。その様子を笑って見ているのはラティーフだけだ。フランクリンもリッツも表面は笑みを浮かべるが、心の中では違うだろう。ジャミルに関しては警戒レベルが引き上がっている気さえする。
 なんにしても、このまま何事もなく過ぎてくれればいい。リッツはそれだけをひたすら願ったのだった。


 その日の夜、リッツは久しぶりに自身の店にきていた。現在も当然営業中だが、リッツ自身が詰める事は少なくなっている。しかもこの時間は営業が終了している。
 秘書のルフランには事前に今日ここを使う事を言ってある。ここの二階は今もリッツの私室であり、密会をするための場所だ。
 待っていると程なくしてノッカーが鳴らされ、リッツはのぞき穴から相手を見極めてドアを開けた。

「よっ、くたびれてるな」
「グリフィス不足だもん」

 目の前の逞しい胸元に抱きついて存分にその臭いを嗅ぐ。男臭い匂いは本当に体の芯を熱くする。秒で発情できる自信がある。
 が、グリフィスの方は苦笑している。いや、リッツもヤリ倒すつもりでここに招いたわけじゃないんだし、いいんだが。

「なんだ、したいのか?」
「それはヤリたい! 尻の穴が乾かない程中出しされてグリフィスの精液だけで腹一杯になりたい」
「限界きてるな、お前」
「……でも、戻らないと。何か嫌な感じがしてたまらないんだ」

 具体的なものは何もない。ただ、嫌な予感はずっとしている。カシムが屋敷に来てからずっとだ。これは自分の身内にいまいち信用できない部外者を入れたからなのか、それとも商人の勘なのか。

 グリフィスも頷いて中に入る。そしてあえて二階の寝室兼私室ではなく、一階の奥の事務所に席を取った。

「騎士団も何かと忙しいって聞いたけど」

 問うと、グリフィスは苦々しく頷いた。

「まず第三が半分くらい出てる。スノーネルと王都を繋ぐ峠道が寸断されて、その復旧にな」
「そんなに酷いんだ」
「あぁ。雪崩が原因だが、それと一緒に木も崩れて、その木に引っ張られて土砂も崩れてる。あれは復旧に一ヶ月はかかりそうだ」

 自然災害だし、雪解けが始まる季節でもある。温かい時間も増えた。加えてスノーネルへの道の途中は峠もある。ただ、道幅はそんなに狭くはないのだが。

「人為的なもの……という可能性はないの?」

 思わず疑って問いかける。あまりにタイミングがいい。ランバート達別働隊が戻れないらしいのだ。あちらにいる旧王権派を捕えに行っていると聞いたが。
 グリフィスは少しの沈黙の後、僅かだが首を縦に振った。

「まだそこまで言えるかは分からんが、崩れ方が不自然な気がすると言っていた。作業をしている兵からの報告だがな」
「爆薬で焦げてたりしなかった?」
「痕跡を見つけるには騎士団が踏み込んだのが遅い。まぁ、時間が掛かるから仕方がないがな」
「……だよね」

 王都から事故現場まででも馬で数日かかる。道が悪ければもっとだ。

「他にも東で大規模な食中毒があって、第四が調べに出てる」
「それ、いつの話?」
「ランバート達が動くよりも前だな。いや、あいつらが出発した日の午後だったか。腹痛や嘔吐の症状を訴える人が急増したが、水源は被ってないらしいしパーティーがあったわけでもない。危険な植物が紛れているのかもしれないと、第四が処置と調査、必要なら駆除をしに出た」

 王都に詰める事の多い部隊が離れている。それだけで不安が募る。

「加えて第一が大人数西に行っている。領主が何者かに狙われているらしく、犯人捜しと警備にな」
「西のって……王妃様の父親か?」
「あぁ。あの人も大事にしたくはないと言ったらしいが、怪我もさせられていて家の者が流石にな」

 今や国母となった王妃の実家であれば正式に王都の騎士団が動きだすのも頷ける。また、断れるものでもないだろう。

「今王都にいるのは第二と第五だけだが、第五は宿舎詰め、第二は街警だ。正直人が足らん」
「不安、だね」

 そう、不安だ。今何かあったらどうしたらいいんだろう。ファウスト達団長はこちらに健在だから指揮系統は平気だろうが、人数が必要な事もある。

 リッツが呟いた、まさにその時だった。突如表の店の戸が激しく叩かれた。慌てたリッツが走り出て戸を開けると、下町の知り合いが血相を変えていた。

「どうしたんだ!」
「リッ坊、大変だ! スラムが燃えてる!」
「え!」

 これには後ろで聞いていたグリフィスも顔色を悪くする。しかも場所はよりにもよってスラムだ。

「どこ!」
「奥の古い場所だ! だんだん新しい地区に向かってきてる!」
「おい、騎士団は知ってるか!」
「知ってる。消火が始まってるが新しい地区側からだ。これじゃアパート群は燃えなくても奥の旧地区の奴が焼け死んじまう!」

 まさか、このタイミングで火事だなんて。しかもスラムと呼ばれる場所は奥まった部分の方が複雑な構造で道幅が狭く、木片やゴミで住居を組んでいたりする。そんな場所、燃えたらあっという間だ。

「水路に船出して奥側に向かえないのかよ!」
「人が足りないんだ」
「リッツ、悪いが騎士団に戻る! 第五で出せそうなの出す」
「俺も!」

 あそこはリッツにとっても思い入れのある場所だ。下町の人達と、ランバートと、一緒になって建て直した場所なんだ。
 その中でもスラムは手つかずだった。変化を受け入れられない人達が今もいる。大分数は少なくなったと聞いているが。それでも助けたい場所なんだ。
 だがグリフィスは首を横に振ってリッツの肩と掴んだ。

「お前は家に戻れ」
「でも!」
「聞け! 何かあるならこのタイミングかもしれない。勿論そんな事ないと思いたいが」
「あ……」

 確かに、この混乱が意図的に仕組まれているならそうなる。そして家には武力を持たないラティーフと、動けないフランクリンがいる。一応館の警備はいるけれど、騎士団のような訓練を常に受けているわけじゃない。そして、ヒッテルスバッハのように使用人の半数くらいが元暗殺者や隠密、元傭兵という無茶な構成をしているわけでもない。
 リッツ一人がいたところで何の役に立つのかと言われればそうなのだが、それでもいないよりはいい。

「分かった、俺は家に戻る。被害状況とか落ち着いたら聞きたい。必要なら支援とかもするから」
「助かるよ、リッ坊」

 知らせにきた下町の男にも伝え、リッツは急ぎ家路についた。


 下町の混乱など、西地区はまったく取り合わないのだろう。大通りを越えて西地区、その中でも一際大きな屋敷の建ち並ぶ一角にベルギウス本邸はある。そこもまた表向き静かではあったが、屋敷の中に入ると少し違っていた。

「リッツ」
「兄貴」

 フランクリンが車椅子のまま待っていた。当然側にはフランクリンの介助や世話をしているルシールもいる。相変わらず表情が一定で起伏がない。

「下町で火事が起こったと聞いて」
「俺も聞いた。一緒にいたグリフィスが人集めて消火手伝いに行くって」
「そう、か……。支援できそうな物資は多少見繕っているから、下町の人に伝えて」

 とても気遣わしい様子で言ってくれる事が嬉しくて、リッツはこんな状況なのに自然と笑う事が出来た。この兄も分かってくれている、あの町がリッツにとって特別な場所であることを。

「燃えているのは、どの辺りなんだい?」
「スラムだって。奥の方で出火して、今は手前側で消火が始まってるらしい。延焼を押さえこんでいるんだろうけれど、その間に奥は焼け野原になるよ」

 言いながら顔が上げられなくなる。多分、人も沢山死ぬだろう。また名前のない死者が沢山出て、無縁仏に葬られる。それを思うとしんどくなるのだ。
 俯いて震えている手に、そっとフランクリンの手が触れる。気遣うように包み込む手に僅かに顔を上げると、眼鏡越しの真っ直ぐな目が強い光を宿して頷いてくれた。

「やれる事がないのは、辛いね」
「……うん」
「でも、今は出来なくても、この後は出来る。ベルギウス家の力はこんな時の為に役立てられる。リッツなら、その方法を知っているだろ?」
「うん」

 まずは、焼け出された人に簡易でも住居を提供しないと。治療とかはきっと今されている。フォックスにお願いして炊き出しをしたり、その食材を提供したり。

 そうだ、やれる事は多い。やる事は多い。ランバートが下町にかかりきりになれなくなったのだから、リッツが少し手を回さないと。

「大丈夫そうだね?」
「うん。大丈夫、俺も、下町の連中も強いんだ。負けない」

 改めて頷くと、フランクリンは安心したように笑ってくれた。

 その時足音がして、見るとそこにはラティーフとジャミル、そしてカシムがいた。

「リッツ、火事だって聞いて」
「ラティーフ様」
「この間、見せてもらった辺りなんですよね? 大丈夫なのでしょうか?」
「騎士団がやってくれているようですので、大丈夫です」

 伝えると、心配そうだったラティーフの力が少し抜ける。笑う事は出来なかったが、息をつくことはできてようだった。

「あの、このような時に大変申し訳ないのですが」

 場の空気にそぐわない間の抜けたような調子の声にリッツは視線を上げる。申し訳なさそうな顔をしたカシムが見回している。
 酷く恐縮してみえる。でも、見えるだけに思えるのはどうしてなんだ。心の中ではそんなこと一切思っていない。そう思えてしまうのはなんなのだろう。

「どこか一室、お借りできませんか?」
「? それは構いませんが……自室としてお使いの場所ではいけないのでしょうか?」
「周囲に聞かれては困る話でして。何せ国家の大事なお話ですから」

 それではまるで、こちらが聞き耳を立てているようではないか。
 腹が立つが、この人はそんな事は言っていない。大事な話なので念には念を。そう言っているつもりだ。
 ラティーフも今のは少し気になるのか、カシムを見て首を傾げている。が、当のカシムがまったくなのだ。

「……では、談話室をお使いください。他よりは厳重です」
「おぉ! 恐れいります、フランクリン殿」
「いえいえ」

 にっこりと笑ったフランクリンが家の者に声をかけ、案内を頼む。戸惑うラティーフを伴ってそちらへと向かうカシムと、それに当然のようについていくジャミル。それらの背が見えなくなるのを待って、リッツは声を発した。

「俺、あの人嫌いだ」
「珍しいね、リッツ。前から知ってる相手でしょ?」
「前から苦手だったけど、今は嫌い。兄貴は?」
「私に人を見分ける目があると思うのかい? お前を他国の人買いに売った兄だよ?」
「そのことは恨んでないったら! 自虐ネタいらないし」
「そうかい?」

 と、フランクリンはまるで冗談を言っているように笑う。この人はリッツに対しては積極的にあの時の話をする。それは自分への戒めにも聞こえ、また決して忘れてはいけないんだという思いにも聞こえる。
 が! 聞かされる方はもう忘れたい事でもあるんだよ!

「私もね、彼は苦手だよ」
「え?」

 不意に真剣な声がして、リッツはマジマジと見る。フランクリンはとても真剣な表情だった。

「何が、というにはどれも弱い。けれど総合して嫌いだと思う。ただそれは言いがかりだと言われてしまえばそれまでのこと。そういうことも計算しているように思えるのが、余計に嫌いかな」
「……今、騎士団が色んなトラブルで王都に少ない。それに、火事だ」
「事が起こるならおあつらえ向き。いや、この火事すらも思惑の内なら、今まさに起こっているかもしれないね」
「俺、談話室に行ってくる。兄貴は念のために部屋に鍵掛けておいて」
「分かっているよ、邪魔にはならない。リッツ、お前も気をつけるんだよ」
「分かった」

 伝え、彼らが消えて行った方へとリッツは急ぐ。不安は未だに胸を占めているのだ。
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