恋愛騎士物語4~孤独な騎士のヴァージンロード~

凪瀬夜霧

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20章:サバルド王子暗殺未遂事件

12話:賢王からの遺志(ラティーフ)

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 翌日、ラティーフは無事に祖国からの使者と再会した。

「ラティーフ殿下!」
「アーディル!」

 背は高いが痩せた白髪の男を、ラティーフはどこか懐かしく迎える。外務大臣のアーディルはラティーフを気遣ってくれる人物でもある。昔はそれこそ痩せても筋肉質でとても美しい男性だったらしいが、今は筋力も衰え笑い皺も増えて好々爺という印象がある。涙もろい一面もあり、今もちょっと涙ぐんでいる。
 そのアーディルの後ろからついてくるのは、国の隊服に身を包んだ逞しい体つきの青年だ。短く堅そうな髪をツンツンとさせた鋭い眼差しの青年は、ジャミルを見て僅かに頭を下げた。

「お久しぶりでございます、殿下。お辛い旅をさせたばかりか、なんと痛ましい事件が起こってしまったことか。さぞお心を痛められたでしょう。お優しい殿下になんという酷い仕打ちを」
「アーディル落ち着いて。私は大丈夫ですよ。この国の人は皆親切にしてくれましたし、事件も皆が守ってくれたおかげで事なきを得ました」
「本当に、この国の人々にはなんとお礼を申し上げていいか。大恩過ぎて恩を返す方法すらも分からず…………ん?」

 涙を拭い涙を拭いしていたアーディルの視線が不意に、ラティーフへと固定される。そして見る間に目がまん丸く開いていった。

「なんと! 両の目が黄金に! これは……女神のご加護が奇跡を起こしたとしかいえませぬ!」
「あ……あの、少し声量を落とそうアーディル。お前の声は案外響くんだよ?」

 まぁ、驚くとは思っていたけれど。
 苦笑を漏らすラティーフはふと視線を感じてそちらを見る。ムサーイドも驚いたように見つめている。少し照れてしまった。

「ですが、何故このような事に?」
「それは、帝国一の医師でも分からないそうです。カシムの毒に倒れ、目が覚めた時にはこのように。女神の思し召しと受け取る事にしました」

 まぁ、実際は国の統治を丸投げされたのだろうけれど。

「おぉ、本当に奇跡が。ですがこれで民も安心するでしょう。陛下もこれ以上の戦など出来るお体ではなくなりましたし、跡継ぎの問題も」
「それは、どういうことですか?」

 思わぬ言葉にラティーフが問い返すと、アーディルはとても言いにくそうに口を噤む。
 ラティーフは視線を護衛についていた近衛府の騎士に向けた。どうやらお国の重要事項のようで、同席は遠慮願いたかったのだ。
 あちらも察したのだろう、一礼して退室してくれた。

 改めて用意された応接室のソファーに腰を下ろし、ラティーフは俯きがちなアーディルへと問いかけた。

「父上に、何かあったのか?」
「……大変、申し上げにくいことなのですが」
「構わない」
「……カシムが帝国へ向けて出立した頃より、陛下のお加減が思わしくなく、伏せることが多くなっていたのです。ですが二ヶ月程前にそれが毒のせいだと分かり、ようやく具体的な治療がされたのですが」
「……父は、どうなったのです」
「足の先、指の先が壊死して切らざるをえず、片足は足首から、もう片方は膝から下を失いました」

 思った以上に酷い有様にラティーフは息を飲む。夢に出て来た女神の怒りようから察するに、おそらく酷いだろうとも思ったのだが。

「もう、お一人で食事をする事もできませぬ。それどころかあの……男の、ですね」
「男性器かい?」
「まっ、まぁ! そのような、ものも……あの、切らざるをえない事となり」

 なるほど、完全に男としての力は失ったのだ。もう一人でどこかへ行く事も、食べる事も、なんなら排泄もできない。これが、多くの民を死なせた王の行く末か。

「ラティーフ様、どうか国にお帰りください。陛下もすっかり力を無くしております。国は悲しみにくれているのです。貴方様がお帰りになれば、国は再び力を取り戻します」
「私には幼い弟ができたと聞きました。その子はどうなりましたか?」
「それも、申し上げにくい事なのですが……。陛下に毒を盛ったのは他でもない、新しい王妃となった娘だったのです。その娘が王子の母親でもありですね」

 ということは、カシムの妹だ。兄の言葉を信じたか、一族の憎しみを晴らしたのか。

「その娘は」
「怒り狂った陛下が命じて……惨い死に様でございました」

 青い顔をしたアーディルは思い出しただけで気分が悪くなったのか、僅かに嘔吐く。後ろに立つムサーイドも嫌な顔をするくらいだ、余程だったのだろう。

「子は、どうしたのです」
「陛下は同じく獣の餌にと言ったのですが」

 獣の餌か……それは辛いな。

「流石に一歳の子に罪はなく、母の罪を負わせるのは可哀想だとビシャーラ様が擁護し、乳母の娘と共に城から出してしまいました」
「直ぐに国に手紙を出し、私の領地に匿うようにしなさい。幼子と若い娘など、あの厳しい国では直ぐに死んでしまいます」

 おそらく父もそのように思ったのだろう。女神が加護を与えたようだが、それでも心配だ。
 だが、アーディルは直ぐに柔らかい表情になった。

「ビシャーラ様が娘に手紙を渡しておりました。助けてくれる者、頼る場所、そして最終的に貴方様の領地へ行くようにと書いたと言っておりました。出立の直前ではありましたが、貴方の領地で無事保護されたようです」
「そう、良かった」

 女神は魂を真っ新な状態にしたと言っていた。何の業も背負わず、何にも染まらない。その子を、ラティーフは我が子のように育てようと思っている。既に結婚などというものは諦めているから、丁度いいのだろう。

「事態は大体分かった。こちらの準備が完了し、旧王権派の者も連れて国に帰る」
「え! ですがそれは……また、お怒りを買うことになるのでは……」
「構わない。既に父の手に王冠はないだろう。既にあちらの者とは話している。私の領地で穏やかに暮らす事を提案し、話し合ってくれている」
「この国で暗躍した者については、どのように」
「この国の法で裁かれ、罪を償ってもらう。国に帰るかはその後の事だ。すまないが、国に帰ったら直ぐに賠償と特使の派遣の話をビシャーラとしたい。カシムがした事は大変な事だ。多くの人が亡くなり、傷ついた。長年かかるだろうが、精一杯の事をしなければならないだろう」
「はっ、心得ております」

 深く頭を下げたアーディルに、ラティーフは頷く。
 大体これで話は終わった。その時、不意にドアを叩く音がした。

「ラティーフ殿下に申し上げます。殿下へ来客が来ております」
「来客?」

 戸を閉めたまま声をかけられ、ラティーフは背後のジャミルへと視線を向ける。これについては彼も知らないのか、難しい顔で首を傾げて歩き出した。

「ジャミル」
「俺が確認して参ります。しばしお待ち下さい」

 一瞬、ジャミルの視線がムサーイドへと向かう。それを受けて、ムサーイドは頷いてくれる。ジャミルが離れ、おそらく数十分の時間が経った後、酷く困惑した様子で戻ってきた。

「ジャミル、来客というのは誰だったのだ?」
「それが……。まずはこちらをと」

 ジャミルは手にハンカチに包まれた物を持っていた。それをラティーフ、そしてアーディルの前に広げた。

「これは!」

 それは女性物の耳飾りで、少し歴史がかっている。金で作られた女神の耳飾りには美しいエメラルドがはめ込まれている。そして耳飾りの裏には確かに所有者の名前が刻印されていた。

「マラーク妃の耳飾りではございませんか!」

 その名に、ドクンと心臓が一つ鳴る。マラーク妃、アスィール王の妃であり、グリフィスの母。今はハッセ領の領主夫人だという。
 だがこの事実をラティーフは飲み込んだ。当然、ジャミルもだ。彼らはこの地に流れ着いたが、程なく亡くなった。そうするのだと誓ったのだから。

「マラーク妃は生きておられたのか! ジャミル、どうなのだ!」
「はい、そのようです」
「アスィール陛下は! アリー王子はどのようになったのだ!」
「それについては俺は何も。ただ、返還したい物があるということでこちらに来たようです」
「返還したい物?」

 ラティーフの疑問に、ジャミルはただ一つ頷く。
 これは、会わなければならないだろう。何よりもあちらは会うつもりでこの耳飾りを身の証明に出したのだ。

「分かりました、会います」
「では、その旨伝えます。騎士団のシウス殿も同席したいと言っておりましたが」
「許します」

 一礼して去って行くジャミルは、今度はわりと早く戻ってきた。

 部屋へと入ってきた女性は、確かに年齢相応ではあった。だが、しっかりと背を伸ばし、凜とした目を向ける。グリフィスは以前「太った」と言っていたが、そんな事はない。スレンダーとはいかないが、スッキリとして見える。
 長い黒髪に僅かな白髪が交ざり、それを一つの三つ編みにした女性は背後に長身の男性を連れている。
 男性の方は大柄で、体も随分逞しい。茶の髪に、だが優しい眼差しをした精悍な男性だった。

「貴方が、マラーク妃ですか?」
「その名で呼ばれるのは久しいですね。私の事はレイラとお呼び下さい。今は彼の地を離れ、この国の民として生きているのです」

 凜と真っ直ぐに、少し責めを感じてしまうのは気のせいではないのだろう。綺麗な形の唇が難しく引き結ばれている。
 だが、そんな彼女の肩に手を置く男性は労るようにしている。そして瞳をラティーフへと向けた。

「申し訳ない、王太子殿下。どうにも感情が先行してしまうようなのだ。普段はとても明るく屈託のない女性なのだが」
「旦那様、余計な事は言わないでください!」

 途端、僅かに恥ずかしく頬を染めた女性を見て、ラティーフはほんの少し力が抜けた。

「初めまして、王太子殿下。彼女の夫で、ドミニク・ハッセと申します」
「初めまして、ラティーフ・アル=アミールと申します。貴方がマラーク妃を助けて下さったのですか?」

 この問いかけに、ドミニクは静かに頷いた。

「もう、十年以上前の事です。幼い子供と傷を負った男性、そして彼女が私の屋敷の前に流れ着いたのです」
「その、幼い子と男性はどのようになったのでしょうか!」

 勢い込むようにアーディルが問いかける。これにドミニクは残念そうに首を横に振った。

「残念な事ですが、男性は怪我が原因で。子は病にかかり既に」
「そんな……」

 沈痛な面持ちで深くソファーに座り込んだアーディルを、ラティーフは気の毒に見つめた。
 どうやらグリフィスが何かしらの用件でこの場をセッティングしたようだ。そして、自分を含めて死んだ事にするという話も通っている様子。
 チラリとドミニクはラティーフを見て、申し訳ない顔をする。見ればレイラも少し意地悪に笑った。おそらくラティーフに全て話してあることも織り込み済みなのだろう。

「せめてご遺体を……」
「アーディル、失礼を言うな。彼の王はこの地で眠りに就くことを余儀なくされたのだ。今はもう静かに眠っているのだろう。それを起こし、騒がしい地へと移して喜ぶはずもない」
「ですが……」
「この事は祖国には伝えません。皆様は帝国に流れ着いたが、既に亡いと報告を致します。どうか、ご心配されませんように」
「お願いします。私はもうこの地に骨を埋めるつもりでおります。亡き主人と息子を弔い、今の主人を愛しております。この生活を壊されては困ります」

 強い目で訴えるレイラに確かに頷いて、ラティーフは「女神に誓って」と約束をした。
 だが、そうなると何故ここに来たのか。何かを返還にと言っていたが。

「レイラ様、何か返還に来たと伺ったのですが? わざわざ貴方様が直接となると、大変な物なのでしょう。それは、何でしょうか?」

 問いかけに、レイラは一つ確かに頷く。そしてドミニクの手にある布袋を受け取ってそれをテーブルの上に丁寧に置いた。
 しっかりとした筒状の布袋だ。形状からして、細長い物である。

「少し前に、私の枕元に亡き夫と女神が立たれ、これを貴方に返して欲しいと頼んできたのです。正直、これは亡き夫の形見の一つですのでお返しするか悩みましたが、次代を担う王へと返すのならばと足を運んだ次第です。まぁ、高慢なカッハールのような者であれば持って帰るつもりでしたが」

 ツンとした言い方ではあるが、それでも認めてくれたのだろう。自らの夫を殺し、祖国を追いやった男の息子を。その心境はとても複雑だろうに。

 彼女の手で布袋からそれが取り出される。古い祖国の旗に巻かれたそれが、丁寧にテーブルの上に置かれる。途端、ラティーフもアーディルも「あ!」と声を上げた。

 美しい金の設え。彫り込まれる建国の一場面を鞘に配したそれは祖国の宝。アスィールが消えた時に共に失われた宝剣で間違いがない。
 剣の柄には大きなサファイアが埋まっている。光りにかざされると反射して、宝石の中に星屑が瞬くように見える。この世に二つとない宝だ。

「宝剣が!」
「お返しいたします。ですがこれは、貴方にお返ししたのです。カッハールに渡すためではありませんよ。ゆめゆめお忘れなきよう、お願いいたします」

 震える手で剣を持つ。その重みは実にリアルだ。責任の重さ、民の重さ、国の重さ。それを感じて、ラティーフは一つ頷いた。

「確かに、お受け取りいたしました」

 伝えると、彼女は真っ直ぐな目で確かに頷くのだった。


▼グリフィス

 父の形見の宝剣を、ラティーフに返そうと思った。
 彼の両目が金色になったとエリオットから聞いて、グリフィスは女神の意志を感じた。帝国に骨を埋める事に疑問のないグリフィスも、幼少の頃から耳にたこができるほど聞かされた女神への信心を忘れたわけではない。
 何より父は生前、宝剣の事をずっと気にしていた。王が持つ事を許される宝剣はサバルドの宝。返す場所もなく、常に腰につけていたのだから帝国へ持ち込んでしまった。だが本来は祖国にあるべき物だ。
 死後、それは母レイラへと形見の一つとして渡っている。
 グリフィスはリッツの意識が戻り状態が落ち着いたのを確認して、まずは母の説得にと里帰りしたのだ。

 だがまさか、あそこまで母にごねられるとは思わなかった。
 「これは亡き夫の形見です! どうしてカッハールの息子などに渡さねばならないのですか!」と、予想を超える剣幕でまくし立てられ「そこに座りなさい!」と正座させられ、いい年をした大男が背中を丸めて二時間は説教をされた。主に自分が生前の父をどれほどに愛していたのか、その人を失ってどれほどの悲しみだったのか、今の夫も当然愛しているし添い遂げるつもりでいるが、それとこれとはまた違うのだと。
 義父ドミニクと弟が取りなしてくれなければまだ言われただろう。こちとら体が重いってのに数時間の説教なんて拷問だ。すっかり足が痺れて立てなくて、情けない姿になってしまった。

 母の思いも分かるには分かるのだ。こんな事がなければ父は生きていただろう。グリフィスも父との時間をもっと持てていた。
 だが、これがなければアシュレー達のような友を得られていない。人の温かさと優しさが骨身に染みるなんて思いも知らない。化物のような、生涯の目標に出来るような上司に出会えていない。手の掛かる、可愛い部下も持てていない。
 なにより、命ほどに大事な恋人に出会えていなかった。

 これも運命だったんだ。今ならそう思える。
 そしてあの剣は既にかつての王の側ではなく、次の王へと向かう運命なんだ。

 その後もファウストに申し訳なく手紙を書きつつ、レイラの説得を続けた。
 ラティーフが父アスィールを尊敬し、父のような王になりたいという心を持っていること。女神の加護と意志があったこと。彼には正当の王であると神が認めた、そういうお墨付きが欲しいこと。
 ドミニクも一緒になってレイラを説得してくれたが、それでも頑なだった。いい加減疲れて「親父の形見はこれ以外にも沢山あるだろう!」なんて言ってしまった時には大変だった。「何て薄情な子です! お前など、もう私の子ではありません!」なんて言われて叩き出される寸前だった。まったく、気の強い母親だ。

 だが、ここに来る一週間くらい前か。起き抜けの母がしょんぼりとした顔で来て、ダイニングでさめざめと泣いて家族みなを慌てさせた。義父ドミニクなど大いに焦りオロオロしていた。大柄で力も強く頼られる領主は何処にいったのかという焦りようだ。

 それによると、父の夢を見たのだという。女神と共に現れ、優しく笑って今の幸せを喜んでくれた。そして、祖国を憂い次代に託したい事を伝えてきた。抵抗する母の言葉を聞き、穏やかに諭し、抱きしめて心を解いていく。それでようやく、母は宝剣を返す事を約束したという。
 さすがは父だ、自分とは違う。どうにもグリフィスは戦い方と同じく強く出てしまう。引くということが苦手だ。おそらくこれは母の気性で、それが互いに正面からぶつかるのだ。どうしたって上手くはいかないのだろう。
 ドミニクも苦笑して、母を労って「偉大な決断だ」「きっと祖国はいい方向に向かうよ」と声をかけている。この人もまた、母の強情を知って譲る事のできる人だ。

 かくしてようやく宝剣を返す運びとなったのだが、母は直接ラティーフを見て返したいと言ってきた。せっかく全員が死んだということにしたのに。
 だがこれだけは譲らないと言う。仕方なく先に手紙をファウストに送り、場を整えて貰い、今日の事となったのだ。

◆◇◆

 今、グリフィスは城の一室を借りて弟トラヴィスと二人で両親の帰りを待っている。その間の落ち着かなさといったらない。腕を組んでうろうろするのを、トラヴィスがおかしそうに笑った。

「もう、落ち着きなよ兄さん」
「だが」
「言っても待つしかないんだし、父さんも側にいるから大丈夫だよ」
「あのお袋だからな……」
「大丈夫だって」

 面白そうに笑う弟は、どちらかと言えば父に似たんだろうと思う。
 サラサラとまっすぐな茶色の髪に黒い瞳。色は白く背が高い彼は実に朗らかな性格をしている。ただ、芯の強さは母に似ているのだろうと思う。これと決めると頑固が過ぎる部分がある。
 長身で細身だと思うのだが、父に言わせると「お前から見れば細身だが、立派に筋肉質」なのだそうだ。どうにも騎士団基準だと一般基準が分からなくなる。

「母さんだって頭では分かってるんだよ。気持ちがまだ少し尖ってるだけだから」
「それが問題なんだけれどな……」
「兄さんにも似てるじゃない。頑固なところ」
「ん?」
「もっと、家に戻ってきてよね」

 困ったように笑うトラヴィスに、グリフィスは都合悪く頭を掻いた。

「分かってるよ、兄さんが遠慮してるの。家の事は俺に任せるから、あまり家に帰らないんだよね?」
「あぁ……いや」
「嘘つくな」
「悪い。お前の事も、義父の事も家族だと思ってるんだけどな。やっぱ、領地の事とかは今の義父の血が入っていた方がいいと思ってさ。そこに俺が混じるのは、余計な憶測とかあるのかなって思ってよ」

 いや、そんな事はないと思ってはいる。ただ、なんとなく綺麗な形に収まっている所に自分が入っていって歪にしてしまうのは申し訳ない気がしているのだ。
 そしてこれだけでトラヴィスはギュッと眉根を寄せる。責められているのが分かる表情に、グリフィスは更に申し訳なくなってきた。

「母さん言ってるよ、もっと帰ってきたらいいのにって。俺もそう思う。兄さんの考えている事も分かるけれど、兄さんを含めて家族なんだから」
「あ……ですね。はい」
「遠慮しないでよ。それに、アスィールさんも寂しいと思うよ」
「どうかな」

 正直、父親はあまり心配していないように思う。穏やかな人だった。死ぬ時すらも静かだった。自分ではなくグリフィスやレイラの事を案じ、面倒を見てくれたドミニクに感謝していた。
 そんな人だ、分かってくれるんじゃないか。

「とにかく、もう少し帰ってきてよ。勿論、兄さんの恋人も一緒にね」
「!」
「明日、会えるんでしょ? 楽しみにしてるからね」
「……はい」

 楽しそうに、少し意地悪に言うトラヴィスに一気に力が抜ける。実はこれも、母を説得するときの条件だった。

 前から恋人がいることを伝えてはいた。相手が男である事も。
 それを含めて、母は許したようだった。だがその代わり会わせろと再三言われていた。
 今回宝剣を届けるにあたり王都にくる。ならばこの機会に相手に会いたいとせがまれた。どうなることかと一応はベルギウス家に手紙を送ると、なんとアラステアから快諾の手紙が来てしまった。どうやらリッツの怪我や本邸での大騒動で仕事先から急遽戻り、しばらく留まるつもりらしい。
 そんなこんなで明日、ベルギウス本邸に招かれている。

 そんなこんなとしている間に両親が戻ってくる。前に会ったのは何年か前で、その時には丸かった母レイラ。だが今回戻ってみるとスッキリと痩せていた。驚いたのなんのって、一瞬誰かと思ったくらいだ。
 その後で苦笑するドミニクも来て、一家全員が揃った。

「ただいま。はぁ、肩の荷が下りたわね」
「悪いな、お袋」
「まったくよ。でもまぁ、悪くはなかったわね」

 少し寂しそうな顔をするレイラは、それでも納得したのだろう。小さく笑ってくれた。

「あの人が私に残してくれた物の中で、あの宝剣だけが国家の宝だったもの。重かったのは、重かったの」
「お袋……」
「でもね、あれまで取られてしまったらあの人、王様じゃなくなってしまう気がしてたのよ。偉大な王だった唯一の痕跡を取られるのが腹立たしくて、認めたくなかったの。でも、それでいいのかもしれないわ」

 苦笑した母レイラは、小さく笑った。

「あれに縋らなくても、私の中ではあの人は立派な王様だった。そして、あれを託した小さな王様の中にもあの人がいる気がしたの。だから、もういいわ」
「……あぁ、俺も思うよ。有り難う、お袋」

 分かってくれたことに、グリフィスは嬉しく笑った。

「それよりもグリフィス! あんた明日ちゃんと覚えているわよね?」
「あっ、おう」
「午後からだったか。先方の家にはちゃんと連絡をしているのか?」
「そこは平気だ。あちらのご当主も楽しみに待っていると言っていたから」
「それならいいが。何か土産を持っていかなければな」
「それは俺が用意するわ。お袋達も明日の午前中は好きにしていいから」
「そう? じゃあ、たまには王都を見て回りましょう」
「構わないよ」

 楽しそうにはしゃぐレイラと、それを見守るドミニク。そしていつまでも仲睦まじい二人を笑いながら見ているグリフィスとトラヴィス。これが、ハッセ家の日常だった。

◆◇◆

 その日、両親と弟を宿に送り届けたグリフィスは騎士団宿舎にいた。ファウストの元を訪れ、一応の報告を直接しに行ったのだ。
 執務室の主はまだ着替えてもいなかったが、相変わらず執務室は綺麗に片付いている。ランバートが補佐官になってから、この部屋が荒れた事は一度もない。

「戻ったか」
「長い間留守にして、本当に申し訳ありませんでした」

 申し訳なく伝えると、ファウストは軽く笑って「気にするな」と言ってくれた。

「実際、事件の報告などは直後に上げられて問題もなかった。今はこれが片付いたばかりだし、正直実働が撤収した後は宰相府の領分だ」
「それでも第五の訓練だとかを見てもらわなければなりませんし」
「それこそ問題ないな。あいつらはタフだし、俺の訓練もついてくる。既存の隊員とランバートと俺で持ち回りを決めて見ていた。大きな怪我も、体調を崩す者もない」
「有り難うございます」

 本当に色々と手間をかけてしまった。一ヶ月とまではいかないが、三週間くらいはここをあけてしまったのだ。
 それでも誰もグリフィスを責めることはない。今は大きな事件が片付いた直後だ。それなりに忙しかっただろうに。

「こんなに休ませてもらって、明日もなんて。本当に申し訳ありません」
「お前も俺も有給が溜まって宰相府からどやされているだろ。有意義に使えばいいさ。それに、家族孝行はしておくものだ」

 そう口にしたファウストは少しばかり苦笑に近い顔をする。それを見ると、どこか痛ましくも思う。ファウストは親孝行をしたくても、既に母親はないのだ。
 そう思うと、今のうちに親孝行はしておくものだと思う。特に苦労をかけた母親には。

「まぁ、何にしても明日は気張っていけ。リッツを喜ばせてやれよ」
「はい!」
「あとこれは、ランバートから」

 二つ折りにされた白い紙には、いくつかの店と商品名が書かれている。首を傾げるグリフィスに、ファウストが笑った。

「アラステア様が好きな店の品だそうだ。手土産に持って行くと大変喜ぶらしい」
「気使わせちまってるな」
「今は生きる場所が違うが、それでも親友なんだろうな。リッツの幸せを本当に願っているんだろう」
「……有り難く、使わせてもらいます」

 リッツの幸せ。自分勝手に生きてきたグリフィスが得た大切なもの。彼を大切にしてやりたいという思いは日増しに強くなる。
 力がこもる思いに、グリフィスは真剣な目をした。

「あと、これも少し目を通しておけ」
「? はい」

 手渡されたのは日報だ。ファウストは「備考欄だけでいいぞ」と言う。見れば第五の日報で、それをペラペラとめくったグリフィスは思わず言葉を飲んで震えた。
 「大将、早く戻ってきてくださいね」「ご実家、楽しまれてください」「待ってますからね!」「大将のしごき、恋しいっす!」
 そんな言葉が書き連なっている。

「どうだ、お前が長年かけて育て上げた部下達は。なかなか、いいだろ?」
「……有り難いです」

 じわりと胸に広がる熱は染みてくる。毎日が戦いですり減りながらも生き残って、一から組織を作り直して、どうにか部下を育てていって。正直、全部が手探りで正解が見えない毎日だった。それは今もそうかもしれない。人の事に絶対はない。
 でも、これが一つの答えなら悪くない。大事な部下は間違いなく、グリフィスの宝物だ。

「明日、きばっていけよ」
「っす!」

 一つ、確かに踏み出す明日を思い、グリフィスは己に改めて気合いを入れ直した。
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 帝国の侵略から国境を守る、レゲムアーク皇国第一魔導騎士団の駐屯地に派遣された、新人の魔導騎士ネウクレア。  着任当日に勃発した砲撃防衛戦で、彼は敵の砲撃部隊を単独で壊滅に追いやった。  凄まじい能力を持つ彼を部下として迎え入れた騎士団長セディウスは、研究機関育ちであるネウクレアの独特な言動に戸惑いながらも、全身鎧の下に隠された……どこか歪ではあるが、純粋無垢であどけない姿に触れたことで、彼に対して強い庇護欲を抱いてしまう。  撫でて、抱きしめて、甘やかしたい。  帝国との全面戦争が迫るなか、ネウクレアへの深い想いと、皇国の守護者たる騎士としての責務の間で、セディウスは葛藤する。  独身なのに父性強めな騎士団長×不憫な生い立ちで情緒薄めな甘えたがり魔導騎士+仲が良すぎる副官コンビ。  甘いだけじゃない、骨太文体でお送りする軍記物BL小説です。番外は日常エピソード中心。ややダーク・ファンタジー寄り。  ※ぼかしなし、本当の意味で全年齢向け。 ★お気に入りやいいね、エールをありがとうございます! お気に召しましたらぜひポチリとお願いします。凄く励みになります!

異世界転移した元コンビニ店長は、獣人騎士様に嫁入りする夢は……見ない!

めがねあざらし
BL
過労死→異世界転移→体液ヒーラー⁈ 社畜すぎて魂が擦り減っていたコンビニ店長・蓮は、女神の凡ミスで異世界送りに。 もらった能力は“全言語理解”と“回復力”! ……ただし、回復スキルの発動条件は「体液経由」です⁈ キスで癒す? 舐めて治す? そんなの変態じゃん! 出会ったのは、狼耳の超絶無骨な騎士・ロナルドと、豹耳騎士・ルース。 最初は“保護対象”だったのに、気づけば戦場の最前線⁈ 攻めも受けも騒がしい異世界で、蓮の安眠と尊厳は守れるのか⁉ -------------------- ※現在同時掲載中の「捨てられΩ、癒しの異能で獣人将軍に囲われてます!?」の元ネタです。出しちゃった!

異世界で8歳児になった僕は半獣さん達と仲良くスローライフを目ざします

み馬下諒
BL
志望校に合格した春、桜の樹の下で意識を失った主人公・斗馬 亮介(とうま りょうすけ)は、気がついたとき、異世界で8歳児の姿にもどっていた。 わけもわからず放心していると、いきなり巨大な黒蛇に襲われるが、水の精霊〈ミュオン・リヒテル・リノアース〉と、半獣属の大熊〈ハイロ〉があらわれて……!? これは、異世界へ転移した8歳児が、しゃべる動物たちとスローライフ?を目ざす、ファンタジーBLです。 おとなサイド(半獣×精霊)のカプありにつき、R15にしておきました。 ※ 造語、出産描写あり。前置き長め。第21話に登場人物紹介を載せました。 ★お試し読みは第1部(第22〜27話あたり)がオススメです。物語の傾向がわかりやすいかと思います★ ★第11回BL小説大賞エントリー作品★最終結果2773作品中/414位★応援ありがとうございました★

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