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最終章:最強騎士に愛されて
14話:十年後の君へ(帝国・恋人編1)
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今日は流石に痛かった。終業後、汗も流して部屋着に着替えて広いベッドでゴロゴロしている。旦那はまだお帰りじゃない。
グリフィスを少しでも楽にしたいと思っている。他の奴らは出来ているのに、第五だけ出来ないなんて情けない事は言いたくなかった。
外に恋人を作ると時間を合わせるのが大変だ。特にグリフィスの恋人は商人で、商談なんかで王都を出ると何ヶ月もいないこともある。それなら、時間が合うときにちゃんとデートとかした方がいいと思うのだ。
レイバンとジェイクも、すれ違う。レイバンは主に安息日が休みだが、料理府のジェイクはそんなわけにはいかない。一人で歩く街は寂しいし、美味しいスイーツは味半分。胸の中のキラキラしたものが少ないだけで、日常は少しだけセピア色になる。
引退して、リッツと暮らせばいいのに。もうあの人は十分戦った。バカみたいにデカい背中にもう、庇われなくても大丈夫だ。
でもそれを示すのが難しい。ファウストほどの化物じゃないけれど、あの人も十分規格外の強者なんだ。
「もう少し、ファウスト様に訓練つけてもらおうかな……」
呟いて、溜息が出る。今もけっこう無理を言ってお願いしているのだから、これ以上はあっちの夫婦の時間を奪ってしまいかねない。
もう一度溜息。するとそのタイミングでドアが開いて、不機嫌なジェイクが入ってきた。
「あ……えっと……おかえり、ジェイさん」
「レイバン、腹見せろ」
「あ……怒る?」
「当たり前だ!」
久々に怒られてちょっと正座。でも、嫌じゃないのはこの怒りが心配からきていると分かっているから。それだけでちょっと嬉しかったりする。
「グリフィスに挑むのもいいが、怪我は気をつけろ。腹蹴られて吐いたんだって? 今は平気なのか」
「んっ、平気。気持ち悪くもないし、痛くもない。違和感もないよ」
午後からほぼ半日、医務室で寝ていた。隣のドゥーガルドはもの凄く低く呻いていた。額も唇も腫れて痛々しかったな。
近づいて、大きな手が頬に触れる。少し荒れた、筋のある手。ちょっと冷たいのは水仕事だからかな。
手にすり寄ると上向かせられて、そっと唇が重なる。それがとても心地よくて好きだ。啄むようなキスを繰り返すうちに手が服の上から悪戯を始めて、レイバンは僅かな声を上げた。
「したいの?」
「いや、今日はしない。怪我が気になってそれどころじゃないしな」
「平気だよ?」
「今日はしない」
頑固。本当はしたいって顔してるのに。前は一週間くらい前だから、そろそろこちらも欲しいのに。
でも、覗き込むような目が本当に心配をしている。させているのはレイバンだ。
「明日からまた、普通通りのご飯食べられるから安心して。夕飯後にも診察してもらったし、明日の修練前にも軽い診察してもらうから」
「お前に病人食出す身にもなれ」
「ジェイさんのご飯は病人食でも美味しいよ」
「ったく、ご機嫌とってもだめだからな」
「しばらく大人しくしておくよ」
これは約束。それにこのまま策もなく攻め込んでも攻略は難しいだろう。もっと鍛錬して、動きを揃える必要がある。もっとドゥーガルドの能力や動きを把握して、グリフィスの動きや力量を測っておかないと。その為の時間が必要だ。
部屋着に着替えたジェイクがレイバンの隣に寝転がる。夫婦の部屋となったことで、ベッドを変えた。今はダブルだ。
それでもくっついていたくて、レイバンはジェイクにすり寄る。伸ばされる腕の中に大人しく収まったレイバンは機嫌良く胸元に寄り添って目を閉じた。
「おやすみ、ジェイさん」
「あぁ、おやすみ」
二人で温かく寄り添って眠る時間が、レイバンにとって一番安らげる時間なのかもしれない。
◆◇◆
額が痛い。唇が痛い。正直今日は飯が食えなかった。
痛む傷を触る勇気もなく、ドゥーガルドは空きっ腹を抱えてしょんぼりしている。もっと酷い怪我も多かったけれど、丁度このくらいが嫌らしく痛いのだ。
そして目の前にはもの凄く目をつり上げたディーンがいる。傷を洗うためのタオルを濡らしながら、これから殺されるんじゃなかろうかと疑う程の怒りを滲ませている。
「ディーン、あの……イデェ!」
「バカをした罰です!」
少し強めに額の傷にタオルを押し当てられ、ドゥーガルドは思わず呻いてしまう。ワンワンするのだ。
それでもその後は丁寧に傷を洗って薬を塗ってガーゼを当ててくれる。とても気遣わしい目で。
ディーンと所帯を持ったのは二年くらい前だ。どっちが嫁だ旦那だと、ちょっと喧嘩になった。ドゥーガルドとしては自分が嫁だろうと思っていた。何せ夜の生活がそうなのだから。
でも何故かディーンは自分が嫁だと言ってきた。年齢的な事や外見的な事もあるのかもしれないが、今では彼もとても逞しい男に育った。第一師団でも地位を上げている。
話し合い、結局はドゥーガルドが嫁という事にした。それが分かりやすいだろうと。
そうしたらディーンも夫らしく振る舞うようになり、今ではこうして世話を焼かれる事も多くなった。
「グリフィス様に挑むの、止めませんか?」
「それは止めない」
「気持ちを言葉にして伝えるのではダメなんですか? ドゥーもレイバン先輩も、実力的にはもう訓練の指揮を執ってもいいじゃないですか。こちらの真意さえ届けば」
「それでも俺達に全幅の信頼で任せてもらえなきゃダメなんだよ。安心して恋人と過ごすのに気がかりがあるのは集中出来なくて嫌だろ。だから実力も示さないと」
レイバンと話し合っていたんだ、任されたいんだと。
あの大きな背中を追いかけてきた。今も追いかけている。それでも、いつまでも大将に頼り切っちゃいけない。グリフィスとリッツの人前式を見た夜に、二人で話し合った。だって、とても幸せそうな優しい顔をしていた。リッツは、嬉しそうだった。
騎士団にいてはどうしても離れる事の方が長い。でも幸いな事に最近は穏やかだ。それなら体力訓練くらいは任せて、有給を使ってでも会いに行けるようにと思っている。そのくらい任せられる実力を見せなければ。
コテンと、ディーンが胸元に額を押し当てる。服の前を握って。驚いて見ればとても苦しそうな顔をしていて、ちょっと焦ってしまった。
「心配なんですよ」
「いや、このくらい……」
「このくらいじゃありません! 痛々しくて……。事情は知ってるし、ドゥーの気持ちも分かっているから我慢しているけれど本当は、文句の一つも言いたいんです。人の嫁に傷つけるとは何事だ! って」
「!」
その心意気にちょっとときめいてしまう。ディーンは本当に雄味が増した。その度にドキドキする。ときめいてしまう。これではダメだと気を引き締めるけれど、勝てる気がしない。
「怪我、気をつけてください」
「分かった、気をつける。お前も気をつけろよ」
「はい、勿論」
穏やかに微笑めば、同じように微笑みが返ってくる。自然と寄り添って、唇が……。
「いっ!」
「あぁ、もう……」
傷が触れて痛くて涙目になると、ディーンは苦笑する。そしてふと、悪戯っぽい目をした。
「では、舌を出してもらえますか?」
「舌?」
んべーっと、舌を出す。するとディーンは綻ぶような笑みを見せてこれ見よがしにドゥーガルドの舌に自分の舌を絡めてみせる。本来は口の中でされる愛撫を見せつけられて、ドゥーガルドの心拍数は跳ね上がった。
「んぅ」
ディーンといると心臓が壊れそうなくらいドキドキする。それと一緒に体が熱くなってあらぬ所が疼く。たまらなく恥ずかしいのに、たまらなく切ない。
舌を絡めたまま、ディーンに食べられてしまった。絡められて切なくて腹の中がキュウキュウする。こんなエッチなキスはしたことがない。
「ドゥー、気持ちいい?」
「んぁ……気持ち、いい……っ!」
「ここ、大きくなってるもんね」
手がグリッと股間に押しつけられて刺激されて、ドゥーガルドは一瞬頭の中が痺れてしまった。トロリと先走りが溢れ、下着を濡らした気がした。
「俺もですよ」
色っぽい顔で迫られて、手を導かれて同じように触ってみた。ディーンのそれは形が分かるくらい勃ちあがっていて、余計にドキドキする。自然と期待もしている。
「する、か?」
「入れません」
「え! いや、だって」
「これはお仕置きですから」
「ぬあぁ!」
こんなお仕置きあるか! だって、じゃあこれはどうしろと? 収まりの付かない熱で股間が痛いというのに、放置なのか!!
「ディーン……」
しょぼくれた犬のようにディーンを見る。すると彼は苦笑して、前を寛げ自分も同じようにしてしまう。そうして二人で向き合って、擦り合わせてきた。
「はっ、あっ、んぉお!」
「たまにはこういうのも、っ! 気持ちいいですね」
「はぁ、あっ、ぬぅぅ……ぬぉ!」
ヌチヌチと先走りを交換しながら触れあわせているのも気持ちいいが、やっぱり足りない。二つを握り込んで上下させながら、ドゥーガルドは快楽に涙を浮かべ野太い喘ぎを漏らし、ビクビクと体を震わせる。そこに、ディーンの手も加わった。
「はぁ、ディーン……っ」
「気持ちいいですね」
「んおぉ! 気持ちいい、んぁ!」
「乳首もしてあげますから、上手にイッてくださいね」
チュッと、開けたローブに顔を埋めたディーンが器用に乳首を見つけ出して吸い付く。柔らかく温かな口腔と舌で愛撫されたドゥーガルドの胸はあっという間に硬く尖って色味を増してしまう。
そこを赤ん坊のようにちゅうちゅう吸われ、舌を絡めて押し潰されて。もう、爆発寸前だ。
「ドゥーは巨乳で、感度も良くて女の子みたいですね」
「こんなっ! ゴツい女は、はぁん!」
「お腹、キュウキュウして切ないんでしょ。お尻の穴もパクパクしてない?」
……してると思う。
でもこんなゴツい女がいいっていうのは、趣味を疑うし! 実際こんな女はいない! 多分……。
「はぁ、あっ、もぅ、イクぅぅ」
乳首が気持ちいい。一緒に扱かれるちんこが気持ちいい。腹の中がせり上がるみたいに切ない。
「俺もイキます。気持ち良くなってくださいね」
鋭い笑みを浮かべたディーンが緩急を付けて上下させる。ドゥーガルド以上にドゥーガルドの体を知っているディーンの手淫は的確すぎて耐えられない。登り詰め、恥ずかしいくらいの量を射精して気持ち良かった。
「怪我が治るまでは、入れませんからね。これは罰です」
「ディーン……」
「これに懲りたら怪我、気をつけてください」
「……はい」
逞しく成長した旦那には勝てない。ドゥーガルドは涙目になりながら何度も頷いた。
◆◇◆
『指令書
同盟締結十周年記念式典において、港に到着するジェームダル国王アルブレヒト殿とその近習の出迎えと護送を命ずる。
ファウスト』
直々に渡された指令書を何度も読み返した。その度に溜息が漏れる。
嫌なわけではない。むしろ、会いたいと思う気持ちはあるんだ。ただ、戸惑いや消えない罪悪感が拭えない。
ジェームダル戦争から十年以上が経つ。もう、過去にしていいのだとカールからも言われた。十年を前に、恩赦が降りる事は伝えられた。晴れて自由の身だ。どういう決断をしても構わない、このまま騎士団に留まっても、祖国に帰っても。
「…………」
もう、道を違えたのだとはっきり分かってしまった。心が居場所を、ココだと定めている。アルフォンスの側にいたいんだ。
薄情だろうか、あんなにお世話になったのに。あんなに、迷惑をかけたというのに。今更祖国に何も償いをせずに幸せに包まれていたいなんて、都合が良すぎる気がする。
だからこそ会うことを迷う。かつての仲間にどんな顔をして会えばいいのか。アルブレヒトに、どんな顔をすればいいのか……。
難しい顔をして考え込んでいたんだろう。ポンと頭に手が置かれるまで、同居人の存在に気づかなかった。
「!」
「まだ悩んでいたのか?」
「アルフォンス……」
困ったように笑われて、途端に心が弱くなる。許される場所、許される相手に甘える事をこの十年で知ってしまった。
ここは料理府長の私室。ベリアンスは許しを得てここに同居している。
手元の指令書は勿論、アルフォンスも知っている。この人に隠し事はしないと決めたし、隠さなければならない仕事は受けないとファウストにもランバートにも伝えた。誠実でありたいのだ、彼だけは。
ただ今回は、この心の中の迷いを口にできていない。何を言っていいか、とりとめがないというのも理由だ。考えが纏まっていなくて、支離滅裂になりかねない。そんなもの、忙しく朝も早いアルフォンスに伝えて時間を費やしてしまうのが申し訳ないのだ。
だが、今こうして甘く困った笑みを浮かべる人を見ると「言いなさい」と言われている気がする。待ってくれているが、打ち明けて欲しいのだと言われている気がしている。
「ベリアンス、不安か?」
「……あぁ」
「かつての主や仲間と会ってしまったら、帰りたくなってしまうかい?」
「それはない! ……と、思う。少なくともアルフォンスの側を離れたくない。帝国には恩義がありすぎて、俺一人では返しきれない。この地を、離れる事は嫌だ……けど」
「けれど?」
「……祖国に迷惑をかけたまま、償いもせずに来てしまった。命令であったから今まではいいが、自由となった今はこれを無視していいのか……分からない。仲間は、俺を責めていないだろうか。役立たずの上官だった。戻って来いと言ってくれた友を、裏切る事になるんじゃないか。仕えると決めた主を……俺は裏切ってしまうのではないか」
ほら、とりとめがない。結論など持たない。これに答えが出せる相手はかつての仲間と、アルブレヒトなのだ。
ポンと、頭を撫でる大きな手。頼りなく見上げると、アルフォンスは柔らかく笑っていた。
「思うように動いていい、ベリアンス。お前の思う所を貫いていい」
「だがそうなると、離れてしまう。俺はアルフォンスと共にいたい」
「では、俺がここを離れればいいんだよ」
「!」
その言葉に驚いて、ベリアンスはガバリと体を起こした。
アルフォンスが騎士団を去る? そんな事だけは絶対にダメだ!
「ダメだアルフォンス! ここはお前の大切な場所だろ。俺の為にここを去るなんて!」
「だが、俺もベリアンスを離したくない。国を跨いで逢瀬ができるほど休みも取れない。それなら俺が動くのがいいだろ」
「ダメだ! それなら俺が!」
「心残りを残していいのか?」
グッと言葉に詰まる。選ぶ時がきているのだろう。選べるのだ、今は。
ならば、答えは出ている。
「帝国に残りたい」
「ベリアンス」
「薄情者と言われても、罵られて足蹴にされても構わない。それでも、俺はこの国に残っていたい。新しい目標を与えてくれた者達に尽くしたい。アルフォンスと一緒にいたい。この想いを、貫きたい」
ベリアンスという人間は、一度死んだと思っている。騎士の誇りを失い、国に仇をなし、妹を失い、剣の道も失った。帝国に来た時は空っぽの屍だった。ただ、心臓は動いている。どうにかしなければと必死になっていた。
そんな屍をもう一度生き返らせてくれたのは帝国だ。あんな非道をしたというのに、ここの者は受け入れてくれた。直る見込みのない腕を必死に治そうとしてくれた。一度失った剣の道をもう一度取り戻させてくれた。家族も仲間も失った心に、アルフォンスがもう一度温もりをくれた。誰かを特別に愛するという感情をくれた。もう一度、騎士という誇りをこの胸に取り戻そうとしている。
決意を秘めたベリアンスの顔を見て、アルフォンスは優しく笑ってくれる。大きな手は相変わらず頭を撫でている。
「では、この機会に俺は君の仲間や主に挨拶がしたい」
「え?」
「筋を通したいんだ。君を正式にもらい受ける前に、ちゃんと挨拶をしておきたい」
「もらい、受ける?」
パチパチと瞬きをしている間に、アルフォンスは苦笑して離れていく。そして机の一番上の引出しから、小さな四角い箱を持ってきてそれを開けた。
「!」
「用意していたんだが、頃合いが難しくてな」
細い銀の指輪はとてもシンプルだ。けれど、とても綺麗に見える。
心臓がドキドキして、目頭がジンジンする。これは、そういう意味で受け取っていいのだろうか。特別にして、いいのだろうか。
微笑むアルフォンスが手で涙を拭っていく。それが、心地よかった。
「結婚してくれないか、ベリアンス。君を、生涯側で支えていきたい。……いや、これは違うな。君の側にいたい。俺を、幸せにしてくれないかい?」
誰が、嫌だ何て言うんだ。初めて恋情をくれた人のプロポーズとは、こんなにも切なく甘く胸を締め付けるものなのか。
「俺で、構わないのか」
「他の誰も必要ではないよ。君と歩んで生きたいんだ、ベリアンス」
「俺は、とんでもない罪人で……」
「十分に償った。それでも背負うなら、半分持とう」
「俺は、許されるのか?」
「あぁ、許される。もういいんだ、ベリアンス」
温かく包むように腕の中にいると、心地よく穏やかになっていく。ここが居場所だと伝えてくれるように、全てを委ねられる。
「ベリアンス、君のかつての仲間に挨拶に行く。そして正式に、君をもらい受けたい」
「俺、も。俺も、側に」
涙声で伝えれば、アルフォンスはどこかホッとした顔をする。そうして、左手の薬指にそっと指輪を嵌めてくれた。
「結婚の証は二人で選ぼう」
「あぁ」
グッと涙を拭い笑みを見せたベリアンスの表情にはもう、不安は何もなかった。
◆◇◆
王都郊外の別荘地は今日も穏やかそのものだが、チェルルのご主人様はご機嫌斜めなままだ。
「ねぇ、そんなに俺がハクイン達に会うの嫌なの?」
寝室のベッドの上に寝転がりながら、チェルルは今だ机にいるハムレットを見ている。気持ち、ほっぺた膨らませている。
「別に~」
「その割に機嫌悪いし」
「猫くんの自由を僕は縛ったりしないもん。僕は寛大なご主人様なんだもん」
「いや、もんって……」
だいたい、この「もん」と付くときは動揺していたり逆に興奮していたりするときだ。本人に自覚はないようなんだが。今は興奮は見られないから、動揺してるか不機嫌か。
国から招待状が届いたのはもう数週間も前。三国同盟締結十周年の記念式典に呼ばれている。本来ならこんな場所に呼ばれるような身分ではないのだが、これにチェルルは大いに関わり、貢献したことになっている。特別ゲストというやつだ。
そしてこれを機にハクインやリオガン、キフラスやレーティスの罪も許される事になっている。理由として、三国の関係が良好であること。彼等の祖国での仕事ぶりが真面目で、争いの種になる危険がないと言えること。そしてチェルルやベリアンスにも帝国への敵意がこの十年見られない事だ。
チェルルは既に帝国へと帰化し、ハムレットと家族だけの人前式を行った。ジョシュアが老齢を理由に城を去る一年前、領地にシルヴィアを伴って引っ込む前にと言われて行ったのだ。
温かくて優しくて、とても嬉しい日になった。アレクシスやその奥方や小さな子、ランバートに、ファウストも来てくれてお祝いしてくれた。嬉しくて沢山泣いた日だった。
シルヴィアの作ってくれた服を着て、お色直しだとウェディングドレスまで着せられて……でも、シルヴィアがとても嬉しそうに笑ってくれたから、これもいい思い出になった。
それでも会えるなら、昔の仲間に会いたい。寂しいとかではなく、元気にやっている姿を見せたいんだ。ハクインは背が高くなって美人になったと、リオガンが手紙で言っていた。レーティスも落ち着いたと手紙には書いてあった。キフラスなんて子持ちのパパだ、びっくりする。
でも、ハムレットは心配そうだ。この人、本当にチェルルについて心が狭い。これ、ランバートは大変だっただろうな。チェルルが来る前はこのどでかいクソ重愛情を全部受けていたんだから。
でも、嫌じゃない。放任主義よりずっと嬉しい。自由気ままが好きだと思っていたけれど、案外束縛も悪くないものだ。
ベッドから降りて、不機嫌な人の背後に足取りも軽く近づいていく。そうして後ろから首に抱きついて体重をかけてみた。覗き込んだ医療学会の資料は、ほぼ白紙のままだった。
「お仕事進んでないじゃん、先生」
「うちの自由すぎる猫が悪い子だからだよ」
「俺、先生を裏切った事なんてないよ?」
「……心配で、考えが何も纏まらないんだよ」
抱きついている手にハムレットが触れる。とても弱く、寂しそうな顔で。そんな顔をされるとこちらも困る。悪い事はしていないはずなのに、とても悪い子になった気分だ。
「昔の仲間に会って、里心でもついたらどうしようって。やっぱり生まれた国に帰りたいとか言われたら、僕はどうしたらいいの?」
今にも泣き出してしまいそうな顔と声でこんな事を言うのだから驚きだ。もう帰化もして正式に帝国の人間になって、あんなに幸せな結婚式までしたのに。
今、チェルルの左手薬指には結婚指輪がはまっている。特注で、普段していた首輪と同じデザインを着けてもらった。迷子札がついていた部分にはダイヤモンドがはまっている。同じものをハムレットもしてくれているのだ。
「酷いな先生、俺はもう帝国の人間なんだよ?」
「猫くん」
「何もないまま、先生への思いだけで祖国を出てここまできた俺を、まだ疑うの?」
からかうように笑って言ったら、ハムレットは目を丸くして勢いよく首を横に振る。椅子を引いて向き直って、正面から抱きついてきた。こういうところ、可愛いなって思うんだ。
「ごめん、違うよ! 僕は猫くんが好きだから離れて欲しくないんであって、猫くんの気持ちを疑った事なんてない。ごめん、嫌な事を言って。心配になったら辛くなってきて、キフラス達もそんな奴らじゃないって十分わかっているけれど……自分に自信がないから、怖くなるんだ」
落ち込んで俯くハムレットはプルプルしている。そんな人を愛しいと思うのは、少し意地悪なのかもしれない。
抱き返して、笑って、そして頬にキスをして。機嫌のいい猫はこんなにもご主人様が大好きだ。
「分かってるよ、先生は心配性だもんね」
「猫くん」
「先生も一緒にきて、側で見ていてよ。そうしたら平気でしょ?」
「……うん」
ギュッと抱き寄せて胸元に顔を押し当てる人が可愛い。撫でて、そうしたら上向いてちょっとだけ切ない顔をする。キス、して欲しいんだろうか。
思って、チュッと小さくキスをする。そうするととても嬉しそうな顔をするから、これが正解だ。
「みんな、きっと先生に会うのも楽しみにしてるよ」
「そうかな?」
「当たり前じゃん! だってお世話になったんだもん。皆、先生が好きだよ」
感謝してる。命を救われた人、心を救われた人、安息の場所を与えられた人。色々いるけれど、皆ちゃんと会いたいと思っているんだ。
「先生、大好き。これだけは疑わないでよ?」
「疑わない。僕も猫くんが好きだよ」
お互いツンと鼻先が触れて、笑って、ハムレットは手元のランプを消してしまう。暗くなった室内で手を差し伸べてくれるそれを取って、チェルルも一緒にベッドへ。これから沢山甘えられる、大好きなイチャイチャの時間になる予感がするのだ。
◆◇◆
ラジェーナの町は夜も賑やかな明かりが灯っている。それというのもジェームダルとの国境で、色んな人や物が入ってくる場所だからだ。
ここにきて四年、最初こそ砦の管理なんて慣れなくて大変だったけれど、さすがはアシュレー。きちんと整えて統率を取ってくれた。
今ここは第一師団からの希望者と、宰相府から一人、後は王都の登用試験からあぶれたものの騎士を希望した三年目までの隊員がいる。こういう場所だからそれなりにトラブルもあるけれど、王都みたいに深刻な事件ではない。ちょっとした小競り合いが多い感じだ。
「アシュレー、報告に来たよ-」
ウェインは基本的には町の警邏と隊員の訓練をしている。体術や剣の訓練の相手が主だ。
アシュレーは執務机に座って真剣に書類仕事をしている。その目が僅かに上がって、ほんの少し穏やかに微笑むのが好きだ。
「助かる、ウェイン。新人の様子はどうだ?」
「まだ付いてこられないけれど、根性はありそうだよ。しんどくても泣き言は言わないし」
「それは上々だな」
嬉しそうに僅かに口角が上がる。ちょっと楽しみなんだと分かる。
持ってきた日報をその場で確認してもらって、ファイリングする。そして次には側について、終わっている書類をしまったり送る準備を手伝う。これが日課になった。
「あまり気を遣わなくていいんだぞ」
「嫌だ。早く終わらせてご飯行こうよ。あと、お風呂も。そして一緒に寝るの」
ここに来て危険は減ったし、訓練の練度は少し下げた。けれど書類仕事は増えて、ファウストやランバートの凄さを知った。日報はいいのだが、他が大変だ。砦の維持管理にこんなに細かく予算書を書かなければならないなんて知らなかった。月の決算も数字ばかり。訓練の予定や報告も書かなければいけないし、備品の発注とかもあるし。
そんな事で、首座であるアシュレーは忙殺されている。
「悪いな」
「そんな事ないって。さーて、早く終わらせよう!」
まずはこれまでの訓練を思い出しながら、今後の訓練の予定を決める。他、不慣れな隊員達からの相談なんかに答えを書き込む。
そうして一緒の部屋で仕事をしている間、盗み見るアシュレーの顔が好きだったりする。とても真剣な顔。こういう時、彼の端正な顔立ちというのが際立つ気がする。
アシュレーがこのラジェーナ砦の首座を引き受けたのには、理由がある。ウェインの心肺機能が思うように戻らなかったからだ。ジェームダルの戦いで負った肺の怪我は年齢を重ねると体に祟った。動けるけれど動きすぎると苦しくなる。一度気胸が再発して、息が出来なくて倒れた事もある。傷を負った場所が弱くなっていて、そこからまた空気が漏れたのが原因だった。
王都の訓練の厳しさを続けていくのは難しい。でも、去りたくない。悩んで、ちょっと具合も悪くなった頃にアシュレーがここに移ると決めた。そして、一緒に来いと言ってくれた。
「もう少し、続けたいんだろ?」と言われて、一晩中泣いたのだ。嬉しかったり、悔しかったりした。
結果は、よかった。無理のない程度の訓練でも、他の砦よりも厳しい。ファウスト並の訓練はつけられなくても大丈夫。ここで育ったら王都への案内状を書いて送る。育てるのも、悪くない。そんな第二の騎士人生を見つけたのだ。
「よし、これでいい。ウェイン、終わったか?」
「終わったよ。ご飯行こうか」
「あぁ」
連れだって、執務室に鍵をかけて食堂へ。一般隊員の姿は少なくなっていたけれど、ご飯はまだ温かいままだ。
「来週王都だね。準備は出来てる?」
「準備と言ってもそう多くはないだろ。宿もウルバスが部屋を貸してくれると言うから甘えてしまったしな」
「いいじゃん、シュトライザー公爵邸は広いしさ」
「だからって、あいつの屋敷を毎度二次会会場に使うのは気が引ける。アリアさんとケイシーもいるし」
ケイシーはウルバスとアリアが跡取りにと引き取った、ルカとメロディの子供だ。今年で四歳になる子は利発で明るくよく笑う。愛されているのが分かる可愛らしい男の子だ。
「いいんじゃない? アリアさんも顔を見られて嬉しいって言ってくれるし、翌日ケイシーと遊ぶのも楽しいしさ」
「ケイシーか。アレはなかなかやんちゃに育ちそうだ。ウルバスが手紙に書いていたが、ファウスト様にお馬ごっこさせたらしい」
「マジで! 軍神お馬さんにしたのあの子! うわぁ、見てみたいような怖いような」
「ウルバスが笑い転げて睨まれたらしい。最強軍馬って隠しもせずに爆笑すればそうなるだろうな」
「あはは、確かに最強だ」
何だかんだで甥っ子は可愛い。そういうことなんだろう。
「あまり迷惑かけないようにするよ」
「出来るのか? お前、酔うと相変わらず酒乱だからな」
「最近は大人しいだろ? 少なくとも物は投げてない」
「そのレベルで威張るな。まぁ、俺が止めるからいいがな」
なんて、甘やかすような優しい目で言われるとドキッとする。心臓がギュッとするんだ。
「翌日はチェスターとランバートと飲むんだったか」
「うん。チェスター未だに自信ないって言うしさ。ランバートも入ってくれてるみたいなんだけれど、補佐官の仕事もあるからあまり甘えられないし。でも、ランバートからの手紙を読むとちゃんとしてるっぽいんだよね」
「自信の問題だろうな。あいつも自分に自信のない奴だから」
「ほんとそれ。僕でも出来てたんだから、絶対大丈夫だと思うのに」
基本、伸び伸びと。思うように能力を伸ばして、ダメな所だけは叱って。それで互いに関わり合って切磋琢磨すればいいんだと思う。
「俺もその日はゼロスとコンラッドと飲む約束がある」
「あっちも相談事?」
「いや、そういうわけじゃない。まぁ、近況を聞いて何かあれば相談に乗る感じだ。なんでも、ランバートみたいなのが一人いるらしく対応に困っているらしい」
「やっぱ相談じゃん。でも、ランバートみたいなのなら放置で問題ないと思うよ?」
ウェインはそうした。
だが、どうもそうではなさそうだ。
「コミュニケーション能力の著しく欠如した、戦闘能力とセンスだけランバート」
「え、めちゃくちゃ扱い大変。困ったね」
「だから、少し話を聞いてくる」
そうか、コミュニケーション取れてないんだ。それでも能力ランバートって、凄いな。
何にしても、王都への旅行が楽しみだ。有給使った七泊の連休、その間砦は他の隊員にお願いしてある。一応シュトライザー家に泊まる事も伝えてあるから、何かあれば伝えに来るだろう。こない事が一番だけれど。
「楽しみだね!」
「あぁ」
パタパタと足を動かしながら笑うウェインの笑顔は、今も真夏の向日葵みたいに明るく元気に輝いているのだった。
グリフィスを少しでも楽にしたいと思っている。他の奴らは出来ているのに、第五だけ出来ないなんて情けない事は言いたくなかった。
外に恋人を作ると時間を合わせるのが大変だ。特にグリフィスの恋人は商人で、商談なんかで王都を出ると何ヶ月もいないこともある。それなら、時間が合うときにちゃんとデートとかした方がいいと思うのだ。
レイバンとジェイクも、すれ違う。レイバンは主に安息日が休みだが、料理府のジェイクはそんなわけにはいかない。一人で歩く街は寂しいし、美味しいスイーツは味半分。胸の中のキラキラしたものが少ないだけで、日常は少しだけセピア色になる。
引退して、リッツと暮らせばいいのに。もうあの人は十分戦った。バカみたいにデカい背中にもう、庇われなくても大丈夫だ。
でもそれを示すのが難しい。ファウストほどの化物じゃないけれど、あの人も十分規格外の強者なんだ。
「もう少し、ファウスト様に訓練つけてもらおうかな……」
呟いて、溜息が出る。今もけっこう無理を言ってお願いしているのだから、これ以上はあっちの夫婦の時間を奪ってしまいかねない。
もう一度溜息。するとそのタイミングでドアが開いて、不機嫌なジェイクが入ってきた。
「あ……えっと……おかえり、ジェイさん」
「レイバン、腹見せろ」
「あ……怒る?」
「当たり前だ!」
久々に怒られてちょっと正座。でも、嫌じゃないのはこの怒りが心配からきていると分かっているから。それだけでちょっと嬉しかったりする。
「グリフィスに挑むのもいいが、怪我は気をつけろ。腹蹴られて吐いたんだって? 今は平気なのか」
「んっ、平気。気持ち悪くもないし、痛くもない。違和感もないよ」
午後からほぼ半日、医務室で寝ていた。隣のドゥーガルドはもの凄く低く呻いていた。額も唇も腫れて痛々しかったな。
近づいて、大きな手が頬に触れる。少し荒れた、筋のある手。ちょっと冷たいのは水仕事だからかな。
手にすり寄ると上向かせられて、そっと唇が重なる。それがとても心地よくて好きだ。啄むようなキスを繰り返すうちに手が服の上から悪戯を始めて、レイバンは僅かな声を上げた。
「したいの?」
「いや、今日はしない。怪我が気になってそれどころじゃないしな」
「平気だよ?」
「今日はしない」
頑固。本当はしたいって顔してるのに。前は一週間くらい前だから、そろそろこちらも欲しいのに。
でも、覗き込むような目が本当に心配をしている。させているのはレイバンだ。
「明日からまた、普通通りのご飯食べられるから安心して。夕飯後にも診察してもらったし、明日の修練前にも軽い診察してもらうから」
「お前に病人食出す身にもなれ」
「ジェイさんのご飯は病人食でも美味しいよ」
「ったく、ご機嫌とってもだめだからな」
「しばらく大人しくしておくよ」
これは約束。それにこのまま策もなく攻め込んでも攻略は難しいだろう。もっと鍛錬して、動きを揃える必要がある。もっとドゥーガルドの能力や動きを把握して、グリフィスの動きや力量を測っておかないと。その為の時間が必要だ。
部屋着に着替えたジェイクがレイバンの隣に寝転がる。夫婦の部屋となったことで、ベッドを変えた。今はダブルだ。
それでもくっついていたくて、レイバンはジェイクにすり寄る。伸ばされる腕の中に大人しく収まったレイバンは機嫌良く胸元に寄り添って目を閉じた。
「おやすみ、ジェイさん」
「あぁ、おやすみ」
二人で温かく寄り添って眠る時間が、レイバンにとって一番安らげる時間なのかもしれない。
◆◇◆
額が痛い。唇が痛い。正直今日は飯が食えなかった。
痛む傷を触る勇気もなく、ドゥーガルドは空きっ腹を抱えてしょんぼりしている。もっと酷い怪我も多かったけれど、丁度このくらいが嫌らしく痛いのだ。
そして目の前にはもの凄く目をつり上げたディーンがいる。傷を洗うためのタオルを濡らしながら、これから殺されるんじゃなかろうかと疑う程の怒りを滲ませている。
「ディーン、あの……イデェ!」
「バカをした罰です!」
少し強めに額の傷にタオルを押し当てられ、ドゥーガルドは思わず呻いてしまう。ワンワンするのだ。
それでもその後は丁寧に傷を洗って薬を塗ってガーゼを当ててくれる。とても気遣わしい目で。
ディーンと所帯を持ったのは二年くらい前だ。どっちが嫁だ旦那だと、ちょっと喧嘩になった。ドゥーガルドとしては自分が嫁だろうと思っていた。何せ夜の生活がそうなのだから。
でも何故かディーンは自分が嫁だと言ってきた。年齢的な事や外見的な事もあるのかもしれないが、今では彼もとても逞しい男に育った。第一師団でも地位を上げている。
話し合い、結局はドゥーガルドが嫁という事にした。それが分かりやすいだろうと。
そうしたらディーンも夫らしく振る舞うようになり、今ではこうして世話を焼かれる事も多くなった。
「グリフィス様に挑むの、止めませんか?」
「それは止めない」
「気持ちを言葉にして伝えるのではダメなんですか? ドゥーもレイバン先輩も、実力的にはもう訓練の指揮を執ってもいいじゃないですか。こちらの真意さえ届けば」
「それでも俺達に全幅の信頼で任せてもらえなきゃダメなんだよ。安心して恋人と過ごすのに気がかりがあるのは集中出来なくて嫌だろ。だから実力も示さないと」
レイバンと話し合っていたんだ、任されたいんだと。
あの大きな背中を追いかけてきた。今も追いかけている。それでも、いつまでも大将に頼り切っちゃいけない。グリフィスとリッツの人前式を見た夜に、二人で話し合った。だって、とても幸せそうな優しい顔をしていた。リッツは、嬉しそうだった。
騎士団にいてはどうしても離れる事の方が長い。でも幸いな事に最近は穏やかだ。それなら体力訓練くらいは任せて、有給を使ってでも会いに行けるようにと思っている。そのくらい任せられる実力を見せなければ。
コテンと、ディーンが胸元に額を押し当てる。服の前を握って。驚いて見ればとても苦しそうな顔をしていて、ちょっと焦ってしまった。
「心配なんですよ」
「いや、このくらい……」
「このくらいじゃありません! 痛々しくて……。事情は知ってるし、ドゥーの気持ちも分かっているから我慢しているけれど本当は、文句の一つも言いたいんです。人の嫁に傷つけるとは何事だ! って」
「!」
その心意気にちょっとときめいてしまう。ディーンは本当に雄味が増した。その度にドキドキする。ときめいてしまう。これではダメだと気を引き締めるけれど、勝てる気がしない。
「怪我、気をつけてください」
「分かった、気をつける。お前も気をつけろよ」
「はい、勿論」
穏やかに微笑めば、同じように微笑みが返ってくる。自然と寄り添って、唇が……。
「いっ!」
「あぁ、もう……」
傷が触れて痛くて涙目になると、ディーンは苦笑する。そしてふと、悪戯っぽい目をした。
「では、舌を出してもらえますか?」
「舌?」
んべーっと、舌を出す。するとディーンは綻ぶような笑みを見せてこれ見よがしにドゥーガルドの舌に自分の舌を絡めてみせる。本来は口の中でされる愛撫を見せつけられて、ドゥーガルドの心拍数は跳ね上がった。
「んぅ」
ディーンといると心臓が壊れそうなくらいドキドキする。それと一緒に体が熱くなってあらぬ所が疼く。たまらなく恥ずかしいのに、たまらなく切ない。
舌を絡めたまま、ディーンに食べられてしまった。絡められて切なくて腹の中がキュウキュウする。こんなエッチなキスはしたことがない。
「ドゥー、気持ちいい?」
「んぁ……気持ち、いい……っ!」
「ここ、大きくなってるもんね」
手がグリッと股間に押しつけられて刺激されて、ドゥーガルドは一瞬頭の中が痺れてしまった。トロリと先走りが溢れ、下着を濡らした気がした。
「俺もですよ」
色っぽい顔で迫られて、手を導かれて同じように触ってみた。ディーンのそれは形が分かるくらい勃ちあがっていて、余計にドキドキする。自然と期待もしている。
「する、か?」
「入れません」
「え! いや、だって」
「これはお仕置きですから」
「ぬあぁ!」
こんなお仕置きあるか! だって、じゃあこれはどうしろと? 収まりの付かない熱で股間が痛いというのに、放置なのか!!
「ディーン……」
しょぼくれた犬のようにディーンを見る。すると彼は苦笑して、前を寛げ自分も同じようにしてしまう。そうして二人で向き合って、擦り合わせてきた。
「はっ、あっ、んぉお!」
「たまにはこういうのも、っ! 気持ちいいですね」
「はぁ、あっ、ぬぅぅ……ぬぉ!」
ヌチヌチと先走りを交換しながら触れあわせているのも気持ちいいが、やっぱり足りない。二つを握り込んで上下させながら、ドゥーガルドは快楽に涙を浮かべ野太い喘ぎを漏らし、ビクビクと体を震わせる。そこに、ディーンの手も加わった。
「はぁ、ディーン……っ」
「気持ちいいですね」
「んおぉ! 気持ちいい、んぁ!」
「乳首もしてあげますから、上手にイッてくださいね」
チュッと、開けたローブに顔を埋めたディーンが器用に乳首を見つけ出して吸い付く。柔らかく温かな口腔と舌で愛撫されたドゥーガルドの胸はあっという間に硬く尖って色味を増してしまう。
そこを赤ん坊のようにちゅうちゅう吸われ、舌を絡めて押し潰されて。もう、爆発寸前だ。
「ドゥーは巨乳で、感度も良くて女の子みたいですね」
「こんなっ! ゴツい女は、はぁん!」
「お腹、キュウキュウして切ないんでしょ。お尻の穴もパクパクしてない?」
……してると思う。
でもこんなゴツい女がいいっていうのは、趣味を疑うし! 実際こんな女はいない! 多分……。
「はぁ、あっ、もぅ、イクぅぅ」
乳首が気持ちいい。一緒に扱かれるちんこが気持ちいい。腹の中がせり上がるみたいに切ない。
「俺もイキます。気持ち良くなってくださいね」
鋭い笑みを浮かべたディーンが緩急を付けて上下させる。ドゥーガルド以上にドゥーガルドの体を知っているディーンの手淫は的確すぎて耐えられない。登り詰め、恥ずかしいくらいの量を射精して気持ち良かった。
「怪我が治るまでは、入れませんからね。これは罰です」
「ディーン……」
「これに懲りたら怪我、気をつけてください」
「……はい」
逞しく成長した旦那には勝てない。ドゥーガルドは涙目になりながら何度も頷いた。
◆◇◆
『指令書
同盟締結十周年記念式典において、港に到着するジェームダル国王アルブレヒト殿とその近習の出迎えと護送を命ずる。
ファウスト』
直々に渡された指令書を何度も読み返した。その度に溜息が漏れる。
嫌なわけではない。むしろ、会いたいと思う気持ちはあるんだ。ただ、戸惑いや消えない罪悪感が拭えない。
ジェームダル戦争から十年以上が経つ。もう、過去にしていいのだとカールからも言われた。十年を前に、恩赦が降りる事は伝えられた。晴れて自由の身だ。どういう決断をしても構わない、このまま騎士団に留まっても、祖国に帰っても。
「…………」
もう、道を違えたのだとはっきり分かってしまった。心が居場所を、ココだと定めている。アルフォンスの側にいたいんだ。
薄情だろうか、あんなにお世話になったのに。あんなに、迷惑をかけたというのに。今更祖国に何も償いをせずに幸せに包まれていたいなんて、都合が良すぎる気がする。
だからこそ会うことを迷う。かつての仲間にどんな顔をして会えばいいのか。アルブレヒトに、どんな顔をすればいいのか……。
難しい顔をして考え込んでいたんだろう。ポンと頭に手が置かれるまで、同居人の存在に気づかなかった。
「!」
「まだ悩んでいたのか?」
「アルフォンス……」
困ったように笑われて、途端に心が弱くなる。許される場所、許される相手に甘える事をこの十年で知ってしまった。
ここは料理府長の私室。ベリアンスは許しを得てここに同居している。
手元の指令書は勿論、アルフォンスも知っている。この人に隠し事はしないと決めたし、隠さなければならない仕事は受けないとファウストにもランバートにも伝えた。誠実でありたいのだ、彼だけは。
ただ今回は、この心の中の迷いを口にできていない。何を言っていいか、とりとめがないというのも理由だ。考えが纏まっていなくて、支離滅裂になりかねない。そんなもの、忙しく朝も早いアルフォンスに伝えて時間を費やしてしまうのが申し訳ないのだ。
だが、今こうして甘く困った笑みを浮かべる人を見ると「言いなさい」と言われている気がする。待ってくれているが、打ち明けて欲しいのだと言われている気がしている。
「ベリアンス、不安か?」
「……あぁ」
「かつての主や仲間と会ってしまったら、帰りたくなってしまうかい?」
「それはない! ……と、思う。少なくともアルフォンスの側を離れたくない。帝国には恩義がありすぎて、俺一人では返しきれない。この地を、離れる事は嫌だ……けど」
「けれど?」
「……祖国に迷惑をかけたまま、償いもせずに来てしまった。命令であったから今まではいいが、自由となった今はこれを無視していいのか……分からない。仲間は、俺を責めていないだろうか。役立たずの上官だった。戻って来いと言ってくれた友を、裏切る事になるんじゃないか。仕えると決めた主を……俺は裏切ってしまうのではないか」
ほら、とりとめがない。結論など持たない。これに答えが出せる相手はかつての仲間と、アルブレヒトなのだ。
ポンと、頭を撫でる大きな手。頼りなく見上げると、アルフォンスは柔らかく笑っていた。
「思うように動いていい、ベリアンス。お前の思う所を貫いていい」
「だがそうなると、離れてしまう。俺はアルフォンスと共にいたい」
「では、俺がここを離れればいいんだよ」
「!」
その言葉に驚いて、ベリアンスはガバリと体を起こした。
アルフォンスが騎士団を去る? そんな事だけは絶対にダメだ!
「ダメだアルフォンス! ここはお前の大切な場所だろ。俺の為にここを去るなんて!」
「だが、俺もベリアンスを離したくない。国を跨いで逢瀬ができるほど休みも取れない。それなら俺が動くのがいいだろ」
「ダメだ! それなら俺が!」
「心残りを残していいのか?」
グッと言葉に詰まる。選ぶ時がきているのだろう。選べるのだ、今は。
ならば、答えは出ている。
「帝国に残りたい」
「ベリアンス」
「薄情者と言われても、罵られて足蹴にされても構わない。それでも、俺はこの国に残っていたい。新しい目標を与えてくれた者達に尽くしたい。アルフォンスと一緒にいたい。この想いを、貫きたい」
ベリアンスという人間は、一度死んだと思っている。騎士の誇りを失い、国に仇をなし、妹を失い、剣の道も失った。帝国に来た時は空っぽの屍だった。ただ、心臓は動いている。どうにかしなければと必死になっていた。
そんな屍をもう一度生き返らせてくれたのは帝国だ。あんな非道をしたというのに、ここの者は受け入れてくれた。直る見込みのない腕を必死に治そうとしてくれた。一度失った剣の道をもう一度取り戻させてくれた。家族も仲間も失った心に、アルフォンスがもう一度温もりをくれた。誰かを特別に愛するという感情をくれた。もう一度、騎士という誇りをこの胸に取り戻そうとしている。
決意を秘めたベリアンスの顔を見て、アルフォンスは優しく笑ってくれる。大きな手は相変わらず頭を撫でている。
「では、この機会に俺は君の仲間や主に挨拶がしたい」
「え?」
「筋を通したいんだ。君を正式にもらい受ける前に、ちゃんと挨拶をしておきたい」
「もらい、受ける?」
パチパチと瞬きをしている間に、アルフォンスは苦笑して離れていく。そして机の一番上の引出しから、小さな四角い箱を持ってきてそれを開けた。
「!」
「用意していたんだが、頃合いが難しくてな」
細い銀の指輪はとてもシンプルだ。けれど、とても綺麗に見える。
心臓がドキドキして、目頭がジンジンする。これは、そういう意味で受け取っていいのだろうか。特別にして、いいのだろうか。
微笑むアルフォンスが手で涙を拭っていく。それが、心地よかった。
「結婚してくれないか、ベリアンス。君を、生涯側で支えていきたい。……いや、これは違うな。君の側にいたい。俺を、幸せにしてくれないかい?」
誰が、嫌だ何て言うんだ。初めて恋情をくれた人のプロポーズとは、こんなにも切なく甘く胸を締め付けるものなのか。
「俺で、構わないのか」
「他の誰も必要ではないよ。君と歩んで生きたいんだ、ベリアンス」
「俺は、とんでもない罪人で……」
「十分に償った。それでも背負うなら、半分持とう」
「俺は、許されるのか?」
「あぁ、許される。もういいんだ、ベリアンス」
温かく包むように腕の中にいると、心地よく穏やかになっていく。ここが居場所だと伝えてくれるように、全てを委ねられる。
「ベリアンス、君のかつての仲間に挨拶に行く。そして正式に、君をもらい受けたい」
「俺、も。俺も、側に」
涙声で伝えれば、アルフォンスはどこかホッとした顔をする。そうして、左手の薬指にそっと指輪を嵌めてくれた。
「結婚の証は二人で選ぼう」
「あぁ」
グッと涙を拭い笑みを見せたベリアンスの表情にはもう、不安は何もなかった。
◆◇◆
王都郊外の別荘地は今日も穏やかそのものだが、チェルルのご主人様はご機嫌斜めなままだ。
「ねぇ、そんなに俺がハクイン達に会うの嫌なの?」
寝室のベッドの上に寝転がりながら、チェルルは今だ机にいるハムレットを見ている。気持ち、ほっぺた膨らませている。
「別に~」
「その割に機嫌悪いし」
「猫くんの自由を僕は縛ったりしないもん。僕は寛大なご主人様なんだもん」
「いや、もんって……」
だいたい、この「もん」と付くときは動揺していたり逆に興奮していたりするときだ。本人に自覚はないようなんだが。今は興奮は見られないから、動揺してるか不機嫌か。
国から招待状が届いたのはもう数週間も前。三国同盟締結十周年の記念式典に呼ばれている。本来ならこんな場所に呼ばれるような身分ではないのだが、これにチェルルは大いに関わり、貢献したことになっている。特別ゲストというやつだ。
そしてこれを機にハクインやリオガン、キフラスやレーティスの罪も許される事になっている。理由として、三国の関係が良好であること。彼等の祖国での仕事ぶりが真面目で、争いの種になる危険がないと言えること。そしてチェルルやベリアンスにも帝国への敵意がこの十年見られない事だ。
チェルルは既に帝国へと帰化し、ハムレットと家族だけの人前式を行った。ジョシュアが老齢を理由に城を去る一年前、領地にシルヴィアを伴って引っ込む前にと言われて行ったのだ。
温かくて優しくて、とても嬉しい日になった。アレクシスやその奥方や小さな子、ランバートに、ファウストも来てくれてお祝いしてくれた。嬉しくて沢山泣いた日だった。
シルヴィアの作ってくれた服を着て、お色直しだとウェディングドレスまで着せられて……でも、シルヴィアがとても嬉しそうに笑ってくれたから、これもいい思い出になった。
それでも会えるなら、昔の仲間に会いたい。寂しいとかではなく、元気にやっている姿を見せたいんだ。ハクインは背が高くなって美人になったと、リオガンが手紙で言っていた。レーティスも落ち着いたと手紙には書いてあった。キフラスなんて子持ちのパパだ、びっくりする。
でも、ハムレットは心配そうだ。この人、本当にチェルルについて心が狭い。これ、ランバートは大変だっただろうな。チェルルが来る前はこのどでかいクソ重愛情を全部受けていたんだから。
でも、嫌じゃない。放任主義よりずっと嬉しい。自由気ままが好きだと思っていたけれど、案外束縛も悪くないものだ。
ベッドから降りて、不機嫌な人の背後に足取りも軽く近づいていく。そうして後ろから首に抱きついて体重をかけてみた。覗き込んだ医療学会の資料は、ほぼ白紙のままだった。
「お仕事進んでないじゃん、先生」
「うちの自由すぎる猫が悪い子だからだよ」
「俺、先生を裏切った事なんてないよ?」
「……心配で、考えが何も纏まらないんだよ」
抱きついている手にハムレットが触れる。とても弱く、寂しそうな顔で。そんな顔をされるとこちらも困る。悪い事はしていないはずなのに、とても悪い子になった気分だ。
「昔の仲間に会って、里心でもついたらどうしようって。やっぱり生まれた国に帰りたいとか言われたら、僕はどうしたらいいの?」
今にも泣き出してしまいそうな顔と声でこんな事を言うのだから驚きだ。もう帰化もして正式に帝国の人間になって、あんなに幸せな結婚式までしたのに。
今、チェルルの左手薬指には結婚指輪がはまっている。特注で、普段していた首輪と同じデザインを着けてもらった。迷子札がついていた部分にはダイヤモンドがはまっている。同じものをハムレットもしてくれているのだ。
「酷いな先生、俺はもう帝国の人間なんだよ?」
「猫くん」
「何もないまま、先生への思いだけで祖国を出てここまできた俺を、まだ疑うの?」
からかうように笑って言ったら、ハムレットは目を丸くして勢いよく首を横に振る。椅子を引いて向き直って、正面から抱きついてきた。こういうところ、可愛いなって思うんだ。
「ごめん、違うよ! 僕は猫くんが好きだから離れて欲しくないんであって、猫くんの気持ちを疑った事なんてない。ごめん、嫌な事を言って。心配になったら辛くなってきて、キフラス達もそんな奴らじゃないって十分わかっているけれど……自分に自信がないから、怖くなるんだ」
落ち込んで俯くハムレットはプルプルしている。そんな人を愛しいと思うのは、少し意地悪なのかもしれない。
抱き返して、笑って、そして頬にキスをして。機嫌のいい猫はこんなにもご主人様が大好きだ。
「分かってるよ、先生は心配性だもんね」
「猫くん」
「先生も一緒にきて、側で見ていてよ。そうしたら平気でしょ?」
「……うん」
ギュッと抱き寄せて胸元に顔を押し当てる人が可愛い。撫でて、そうしたら上向いてちょっとだけ切ない顔をする。キス、して欲しいんだろうか。
思って、チュッと小さくキスをする。そうするととても嬉しそうな顔をするから、これが正解だ。
「みんな、きっと先生に会うのも楽しみにしてるよ」
「そうかな?」
「当たり前じゃん! だってお世話になったんだもん。皆、先生が好きだよ」
感謝してる。命を救われた人、心を救われた人、安息の場所を与えられた人。色々いるけれど、皆ちゃんと会いたいと思っているんだ。
「先生、大好き。これだけは疑わないでよ?」
「疑わない。僕も猫くんが好きだよ」
お互いツンと鼻先が触れて、笑って、ハムレットは手元のランプを消してしまう。暗くなった室内で手を差し伸べてくれるそれを取って、チェルルも一緒にベッドへ。これから沢山甘えられる、大好きなイチャイチャの時間になる予感がするのだ。
◆◇◆
ラジェーナの町は夜も賑やかな明かりが灯っている。それというのもジェームダルとの国境で、色んな人や物が入ってくる場所だからだ。
ここにきて四年、最初こそ砦の管理なんて慣れなくて大変だったけれど、さすがはアシュレー。きちんと整えて統率を取ってくれた。
今ここは第一師団からの希望者と、宰相府から一人、後は王都の登用試験からあぶれたものの騎士を希望した三年目までの隊員がいる。こういう場所だからそれなりにトラブルもあるけれど、王都みたいに深刻な事件ではない。ちょっとした小競り合いが多い感じだ。
「アシュレー、報告に来たよ-」
ウェインは基本的には町の警邏と隊員の訓練をしている。体術や剣の訓練の相手が主だ。
アシュレーは執務机に座って真剣に書類仕事をしている。その目が僅かに上がって、ほんの少し穏やかに微笑むのが好きだ。
「助かる、ウェイン。新人の様子はどうだ?」
「まだ付いてこられないけれど、根性はありそうだよ。しんどくても泣き言は言わないし」
「それは上々だな」
嬉しそうに僅かに口角が上がる。ちょっと楽しみなんだと分かる。
持ってきた日報をその場で確認してもらって、ファイリングする。そして次には側について、終わっている書類をしまったり送る準備を手伝う。これが日課になった。
「あまり気を遣わなくていいんだぞ」
「嫌だ。早く終わらせてご飯行こうよ。あと、お風呂も。そして一緒に寝るの」
ここに来て危険は減ったし、訓練の練度は少し下げた。けれど書類仕事は増えて、ファウストやランバートの凄さを知った。日報はいいのだが、他が大変だ。砦の維持管理にこんなに細かく予算書を書かなければならないなんて知らなかった。月の決算も数字ばかり。訓練の予定や報告も書かなければいけないし、備品の発注とかもあるし。
そんな事で、首座であるアシュレーは忙殺されている。
「悪いな」
「そんな事ないって。さーて、早く終わらせよう!」
まずはこれまでの訓練を思い出しながら、今後の訓練の予定を決める。他、不慣れな隊員達からの相談なんかに答えを書き込む。
そうして一緒の部屋で仕事をしている間、盗み見るアシュレーの顔が好きだったりする。とても真剣な顔。こういう時、彼の端正な顔立ちというのが際立つ気がする。
アシュレーがこのラジェーナ砦の首座を引き受けたのには、理由がある。ウェインの心肺機能が思うように戻らなかったからだ。ジェームダルの戦いで負った肺の怪我は年齢を重ねると体に祟った。動けるけれど動きすぎると苦しくなる。一度気胸が再発して、息が出来なくて倒れた事もある。傷を負った場所が弱くなっていて、そこからまた空気が漏れたのが原因だった。
王都の訓練の厳しさを続けていくのは難しい。でも、去りたくない。悩んで、ちょっと具合も悪くなった頃にアシュレーがここに移ると決めた。そして、一緒に来いと言ってくれた。
「もう少し、続けたいんだろ?」と言われて、一晩中泣いたのだ。嬉しかったり、悔しかったりした。
結果は、よかった。無理のない程度の訓練でも、他の砦よりも厳しい。ファウスト並の訓練はつけられなくても大丈夫。ここで育ったら王都への案内状を書いて送る。育てるのも、悪くない。そんな第二の騎士人生を見つけたのだ。
「よし、これでいい。ウェイン、終わったか?」
「終わったよ。ご飯行こうか」
「あぁ」
連れだって、執務室に鍵をかけて食堂へ。一般隊員の姿は少なくなっていたけれど、ご飯はまだ温かいままだ。
「来週王都だね。準備は出来てる?」
「準備と言ってもそう多くはないだろ。宿もウルバスが部屋を貸してくれると言うから甘えてしまったしな」
「いいじゃん、シュトライザー公爵邸は広いしさ」
「だからって、あいつの屋敷を毎度二次会会場に使うのは気が引ける。アリアさんとケイシーもいるし」
ケイシーはウルバスとアリアが跡取りにと引き取った、ルカとメロディの子供だ。今年で四歳になる子は利発で明るくよく笑う。愛されているのが分かる可愛らしい男の子だ。
「いいんじゃない? アリアさんも顔を見られて嬉しいって言ってくれるし、翌日ケイシーと遊ぶのも楽しいしさ」
「ケイシーか。アレはなかなかやんちゃに育ちそうだ。ウルバスが手紙に書いていたが、ファウスト様にお馬ごっこさせたらしい」
「マジで! 軍神お馬さんにしたのあの子! うわぁ、見てみたいような怖いような」
「ウルバスが笑い転げて睨まれたらしい。最強軍馬って隠しもせずに爆笑すればそうなるだろうな」
「あはは、確かに最強だ」
何だかんだで甥っ子は可愛い。そういうことなんだろう。
「あまり迷惑かけないようにするよ」
「出来るのか? お前、酔うと相変わらず酒乱だからな」
「最近は大人しいだろ? 少なくとも物は投げてない」
「そのレベルで威張るな。まぁ、俺が止めるからいいがな」
なんて、甘やかすような優しい目で言われるとドキッとする。心臓がギュッとするんだ。
「翌日はチェスターとランバートと飲むんだったか」
「うん。チェスター未だに自信ないって言うしさ。ランバートも入ってくれてるみたいなんだけれど、補佐官の仕事もあるからあまり甘えられないし。でも、ランバートからの手紙を読むとちゃんとしてるっぽいんだよね」
「自信の問題だろうな。あいつも自分に自信のない奴だから」
「ほんとそれ。僕でも出来てたんだから、絶対大丈夫だと思うのに」
基本、伸び伸びと。思うように能力を伸ばして、ダメな所だけは叱って。それで互いに関わり合って切磋琢磨すればいいんだと思う。
「俺もその日はゼロスとコンラッドと飲む約束がある」
「あっちも相談事?」
「いや、そういうわけじゃない。まぁ、近況を聞いて何かあれば相談に乗る感じだ。なんでも、ランバートみたいなのが一人いるらしく対応に困っているらしい」
「やっぱ相談じゃん。でも、ランバートみたいなのなら放置で問題ないと思うよ?」
ウェインはそうした。
だが、どうもそうではなさそうだ。
「コミュニケーション能力の著しく欠如した、戦闘能力とセンスだけランバート」
「え、めちゃくちゃ扱い大変。困ったね」
「だから、少し話を聞いてくる」
そうか、コミュニケーション取れてないんだ。それでも能力ランバートって、凄いな。
何にしても、王都への旅行が楽しみだ。有給使った七泊の連休、その間砦は他の隊員にお願いしてある。一応シュトライザー家に泊まる事も伝えてあるから、何かあれば伝えに来るだろう。こない事が一番だけれど。
「楽しみだね!」
「あぁ」
パタパタと足を動かしながら笑うウェインの笑顔は、今も真夏の向日葵みたいに明るく元気に輝いているのだった。
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名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
【本編完結】最強魔導騎士は、騎士団長に頭を撫でて欲しい【番外編あり】
ゆらり
BL
帝国の侵略から国境を守る、レゲムアーク皇国第一魔導騎士団の駐屯地に派遣された、新人の魔導騎士ネウクレア。
着任当日に勃発した砲撃防衛戦で、彼は敵の砲撃部隊を単独で壊滅に追いやった。
凄まじい能力を持つ彼を部下として迎え入れた騎士団長セディウスは、研究機関育ちであるネウクレアの独特な言動に戸惑いながらも、全身鎧の下に隠された……どこか歪ではあるが、純粋無垢であどけない姿に触れたことで、彼に対して強い庇護欲を抱いてしまう。
撫でて、抱きしめて、甘やかしたい。
帝国との全面戦争が迫るなか、ネウクレアへの深い想いと、皇国の守護者たる騎士としての責務の間で、セディウスは葛藤する。
独身なのに父性強めな騎士団長×不憫な生い立ちで情緒薄めな甘えたがり魔導騎士+仲が良すぎる副官コンビ。
甘いだけじゃない、骨太文体でお送りする軍記物BL小説です。番外は日常エピソード中心。ややダーク・ファンタジー寄り。
※ぼかしなし、本当の意味で全年齢向け。
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異世界転移した元コンビニ店長は、獣人騎士様に嫁入りする夢は……見ない!
めがねあざらし
BL
過労死→異世界転移→体液ヒーラー⁈
社畜すぎて魂が擦り減っていたコンビニ店長・蓮は、女神の凡ミスで異世界送りに。
もらった能力は“全言語理解”と“回復力”!
……ただし、回復スキルの発動条件は「体液経由」です⁈
キスで癒す? 舐めて治す? そんなの変態じゃん!
出会ったのは、狼耳の超絶無骨な騎士・ロナルドと、豹耳騎士・ルース。
最初は“保護対象”だったのに、気づけば戦場の最前線⁈
攻めも受けも騒がしい異世界で、蓮の安眠と尊厳は守れるのか⁉
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※現在同時掲載中の「捨てられΩ、癒しの異能で獣人将軍に囲われてます!?」の元ネタです。出しちゃった!
異世界で8歳児になった僕は半獣さん達と仲良くスローライフを目ざします
み馬下諒
BL
志望校に合格した春、桜の樹の下で意識を失った主人公・斗馬 亮介(とうま りょうすけ)は、気がついたとき、異世界で8歳児の姿にもどっていた。
わけもわからず放心していると、いきなり巨大な黒蛇に襲われるが、水の精霊〈ミュオン・リヒテル・リノアース〉と、半獣属の大熊〈ハイロ〉があらわれて……!?
これは、異世界へ転移した8歳児が、しゃべる動物たちとスローライフ?を目ざす、ファンタジーBLです。
おとなサイド(半獣×精霊)のカプありにつき、R15にしておきました。
※ 造語、出産描写あり。前置き長め。第21話に登場人物紹介を載せました。
★お試し読みは第1部(第22〜27話あたり)がオススメです。物語の傾向がわかりやすいかと思います★
★第11回BL小説大賞エントリー作品★最終結果2773作品中/414位★応援ありがとうございました★
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