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13章:ラン・カレイユ人質救出作戦
5話:幼い記憶と迫る脅威(リオガン)
案内された部屋で、ハクインは落ち着いていた。
体も髪も綺麗にされて、真新しい白い服を着て眠っている。
側にはあの医者みたいな男がいて、第四と一緒にあれこれ手配をしていた。
「リオガン、落ち着いたよ」
声をかけられて、側に椅子を用意されて、そこに座った。
顔色は悪かったけれど、変な息をしていない。規則的に上下している。
「そこの人が助けてくれたんだよ」
そう言われて前に出て来たのは、簀巻きになっていた男だ。
彼は丁寧に頭を下げたまま、震えていた。
許せなかったけれど、同時に恩人になった。こいつが薬なんて作らなければ良かったけれど、この人がいなかったらハクインの治療は簡単じゃなかったんだ。
「ここの医者で、薬の開発を強要されていたみたいなんだ。でもこれまでの実験結果や使用薬剤の名前も全部覚えていて、必要な医薬品も全部揃えてくれていた。おかげで重篤な状態になる前に持ち直したよ」
「本当に、すまなかった」
多分、五〇代だろう。白髪が混じっている。
「どう、して?」
「……十三になる孫が、人質になっています。探してくれたそうですが、どこにもおりません」
呟いた声に、既に希望は感じない。疲れた様子で、でも皺のある手に涙が落ちた。
「きっと、バチが当たったのでしょう。他人の命を奪うような事に加担したから、神がお許しにならなかったのでしょう」
その呟きは、リオガンの胸にも刺さった。
沢山の人を不幸にした。沢山の人を殺した。だから今、こんなに苦しいのかもしれない。大切な人を壊されて、苦しませて……自分が受けたほうがずっと、苦しくなかった。
男は「全てお話してきます」と言って出て行く。第四の人達も「何かあったら呼んで」と言っていた。
側にいて、手を握った。温かい手は、小さな頃と同じ。教会にいた時から、ハクインの手はいつも温かくて、向けてくれる笑みは明るかった。
覚えている限り、リオガンに両親はいなかった。正確には、『生みの親』がいなかった。
養父母がいて、彼らは「叔父だ」と言っていた。
その時から、リオガンは色んな事を学んだ。
まず、訴えてはいけなかった。
お腹が空いたと言えば怒られて、食事を抜かれた。叩かれて痛いと言えば、余計に叩かれた。悲しい事、辛い事、痛い事、苦しい事。口にすることで余計に疎まれた。
だから、話しちゃいけないんだと思った。
人の目を、様子を、話を聞くようになった。そうじゃないと、余計に酷かった。
機嫌の良いときは酷い事をされないから普通にしていられる。機嫌の悪い時は部屋の隅に蹲って嵐が過ぎるのを待った。
殴られても、蹴られても、泣いちゃいけない。蹲って、呻くことすらもダメで、唇を噛んでいた。
そのうちに、養父母の言う「家畜」という呼び名の意味を知った。そして、物乞いを強いられるようになった。
平気だった。道に哀れっぽく蹲って、「お恵み下さい」と言えばいいだけだった。
みすぼらしく痩せた子供を、誰も見てくれない。何ももらえないと、また殴られる。
水だけでお腹を膨らませて、よろよろになって「お恵み下さい」と言っていた時に、誰かが手を差し伸べてくれた。
それが、ローマン様だった。
ローマン様の屋敷につれてこられて、食事をもらって、体を洗われた。そして温かい布団で眠っていいと言われた。
初めてだった。だから、眠れなかった。柔らかい布団、ましてベッドでなんて寝たことがなかった。冷たい床に薄っぺらい毛布じゃない。
お腹も、満たされて……食べ慣れなくて痛くなって医者にかかった。
そうして数日して、顔色が良くなって、食べられるようになって、ローマンさんが神父様を呼んでくれた。
リオガンという名前は、この時に神父様が付けてくれた。それまで、名前はなかった。
そして教会で、リオガンは沢山の家族ができた。
お兄さんのチェルルは小柄だけれど活発で、皆のお兄さんだった。
そして同じ日にきたハクインも、お兄さんになったくれた。
誕生日を聞かれても分からなかった。でもハクインが「俺は五月なんだぜ」と胸を張って言ったから「十月」と言った。
「俺がお兄ちゃんだからな!」って、嬉しそうだったからこれでいいんだ。誰かの上に立ちたいとか、お兄ちゃんになりたいとか、張り合おうとか、思わなかったから。
それからは、楽しかった。リオガンは話すのが苦手で、だから皆に怖がられた。でも、何を言えばいいのか分からなかった。自分の意志を伝える事が、恐怖だった。
でもその度に、ハクインが助けてくれた。言いたい事を言ってくれる。大丈夫って言ってくれる。話せないのに、分かってくれる。
大好きなお兄ちゃん。それは大人になって、少し変わった。大好きの種類が、変わっていった。
チェルルに対しては、家族だ。だから幸せになってほしい。ハムレット先生と仲が良さそうで、その想いが報われて、素直に良かったと思える。
でもハクインは、取られたくない。他のだれかじゃなくて、自分が幸せにしたいって思った。側にずっといたい。離れていくのを考えたら、苦しくて眠れなかった。
でも、どうにもできなかった。想いを伝える方法が分からない。何度か言葉にしようと思ったのに、出てこなかった。出そうとしても、喉の所でつっかえてしまった。
怖かった。拒まれたら、どうしよう。きっと苦しくて息ができなくて、死んでしまうと思った。
言って、おけば良かった。こんなの見るくらいなら、言えばよかった。ううん、偵察の時に一緒に行けば良かったんだ。そうすれば、絶対に助けたのに。
ギュッと、手を握った。
目を覚ました時、分からなかったらどうしよう。壊れたままだったらどうしよう。見てくれなかったら、どうしよう。あの笑顔が消えてしまったら、どうしよう。
頬が濡れて、握っている手に滴が落ちた。
「リオガン」
声がかかって、チェルルが顔を出した。隣にきて、ハクインの髪を撫でて、リオガンの頬を拭った。
「マーロウさんが目を覚ましたから、会議あるって。来る?」
暫く考えて、リオガンは席を立った。知らないでいることは、いけない気がした。でも絶対にハクインの側にいる。それだけは、誓っていた。
▼チェルル
ハクインの状態を聞いた時、起き抜けのマーロウはとても怖い目をした。
正直、先生を思い出した。冷え切った蔑みの目は、やっぱりとても怖いものだ。
捕まえた兵士、研究者、全員がボルギの有様を見て素直に喋った。そのうえでマーロウはハクインに乱暴をした兵士は全員殺した。一切躊躇わなかった。
彼いわく、「簡単に情報を喋るような奴は簡単に裏切る」のだそうだ。まったくその通りだ。
一方でハクインは、どんな事をされても喋らなかったそうだ。後ろを犯され何人もの男に乱暴をされても、何度も何度も流し込まれて吐いても絶対に、言わなかったそうだ。
マーロウは驚いて、人らしい顔で苦しそうに俯いた。そして一言、「そんなに義理立てなくて良かったのに。バカだな」と呟いていた。
なんにしても情報が出そろった。それによると、状況は思った以上に切迫しているようだった。
「研究員からの情報で、硫酸の濃度をありったけ上げる為の改良を求められたらしい。他にも媚薬やら、他の毒物の研究、周辺の植物を採集しての毒物転用。とにかくそんな事をひたすら求められたそうだ」
グリフィスの報告には肝が冷える。
植物毒は色々ある。チェルルが使うのはそういうものが多い。動物や植物から毒を採集して、それを武器に塗り込んで使っていた。
でも今はしていない。先生との約束だ。もう毒は使わないって。
「で、この特濃の硫酸を、どうするって?」
「こっからは兵士の情報。瓶は合計二十本。これを子供に持たせて国境を越え、東の町の飲料水に混ぜる指令を出している。子供達が出たのは、二日ほど前。その子供はここの農村にいた子供で、十歳から十三歳だ」
それを聞いて、ゾクッとした。そんなの、無差別すぎる。
「まずいな」
「どうした、マーロウ」
「止めないと、第二のエルの悲劇が起こりかねない」
「え!」
報告に来ていたレイバンも、ドゥーガルドも、グリフィスも言葉を失う。それはチェルルも同じだ。
無差別なエルの迫害。そんな事が再び起こるっていうのか。
「前に言った通り、無色透明で無味無臭。徐々に体を害する。奇病に、見えなくはない。そしてここにくる直前、俺はエルとの間を取り持った。その途端に奇病が流行ったら、過去の事も相まってまた騒ぎが起こる可能性がある」
「止めないと!」
「勿論だ」
それでもマーロウは珍しく困っている。そして、本音を語った。
「あまり人数を割きたくない。そして割くなら、前進に使いたい。子供達を保護して薬を回収、東砦に報告ということなら、一人か二人……できれば一人にして、残りを人質救出に使いたいのが本音」
「おい、そりゃ危険だろ」
「だから渋ってるだろ」
ブツブツと妙案を考えているマーロウの首が、ドンドン角度を険しくしていく。
それを見るに堪えかねて、チェルルが手を上げた。
「俺が行く」
「チェルル……」
「俺は何度もここの国境を越えていて慣れている。それに、子供の足なら追いつける。森で捕まえて、薬回収して、砦に届けるだけでいいんだろ?」
「……子供だけとは限らない。これまでにも潜伏している事があった。どうも暗府があるみたいだね。そいつらが厄介だよ」
「いざとなったら薬、全部割って使えなくすればいいよ。ちょっと森を傷つけるかもしれないけど、大勢の人が死ぬよりはずっといい」
嫌なんだ、本当に。自分がしてきた事を見せられて、遠回しに責められているみたいだ。それに帝国に、大事なものが増えた。先生ばかりじゃない、騎士団、エル、よく行っていた店の人とか、診察に回っていた老人達とか。
そういう人が傷つけられるのが、今は嫌なんだ。
「大丈夫、すぐに出ればきっと間に合う。そのかわり、ハクインをお願い」
「それはお願いされなくてもする。君たちは仲間だと、言ったはずだけど?」
「それなら、安心して行けるよ」
全体の流れを把握したらすぐに準備をして、ここを出よう。二日前なら、そろそろ国境付近だ。二日をチャラにするんだから、少し頑張らないと。
「後は東砦にと要請している医者が、少し使える人だといいんだけど」
「医者? 東砦に?」
知らない情報にチェルルばかりじゃなく、他のみんなが首を捻る。当のマーロウは平然と、こちらを見た。
「最前線にはエリオット様、王都にはリカルドさんがいる。でも敵国境に接している東砦には真っ当な医者はいない。だから王都の医師団に手紙書いて早便で要請した。医者よこせって」
「それで応じるのか?」
「宰相府の印鑑で送ったから、大丈夫。でも医者の選出は医師団でするから、使える人がくるか分かんない」
そう言いながらも居ないよりはマシなんだろう。チェルルもそう思う。その医者がちゃんとしていれば薬を渡して適切に処理してくれるだろう。
「他にも情報があります。これも兵士からの情報だが、どうやらルミノラ監獄って所に人質を収容しているらしい」
ドゥーガルドの報告では、兵士数人がそこへの人質搬送を請け負っていたらしい。無理矢理戦わせるために取った人質、協力をさせるために取った人質を収容しているらしかった。
「その監獄、なんだがな。どうやら元は凶悪犯罪者の収容施設だったらしく、処刑施設も完備らしい。人が増えすぎると重要度の高くない人質から処分してるとか言ってやがった」
「時間なしか。ここまで人道外れるといっそ清々しいかな」
マーロウは腕を組む。けれど今回はそんなに悩む事はなかった。
「先行して小隊を編制、その監獄を偵察する。ただし潜伏は許可しない。潜入はしなくていい。勿論危険と判断したら到着しなくても引き返すように。隊長はグリフィス」
「俺が出ていいのかよ?」
「言ってられないからいい。そのかわり、ドゥー君置いてって。俺を負ぶってくれないと困る」
「そこは相変わらずか。だが、了解した。本隊はここか?」
「一週間は滞在する。ハクインも動けるまでかかると思うし、俺もこの後もっと寝たい。チェルルの報告も聞きたいし、拠点に暫く使う」
「あの、僕達を置いていって、だい……」
「何度も言わせないでくれる? 仲間を見捨てるくそったれは帝国騎士団にはいない。ハクインは体よりも心のほうが心配だからリオガンを離す事はできない。俺も多分寝る。一週間の休憩は妥当」
言い切ったマーロウを信じられる。あれこれとんでもない人だと思うし、やる事は残忍な事も多いけれど、約束を違える事はしない。そう信じていられるから、チェルルも安心してここを離れられる。
結局、囚われているお姫様については分からないそうだが、ひとまずの方針は決まった。
チェルルは準備をして、ハクインの様子を見てリオガンを励まして、この日の夕方農村を後にした。
出る直前、グリフィスにも会ったが彼も五人の小隊で明日の朝にはここを出るそうだ。
行って、戻って。でも不思議と事は前進している。それを信じて、チェルルは一路帝国を目指して駆け出していった。
体も髪も綺麗にされて、真新しい白い服を着て眠っている。
側にはあの医者みたいな男がいて、第四と一緒にあれこれ手配をしていた。
「リオガン、落ち着いたよ」
声をかけられて、側に椅子を用意されて、そこに座った。
顔色は悪かったけれど、変な息をしていない。規則的に上下している。
「そこの人が助けてくれたんだよ」
そう言われて前に出て来たのは、簀巻きになっていた男だ。
彼は丁寧に頭を下げたまま、震えていた。
許せなかったけれど、同時に恩人になった。こいつが薬なんて作らなければ良かったけれど、この人がいなかったらハクインの治療は簡単じゃなかったんだ。
「ここの医者で、薬の開発を強要されていたみたいなんだ。でもこれまでの実験結果や使用薬剤の名前も全部覚えていて、必要な医薬品も全部揃えてくれていた。おかげで重篤な状態になる前に持ち直したよ」
「本当に、すまなかった」
多分、五〇代だろう。白髪が混じっている。
「どう、して?」
「……十三になる孫が、人質になっています。探してくれたそうですが、どこにもおりません」
呟いた声に、既に希望は感じない。疲れた様子で、でも皺のある手に涙が落ちた。
「きっと、バチが当たったのでしょう。他人の命を奪うような事に加担したから、神がお許しにならなかったのでしょう」
その呟きは、リオガンの胸にも刺さった。
沢山の人を不幸にした。沢山の人を殺した。だから今、こんなに苦しいのかもしれない。大切な人を壊されて、苦しませて……自分が受けたほうがずっと、苦しくなかった。
男は「全てお話してきます」と言って出て行く。第四の人達も「何かあったら呼んで」と言っていた。
側にいて、手を握った。温かい手は、小さな頃と同じ。教会にいた時から、ハクインの手はいつも温かくて、向けてくれる笑みは明るかった。
覚えている限り、リオガンに両親はいなかった。正確には、『生みの親』がいなかった。
養父母がいて、彼らは「叔父だ」と言っていた。
その時から、リオガンは色んな事を学んだ。
まず、訴えてはいけなかった。
お腹が空いたと言えば怒られて、食事を抜かれた。叩かれて痛いと言えば、余計に叩かれた。悲しい事、辛い事、痛い事、苦しい事。口にすることで余計に疎まれた。
だから、話しちゃいけないんだと思った。
人の目を、様子を、話を聞くようになった。そうじゃないと、余計に酷かった。
機嫌の良いときは酷い事をされないから普通にしていられる。機嫌の悪い時は部屋の隅に蹲って嵐が過ぎるのを待った。
殴られても、蹴られても、泣いちゃいけない。蹲って、呻くことすらもダメで、唇を噛んでいた。
そのうちに、養父母の言う「家畜」という呼び名の意味を知った。そして、物乞いを強いられるようになった。
平気だった。道に哀れっぽく蹲って、「お恵み下さい」と言えばいいだけだった。
みすぼらしく痩せた子供を、誰も見てくれない。何ももらえないと、また殴られる。
水だけでお腹を膨らませて、よろよろになって「お恵み下さい」と言っていた時に、誰かが手を差し伸べてくれた。
それが、ローマン様だった。
ローマン様の屋敷につれてこられて、食事をもらって、体を洗われた。そして温かい布団で眠っていいと言われた。
初めてだった。だから、眠れなかった。柔らかい布団、ましてベッドでなんて寝たことがなかった。冷たい床に薄っぺらい毛布じゃない。
お腹も、満たされて……食べ慣れなくて痛くなって医者にかかった。
そうして数日して、顔色が良くなって、食べられるようになって、ローマンさんが神父様を呼んでくれた。
リオガンという名前は、この時に神父様が付けてくれた。それまで、名前はなかった。
そして教会で、リオガンは沢山の家族ができた。
お兄さんのチェルルは小柄だけれど活発で、皆のお兄さんだった。
そして同じ日にきたハクインも、お兄さんになったくれた。
誕生日を聞かれても分からなかった。でもハクインが「俺は五月なんだぜ」と胸を張って言ったから「十月」と言った。
「俺がお兄ちゃんだからな!」って、嬉しそうだったからこれでいいんだ。誰かの上に立ちたいとか、お兄ちゃんになりたいとか、張り合おうとか、思わなかったから。
それからは、楽しかった。リオガンは話すのが苦手で、だから皆に怖がられた。でも、何を言えばいいのか分からなかった。自分の意志を伝える事が、恐怖だった。
でもその度に、ハクインが助けてくれた。言いたい事を言ってくれる。大丈夫って言ってくれる。話せないのに、分かってくれる。
大好きなお兄ちゃん。それは大人になって、少し変わった。大好きの種類が、変わっていった。
チェルルに対しては、家族だ。だから幸せになってほしい。ハムレット先生と仲が良さそうで、その想いが報われて、素直に良かったと思える。
でもハクインは、取られたくない。他のだれかじゃなくて、自分が幸せにしたいって思った。側にずっといたい。離れていくのを考えたら、苦しくて眠れなかった。
でも、どうにもできなかった。想いを伝える方法が分からない。何度か言葉にしようと思ったのに、出てこなかった。出そうとしても、喉の所でつっかえてしまった。
怖かった。拒まれたら、どうしよう。きっと苦しくて息ができなくて、死んでしまうと思った。
言って、おけば良かった。こんなの見るくらいなら、言えばよかった。ううん、偵察の時に一緒に行けば良かったんだ。そうすれば、絶対に助けたのに。
ギュッと、手を握った。
目を覚ました時、分からなかったらどうしよう。壊れたままだったらどうしよう。見てくれなかったら、どうしよう。あの笑顔が消えてしまったら、どうしよう。
頬が濡れて、握っている手に滴が落ちた。
「リオガン」
声がかかって、チェルルが顔を出した。隣にきて、ハクインの髪を撫でて、リオガンの頬を拭った。
「マーロウさんが目を覚ましたから、会議あるって。来る?」
暫く考えて、リオガンは席を立った。知らないでいることは、いけない気がした。でも絶対にハクインの側にいる。それだけは、誓っていた。
▼チェルル
ハクインの状態を聞いた時、起き抜けのマーロウはとても怖い目をした。
正直、先生を思い出した。冷え切った蔑みの目は、やっぱりとても怖いものだ。
捕まえた兵士、研究者、全員がボルギの有様を見て素直に喋った。そのうえでマーロウはハクインに乱暴をした兵士は全員殺した。一切躊躇わなかった。
彼いわく、「簡単に情報を喋るような奴は簡単に裏切る」のだそうだ。まったくその通りだ。
一方でハクインは、どんな事をされても喋らなかったそうだ。後ろを犯され何人もの男に乱暴をされても、何度も何度も流し込まれて吐いても絶対に、言わなかったそうだ。
マーロウは驚いて、人らしい顔で苦しそうに俯いた。そして一言、「そんなに義理立てなくて良かったのに。バカだな」と呟いていた。
なんにしても情報が出そろった。それによると、状況は思った以上に切迫しているようだった。
「研究員からの情報で、硫酸の濃度をありったけ上げる為の改良を求められたらしい。他にも媚薬やら、他の毒物の研究、周辺の植物を採集しての毒物転用。とにかくそんな事をひたすら求められたそうだ」
グリフィスの報告には肝が冷える。
植物毒は色々ある。チェルルが使うのはそういうものが多い。動物や植物から毒を採集して、それを武器に塗り込んで使っていた。
でも今はしていない。先生との約束だ。もう毒は使わないって。
「で、この特濃の硫酸を、どうするって?」
「こっからは兵士の情報。瓶は合計二十本。これを子供に持たせて国境を越え、東の町の飲料水に混ぜる指令を出している。子供達が出たのは、二日ほど前。その子供はここの農村にいた子供で、十歳から十三歳だ」
それを聞いて、ゾクッとした。そんなの、無差別すぎる。
「まずいな」
「どうした、マーロウ」
「止めないと、第二のエルの悲劇が起こりかねない」
「え!」
報告に来ていたレイバンも、ドゥーガルドも、グリフィスも言葉を失う。それはチェルルも同じだ。
無差別なエルの迫害。そんな事が再び起こるっていうのか。
「前に言った通り、無色透明で無味無臭。徐々に体を害する。奇病に、見えなくはない。そしてここにくる直前、俺はエルとの間を取り持った。その途端に奇病が流行ったら、過去の事も相まってまた騒ぎが起こる可能性がある」
「止めないと!」
「勿論だ」
それでもマーロウは珍しく困っている。そして、本音を語った。
「あまり人数を割きたくない。そして割くなら、前進に使いたい。子供達を保護して薬を回収、東砦に報告ということなら、一人か二人……できれば一人にして、残りを人質救出に使いたいのが本音」
「おい、そりゃ危険だろ」
「だから渋ってるだろ」
ブツブツと妙案を考えているマーロウの首が、ドンドン角度を険しくしていく。
それを見るに堪えかねて、チェルルが手を上げた。
「俺が行く」
「チェルル……」
「俺は何度もここの国境を越えていて慣れている。それに、子供の足なら追いつける。森で捕まえて、薬回収して、砦に届けるだけでいいんだろ?」
「……子供だけとは限らない。これまでにも潜伏している事があった。どうも暗府があるみたいだね。そいつらが厄介だよ」
「いざとなったら薬、全部割って使えなくすればいいよ。ちょっと森を傷つけるかもしれないけど、大勢の人が死ぬよりはずっといい」
嫌なんだ、本当に。自分がしてきた事を見せられて、遠回しに責められているみたいだ。それに帝国に、大事なものが増えた。先生ばかりじゃない、騎士団、エル、よく行っていた店の人とか、診察に回っていた老人達とか。
そういう人が傷つけられるのが、今は嫌なんだ。
「大丈夫、すぐに出ればきっと間に合う。そのかわり、ハクインをお願い」
「それはお願いされなくてもする。君たちは仲間だと、言ったはずだけど?」
「それなら、安心して行けるよ」
全体の流れを把握したらすぐに準備をして、ここを出よう。二日前なら、そろそろ国境付近だ。二日をチャラにするんだから、少し頑張らないと。
「後は東砦にと要請している医者が、少し使える人だといいんだけど」
「医者? 東砦に?」
知らない情報にチェルルばかりじゃなく、他のみんなが首を捻る。当のマーロウは平然と、こちらを見た。
「最前線にはエリオット様、王都にはリカルドさんがいる。でも敵国境に接している東砦には真っ当な医者はいない。だから王都の医師団に手紙書いて早便で要請した。医者よこせって」
「それで応じるのか?」
「宰相府の印鑑で送ったから、大丈夫。でも医者の選出は医師団でするから、使える人がくるか分かんない」
そう言いながらも居ないよりはマシなんだろう。チェルルもそう思う。その医者がちゃんとしていれば薬を渡して適切に処理してくれるだろう。
「他にも情報があります。これも兵士からの情報だが、どうやらルミノラ監獄って所に人質を収容しているらしい」
ドゥーガルドの報告では、兵士数人がそこへの人質搬送を請け負っていたらしい。無理矢理戦わせるために取った人質、協力をさせるために取った人質を収容しているらしかった。
「その監獄、なんだがな。どうやら元は凶悪犯罪者の収容施設だったらしく、処刑施設も完備らしい。人が増えすぎると重要度の高くない人質から処分してるとか言ってやがった」
「時間なしか。ここまで人道外れるといっそ清々しいかな」
マーロウは腕を組む。けれど今回はそんなに悩む事はなかった。
「先行して小隊を編制、その監獄を偵察する。ただし潜伏は許可しない。潜入はしなくていい。勿論危険と判断したら到着しなくても引き返すように。隊長はグリフィス」
「俺が出ていいのかよ?」
「言ってられないからいい。そのかわり、ドゥー君置いてって。俺を負ぶってくれないと困る」
「そこは相変わらずか。だが、了解した。本隊はここか?」
「一週間は滞在する。ハクインも動けるまでかかると思うし、俺もこの後もっと寝たい。チェルルの報告も聞きたいし、拠点に暫く使う」
「あの、僕達を置いていって、だい……」
「何度も言わせないでくれる? 仲間を見捨てるくそったれは帝国騎士団にはいない。ハクインは体よりも心のほうが心配だからリオガンを離す事はできない。俺も多分寝る。一週間の休憩は妥当」
言い切ったマーロウを信じられる。あれこれとんでもない人だと思うし、やる事は残忍な事も多いけれど、約束を違える事はしない。そう信じていられるから、チェルルも安心してここを離れられる。
結局、囚われているお姫様については分からないそうだが、ひとまずの方針は決まった。
チェルルは準備をして、ハクインの様子を見てリオガンを励まして、この日の夕方農村を後にした。
出る直前、グリフィスにも会ったが彼も五人の小隊で明日の朝にはここを出るそうだ。
行って、戻って。でも不思議と事は前進している。それを信じて、チェルルは一路帝国を目指して駆け出していった。
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