恋愛騎士物語3~最強騎士に愛されて~

凪瀬夜霧

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14章:王の戴冠

3話:合流

 その後、忙しく本陣を旧ジェームダル本陣へと移している間に夕刻となり、夕食を囲んでの穏やかな時間となった。

「それにしてもマーロウ、其方本当に顔色が良くなったなえ」

 シウスの隣にはマーロウがいて、多少居心地が悪そうにしている。それというのもラン・カレイユ組は徒歩移動だったので、ここまで来るのに体力のないマーロウはチュウェンに担がれてきた。それを見て、皆がとりあえず口をあんぐりする事になったのである。
 そこからはあれこれと経緯という名の馴れ初めを聞き出し、シウスはニマニマしていた。

「のぉ、チュウェン殿。そちららが嫌でなければこれを貰ってくれぬか? どうにも少し人間らしい生活をさせたいのだが、我等では手に負えぬでの」

 マーロウの隣で同じく居心地悪くしているチュウェンは、シウスに話を振られた途端に咳き込んでしまった。そして同じくマーロウもシウスを睨み付ける。

「そちらが新婚だからと、あれこれ世話ジジイしないでください」
「案じておるのよ、マーロウ。其方ほどの才児が夭逝などしようものなら惜しくてならぬ。しかも理由が不摂生ではの。チュウェン殿なら適任じゃ。なんならこいつ専属の生活管理として雇いたい」
「シウス様!」

 真っ赤になったマーロウはたまらず席を離れてしまう。それを見て、チュウェンもペコリと頭を下げて後をついていった。護衛、なのだろうが。

「くくっ、あのように可愛いマーロウを見ようとは」
「彼、意外と長生きしますよ。自分に無理をしないだけ私達よりもね」
「ほぉ、見掛けによらぬ。まぁ、我等はいつ何があるか分からぬ身故な」

 アルブレヒトのお墨付きに意外そうに目を丸くするシウス。
 だが次には、真剣な顔をした。

「さて、王都だが。やれ、攻めづらいの」

 その言葉に、場は一気に沈み込んだ。
 ベリアンスと、その妹の事を知ったのは落ち着いて少ししてからだった。国王キルヒアイスの子を身籠もった事。抵抗し、自殺を何度かしようとしていたこと。そしてこれらは、レーティスにも伝えられた。
 その瞬間のレーティスの顔は、今も忘れない。目を見開いて震え、一気に顔色が悪くなって崩れた。オーギュストがそれを支え、今は休ませている。
 婚約までした女性がそのような目に合っていると知った彼の苦しみは、今どのくらいなのか。思えばランバートも苦しく思う。精神的に多少脆い部分があるから、余計に心配になってしまう。
 オーギュストと王都にいた時に話していたのだが、レーティスは彼の主だったヴィクトランに似ているという。言われて、少しだけ納得できてしまった。どうにも自分の中に抱え込む部分があるのだ。
 ヴィクトランも、家族に起こった悲劇の中で自分だけが生き残った事に苦しんだらしい。そうした苦悩や悲しみ、苦しみが彼の人間性を歪めていったのだと聞いて、レーティスは同じだと感じた。
 だからこそ、オーギュストはレーティスの側にいたいのだと言う。主を重ねてしまうのだろう。

「王都に住まう民が盾となれば、無理に開城を迫るのも恐ろしい。何をしでかすか分からぬ」
「ベリアンスはおそらく、最後までセシリアを手放せません。死んでも抵抗するでしょう」
「その子の奪還が優先ね。それにしても、本当にクズ王。女をなんだと思ってるの」

 苛立ちを滲ませるイシュクイナの隣にはウルズもいる。今はアルブレヒトとイシュクイナの間でとても小さくなっていた。

 ラン・カレイユ組がここへと迷いなく来られたのは、彼女のおかげなのだという。彼女のエルの能力は鳥の声を聞くこと。その鳥が、ここでの戦いを匂わせる事を言っていたそうだ。

 アルブレヒトが柔らかく少女の頭を撫でている。温かな場所に迎えられていくぶん落ち着いているのだろうが、肩身が狭いのはその通りだ。
 彼女がナルサッハの親類であると聞くと、アルブレヒトは穏やかに微笑みそっと抱きしめて背を撫でていた。そして「私の同胞。歓迎いたします」と声をかけたのだ。
 途端、泣き出した少女が泣き止むまでずっと、アルブレヒトは抱きしめていた。

「王都にはナルサッハがいるでしょう。彼とキルヒアイスを捕らえなければ、この戦いは終われない。ですが最悪、王都は落とさなければなりませんよ」
「そうさの。王都を落としてしばらくは多忙で動けまい。兄も国内を多少整えねば動けぬであろ?」
「えぇ。その為にあれこれとそちらの暗府にお願いしていましたからね」

 アルブレヒトの視線がクラウルへと向かう。それに、クラウルは静かに頷いた。


 暗府が動いている事はランバートも知らなかった。彼らが何をしていたのかと言えば、ジェームダル国内への潜入と、教会があちこちに捕らえていた女性や子供達の救出、ならびに上層の者の捕縛だった。
 アルブレヒトはひっそりとシウスやクラウルに話をつけ、教会が違法につれて来て捕らえていた人々の解放を願ったのだ。そしてその場所を、地図上のダウジングによって大きく絞っていったらしい。
 驚くべきはこのダウジングの正確さだ。クラウルの話では当初信じられなかったが、ドンピシャでその場所に捕らえられた人々がいたらしい。

 現在は安全な場所に一時避難をさせているそうだ。

 そして夕食前に、アルブレヒトの所に一人の男が差し出された。
 剃り上げた頭。額にはご立派な印を刻んだ六十代の男は立派な服を着たまま、アルブレヒトを見上げていた。

「あっ……アルブレヒト様」
「ほぉ、今更私を様と呼ぶのですか? そのわりに、随分な事をしてくれましたが」

 見下す瞳の冷たく恐ろしい様子を、その場にいたランバート、シウス、ファウスト、ダン、クラウルが見ていた。囲いのテントの中で、これらのやりとりは全て行われたのである。

「おっ、お許しを! 私はナルサッハの奴に」
「彼がなんと言おうと、己の信念を曲げず恩義を忘れずにいればよかったものを。欲を出し、私を裏切ったお前の所業を許すとでも?」
「お許しを!!」

 暗く深い闇を、この人も持っている。それを感じた。
 静かに踏み出し、剣を抜く。この人は弓だけではなく剣も十分に使えている。その切っ先が、男の首に当たった。

「大司祭、教会を治める者として、神に仕える者として、お前のした事を許すわけにはいかない。多くの人々を苦しめた所業を、あの世で悔いろ」
「あ……お許し……ぉ」
「……国の為、人々の為、私は命を削ってお前達教会に予言を伝えた。利用し、甘い蜜を吸っていたのも知っていた。それでも咎めずに置いたことが、過ちでした。過去の過ちは正さねばなりません」

 銀の剣が躊躇いなく、一刀のもとに男の首を切り落とす。白い服を真っ赤にしても、アルブレヒトの表情は変わらない。

 ファウストが用意していた水桶に男の首をつけて洗い、綺麗な布に包んで箱に収める。
 その側ではアルブレヒトが汚れた服を脱ぎ、顔や手に付いた血を水で拭っていた。

 清廉ばかりの人ではないのは、分かっていた。だが、躊躇いのなさを今更見た気がした。
 この人にとって守るべき者は大いなる手で包みすくい上げ、敵となった者は容赦ない断罪の剣を振り下ろす。
 今後王都を取りもどした時、そこに集う家臣はどんな選択を迫られるのだろうか。流石に全てを殺す事は国政を考えるとできないだろう。そうなったとき、剣を向ける素振りでもあれば容赦しない。血の粛清が行われない事を、ただ祈るばかりだ。


 翌日今の野営地を発って、ジェームダル王都を目指す事が決まった。
 ここからジェームダル王都までは、この人数の行軍だと一日かかる。王都到着はおそらく明後日の午前中だろうとして、この場はお開きとなった。


 ランバートはファウストと共に、最後まで焚き火の側に残っていた。それというのも、ファウストの様子が気になったからだ。どこか、物思いに耽っている。

「どうしたんだ、ファウスト」
「ん?」
「心ここにあらずだぞ」

 言えば苦笑が返ってくる。そしてコツンと、ランバートの肩に体が預けられた。

「あの男を殺す事に、躊躇いがある」
「ベリアンス?」
「あぁ。なんとなく、自分に重ねてしまった。アリアがもしも同じような境遇に陥ったら……俺はきっと、あの男と同じ事をしてしまう」

 苦しそうな声に、ランバートも俯いた。
 ファウストが体の弱い妹を本当に心配しているのは知っている。ランバートだって、可愛くて素直な彼女のことが好きだ。あんな妹ができるなんて、幸せだとも思う。
 だが同時に、ファウストが思うその気持ちも分かってしまう。もしもアリアがそんな男に囚われ、陵辱の末に望まぬ結果になったら……ランバートなら、絶対にその男を殺している。
 なるほど、同じ妹思いの兄として、彼の心に共鳴してしまったわけだ。

 よりかかる体を撫でて、側にいる。この人のこういう部分をいけないとは思わない。相変わらず甘いとは思うが、それを含めて好きなのだし。

「見損なうか?」
「どうして?」
「弱いだろ」
「肉親がそんな目にあって、冷静でいられる人間はいないよ。ファウストのそれは弱いんじゃない。知っちゃったなら、余計にさ」

 コツンと、頭同士が触れあう。甘えてくる人を、ランバートは愛しいと側にいる。

「あの人の処遇は、アルブレヒトさんに任せよう。きっと、上手くおさめるよ」
「大丈夫か? あの人、案外躊躇いがないな。あの目も少し怖いんだが」
「はっきりとした人なんだろうな。ちょっと引くけど。でも、悪い人ではないよ。任せてみよう?」
「……そうだな」

 ベリアンスが、そしてセシリアがどうなっていくのかを、見届ける義務があるだろう。この戦いに深く関わった者として、この戦いの結末全てを知る事がランバートにとっても責任だ。例え、悲劇が待ち受けようとも。
 そしてその時、この人を支えるのは自分なんだと、ランバートは改めて自らに言い聞かせた。


▼レーティス

 セシリアの現状を伝えられて、正直目の前が真っ暗になった。
 そうして数時間。小さなテントの中には横になっているレーティスと、ずっとついていてくれるオーギュストだけがいた。

 どうして、ここまで付き合ってくれるのだろうか。単に治療を助けてくれただけ。それどころかこの人は恨みがあるだろうに。
 ここを、何度も回っている。彼は「主に似ているから、放っておけない」と言っているが、それだってこんなにか?

「あの、もう大丈夫ですから……」

 随分暗くなってから、レーティスは上半身を上げた。ただ無言の時間を二人で過ごすのも、忍びなくなってきたのだ。

 オーギュストはこちらを向いて、ゆっくりと近づいてくる。そしてレーティスの髪を撫で、静かな瞳で見下ろしてくる。

「平気そうには見えないぞ」
「大丈夫、落ち着きました。現状、出来る事はありませんし……」

 出来る事がないからこそ、自らを責め続けてしまうが。

 地に膝をついたオーギュストが、ゆっくりと肩に触れる。確かめるように視線を向けて、平気だと分かれば抱きしめて。

「やめて、ください……優しくしないで」
「今は必要だろ」
「……自分のバカさ加減に、吐き気がするんです。彼女は辛い時間を過ごしているのに、私は貴方に縋りたくなる。こんなの、酷いではありませんか」

 男のしっかりとした体が包むようにしてくるのは、心地よい。この腕の中は甘えを許している。
 でも、彼女は? どれだけ助けを呼んだのだろう。死んだと伝えられて、悲しんだだろうか。もしもレーティスを呼んでいたのだとしたら……応えられなかった自分を呪い殺したい。

 それでも、オーギュストの腕は確かな力で離そうとはしない。体を押したけれど、よりしっかりと抱き込まれてしまう。分かっている、本気で離して欲しいなんて思っていないからだ。弱い、からだ。

「お前のせいじゃないだろ」
「私が、彼女を連れて逃げればよかったんです。例え短い時間でも、側にいればよかったんです。人質になんてさせないと、もっと抵抗していれば」
「違う。悪いのはその提案をした者と、人質に手を出したろくでなしの王だ。お前が悪いんじゃない」
「私が!」
「レーティス!!」

 ビクリと震えて、その後は優しく撫でられるのに任せた。

「お前はちゃんと抵抗したんだろ? 婚約者を守ろうと、必死に動いただろ。それでも、どうにもならない事だったんだ。そして今も、ここまで来たんだ。十分やっている」
「もっと、力が……ファウスト殿ほどの力があれば、何者にも屈しなかったのに」
「武力で全部が解決するわけじゃない。ファウスト様がいかな化け物でも、たった一つの策略で命を落とすこともあるんだ」

 それでも、あの武力があれば助けられたんじゃないか。いや、ファウストまでいかなくてもランバートくらいの機転と力があれば、もっとしてやれたんじゃないか。
 思うのは後ろ向きな後悔ばかりだ。「もし」を、ずっと考え続けている。

「レーティス、これ以上考えるな。今は前をみてくれ」
「前なんて」
「助け出すんだろ? 彼女を救ってやれるのは、お前と彼女の兄だけだろ?」

 救う? 救って、やれるのだろうか……助けられなかったのに

「私には、彼女を助ける事なんて……」
「傷ついているはずだ。苦しむはずだ。お前は、彼女を捨てるのか?」
「そんな事しません!」
「それなら、受け入れる気持ちをちゃんと作っておくといい。彼女も、彼女のお腹の子もちゃんと愛せるように。それが、お前の願いなんだろ?」
「それは……そう、なんですが」

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「私は彼女を、愛していたのでしょうか」
「レーティス?」
「家族のような感じだったんです。幼馴染みから、婚約者になり。異性として意識し始めて、恥ずかしさに手を繋ぐのにも互いに照れて……別れの間際に交わしたキスも、触れるだけ。大切で、好きでしたが愛しているなんて生々しい言葉は当てはまらないように思えて……戸惑ってしまいます」
「では、彼女が戻ってきてもお前は彼女との婚約を破棄したままか?」
「……彼女が望んでくれるなら、婚約を戻して結婚したい。それで、彼女に笑顔が戻るなら私にとっても幸せです。失った時間がゆっくりでも、戻ってきてくれるなら」

 だがこの考えも、良いのか悪いのか判断がつかない。ボランティアだ。偽善だと言われてしまえば、否定しきれるのか? 綺麗になった妹のような幼馴染みの幸せを願うけれど、レーティスの判断が果たして彼女の幸せなのか。単に、救えなかった過去の自分を埋め合わせる為だけなんじゃないか?

「もう、分からないんです。自分の事も、彼女の事も……私は……」

 頭の中はグチャグチャで、その大半は言い訳のようで、偽善的に思えて、純粋な思いはどこに行ったのかと疑ってしまう。もう、自分が信じられなくなっている。
 そんなレーティスを労るように、オーギュストは側にいる。温かく確かに抱きしめて、まるで「それでいいんだ」と言わんばかりに穏やかにしてくれる。

「まずは、取りもどそう。そこからだ。顔を合わせて、話して、それからだって構わない。救い出してやる事が、第一だ」
「そう、ですが……」
「自分の中で答えを探すな、レーティス。見つかるものじゃない。それと、自分を責めるな。お前の心を守るのは、お前自身なんだぞ」
「オーギュストさん」
「大丈夫だ、側にいる」

 何故だろう。自分の事も未来も不透明で不安なのに、彼の言葉はすんなりと入ってくる。そして、心を穏やかにしていく。
 厚い胸板に体を預けたレーティスは、そのまま思考を止めてオーギュストの動きに身を委ねていった。


▼ナルサッハ

 ガザール・タルの戦いの翌朝、王都コルリス・カステッルムに舞い戻ったベリアンスを、キルヒアイスは酷くなじり、苛立ちのまま足蹴にしている。
 そんな事をして何になるのか。むしろ彼は十分に事を行った。既に出がらしの茶葉のようにこの国に力はない。こうなったのは己の無能さだと、この王が気付くのはいつの事になるのだろう。
 いや、気付く王ならば傀儡に選んでもいないか。この憎い国を滅茶苦茶にしてくれる無能で傲慢な人間を、ナルサッハは選んだつもりだ。

 それにしても、ラン・カレイユにまで手を回していたのは予想外だった。ナルサッハも目覚ましい帝国軍の進軍に気を取られてしまっていたのだ。結果、捕虜として使っていた駒を取られてしまった。
 ただ一つ安堵出来るとすれば、あの姫に預けたウルズの事だ。ケユクスはあの日の流れ星だろうから、もうすぐ会えるだろう。ただ、まだ幼すぎるウルズに関してはどうしても死んで欲しくはなかった。
 幼い日の妹に似ている。努力家で、明るくて、ちょっとお茶目な部分は姉だろうか。まだ十歳を過ぎたくらい。命を落とすには、あまりに酷だ。
 だからこそイシュクイナの所に残した。彼女は女性に対して寛大で、世話好き。幼いウルズを妹のように可愛がっていると、バルンからの手紙にもあった。きっと、助命嘆願くらいはしてくれるだろう。

 バルンにも、あまり死んで欲しくない。あれは最近ようやく目に光が戻ってきた。最初など、何を理由に生きているのかという目をしていた。まるで、自分のようだった。
 だからこそ拾って育てたのだろう。この目にもう一度、輝きが戻るのか。まるで実験のようだった。
 あの子の心に何かしら宿るなら、それは嬉しい事だ。かつてこの心が主によって救われたのと同じように、この醜く爛れた手でも何かをすくい上げる事が出来たのだという証明になる。

 ケユクスにも、本当は生きてもらいたかった。だからこそ離したのに、律儀に忠義など守ったのだろう。そういう部分があるから、案じていたというのに。

 この命に、誰かが何かを捧げる必要なんてない。醜いのだから、罵ればいい。同情も、憐れみもいらない。「化け物」という言葉が、いっそ心地よくすらある。
 だから奪い、踏みつけ、裏切り、貶してきた。誰しもがこの身を醜いと言う。それこそが自分だと、ナルサッハは断言できる。
 そうして思うのだ。この痛みは全て、お前達が私に与えた痛みだと。

「この、無能が! 王都に帝国が雪崩れ込んでくるではないか!!」

 未だに苛立ちのままベリアンスを蹴りつけているキルヒアイスの、なんと醜悪な事か。顔はそれなりに整ってはいるが、心がこれほど醜ければ誰も側には寄らない。この男を見ると多少癒やされる。同類を見るような安堵感だろう。

「あの女を連れてこい!」

 側に控えていた兵士に命じた途端、無抵抗だったベリアンスは目を見開いてキルヒアイスの足にしがみつく。
 この男は、ここまで屈辱を与えて、苦痛を与えて、今も生き地獄だろうに大事な部分を守っている。たった一点の美しさと誇りを持っている。
 それを挫いた時、同じ目線で話ができるかと期待したが……無理なのだろう。きっと、誇りの為に死ねるのだ。魂が強いのだ。

 やがて兵士の命令でセシリアが連れてこられる。妊娠三ヶ月、丁度一番体が辛い時期だが、この男がそんな事を気にする様子はない。
 悪阻と最低限の食事とで体重はすっかり落ち、かつての美しさは枯れてきてしまったセシリアは最近瞳も虚ろになりつつある。何度も自殺未遂を繰り返したが、既にその力もなくなろうとしている。
 もしもこのまま順調に子が育っても、無事には産まれてこないだろう。

 この姿を見ると、妹や姉、そして母もこんなだったのかと思う。胸が痛まないではない。だが同時に、これが人間の醜さだとも思う。ラン・カレイユのクソ野郎どもはこんな家族に薬を打ち、最後には快楽しか分からないモノにしたのだ。

「セシリア!」
「兄様……」

 弱々しいが、セシリアは声を上げた。瞳に光が多少戻って、兄の有様に泣きそうな顔をしている。
 美しい兄弟愛だ。醜い世界を見てきたが、美しいものもまたある。どれだけ踏みつけようとも穢されないものはある。だからこそ貴重だ。そうしたものだけで出来た世界は、どれだけ優しいのだろう。

 だがキルヒアイスは苛立たしく剣を抜き、あろうことかセシリアへと向き直った。

「な!」
「陛下おやめを!!」

 何をするこの外道。よりにもよって、己の子を宿す女性に剣を向けるのか!

 また、心の中にドロドロとした淀みが生まれる。せっかく美しいものがあるのに、壊そうというのか!

「無能め。しくじればどうなるか、何度も忠告はしたぞ!」

 振り下ろされる剣を、セシリアは凝視している。その目に、どこか安堵も見えた。
 あぁ、彼女も望んだのか、己の死を。それほどに嫌だったか。殺されるほうがいいと思える程に、己の命よりも貞淑を守りたいのか。

 ナルサッハは剣を手にして前に進み出た。だがそれよりも早く、這いつくばっていたベリアンスが地を蹴り、剣が振り下ろされるよりも前にセシリアを抱き包んだ。

「っ!」
「兄様! 兄様ぁ!!」

 倒れ込むベリアンスを受け止めるセシリアが、狂った様に悲鳴を上げる。つんざくような声は慟哭だ。流す涙は、悲しみなのか、憎しみなのか。

 まったく、三流もいいところだ。こんなもの、後は壊れるだけだ。

「陛下、残念ながら御身は既に破滅ですよ」
「なに?」

 興奮したように荒く息を吐くキルヒアイスに、ナルサッハは伝えた。とても静かに、張り付いた冷酷な笑みを浮かべて。

「陛下が今斬ったのは、ベリアンスではありません。貴方は己の右腕を、己の手で切り捨てたのです」
「どういうことだ!」
「その男が妹の為、命をかけて前に立っていたからこそ貴方は今までここで胡座をかいていられた。その男がいなければ、貴方は己を守る事もままならない」
「侮辱するな!」
「事実でございます。それとも、貴方が軍神を抑えるので?」

 問えば、キルヒアイスもようやく己のしでかした事を悟ったのだろう。痛みに呻き、汗を流すベリアンスを見てオロオロとしている。

「どうにか……どうにかしろナルサッハ!」
「どうにかと、言われましても。まぁ、セシリア嬢に手をだし、あまつさえ子種を注いだ時点で崩壊は目の前でしたが」
「どうしてそう言わなかった!」
「人質がどういうものかくらい、お分かりかと思っておりましたもので。だからこそ、私は同意した女性達を貴方に宛がったのですよ? それなのに勝手に、あちこちから女性を攫っては囲ったのも貴方。そのせいで、地方の協力も得られなくなってしまった。好色が己を滅ぼした、とでも思ってください」
「貴様!!」

 怒り任せの剣がナルサッハへと振り下ろされる。それを、避けるつもりはない。頭巾が斬れ、剣が下の仮面に当たった。

「貴方は己の手で頭まで切り落とすのですか?」
「っ!!」

 衝撃で仮面が飛び、醜い素顔が晒される。焼けただれて痛む部分が外気に晒されている。僅かに額がきれたのか、濡れた感触があった。

 あぁ、笑ってしまう。今更これを恐れるのか。こんなにしたのはこの国だ。あの人の前に立つ事すらもできない化け物にしたのは、お前達ジェームダルだろうに。

 微笑んで、ナルサッハは前に出た。ようやく己の愚かさを知ったキルヒアイスの絶望を見ようと、手に触れた。

『諦めない。まだ、何か……死んでたまるか』

 心の声がよく聞こえる。この男は昔からダダ漏れだったな。アルブレヒトはこの能力を知らなくても、とても穏やかで温かな心をしていたのに。

「選択ですよ、陛下。王都を捨てて逃げ延びるか、玉座にしがみつくか」

 さぁ、どうする。張りぼての王よ、最後のプライドを見せるか、それとも醜く逃げるのか。

 多少は期待した。王族というプライドをどこかで期待した。
 だが、キルヒアイスの選択は実に素早かった。ベリアンスを抱きしめるセシリアの腕を捻りあげるようにして掴むと立たせ、さっさと奥院へと逃げていく。だが既に、兵は誰もキルヒアイスに付いていこうとはしなかった。

「やれやれ、責任からも逃れようということですか。多少長らえるだけだというのに」

 ある意味予想通りの事にナルサッハは笑い、そして未だに血を流しているベリアンスに近づいて、傷に触れた。

 深さは中程度。服の中に着ていた防具があって、命拾いしたのだろう。革の防具がバッサリと切れて、肉が切れている。

「エトリム」
「はい、ここに」

 控えていた老執事に、ナルサッハは声をかけた。
 畏まって出てきた彼に、ナルサッハは最後の指示を出した。

「彼の治療を、すぐに。このまま長く放置すれば死んでしまうか、左腕が動かなくなるでしょう。助けなさい。それと、帝国とアルブレヒト様が城に攻め入ったのなら、開城を」
「貴方様は?」

 気遣わしい声に、ナルサッハは苦笑する。この老人の優しさを、最後に見た気がした。

「地獄へも供が必要でしょう。それに、私は納得できる終わりが欲しいだけ。アルブレヒト様がいらしたら、伝えて下さい。第二の王都で、お待ち申し上げますと」
「……畏まりました」
「……お前も、もう楽になっていい。私のこの傷は、お前のせいではないのだから」

 そしてこの心の爛れも、痛みも、責任を負える者はもうこの世にない。ただ望むのは、死という救済のみ。
 まぁ、最後の悪あがきもセッティングが済んでいる。それが実るか実らないかを知る時間はないかもしれないが、それもいいだろう。全ては、単なる気晴らしなのだろうから。
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