恋愛騎士物語2~愛しい騎士の隣にいる為~

凪瀬夜霧

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5章:締めは楽しく恥ずかしく

おまけ2:君の為に、道は開く

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 僕の世界はいつも同じ景色しかない。ベッドと、見慣れた家具、特定の人の顔だけがある。十一年、こんな感じで広がらない。

「ケホッ」

 こみ上げるような咳が一つ出て嫌になる。この咳が、この弱い体が僕の全てを壊していく。生まれつき体が弱くて、何度も発作を起こした。もう何度も「危ない」という両親の声を聞いた。
 だから、この部屋が僕の閉じた世界。体力を付ける為に屋敷の中を歩くのが僕の楽しみ。外の世界は憧れでしかない。
 起こしていた体を布団に預けて、僕は目を閉じた。情けない。兄は寄宿学校に通っていて、僕だってそういう年齢のはずなのに、家庭教師がついて。

 外で遊びたい。仲間って、どんなもの? 走るのは楽しいの?

 そんな思いばかりが、僕をずっと苛んでいる。


 眠ってしまったらしい僕には窓から差す赤い光が痛かった。瞬いて、ふと視線を感じて驚いてそちらを見て、固まった。
 金色の髪に、大きな青い目をくりくりとさせた子が僕を見ている。とても愛らしい顔で、僕を見て驚いて、でも嬉しそうににぱっと笑った。

「おはよう、にぃた」
「おは、よう」

 思わず出て、兄と呼ばれて、僕は目をパチクリとさせた。そして、思いだした。僕には八つ離れた弟がいる。今は丁度三歳くらい、目の前の子とピッタリ合いそうな感じだ。
 顔を知らないのは、僕がまだその子に会っていないから。体調が安定しない僕はこの部屋からほとんど出られない。

「ランバート?」
「うん!」

 恐る恐る名を呼んでみたら、嬉しそうに笑う。柔らかそうなその子は、まだフワフワの手に花を握っていた。

「それは、花?」
「うん! はい、にぃた!」

 綺麗な手に数本の花を持って、それを僕に差し出してくる。僕はそれを受け取った。生花に触れるのなんて何年ぶりだろう。柔らかく、まだ香りがしそうだ。

「あのね、おみやげ」
「お土産?」

 同じ屋敷にいるのに? お見舞いって言いたいのかな?

「お見舞いじゃないの?」
「ううん、おみやげ。おそとからのおみやげ」

 なんだか不思議な事を言う。けれどとても嬉しそうだし、僕も嬉しいからいいや。

「にぃた、くるしい?」
「苦しくないよ」
「あのね、にぃたとたくさんおはなしするとね、にぃたくるしくなるからダメっていわれたの」

 あぁ、やっぱりそういう事なんだ。思ったら、そっちの方が苦しい。
 思わず服の前を握ってしまう。そうすると、青い瞳が苦しそうにふにゃりと歪んだ。

「くるしい?」
「うん、平気。ランバート、手握ってもいい?」
「いいよ!」

 パッと目を輝かせたランバートが、まだ短い手を伸ばして触れる。握る手がとても温かかった。

「温かくて、気持ちがいいね」
「うん!」
「……また、きてくれる?」
「いいの?」
「勿論」
「うん、くるね!」

 歌でも歌いそうな嬉しそうな笑みでずっと僕の手を握ってくれるランバートとの約束が、それから僕の毎日の楽しみになった。

◆◇◆

 ランバートは毎日、花を持って僕の所にくる。庭の花が咲いた、家でこんな事があった。そんな他愛ない話をする。
 でもその話の中には圧倒的に両親の話が足りない。兄は仕方がないと思う。寄宿学校で、週末くらいしか帰ってこないから。それでも帰ってきたら遊んでくれるらしく、ランバートは「アレクにぃたすき」と言う。
 父は忙しいんだろう。表の仕事に、裏の仕事。両方を行っているから家にいないのがもう当たり前くらいの人になった。母もそれなりに忙しい。社交界に出て、サロンに通い、人脈を途絶えさせないようにしている。
 でもそれは子供のランバートには寂しくないんだろうか。家にいる時間も体の弱い僕を母は案じて側にいる。父はアレク兄上を大事にしている。次の当主になるための教育をしている。だからランバートは、一人になる。

「にぃた、どうしたの?」
「ランバート、寂しい?」

 思わず聞いてしまった。そうしたら青いクリクリの目が分からなそうにしていて、首を横に振った。

「みんな、やさしいよ?」
「みんな?」
「じいやもね、メイドのリアナもね、にわしのオットーもね、やさしいよ」

 いや、それは屋敷のスタッフだし。僕が言いたいのは。
 思って、止めた。ランバートはそうやって寂しいを埋めているのかもしれない。それを分かってて、屋敷の人は温かく見守っている。自由に、のびのびとしているランバートからは悲しさや寂しさを感じない。

「こんどね、コックのロッソがりょーりおしえてくれるって。オットーもね、おえかきじょうず。きれいなの」
「そっか」
「リアナがね、ごほんよんでくれるよ」
「そうだね」
「にぃた、いたいの? くるしい? おいしゃさん、いる?」

 小さな手が僕の頬に触れて、濡れた部分をなぞっていく。僕はとても申し訳なかった。小さなランバートに向くはずの母の愛情は、弱い僕に向かっている。甘えたい年ごとのランバートが甘えられないのは、僕がこんなだからだ。

「ランバート、おいで」

 首を傾げながら、ランバートはそろそろとベッドに上がってくる。その小さな体を、僕は抱きしめた。

「ごめんね」
「? どしたの、にぃた?」
「ううん」

 一緒に遊んであげたい。どうしたら、それが出来るんだろう。僕はこの日から、真剣に考え始めていた。

◆◇◆

 ランバートはお花と一緒に絵を持ってくるようになった。拙いながらも上手いと思う。線はふにゃりと曲がっているけれど、どんな花を描いたのか、動物を描いたのかは分かるんだ。

「あのね、オットーがおしえてくれたの」
「そうか」

 庭師のオットーは、確か植物学や昆虫学を得意としている。彼らにとって素描の正確さは必要スキルだ。そのオットーがランバートに絵を教えている。それならきっと、ランバートはもっと上手くなるだろう。

「これは蝶だね」
「うん! きれいだったよ」
「バラも咲いたんだ」
「そうだよ!」

 数枚の絵を見ながら話すのが僕の楽しみ。花瓶には赤と黄色のバラが差してある。
 僕の世界に地に植わった植物はない。空を飛ぶ蝶も、草を食む馬もいない。でも少しだけ、ランバートの描く絵が僕の世界を擬似的に広げてくれる気がした。

「ランバート、甘い匂いがするね」

 金の髪を梳くと、僅かに甘い匂いがする。砂糖や、小麦粉の匂い。

「ロッソがね、おかしやいたの。ぼくもね、まぜまぜしたんだよ」

 料理人のロッソは無骨だが面倒見がいい。ランバートに料理を教えると言っていたのは本当だったんだ。

「楽しかったかい?」
「うん!」

 よしよしと頭を撫でると嬉しそうに目を細めて笑うランバートを、僕はとても楽しく見ている。

「僕も、一緒にやりたいな」

 呟いて、辛くなる。でも最近は少しだけ頑張っている。薬も嫌がらずに飲むし、苦手な物も一口は頑張って食べる。屋敷の中を少し長く歩けるようになった。

「にぃた?」
「何でもないよ」

 僕が元気になったら、ランバートと遊んであげよう。そう思えば頑張れた。

◆◇◆

 ランバートが遊びにきてくれるようになって二ヶ月。僕は久しぶりに具合が悪かった。

「ケホ、ケホッ」

 咳が止まらなくて苦しい。もう少しでランバートが遊びにきてくれるのに、これじゃ遊べない。

「ゲホッ」

 前を握って、荒く浅く息が続かない。胸の奥でヒュッという音がする。嫌な音だ。
 コンコンと音がする。そしてカチャという小さな音がして、腕を一杯に伸ばしたランバートが僕の部屋に入ってくる。

「にぃた?」

 声をかけよう。思ったのに、酷く咳き込んで苦しくてできなかった。

「にぃた! にぃた!」

 側に来て、手を握ったランバートの目から沢山の涙が溢れてる。起き上がるのも辛くて、声が上手く出なくて、僕はそのまま眠ってしまった。


 暗くなってから、僕は目が覚めた。見上げたそこに執事のハリスンがいて、僕に気づいてにこやかに笑った。

「大丈夫ですかな、ハムレット坊ちゃま」
「ハリスン」

 声が出る。もう、苦しくない。動こうとして、手をぎゅっと握られているのに気づいた。見ればランバートが僕の手をずっと握って眠っていた。

「ランバート?」
「どうしてもここにいると、きかなかったもので」

 泣いたんだろう痕が見えて、途端に苦しくなった。心配をさせたんだ、とても。

「ねぇ、ハリスン」
「なんでしょうか?」
「ランバートは、楽しそうにしてる?」

 聞いてみた。僕はずっと気にしていた。ランバートは普段、どんな生活をしているの? 寂しそうにしてる?
 ハリスンは穏やかに笑って頷いた。

「楽しそうですよ、特に最近は」
「最近は?」
「ハムレット坊ちゃまに絵を見せたいと言って、オットーに絵を習っています。一時間程度ですけれどね。ロッソにも料理を、簡単な手伝いをして喜んでいます。この間奥様のサロンでピアノの演奏を聴いて喜んで、執事見習いのトニーが教えています」
「そんなにかい?」
「夜には本をねだるので、メイド達が代わる代わる読み聞かせていますよ」
「勉強じゃないの?」
「こちらは手習いと思っておりますが、ランバート坊ちゃまは遊びの延長のようですな。楽しいのか、毎日欠かさないのです。貴方も喜んでくれるからと、嬉しそうにしていますよ」
「……そっか」

 嬉しくて、楽しい。ランバートの周りは、そんなものでキラキラしている。だからこそ、きっとみんなも嫌がらずに教えているんだ。

「ハリスン」
「はい」
「僕の体を治す方法があるなら、何でも試す。新しい薬でも、治療法でも、手術でも」
「坊ちゃま」

 ハリスンは驚いたように眉を上げる。でも、僕は思うんだ。僕もランバートの為に何かしたいって。

◆◇◆

 僕の体調が戻ったら、ランバートはまた遊びにくるようになった。絵は、日に日に上手になる。綺麗な素描は三歳児にしては立派なものだ。

「にぃた、ごほんよんであげるね」
「え?」

 小さな絵本を持ったランバートが僕の布団の上に上がって、上体を起こしている僕の股の間に座る。そして得意満面に、小さな子の読む絵本を広げた。

「むかしむかし、あるところに、としをとって、にもつをはこべなくなったロバがいました」

 最初のページを開いたまま、ランバートは舌足らずな様子で絵本を読む。でも、文字が読めるわけじゃないと直ぐに分かった。話はどんどん進んでいくのに、ページは進んでいない。耳が覚えているんだ。
 ランバートはきっと素直で頭がいい。聞いた事、見た事、教えられる事を素直に受け取って真似をする。器用だし、何よりもそれを楽しんでいるから出来てしまう。そういう才能がある。

 それなら僕にも、やれる事があるかもしれない。

 読み終わったランバートに拍手して、頭を撫でてお礼を言って、僕は絵本の最初を差す。

「むかしむかし、あるところに、年を取って荷物を運べなくなったロバがいました」

 単語を一つずつ指でなぞるようにして読めば、ランバートはそれを食い入るように見ている。指を差して、「ロバ?」と聞けばそれに頷き、言葉と文字とを重ね合わせるように時間をかけて読んでいく。五分もあれば読み終わる絵本を、僕は一時間以上もかけて読んでいった。
 それから、僕は毎日ランバートに絵本を読んでいる。一つずつの文字をなぞって、音で聞かせて、目で追わせて。やっぱりランバートは理解力がある。丁寧の教えた事をちゃんと吸収している。

「あのね、にぃた」
「なに?」

 絵本を読んだあと、ランバートは振り返りながら僕を見上げる。それに笑いかけると、ランバートは意外と真剣な顔で言った。

「ぼくね、おいしゃさんになるね」
「え? どうして?」
「おいしゃさんになったらね、にぃたのびょうきなおせるよ」

 言われて、ドキッとして、次には切ない喜びが広がった。本当に真剣に言ってくれるから、嬉しかった。

「ぼくがにぃたのびょうきやっつけるね!」

 僕はたまらなくて、ランバートを抱きしめていた。そして一つ決めた。病気を治して、僕が医者になる。大きくなったときに、ランバートを助けてあげられるように。

◆◇◆

 今、目の前には拙い絵がある。小さな頃、ランバートが描いてくれた絵が。
 あの後、新しい薬が僕の体には合って、病気はすっかり良くなった。同時に体力作りもして、今じゃもう何の影響もない。そして僕は本当に医者になった。
 一つ誤算があるとしたら、小さなままにランバートを溺愛したら嫌われてしまったこと。ランバートも大人になるんだって事を失念してしまい、そして今も知らんぷりをしている。

「あっ、こらニア! ダメだよ、それは僕の宝物なんだから」

 騎士団から引き取った子猫のニアは、まだ甘えたいやんちゃ盛り。今も小さな手で絵の中の蝶をペシペシしている。なんだか微笑ましかった。
 ランバートは騎士団に入った。離れるのは寂しいけれど、でも一つ僕は賢い選択をした。医者になってよかった。ランバートが騎士団にいるなら、医者の僕が何か役に立てることもある。彼を助けてあげられることもある。そう信じている。
 ニアを抱き上げ、僕は絵を丁寧にしまった。これは、小さな時の僕の大切な宝物だから。
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