恋愛騎士物語2~愛しい騎士の隣にいる為~

凪瀬夜霧

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13章:冬に咲く芸術の花

3話:少年は夢を見る

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 翌朝、時計は九時を回っていた。

「腰いてぇ……」

 流石に腰が重怠く、激しく攻められた部分に違和感があった。だが、久々に満たされている。知らぬ間に枯渇していたのかもしれない。
 結局二度ほど達し落ちた。気づいたのが今だ。過去にはもっととんでもない事もしただろうに、その時はまったくもって平気だった。それなのに、ファウストが相手だと三度目まで色々ともたない。

 それでも今日はやりたい事が……今日でなければならない事がある。九時ならまだ平気だ。

 起き上がって汗を拭って着替えていると、きっちりと着替えたファウストが食事を持って部屋に入ってきた。

「起きたのか」
「んっ、おはよう」
「あぁ、おはよう。平気か?」
「まぁ、なんとかね」

 苦笑して言えば、申し訳なさそうに笑うファウストが食事のトレーをテーブルに置く。そして、互いに当然のようにキスをした。

「今日はどうする?」
「ミックだっけ。あの子にまず会いに行きたい」
「自警団詰所だな。俺もあの後が気になっているから、行くつもりだ」

 とりあえずは一緒にいられる。それに安堵すると同時に、デートはしたいと欲張りに思う。いい方法を考えなければ。
 何にしても腹ごしらえ。温かなスープとサラダと焼きたてのパンを食べ、ランバートとファウストは自警団詰め所へと向かった。


 詰所はどこか忙しそうに人が動いていた。そこへと入っていったランバートとファウストに、ウォルシュが気づいて近づいてくる。そして、ニッと笑った。

「何かあったのか?」
「馬車の番号から実行犯を捕縛しましてね。昨夜は大忙しでしたよ」
「本当か!」

 ファウストも嬉しそうに顔をほころばせる。そして、ランバートと視線を合わせた。

「盗まれた物は見つかりましたか?」
「いや、それは……」

 ウォルシュの返答が詰まる。それだけで、どこかで「やはり」という気持ちが深く影を落とした。

「燃やしたとか、捨てたんじゃないらしい。あいつらは盗んで、指定された場所に置くだけだったそうだ。今、依頼主を吐かせているところです」

 不幸中の幸い……とは言えないか。これを仕組んだのはロナードの周辺、もしくは彼のパトロンなのだろう。金ズルを現在手放した状態だ、奪い取ってでも欲したに違いない。

「ミックは?」
「奥にいる。よかったら話し相手になってやってくれ。落ち込んでいてな」
「俺はウォルシュと一緒に聴取に少し参加する。一人で動くなよ」
「分かってる」

 頭を一つ撫でて、ファウストはウォルシュと一緒に中へと入っていく。おそらく、無言の圧力が取調室全体にかかるのだろう。ご愁傷様だ。
 ランバートはミックのいるだろう奥の部屋へと向かう。扉の向こうには、項垂れたままのミックが力なく座っていた。

「ミック」

 声をかければ彼は顔を上げて、心ばかりの笑みを見せる。弱々しいその様子が逆に痛い。
 ランバートはそっと近づいて、隣に座った。

「自己紹介が遅れた。俺はランバート、王都で騎士をしている。昨日一緒にいたのは同じく騎士で、ファウストだ」
「ミックです。昨日は助けていただき、有り難うございます」

 律儀に頭を下げるミックの顔色は昨日よりはいい。相変わらず痩せているが、顔に赤みが差している。

「大丈夫か?」

 問えば、表情が沈む。それでも自嘲気味に笑う辺りが痛々しい。

「分かっていた事ですので。それに、皆さんよくしてくださいます」
「絵の事……」
「……運がないんです、僕」

 その一言ですませてしまおうとするミックは、そういう事で自分を納得させようとしている。そんなふうに見える。
 負けないで欲しい。けれど、自警団がここまでやっているなら、あまり首を突っ込みすぎるのも考えてしまう。
 それなら何が出来るか。考えていたら、ミックは目に薄ら涙を浮かべて、緩く笑った。

「上手くいかないんですね。僕はただ、絵が好きです。沢山の人に見てもらいたいんです。高価な絵じゃなくて、もっと粗雑でいいから、誰かの特別になれる絵であればよかったんです」
「ミック……」

 気持ちが分かる気がする。ランバートだって、絵を描いた理由はそうだ。病弱なハムレット兄の為に描いたんだ。
 助けてあげたい。ランバートは筆を折ってしまった。嫌な思いをしてまで続ける理由もなく、それでも生きていけた。
 でもこの子は違う。この子にとって絵は、もがいてでも続けて行きたい唯一に違いない。そうでなければ今も、泣きながら笑って、絵を描いたりはしない。
 手を握り、ランバートは笑う。濡れた頬を手で拭って、頷いた。

「これから俺と、絵を描きに行かないか?」
「え?」
「写生や、素描。スケッチブックに鉛筆持って、好きなように描きに行こう。俺も描きたいんだ」

 昨日、少し楽しかった。やっぱり好きだと思えた。単純に、無邪気に、金銭なんて関係なく描きたいものを描く。それを見て、誰かが喜んでくれる。それがとても楽しかった。
 その時、ファウストが戻って来た。ランバートはファウストに向き直り、頷いた。

「捕らえた奴が吐いた。依頼者はとある画廊の主人だった」
「ファウストは?」
「俺は遠慮した。今は休暇中だし、俺が出なくても任せられる」

 任せるべき所は任せる。ファウストも苦手なのに、それが出来る。努力している。ランバートもそれを手本にしていきたい。
 でも今は、手を出さなければこの若い才能は枯れてしまいそうだ。
 それにランバートには少し考えが浮かんでいた。荒っぽい事ではなくて、楽しい事。

「それじゃあ、ファウストも一緒に行こう」
「どこにだ?」
「勿論、絵を描きにだよ」

 そう言って、ランバートはファウストとミックを連れて一路画材店へと向かった。


 画材店でスケッチブックを三冊と、鉛筆を買った。それをミック、俺、そしてファウストにも一セット押しつけた。

「え?」
「ファウストも一緒に描こう」
「いや、俺は!」
「大丈夫、何でもやってみるのが大事」

 単純に見てみたいというのがある。


 そうして向かったのは一般開放されている美術館併設の庭園だった。
 雪化粧された庭園には花はないが、アーチに積もる雪や樹木を覆う雪。それらが陽光を浴びてキラキラと輝く様は美しいものがある。
 三人並んで座って、噴水のある小さな円形庭園をスケッチした。春から秋、ここはバラに囲まれた美しい場所となるそうだ。
 その様子を想像しながら、ランバートは描き進めていく。バラの花が咲き誇る、冬の庭園。今ではない想像の世界を落とし込んでいく。

「ランバートさん、お上手ですね」

 隣でミックがランバートのスケッチを見て目を輝かせている。
 そういうミックの絵を見て、ランバートは言葉を飲んだ。

 とても、美しく儚く幻想的だった。
 確かに背景はこの庭園だ。だがそこに寄り添うのは美しい乙女と、一頭のユニコーン。周囲は澄み切った清廉さが伝わるようだった。

 写実ではない、虚構の世界。だが、間違いなく美しい透明感と神秘性に溢れた世界。この才能が、今まさに潰されようとしている。

 何とかならないのか。何か方法はないのか。必死に考えて、ふととある可能性にいきついた。

「ミック、ロナードは毎年このコンクールに出品しているか?」
「え? あぁ、うん」

 でも、昨日の段階ではその名を見てはいない。そして絵は処分されていない。ならば可能性は一つだ。

「ミック、素描コンクールに出よう!」
「え?」
「そこで、今回ミックが描いた絵を描くんだ! 寸分違わず描けるだろ?」
「うん」
「ランバート?」

 肩を落とすミックの腕を引き、戸惑うようなファウストにも視線を向ける。それだけでファウストは理解出来ないまでもついてきてくれる。
 戸惑うミックを引っ張って美術館の中を巡り、まだロナードがここに絵を持ち込んでいない事を確かめてから、ランバートは素描コンクールへとミックを連れていって無理矢理に持たせた。
 そして、ミックは唇を噛みながらも絵を仕上げていく。

「どうしたんだ、強引に」
「ロナードはここに、奪ったミックの絵を出展すると思う」
「え?」

 ミックには聞こえないように、ランバートはそう伝えた。画廊が協力したのもこれを狙ったんだろう。もしも賞でも取れば、その絵は高値がつく。それでも欲しがる人間はいるだろうと。
 だが、それと同じ構図、同じタッチの絵が素描コンクールに出展され、人の目に触れればどうなる。少なくとも美術関係者は両者を疑う。ミックをわざと受付の側に座らせて描かせているのはその為だ。真似たのではない、ミックが描いているのだと受付の人間が証明できるように。
 疑問に思わせるには、ロナードが出展するよりも早く素描を出さなければならない。時間の問題だが、ミックなら描けるだろうと思っている。

「ロナードの絵が、先に出展されたミックの素描に色を付けたものであれば、誰もが疑念を抱く。師の絵を真似たのではないと、今受付にいる人物も証明できる。それに例え真似たのだとしても、うり二つにはならない。でも、出展される二作は」
「間違いなく、同じタッチだ」
「これを放置するなら、ここの美術は落ちる一方。ここに留まる理由なんてない」

 でも、正しい判断を下せる世界ならば……。

 時間にして十五分ほどで、ミックは絵を完成させた。それはとても美しい絵だった。湖の畔、月明かりが差し込むそこで、宙に身を置きながらも手を伸ばして触れる湖の精。そして同じように地上から手を伸ばす王子。悲しみと美しさと幻想が渾然一体となっている。
 色がついた状態で、これが見たかった。ランバートは素直にそう思ってしまった。

「よし、出してこよう。それが終わったら、美術館前の広場で面白い事をしないか?」
「面白い事?」
「似顔絵を描くんだよ。銅貨一枚で」
「え!」

 ミックは驚いたように目を丸くした。けれどこれも狙いがある。ミックの絵を多くの人に知らせるため。今はロナードの絵として知られてしまったミックの絵が、実は違うのだと証明するにはその場で描かせるしかない。だからその場で似顔絵を描き、人々に広く知らせるんだ。

「大丈夫、昨日みたいに怖い人なんて来ないよ。俺とファウストがいるんだから」

 隣を見れば穏やかに笑うファウストも頷いている。それを見て、ミックも少し恥ずかしそうにしながらも頷いた。


 美術館前は流石に人が多かった。その一角に腰を落ち着けたミックに先程のスケッチブックを渡したランバートは、通り過ぎる身なりのいい女性に声をかけた。

「すみません」
「あら、なんでしょうか?」
「実はあちらの少年、画家の卵でして。勉強と思い、似顔絵を描いているのです。鉛筆画ではありますが、なかなか上手なのですよ? お時間に余裕がありましたら、描かせてはいただけませんか?」

 女性は少し迷いながらも、恥ずかしそうにペコリと頭を下げたミックを見て笑みを浮かべた。

「いいでしょう。お題はいくら?」
「銅貨一枚」
「そんなに安くてよいの?」

 そう言って、少し考えた女性はにっこりと笑みを浮かべた。

「気に入ったら、もう少し出しましょう。それでは食事代にもなりませんし、ここは芸術の町。若い才能を育てるのも、この町の人間の役割ですわ」

 彼女は真っ直ぐにミックの元へと向かい、対面に用意した椅子に腰を下ろす。

「よろしく頼むわね、可愛い画家さん」

 楽しげな彼女の言葉に、ミックは真っ赤になりながらも頭を下げて、スケッチにペンを走らせ始めた。

 時間にして十五分程度。仕上がった絵を女性に見せると、線画とは思えないほどに整った女性の肖像画出来上がっていた。胸から上の顔立ちには彼女の凛とした笑みがあり、陰影が丁寧に付けられ、髪に一本にわたるまで描写されている。
 彼女も驚いたのだろう。それを見つめて目を丸くし、次には艶やかに笑った。

「素敵な絵だわ。貰ってもいいかしら?」
「はい、勿論!」
「では、お題はここに」

 そう言って彼女が置いて行ったのは銀貨二枚。スケッチに対する対価としては多すぎるものだ。

「あの、こんなには!」
「これは貴方の才能と、私の満足に対するお金ですわ。受け取るのよ」

 そう言って、嬉しそうに去って行く。
 受け取ったそれを見つめながら、ミックの表情も緩やかに輝き始めていた。


 夕方近くなるまで、そうして似顔絵を描きまくった。親子連れの家族、身なりのいい紳士、働く屈強な男達。ありとあらゆる人を描き、今日だけで数日分の食費くらいは稼いだ。

「今日は楽しかったです」

 自警団詰め所へと送っていくと、ミックは憑きものが落ちたようなスッキリとした顔をしていた。

「僕、やっぱり絵を描くのが好きです。嫌な事も、苦しい事もあって……本当はもう、描いてはいけないような気がしていました。でもやっぱり捨てられません。僕には、これしかないんです」
「それなら、その道があっているんだよ」

 伝えれば、ミックはにっこり笑って「はい」と返事をして、そのまま中へと入っていった。


 その足で、ランバートは再び美術館へと向かった。
 内部では張りつめた騒々しさが漂っている。人々が足を止め、美術館の学芸員もまた困惑している。
 とある一枚の絵画の前で、人々はヒソヒソと話し合っていた。
 湖を背景に、月光が注ぐ。透けるような透明感を持った乙女が恋慕に悲しむ瞳を向けて今にも消えてしまいそうな手を男へと伸ばし、男もまた別れの悲しみに表情を歪めて手を伸ばしている。

「やはり、色がついた方が美しい」

 日中の絵を見ていたファウストが、呟くようい口にする。それに、ランバートも頷いた。

 丁度その時、素描コンクールの受付をしていた男性が額縁に入った一枚の素描を持ってきて、隣に並べた。
 筆致も、構図も、纏う空気感すら同じ二枚の絵は、だが添えられた名が違う。素描は勿論ミックの名が書かれていた。だが、色のついた十号の絵に添えられた名はロナード。

「確かに素描の方が早く展示されたんだな?」
「間違いありません。あの少年がこれを描いていたのは私の目の前の椅子ですから、見ていました。時間もお昼前です」
「この絵が提出されたのは夕方だ。これは、どういうことなんだ……」

 分かっていてもおいそれとは口に出せない。困惑する美術館スタッフ達を尻目に、ランバートは美術館を後にした。
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