くさい話

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5.草谷薫々(くさたにくんくん)ストリートにて(4)

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 ここは、『東友前』駅のプラットフォーム・・・ではなく、激安スーパー『東友』の店外に設置してある自販機コーナー。

 修太朗は今、その自販機コーナーの奥に据えられているベンチに腰かけていた。
 『草谷』系銀河を旅する親子を無事、『東友前』駅のプラットフォームから見送った修太郎は、人気のないこの場所にやって来たのだ。
 これから行う大仕事は、決して人に見せるわけにはいかない。
 それは、自分が恥ずかしいからではない。
 他人に不快な思いをさせたくないだけである・・・。

 修太朗は、ボディバッグをベンチの上に置くと、中を探り始めた。

(たしか・・・ボディバッグの中に・・・。)

 アァ、あぁ、嗚呼・・・ウンのことだけに神ならぬ『紙』が、修太朗に救いの手を差し伸べてくれたようだった。
 修太朗は、ボディバッグからポケットティシュを二つ、除菌効果のあるシートを一つ取りだし、それらをベンチの上に並べた。


 二つのポケットティッシュは、先日、あるティッシュ配りの女性から渡されたものだった。いつもならば、ティッシュ配りの笑顔から視線を反らし、なるべく足早に歩き去る修太朗なのだが、その日はついうっかり、その女性のことをまじまじと見てしまったのである。

 ティッシュ配りの女性は、一目で熟女なりたてだとわかった。
 では、修太朗は、熟女の色香に惑わされたのだろうか?
 否、そうではない。

 修太朗の視線は、女性の目尻に浮きあがった出来立てほやほやの『しわ』に釘付けになっていた。そして、笑顔により鼻筋に浮き上がった『しわ』、口の端に浮き上がった『しわ』へと、その視線を動かしていく。
 なぜ、こんなに『しわ』が気になるのだろう・・・まったく、わからなかった。
 ただ、その女性の『しわ』を見ていると、なぜだろう、ぽかぽかと『しわわせ』な気持ちになるのだ。

 その女性は少なくとも、一般的な美人に分類される顔だちではなかった。可愛らしい顔だちかと言われるとそうでもない。何かもの足りなさを感じさせる顔だちだった。

 そう・・・女性の顔は、見れば見るほどに『魅』が染み出てくる、いわゆる『スルメ顔』であり、一瞥するだけでは、決してその本来の『魅』に気づくことはない。
 そして、目、鼻、口に出来た『しわ』により、他人を『しわわせ』な気持ちにすることができる、いわゆる『しわわせ』美人だったのだ。

「これをどうぞ・・・近日中にきっと役に立つでしょう。
 『小盛のウンちゃま』のお言葉ですわ。
 そう・・・あなたは・・・今日、これを受け取る宿ウンだったのです。」

 女性は、今までの笑顔を真顔に変えると、意味深に修太朗に言いながら、このポケットティッシュを二つ渡してきたのだ。
 修太朗は、『しわわせ』で頭がぽかぽかしながら、ポケットティッシュを受け取り、そのままボディバッグにしまった。
 そして、一言礼を言い、そそくさとその場を後にしたのだった。

(あの女性は・・・いったい、何者だったのだろうか?)

 修太朗は、あの日の出来事を思い出しながら、ポケットティッシュを手に取り、調べてみた。そのポケットティッシュには、スピリチュアル系の店と思われる『マダム運娘の館』の広告が差し込まれていた。

 その広告は、女性モデルとキャッチコピーから構成されており、女性モデルは『幸運の娘』というらしい。どうやら『マダム運娘の館』の店主のようだった。

 その『幸運の娘』の顔を見て、修太朗は「あれっ」と思った。
 見覚えのある顔だった・・・それは、あの『しわわせ』美人ことティッシュ配りの女性だったのだ。
 修太朗は、再び、ぽかぽかと『しわわせ』な気持ちになっていくのを感じた。

 広告の中の『幸運の娘』は、目尻のしわがよく見えるよう、あえて薄い色のサングラスをかけ、「ハッ」という掛け声とともに両手の指先を合わせ、三角形を形づくっている。
 そして、キャッチコピー『小盛のウンちゃまパワーです!』が、『幸運の娘』の口元から徐々に大きくなるように書かれている。
 どうやら、『幸運の娘』が形づくる『ピラミッド』ないし『ウン』から、幸ウンのパワーがこちらに向かって放出されている様を描いているようだった。

 それにしても・・・と、修太朗は思った。
 なぜ、『マダム幸運の娘の館』とせず、『マダム運娘の館』にしたのだろう。
 『娘』を『ムスメ』と読むのか、それとも『コ』と読むのか、この広告を見る者の品性を試しているのだろうか?


 さて、除菌効果のあるシートのほうだが、これは、昨日、馴染みのドラッグストアで購入したものである。
 お年頃の修太朗は、常にボディシートをボディバッグに入れ、スキンケアに余念がない。フェイスシートでも問題はないのだが、お得感からボディシートを愛用しているのである。

「ありっ・・・?」

 シートを手にした修太朗は、思わず奇声を発すると、しばらくの間、呆然としてしまった。シートの包装に書かれたキャッチコピーを見て、愕然としたのである。

 そこには『大切な人のおしりをきれいにしたい・・・』とあった。

(なんて・・・オレは『おちょこでぐびぐび』なんだ!)

 訳がわからない言葉で自分を責め、その言葉に一人ニヤリと笑うと、修太朗は、ボディシートならぬ『成人用おしりふき』を眺めた。

 なぜ・・・なぜ、今まで気づかなかったのだろうか?
 いつもの売り場に行き、ろくに確認もせず、買い物かごに入れたのがまずかったのだろう。もしかしたら、悪意ある誰かが、修太朗のことを罠にはめたのかもしれない。だが、今の修太朗の状況を考えれば、まさに渡りに舟といったところだ。

(結果オーライ、バックオーライ! 今のオレには、こっちの方が都合が良い。)

 またしても古くさい老害ギャグを一発かますと、修太朗はニヤリと笑った。

(さてと・・・準備は整った。大仕事にとりかかるか・・・。)

 修太朗は、現状確認のため、右足のスニーカーのかかと部分を眺めた。
 踏みつぶされたウンが、助けを求めるかのように外側にはみ出している。

 オレは、いつ、このウンを踏んだのだろう?
 あの時か・・・チャリロットの集団に道を譲る時、電柱のそばに寄った。
 あの時、電柱のそばにいたこのウンを踏んだのだろう。

 修太朗は、ベンチから立ち上がると、スニーカーの裏側を確認した。
 踏みつぶされたウンは、かかとの右外側後方に広がり、外側にはみ出している。
 元の大きさは推定三センチくらいの、小柄なウンと推測された。

 これは、ただのウン・・・不快な外見、不快なニオイを発するウンだ。
 多くの者がそれを見、その体臭を嗅ぐことに対し、不快感を露わにする嫌われものだ。

 そんなウンに、なぜか、修太朗は、憐憫の情を抱き始めていた。
 助けを求めるかのようにはみ出したウンは、修太朗に向かって、こう叫んでいるように思えたのである。

「吾輩を安息の地へと導き給え!」と。

 再びベンチに座った修太朗は、スニーカーからはみ出たこの不ウンなウンを見ながら思った。

 『一寸のウンにも五分の魂』・・・か。
 このウンだって、好きであんなところにいたわけではないのだ。
 きっと・・・なんらかの事情があり、あそこにいたのだ。
 そして・・・オレが・・・この・・・もしかしたら善ウンだったかもしれないウンを踏み殺してしまったのだ。

 その思いは、修太朗の頭の中の『文の虫』を刺激し、一つのマユを作らせた。
 そして、修太朗は、そのマユからこのウンを主人公にした掌編『名もなきものの落とし子の生涯』を紡ぎ始めたのである。

・・・・

 吾輩は『ウン』である。
 名前は、まだない。

 気がついた時、吾輩はここにいた。
 吾輩は、何ものかにより、ここに産み落とされたのであろう。

 だから、たった今、自らを名づけ、自らを慰めることにした。
 そう、『名もなきものの落とし子』と。

 ここがどこなのかはわからない。
 ただ、眼前には、黒々とした荒れ野が広がっている。
 
 周りを見渡そうとしたが、それは叶わなかった。
 吾輩には、手も足もなく、胴体もなかった。
 頭だけだったからである。

 吾輩の眼前では、異様な光景が繰り広げられていた。
 巨大な何かが、規則的に空から地面に落ちては、再び空へと浮かぶことを繰り返しているのだ。それは一つだけではない。多くの巨大な何かが、同じ動作を繰り返しているのだ。
 それらが落ちるたびに、「ずしん、ずしん」と地響きが起こり、吾輩を幾度となく揺さぶった。

 吾輩は、しばらくの間「もしかしたら押し潰されるかしらん」と、危惧しながら眺めていたが、それらがこちらに近寄ってくる気配は一切なかった。
 ほっと一安心した吾輩は、頭を使うこと以外は何もできない故、ただただ、思索にふけることにした。

 すなわち『何故、吾輩はここにあるのか?』と。

 さっきまで明るかったこの場所も、いつの間にか暗くなり、吾輩だけが暗闇に取り残された。吾輩は、孤独と恐怖を感じはしたが、睡魔を感じることは一切なく、思索を続けた。
 
 『何故、吾輩はここにあるのか?』と。

 やがて、日は昇り、再び、眼前では前日の喧騒が繰り広げられていた。
 そんな中でも、吾輩は相変わらず、思索を続けた。

 『何故、吾輩はここにあるのか・・・?』と。

 それは、そろそろ日が沈む頃だった。
 ついに、吾輩のちっぽけな脳髄が結論をはじき出したのである。
 吾輩は、勝利を宣言するかのように高らかに、声にならぬ声をあげた。

「何故、吾輩はここにあるのか?
 
 吾輩はここにある・・・それは事実だ。
 覆しようのない事実だ。

 吾輩はここにある・・・そして、眼前を見よ!
 吾輩の存在など気にせず、すべての事象は何事もなく繰り広げられている。
 つまり、吾輩は存在するが、吾輩以外にとってみれば、吾輩の存在など、どうでもいいことなのだ。

 そのような吾輩が、吾輩の存在理由を考えることなど『まさにどうでもいいこと』だったのだ!」

 これは、吾輩にとってほろ苦い結論だった。
 しかし、それでも吾輩の眼には、一条の真理の光が差し込み、これから吾輩の歩む道を照らし出してくれるかのように見えた。
 
 そんな吾輩を、凶悪なる黒い影が包み込んだ。
 今まで、吾輩のそばに一切落ちてこなかった巨大な何かが、突如、吾輩に向かって落ちてきたのである。

 逃げようにも足がない故、逃れる術はない。
 吾輩は、覚悟を決めるしかなかった。
 すなわち、死を受け入れる覚悟である。

 『ウン』の吾輩がすがりつけるものなど、あるはずもない・・・。
 しかし、それでも吾輩は、初めて声にならぬ叫びをもって救いを求めたのである。

「ああ、『紙』よ! 吾輩を・・・吾輩を安息の地へと導き給え!」

・・・・

 修太朗は、自ら紡ぎ出した掌編『名もなきものの落とし子の生涯』のあまりの結末のひどさに言葉を失い、目をそっとつむると、首を横に振り振りしながら、天を仰ぐのであった。
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