ベルガエ物語 いじけて結婚を拒んだ女司書は優しい騎士に護られ小粋な猫に連れられて美味しい旅をする。

滴酒巧

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第二十章

射撃

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 お昼の半刻前に昼食にする事にした。二人とも本当に空腹を感じだしたからだ。考えてみれば今日はまだ何も食べていない。
「あちらまで登りましょう」
 それが平民は普通だからかとナディは思っていたが違う。『銀泉亭』は宿屋であり、客である旅人達には、日常生活より腹が減るからと粗末ながらも朝食は提供している。騎士様が予告より一刻も早く出発したから部屋で提供出来なかっただけだ。
「登るのですね」
「見晴らしが良いですから」
 騎士様は街道脇の小山に進んでいる。高い所がお好きなのねとナディは黒馬アンティオに揺られながら思っている。周囲を警戒しての事だとは想像もしていない。
「ここらで」
 騎士様が選んだのは中腹の辺りだった。周囲に木々が繁っている中のちょっとした空間である。後ろにそこそこの木があり、その木陰がちょうど良い。ナディは騎士様の手を借りて馬から降りる。ラージャが音も立てずに続いた。
「あら、ラージャ」
 ナディが喜んで触ろうとするのをうるさそうにかわすラージャと言うほのぼのとした光景を見ながら、顔の布を下ろした騎士様が昼食の準備を始める。今日は『銀泉亭』に頼んでおいた肉詰めのパイと手持ちの食料である酢漬け鰊である。布を草の上に敷き皿も使って並べた。
「用意できました」
「ありがとうございます」
 二人で向かい合って草に腰を下ろして食べ始める。騎士様もわかったのだろう。食前のお祈りはまた省いた。
 味はまあまあだった。パイも大きく、鰊も一匹丸のままで食べでがある。特に酢漬けをそのまま調理もせずに食べるのはナディには初めてだったが、そこは恐れずに猫の様にがりがりと食べた。かなり酸っぱい。
「飲み物はこちらで」
 騎士様は『銀泉亭』から小ぶりの樽で麦酒ビールを購入していた。ナディに角杯を渡して注ぐ。ごくごく飲んだ。
「昨日より薄いような」
「喉が渇いた用です。昼間から生はいけません」
 水でしっかり割っているとの事である。まさに旅行の移動中であるから仕方ないだろう。
 あとナディの為に干し無花果もあった。珍しい。美味しく頂いた。
「ああ、美味しかった」
 食べ終えて飲み干してナディは草の上で伸びをする。木陰に下からの風もあって心地好い。少し離れた所で二頭の馬が草を食み、ラージャはナディの手の届かない辺りで騎士様が与えた干し肉を齧っている。
「では片付けましょう」
「ちょっと待って下さい」
 このまま終わらせようと立ち上がる騎士様のマントの裾をナディが掴んだ。
「約束があるでしょう?」
「何の事でしょう?」
 あ、目が泳いでいる。この人でもこんな顔をするんだ。
「拳銃ですよ。見せてくれるって約束したじゃないですか」
 ナディはマントを離さない。やれやれと騎士様は呟いて座り直した。案外、諦めはいい。
「ナディ殿が興味を持つような物ではありませんよ」
 まるで執事みたいな事を言う。
「撃ってみてから考えます」
「撃たせるとまでは約束していません」
 騎士様は剣帯の前から拳銃を抜きナディに手渡してくれた。興味津々で受け取り、弄くる。剣や刀とは違い、カラクリの様だった。それぞれを教えてもらう。握る取手があり、指をひっかける突起もある。引くと別の部品が動いてカチャっと鳴った。
「なんかこの穴から出るんですよね」
「弾丸ですね。鉛で作ります」
「薬で飛ばすと」
「筒の中とこちらの火皿に火の薬を入れます。それから弾丸を入れてトントンと固めて。で、引き金を引いてここに挟んだ火縄で火をつけてドン! と大きな音と一緒に弾丸が飛び出ると言う造りです」 
 なんのかんの言っても騎士様は指で示して丁寧に説明してくれる。それが尚更にナディを増長させるのだが。
「撃たせて下さい」
「駄目です。淑女にそんな事までさせたら、それこそ男爵様にわたしが叱られます」
 めっ! と言う。騎士様はナディが叔父などちっとも怖がっていない事をまだ知らない。
「カーリャ様のけち」
「けちで結構です」
「なんか大変そうだからわたしにはしてくれないんでしょう?」
 売り言葉に買い言葉の流れで何気なく言ったのだが、これに騎士様が反応した。
「大変? いえいえ。弩よりはよほど便利です」
 おや? と思った程に強い声である。弩は知っていてもその扱いがどれだけ大変かは知らないナディは、はあとうなずくしかない。
「でも弩の方が多いじゃないですか」
 これは事実である。ベルガエの王都でも本の中でも、弩はよく見る普通の武器だが、銃は少なく、ナディも手にする程に身近で見るのは初めてだった。
 そしてこの一言が騎士様には決定的だった。
「それは銃の強力さをまだ世間が知らぬのです」
 貸して下さいと騎士様はナディの手から拳銃を取る。
「確かに下手がやると弩に矢を装填するくらいの時間がかかりますが」
 そう言って剣帯に差してある幾つもの短い筒の一つを抜き取った。見れば筒の片方に木が詰めてある。蓋のようだ。
「この様に『早合』を使えば何倍も速く出来ます」
 騎士様が蓋を取る。そして短銃の筒口に早込めとやらの口を当てて傾けた。黒い粉がさああっと流れ込む。それがすぐ終わり最後に転がり出た何かを指で掴んだ。ナディに差し出す。
「これは?」
「弾丸です。これを飛ばします」
 本以外では初めてみた。本当に小さい玉だ。丸く、尖った部分はない。
「これが飛んで当たるのですか? 痛いの?」
「目にも止まらぬ速さで飛びます。痛いどころか板金鎧も撃ち抜きますし、肉や骨でも貫きます」 
 恐ろしげな事を言って騎士様は弾丸を銃の筒に転がす。次に筒の下の木の部分から細い棒を抜き取り、それで筒の中をコンココンと突いた。固めたのだ。
「そして」
 短銃を持ち直し、水平にする。取手を右手で握り、手元左に親指を引っ掻けると小さな皿の様なのが出てきた。
「ここにも火薬を」
 左手で調味料入れの様なものを取り出す。指だけで蓋を開け、中身を左手だけで器用に入れた。すぐに押す。皿が短銃の中に戻る。
「火です」
 腰から細い短い縄を取り出し、昨日も見た火種で先端に火を点ける。燃え上がる訳ではなく、ぽっと赤く点いているだけだ。それを引き金とやらの先の金属の部分に挟んだ。
「これで発射出来ます」
 ナディが想像した以上に手順があった。正直面倒臭いと思う。だが騎士様が言った様にこの一連の作業は手際よくあっと言う間に完成している。弩より云々は嘘ではないらしい。
「試しに撃ってみましょう。ナディ殿。ここにいて下さい」
 カーリャは立ち上がって数歩離れる。拳銃を持った右手を真っ直ぐに伸ばし、筒先を前に向ける。構えたのだろう。
「あそこに木があります。その上から三分の一くらいに枝が折れた所があるでしょう」
 ナディにもわかった。騎士様からは三十歩くらい離れているだろうか。
「そこに当てます」
 弓や弩の射的よりは近い的だが、拳銃はそれらより玩具の様に小さい。
「耳を両手で塞いで。弾丸が飛び出ますからよく見ていて下さい」
 言われた通りに耳を塞ぐ。さっきの弾丸があの筒口から出るのかと凝視する。

 いきます。

「あっ……」
 落雷かと思った。びっくりした。なんて大きな音だろう。耳を塞いだはずなのにナディは生まれて初めて聞かされた轟音に半分飛び上がってしまった。
「いかが?」
 騎士様は笑っている。軽く拳銃を持つ手を上に向けている。初めての匂いと白い煙が回りに漂っていた。急いで向こうを見れば狙った木の幹は、樹皮が弾け飛び、はっきり穴が開いている。小さいけど間違いない。
「え? 当たったのですか?」
「わたしは慣れておりますから」
 謙虚に、しかしちょっとだけ得意気に騎士様が言う。この時のナディは知らなかったが、この大きさの銃でこの距離を正確に命中させるのは至難の技だったのだ。
「すごい! すごいすごいすごい!」
 ナディは夢中になって両手を叩いた。すごい。音もすごかったが、なんか言われた通りに命中させていてすごい。すごかった。
「それに全然、弾丸が見えませんでした!」
「ええ、銃の弾丸は人間の見える速さではありません。矢の様に離れて構えていれば避けられるかも知れないとかはないのです」
 騎士様が言う。謙虚に抑えているつもりだろうが得意気である。
「ただ正確に当てるのは射手の腕前だけではなく、銃の出来だとか火薬の質や状態だとかあってなかなか難しいのですが」
 こう言ってしまう処が正直である。
「ただ一定の訓練を積めば、すぐに狙った方向に飛ばす事は出来ますし、猟に使えるくらいにはたいていは成れます。何より農民だろうと何だろうと騎士の鎧でも貫ける威力を得られるのが最も意味がありまして」
 そうなのだろうが、最後の部分は騎士様としてどうかしらとナディは思う。厳しい修行を経て初めて成立する騎士階級が農民にも撃ち取られると言う事ではないだろうか。
 が、今のナディにはそんな事はどうでもいい。すぐに忘れて騎士様に両手を勢いよく差し出した。
「わたしも撃ちたい!」
「駄目です」
 予想していたのだろう。騎士様はナディの予想通りの声で言った。ナディは諦めない。この騎士様が自分に甘いのは知っている。駆け寄り、マントの裾を離すもんかと引っ張った。
「お願いします!」
「……仕方ないですね」
 結構な時間をかけて、結局、騎士様は折れてくれた。嬉しい。いい人だ。我が家の執事どころか、さらに図書館の上司になってもらいたいくらいだった。
「一発だけですよ」
 ぶつぶつ気味にそう言いながら剣帯を探る。あの弾丸と火薬の入った‘早込め’とやらの筒を抜き出した。ナディは不満げに言う。
「一発だけじゃ当たらないかも知れないじゃないですか」
「何発射っても当たりません」
 きっぱり言い切った。何よとナディは不満である。
「ここからあそこくらいでしょ? カーリャ様も軽く当てたじゃないですか」 
 銃どころか弓も弩も射た事がない癖にこの言い様であった。
「私は慣れております」
「わたしも慣れます」
「はいはい」
 ナディはまたふくれる。騎士様の態度に小馬鹿にしていると感じたのだ。その通りだったろう。
「もし生まれて初めて射って命中させたら天才です。銃の女神様ですよ」
「本当?」
 ナディはぱっと明るくなり。からかいか嫌味で言われているのは間違いないのだが。
「ええ、ナディ殿がそうなら、ご褒美にその拳銃を差し上げます」
 だからこれも騎士様の冗談だ。
「頑張ります!」
 張り切るナディに苦笑しかない騎士様は早込めから拳銃に火薬と弾丸を注ぎ込む。玩具ではないのでそこは真面目だ。
「その‘火薬’が大きな音を出して弾丸が飛ぶのでしょう?」
「いや音で飛ぶ訳ではありませんが」
 でも面白い事を言われると感心してしまうから騎士様はナディに都合がいいのである。
「いっぱい入れて下さい」
「それは駄目です」
 急に堅い声で拒まれた。
「どうしてですか?」
「火のついた火薬が破裂してその勢いで弾丸が飛び、鎧を貫く程の威力が出るのです。その火薬の量が多い分、威力も飛ぶ距離も増しますが、銃のこの鍛鉄で出来た身の部分には耐えきれる限界があります」
 そう言う事らしい。
「その限界を超えて火薬を詰めて火を点ければ弾丸どころかこの鉄身が張り裂けて飛び散ってしまいます。射手の方が手か顔がズタズタになる大怪我になるでしょう」
 聞くだに恐ろしい。さすがのナディもちょっと怯む。
「……火薬は普通でいいです」
 それでも射撃を止める気にはならないのはさすがだったが。
「はい、どうぞ」
 騎士様は装填から火縄迄を手早く済ませ、ナディに拳銃を差し出す。その一連はやはり鮮やかな手付きである。ナディは手順を覚えるのでいっぱいだ。
「ありがとうございます」
 銃を射つ時にはいつもいてもらおうと勝手に思いながら受け取る。
「えっと、こうでしたよね?」
 見よう見まねで構えてみる。右足を前に、右手で取手握り、腕を前に出す。左目は前髪を下ろしているから、主に右目で見て、騎士様が的にした木に銃口を向ける。
「あ、すごい大きな音がしましたよね?」
「それは我慢して下さい。銃の練習の時には耳栓を使いますが」
 冷たい言いぶりである。本当に一発しか射たせない気ねとナディは思う。よし絶対に命中させてこの拳銃をもらってあげるんだから。
「ちなみにうちの馬やラージャが銃声を聞いても平気なのはちゃんと専用の訓練をしているからです。普通の家畜ならあの音だけで大騒ぎになりますからね」
 騎士様の説明になる程と思いながらもナディはそれどころじゃない。実際に狙おうとすると銃口が揺れる。ぷるぷると的へ向けて中々定まらない。
「あと射つと同時に反動が来ます。上手く銃口を上げるようにして衝撃を逃がして下さい」
 そんな事を急に言われたって――騎士様は確かに射った瞬間、肘から先を軽くあげて――とナディはその形をやってみた。その拍子に人差し指に力がこもる。わざとではない。本当に思いがけず、意思に反して止められなかった。

 もう一度、落雷が周囲の空気を震わせた。

「きゃああっ!」
 一拍遅れてナディが叫ぶ。目の前が真っ白になった。そして強い匂い。白煙とその匂いだと気づくまで数瞬を要した。
「あ……」
 射ったのか。いや、今ので? 引き金にちょっと力を入れただけなのに。すごい音。上げかけた手がさらに跳ね上げられた衝撃。すごい。これが銃なのか。
「お見事お見事。ちゃんと射たれましたね」
 騎士様はゆっくりと拍手をしていた。口では誉めている。口調と表情が明らかにほっとしているのは、やはり本物の武器を素人に扱わさせたからだろう。これですんだと安心したのか。
「あ、当たりました?」
 咳き込む様に言うナディに騎士様は、さあ?と苦笑した。今のは明らかに引き金を引く前に銃口が上がっている。真正面の的に命中する訳がない。そもそも銃口もぷるぷる震えていたし。
 その時だった。

 ぐるっ

 草の上でくつろいでいたラージャがいきなり跳ねたのだ。同時に駆け出す。あっと言う間に向こうの茂みに飛び込んでしまった。
「ラージャ?」
 ナディが目をしばまたたかせる。るちょうど狙った方角の脇くらいだ。何があったのだろう。
「え……」
 しかも騎士様が驚いている。なんだ何よ。何があったのよ。
「ラージャのあれは……まさか」
 すぐにその驚愕の答えはわかった。茂みがざわと揺れ、太めの猫が現れたのだ。
「ラージャ!」
 ラージャは自分の名を呼ぶナディの前に駆け戻ってきた。影が違う。何か大きなものをその口に咥えていた。
「らーじゃあぁ?」
 ナディが覗き込む。鳥だ。丸々と肥えた大きな鳥だった。首から上が緑で嘴が黄色い。尾羽が立派で大きい。なんだ何故そんなものをラージャが。
「大鴨ですね」
 急いできた騎士様が片膝をついてラージャに手を伸ばす。あっさりと猫は獲物を主に渡した。カーリャの指がその鴨をまさぐる。
「大鴨? あの狩りで獲られる鳥ですか?」
 ナディも知識だけは知っている。
「はい。一年中ベルガエには。警戒心が強く罠でも中々獲れません」
「味は絶妙で、確か尾羽にもかなりの価値があるんですよね」
 図鑑にあったなあ。インクではわからなかったけどこんなに鮮やかな色だったのかしら。
しかし何故こんな貴重な鳥を今ラージャが?
「……信じられない」
 その答えを騎士様が呟いていた。
「首筋を射ち抜かれている。一発で」
 え?
「どういう事です? カーリャ様」
 ナディはその手元に覗き込む。騎士様の指先に血がついていた。抱える鴨の首の根本辺りにも同じ色がある。え。え?
「まさかこれ」
「……命中した様ですね。さっきのが」
 うわああああああ。
「一発で……ほとんど空に向けて射ったのに。でもこれは水鳥だから枝に止まっているはずもなく、じゃあ飛んでいる処を……」
 騎士様がぶつぶつ呟いている。大変驚いたらしい。ナディはにやああと笑った。
「かぁーりゃあ様ぁ」
 ねっとりともう得意満面の笑みで言う。
「それわたしが当てたんですよねえ」
 それしかない。騎士様の呟きからしてもたった今仕留められたのだ。そして今、銃を射ったのはこのナディ殿だけである。
「……そのようですね」
 騎士様が如何にも渋々と認めた。その苦い表情ででも認めるのは男らしいとナディはにんまりする。姫騎士様だけど。
「すごいですよね? すごいんですよね?」
「すごい偶然と言うか幸運と言うか」
 まだ抵抗はするらしい。猪口才な。
「わたしが射って当てたんですよね?」
「……はい」
 認めた。もう少し明るく言えばいいのにとナディは笑う。
「さすがわたし!」
 右手の甲を口にあて、左手は腰にあててナディは勝ち誇るように笑った。凱旋将軍みたいな気分の良さである。
「……お見事でした」
 仕方無さそうに一礼する騎士様。偶然に決まっていると思っているに違いない。
「いやあまさかわたしが銃の天才で女神だなんて」
 ナディは何処までも気分を良くするのだった。

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