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第9話 会合
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雫が烏丸の屋敷に来てから数ヶ月ほど経った頃、疲れた表情で遼が彼女に言った。
「会合の日程がようやく決まったよ…。近々とはいかなかった。一週間後。はぁ、全一族が集まるから本当疲れるよ。」
「お疲れ様。」
まだ雫が烏丸の屋敷に来て間もない頃に言っていた話がようやく纏まったらしい。
会合とはその名の通り、全国の妖たちが一同に集まり情報を交換するためのものだ。
数年に何度か必要だと思われるときに開かれるもの。
今回は百済雫を鬼天狗である遼が婚約したとの話を直接、妖たちに告げてお披露目するのが目的だ。
その為にしばらくの間忙しくしていたらしい。
雫はそのことに全く気が付くことはなかった。
烏丸遼という男はとても要領よく仕事をこなす妖だ。
陰陽寮に欲しい逸材だよな、と常々雫は思っているほど。
まぁ、そんなこと天地がひっくり返っても出来ないことなのだが。
いよいよか、と雫は少しばかりの高揚と不安があった。
百済の一族が、あまりにも静かなのだ。
まるで嵐の前の静けさのように。
あの父親の性格からして何もしないということはあり得ない。
実際、志穂に姉がそそのかした。
これで終わるはずがない。
それは一応娘である彼女がよく理解している。
だから烏丸の一族は百済の一族を警戒していた。
「はぁ。本当に疲れちゃった。膝貸してくれない?」
「え。重いから嫌だ、ってもう頭乗っけてるし。」
最近の遼は行動に遠慮というものをしなくなってきた。
隙あればハグをしてくるし、キスだってしようとしてくる。
逃げたらお仕置きが待っているのは分かっているので、雫はされるがまま。
これで良いのかなと思う自分が彼女の中にいるが、婚約者だし良いかと半ば開き直っている。
そうでもしないと心臓が持たないのだ。
毎日、心臓が高鳴るようなことばかりされてしまって。
雫はかなり困っていた。
今だってそうだ。
下を向けばこれでもかというほど整った顔がある。
自分自身も整っている顔だなんてことを彼女は全く気が付いていない。
自己肯定感というものが低いのだろう。
容姿に自信なんてものはこれっぽっちもなかった。
だから遼の隣にいるということも実はかなり恥ずかしかった。
釣り合っていない──
そう思っているからである。
「雫ってさ、僕の隣に居るの嫌がるよね。」
図星のことを言われてしまい、言葉が詰まる雫。
今は漆黒の瞳に写る自身の顔。
やっぱり釣り合っていないと思う彼女。
遼の大きな手が頬を包み込む。
それはとても優しい仕草で、温かかく彼の性格を表しているようだった。
「ねぇ。どうして?」
「私は…兄ちゃんと釣り合ってない。」
「え?」
「兄ちゃんみたいにイケメンじゃない。言うなればモブみたいな顔だもん。」
「…それ、本気で思ってる?あと、僕そんなイケメンじゃないと思うだけど。」
「思ってるけど。兄ちゃんはイケメンだよ。」
「ふーん…。」
軽い口づけを雫にした後、遼はゆっくりと起き上がった。
「ちょっと!」
「すごーく不本意だけど、雫。君、イメチェンしようか。」
「イメチェン?今更?」
「多分、明日には男子に告白されるよ。ムカつくけど。」
「はぁ?あり得ないって!」
「言ったね?もし、告白されちゃったら…僕が満足するまでキスしようか。」
「いや、言ってない。」
「はい。決定。監視の式神も付けるから。」
「そこまで!?」
「相手に恋は儚いって教えてあげなきゃならないからね。」
なんて男なんだと思う雫。
告白の話が本当なら、いたいけな男子高校生の心を弄ぶことになる。
そんなこと、したくない。
「嫌だ。私は三つ編みのままを通す。」
「僕としても他の髪型の雫を見てみたいからいい機会か。楽しみだなぁ。可愛いんだろうなぁ。」
人の話を聞かないこの男。
この男から逃げた日から本当に強引になった。
基本的に優しい所は変わらない。
でもあきからに強引になったのは確かだ。
もしかしてこれが本来の性格?
そんなことを雫は考えてしまう。
「僕がこんな風な性格なの、意外?」
また心を読まれたと固まる三つ編み主張の彼女。
読心術でも使っているのだろうか、と思うほどである。
そんな術、妖にはないはずなのだが。
「雫って付き合いが長い人からすると分かりやすいんだよねぇ。今も何考えてるかなんとなくだけど分かるし。」
「そんなに分かりやすい性格してないと思うんだけど…。」
「僕には分かるって話。別に性格が変わったわけじゃないよ?単に我慢するのをやめただけ。ほんのちょっとだけど。」
「我慢ってなんの?」
「…いずれ分かるよ。」
そう言って微笑むだけの遼。
雫は困惑するばかりだ。
分からないことだらけ。
その答えを知っているのは遼だというのに教えてくれない。
いじわるだなぁと彼女は思う。
「兄ちゃん、やっぱり性格変わったと思う。」
「そう?別にそう感じてもいいよ。僕は僕のまま君を愛するから。」
「…!」
「そんな可愛い顔してもダメだよ?逆効果だから。」
「その意味もよく分からないんだけど…。」
雫は頭を撫でられる。
まるで猫にでもなった気分だ。
撫でてくれる手がとても優しくて、温もりを感じることが出来る。
でも、猫だったら出来ないことをこの男はしてきた。
撫でていた手はいつの間にか背中に回され、抱きしめられる形になった。
身長差があるので自然と遼の胸元の位置に頭がくっつくことになる。
かなりの筋肉質であることを最近、雫は知った。
見た目は細いのに、脱いだらかなりの筋肉量を持った体格ということだ。
モデル体型でもあって筋肉量もすごいとはどれほど神様はこの男に容姿を恵んでいるのだろうか。
神様なんて信じたことがない雫であったが、遼の容姿を見ていると本当はいるんじゃないかと思えてくる。
「兄ちゃん、筋肉凄い。」
「あー。それ撮影しているとよく言われるなぁ。僕、あんまり鍛えてないんだけど。」
「え。この筋肉量で鍛えてないの?」
「鍛えてないよ?昔からこんな感じ。」
鬼天狗だからかなぁと呟くように言う遼。
その発言に雫は神様は本当に居るのかもしれないと思い始めてきた。
小さい頃はこのように恋人同士がするような抱きしめ方をされたことはなかった。
だから、雫は男として意識をしたことはなかった。
でも今はどうだ。
こうして抱きしめられて、キスだってされて、大切にされて、愛を囁かれる。
意識してなくても、意識させられる。
人を好きになるという気持ちも愛する気持ちもちっとも分からないのに。
烏丸遼という男は諦めようとしない。
だからこそ唯一、大切にしているという気持ちだけは雫に伝わったのだ。
「兄ちゃんは好きになる人を間違えたと思う。」
「んー…?そんな可愛くないこと言っちゃうの?あー…傷ついたかも。どうしよう。」
「え…それは、なんか、ごめん。」
「傷ついちゃったからしばらくこの状態キープね。そろそろ離してあげようかなぁって思ってだけどナシ。」
抱きしめる力を強くする遼。
ちょっと苦しいなと思う雫。
だが、どうやら自分の言葉が傷つけてしまったようなので大人しくされるがままになっている。
こんな温かい空間に何の対価も無しに居ても良いのだろうかと彼女は考えてしまう。
安心しきってしまって頭を思い切り預ける状態になっている。
その安心した感情で気が付いてしまった。
あぁ、そうか。私は。
百済の屋敷が怖くて仕方なかったんだ──
冷たい記憶と辛い記憶しかないあの屋敷。
その屋敷に二度と戻りたいと雫は思えなかった。
雫の考えの気が付いたのだろうか、遼が全身を包み込むかのように態勢を変えて抱きしめる。
「もう、怖いものはないよ。大丈夫。全てから僕が守るよ。」
優しい声色で遼はそう言ってくる。
その優しさと声色に彼女は泣きたくなった。
あの屋敷でさえ泣くことがなかった雫が泣くことはないが、そんな気分にされてしまった。
泣く代わりに、静かに目を閉じた。
そして翌日。
黒く長い髪は三つ編みにされず下ろされている。
横髪だけ後ろで纏められてハーフアップにしていた。
纏めている髪の所には校則違反にならない程度の大きさのバレッタが留められている。
これで袴姿であったなら女子学生に間違えられただろう。
いつもの地味な雰囲気とはおさらば。
1人の絶世の美少女が制服姿でそこには立っていた。
「うわぁ!可愛い!!」
「朝からちょっとやめてよ!」
朝食を摂りに向かった部屋でいきなり遼に抱きしめられる雫。
何故かバレッタを撫でていた。
バレッタに何か埃でも付いているのかと思ったが、遼の表情を見る限り違うようだ。
うっとりとした表情で見ているからだ。
雫はじっとした目で未来の夫になるはずの男を見る。
「バレッタ見た?僕の翼の羽を埋め込んで作ったんだよ。」
「兄ちゃんの手作り!?」
「よく似合っているよ。」
あまり意識せずにお手伝いである久美子に髪型をセットしてもらったので、彼女は見てなかった。
そんな器用なことが出来る妖だっけ…と少し考え込んでしまいそうになるが、雫にそんな時間はない。
「兄ちゃん、離して。ご飯食べて学校行かなきゃ。」
「え~。こんな可愛い子を離したくない。」
「兄ちゃん。」
「遼。」
「へ?」
「遼って僕のことを呼ばせたら離してあげる。」
悪戯っ子のような表情で言う遼。
まるで言わせることはできないだろうとでも言ってるかのようだ。
対抗心を燃やす雫。
遼はこの少女のことを少し甘く見ていた。
「遼。良い子だから離して。」
やる時はやる女なのである。
初めて名で呼ばれて、しかも満面の笑みで呼ばれて固まる遼。
誰だって好きな人から自分の名を呼ばれたら嬉しいだろう。
遼もその1人だった。
「はい、言ったよ兄ちゃん。ご飯、いただきます。」
遼が固まっていた為に力が弱まっていた。
その隙を狙って雫は並べられていた料理の元へ向かい座る。
手を合わせてもう一度「いただきます」と言うが、まだ遼は向かいに座ろうとしない。
まだ固まっているのか、と先程まで居た方向を雫は見てみるとまだ固まっていた。
(ちょっとやりすぎたかもししれない…。)
そう思ったが、時間がないので先にご飯を頂くことにした。
「いってらっしゃーい。」
しばらく固まっていたが、遼はいつものように雫を送りだした。
監視用の式神をつけて。
彼女は大層不満そうだったが、長い髪を靡かせて玄関を後にした。
いつもの道を登校していると男子たちからの目線が得にするような気がした。
自意識過剰だと思い込みつつもなんだか嫌な予感がするな、と思いながら志穂と合流する地点に向かう。
「おはよー!雫…?雫、だよね。」
「おはよう。雫です。ごきげんよう。」
志穂の目に写る百済雫の姿はいつもの地味な雰囲気を纏ってはいなかった。
いつも結ばれている髪は下ろされ、艶やかな長い髪が風で舞っている。
ハーフアップに髪型を変えただけだというのに、西洋に出てくるお姫様のようだ。
ささやかな変化のはずなのに、親友の美貌に息を吞んだ。
「どうしたの?イメチェン?」
「無理やり。」
「烏丸さんが?」
「その通り。」
不満そうに短く返す雫。
その顔さえも美しく、思わずため息が出てしまう。
志穂の反応に「どうしたの?」と尋ねる彼女。
敵わないなぁ、と思いながらなんでもないと志穂は返した。
それから学校に到着し、教室に入るや否や雫は注目の的となった。
友人達からは可愛いともてはやされ、男子たちからは好奇の視線。
遼が言っていたことが当たるような気がして、雫は帰宅するのが嫌になった。
ホームルームで担任が入ってきた時さえ、担任が彼女の姿を見るなり息を止める。
雫の1つ1つの動作が美しく、普段なら目に付かなかったというのにその相貌に目を留めていた。
「百済、放課後に職員室に来なさい。」
男性である担任は気が付けばそんなことを口にしていた。
何の用だろうかと思いながら真面目な生徒である雫は、式神に礼儀正しく返事をさせた。
監視用の式神の目が少し痛いような気がした。
昼休み。
「担任、何の用だろうね。」
「わかんない。私、何の委員会にも部活にも入ってないんだけど。」
「んーなんだろう。」
校則違反もしていないし。とその言葉までは面倒なので言わせなかった。
用は何だろうかと思案し、あの担任の目を思い出してみると雫はゾクリと震えた。
あの目、兄ちゃんが自分を見る目に似ているような──
冷や汗が出た。
まさかね、と思う。
弁当が食べる手が止まっていた。
「ちょっと雫大丈夫?」
「うん…なんとか大丈夫。」
「放課後、担任の用が終わるまで待ってるから。」
「ありがとう。」
志穂の気遣いに平常心をなんとか雫は保った。
だが、冷や汗は何故か止まらなかった。
問題の放課後。
志穂を待たせている為に、雫は急いで職員室に向かった。
「失礼します」と式神に言わせて担任の元へ向かう。
すると、待ちくたびれたという感じで男性担任は待っており、着いてきなさいと言って資料室まで雫を連れて行った。
何か手伝いでもさせられるのだろうか、とそう思っていると。
鍵を閉められた。
「その容姿で何人の男とヤッたんだ?」
「はい?」
いきなり訳の分からない発言をされて、いきなり手首を掴まれる。
担任の男の表情は先生の表情ではなかった。
言うなれば飢えた獣。
ご馳走を目の前にした獣のようだった。
雫は身の危険を察知し、式神に攻撃命令を出そうとする。
殴られる。長年の経験からそう思ったのだ。
その時であった。
「担任が生徒に手を出すとか最低だと思うんだけど。」
いつの間にか掴まれていた手は離されており、嗅ぎなれた匂いが雫の身体を後ろから包み込んだ。
監視用の式神に転移術も仕込んでいたらしい。
朝とは違うカジュアルな服装である。
つまりは仕事中に雫を助けにきたということだ。
雫は突然の展開に頭が追い付けず戸惑うばかりである。
「誰だお前!…ってまさか、モデルの烏丸遼!?」
「そう。そしてこの子の正式な婚約者。僕、人間じゃないから基本的には手を出さないつもりでいるけど、これ以上何かしようとするなら容赦しないよ?」
「関係ないだろう!」
「あるよ。言ったじゃん、婚約者だって。」
「妖の婚約者ごときが」
「人間ごときがこの僕に敵うと思うなよ。」
遼が怒っている──
新たな危険を察知した雫は宥めるように式神に言わせた。
「兄ちゃん、落ち着いて。私は大丈夫だから。」
「式神の影像を校長先生に向けて送ったから。君、終わりだよ。」
「兄ちゃん!」
「雫。こういう奴は絶対許しちゃいけないタイプの人間。よく覚えておいて。」
そう言うなり資料室から術を使い、志穂の元へと移動させられた。
しっかりと監視していたらしい。
昼休みの会話も聞いていたようだ。
志穂はというといきなり現れた2人に驚いている。
「驚かせてごめん…。」
「どうしたの雫。烏丸さん、こんにちは。」
「よく、わかんない。」
「志穂ちゃんだっけ。こんにちは。君たちの担任、雫を襲おうとしてた。」
「え!?大丈夫だった雫!?」
「この通り。…正直、よく分かってない。」
「警察には通報した!?」
「校長にこの男が映像を直接送ったから、問題ない。」
雫よりも志穂の方が事態の把握が早かった。
事態をしっかり把握している2人とまだ飲み込めていない雫。
危機管理能力というものが雫に欠けているのが分かる。
「えっと、兄ちゃん。私、何をされそうになったのやらよく分かってないんだけど…。殴られそうになったのは分かるんだけど。」
「簡単に言うと、貞操の危機だったの。僕が行かなきゃ危なかったよ。」
「え!?私が!?」
「まさか担任の男が生徒に手を出すとはね。最低の極みだよ。」
遼は軽蔑した目で学校を見ている。
雫は初めての体験で震えそうになるのを必死で止めていた。
百済の屋敷ですら貞操の危機はなかった。
命の危険は沢山あったが、不気味な娘に誰もが忌避していた為に幸いにもそういう危機はなかったのだ。
「今日は陰陽寮休みな。僕から連絡しておく。」
そう言って志穂の目の前で雫を遼は抱きかかえた。
思わず口を押える志穂。
美男美女、お似合い過ぎて絵になっていたのである。
まるで王子様がお姫様を迎えにきたかのようだった。
迎えにきたという点は間違いではないが、少しばかり志穂は夢を見てしまう性格であった。
だが、雫がされたことを思い出すと現実に引き戻される。
「雫、明日学校お休みしなよ。私、これから副担に言ってくるから。」
「ありがとう…。面倒かけさせてごめん。」
「これくらい気にしないで。また来週ね!しっかり休みなよ。」
そう言って志穂は手を振りながら走ってその場を後にした。
2人の邪魔をしたくなかったのだ。
雫が元気になってくれますように。
自分の罪を許してくれた親友のことを神様に願った。
「誰も居ないよ。もう震えて大丈夫。」
「……。震えてなんか、いないよ。平気。」
「誰が抱きかかえてると思ってるのかなぁ?」
「……ごめん。」
「いいんだよ。僕の前では強がらなくたって。怖かったね。仕事もあの時に丁度済ませちゃったし、もう帰ろう。」
遼の体型に合わせた漆黒の両翼が背中から生える。
しっかりと自身の婚約者を抱きかかえると、一気に空まで上昇した。
オレンジ色の空が雫の目に入る。
夕日を見てみればやっぱり眩しくて、思わず目を閉じてしまう。
あんなにも震えるのを我慢していたというのに、今はもう震えていなかった。
きっとこの腕の中に居るおかげだと雫は考える。
まだ雫は遼の気持ちには応えることは出来ないが、この腕の中の温もりは信用してもいいだろうと彼女は体重を預けた。
そのことに気がついたのか、遼は雫の額にそっとキスをする。
案の定、彼女は怒っていたがどこか安心した表情を浮かべていた。
それから幾日か経ち、会合の日となった。
この日の雫は烏丸一族のお披露目以上に入念に身支度を準備させられた。
着物は前回と大きな変わりない。
黒をベースとした色に鬼の面の刺繍が施されているものだ。
簪も黒い羽根のものが刺さっっているが、その他にも花の髪飾りも付けられていた。
一国のお姫様と言われてもおかしくないほどの装飾品を身に纏っている。
化粧もしているため、実年齢よりも随分大人びて見えた。
「雫のこの可愛い姿、誰にも見せたくない…。」
「このやり取り、数日前もあった。」
志穂からのメッセージアプリで分かったことだが、あの後雫たちの担任は懲戒解雇。
担任も変わった。
遼が送った映像が証拠になったらしい。
当然の処分を受けたわけであり、雫は今後気を付けようと心に留めた出来事であった。
それはさておき、今の状況である。
妖の頂点に君臨しているはずの男は車から雫を降ろそうとしない。
会合は烏丸の森の近くにある大きな広い屋敷で行われる。
代々、会合を取り仕切っているのは鬼天狗を生み出すことが出来る烏丸一族だ。
少しばかり距離があるので、今日は雫の髪型や衣装を崩さないために車で移動をしていた。
「時間、そろそろだよ兄ちゃん。」
「うーん…嫌だ。」
「しっかりしてよ、妖の主さん。」
雫は無理やり車から降りようとする。
だが邪魔をしてくる妖の主。
威厳というものをどこかに落としてきたんじゃないだろうか、と彼女は呆れる。
「私の髪型とかぐじゃぐじゃになってもいいの?」
「それは良くない。」
「じゃあ、降りよう。」
自分の容姿を理由にするのはあまり気持ちの良いことではないが、ようやく雫は外に出ることが出来た。
続いて遼も車から降りてくる。
今日も彼は袴姿をしており、人外の美しさを引き立たさせている。
会合の会場である屋敷からはかなりの種族の妖の気配がした。
皆、鬼天狗である烏丸遼のことを今か今かと待っているらしい。
雫はくだらない理由で待たせてしまっていることを申し訳なく思った。
「さぁ、行こうか。僕の花嫁。」
「くさいセリフだなぁ。待たせてるみたいだし、行こう。」
遼の大きな手を取り、雫は手を握りしめる。
当然のように遼もしっかりと握り返してきた。
ささやかなことだが、こういう小さな行為でも大切にされていると分かり彼女は嬉しくなった。
屋敷に上がると、更に濃厚な妖たちの気配がした。
話し声も聞こえてくる。
久々の会合、積もる話もあるのだろう。
その邪魔にならない程度気配を消してに大広間へと向かった。
遼はというと先程とは打って変わり、雰囲気が違う。
威厳はどこへ消えたのやらと雫は思っていたが、やはり妖の主なのだ。
なんだかんだ言いつつも威厳というものを持ち合わせていた。
鬼天狗独特の気配を感じ取ったのだろう。
大広間に入るや否や、話し声は静かになり皆が頭を垂れていた。
「お待ちしておりました。我らが主、遼様。」
一同が声を揃えて言う。
本当に妖の主なのだなぁと隣で呑気なことを雫は考える。
1人の妖が頭を上げて雫の方を見ていた。
そして口を開いた。
「恐れながら申し上げます。遼様のお隣にいらっしゃるのが…。」
「そうだ。俺の婚約者の雫だ。」
一人称が変わる遼。
本当はしなくても良い立場の人間なはずだというのに雫は礼儀を尽くすということを忘れなかった。
式神に言わせる。
「お初にお目にかかります。声が出ない為、式神にて挨拶することをお許しください。百済雫です。私が当代、八尾比丘尼の娘の先祖返りとなります。陰陽師であり、今は遼の婚約者でもあります。どうぞお見知りおきを。」
流石にこの場でいつものように『兄ちゃん』呼びはしなかった。
これは遼から注意されていたことでもある。
他の妖たちを牽制するためのものでもあった。
それだけ、八尾比丘尼の娘が鬼天狗の名を呼び捨てで呼ぶという行為は効果的なのである。
丁寧に一礼された他の妖たちは雫の美貌に見惚れていた。
乳白色の肌に施された化粧に大人びた顔。
薔薇を彷彿とさせる唇。
黒曜石を思わせるような両目。
何もかもが美しく、見惚れてしまうのは仕方のない話であった。
「お前たち、見過ぎだ。俺の婚約者なんだ。少しは遠慮しろ。」
まるで穴が開くんじゃないかと思うくらい見られていた雫はその言葉に救われた。
精神的に減るものがあるので妖たちには申し訳ないが、自重というものをしてほしかった。
それから目的であるお披露目が終わった後、遼たちの後に来ていた彼の両親と共に2人は別室で時間を過ごすことになった。
完全防音であり、強力な結界を張っているため普段通りに過ごすことができる。
「好奇の視線って嫌いだということを知ったよ。」
「今日の雫は綺麗すぎるからね。」
綺麗という言葉は遼に当てはまるのではないだろうか、と思う雫。
彼の両親も美男美女だ。遺伝子を間違いなく受け継いでいるのだろうと考えた。
そんな彼女もその部類の一部に入ることをやはり気が付かない。
妖たちの好奇な目は今日の装飾品や、人間の物珍しさが原因だと勝手に解釈をしている。
「いつも可愛らしいけど、今日の雫ちゃんは一段と可愛いね。」
「本当にね。こんな子が嫁に来るのだと思うと楽しみだわ。」
何を想像しているのか勝手に盛り上がっている遼の両親。
なんだか雫は1人、置いてけぼりにされているような気がした。
いや、実際置いて行かれているのかもしれない。そう感じた。
全く想像がつかないのだ。
遼と結婚し、結ばれてこの両親のように楽しそうに話している光景が。
幸せ、いや。ごく普通とは無縁の環境に居過ぎたのが原因なのだろう。
見せつけられるのはなかなか心に刺さるものがあった。
寂しげな雫のその視線を、遼は見逃すことはなかった。
それからしばらく経った後の話である。
会合の屋敷に張られている強力な結界が陰陽師の手によって破られたのは。
「会合の日程がようやく決まったよ…。近々とはいかなかった。一週間後。はぁ、全一族が集まるから本当疲れるよ。」
「お疲れ様。」
まだ雫が烏丸の屋敷に来て間もない頃に言っていた話がようやく纏まったらしい。
会合とはその名の通り、全国の妖たちが一同に集まり情報を交換するためのものだ。
数年に何度か必要だと思われるときに開かれるもの。
今回は百済雫を鬼天狗である遼が婚約したとの話を直接、妖たちに告げてお披露目するのが目的だ。
その為にしばらくの間忙しくしていたらしい。
雫はそのことに全く気が付くことはなかった。
烏丸遼という男はとても要領よく仕事をこなす妖だ。
陰陽寮に欲しい逸材だよな、と常々雫は思っているほど。
まぁ、そんなこと天地がひっくり返っても出来ないことなのだが。
いよいよか、と雫は少しばかりの高揚と不安があった。
百済の一族が、あまりにも静かなのだ。
まるで嵐の前の静けさのように。
あの父親の性格からして何もしないということはあり得ない。
実際、志穂に姉がそそのかした。
これで終わるはずがない。
それは一応娘である彼女がよく理解している。
だから烏丸の一族は百済の一族を警戒していた。
「はぁ。本当に疲れちゃった。膝貸してくれない?」
「え。重いから嫌だ、ってもう頭乗っけてるし。」
最近の遼は行動に遠慮というものをしなくなってきた。
隙あればハグをしてくるし、キスだってしようとしてくる。
逃げたらお仕置きが待っているのは分かっているので、雫はされるがまま。
これで良いのかなと思う自分が彼女の中にいるが、婚約者だし良いかと半ば開き直っている。
そうでもしないと心臓が持たないのだ。
毎日、心臓が高鳴るようなことばかりされてしまって。
雫はかなり困っていた。
今だってそうだ。
下を向けばこれでもかというほど整った顔がある。
自分自身も整っている顔だなんてことを彼女は全く気が付いていない。
自己肯定感というものが低いのだろう。
容姿に自信なんてものはこれっぽっちもなかった。
だから遼の隣にいるということも実はかなり恥ずかしかった。
釣り合っていない──
そう思っているからである。
「雫ってさ、僕の隣に居るの嫌がるよね。」
図星のことを言われてしまい、言葉が詰まる雫。
今は漆黒の瞳に写る自身の顔。
やっぱり釣り合っていないと思う彼女。
遼の大きな手が頬を包み込む。
それはとても優しい仕草で、温かかく彼の性格を表しているようだった。
「ねぇ。どうして?」
「私は…兄ちゃんと釣り合ってない。」
「え?」
「兄ちゃんみたいにイケメンじゃない。言うなればモブみたいな顔だもん。」
「…それ、本気で思ってる?あと、僕そんなイケメンじゃないと思うだけど。」
「思ってるけど。兄ちゃんはイケメンだよ。」
「ふーん…。」
軽い口づけを雫にした後、遼はゆっくりと起き上がった。
「ちょっと!」
「すごーく不本意だけど、雫。君、イメチェンしようか。」
「イメチェン?今更?」
「多分、明日には男子に告白されるよ。ムカつくけど。」
「はぁ?あり得ないって!」
「言ったね?もし、告白されちゃったら…僕が満足するまでキスしようか。」
「いや、言ってない。」
「はい。決定。監視の式神も付けるから。」
「そこまで!?」
「相手に恋は儚いって教えてあげなきゃならないからね。」
なんて男なんだと思う雫。
告白の話が本当なら、いたいけな男子高校生の心を弄ぶことになる。
そんなこと、したくない。
「嫌だ。私は三つ編みのままを通す。」
「僕としても他の髪型の雫を見てみたいからいい機会か。楽しみだなぁ。可愛いんだろうなぁ。」
人の話を聞かないこの男。
この男から逃げた日から本当に強引になった。
基本的に優しい所は変わらない。
でもあきからに強引になったのは確かだ。
もしかしてこれが本来の性格?
そんなことを雫は考えてしまう。
「僕がこんな風な性格なの、意外?」
また心を読まれたと固まる三つ編み主張の彼女。
読心術でも使っているのだろうか、と思うほどである。
そんな術、妖にはないはずなのだが。
「雫って付き合いが長い人からすると分かりやすいんだよねぇ。今も何考えてるかなんとなくだけど分かるし。」
「そんなに分かりやすい性格してないと思うんだけど…。」
「僕には分かるって話。別に性格が変わったわけじゃないよ?単に我慢するのをやめただけ。ほんのちょっとだけど。」
「我慢ってなんの?」
「…いずれ分かるよ。」
そう言って微笑むだけの遼。
雫は困惑するばかりだ。
分からないことだらけ。
その答えを知っているのは遼だというのに教えてくれない。
いじわるだなぁと彼女は思う。
「兄ちゃん、やっぱり性格変わったと思う。」
「そう?別にそう感じてもいいよ。僕は僕のまま君を愛するから。」
「…!」
「そんな可愛い顔してもダメだよ?逆効果だから。」
「その意味もよく分からないんだけど…。」
雫は頭を撫でられる。
まるで猫にでもなった気分だ。
撫でてくれる手がとても優しくて、温もりを感じることが出来る。
でも、猫だったら出来ないことをこの男はしてきた。
撫でていた手はいつの間にか背中に回され、抱きしめられる形になった。
身長差があるので自然と遼の胸元の位置に頭がくっつくことになる。
かなりの筋肉質であることを最近、雫は知った。
見た目は細いのに、脱いだらかなりの筋肉量を持った体格ということだ。
モデル体型でもあって筋肉量もすごいとはどれほど神様はこの男に容姿を恵んでいるのだろうか。
神様なんて信じたことがない雫であったが、遼の容姿を見ていると本当はいるんじゃないかと思えてくる。
「兄ちゃん、筋肉凄い。」
「あー。それ撮影しているとよく言われるなぁ。僕、あんまり鍛えてないんだけど。」
「え。この筋肉量で鍛えてないの?」
「鍛えてないよ?昔からこんな感じ。」
鬼天狗だからかなぁと呟くように言う遼。
その発言に雫は神様は本当に居るのかもしれないと思い始めてきた。
小さい頃はこのように恋人同士がするような抱きしめ方をされたことはなかった。
だから、雫は男として意識をしたことはなかった。
でも今はどうだ。
こうして抱きしめられて、キスだってされて、大切にされて、愛を囁かれる。
意識してなくても、意識させられる。
人を好きになるという気持ちも愛する気持ちもちっとも分からないのに。
烏丸遼という男は諦めようとしない。
だからこそ唯一、大切にしているという気持ちだけは雫に伝わったのだ。
「兄ちゃんは好きになる人を間違えたと思う。」
「んー…?そんな可愛くないこと言っちゃうの?あー…傷ついたかも。どうしよう。」
「え…それは、なんか、ごめん。」
「傷ついちゃったからしばらくこの状態キープね。そろそろ離してあげようかなぁって思ってだけどナシ。」
抱きしめる力を強くする遼。
ちょっと苦しいなと思う雫。
だが、どうやら自分の言葉が傷つけてしまったようなので大人しくされるがままになっている。
こんな温かい空間に何の対価も無しに居ても良いのだろうかと彼女は考えてしまう。
安心しきってしまって頭を思い切り預ける状態になっている。
その安心した感情で気が付いてしまった。
あぁ、そうか。私は。
百済の屋敷が怖くて仕方なかったんだ──
冷たい記憶と辛い記憶しかないあの屋敷。
その屋敷に二度と戻りたいと雫は思えなかった。
雫の考えの気が付いたのだろうか、遼が全身を包み込むかのように態勢を変えて抱きしめる。
「もう、怖いものはないよ。大丈夫。全てから僕が守るよ。」
優しい声色で遼はそう言ってくる。
その優しさと声色に彼女は泣きたくなった。
あの屋敷でさえ泣くことがなかった雫が泣くことはないが、そんな気分にされてしまった。
泣く代わりに、静かに目を閉じた。
そして翌日。
黒く長い髪は三つ編みにされず下ろされている。
横髪だけ後ろで纏められてハーフアップにしていた。
纏めている髪の所には校則違反にならない程度の大きさのバレッタが留められている。
これで袴姿であったなら女子学生に間違えられただろう。
いつもの地味な雰囲気とはおさらば。
1人の絶世の美少女が制服姿でそこには立っていた。
「うわぁ!可愛い!!」
「朝からちょっとやめてよ!」
朝食を摂りに向かった部屋でいきなり遼に抱きしめられる雫。
何故かバレッタを撫でていた。
バレッタに何か埃でも付いているのかと思ったが、遼の表情を見る限り違うようだ。
うっとりとした表情で見ているからだ。
雫はじっとした目で未来の夫になるはずの男を見る。
「バレッタ見た?僕の翼の羽を埋め込んで作ったんだよ。」
「兄ちゃんの手作り!?」
「よく似合っているよ。」
あまり意識せずにお手伝いである久美子に髪型をセットしてもらったので、彼女は見てなかった。
そんな器用なことが出来る妖だっけ…と少し考え込んでしまいそうになるが、雫にそんな時間はない。
「兄ちゃん、離して。ご飯食べて学校行かなきゃ。」
「え~。こんな可愛い子を離したくない。」
「兄ちゃん。」
「遼。」
「へ?」
「遼って僕のことを呼ばせたら離してあげる。」
悪戯っ子のような表情で言う遼。
まるで言わせることはできないだろうとでも言ってるかのようだ。
対抗心を燃やす雫。
遼はこの少女のことを少し甘く見ていた。
「遼。良い子だから離して。」
やる時はやる女なのである。
初めて名で呼ばれて、しかも満面の笑みで呼ばれて固まる遼。
誰だって好きな人から自分の名を呼ばれたら嬉しいだろう。
遼もその1人だった。
「はい、言ったよ兄ちゃん。ご飯、いただきます。」
遼が固まっていた為に力が弱まっていた。
その隙を狙って雫は並べられていた料理の元へ向かい座る。
手を合わせてもう一度「いただきます」と言うが、まだ遼は向かいに座ろうとしない。
まだ固まっているのか、と先程まで居た方向を雫は見てみるとまだ固まっていた。
(ちょっとやりすぎたかもししれない…。)
そう思ったが、時間がないので先にご飯を頂くことにした。
「いってらっしゃーい。」
しばらく固まっていたが、遼はいつものように雫を送りだした。
監視用の式神をつけて。
彼女は大層不満そうだったが、長い髪を靡かせて玄関を後にした。
いつもの道を登校していると男子たちからの目線が得にするような気がした。
自意識過剰だと思い込みつつもなんだか嫌な予感がするな、と思いながら志穂と合流する地点に向かう。
「おはよー!雫…?雫、だよね。」
「おはよう。雫です。ごきげんよう。」
志穂の目に写る百済雫の姿はいつもの地味な雰囲気を纏ってはいなかった。
いつも結ばれている髪は下ろされ、艶やかな長い髪が風で舞っている。
ハーフアップに髪型を変えただけだというのに、西洋に出てくるお姫様のようだ。
ささやかな変化のはずなのに、親友の美貌に息を吞んだ。
「どうしたの?イメチェン?」
「無理やり。」
「烏丸さんが?」
「その通り。」
不満そうに短く返す雫。
その顔さえも美しく、思わずため息が出てしまう。
志穂の反応に「どうしたの?」と尋ねる彼女。
敵わないなぁ、と思いながらなんでもないと志穂は返した。
それから学校に到着し、教室に入るや否や雫は注目の的となった。
友人達からは可愛いともてはやされ、男子たちからは好奇の視線。
遼が言っていたことが当たるような気がして、雫は帰宅するのが嫌になった。
ホームルームで担任が入ってきた時さえ、担任が彼女の姿を見るなり息を止める。
雫の1つ1つの動作が美しく、普段なら目に付かなかったというのにその相貌に目を留めていた。
「百済、放課後に職員室に来なさい。」
男性である担任は気が付けばそんなことを口にしていた。
何の用だろうかと思いながら真面目な生徒である雫は、式神に礼儀正しく返事をさせた。
監視用の式神の目が少し痛いような気がした。
昼休み。
「担任、何の用だろうね。」
「わかんない。私、何の委員会にも部活にも入ってないんだけど。」
「んーなんだろう。」
校則違反もしていないし。とその言葉までは面倒なので言わせなかった。
用は何だろうかと思案し、あの担任の目を思い出してみると雫はゾクリと震えた。
あの目、兄ちゃんが自分を見る目に似ているような──
冷や汗が出た。
まさかね、と思う。
弁当が食べる手が止まっていた。
「ちょっと雫大丈夫?」
「うん…なんとか大丈夫。」
「放課後、担任の用が終わるまで待ってるから。」
「ありがとう。」
志穂の気遣いに平常心をなんとか雫は保った。
だが、冷や汗は何故か止まらなかった。
問題の放課後。
志穂を待たせている為に、雫は急いで職員室に向かった。
「失礼します」と式神に言わせて担任の元へ向かう。
すると、待ちくたびれたという感じで男性担任は待っており、着いてきなさいと言って資料室まで雫を連れて行った。
何か手伝いでもさせられるのだろうか、とそう思っていると。
鍵を閉められた。
「その容姿で何人の男とヤッたんだ?」
「はい?」
いきなり訳の分からない発言をされて、いきなり手首を掴まれる。
担任の男の表情は先生の表情ではなかった。
言うなれば飢えた獣。
ご馳走を目の前にした獣のようだった。
雫は身の危険を察知し、式神に攻撃命令を出そうとする。
殴られる。長年の経験からそう思ったのだ。
その時であった。
「担任が生徒に手を出すとか最低だと思うんだけど。」
いつの間にか掴まれていた手は離されており、嗅ぎなれた匂いが雫の身体を後ろから包み込んだ。
監視用の式神に転移術も仕込んでいたらしい。
朝とは違うカジュアルな服装である。
つまりは仕事中に雫を助けにきたということだ。
雫は突然の展開に頭が追い付けず戸惑うばかりである。
「誰だお前!…ってまさか、モデルの烏丸遼!?」
「そう。そしてこの子の正式な婚約者。僕、人間じゃないから基本的には手を出さないつもりでいるけど、これ以上何かしようとするなら容赦しないよ?」
「関係ないだろう!」
「あるよ。言ったじゃん、婚約者だって。」
「妖の婚約者ごときが」
「人間ごときがこの僕に敵うと思うなよ。」
遼が怒っている──
新たな危険を察知した雫は宥めるように式神に言わせた。
「兄ちゃん、落ち着いて。私は大丈夫だから。」
「式神の影像を校長先生に向けて送ったから。君、終わりだよ。」
「兄ちゃん!」
「雫。こういう奴は絶対許しちゃいけないタイプの人間。よく覚えておいて。」
そう言うなり資料室から術を使い、志穂の元へと移動させられた。
しっかりと監視していたらしい。
昼休みの会話も聞いていたようだ。
志穂はというといきなり現れた2人に驚いている。
「驚かせてごめん…。」
「どうしたの雫。烏丸さん、こんにちは。」
「よく、わかんない。」
「志穂ちゃんだっけ。こんにちは。君たちの担任、雫を襲おうとしてた。」
「え!?大丈夫だった雫!?」
「この通り。…正直、よく分かってない。」
「警察には通報した!?」
「校長にこの男が映像を直接送ったから、問題ない。」
雫よりも志穂の方が事態の把握が早かった。
事態をしっかり把握している2人とまだ飲み込めていない雫。
危機管理能力というものが雫に欠けているのが分かる。
「えっと、兄ちゃん。私、何をされそうになったのやらよく分かってないんだけど…。殴られそうになったのは分かるんだけど。」
「簡単に言うと、貞操の危機だったの。僕が行かなきゃ危なかったよ。」
「え!?私が!?」
「まさか担任の男が生徒に手を出すとはね。最低の極みだよ。」
遼は軽蔑した目で学校を見ている。
雫は初めての体験で震えそうになるのを必死で止めていた。
百済の屋敷ですら貞操の危機はなかった。
命の危険は沢山あったが、不気味な娘に誰もが忌避していた為に幸いにもそういう危機はなかったのだ。
「今日は陰陽寮休みな。僕から連絡しておく。」
そう言って志穂の目の前で雫を遼は抱きかかえた。
思わず口を押える志穂。
美男美女、お似合い過ぎて絵になっていたのである。
まるで王子様がお姫様を迎えにきたかのようだった。
迎えにきたという点は間違いではないが、少しばかり志穂は夢を見てしまう性格であった。
だが、雫がされたことを思い出すと現実に引き戻される。
「雫、明日学校お休みしなよ。私、これから副担に言ってくるから。」
「ありがとう…。面倒かけさせてごめん。」
「これくらい気にしないで。また来週ね!しっかり休みなよ。」
そう言って志穂は手を振りながら走ってその場を後にした。
2人の邪魔をしたくなかったのだ。
雫が元気になってくれますように。
自分の罪を許してくれた親友のことを神様に願った。
「誰も居ないよ。もう震えて大丈夫。」
「……。震えてなんか、いないよ。平気。」
「誰が抱きかかえてると思ってるのかなぁ?」
「……ごめん。」
「いいんだよ。僕の前では強がらなくたって。怖かったね。仕事もあの時に丁度済ませちゃったし、もう帰ろう。」
遼の体型に合わせた漆黒の両翼が背中から生える。
しっかりと自身の婚約者を抱きかかえると、一気に空まで上昇した。
オレンジ色の空が雫の目に入る。
夕日を見てみればやっぱり眩しくて、思わず目を閉じてしまう。
あんなにも震えるのを我慢していたというのに、今はもう震えていなかった。
きっとこの腕の中に居るおかげだと雫は考える。
まだ雫は遼の気持ちには応えることは出来ないが、この腕の中の温もりは信用してもいいだろうと彼女は体重を預けた。
そのことに気がついたのか、遼は雫の額にそっとキスをする。
案の定、彼女は怒っていたがどこか安心した表情を浮かべていた。
それから幾日か経ち、会合の日となった。
この日の雫は烏丸一族のお披露目以上に入念に身支度を準備させられた。
着物は前回と大きな変わりない。
黒をベースとした色に鬼の面の刺繍が施されているものだ。
簪も黒い羽根のものが刺さっっているが、その他にも花の髪飾りも付けられていた。
一国のお姫様と言われてもおかしくないほどの装飾品を身に纏っている。
化粧もしているため、実年齢よりも随分大人びて見えた。
「雫のこの可愛い姿、誰にも見せたくない…。」
「このやり取り、数日前もあった。」
志穂からのメッセージアプリで分かったことだが、あの後雫たちの担任は懲戒解雇。
担任も変わった。
遼が送った映像が証拠になったらしい。
当然の処分を受けたわけであり、雫は今後気を付けようと心に留めた出来事であった。
それはさておき、今の状況である。
妖の頂点に君臨しているはずの男は車から雫を降ろそうとしない。
会合は烏丸の森の近くにある大きな広い屋敷で行われる。
代々、会合を取り仕切っているのは鬼天狗を生み出すことが出来る烏丸一族だ。
少しばかり距離があるので、今日は雫の髪型や衣装を崩さないために車で移動をしていた。
「時間、そろそろだよ兄ちゃん。」
「うーん…嫌だ。」
「しっかりしてよ、妖の主さん。」
雫は無理やり車から降りようとする。
だが邪魔をしてくる妖の主。
威厳というものをどこかに落としてきたんじゃないだろうか、と彼女は呆れる。
「私の髪型とかぐじゃぐじゃになってもいいの?」
「それは良くない。」
「じゃあ、降りよう。」
自分の容姿を理由にするのはあまり気持ちの良いことではないが、ようやく雫は外に出ることが出来た。
続いて遼も車から降りてくる。
今日も彼は袴姿をしており、人外の美しさを引き立たさせている。
会合の会場である屋敷からはかなりの種族の妖の気配がした。
皆、鬼天狗である烏丸遼のことを今か今かと待っているらしい。
雫はくだらない理由で待たせてしまっていることを申し訳なく思った。
「さぁ、行こうか。僕の花嫁。」
「くさいセリフだなぁ。待たせてるみたいだし、行こう。」
遼の大きな手を取り、雫は手を握りしめる。
当然のように遼もしっかりと握り返してきた。
ささやかなことだが、こういう小さな行為でも大切にされていると分かり彼女は嬉しくなった。
屋敷に上がると、更に濃厚な妖たちの気配がした。
話し声も聞こえてくる。
久々の会合、積もる話もあるのだろう。
その邪魔にならない程度気配を消してに大広間へと向かった。
遼はというと先程とは打って変わり、雰囲気が違う。
威厳はどこへ消えたのやらと雫は思っていたが、やはり妖の主なのだ。
なんだかんだ言いつつも威厳というものを持ち合わせていた。
鬼天狗独特の気配を感じ取ったのだろう。
大広間に入るや否や、話し声は静かになり皆が頭を垂れていた。
「お待ちしておりました。我らが主、遼様。」
一同が声を揃えて言う。
本当に妖の主なのだなぁと隣で呑気なことを雫は考える。
1人の妖が頭を上げて雫の方を見ていた。
そして口を開いた。
「恐れながら申し上げます。遼様のお隣にいらっしゃるのが…。」
「そうだ。俺の婚約者の雫だ。」
一人称が変わる遼。
本当はしなくても良い立場の人間なはずだというのに雫は礼儀を尽くすということを忘れなかった。
式神に言わせる。
「お初にお目にかかります。声が出ない為、式神にて挨拶することをお許しください。百済雫です。私が当代、八尾比丘尼の娘の先祖返りとなります。陰陽師であり、今は遼の婚約者でもあります。どうぞお見知りおきを。」
流石にこの場でいつものように『兄ちゃん』呼びはしなかった。
これは遼から注意されていたことでもある。
他の妖たちを牽制するためのものでもあった。
それだけ、八尾比丘尼の娘が鬼天狗の名を呼び捨てで呼ぶという行為は効果的なのである。
丁寧に一礼された他の妖たちは雫の美貌に見惚れていた。
乳白色の肌に施された化粧に大人びた顔。
薔薇を彷彿とさせる唇。
黒曜石を思わせるような両目。
何もかもが美しく、見惚れてしまうのは仕方のない話であった。
「お前たち、見過ぎだ。俺の婚約者なんだ。少しは遠慮しろ。」
まるで穴が開くんじゃないかと思うくらい見られていた雫はその言葉に救われた。
精神的に減るものがあるので妖たちには申し訳ないが、自重というものをしてほしかった。
それから目的であるお披露目が終わった後、遼たちの後に来ていた彼の両親と共に2人は別室で時間を過ごすことになった。
完全防音であり、強力な結界を張っているため普段通りに過ごすことができる。
「好奇の視線って嫌いだということを知ったよ。」
「今日の雫は綺麗すぎるからね。」
綺麗という言葉は遼に当てはまるのではないだろうか、と思う雫。
彼の両親も美男美女だ。遺伝子を間違いなく受け継いでいるのだろうと考えた。
そんな彼女もその部類の一部に入ることをやはり気が付かない。
妖たちの好奇な目は今日の装飾品や、人間の物珍しさが原因だと勝手に解釈をしている。
「いつも可愛らしいけど、今日の雫ちゃんは一段と可愛いね。」
「本当にね。こんな子が嫁に来るのだと思うと楽しみだわ。」
何を想像しているのか勝手に盛り上がっている遼の両親。
なんだか雫は1人、置いてけぼりにされているような気がした。
いや、実際置いて行かれているのかもしれない。そう感じた。
全く想像がつかないのだ。
遼と結婚し、結ばれてこの両親のように楽しそうに話している光景が。
幸せ、いや。ごく普通とは無縁の環境に居過ぎたのが原因なのだろう。
見せつけられるのはなかなか心に刺さるものがあった。
寂しげな雫のその視線を、遼は見逃すことはなかった。
それからしばらく経った後の話である。
会合の屋敷に張られている強力な結界が陰陽師の手によって破られたのは。
応援ありがとうございます!
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