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第六章

第六章-10-※

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 柔らかな陽光を浴びながら中庭にあるベンチに腰掛け、本を読んでいる聖を輝斗は黙って見つめていた。
 穏やかな昼下がり。何気ない日常。ささやかだけれど、幸せに満ちた時間。
 そのはずだが――。
(……俺は何をしてた?)
 ふと我に返った輝斗は目を瞬かせた。視線を落とせば、腕に抱えているのは二本のペットボトル。よく冷えた炭酸飲料だ。
(聖に飲み物を買ってきてほしいって頼まれたんだった)
 今は昼休みで、午後の授業まで時間はまだある。もう少しだけ、のんびり過ごせる。
(ああ、綺麗だな)
 自然と輝斗は口元を緩めていた。陽射しの中で見る聖の赤紫の髪、金色の瞳がキラキラしている。
「ん?」
 視線に気付いた聖が、僅かに顔を上げて目元を綻ばせた。
「輝斗」
 名前を呼ぶ声が耳に心地良い。屈託のない笑顔を見るのが好きだ。
 輝斗は胸がじんわりと温かくなるのを感じながら、彼と同じように表情を和らげる。
「聖」
 手にしていたペットボトルに入った飲み物を抱え、彼の元へ駆け寄ると一本を差し出した。
「お待たせ」
「そんなに待ってないよ」
 閉じた本を膝に載せた聖は、差し出されたペットボトルを手に取り微笑んだ。
 輝斗は隣に座ると、首を動かして空を見上げる。
 もう冬になろうとしているのに、陽射しがぽかぽかして気持ちいい。
「いい天気だ」
「そうだな」
 キャップを回し、聖はペットボトルに口づける。
「こんな日は、絶好の昼寝日和だが……」
 言い止して、輝斗の方を振り向いた。
「気を抜いて寝過ぎると、あっという間に体温を奪われるぞ。そろそろ目を覚ませ」
「えっ?」
 きょとんとした表情を浮かべ、輝斗は聖を見つめる。穏やかに微笑んでいる彼の顔が、だんだん霞んでいく。
 靄が掛かったように視界が白く覆われ、そして――。
「――っ!?」
 ハッと目を開けると、そこは凍えるような寒い空間だった。小さな火の玉が、いくつか宙に浮かんでいるが、今にも消えてしまいそうだ。
「眠っていたのか……」
 はあ、と息を吐いて輝斗は目を伏せた。現実と夢が曖昧になっているのは、かなり不味い。気をしっかり持とう、と軽く頭を振った。
 直江の罠によって、輝斗と忍は冷凍コンテナに閉じ込められている。満足に力が使えないように水の結界を張られ、脱出することも不可能な状況だ。かろうじて小さな火の玉を生み出すことは出来るが体温を上げるには心許ない。
「忍、大丈夫か?」
「…………」
 声を掛けるが返事はなかった。目を閉じたまま微動だにしない。
「寝るな……起きろ」
 忍の頬を何度か叩くと、僅かに反応があった。
「痛ぇな……」
「良かった……」
 薄く目を開けた忍に安堵のため息を吐く。
「出来るだけ、お前に炎が当たるようにする……か、ら……」
 火の玉を忍の傍へ近づけようとして、輝斗は彼の胸に顔を埋めるようにもたれかかると目を閉じる。気を張ろうとするも、とっくのとうに限界は超えていた。

     × × ×

「なっ!?」
 宙に浮かんでいた火の玉が、次々と消失する。真っ暗になった所で、忍は輝斗の両肩に手を置いて軽く揺さぶった。
「おい、神条? しっかしろ、おいっ!」
「…………」
 返事がない。
「クソッ」
 焦った忍は首筋に手を当てる。脈はあったので、小さく息を吐いた。それから、少しでも熱を奪われないようにと輝斗を抱き寄せる。
「どうする……どうすればいい?」
 このまま仲間たちに発見されなかったら、ふたりまとめて冷凍人間の出来上がりだ。正直な所、忍も意識を保っていられる自信がない。
「降参する?」
 コンテナ内に直江の耳障りな声が響き渡る。
「助けてくださいって、泣いて懇願すれば考えてあげてもいいよ?」
「断る」
「そんなこと言っていいの? 大ピンチじゃ――」
 ドン、と床を拳で思いっきり叩いた。
「黙ってろ……!」
 感情を押し殺した低い声で言うと、忍は輝斗を支えたままの手に力を込める。
「ふぅー……」
 ゆっくりと息を吐き、爆発しそうになる感情を押し込める。直江の声を聞いて逆に冷静になった。
「俺に出来ること、あるだろ」
 懐から有りっ丈の札を取り出し、周囲にばらまく。淡い水色の光を発すると、自分たちを囲むように光の壁になった。
 冷気を少しでも遮断出来ないかと障壁を築いてみたが、薄いレースのカーテンのようで、ちょっとでも刺激を与えれば、あっさり砕け散ってしまいそうだ。
「ちっ、薄っぺらい壁だな」
 これでは完全に遮断出来ないだろう。
「いつまで持つか……」
 輝斗が生みだした火の玉よりも脆弱な壁だ。そう長くは持たない。体力も気力も限界を迎えている。気を抜けば、また意識を失ってしまうだろう。
 密着しているからか、輝斗の心臓の鼓動が伝わってくる。
「死ぬなよ……」
 忍の思う神条輝斗という男は、悪魔を倒すことに異常なまでに執着をみせる死にたがりの変人だ。しかし、そこまでして固執する理由が、親友の白瀬聖を目の前で失ったことだと知って長年の疑問が晴れた。
 悪魔によって不幸になった者は数多く存在する。輝斗もそのひとりに過ぎず、同情するつもりはない。
 輝斗とコンビを組んでいる関係で、何度も任務で振り回されてきた。任務に対する考え方の違いで、うんざりするほど口論してきたし、目の前で輝斗が死にそうになったのも一度や二度ではない。その度に忍がフォローして回避してきた。本人は感謝しているのかそうじゃないのか、いまいち表情が分かりにくく、それが余計に腹が立った。
 それでも――戦闘時に最も傍にいるのは忍なのだ。輝斗の命を繋ぎとめられるのは、バディの自分しかいない。
「俺の前で死なれると寝覚め悪いだろ」
 この先も、輝斗は無茶な戦いを続けるだろう。今は運良く生き残れても、そのうち本当に命を落とす。

 ――コンビを組んでいるうちは、絶対に死なせない。

 この部隊に配属され、輝斗と行動するようになった忍が密かに心に誓ったことだ。
「畜生……」
 それなのに、この様はなんだと舌打ちする。無力な自分が悔しくて奥歯を噛みしめた。
 腕の中で弱っていく輝斗の顔を見つめ、忍は表情を曇らせる。海で溺れた時に助けた時のように上手くいかない。

 ――本当に?

 暗く沈んでいく思考に呑まれてしまいそうになっていたが、脳裏に“あること”がよぎる。
「……そうだ」
 あの時、悪魔によって海の中へ引きずり込まれた輝斗は水を大量に飲んで気を失っていた。助けるために、仕方なく人工呼吸をしたのだ。
 今の輝斗は体力もだが霊力を著しく消耗している。ならば、忍の霊力を彼に流し込めば、多少は生命時に繋がるかもしれない。
(霊力の波動を同調させれば……。成功するか分かんねぇが、やる価値はある)
 背に腹は代えられない。覚悟を決めた忍は、輝斗の顔を挟むように両手で添えた。
「キスするのは二回目だからな」
 そう言って、顔を被せた。
 小さくなっていく輝斗の霊力を感じた忍は、そのまま波長を合わせようと試みる。すると、ほんの僅かだが障壁が厚くなった気がした。
(よし、ふたり分の力を重ねれば、少しはマシになる)
 意識を同調させるために、より密着できるように粘膜接触を選んだのは他意はない。断じて邪な気持ちがあったわけでない、と何度も己に言い聞かせていた。

     × × ×

「……っ、んん」
 仄かに感じる熱が、自分の中に注がれていることに気付いた輝斗は、ゆっくりと目を開けた。
「んっ!?」
 焦点の合わない距離で忍の顔があることに驚いた輝斗は、僅かに首を動かした。
「な、にを……?」
 重ね合わさっていた唇が離れ、吐息を漏らしながら言葉を紡ぐ。状況が分からず、混乱している輝斗の緋色の瞳が揺れている。
「し、の……んぅっ」
 動くな、と目で訴えた忍は、輝斗の後頭部に手を回して再び唇を重ねてくる。
「ふ、んっ……」
 輝斗は離れようと、忍の胸に手を置いて抵抗する。そうしている間も、忍の舌が口腔に侵入してきて、思わず肩を震わせてしまう。まさか舌まで入れてくるとは思わなかったので、自身の舌を引っ込めようとするも、あっさり絡め取られてしまった。
「んぅっ――はあっ……な、んで……?」
 ドンドン、と胸を叩き続けると、やっと解放してくれた。
 触れていた唇から透明な糸が伸び、プツンと途切れる。
「波長が乱れる。大人しくしろ」
「だからって……っ」
 顔を離した忍は早口で言うと、すぐに唇を被せた。
 どうしてこんなことに――という疑問を飲み込むしかない。
(なんで? どうして、こうなった?)
 動揺しっぱなしの輝斗だったが、唇を重ね合わせていくうちに身体の奥から熱が湧き上がってくるのを感じた。
(温かい……。忍の力が流れ込んでるのか?)
 触れている手のひらを通して心臓の鼓動が伝わってくる。輝斗と同じくらい早く脈打っているが、忍も緊張しているようだ。
「あ、ふぅ……んっ」
 口の端から、どちらとも言えない唾液が流れ落ちる。ずっと口を塞がれているので呼吸が上手く出来ず、頭がぼうっとしてきた。舌も痺れてきて、今では忍にされるがままだ。
(海で溺れた時も、こんな風だったのか?)
 違う――。
 これは人工呼吸ではない。軽く触れるキスでもない。お互いを確かめるように、味わうように、より深く繋がろうとしている。甘く痺れるような深いキスだ。
(もう、息がっ……)
 残念なことに輝斗はこの手の口づけ時に、どうすればいいのか分かっていなかった。動揺しすぎるあまり、肺に酸素を上手く運べていない。忍も余裕がなかったので鼻から息をするように指示を出しておらず、波長を合わせることに集中していた。強引な手段に及んでいるため、彼自身も目一杯の状態だ。
 お互いにいっぱいいっぱいの中、コンテナを叩く音が微かにした。

 ――コンコンッ。

「――っ、ぷは……」
「……あ?」
 二人は弾かれたように顔を離し、音のした方へ首を動かす。
「輝斗、御堂さん!」
「はあ、ぁ……幸弘だ……」
 肩で息をしながら、輝斗は安堵のため息を吐いた。
「やっと来たか……」
 忍も深いため息をつき、顎についた唾液を手の甲で乱暴に拭う。
 しばらくして、コンテナの扉が開いた。外の空気が入り込むのと同時に、幸弘と千景が中へ入ってくる。
「こんなに冷えて……。早く外へ出よう」
「ああ……」
 幸弘に支えられ、輝斗は力なく返事をした。
「輝斗、熱があるの? 顔が赤いよ?」
「あ……どうだろう。自分じゃ、よく分からなくて……」
 どんな顔をしているのか分からず、輝斗は曖昧に答えた。視線を忍の方へ向けると、彼は千景と会話をしている。
「遅くなってすまない。結界を解除するのに手間取った」
「あと少し遅かったら、ヤバかったぞ……」
 千景の肩に腕を回し、ふらりつきながらも自身の足で歩いている。前髪だけでなく、まつげも白くなっていた。冷凍コンテナの中にいたのだ。おそらく自分も同じような状態だろう。
「輝斗、行こう」
「ああ……」
 輝斗も同じように幸弘にもたれかかりながら、足を踏み出した。
 外は寒空のはずだが、あの中にいるよりも暖かく感じる。
「最後のひとりは見つかったのか?」
「うん、無事だよ」
 頷いた幸弘に、輝斗は安堵のため息を零した。
「そうか……良かった」

「あ~あ、全員見つかっちゃったか」

 残念そうに呟くと、直江が黒い翼を羽ばたかせながら、ふわりと降り立った。
「須賀……てめぇっ!」
 今にも斬りかかろうとする忍を、千景が押さえる。
「落ち着いて。今の君じゃ無理だ」
「まあ、全員見つけられてもいいけど。ちょっとした遊びだしね」
 直江は射貫くような視線も軽く受け流している。
「人の命をかけた遊びがあってたまるか」
 輝斗が言うと、直江はスッと目を細めた。
「それは、きみたち基準でしょ」
「このっ……」
 カッと目を開き、輝斗が一歩足を踏み出す。
「それくらいにしておきなさい。ゲームは終わったのですから」
 直江の隣に降り立ったのはアレクセイだ。遅れてローザも姿を現す。ふたりは音もなく着地すると、輝斗たちを真っ直ぐ見つめた。
「長居は無用だ。さっさと行くぞ」
「そうよ。クソガキの相手をして疲れちゃった」
 ヤマトとカオルも現れたので、輝斗たちは険しい表情を浮かべ身構える。
「威たちはどうした?」
 厳しい視線を注ぐ輝斗に、アレクセイが微笑をたたえながら口を開いた。
「無事ですよ。頃合いを見計らって、我々が引いたんです」
「本当だよ。だから、安心してほしい」
 アレクセイの言葉を継いで千景が言う。
「えっと、きみが神条輝斗だよね。サタンが気にしてる男だとか」
 のんびりとした口調で言うと、直江は頭から足先まで全身をじっくりと観察している。その視線に居心地の悪さを感じながらも、輝斗は真っ直ぐ見据えたままだ。
「彼と親友だったらしいけど、だからこそ会いたくないんだろうな」
「なんだと?」
「そのせいで、リヴァイアタンが不機嫌ですね」
「あー、確かに」
「マオは、すぐへそを曲げるから」
 アレクセイたちが、うんうんと頷いている。
「ま、どうでもいいけど」
 興味なさそうに呟くと、直江は別の話題に切り替えた。
「この先、盛大なパーティーを開くから、きみたちも楽しんでよ」
「パーティーだと?」
 片眉を上げる忍に、直江は笑みを深めた。
「そっ。おれたちが勝つのか、きみたちが勝つのか……。ねえ、御堂。僕を退屈させないでよ。あっさり死なれたら、つまんないから」
「ふざけんな!」
 怒鳴りつける忍に、直江は笑みを一層深めると、ひらひらと手を振った。
「じゃあね。また遊ぼう」
 ふわりと宙に浮いた直江は翼をはためかせ、一気に上昇する。
「待て!」
 千景の腕を振りほどき、忍が空に向かって刀を振るう。白い閃光が放たれるが、虚しく空を切るだけだった。
 そこにいたはずのアレクセイたちの姿も消えている。
「逃げられたな」
 輝斗も忍の隣にやって来て空を見上げ、苦々しい思いで呟いた。ひらりと一枚の黒い羽根が振ってきたので、能力を使って燃やす。
「……っ」
 灰になるのを眺めていたら、視界がぐらついた。弱った状態で力を使ったせいか目眩が激しい。
「っと、無茶すんな」
 忍が腕を回して支えてくれた。
「……すまない」
「ったく、仕方ねえ奴」
 いつもだったら、畳みかけるように文句を言うはずだが、忍は苦笑を漏らすだけだった。
「なんだよ?」
 不思議そうに瞬きを繰り返す輝斗に気付き、忍は怪訝そうに眉を寄せる。
「いや、なんでもない」
「輝斗」
 横から伸びた手が、輝斗と忍を引き剥がした。
「幸弘」
「みんなと合流しよう」
「ああ」
 頷いた輝斗の肩を抱き、幸弘は忍を一瞥してから歩き出す。
「もう少し、ゆっくり歩いてくれ」
「ごめん。このくらいでいい?」
 ふたりの後ろ姿を眺めていた忍は、数度目を瞬かせた。それから、千景の方へ振り返る。
「なんで東に睨まれたんだ?」
 小さく笑い、千景は忍の背中を軽く押した。
「たぶん、やきもちじゃないかな」
「はあ? なんでだよ」
「なんでだろうね。さあ、僕たちも行こう」
 納得がいかない、と不満気な忍に、千景はのんびりと相づちを打つだけだった。
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