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第1話 飛び去るスズメ
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僕の失恋には執行猶予がついた。
生まれて初めて好きになった人だった。初犯だったことが幸いし、禁固刑にはならなかった。しかしこれから3年、賞罰欄に強制性交等罪、懲役1年、執行猶予3年と書かれた履歴書で就職活動をしなければならない。
彼女のためならなんでもする、何を投げ打ってでも彼女を愛する。僕はその誓い通り、彼女を愛し、そして全てを失った。
男にとって昼の公園のベンチというのは、リストラの象徴のように描かれることが多い。タイミングよくベンチャー企業を立ち上げた社長が人生を例え、レールの外にも無数の道がある、と堅実に生きる若者を煽っているが、道を踏み外した者にはこのベンチしかないことを知っているのだろうか。
なけなしの金で買った菓子パンを、遠巻きにスズメが狙っている。一欠片たりとも落とさないケチな人間をどんな目で見ているのだろう。
スズメは何年生きるのかな。
それは菓子パンを与えないための理由を探していて湧き出した疑問だった。しかしその疑問で自分の奥底に閉じ込めていた感情の蓋が開く。
僕はこの惨めな生活をあと何日続けなければならないのだろう。僕はあと何年生きなければならないのだろう。僕の寿命はあと何年なのだろう。
レールの上を歩いていた時には気がつかないことばかりだった。生きるのは辛く苦しい。こどもが遊ぶ公園で飲む水の味、お腹が空きすぎた時の胃の痛み、夜を明かすために財布の中の小銭を何度も確認する侘しさ、履歴書を見せた時の侮蔑を宿した視線。そして今日から路上生活を余儀なくされたのにもかかわらず、くだらないプライドを捨てられない惨めさ。
パンをちぎってその辺に撒き散らす。スズメは恐る恐る近づいてパンを咥えた途端、こちらには一瞥もくれずに飛び立っていく。みんなそうなのだ。人も鳥も。生きるのに人の目など気にしていられない。
季節は冬。このまま外で寝たら凍死する。とりあえず段ボールをもらってからこれからどうするか決めよう。僕は立ち上がり、商店街に向かった。
この辺は日雇いの職場の近くで、土地勘があまりなかった。商店街の真ん中のスーパーを目指していたつもりだったが、いつの間にか路地裏に迷い込んでしまう。そこで雰囲気のあるレトロなビルに視線が奪われた。ビルの雰囲気に全く合っていないド派手な蛍光ピンクの張り紙が貼られていたからだ。僕は吸い込まれるようにレトロなビルに歩き出す。
男性限定! 住み込みバイト募集中! 学歴不問! 精力に自信がある方、未経験者大歓迎! お気軽に事務所までお越し下さい。
それは張り紙の色通り、風俗の求人のようだった。しかし女性の求人はよく見るが、男性限定とは……?
自分の鞄の中に履歴書があることを確認する。もう生きるのに人の目など気にしていられない。僕は決意し、レトロな木のドアをノックした。すると2階の窓から声が降ってきた。
「施錠していないからそのまま2階に上がってくれ!」
若干怯んだがここまできたらあとには引けない。僕は返事もせずに木のドアを引いて中に入った。
1階に入ってびっくりしたことは、建物の中にバイクがあったことだった。バイクを整備するためか、いろんな工具がところせましと置いてある。風俗店だと思ったが違ったのだろうか、そう思いながら正面奥の螺旋階段を上がる。
「コーヒーとお茶、どっちがいい? と言ってもコーヒーはインスタントだからお茶をお勧めする」
2階に上がるや否や奥から声がする。
「お構いなく!」
「じゃあお茶だな!」
2階に上がった視界には人影はなかった。給湯室から叫んでいたのであろう、しばらくしたら女性が不器用にガチャガチャとお茶を運んできた。目の前の応接用と思われるソファに挟まれたローテーブルにガチャンとお盆を置いて、こちらに振り返る。僕は咄嗟に目を背けて俯いた。女性が歩いてきた気配がして、僕の視界に綺麗な手が差し出された。
「よくあんないかがわしい張り紙で来れたな、真下悠だ。よろしく」
真下悠と名乗る女性は多分握手を求めていたが、僕はそれを握り返せなかった。変な汗をかいて時が過ぎるのを待っていたら、女性が息を漏らす。ため息かと思って顔を上げたら、とてつもない美女が腰を屈めて笑っていた。
「とりあえず座ってお茶でも飲もう」
ビルの外観から大きな会社だとは考えていなかった。でもせめて5、6人は勤めているのだろうと予想していたので、やけに静かなオフィスにソワソワする。身振りでソファを勧められ、一緒に着席するや否や女性が口を開く。
「ここは探偵事務所で、働いてるのは私だけだ」
咄嗟に僕は立ち上がり鞄を抱える。
「あ、あの……僕……やっぱり……」
女性はゆっくり立ち上がり、僕のおでこの先に手を水平にかざし自分の背と比べていた。
「君は背が高いな、スポーツか何かやっていたのか?」
その行動にびっくりしたのもあったが、思った以上に女性がデカかったので、思わず後退りしてしまった。
「確かに尾行の時には目立つかもしれないが、頼みたい仕事はほとんど事務作業だから安心しろ」
ニカっと笑って女性が再び座る。このまま出ていく雰囲気ではなくなってしまったので、仕方なしに着席して、自分の履歴書をローテーブルに置いた。毎回履歴書を手に取られる瞬間だけは慣れず、胃の浮くような感覚に囚われる。
しかし履歴書を取り上げた女性の行動は今までの面接官のそれとは全く異なっていた。中身も見ずに履歴書そのものを裏表と眺める。
「随分と使い古された履歴書だな」
僕は恥ずかしさで顔が熱くなる。履歴書のお金もケチり、面接で不採用の場合にはその場で持って帰ってきていたのだ。写真を撮り直すお金すらも死活問題だった。それほどに困窮していた。僕が恥ずかしがっている間に女性は履歴書に目を落とし、ただ一点を見つめていた。それを見て、やはりさっき立った時に帰ればよかったと後悔する。
「後学のために言うんだが、賞罰欄がない履歴書もあるんだ。JIS規格のものですらないのだからわざわざ選んでこれに書く必要はない」
僕は思ってもみなかった言葉に絶句する。賞罰欄に書いてあることが見えないのだろうか?
「鉄工所勤務だったのか、かっこいいな。男の仕事! って感じだ。1年半どうやって食いつないできたんだ?」
さっきから聞かれたこともないことばかりで混乱してしまう。だがかろうじて答えられる質問だったので、手短に答える。
「日雇いのバイトで」
「書かれてる住居は随分遠いが、鉄工所勤務の時の住所か?」
痛いところを突かれてまた黙ってしまう。示談金で全ての財産を失い、懲戒解雇で職も失った。ほぼ1年半前から住所不定なのだ。
「じゃあ今日から住み込みで働けるな。3階が住居になってるから。あとで部屋を見てどうしても趣味が合わないとか、やっぱりプライベート空間が欲しいとか思ったら……」
ペラペラと喋る女性が突然恐ろしいものに感じて、思わず遮るように怒鳴ってしまう。
「賞罰欄を見てないんですか!? 意味がわからないようだったらちゃんと説明します!」
「意味がわからないことはひとつだけある」
突然突き刺すような眼差しで女性は僕を見る。美しいその顔に目が離せない。
「人を犯したのになんで童貞なんだ? 口淫でもさせたのか?」
「な……」
「なんでわかるのかって? そんなこと魔女じゃなくたってわかる」
「ま……魔女?」
その疑問に女性は左手から炎を出して答える。
「別に信じなくたっていいさ。でも業務は大半魔法を使うから、君は内勤だ。それに君は……」
そう言うと女性は炎を消して再び履歴書を掴む。女性は世良伸雄、と僕の名前を小さく反芻する。
「君の名前はあれだな、キラキラ輝く小川に突然ドアが現れる、そんな違和感を覚える名前だ。でもそういう情緒のない名前が気に入ったよ」
それは伸雄がドアノブのノブだからだろうか。人の名前を揶揄する禁忌に踏み込む口調からは、失礼さよりも正直さを感じた。
「ノブって呼ぶよ。情緒より実用だ。私は真下悠。ノブは私をなんて呼ぶんだ?」
目を輝かせ、前のめりになる女性に圧倒され、僕は唸るように言葉を絞り出す。
「真下さん……」
真下さんが再び手を差し伸ばす。握手をしたいのだろうが、僕はそれを握れずにいる。僕は差し出された手を見つめることしかできなかった。
「女性が怖いのか? でも無実だと心のどこかで思っているから今まで生きてきたのだろう?」
その言葉が心にどっと流れ込んで、息苦しさから顔を上げてしまう。真下さんが優しい顔で笑っている。
「1年半よく諦めなかったな。もう大丈夫、ここは安全だ」
僕は喉元に迫った今までの孤独を堰き止められなかった。ボタボタ流れる涙を拭うことさえできず、苦しい胸を両手で押さえた。
真下さんは突然立ち上がりローテーブルを跨いで僕側へ来た。ローテーブルにどかっと座って、胸を押さえていた僕の手にそっと手を当てた。
「痛むのか?」
僕は慌てた拍子に真下さんの手を振り解いてしまう。真下さんは僕の上着のファスナーを下ろし胸に顔を突っ込んだ。あまりの速さに抵抗もできず、背もたれに背中をぶつけたその瞬間。表現できないような温かいものが胸に流れ込む。今まで感じたことがない快感だった。さっきまでの胸の痛みなどどこかに吹き飛び、感動した時のような胸の震えで体温が上がったのがわかる。まだ冬のど真ん中だというのに、鼻の奥に春の匂いを感じた。
「あ……っ! ああっ……真下さん……」
「胸の痛みは消えたか? 東洋の漆黒悪鬼様秘伝の愛情表現だ」
「東洋……?」
「まあ、いい。ノブ、最初の仕事は下の破廉恥な張り紙を剥がすこと。当面はノブの生活基盤を整えるぞ」
真下さんは僕の胸から顔を上げて立ち上がりながら指示を出した。僕は返事をして下の張り紙を剥がしに立ち上がった。
生まれて初めて好きになった人だった。初犯だったことが幸いし、禁固刑にはならなかった。しかしこれから3年、賞罰欄に強制性交等罪、懲役1年、執行猶予3年と書かれた履歴書で就職活動をしなければならない。
彼女のためならなんでもする、何を投げ打ってでも彼女を愛する。僕はその誓い通り、彼女を愛し、そして全てを失った。
男にとって昼の公園のベンチというのは、リストラの象徴のように描かれることが多い。タイミングよくベンチャー企業を立ち上げた社長が人生を例え、レールの外にも無数の道がある、と堅実に生きる若者を煽っているが、道を踏み外した者にはこのベンチしかないことを知っているのだろうか。
なけなしの金で買った菓子パンを、遠巻きにスズメが狙っている。一欠片たりとも落とさないケチな人間をどんな目で見ているのだろう。
スズメは何年生きるのかな。
それは菓子パンを与えないための理由を探していて湧き出した疑問だった。しかしその疑問で自分の奥底に閉じ込めていた感情の蓋が開く。
僕はこの惨めな生活をあと何日続けなければならないのだろう。僕はあと何年生きなければならないのだろう。僕の寿命はあと何年なのだろう。
レールの上を歩いていた時には気がつかないことばかりだった。生きるのは辛く苦しい。こどもが遊ぶ公園で飲む水の味、お腹が空きすぎた時の胃の痛み、夜を明かすために財布の中の小銭を何度も確認する侘しさ、履歴書を見せた時の侮蔑を宿した視線。そして今日から路上生活を余儀なくされたのにもかかわらず、くだらないプライドを捨てられない惨めさ。
パンをちぎってその辺に撒き散らす。スズメは恐る恐る近づいてパンを咥えた途端、こちらには一瞥もくれずに飛び立っていく。みんなそうなのだ。人も鳥も。生きるのに人の目など気にしていられない。
季節は冬。このまま外で寝たら凍死する。とりあえず段ボールをもらってからこれからどうするか決めよう。僕は立ち上がり、商店街に向かった。
この辺は日雇いの職場の近くで、土地勘があまりなかった。商店街の真ん中のスーパーを目指していたつもりだったが、いつの間にか路地裏に迷い込んでしまう。そこで雰囲気のあるレトロなビルに視線が奪われた。ビルの雰囲気に全く合っていないド派手な蛍光ピンクの張り紙が貼られていたからだ。僕は吸い込まれるようにレトロなビルに歩き出す。
男性限定! 住み込みバイト募集中! 学歴不問! 精力に自信がある方、未経験者大歓迎! お気軽に事務所までお越し下さい。
それは張り紙の色通り、風俗の求人のようだった。しかし女性の求人はよく見るが、男性限定とは……?
自分の鞄の中に履歴書があることを確認する。もう生きるのに人の目など気にしていられない。僕は決意し、レトロな木のドアをノックした。すると2階の窓から声が降ってきた。
「施錠していないからそのまま2階に上がってくれ!」
若干怯んだがここまできたらあとには引けない。僕は返事もせずに木のドアを引いて中に入った。
1階に入ってびっくりしたことは、建物の中にバイクがあったことだった。バイクを整備するためか、いろんな工具がところせましと置いてある。風俗店だと思ったが違ったのだろうか、そう思いながら正面奥の螺旋階段を上がる。
「コーヒーとお茶、どっちがいい? と言ってもコーヒーはインスタントだからお茶をお勧めする」
2階に上がるや否や奥から声がする。
「お構いなく!」
「じゃあお茶だな!」
2階に上がった視界には人影はなかった。給湯室から叫んでいたのであろう、しばらくしたら女性が不器用にガチャガチャとお茶を運んできた。目の前の応接用と思われるソファに挟まれたローテーブルにガチャンとお盆を置いて、こちらに振り返る。僕は咄嗟に目を背けて俯いた。女性が歩いてきた気配がして、僕の視界に綺麗な手が差し出された。
「よくあんないかがわしい張り紙で来れたな、真下悠だ。よろしく」
真下悠と名乗る女性は多分握手を求めていたが、僕はそれを握り返せなかった。変な汗をかいて時が過ぎるのを待っていたら、女性が息を漏らす。ため息かと思って顔を上げたら、とてつもない美女が腰を屈めて笑っていた。
「とりあえず座ってお茶でも飲もう」
ビルの外観から大きな会社だとは考えていなかった。でもせめて5、6人は勤めているのだろうと予想していたので、やけに静かなオフィスにソワソワする。身振りでソファを勧められ、一緒に着席するや否や女性が口を開く。
「ここは探偵事務所で、働いてるのは私だけだ」
咄嗟に僕は立ち上がり鞄を抱える。
「あ、あの……僕……やっぱり……」
女性はゆっくり立ち上がり、僕のおでこの先に手を水平にかざし自分の背と比べていた。
「君は背が高いな、スポーツか何かやっていたのか?」
その行動にびっくりしたのもあったが、思った以上に女性がデカかったので、思わず後退りしてしまった。
「確かに尾行の時には目立つかもしれないが、頼みたい仕事はほとんど事務作業だから安心しろ」
ニカっと笑って女性が再び座る。このまま出ていく雰囲気ではなくなってしまったので、仕方なしに着席して、自分の履歴書をローテーブルに置いた。毎回履歴書を手に取られる瞬間だけは慣れず、胃の浮くような感覚に囚われる。
しかし履歴書を取り上げた女性の行動は今までの面接官のそれとは全く異なっていた。中身も見ずに履歴書そのものを裏表と眺める。
「随分と使い古された履歴書だな」
僕は恥ずかしさで顔が熱くなる。履歴書のお金もケチり、面接で不採用の場合にはその場で持って帰ってきていたのだ。写真を撮り直すお金すらも死活問題だった。それほどに困窮していた。僕が恥ずかしがっている間に女性は履歴書に目を落とし、ただ一点を見つめていた。それを見て、やはりさっき立った時に帰ればよかったと後悔する。
「後学のために言うんだが、賞罰欄がない履歴書もあるんだ。JIS規格のものですらないのだからわざわざ選んでこれに書く必要はない」
僕は思ってもみなかった言葉に絶句する。賞罰欄に書いてあることが見えないのだろうか?
「鉄工所勤務だったのか、かっこいいな。男の仕事! って感じだ。1年半どうやって食いつないできたんだ?」
さっきから聞かれたこともないことばかりで混乱してしまう。だがかろうじて答えられる質問だったので、手短に答える。
「日雇いのバイトで」
「書かれてる住居は随分遠いが、鉄工所勤務の時の住所か?」
痛いところを突かれてまた黙ってしまう。示談金で全ての財産を失い、懲戒解雇で職も失った。ほぼ1年半前から住所不定なのだ。
「じゃあ今日から住み込みで働けるな。3階が住居になってるから。あとで部屋を見てどうしても趣味が合わないとか、やっぱりプライベート空間が欲しいとか思ったら……」
ペラペラと喋る女性が突然恐ろしいものに感じて、思わず遮るように怒鳴ってしまう。
「賞罰欄を見てないんですか!? 意味がわからないようだったらちゃんと説明します!」
「意味がわからないことはひとつだけある」
突然突き刺すような眼差しで女性は僕を見る。美しいその顔に目が離せない。
「人を犯したのになんで童貞なんだ? 口淫でもさせたのか?」
「な……」
「なんでわかるのかって? そんなこと魔女じゃなくたってわかる」
「ま……魔女?」
その疑問に女性は左手から炎を出して答える。
「別に信じなくたっていいさ。でも業務は大半魔法を使うから、君は内勤だ。それに君は……」
そう言うと女性は炎を消して再び履歴書を掴む。女性は世良伸雄、と僕の名前を小さく反芻する。
「君の名前はあれだな、キラキラ輝く小川に突然ドアが現れる、そんな違和感を覚える名前だ。でもそういう情緒のない名前が気に入ったよ」
それは伸雄がドアノブのノブだからだろうか。人の名前を揶揄する禁忌に踏み込む口調からは、失礼さよりも正直さを感じた。
「ノブって呼ぶよ。情緒より実用だ。私は真下悠。ノブは私をなんて呼ぶんだ?」
目を輝かせ、前のめりになる女性に圧倒され、僕は唸るように言葉を絞り出す。
「真下さん……」
真下さんが再び手を差し伸ばす。握手をしたいのだろうが、僕はそれを握れずにいる。僕は差し出された手を見つめることしかできなかった。
「女性が怖いのか? でも無実だと心のどこかで思っているから今まで生きてきたのだろう?」
その言葉が心にどっと流れ込んで、息苦しさから顔を上げてしまう。真下さんが優しい顔で笑っている。
「1年半よく諦めなかったな。もう大丈夫、ここは安全だ」
僕は喉元に迫った今までの孤独を堰き止められなかった。ボタボタ流れる涙を拭うことさえできず、苦しい胸を両手で押さえた。
真下さんは突然立ち上がりローテーブルを跨いで僕側へ来た。ローテーブルにどかっと座って、胸を押さえていた僕の手にそっと手を当てた。
「痛むのか?」
僕は慌てた拍子に真下さんの手を振り解いてしまう。真下さんは僕の上着のファスナーを下ろし胸に顔を突っ込んだ。あまりの速さに抵抗もできず、背もたれに背中をぶつけたその瞬間。表現できないような温かいものが胸に流れ込む。今まで感じたことがない快感だった。さっきまでの胸の痛みなどどこかに吹き飛び、感動した時のような胸の震えで体温が上がったのがわかる。まだ冬のど真ん中だというのに、鼻の奥に春の匂いを感じた。
「あ……っ! ああっ……真下さん……」
「胸の痛みは消えたか? 東洋の漆黒悪鬼様秘伝の愛情表現だ」
「東洋……?」
「まあ、いい。ノブ、最初の仕事は下の破廉恥な張り紙を剥がすこと。当面はノブの生活基盤を整えるぞ」
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