異世界おっさん、森で静かに暮らしたい ~社畜解放スキルは「自然親和」でした~

あーる

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森の夜

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 完全に陽が落ちると、森は深い闇と静寂に包まれた。
 田中は、大樹の根元の洞の中で、集めた苔の上に体を横たえていた。隣では、小さな毛玉のモモが丸くなって、すうすうと穏やかな寝息を立てている。その存在が、心細さを少しだけ和らげてくれた。

 目を開けていても、そこにあるのは漆黒の闇だけだ。月明かりも、木々の葉に遮られてほとんど届かない。時折、遠くでフクロウのような鳥の声や、聞いたことのない獣の低い唸り声のようなものが響き、びくりと身を硬くする。昼間とは違う、夜の森の貌(かお)。それは、原始的な恐怖を呼び覚ますものだった。

(大丈夫だ…スキルでは、危険な気配は感じなかった…)

 自分に言い聞かせるように、田中はスキルに意識を向けた。相変わらず、大きな脅威となるような存在の気配はない。ただ、小さな虫や夜行性の小動物たちが活動している気配が、ざわざわとした感覚として伝わってくるだけだ。それに、この大樹そのものが、まるで守ってくれているかのような、不思議な安心感を放っている。

 それでも、すぐには寝付けなかった。硬い地面の感触、湿った土の匂い、そして、完全な静寂。都会の喧騒や、常に何かに追われる緊張感の中に身を置いていた田中にとって、この静けさはあまりにも異質だった。体の疲れとは裏腹に、神経は妙に冴えている。

(会社にいた頃は、こんな静かな夜なんてなかったな……)

 深夜残業、持ち帰りの仕事、休日出勤。そうでなくても、アパートの隣室の生活音や、遠くを走る車の音。常に何かしらの音と情報に晒されていた。それに比べれば、ここは別世界だ。文字通り、別世界なのだが。

 いつの間にか眠りに落ちていたのだろうか。
 ふと意識が浮上した時、田中は自分が数時間ぶりに深い眠りを得ていたことに気づいた。体を起こすと、全身の節々が軋むように痛んだが、頭は驚くほどすっきりとしている。何年ぶりだろうか、こんなに目覚めの良い朝は。

 洞の外を見ると、森は朝の光に満たされていた。木々の隙間から差し込む光が、キラキラと乱反射し、朝露に濡れた下草を輝かせている。鳥たちのさえずりが、まるで祝福の音楽のように降り注いでいた。

「……朝か」

 生きている。無事に、最初の夜を乗り越えたのだ。その単純な事実に、じわりと安堵感が広がった。隣では、モモが大きなあくびをして、ふさふさの尻尾を揺らしている。

「おはよう、モモ」

 声をかけると、「きゅい!」と元気な返事が返ってきた。
 田中は立ち上がり、凝り固まった体を伸ばした。まずは水を確保しようと、モモを肩に乗せて川へ向かう。昨日と同じように、川の水は信じられないほど美味しかった。両手で水をすくって飲み、顔を洗うと、心身ともにシャキッとするのを感じた。

 ポケットに入れておいた木の実をいくつか取り出し、モモと分け合って食べる。甘酸っぱい味が口の中に広がり、空腹が少し満たされた。しかし、いつまでも木の実だけで生活するわけにはいかないだろう。保存も利かないし、栄養も偏る。

(やはり、もう少し安定した食料確保の手段と、ちゃんとした拠点が必要だな)

 仮住まいの洞も、雨風はしのげるが、長期的に見れば心許ない。それに、火を使うことも考えなければならないだろう。暖を取るためにも、調理をするためにも、そして夜間の獣除けのためにも。火を起こす道具も、調理器具もない。

 考えれば考えるほど、必要なものがたくさんあることに気づく。そして、それらを手に入れるには、やはり人のいる場所へ行くしかないだろう。幸い、一度だけ訪れた村の場所は、なんとなく覚えている。距離も、歩いて半日ほどだったはずだ。

(あの村へ、もう一度行ってみよう)

 田中は決意した。目的は、最低限の道具の入手。斧か鉈のようなものがあれば、木の伐採や加工ができる。簡単な鍋か何かがあれば、煮炊きができる。火打石のようなものも必要だ。そして、できれば塩ももう少し手に入れたい。

 問題は、どうやってそれらを手に入れるかだ。こちらの世界の通貨など持っていない。物々交換が主流なのか、それとも何か労働を提供する必要があるのか。あの無口な雑貨屋の店主と、うまく交渉できるだろうか。人間関係は極力避けたいが、背に腹は代えられない。

(まあ、行ってみなければ始まらないか)

 田中は、仮住まいの洞の場所を、スキルを使って意識に刻み込むように記憶した。大樹の存在感が目印になるだろう。

 そして、肩のモモに「ちょっと出かけてくるぞ」と念を送り、昨日とは逆の方向、村へと続くであろう森の中へ、再び足を踏み出した。目指すは、ささやかな文明の灯り。そして、この異世界で「静かに暮らす」ための、第一歩となる道具たちだ。
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