酔っ払い若様のお節介道中

沢藤南湘

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酔っ払い若様のお節介道中

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 冠木門から背の高いがっしりとした体つきの武士と小柄な町人風情の二人連れがでてきた。二人は通りの桜並木を付きつ離れつ足もそぞろに歩いていく。
 周りでは、町人、武士そして老若男女があちらこちらで花見をしている。どんちゃん騒ぎをしているため、よく主の声が聞こえないのか、町人と武士が近づいた瞬間、急に彼らを浪人達が取り囲んだ。
「ちょっと待て、ぶつかって謝らねえで行くつもりか」
 その中の一人が、怒鳴った。
「お侍さん、ぶつかっちゃあいませんぜ」
 町人風情がいった。
「こやつ、武士にはむかうつもりか」
 相手は、いつの間にか刀を抜いていた。町人風情の前に武士が、落ち着き払って出てきていった。
「因縁つけるのはやめな」
 武士は、刀を抜くも峰打ちの八艘の構えをした瞬間、あっという間に五人の浪人達は、道の上に呻き声をあげて、転げ回った。いつの間にか武士の周りに、人垣ができた。武士は、八丁堀与力秋山忠世の次男、忠孝であった。付き添っていた町人風情の男は、薬行商人の佐助。
 秀吉がこの世を去ってから、家康は着々と天下をねらっていたが、とうとう関ヶ原で石田三成を破り、江戸に幕府を開いた。それから約百年の年月がたった元禄の春の日、このあたりでは、浪人が時々出没して暴れている。
 二人は、何事もなく歩き始めたが、その後ろからあとをつける女がいた。忠孝と佐助は、気付いたが、気付かない振りをして、わっぱ飯屋に入った。そして、忠孝は、菜っぱと酒を注文した。
「殿様、物騒になってきました.あまり、そとに出るのは、危険ですのでご自嘲くださいませ。」と佐助は、酒の盃を置いて行った。
 数年前、佐助は、忠孝に命を救われてから忠孝を殿様と呼んでいる。
「昔の江戸は、自然が多く、人情もあり、ましてや夜も昼も安全であった。昔の江戸がなつかしいのう」と忠孝が言い終わると、そばに先ほどから後をつけてきた黄色い木綿の着物を身にまとった女が、銚釐を持って、そばに寄ってきていった。
「旦那、一杯どう」
 忠孝そして佐助にもお酌をしてからその女は、名のった。
 「あたいは、蜆の棒手振りをしている おその。わけあって、お侍さんのような強い人を捜していたの。あたいの話、聞いてくれない」
 忠孝は、おそののぎこちない蓮っ葉な話し方を不審に思った。
 おそのが話し始めた。
 一年前までは、長府藩の家老の娘(以後、姫と呼ぶ)の侍女で、藩の騒動により姫の父は反対派により暗殺され、姫と弟と逃げてきた。江戸でも姫と弟君が藩の人間に常に狙われているというのだ。
 いずれ、姫も弟君も父の仇討ちをするための機会を窺っていると言う。
「なんせ、力も金もなく、どうして仇討ちをして良いか分からず毎日、助太刀してくれるお武家さまを探しているんです。藩へ帰って、仇討ちを・・・」とおそのが、涙ぐんで言った。
 西国では、毛利輝元の次男就隆の徳山藩創設に続いて、長府藩主毛利秀元の三男元和が豊浦郡一万石の地を分封され、未だ防長体制が混迷していた時のことだった。
 忠孝が調子よく、おそのの酌でいい気持ちになりながら、おそのたちのこの一年の苦労話を聞いていた。
 音を立てて障子戸が開いた。そして、三人の武士が入ってきて、おそのにつかみかかり連れて行こうとした。
「お武家様、女供に手荒いまねなどしたら武士としての誇りが無くなりますぜ」
 と、佐助はいうやいなや、女に手をかけた武士の手首を取り、軽々と押し倒した。
 もう一人の武士が佐助に向かって表へ出ろとわめいた。
 投げられた武士は他の一人に抱きかかえられて外へ出た。
 忠孝と佐助も出た。
「無用な争い事はやめようじゃないか」
 忠孝が、どすの利いた声で、頭目と思われる浪人に向かっていった。
「おぼえていろ」
 と捨てぜりふをはいて、忠孝たち背を向けた。
 それを見て、忠孝は佐助をうながし又、店には入った。
 おそのはまだ先にいた場所で震えていた。
 忠孝はおそのに「もう奴らは逃げていったから、落ち着け」と言ったと同時に、
 おそのは忠孝に抱きついて、泣き出した。
 忠孝は困った顔をしながらおそのを引き離して、手酌で酒を飲みだした。
 忠孝と佐助は、あらかたおそのから話を聞いたが、いまだ良く理解できなかった。とにかくもっと詳しいことを知りたくなった。
 場所を変えて、その娘と弟を入れて話しあおうかと、忠孝は、おそのにいった。
 なじみの小料理屋‘おかめ’におそのを誘った。
 ほろ酔いに川端の春風は、気持ちが良かった。行燈が、川面に映っていた。
「殿様、おせっかいの癖が出てきましたね。お父様や兄上様にまた叱られますよ」と佐助は笑いながら言った。
「佐助、お前はどうなんだ」
「人助けは良いことです、お節介でも人助けは人助けです」
  おかめと紺地に白抜きで書かれた暖簾を忠孝が先頭になってくぐろうとした時、おそのが忠孝に声をかけた。
「忠孝様、すぐに姫様と弟君を呼んできます」
 おかめの女将お清が入り口に出てきた。
「いらっしゃいませ、忠孝様、こちらの方は」
「おそのさん」
「おそのです」
「おそのさんは、これから姫様と弟君を呼びに行くんだ。女将、ちと込み入った話があるので、あの部屋を頼む」
 おそのは、皆に頭を下げ、すぐに戻ってくるからといって、おかめを後にした。
「では、忠孝様、佐助様。どうぞ」
 お清は階段を上って二階の突き当たりの角部屋に二人を案内した。
「女将、おそのさんが戻って来たら、この部屋に通してくれ」
 そして、「酒、燗で六本といつものあて頼む」と忠孝は生きいきとお清に言って、外に面した障子側に座り、佐助は入口の襖戸近くに胡坐をかいた。そして、忠孝は障子を開けた。
 外は、薄暮の中、薄紅の桜木の花が隅田川の川面に揺れていた。
「佐助、良い季節になったな」
「はい、殿様。これからどんどん暖かくなってきます。でも、なんですが、おそのさん達の手助けは大変ですよ」
「長府藩相手では、相手にとって不足はないが、ただ俺と佐助だけでは全く勝ち目はないぞ」
 忠孝は、どう戦うか、助太刀を誰に頼もうか考えていた。
 忠孝の父秋山忠世は与力で家禄は二百石、八丁堀(現在の中央区)の組屋敷に三百坪の屋敷地を構えていた。父忠世の仕事は、町奉行の部下として、町奉行所の人事や財政を司る年番という職務で、また、町廻りや牢屋廻りする同心の上司でもあった。
 忠孝は、次男で、家を継ぐことはできない。結婚して秋山の性を名乗ることができない身分であった。
 秋山の姓を名乗れないのは、定かではないが、お家騒動の種にならないようにするためと忠孝は、知っていた。
 忠孝には、婿養子になるか、一生独身でいるか、武士をやめるかの選択があるのだが。
 誰かが、階段を上がってきた。
「忠孝様、よろしいですか」と、お清の声が戸襖の向う側から言って来た。
「おう、よい」
 お清は女中に箱膳と徳利を運ばせ、忠孝と佐助の前に置かせた。お清は、二人の前に座って、忠孝と佐助に一杯ずつお酌をして、部屋を出て行った。
「おそのはどこまで二人を迎えに行ったのだろうか」と心配そうに忠孝は言った。
「おまえをおそのに、付き添わせればよかった」
「はい、藩からも命を狙われていますので、私とした事が」と佐助は言いながら、銚子を振り六本すべて空いたのを確認して、部屋を出て行った。

 佐助が、銚子を六本持って戻ってきた。そして、忠孝に酌をして、言った。
「殿様、これからどうやって仲間を増やしましょうか。相手は藩ですから、相当手ごわいです。腕の良い人間を集めなければなりません」と佐助は心配そうに言った。
「佐助、お互いに仲間を探そう。まあ、おその達の話をまずは聞こう」と忠孝は盃を口につけた。
「それが良いですね」
 お清が、酒を運んできた。
しばらく、三人で飲んで話をしてから、お清は出て行った。
それから、四半時(三十分)ほど過ぎて、お清がおその達を案内してきた。
戸襖の向こうから、
「忠孝様、よろしいですか、お連れの方いらっしゃいました」とお清が声を掛けてきた。
「よいぞ」
 おそのは、二人を忠孝と佐助に紹介した。
 娘はゆう、十八歳、弟は新之助、十六歳と言った。
 女中がゆう達に箱膳を運んできた。
 そして、忠孝、八丁堀与力秋山忠世の次男でありこと、佐助も秋山家出入りの薬行商人と簡単に自分の身の上を話した。
 忠孝は、おゆう達三人に「まあ一献」と酌をし、自分は手酌で三杯ほど口に運んでから、
「俺も佐助も酒が好きなんだが、ただ、酒を飲むと気が大きくなる性格でな。普段は小心者なんだ」と忠孝は笑った。
「この店は、我々がよく来る店で泊まることも出来ますので、今日はゆっくりお話を聞かせて下さい」と佐助は三人に向かって言った。
 ゆうはゆっくりと話し始めた。
ゆうの父香川勘兵衛は、江戸留守居役を務めていたが、昨年、長府藩に江戸より一時帰国した。
留守居は藩主が江戸藩邸にいない場合、藩邸の守護にあたったほか、藩主が江戸在府中であっても御城使として江戸城中蘇鉄の間に詰め、幕閣の動静把握、幕府から示される様々な法令の入手や解釈、幕府に提出する上書の作成、を行っていた。
 更に「礼儀三百威儀三千」とも言われるほどで、前例に従って落ち度のない事が第一と考えられており、それに資する先例を捜査するために留守居組合にて、他藩の留守居と情報交換を行った。
また自藩の本家(本藩)・分家(支藩)との連絡・調整に当たるのも留守居の役目であった。
帰国してから一週間ほど経ったある日、家老の堀田時衛門が藩の金を着服しているのを勘兵衛が見つけ、時衛門を糾弾したその夜、城よりの帰り道に何人かの手の者によって暗殺されたとのことであった。
 なにか勘兵衛は虫の知らせでもあったのか、前日にゆうと新之助に堀田の悪行について、書面に書いたものを読んで聞かせて、ゆうに手渡した。
 そのことが堀田に分かって、ゆう達を捕らえようとしているのだと新之助言った。
また、ゆうは、「正しいことを言って、正しいことをやった父上がなぜ殺されなければならなかったの。父の恨みを」と咽び泣きながら言った。
 忠孝の背の障子には、いつの間にか外の灯が揺らいでいた。
 暮れ六ツの鐘が、遠くから聞こえてきた。
「忠孝様、行灯に灯をお入れしましょうか」と襖戸の向こうからお清の声がした。
「女将、頼む。」
 皆の顔が浮かび上がって来た。
「今晩は皆さま、いかがいたしますか」と清は忠孝に向かって言った。
「おゆうさん、どうする」と忠孝はゆうに向かって言った。
「泊まってよろしいのですか」
「良いですよ」
「女将、皆ここに泊まって行くことに決まった。よろしく頼む」と忠孝は言った。
 それから一時ほど、ゆう達の話は続いた。話は、複雑のようだった。
堀田は農民から上がって来た年貢をぴんはねして、凶作の時は高利で貸し付けたりもして、私腹を肥やしていた。
 また、出入りの商人からも賄賂を受け取っているらしい。それを家臣の中枢の者に賄賂を配り、意見を言わせないようにしているようだ。
 農民たちはどんどん困窮していき逃散するものもあとを絶たなかった。田畑も荒れ、年貢も減ってきて藩の財政は、悪化の一途をたどっているという。
「父親に味方していた人間も左遷されたり、詰め腹を切らされたりしているが、何人かは骨のある者は残っています。ただ、このような事態が幕府に知られたら、御取り潰しか改易の憂き目にあうのではないでしょうか」と新之助は心配そうに言った。
「忠孝様、どうしたらよいでしょうか」と不安気にゆうは言った。
「うむ、どちらにしても父親殿の味方をしていた連中に加勢をして、堀田やらを失脚させなければなるまい。ただ、新之助殿の言われるよう幕府に知られずに事を進めなければなるまい。」と忠孝は盃を置いて言った。
 この頃は、未だ外様を潰したり、改易させるための情報を得るために、幕府は隠密を各藩にもぐりこませていた。
 しばらく、沈黙が続いたところ、
「まあ、一つまいろう」と忠孝は、新之助に酒をすすめた。
「ありがとうございます」と新之助は、答えた。
「そつじながら、新之助殿達、武道は何かやられるのかな」と忠孝が言った。
「はい、わたしと姉は幼い頃より香取神道流を学んでいます」と新之助は言った。
「これはしたり」と忠孝は盃をあおった。
「おゆうさまも新之助さまもしっかりなされていますね、殿様」と佐助は忠孝の盃に酒を注ぎながら言った。
「もうだいぶ遅くなってきましたので、この辺で失礼させていただきとうございますが、姫様如何でしょうか」とそのが言った。
「殿様、そうです。おゆう様達もお疲れでしょうから、もうお開きにいたしましょう。そして、私達も寝ましょう」と佐助が助け船を出した。
忠孝は未だ飲み足りないよう顔をして、
「皆の者、大義であった。それがしはちょと考えごとがあるので、ここにおる」と忠孝は皆をせっつき追いだした。
 皆がいなくなってから、忠孝はゆう達の話を思い出しながらいろいろ一時ほど考えていたら寝込んでしまった。
 そして、翌日明け六ツ、まだ寝ている忠孝のところに佐助が息を切らして入って来た。
「殿様、外で侍達がうろうろしながら、こちらを窺ってますぜ。もしかして、おゆう様達を狙っているのではないでしょうか」と言った。
「なに?今なん時だ」
「明け六ツです」
「殿様、侍達がこちらを窺ってます。どういたしましょう」
「うむ、どうしたものかの。佐助、まずはゆう殿達をこの部屋に呼んで来てくれ。ちょっと待て、女将も頼む」と忠孝は一気に言った。
 しばらくして、ゆう達と清が部屋に入って来た。忠孝は障子を半分開けて、外を見ていたが、
ゆう達が入って来たのに気付いた。
「おゆう殿と新之助殿こちらに来て、あの侍達を見てもらいたいのだが」
と忠孝は二日酔いの頭を叩きながら言った。
「はい、忠孝様。あの者達は長府藩の江戸詰の者です」とゆうは言った。
「そうか、分かった。俺が外へ出て何しているのか、聞いてこよう。佐助、その間、おゆう殿達を頼む」と言って、部屋を出て行った。

 階段を降り切ったところだろうか、忠孝が清に、
「俺が出て行ったら入口の戸をしっかり締めてくれ」
と言った声が聞こえ、そして、「お気をつけて」との清の声が、佐助達に聞こえた。

 忠孝が、外へ出て行くと、直ぐに三人の侍に取り囲まれた。
「何か、俺に用か」と忠孝は、首領らしい侍に向かって言った。
「こちらの小料理屋に、長府藩に関係するおなごと若者がいるはずだ。是非こちらに引き渡していただけまいか」と侍が答えた。
「渡さぬと言ったら、いかがいたす」と忠孝が答えるや否や、侍たちは抜刀した。
その瞬間、
「ウワ―」と叫び声とともに、侍の一人が手首を斬られ、刀を落としていた。

 小野派一刀流‘切り落とし’であった。
 忠孝は、小野派一刀流の免許皆伝で道場では師範代をつとめていた。
 いつの間にか忠孝の後ろに回っていた侍が、上段より斬りつけようとした時、急にふらついて倒れた。
 その侍の首に棒手裏剣が、突き刺さっていた。






 一人になった首領らしき侍は、間合いを取りながら後ずさりした瞬間、後ろを向いて逃げようとした。
‘シュー’という音を忠孝は聞いた時、侍の右肩に手裏剣が刺さった。
 しかし、呻きながら侍は逃げて行った。 それを見届けて、忠孝は懐紙を出し、刀をぬぐった。
‘おかめ’の戸を叩いた。
「忠孝様、ご無事で何よりでした」と清は言って二階に早足で上がって行った。
「佐助、助かったよ。お前の腕も、さびてはいないな」と嬉しそうに、佐助に言った。
「殿様、恥ずかしい限りです。逃げられてしまいました」と頭をかきながら言った。
佐助は、源立(げんりつ)流手裏剣術の名手であった。
源立流は東北諸藩と水戸藩に古くから伝わっている流派である。
手裏剣術と聞くと、読者の方は忍者の技を思う方が多いかと思うが、そうではなく昔からの決戦では甲冑の死角即ち目を狙う。
両目むき出しの目に、棒手裏剣を使って刺すのである。
それにより相手に戦闘能力を失わせるのである。
十字、卍寺手裏剣は敵を威嚇することを目的とする。それに比べ、棒手裏剣は確実に仕留めることができる。
「ともかく、この店を早く出ませんと」と佐助は腰を浮かした。
忠孝は「皆の者、早く、仕度せい。お清も来い」と腰をあげた。
そして、一行は裏木戸から静かに出た。
忠孝は、
「一旦俺の家、いや居候しているところに行こう。」と小さな声で言い、先頭になって、八丁堀の屋敷に向かった。
 一時ほどで、忠孝の父親の八丁堀与力秋山忠世の屋敷に着いた。
忠孝は、門番に一言二言、言って皆を玄関まで案内した。
「忠孝帰りました」と言ったら直ぐに、若い娘が出てきた。
「忠孝様、奥さまが、心配なさってました」と言った。
「おつた、忠孝がお客を連れてきたと伝えてくれ」
分かりましたといって、つたは戻って行った。
ほんのしばらくして、忠孝の母、きぬが玄関にきた。
「忠孝、早く皆様に上がってもらって下さい。佐助さんも一緒ですか」ときぬは、忠孝を促した。
 挨拶は後で、まず皆に上がるように忠孝は言って、きぬの後に続いて、先に廊下を歩いて客間に入った。二十畳もある広い部屋に通され、清は驚いた。
 一間半の床の間に戸袋付きの違い棚、掛け軸は水墨画の絵。その横の壁には障子の円窓が設けられ、絵をほんのりと照らしていた。
 きぬとつたが、茶を運んでき、きぬは、皆にゆっくりするように伝えた。そして、忠孝の顔を見て、きぬは、つたに酒を持ってくるように言った。
 それを見計らって、忠孝は皆を紹介し、昨日の出来事をきぬに話した。
「忠孝、これからどうするのですか」
「母上、父上に相談しようかと思っています。父上はなん時に帰られますか」忠孝は、きぬに言った。
「今日は、途上していますので、九ツ時ごろに帰って来るかと思います。数之助は道場に行っていますので、八ツ半頃かと思います。皆さまは、ごゆるりとお過ごしくださいな」ときぬは言った。
 その時、つたが酒を運んできた。きぬは、皆に酌をしてまわった。
 忠孝は、何か気が抜けたように、盃を口にあてた。まだ、五ツ時であった。
 きぬが、部屋を出て行った後に、障子の外から門番の声がしたので、忠孝は障子をあけ縁に出た。
門番は、立派な服装の侍が四人、半時前から屋敷の周りをうろうろしていたが、ちょっと前にいなくなったと伝えて、戻って行った。
 忠孝は、部屋に戻り、盃に酒をつぎ一気に飲んでから、門番の言ったことを皆に伝えた。
「あの侍たち、しつこいですね。殿様いかがいたしましょうか」と佐助は忠孝の盃に酒を注ぎながら言った。
「そうだな、父上が帰ってきたら相談してみよう。それまでは、ゆっくり飲もうではないか。さあ、おゆう殿、ご一献いかがかな」とゆうの前に行って、盃に酒をそそいだ。
「忠孝さまは、本当にお酒が好きですね」と隣にいた新之助が言いながら、盃を口にした。
 忠孝は、自分の盃を持ってきてゆう、新之助、その、そして清に何回も酌をしてもらい、したたか飲んでいつの間にか寝込んでしまった。
 ゆうは、忠孝さまは、気の大きい方ですねと佐助に言いながら、佐助に酌をした。
きぬの食事を運んできたとの声が襖の向こうから聞こえた瞬間、寝込んでいた忠孝は、刀を取って起き上った。
 ゆう達は、その早さに驚いた。
 飯も皆食べ終わり、忠孝以外は茶を飲んでいた。忠孝は、また酒を手酌で飲み始めていた。
 襖の向こうから、きぬが忠世が帰って来たので部屋に連れてくると言った。しばらくして、忠世が部屋に入って来た。忠孝は、簡単に皆を忠世に紹介した。
「忠孝、きぬから話は聞いた。おゆう殿、新之助殿もつらいであろう」とゆうに向かって言った。
 ゆう、新之助そして、そのは、頭を下げた。
 そして、ゆうはさらに先ほどきぬに話をしたよりさらに、詳しく忠世に話をした。長府藩は第3代藩主毛利綱元で、先代の光広の嫡男として江戸に生まれ、承応二年(一六五三)七月二代藩主光弘の死により同年十月、わずか四歳で家督をつぎ藩士となり、現在四十歳であることまた、父親の無残な殺され方。国家老の堀田時衛門の悪行の数々等の話が終わり、そばにいたきぬが、涙を流していた。
「父上、おゆう殿達の助太刀をしてもよろしいでしょうか」と赤ら顔して言った。
「忠孝、勝算はあるのか」
「分かりません。しかし何もせずには、秋山家の恥になります」
「大きく出たな、分かった、おゆう殿の助太刀をしてやれ」
 忠孝は、「さすが、父上。承知いたしました。きっと、おゆう殿たちの助太刀、立派に勤めます」
 忠世はゆう達に、当分屋敷でゆっくりするように、また忠世もいろいろ考えると言って、きぬと一緒に部屋を出て行った。
「おゆう殿、父上が味方になれば百人力だ」と盃をまた、口に運びながら言った。。
 数日間、おゆう達は屋敷内でゆっくりしたが、
忠孝と佐助は毎日、別々に屋敷を出て、長府藩邸の様子を見に行っていた。
忠孝は、幼馴染の商人の家に行って、屋台を借りて藩邸近くでそばを売った。
佐助は懐に手裏剣を忍ばし、背中に薬を入れた箱をしょい、仕込み杖を突いて出、藩邸付近の家々に薬を売りながら情報をかき集めた。
 ある日、忠孝と佐助は水茶屋で会った。
「佐助、いつか、長府に行かねばなるまいな」
「殿様、そうですね。そんな遠くない日に行かねばなりません」
忠孝は、何か思いにふけって黙り込んでしまった。
長府、大坂のずうっと先、博多に近いと言う、気が遠くなってきた。
何日ぐらいかかるのだろうか、お金はいくらかかるのだろうと心配になって来た。
 しばらくして、
「殿様、どうされましたか」と佐助が心配そうに声をかけた。
「佐助、長府までどのくらいかかるのだろうか」
「どうでしょうか、三十日前後ぐらいかかりますか」
 忠孝はまた黙ってしまった。
「殿様、お金の心配ですか」
「そうよ。俺と佐助だけではないぞ、おゆう殿と新之助殿そして、おその。もしかしたら、お清も行くかもしれない。どうして、金を工面しようぞ」
「そうですね、お清さんは、お店で稼げますから自分の工面は出来るでしょうが、おゆう殿達三人ですね」
 何か良い方法があるかと忠孝は佐助の顔をまんじりと見た。忠孝は夜に藩邸を探ることにした。
昼は、道場に通い、門下生を教え旅の費用を稼ぐとともに助太刀を加勢してくれる仲間を探した。
 この頃、市中では桂昌院と僧の隆光に勧められて、五代将軍綱吉は生類憐みの令を発した。役人たちが、江戸中の金魚の数を調べたり、猟師の持っている鉄砲の届出制にしたりして、本来の仕事をしないで態度をでかく町を闊歩しているのが腹立たしかった。最近、近所の職人の猫が井戸に落ち、死んでしまったことで、職人は責任を取らされ、八丈島へ遠流になったのにはさすがの忠孝もあきれ返った。
 なんと、側用人の南部直政と柳沢吉保は綱吉、桂昌院、隆光には意見さえもできない情けない人間だ。こんな人間が幕閣にいたらいつまでもこの御政道を続けられないだろうと思っていた。このような江戸に見切りをつけたくなる者、一方この繁栄している江戸でひと儲けして贅沢をしている者いろいろな人間がいた。見切りをつけたくなったその一人が、同じ道場の戸部順三衛門であった。順三衛門も忠孝同様、金子道場の師範代であるが忠孝よりは腕が上であるが、旗本であるがやはり三男のため、居候の身であった。
 稽古が終って、忠孝は井戸で汗を流している順三衛門に声をかけた。この順三衛門が頼りになるかまだ疑心暗鬼だったが声を掛けてしまった手前、おゆう達との今までの話を汗を流しながら話したところ、順三衛門があっさり、助太刀すると言ったので驚いた。
「ではこれから、秋山家に行って、おゆう殿とやらに挨拶に行こう、良いか忠孝」
 順三衛門が着替えをしながら言った。
 忠孝は、順三衛門を屋敷に連れて行って、ゆう、新之助、その、清に紹介した。
 皆喜んだ。
「それがし、戸部順三衛門と申す。秋山から大体聞きいたがひどい話で驚き申した。許せん、助太刀申す」と一人で興奮した。
 皆を代表して、ゆうが礼を言って頭を下げた。しばらく、ゆうが順三衛門の質問に答えていると、
きぬとつたが、酒を運んできた。
 きぬは、順三衛門に酌をしてから部屋を出て行った。
 順三衛門はもうあかくなった顔をして、
「秋山、もう一人助太刀にうってつけの輩がいるぞ」と甲高い声で言った。
忠孝は、手酌で絶え間なく盃を口に運んでいた手を止めていった。
「誰だ、そいつは」
「おぬしも知っている、片野鉄之助だ。あいつは腕もたつし、度胸もある」
鉄之助は直眞影流の使い手で、忠孝も良く知っていた。
「明日にでも、片野を連れてこよう。楽しみにしておれ」
ゆう達は順三衛門と忠孝の話をじっと聞いた。
「いろいろありがとうございます」と新之助が順三衛門に酌をしたところ、
「いや、もう結構。それがしは、秋山と違って下戸なものだから」と言って刀を取って、立ちあがりそろそろ失礼すると忠孝に言って部屋を出て行ってしまった。
忠孝だけでなく、ゆう達も忠孝の仲間たちが加勢してくれるので心強くなってきた。
翌日、待てど暮らせど、順三衛門は来なかった。
二日目も来なかったので、また、屋台を引いて屋敷を出た。
鉄之助のことも忘れたころ、順三衛門が明け五ツに鉄之助を伴って訪ねてきた。
忠孝は驚いて彼らを迎え、すぐに客間に二人を通した。
つたが茶を持ってきたので、ついでゆう達を呼んでくるように言った。
 しばらくして、ゆうが入って来た。ゆうは、髪を雀鬢に小満島田髷に結い、水浅ぎ(薄い水色)の友禅の小袖を着ていた。
鉄之助はそれを見て、顔が赤くなった。順三衛門がゆうに鉄之助を紹介した。
「片野鉄之助です」と言っただけであった。
 新之助達も来た。みなそろったところで、手短に名を名乗り、相談に入った。秋に江戸を出て、長門に行くことに決まった。
それまでの間は、鉄之助は長門までの旅の計画を立てる役、順三衛門は金子を用立てるまた、忠孝と佐助は長府藩の探索に専念することになった。そのような計画を立て終わった時に、きぬ達が昼飯を膳に乗せて入って来た。
「そろそろお食事にしませんか」と膳を置きながら言った。
つたは酒を運んで来て、男衆の所に置いた。
きぬは鉄之助と順三衛門に酌をし、部屋を出て行く前に
「忠孝、自分ばかり飲んでないで、皆さまにも飲んでもらいなさいな」と言った。
順三衛門はもう真っ赤になっていた。
鉄之助は忠孝から何回か酌を受けてたが、しばらくたったら、いつの間にか畳にひっくり返っていた。
「新之助、鉄之助様に水を持ってまいれ。」とゆうが言った。
「順三衛門、先ほど金子の用立てすると言ったが、何かあてがあるのか」と心配そうに小声で言った。
「大丈夫だ、心配するな」
順三衛門の実家は、札差で富豪であった。
時々、その仕事を手伝うので実入りも良かった。

話はそれるが、この頃、浮世草子に人気が出始めていた。
天和二(一六八二)年、井原西鶴の‘好色一代男’以後、この時期を最盛期として約八十年間、上方を中心に行われた小説の一種であり、仮名草子と一線を画した写実的な描写が特色である。
その‘好色一代男‘は当時の現実肯定的風潮の下に、着想、描写の奇警さで歓迎され、西鶴自身『好色二代男』以下の好色物を出すとともに、’武道伝来記‘などの武家物、『日本永代蔵』『世間胸算用』などの町人物、’西鶴諸国ばなし’などの雑話物と対象を広げ、人気作家の代表となっていた。

 忠孝は、鉄之助の体をゆすって起こそうとした。鉄之助はまだ眠たそうな顔をしながら、起き上った。
「秋山、ところで先ほどの長門への費用はどのくらいかかると見込んでいるのだ。」
 と順三衛門が忠孝の顔を覗き込んだ。
「そうだな」
鉄之助と順三衛門も入れて八人、往復の交通、宿、食事そして長府の滞在費一年分、一人十両で八十両か、余裕を持って、
「百両ほど何とかしてほしいのだが」
「分かった。俺と鉄之助の分は俺たち自分で何とかするので、心配するな」と順三衛門は忠孝に向かって言った後、鉄之助に目を合わせうなずいた。
忠孝は、六人で百両あれば十分と順三衛門に頭を下げた。
ゆう達も二人の話が聞こえたようで、申し訳なさそうに下を向いてしまった。
「おゆう殿、気にするな。さあ、皆で、これから今後どうするか考えよう」と言って、忠孝は盃に酒をそそいで、口に運んだ。
話し合いにより、長門長府藩への出立日を秋十月の初めとし、
そして、各自の役目、連絡方法そのほか細かいことも決め、一時ほどで散会した。
ゆうと新之助そしてそのは、忠孝の家に住むことにした。
 ゆうと新之助はねらわれているので、家の中にいることにしたが、そのは働いて、少しでも稼ぐと言いはったため、忠孝は承知した。
「相手は、おそのを知っている筈だ。気をつけろ。仕事先は俺が探すからしばらく待つように」
忠孝の知り合いである旅籠「墨田」の主人、助五郎にそのを紹介した。
助五郎夫婦はそのを優しく迎え、丁寧に仕事を教えた。
朝から晩まで働きずめの毎日であったが、住み込みのため安心して働いた。
助五郎は、そのが、十日に一度、秋山の屋敷に帰ることを許した。

 清は店の客を通じて、女中として長府藩邸に入ったのは、桜が散り、緑が青々として来た五月の初めであった。
 
佐助も、薬屋として、長府藩邸の出入りを許されるようになり、三日に一度、屋敷内に入り清との連絡を取ることに成功した。
 忠孝の元にいろいろ情報が集まって来た。清の情報から、江戸藩邸に反堀田派が数人いることが分かったが、まだ名前は分かっていなかった。
 それから、何の進展もなく夏になった。 未だ江戸は都市としての機能が整っていないためか綱吉の土木工事好きか良く分からないが、あちらこちらで土木工事が行われ、蝉の鳴き声とともに、更に夏を暑くしていた。
  近くでは、水や簡単な食べ物を売る棒手振りたちが大きな声で客を呼び寄せている。 そこに普請役としてかり出されている土井忠孝が休憩で水を注文した。後から忠孝の友人水野安二郎がやって来て同じものを注文した。
「秋山、そっちはどうだ。予定通りいっているか。我が方は遅れている」
「こちらも多少遅れている。このような暑さでは職人も休憩を多く取らないと体がもたん。」
仕事場は江戸城の堀に橋を架ける工事で、現在測量が終わり、基礎工事が始まったところである。
「秋山、帰り一杯、久しぶりにやらないか」
と安二郎は汗を拭きふき言った。
「では、おかめで暮れ六ツに待ち合わせをしよう」と忠孝は返事をして、仕事場にもどっていった。
‘おかめ’の女将清は内情を探るため、長府藩邸に女中として勤めていたので、店は妹の政が切り盛りをしていた。
 安二郎は、長男のため家、役職の与力を親父より継ぐことになっていた。
忠孝は、安二郎に酌をしながらゆうたちのことを打ち明けた。
「そして、秋に長門まで行き、おゆう殿の家を再興させるつもりだ。ただ、敵におゆう殿と新之助殿がねらわれている」
「よし、残念ながら、表立っては申し訳ないが動けないが、拙者も力を貸そう。知人に長門から来ている剣豪がいるので,色々聞いてみよう」
と安二郎は酒をあおった。
 数日後、おかめで、安二郎が長門から来た剣豪と言っていた池田忠次郎と言う侍を忠孝に紹介した。
 「秋山忠孝と申します、以後、顔見知り願います」
 「池田忠次郎と申す。」と余り手入れされていない髪を触りながらその剣豪が言った。
 忠孝は、忠次郎を見た瞬間、信用できる人間と判断しゆう達の今までの話と、今後の忠孝の助太刀の計画についても話した。
 その間、忠次郎は一言も口を挟まずに、聞きもらすまいと真剣に忠孝の目を見ながら話を聞いていた。
 忠孝の話が終わると、
 「いかさま、あい分かった」と言って、長府藩の内情についてしゃべり始めた。
 江戸藩邸の目付の堀田派の山口丹左衛門が、反対派を粛清しており、ほとんどが堀田派に翻っているが、三人ほどまだ反対派として人目につかずに活動している人間がいると言った。
 ただ、目付が厳しいので、表面的には堀田派と思われるよう装っているので、接触するにはかなり用心しなければならない旨を忠孝に念を押した。
 そして、三人の名を言った。
 「池田殿、かたじけない。この恩は一生忘れません」と忠孝は、畳に手をつき頭を下げた。
 「秋山、池田殿、そろそろ話も進んだことだし、ここらへんで飲むことにいたそう。」と安二郎が手を叩き、女を呼んで酒の段取りをするよう命じた。
 忠次郎は料理にはほとんど手をつけずに、酒を三、四盃立て続けに飲み、思い出したように言った。
 「秋山殿は剣の使い手のように、お見受けするがどの流派かな」
 「それがしは、小野派一刀流でございます」
 「それがしも、小野派一刀流でござる。このたびのお話し、申しわけないが、長府藩の指南役を勤めているため、表立ってお手伝いは出来ぬがあしからず」と申し訳なさそうに忠次郎は、盃を置いて言った。
 「とんでもござらぬ。ここまで教えていただければ十分でございます。ごゆるりと飲んで下され」と忠孝は、忠次郎の盃に酒をそそいだ。
 また、安二郎にもそそいだ。
 忠孝は屋敷に帰って、部屋に佐助を呼んで、忠次郎との話をすべてした。
 「佐助、お清に藩邸にいる目付の山口丹左衛門に気をつけるようにまた、反対派の三人には慎重に近づくようにと、明日にでも伝えてくれ」
 「分かりました、殿様。明日にでもお清さんに伝えます」
 
 翌日、佐助は長府藩邸に出かけた。
 「薬屋の佐助です」と門番に声をかけて、台所に入って行った。
 いつもの女中を呼んでもらい、佐助は頼まれていた薬の説明をした。
 そこに、清が何食わぬ顔で、佐助に茶を運んできた。
 清が佐助の前に茶を置いた瞬間、佐助は清の袂に小さくたたんだ文を素早く入れた。
 何気なく茶を飲んで、女中にしばらく世間話をしてから、藩邸を出た。
 
 数日後、清は女中頭から用を頼まれ外出し、用を済ませて、その帰り忠孝の屋敷に寄った。
 「女将、御苦労」
 「忠孝さま、いろいろ分かってまいりました」
 清は、今まで分かったことで、佐助に伝えていないことを手短に忠孝と佐助に話をした。
 「そうか、やはり長門で決着をつけるしか方法はないようだな、佐助」
 「殿様、おっしゃるとおりですが、お清さんをそろそろ長府藩邸からでないと危ないと思います」
 「女将、どうだろう。五日後の両国の花火が始まる前に戻れないか」
 「忠孝さま、近々長門より家老の堀田様が江戸に来られるとのことです。十日ほどいらっしゃる予定ですので、その様子を探ってみたいのですが」
 「分かった。では、堀田が帰ってから戻って来るようにせよ」
 そして、清はゆう達と簡単に挨拶を交わして、屋敷を出て行った。
 佐助は忠孝の命により、清の後をつけて行った。
 案の定、門を出てしばらくすると、二人の侍が清を挟んで歩きだした。
 やはり、長府藩の者が清の後をつけていたのか、佐助は五間ぐらいの距離を保ちながらもうしばらく後から付いていこうと決めた。
 人気のない所に出た時、佐助は、二人の侍に手裏剣を、時をおかずに投げつけた。
 侍たちは前のめりに倒れた。
 そして、すぐに清の手を引いて逃げた。
 
佐助と清は忠孝の屋敷に戻り、佐助は忠孝に清がつけられていたことを話した。
「もう、あまり猶予はないか。江戸で戦っても埒はあかない、長門への出発を明後日に早めよう。佐助、順三衛門と鉄之助に伝えに言ってくれ、頼む」
すぐに佐助は部屋を出て行った。
忠孝はゆう達の部屋に言って、今日のいきさつを話し、
昨日、江戸の見納めということで、ゆう達を両国の花火に見に連れて行くことを約束していたが、行けなくなったと説明した。
江戸で一番の花火大会に行けると喜んでいたので、ゆうと新之助は多少がっかりしたようであった。

 長門国への出発の日。明け七ツ、品川宿に八人が集まった。忠孝、佐助、順三衛門、鉄之助、ゆう、新之助、その、清の八人での長門への旅立ちである。
 順三衛門が、
「八人で歩くと目立ちすぎるので、二手に分かれたほうがよいのではないか」と忠孝に言った。
「そうだな、では俺、佐助、おゆう殿と女将。戸部順三衛門は片野鉄之助、新之助殿とそのさんに分かれよう」
 順三衛門の一行が先に発ち、四半時遅れて忠孝たちがついていった。皆笠をかぶり、脚絆、手甲を身につけていた。それぞれ大荷物は男が持った。
 忠孝の荷は、昨日の朝から母のきぬと女中のつたが作ってくれた。着替え用着物、足袋、頭巾、枕、油紙雨具、薬籠、手燭、たたみ提灯、矢立そして火打道具等を整えてくれた。
 左手には、茶屋が、右手には御殿山が迫っていた。
 忠孝は、ゆう達に「この辺は、昔、三代将軍家光様が沢庵和尚の東海禅寺を訪ねた折、街道近くまで家光様を見送りに来た時、‘海近くして、遠海寺とは如何’と聞かれたそうで、それに対して沢庵和尚が‘大軍を率いて小軍という如し’と答えた場所だ」と歩きながら説明した。
「あっ、東海寺の東を遠と将軍様が言われたのに対して、将を小にと和尚様が返答されたのですね」
 ゆうが納得した。
 街道脇の品川(ほんせん)寺を通り過ぎ、鈴が森刑場に一行が出た時、女たちは顔をそむけた。
 忠孝たちは、六郷の渡しで船に乗り、江戸に別れを告げた。同じ船に、浪人らしき侍が二人、三味を抱えた女が同乗した。船の中では、誰一人言葉を交わす者はいなかった。
 四半時ほどで川崎宿に着いた。山側には、もう秋に入った富士が見えていた。そして、神奈川を過ぎた頃から皆腹が減って来たらしく、口数が減った。
半時ほど歩いて、保土ヶ谷宿に入り、早速、飯屋に入った。簡単な菜飯を食べて、すぐ店を出、先を急いだ。
 戸塚近くになって、片野鉄之助が忠孝のところに来て、今日はちょっと無理をして、藤澤まで行くと言ってきたので、ゆうたちに聞いた。
「忠孝様、藤澤まで大丈夫です」とゆうが言ったので、鉄之助に
「承知いたした」と伝えた。
 原宿、鉄砲宿と意外に早く過ぎ、藤澤に入った。まだ日暮れにはまだ時間があったので、
一遍上人が開祖である時宗総本山である藤澤山清浄寺に詣でた。ちょうど秋の開山忌が行われており、皆、屋台の店の前でそれぞれ冷やかしながら参道を登っていった。忠孝は、思ったほど大きいお寺であったには驚いた。本堂に行って、皆これからの道中の安全と長門での仇討ちがうまくいくように願った。
 半刻(一時間)ほどで、藤澤の宿の吉田屋に入った。忠孝たちはまず風呂に入った。風呂から皆、出てきたのを見はからって、食事を女中に佐助はたのんだ。
 鎌倉の海で獲れた鰺の干し物が出てきた。
 皆は「おいしい、おいしい」と言って、食べるのに専念し、一言も喋らない。忠孝は、酒を飲みながらサザエの壺焼きやら、刺身を摘まんでいた。
  食べ終わると皆疲れが出た成果、各々布団を敷きだし、眠りについた。
 忠孝は、まだ安心きれずに横になっても注意を怠らないようにしていたが、やはり疲れが出たせいか、いつの間にかうとうとしてしまった。
 朝飯を食べて、藤澤の宿を出たのは,明け六ツであった。
そして、歩き続け、馬入川(現在相模川と呼ばれている)の渡し場で船に乗った。
 鎌倉時代、源頼朝が北条政子の妹の追善のため、馬入の橋の供養をした帰りに義経、行家そして、安徳天皇の怨霊を見て驚き、落馬した。それが原因で翌年正月に頼朝はこの世を去ったと伝えられていると、船頭が櫓をこぎながら説明した。
 ゆう達は、頷きながら聞き入っていた。
 平塚宿の入口につくと、街道に直角に位置するように設置され、土台部は石垣で固め、土盛りされ頂部は竹矢来で組まれている江戸見附があった。
 佐助は、「見附は本来城下に入る‘城門’をいい、城下に入る人々を監視する見張り場の役目を持っています。江戸城では、三十六見附(現在の地名として残っている赤坂見附が有名)があります。宿見附も宿の出入り口を意味すると同時に、宿を守る防御施設として設置されました。また見附は正式に宿内であることを示す施設でもありました。また、宿と宿の距離はこの見附を基準としており、この平塚宿もそうですが、一般に江戸側出入り口にあるものを江戸見附、京側にあるものを上方見附と呼んでいます」とゆう達に説明した。
「佐助さんは物知りですね」とゆうは感心して言った。
「いえ、薬の行商で、あっちこっちと旅をしているもんですから、いろいろ見聞きして覚えてしまうんですよ」と恥ずかしそうに答えた。
 平塚宿の見附は、規模は長さ二間、巾五尺、高さ一間の大きさで、江戸見附と上方見附の間は十五町。忠孝たちは、本陣、脇本陣、東西の問屋場、高札場,旅籠、二百軒を越える町並みを通り過ぎ、途中で佐助と別れ、大磯に入った。
 佐助は、後から、藩の追手が来るかどうか確かめるため、街道に沿った茶屋に入った。
 大磯に入るとゆうが足を気にしだしたので、鴫立庵の石碑が建っている前の茶屋で、飯を食べることにした。茶屋の老婆が出て来て、早速、忠孝たちの注文を聞いて、奥に伝えに行った。戻ってきて、「お侍さん達はどこへ行くだ」と聞いてきたので、
「京の方に」と忠孝は答えた。
 老婆は皆に西行法師のことを知っているかと聞いた。皆、首を横に振った。
説明してやるべと言って、清のそばに腰かけて、話し始めた。
「この近くは昔、西行法師が「心なき身にもあわれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮れ」と詠った場所だ。西行、本名佐藤義清(のりきよ)祖先が藤原鎌足という裕福な武士の家系に平安末期生まれ、武士から大歌人へと、新古今和歌集には最多の歌が入選している有名な歌人だ。宮廷を舞台に活躍した歌人ではなく、ここにあった庵の孤独な暮らしをしながら、歌を詠んでいたんだ。若い時は、御所の北側を警護する北面の武士(一般の武士と違って官位があった)に選ばれ、同僚には彼と同い年の平清盛がいたんだと。武士としても実力は一流であったが一一四〇年、二十二歳で出家した」
「なぜそんな若さで出家したんだ」
 忠孝が聞いた。
「出家の理由はたくさんあったようだ。仏に救済を求める心の強まり、人生の無常を悟った、政争への失望、自身の性格のもろさ、高貴な女性との失恋とどれが本当かわからんが、偉くなると大変だ」と。
「お~い。婆さんできただ」と奥から声がした。
「はい、はい」と奥へ戻って行った。
 皆ほとんど西行について知らなかったので、婆さんの物知りには驚いた。飯が運ばれ、黙々と粟飯と漬け物を食べた。
 半時(一時間)も過ぎたところで、さあ、そろそろ出発しようかと忠孝は自分を励ますかのように大きな声をだした。
「もう少しで、小田原に着く。もうすこしだ」忠孝はゆうを励ましたが、だんだん歩き方がおかしくなってきたので、忠孝は「背中に乗りなさい」とゆうに言った。
 忠孝も、疲れてきた。花水川に架かる橋を渡っている時に、小田原から来る空駕籠を止め、宗心は、心付をやり、ゆうを酒匂川まで乗せることにした。
 その時、後ろから佐助が一人の侍、僧そして、職人風の三人を連れて忠孝に追いついた。
「佐助、どなただ」
「こちらは、飯山一之介様、一心上人様そして畳職人の鉄太郎さんです」
 飯山が挨拶をしようとするのを忠孝は手で押さえ、「挨拶は小田原宿でいたそう」
と言って、駕籠かきに出発の合図をした。
 忠孝も歩き始めたところ、佐助が近くに来て、小さな声で、
「殿様、敵が後ろから追いかけて来てます」と佐助は囁いた。
「先を急ごう。」
 一刻(二時間)ほどで、酒匂川について、ゆうも駕籠から降りて、皆、歩いて渡った。
 渡ってから、ゆうと清を駕籠に乗せて、小田原宿まで急いだ。鍋町、万町と過ぎたところで、先発隊の鉄之助が待っていた。
「秋山、皆、本町の脇本陣で待っているぞ」と言って、脇本陣‘清水’に案内した。
 もう既に、丹沢の山々は夕日に照らされ橙色に染まり始めていた。さすが脇本陣だけあって、造りが立派だと忠孝は言い、屋根の八棟造りには皆驚いた。
八棟造の様式は、棟や破風の数が多い複雑に屋根を組み合わせた豪華な民家形式で、現在も日本各地に見られる。そのほとんどは江戸時代初期に作られたものである。
 皆風呂に入り、夕餉を取った。忠孝たち男は、飯より酒と盃を口にした。腹が減っていたせいか、しばらくの間、皆食べるのに夢中であった。
 腹が満たされてきて、落ち着いてきたところで、忠孝は、佐助に
「三人を皆に」と言った。
「はい。こちらから、飯山一之介様、一心上人様そして畳職人の鉄太郎さんです。では飯山様からお願いします」
「それがし、飯山一之介と申します。戸部とは、竹馬の友で、今回助太刀することにしました。能の金春流(こんぱる)の名取です。以後、お見知りおきを」
「飯山は、もと武士であったが、故あって、いまは能の師匠をしています。タイ捨流の使い手でもあります」と戸部順三衛門は付け加えた。
「一心と申します。この度、佐助さんから頼まれ、お供をさせていただくことにしました。愚僧ながら、俳諧に首を突っ込んでおります」
 佐助が一心上人様は、武家の出身で、剣術にはかなり秀でており特に槍の使い手であると付け足した。
「しがない畳職人の鉄太郎です。昔世話になった佐助さんに頼まれました。御同行させていただきます。よろしくお願いします」
「飯山殿、金春流とはいかがな派かな?」
「はい、金春派は、能のシテ方五流のうち、もっとも古いと言われており、聖徳太子時代の頃から伝えられております。代々童名を金春と名のったのが流名になったと言われています。安土桃山時代には宗瑞(そうずい)、岌蓮(ぎゅうれん)らの名手が現れ、秀吉様が金春流を学んだことにより、全盛を迎えました」
 忠孝は頷いてから、飯山達に今までのいきさつを話した。
 翌日、総勢十一人が揃い、朝餉を取りながらこれからのことについて話し合った。食事を終えた忠孝は、皆を見回しながら言った。
「どうであろう。先発は今まで通り戸部、片野、新之助殿、おそのさんに鉄太郎さん。悪いが、鉄太郎さんには大坂まで、先発、後発のそれがしとの取次をしてくれないか」
「ようござんす、やりましょう」
「そして、後発はそれがし、佐助、飯山殿、一心殿、おゆう殿そして清さんで如何であろう」と忠孝は言って皆を見回した。
「秋山、それでよいが、箱根の関所は関門だ。特に女の方は覚悟してかかって下され」と戸部順三衛門は言った。
 ゆう、そのそして、清は顔がこわばっていた。
 戸部順三衛門たち先発隊が発ってから、四半刻(三十分)ほどしてから忠孝たちは宿を後にした。
 佐助は皆が乗れる馬の数を手配した。そして佐助は、しばらく小田原宿で追手を待った。
 忠孝たちは、急坂を上り三枚橋を渡り、湯本を通り関所に着いた。
入口に六尺棒をついた足軽が二人立っていた。面番所(旅人を調べる所)に忠孝たち五人は入った。足軽が十人ほど並んでおり、物々しい雰囲気だった。女改め姥が来て、ゆうと清は別部屋に連れて行かれた。忠孝たちは関所役人の前に出た。役人は、忠孝たちの関所手形の書かれていることに間違いがないかどうか調べた。しばらくしてから、役人が「よし、通れ」と言った。
 一方、ゆうと清の衣服を脱がせて、女改め姥が細かく体を調べていた。ゆうと清は、恥ずかしいことこの上なかった。二人とも、顔を隠して姥のなすがままに従った。
 余りにも、いやらしく調べているので、
「もういいでしょ」と堪忍袋の緒が切れて、清は姥に怒りを表して言った。
 それが功を奏したかのように、しばらくして改めは終わった。
「なかなか大変だったようだな。さあ行くか。箱根神社によってから、昼食をどこかで取ろうではないか。あとは、三島までの下り四里だ」と忠孝は皆に言って歩きだし、ゆう、清、一心そして、飯山一之介と続いた。第一鳥居、第二鳥居、さらに進むと第三鳥居。うす暗い杉木立の中を歩き、そして参道階段を上ると、広い境内に出た。左手に社務所や神楽殿があり、正面に神門、その先に大きな社殿が立っている。社殿に行き、忠孝一行はまた今後のことがうまくいくようにと祈願した。
 そして、箱根神社を出て、近くの茶屋に入った。甘酒が出てきた。
「疲れているから、本当においしい」とゆうは関所での出来事も忘れ、生き返った表情になった。
 箱根の山を下って、黄瀬川を渡ると右手に潮音寺の入り口が見えた。
 一心が、説明し始めた。
「潮音寺は、臨済宗妙心寺派で、本尊の聖観世音は、恵心僧都の作といわれています。小野政氏という長者が子に恵まれないためこの観世音に祈ったところ一女に恵まれたそうです。その子の名を亀鶴と言い美しい子のようでした。しかし、父親と母親に早く死なれ、それを悲しみ、十八才の時藍壺に身を投げて死んだという。また一説には、源頼朝が富士の巻狩の際、招こうとしたが、遊女亀鶴は応じないで入水したと伝えられています」
 皆、一心が詳しいのに驚いた。
 そして、宗心たちは、三島を過ぎ沼津宿に泊まった。
 翌日、七ツに沼津宿を後にした。
 海から陽が上ってきて空と海の青さを輝かせた。興津を過ぎると右に清見寺がせまって見えてきた。また、一心が説明し始めた。
「千三百年程前の白鳳年間、天武天皇の頃のことです。東北の蝦夷に備えてこの地に関所が設けられ、清見関(きよみがせき)と呼ばれていました。そして、その近くに、関所の鎮護として仏堂が建立されたのが、清見寺の始めと伝えられています。平安時代には天台宗の寺院であったと思われますが、鎌倉時代に禅宗に改められました。室町幕府を開いた足利尊氏は、深く清見寺を崇敬し、清見寺山頂に利生塔を建立して戦死者の霊を慰め、天下大平を祈ったようです。又室町幕府は清見寺を官寺と定め、保護しました。あの雪舟はこの寺で、富士・三保・清見寺の景色を画いています。戦国時代には、今川・徳川・武田・北條等の戦国大名が入り乱れて、その都度各大名が清見寺に陣をしき城として使用され、甚大な戦禍をこうむることもあったようです。 徳川家康は、幼少時今川氏の人質として駿府に在りし頃、当時の清見寺住職太原和尚より教育を受けました。又後年大御所として駿府に隠栖した際には、当時の住職大輝和尚に帰依し、何度も清見寺に来遊したそうな。家康公の三女静照院殿は、彿殿の本尊釋迦弁尼仏と大方丈の大玄関の寄進をしています。これら因縁により、清見寺は三葉葵の紋を許されているのです」
 皆、黙って聞いていた。山門をくぐると誰彼ともなく、「すごい」と言う声を発てた。山門も素晴らしいが、仏殿、大方丈そして、鐘楼も歴史のある建造物であった。また、裏に回ると広く立派な枯山水の庭園があった。縁で、しばしそれぞれ、行く末のことを考えたり、物思いに耽ったりした。
 富士川を渡り、蒲原、由井、興津をすぎ、五日目の宿泊地、江尻の宿に、暮れ七ツ頃に着いた。皆、旅には慣れてきたせいか、風呂や夕餉を早く済まし、五ツには床に入った。
 忠孝も酒がまだ飲み足りないようであったが、佐助より追手からまだ目が離せないとの連絡があったので、ほどほどに抑えていた。
 翌朝、今にも雨が降りそうな雲行きであったので、宿を早々に出た。府中に入ると、右手に家康が隠居した時に居城とした駿府城が凛としてそびえ建っていた。鞠子宿に入ると小粒の雨がぱらぱらとおちてきた。
「雨宿りを兼ねて、昼飯にしよう」
 忠孝は、ゆう達に声をかけた。
「いらっしゃいませ」
 女が迎えた。
 店の中はほんのり暗い。客はまだ誰もいないようだった。忠孝たちは適当な場所に別れて座り、何を頼もうかと思案していた時に、先ほどの女が来ていった。
「鞠子は、とろろ汁が名物だ。お客さんたちいかがですか」
 ゆう達はとろろ汁と麦飯を頼んだ。忠孝だけは、酒ととろろ汁を頼んだ。忠孝は、旅の途中のため酒は一合に抑えた。
 飯を食べ終わったが、外は雨が本降りになっていた。ゆうと清を駕籠に乗せ、忠孝、飯山、一心は油紙の合羽を身につけ、笠をかぶって歩いた。
 忠孝たちは、府中そして安倍川を渡り、鞠子、宇津ノ谷峠を抜け、蔦の細道出口に出た。
 六日目、岡部宿で宿をとり、翌日、若宮八幡宮に詣でて、先を急いだ。藤枝、金谷、日坂と、順調に進み、掛川宿に泊まった。
 疲れが重なっているせいか、旅籠でも無口で皆すぐに床に就いた。
 翌日、袋井の油山寺に詣でて、見附を過ぎ、濱松宿から南に一里ほどすぎたところの片野鉄之助の友人、田端八之進の屋敷に泊まることになっていた。
 忠孝たちが田端の屋敷に入った時には、佐助を除いて、全員が揃った。田端八之進は、鉄之助の同門で直眞影流の使い手である。もう先発の戸部順三衛門たちは、夕餉を取っていた。皆、安心して飲んだり食べたりしていた。
 鉄之助は田端に、忠孝たちを紹介し、忠孝は田端に丁重に礼を述べた。
「お疲れであろう、早速、風呂に入って、ゆっくりして下され」
 田端は、忠孝たちをねぎらった。
 最後に忠孝が風呂から上がって今に戻って、用意された膳の前に座るや否や、
「秋山殿、一つまいろう」
 田端が忠孝の盃になみなみと酒を注いだ。
 忠孝が、盃を空けると、
「御流れいただけませんか」と田端が言ったので、忠孝は、盃を渡し、酒を注いだ。
 田端は、盃を空け
「秋山殿、この度は長府藩の奸物退治のお役目、ご苦労様です。いろいろ鉄之助から聞き及んでおります」と言った時、
「父上」と田端を呼ぶ声がした。
「秋山殿、これは、倅の慎太郎でござる。よろしくお願い申す」
 田端は笑顔で言った。
「鉄之助からそれがしが話を聞いていた時に、慎太郎も一緒に聞き、正義感がわいてきたのだろうか、是非、秋山殿たちのお供をしたいと先ほどからわしを困らせています」
「慎太郎殿はおいくつになられたのか」
「はい、十五になりました」
「慎太郎は力信流の免許皆伝なんです」
「秋山様、是非私もお供させて下さい、よろしくお願いします」
 頭を畳につくほどさげた。
 田端もこの息子の姿を見て、頭を下げた。
「秋山殿、某からもお願いする」
 今までの緊張もとけたせいか、あちらこちらで笑い声が聞こえている。
 いつの間にか、飯山一之介が金春流‘羽衣’を舞い始めた。皆声をひそめ見入った。
 舞終わった時に、佐助が部屋に入ってきて忠孝のところに真っ直ぐに来た。忠孝に追手が濱松宿に入ったことを伝えた。
 忠孝は、皆に大声で佐助からの話をし、これからの策を練ることにしたいと言った。今までの陽気さはすっ飛び、皆真顔になり、忠孝と佐助を囲んだ。まず追手の話を佐助が話し始めた。
「追手は三人、皆体が大きく強面で、今は、この宿場に泊まっています」
 そしていろいろ今までの経過も説明した。
「追手は三人じゃ、もうそろそろ、退治しなければこちらが危ない」
 忠孝は悩ましそうに言った。
 忠孝は、正義感は強いがもめごとは嫌いな方であった。腕はたつが気は優しい侍なのだ。
「この案はどうだ」
 片野鉄之助が道中図を出して、話し出した。
 皆が動き、今度は鉄之助をを取り囲んで、黙って聞き始めた。
「明日は赤坂宿に泊まり、その翌日、宮宿の手前に道に迫って林がある。この辺だ。
 ここで、三人を待ち伏せして人気のない頃合いを見計らって、討つ」
「良い案だ。事前に秋山殿、佐助さんと順三衛門殿にこの林を確認してもらう。早朝三人にはここを発ってもらい、赤坂宿で合流する。どうであろう」
 飯山一之介が言った。
「いいだろう。待ち伏せは俺、順三衛門、一之介、一心そして、敵の顔を知っている佐助の五人でどうだろうか」
 忠孝が言った。皆、腕に自信のある連中であった。
「いいだろう。皆、腕がたつからな、大丈夫だろう」
 鉄之助は言った。
 翌日、赤坂宿には二組に分かれて入った。佐助は忠孝、順三衛門を案内してすでに宮宿に馬を走らせていた。
 鉄之助たちは風呂に入り、静かに夕餉をとった。ゆう、その、清の部屋を囲むよう鉄之助たち男は部屋をとった。
それからが忙しかった。相手とすれ違わないように、舞坂、荒井、白須賀、二川、そして吉田神社に詣でてなるべく遅く街道に入るようにした。敵を先に行かせるための慎太郎の考えだった。
 一方、敵の三人はそれとも知らず、先を急いだ。
 忠孝たちは、御油宿、藤川、岡崎を過ぎ、もう既に矢作川を渡って、そして、池鯉鮒の宿を過ぎ、有松に。街道の両側の家々の入り口には、有松絞りの暖簾が風にたなびいていた。
 半刻ほどで、鳴海を過ぎ予定の林に着いた。一刻ほど待っていると、三人の侍がやって来た。
 佐助は、頷いた。
 三人のほかには道に人はいなかった。忠孝、順三衛門そして一之介は、深編笠を被った。
 また、佐助は一心と同じ、天蓋を被った。
「命を奪うな。よーし、行くぞ」
 忠孝たち三人は、侍の三人に向かって走った。佐助と一心は林の中を走って、侍の後ろへと回った。
 急に忠孝たちが出てきたので、三人の侍たち驚き、刀に手をやった。
「何者、どかねば斬るぞ」
 六尺ほどの大男が言った。
「何を言ってるんだ。人の名を聞く前に、自分から名乗るものだが」
 忠孝は落ち着いて言った。
「つべこべ言うと、本当にたたっ斬るぞ」
 大男の右隣にいる小太りの侍が言って、刀を抜こうとした時、三人の侍たちの後ろから、甲高い尺八の音が聞こえた。
 その音に三人の侍が気をとられた時に、忠孝、順三衛門そして一之介は抜刀し、あっという間に三人の侍を峰打ちで仕留めた。
 すかさず忠孝たちは、三人を林の中に引き込んでさるぐつわをかませ、木に縛り付けた。
「では、ごゆっくり。後を追ってきたら、今度はこれでは済まさないぞ。さらばじゃ。」
 忠孝たちは、小走りに去って行った。
 忠孝たちは、尾張藩領の宮宿の尾割屋という旅籠に入った。部屋に通された忠孝は、障子をあけ、合図の黄色の手拭いを物干しに掛けた。
 半刻ほどして、片野鉄之助たちが宿に着いた時には、既に忠孝たちは一杯やっていた。鉄之助は、ゆう達女を先に風呂に入るように言って、忠孝と酒を酌み交わすことにした。鉄之助たちは、忠孝たちの首尾を聞いて安心した。
 しばらくして、ゆう達が風呂から出て来て、今日の話をかいつまんで忠孝は話した。ゆう達もほっとしたようだった。
「秋山、これで当分は大丈夫だろうが先を急いだ方がよい」と順三衛門は言った。
「そうだな、明日は、七ツに宿を出よう。鉄之助たちも風呂に入って来い」
 忠孝が盃を重ねて言った。
 女たちは夕餉をとって、眠りに就いた。忠孝は鉄之助が風呂から出た後、皆で明日からの計画を話し合った。
 七ツに、順三衛門、鉄之助、新之助、慎太郎そして、そのが発ち、半時ほど後から忠孝たちが宿を後にした。
 数里ほど来た時、竹柵で囲われたところに町人や百姓たちがたむろしていた。ゆうが一人の娘に尋ねたところ、
「はい、隠れキリシタンの火あぶりの処刑がこれから行われるだ。かわいそうに。おらあの知っている人がいるだよ」と途切れ途切れに泣きながら言った。
「あんたの知り合いがいるの。かわいそうに、ひどすぎるわ」
 ゆうはいたたまれなかった。清は顔を背け、歩きだしていた。ゆうも清もだいぶ落ち込みが大きいようで、歩きが遅くなっていた。もう夕闇が迫って来ていた。
 今日の宿の桑名までは、あと一里ほどあった。忠孝は、駕籠屋を見つけ二人を駕籠に乗せ、先を急いだ。
 桑名宿の旅籠あやめに忠孝たちは入った。先発隊の順三衛門たちはもう既に夕餉は終わっていた。
 あやめは混んでいて、忠孝たちは、忠孝と佐助は別の部屋に別れた。
「今日は相部屋で申しわけございません」
 女将は、忠孝と佐助を別の部屋に案内した。
 忠孝が部屋に入ると、一人の僧が座って木を彫っていた。
「忠孝と申す、よろしく頼む」
「円空と申します。こちらこそよろしくお願いいたします」
「佐助といいます。よろしくお願いいたします」
「お客さん、夕餉です」と女が箱膳を運んできた。
「お女中、申しわけないがお酒を四合頼む」と忠孝は頼んだ。
 しばらくして、酒が運ばれた。
 忠孝は手酌で盃を重ねながら、
「円空殿、一献まいろう」と円空に盃を渡した。
「有難うございます、般若湯は久しぶりです」
 盃を飲みほした。
 佐助は、空になった円空の盃に酒をそそいだ。
 忠孝は、先ほど木を彫っていたことから円空の生い立ちに至るまで話を聞いた。円空は、行李から木彫りの木彫りの仏像を出した。ゴツゴツとした野性味に溢れながらも不可思議な微笑をたたえており、このような独特の彫りを忠孝と佐助は初めて見た。二人は思わず「すばらしい」と同時に言った。
 円空は、はにかみながら訥々と話し始めた。
「生まれは美濃国です。それから物心ついた時には弘前城下にいたのですが、今から二十年前、ちょっとしたことで、津軽藩の弘前城下を追われました。それからというもの旅をしながら彫り続けています。
 まず、青森経由で松前に渡り、太田山神社をはじめ道南の各地を廻り、多くの仏像を彫りました。それから、尾張・美濃の地方に戻りました。そして、大和国の法隆寺に住持していた巡堯春塘より法相宗の血脈を受けました。近江国の園城寺に住持いた尊永より仏性常住金剛宝戒の血脈も受けたのです。
 その後、関東に滞在しており、上野国の貫前神社で『大般若経』を読誦しました。再び美濃に戻り、荒子観音寺の住持であった円盛より天台円頓菩薩戒の血脈を受け、元禄二年、私が再興した美濃国関の弥勒寺が、天台宗寺門派総本山の園城寺の山内にあった霊鷲院兼日光院の末寺につい最近なりました」
 二人は黙って、聞いていた。
 円空は続けて言った。
「秋山様達はこれからどこに行かれるのですか」
「それがしたちは、長州の方へ行くのだが、和尚殿はどちらに行かれるのかな」
「わたしは、奈良へ行こうと思っています」
「では和尚殿、途中まで一緒だな。よかったら、京まで一緒に行かないか」
「よろしければ、お供させていただきます」
 そして、三人は床に就いた。
 翌日は日本晴れだった。皆が揃って、部屋に集まった時、忠孝が円空を紹介した。一心は驚いた。あの円空上人がと。
 隣に座っていた順三衛門に、
「この上人様は、民百姓の幸せのために仏像をたくさん彫っているのです」
「そうか、一心殿はよく知っていますな」
 旅は道連れ、世は情けそして、一人増え、十二人の旅が始まった。円空を加えた忠孝たちが先に発った。

 四日市、石薬師と過ぎ江戸から既に百六里二町の伊勢国鈴鹿郡に入った。宗心たちは関宿の方へ行かず、伊勢路に入る大鳥居を、頭を下げて通った。
 今朝、遅出の順三衛門たちと話し、折角だからお伊勢さんに詣でて行こうとなっていた。五十鈴川にかかる宇治橋を渡りそして、火除橋を通り、一の鳥居、二の鳥居をくぐると左手に御神楽殿が見えた。
 一心がまたや説明し始めた。
「御神楽は、雅楽や舞を伴った丁寧な御祈祷のことです。ありがたい御祈祷をこのお神楽殿でやっていただけるのです」
 隣にいた円空もこの説明に感心していた。
「お伊勢様には狛犬がいないの」
 ゆうが誰とも言わずに聞いた。
 「狛犬は平安の時代の神社には置かれていましたよ。しかし、お伊勢さまはもう既に社殿の建築様式や構成が確立していましたので、流行りに流されることはなかったようです。おみくじもありません」と間髪をいれず、一心が答えた。
 円空は九百年前に西行法師が歌ったのを思い出し、「何ごとのおわしますかは 知らねども かたじけなさに涙こぼるる」と声を出して詠じた。
「円空様、お伊勢様の由来はご存知ですか」
 一心は聞いた。
「よくはは知りませんが。まず、伊勢神宮と言う名は‘神宮’と言うのが正式名称のようです。神宮は内宮、外宮があります。内宮は天照大御神、外宮は豊受大御神を祭っています。お伊勢様の始まりは第十代崇神天皇の頃のようです。このころ、疫病がはやりこの国の存亡の危機が訪れました。その時、天皇は神を祭ることで国を治めることを考えたようです。このことで、天皇が政治と宗教の分離を決意したと言われています。遷宮と言う神様の引っ越しの始まりは四十代天武天皇の発意だったと聞いています」
 帰りの参道で、ゆう達女が、お腹が空いたと言ったので、‘金時屋’という餅屋に入った。
「おう、順三衛門」
 中に入るや否や忠孝は驚き、大きな声をあげた。
「忠孝、もうお参りは終わったのか」
 順三衛門は言った。
「ここの餅はうまいぞ」
 鉄之助がにこにこしてお茶をすすった。
「では忠孝、石部の宿で会おう」と言って、順三衛門は一行の分もまとめて払い、店を出て行った。
 忠孝たちも餅を食べ終わり、店を出てから二時ほどで近江甲賀郡の石部宿に着いた。もう京まで九里十三町を残すあまりになった。
‘おうみ’という旅籠に入った。半刻ほど経って、戸部順三衛門たちも到着した。久しぶりに大広間に皆が入ることができたので、皆揃って夕餉をとった。明日は京ということで皆は何となくほっとしているようで口数も多かった。円空は、さっさと食して、部屋の片隅で一人ぽつねんと木を彫っていた。皆が食事を終えた頃、女中たちとここの主人が片づけに来た。
「皆さまいかがでしたか。ごゆっくりお過ごしください」と主人は言った。
「そうだ、先ほどお女中からこの宿で有名な話があると言っていたが、良ければ聞かしてくれんか。」と忠孝は頼んだ。
「はい、お話しいたしましょう」
いわゆる‘桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)’というものだ。
「呉服屋の長右衛門さんは商用で遠州に出かけ、帰り道でお半さんに会いました。お半さんは隣家、信濃屋の娘で、乳母や丁稚の長吉どんと一緒に伊勢参りに行った帰りだったのです。一行はよい道づれができたと同道し、私どものこの部屋に泊っていただきました。 その夜、お半さんは丁稚の長吉どんがしつこく言い寄るので眠れないと言って、長右衛門さんが泊っている部屋へ逃げたようです。長右衛門さんはお半さんをなだめ、「夜明けまでここに居てもよい」とお半さんを布団に入れたとのことですが真意はよく分かりません。まだ子供だと思っていたお半さんは長右衛門さんに恋心を抱き、長右衛門さんは理性を失ったのか二人は結ばれたとのことです。お半さんの後を付けてきた長吉どんは部屋を覗き、驚き、嫉妬し、腹いせに長右衛門さんが遠州の大名から研ぎに出すよう預かってきた正宗の脇差と自分の旅差をすり替えたのです。夜が明け、一行は京へと戻ります。そして、半年ほど後に、長右衛門さんの妻お絹さんの弟、才次郎さんとお半さんが結納を交わすことになりましたそうで。仲人は長右衛門夫婦。呉服屋を乗っ取りたい長右衛門さんの弟、儀兵衛さんが兄の代理として信濃屋へ来ます。儀兵衛さんは、お半に惚れていてこの縁組みを破談させたい丁稚の長吉どんと悪巧みの相談をしていた。 長右衛門が祝儀にやって来た。縁組みを拒むお半さんから自分の子を身ごもっていると告げられ長右衛門さんは驚いた。日がたち、六角堂でお絹は百度参りをした時、後を追ってきた小舅の儀兵衛さんが長右衛門さんとお半さんのことを告げ、証拠だとお半さんから長右衛門さんへの手紙を見せびらかしたそうです。自分の言うことを聞いたら手紙を渡すといやらしく言う儀兵衛にお絹は「折を見て」とかわし、追いたてます。
 お絹があれこれ考えているところへ通りがかったのが丁稚の長吉。お半と長右衛門のことを訊ねると、石部の宿で二人のことを見てしまったと答えた。お半さんに惚れている長吉どんに、恋をかなえてやるからお半と契りを結んだのは長右衛門ではなく、この長吉だと言い張ってくれと頼んだそうです。その後二人は悲劇に陥ったようです。今でも浄瑠璃等で受け継がれていますので、お後は浄瑠璃でお聞きください。夜も遅くなりましたので失礼いたします」
 忠孝たちは、すぐに寝つかれなかった。
外は明るくなっていた。朝餉の時、清は忠孝の顔をちらちら見ていたのを、佐助は見逃さなかった。今日も忠孝たちは女たちを駕籠に乗せ、先に発った。次の宿、京へと急いだ。
 昼頃、大津宿に着いた。宿の入り口の左には屋根つきの見事な常夜燈、右には、高野地蔵が忠孝たちを迎えるかのようにたち並んでいた。
 腹が減ったので、幟に‘姥カが餅屋’と書いてある店に、忠孝たちは暖簾をくぐった。皆で、かわいいあんころ餅を食べ、茶でのどを潤し後三里ほどの京を目指して出発した。
 しばらく行くと、左に近江一之宮、建部神社のお鳥居がそびえ立っているのを右に曲がると瀬田の唐橋にでた。
 とうとう、忠孝たちは、江戸から百二十五里二丁(五百キロメートルと二百十八メートル)の京に到着した。
 清が何か寂しげに唄言い出した。
「都路は五十余りに三つの宿、時得て咲きや江戸の花、波静かなる品川をやがて声来る川崎の・・・・」
 皆、静かに聞きながら、江戸を思い出していた。
 八坂神社に詣でてから、その近くの旅籠に泊まった。一刻ほど経って、順三衛門たちも宿に着いた。
 京では、体を休めるために二泊することにしていたので、皆のんびり夕餉を取り、忠孝は久しぶりに酒を浴びるほど飲むことができた。
 
 翌日の夕に、大坂に入った。皆、大坂道頓堀には橋が多いのに驚いた。
「一心さん、この辺は‘食い倒れ’と言うのは、なぜですか」と清が聞いた。
「食いはくいでも、杭なんですよ。大雨が降ると川が暴れ橋を支えている杭が倒れてしまうのですよ。それで‘杭倒れ’と言うのです。京の‘着だおれ’とは違います」
 と分かった顔つきをした。
 そして、近場の宿で忠孝たちは泊まることにした。
 佐助は用事があると言って、宿には入らずに出かけて行った。
 そして、一時ほどで、順三衛門たちが宿に入った。
 夕餉を皆で食し、しばらく皆がくつろいでいると、佐助が戻って来た。
 佐助は、若い男と女を忠孝たちに引き合わせた。
 忍びの彦太郎と、くの一の八重と名乗った。
忠孝は、佐助の顔の広さに驚いた。 
ゆうも喜んだ。
「これで、役者は揃った」と飯山が言った。
翌日は、朝から晴れていた。
いつもの通り、七ツに宿を忠孝組は出た。
そして、二手に分かれた一行は、兵庫港から数日かけて三田尻港に着いた。
皆ぐったりしていたが、頬に春の風が皆の頬をなぜて通り過ぎた。

皆、船酔いでやつれていたが、忠孝だけは、船の中で酒ばかり飲んでいたので、酒に酔っていた。
暮れ六ツ、皆は宿に入った。
順三衛門たちは三日遅れで宿に着いた。
「忠孝、海が荒れて、途中島影で停泊してしまったよ。疲れた。そっちはどうであったか」
「やはり荒れていたが、順調だったよ。まあ、ゆっくり風呂でも入ってこいや」
 夕餉を皆で取り、今後について策を立てた。
「まず、藩領がどうなっているか調べたほうがよいと思いますが、いかがでしょうか」とゆうが言った。
「そうだな、敵を知り、己を知る」と分かったように忠孝は盃を手にして言った。
「佐助、何人か連れて舟木市に行って、藩の様子を探ってきてもらえん。」
「はい、殿様承知いたしました。彦太郎、八重よいか」
 彦太郎、八重は承知と言って、頭を下げた。
「佐助、山中宿は‘山の葉’に俺たちは泊まる。そして、佐助たちは舟木宿の‘津市屋’で待っていてくれ。くれぐれも用心してな」と片野が言った。
「ちょっと待て、俺も行く」と順三衛門が大声を出した。
「だめだ、お前は腕より医学だ。あぶない。俺が行く」と飯山が言った。
「良かろう、飯山行ってくれ」と忠孝は盃を置いて言った。
 順三衛門は顔を赤くして黙ってしまった。

 翌日。飯山達四人は、八ツ半(朝三時)ごろの暗い空の下、三田尻を後にした。次に、七ツ刻(朝四時)に田畑慎太郎と表具師鉄太郎が今日の宿を探しに小郡に向かって、宿を発った。
六ツに、忠孝残りの一行はゆっくりと小郡に向かって、出発した。女たち三人、それぞれの駕籠も動き出した。
 山陽道に入った。塩田があちらこちらに作られていた。それにしても、忠孝は西国の海がこんなに青々していることに感動した。
 田畑たちは、もう既に小郡宿の旅籠‘津市屋’を十一人で貸し切らしてくれと宿の主人と交渉し、皆で泊まることができるよう段取りは終わっていた。
 飯山達は、小郡宿を過ぎ、あと一里で今日宿泊する山中宿に着きそうであった。
 忠孝たちは、小郡宿の旅籠‘津市屋’に暮れ七ツに着き、続いて一刻ほど後に、順三衛門たちも入った。皆、疲れていたのですぐ床に着いた。

 朝日が昇ると、順三衛門たちが先に立った。忠孝と順三衛門一行は、山中宿、旅籠‘愛宕屋’に着いた。しばらくしてから、風呂と夕餉を済ませた一行は大部屋に集まった。忠孝たち男は、盃を重ねながら話していたところ、飯山達が舟木から帰って来た。
「おーい、静かにしてくれ。これから俺たちが調べたことを話す」と飯山が言った。
 皆、緊張が走り、押し黙った。まずは、舟木までの道のりについて飯山が話し始めた。
「割木松峠が周防と長門両国の国境で、それを下って行くと山中市に入る。山中市は本陣が二つある。二俣瀬の舟渡で厚東川を渡り、そして舟木峠を越えると舟木市着くぞ。ここは、代官所があるので気をつけなければならぬ」
茶を飲み、話を続けた。
「舟木市から西に行き、西見峠を越えると厚狭に出る。そして、蓮台寺峠を越えると吉田に着く。そして、木屋川を渡ると、毛利藩の支藩の清末藩領だ。そうですね、おゆう殿」
「そうです、清末藩領を過ぎますと、長府藩に入ります。ここからは藩の体制について、進之助
、説明しなさい」
「はい、姉上」
 進之助は若干緊張して話し始めた。長府藩の体制や組織について話し、そしてどのような役職の人間が堀田派なのか、また彼らがどこに屋敷を構えているのかを半時ほど一気に話し続けた。
 そして、皆からいろいろ聞かれてそれについて、ゆうとそのも答えた。反堀田派も多少いることを、皆知ることができた。しばらくして、忠孝が盃を置いて
「反堀田派の連中に会って、今の藩の様子を聞いた方がよいのではないか」
「しかし、反堀田派の人たちは今目立たないようにしていますから、会うのは難しいと思われます」
 ゆうは言った。
「それではどうだろう、反堀田派の中で御存じの方を知ってはいませんか。ご存じの方に、文を送ったらいかがでしょうか。ゆう殿」
 片野は聞いた。
「片野様、それは良い考えです」
 ゆうはそのの方を向いた。
「御使番役の黒田忠衛門殿へ文をしたためたらいかがでしょうか、姫様」
 そのは答えた。
 片野が、黒田の屋敷の場所を開いた絵図に指さした。
「では誰が届けたら良いかのう」
 忠孝が言うや否や、
「それがしが行きまする」
 一心は言った。
「では決まったところで、一心殿は朝一番で発ってもらおう。それからは、悟られるといけないので、いろいろそれぞれ姿を変えて、少ない人数で発とう。そして、山中市で会うことにしたらどうであろう」    
 飯山は皆の顔を見回した。 
 一刻(二時間)ほどいろいろ話をして、それぞれの相手と姿のことなど決め、皆床に着いた。
 忠孝一人、明日からは酒が飲めないのでゆっくり盃を傾けていた。
 日は明けたが、憂鬱な空模様であった。一行は、長州藩領に入っていたので、緊張のためか、皆早く起きてしまった。
 一心は虚無僧の姿になり、長府に向かって、ひとり明け七ツに宿を発った。
 その後は、半刻(一時間)ごとにまずは、前方の注意のため、彦太郎と八重が先発し、続いて、
戸部順三衛門は大店の番頭姿に身を変え、田畑慎太郎は手代となり、ゆう、そのを駕籠に乗せて出発。
 片野鉄之助は相棒の鉄太郎と同じ表具職人の姿となり、女形になった進之助を駕籠に乗せて続いて出発した。
 それから、忠孝は着流しの恰好で清は三味線そして、忠孝の本差と脇差を抱えて、駕籠に乗った。
最後に佐助が一人、後方を注意しながら、山中市に向かって、宿を後にした。もうすでに一行は、長州藩領に入っていた。
 
 長府藩は、萩藩の支藩の一つで藩祖は、毛利元就の五男元清の子、秀元である。長府藩主は、三代目四十になったばかりの毛利綱元で石高は五万石になっていた。居城を長府(現在の下関)の串崎においた。
 一方、長府藩を取り巻く、宗家の萩藩主は毛利吉就、二十二歳、そして支藩の岩国藩主吉川広紀、三十二歳、長門清末藩主毛利元平、十五歳、徳山藩主毛利元次二十三歳であった。これらの藩を併せて、長州藩と呼ばれていた。
 
 忠孝と駕籠の清が西見峠に差し掛かった時、木陰からから浪人とごろつき達四人が忠孝の前に飛び出してきた。
 六尺もあるひげ面の大男が怒鳴った。
「お前たち、命まで取らんので、金目のものを全部よこせ」
 駕籠かきの二人は「助けてくれー」と大声を出して、逃げ去ってしまった。
 ごろつきの二人は匕首を、浪人は刀を抜いた。
 忠孝は駕籠の横にまわり、
「清、駕籠を出るな」
 と言って、鯉口を切った。
 林から鳥が音を立てて飛び立った。
 その瞬間、忠孝は、大男が真っ向に打ちこんできた剣を払いのけ、峰で胴を打った。
 ガタと道に倒れた。
 ごろつきは後ろに回った。もう一人の浪人が、間合いを詰めてきた。
 忠孝は、腰を据え正眼の構えをとり、わっと叫んで上段に上げた瞬間、忠孝は体を斜めに沈め、相手の足を払った。
 浪人はもう立てなくなっていた。ごろつきは逃げて行った。
「清、大丈夫か。」
 清は駕籠から出て来て、忠孝に抱きついた。
  その時、佐助が追いついた。
「殿様、大丈夫ですか」
 清は忠孝から恥ずかしそうに離れた。
 山中市の待ち合わせの宿に入った。一心を除いて皆揃っていた。忠孝は、西見峠の出来事を話した。
「これからは、気を引き締めなければなるまい」
 戸部順三衛門が言った。
 半刻ほど経って、一心が御使番 黒田忠左衛門の文を持って帰って来た。一心は、皆の前に文を広げた。そこには、家老 堀田時衛門  目付 山下右左  御用人 山下三郎  勘定奉行 井出和之助 普請奉行 谷山十左衛門そして、豪商の安部四郎右衛門の名が書かれていた。
 宿で、数日間、忠孝たちは入念に計画を練って、岩国藩領に入った。江戸を出てすでに、一ヶ月になろうかとしていた。
 忠孝たちは、まず厳島神社に祈願のために参拝し、目立たないように夜、城下に入った。秋も深まり、紅葉の葉も落ち始めていた。岩国城を目指して歩いた。
 岩国藩当主は、四代目吉川宏紀。城と錦川に美しい橋が架かっていたのには、忠孝たちは驚いた。
 長府藩について片野は調べた。毛利 綱元(もうり つなもと)、慶安三年(一六五0年)十二月二十三日、江戸で生まれた。 宝永六年三月一日(一七0九年)まで、長門国長府藩の第三代藩主。第二代藩主・毛利光広の長男。母は本多忠義の娘・清殊院。正室は池田光政の娘・祥雲院。側室に貞性院。
 子に毛利吉元(長男)、本多忠次(次男)、毛利匡以(三男)、毛利元矩(四男)、娘(森長成正室のち南部信恩正室)。
 官位は従四位下、甲斐守、侍従。幼名は又四郎。承応二年(一六五三)、父の死去により後を継ぐ。
このとき、叔父の毛利元知に一万石を分与して、清末藩を立藩する。寛文四年(一六六四)、甲斐守に叙任する。天和三年(一六八三)、倹約を主とした「天和御法度」を制定する。
元禄十年(一六九七)には窮民の救済に尽くし、さらに文武奨励や覚苑寺建立など、藩政に尽くしている。今は、元禄三年、毛利綱元四十歳。
 二日後、皆、長府藩領に入って行った。ゆう、進之助そして、そのを忠孝と佐助は住吉神社に連れて行った。忠孝たちは、住吉神社に入った。本殿は檜皮葺き、流造。室町の時代に造られたと書かれていた。一間社流造の五社殿を並べ、これを合いの間で一連にした九間社流造の形式でまた、それぞれの正面の屋根には千鳥破風がきれいに造られていた。忠孝たちが、拝殿に見とれていると、 神主が、飛び出してきた。
「おゆう様、よくご無事で」と涙ながら言った。
忠孝は、神主によろしく頼むと言って、一両を包んだ物を渡した。そして、忠孝と佐助は注意を払って、長府の町に出た。
 忠孝たちが山中市で話し合った策はこうだ。
直心影流の使い手、片野鉄之助と伊賀下忍の彦太郎は、勘定奉行の井出和之助と一刀流の付き人、山口達之進等を仕留める役目を負った。タイ捨流の使い手でもあるが、能は金春流の名取の飯山一之介は、伊賀女忍の八重と組んで新陰流使い手の御用人、山上三郎たちを相手にすることになった。
濱松の田畑慎太郎と畳・表具師の鉄太郎は普請奉行の谷山十左衛門たちと闘うことになっていた。
 そして、槍の名人でもある俳諧師の一心は、俳諧好きな豪商、安部四郎右衛門に近寄って、目付の山下右左と悪の権化の家老、堀田時衛門の動きを探り、忠孝たちに、佐助を通して、その一部始終を知らせる役目であった。
一心は、豪商安部四郎右衛門の店に近い長屋に住み、そこから三丁ほど離れたところの毛利邸近くの長屋に、飯山と八重は住むことになった。
 忌宮神社の近くに一軒家を借り、忠孝、清、佐助、片野、彦太郎、田畑そして、鉄太郎が住みこんだ。忠孝とは入れ違いに、住吉神社にゆう達の護衛として、戸部順三衛門がきた。
 長府は古くは’和名抄’ (承平年間 (九三一~九三八年) 、勤子内親王の求めに応じて源順『みなもとのしたごう』が編纂した古代律令制における行政区画である国・郡・郷の名称を記述したもので、今でも日本史の基本史料となっている。)に見られる豊浦郡や仲哀天皇の豊浦宮の置かれた地とされ、また、七世紀中ごろまで穴門(長門)の国府が置かれていた。長府の地名は長門国府が縮まったものである。慶長五年(千六百)萩藩の一支藩として長府藩がおかれたのは前にも述べた。
長府雄山城がその時築造されたが幕府の一国一城令によって、解体された。この時は、藩主の館があるのみであった。
 現在の下関一帯が藩の政治の中心で、ゆう達の隠れ家である住吉神社はそこから一里ほど離れている。
 ひと月経った。一心は豪商、安部四郎右衛門に近づくために、旅の俳諧師として、噂を流した。
四郎右衛門は酒造で財をなし、そしてそのお金をもとに、家老の堀田たちに賄賂をばらまき、今では鉱山開発をも独占していた。
 数日後、その噂を聞いた安部四郎右衛門は一心を俳諧の師匠として、屋敷に呼んで、矢数俳諧の会を開くのでその指導を願いたいとのことであった。一心は四郎右衛門からの話を二つ返事で承知して、忌宮神社の近くの屋敷に仮住まいする忠孝に報告した。
 一心の話を聞き終えると、忠孝が
「一心殿、その矢数俳諧とはどのようなものかのう」と恥ずかしそうに聞いた。
「平安の頃から続く和歌は、多人数で上の句と下の句を順に連ねて行く連歌というものを生み出しました。その連歌は室町時代では、その句ごとに俳言(俗語や漢語)を入れ、俳諧というようになりました。その後、大坂の西山宗因を中心とした談林流が生まれ主流となりました。そして、談林派が独吟で句数を争う競技的な俳諧即ち、矢数俳諧を興行したのが始まりです。話が長くなりますが、俳諧でいくつかの句を連ねた中の最初の句を発句といいその発句を独立させたものが俳句です。その俳句で有名な芭蕉さんは、門人の曽良さんを伴って奥州に旅立ったようです」と一気に一心は言った。
「さすが、一心殿は俳諧に詳しい」と片野が頷いた。
長州は、大内義弘以降の時代、京文化を穏やかな瀬戸内海の海を使って、和歌、連歌、蹴鞠、能楽、茶湯等芸能を取り入れるのには積極的で、あった。
そして、入って来た京文化は武士や町人にもてはやされた。
 一方、飯山一之介は能の好きな御用人、山上三郎に近づいた。ひと月ほどで、山上の能の師匠になった。山上は十日に一度は、屋敷に飯山を呼んで金春流の手ほどきを受けていた。
「飯山殿、さすが京で学んだ方は素晴らしいものだ」
「いや、まだまだでございます」
「そうだな、能は奥が深いでのう」
「そう言えば、飯山殿は、いつまで長府にいらっしゃるのかな」
「長府は素晴らしいので、当分こちらにお世話になろうかと思っておりまする」
「では、いらっしゃる間、よろしくお願いいたす」
 長府に入って、既に二か月経ちもう十一月になっていた。一心がとうとう、ゆうと進之助の父、香川勘兵衛を殺害した事実をつかんで、忠孝たちに知らせに来た。
「佐助、今一心から聞いたこと、皆に知らせよ」と忠孝は言った。
「はい、殿様」と言うかすぐに、部屋を出て行った。
 いよいよ決戦の時が始まったと、忠孝たちは身の引き締まる思いであった。
 暮れ六ツ、勘定奉行、井出和之助が毛利邸から出てきた。武家屋敷地に向かって三人の供をつれて、歩いて来た。提灯を待った下人を先頭に井出和之助たちが、神社前に来た時、
「井出和之助殿でござるか」と提灯を掲げながら、片野が急に出てきた。
「なんだ、お前は。無礼者めが、名を名のれ」と供の侍が刀に手を掛けた。
「片野鉄之助と申す。家老香川勘兵衛を殺めたのはそちたちか」
 供の侍が抜刀して、片野の頭から斬りつけてきた。手ごたえありかと思った瞬間、片野はその侍に体当たりをして、相手が後退してからおもむろに刀を抜き、刃を峰に返し、正上段に構えた。
 飛ばされた侍は、立ち直って中段に構えなおした。その瞬間、鉄之助の峰が侍のさ骨に当たり、
(グシャ)と音がした。
「貴様、金が欲しいのか。いくら欲しいか言ってみろ」と井出は刀に手を掛けた。
抜刀する瞬間、片野は井出の手首を斬った。
 井出の手首から血が吹き出て来たのを見て、井出は卒倒してしまった。いつの間にか、提灯持ちとお供の二人は逃げていなかった。
 すぐに、表具師の鉄太郎、彦太郎と佐助、一心が出て来て、二人を縄掛けて無理矢理、二丁の駕籠に入れこんで、担いで行った。

 数日後、御用人、山上三郎の屋敷に飯山一之介はいた。くの一の八重も女中として働いていた。
能の稽古が終わり、飯山は夕餉を山上から誘われたのだった。
「飯山殿は金春流をどちらで習ったのかな」と盃を傾けながら山上は訊ねた。
「はい、京で師事を受けました。しかし、山上様は筋がよいです」
「飯山殿は、世辞がうまい」
「本当です」
「山上様。」と飯山は酒を山上の盃に注いだ。
「おい、酒が無いぞ。誰か」と山上は怒鳴った。
 しばらくして、女中が酒を運んできた。女中は飯山に目で合図をして、山上に酌をして下がった。
 飯山も山上も勝手に手酌でやった。
「飯山殿、それがしは眠くなってきた」
「山上様、ごゆっくり眠りなされ」
 今度は、八重が縄を持ってきた。飯山はその縄で山上を縛った。二人で、山上を部屋から塀のところまで運んだ。
 そして、八重は塀の上に登り、佐助に合図をした。佐助は塀の中に降りた。
「おう、佐助。山上を頼む」
 綱を山上に巻、合図を送ると山上は塀を乗り越えて見えなくなった。
 続いて、飯山、八重、そして、佐助も塀の外に出た。佐助と彦太郎は置いておいた駕籠に山上を乗せ、担いで行った。飯山と八重は、急ぎ足で山上の屋敷を後にした。
 畳・表具師、鉄太郎は田畑慎太郎と普請奉行の谷山十左衛門を門から離れた木陰で待った。
 二つの提灯の灯りが見えてきた。
「田畑様、出てきました」
「おう、一度通り過ぎさせよう。お前は前から行け」
「はい」
 谷山には付き人の武士が二人いた。五人が通り過ぎた時、
「あいや、そちらの方は谷山殿か」
 驚いて、後ろの三人の武士が振り向いた。
 既に、付き人の武士は柄に手が掛っていた。
「おぬしは、どなたかな」
 谷山が落ち着いて言った。
「それがし、田畑慎太郎と申す。谷山殿はご家老香川殿を斬殺されたな」
「こ奴を斬れ」
 谷山十左衛門も抜いた。田畑慎太郎は、ゆっくり三人を見ながら柄に手を掛けた。そして、三歩前に歩み、抜き打ち、付き人の一人の足を峰で払った。
 下男の二人は驚いて、提灯を落とし、逃げてしまった。鉄太郎はもう一人の侍を後ろから首を絞め気絶させた。
 田畑は、谷山に近づいた。谷山は上段に構えながら、間合いを取りながら、じわじわと後ろに下がった。
 田畑は、二間半ほどの間合いで、足をとめた。風が吹いた瞬間、谷山が走りかかって来た。
と同時に、田畑も走り、二人は交差した。
 その途端、谷山ががっくりと倒れ込んだ。一瞬早く、谷山は胴を峰で打たれていた。
 谷山を佐助と彦太郎は駕籠に押し込んだ。付き人の二人に、縄を打ち、目隠しし、そして猿轡をかませ、田畑と鉄太郎は忠孝のいる屋敷に連れて行った。
 座敷牢に三人を閉じ込めてから、忠孝の部屋に入った。
「秋山様、谷山以下三人を取り押さえました」と田畑慎太郎は江戸紫の覆面を外しながら言った。
「おう、ご苦労であった」と忠孝は飲んでいる盃を田畑に差し出した。
「三人は、離れの座敷牢に入れてござる」盃を空けて、田畑は言った。
「捕らえた者たちは、おとなしかったか。」
「はい、もう観念したようにおとなしくしていました。八重に代え、彦太郎に見張らせています。」
と佐助は言った。
 一方、香川勘兵衛暗殺の首謀者、豪商の安部四郎右衛門、目付の山下右左が、家老の堀田時衛門の屋敷で談合していた。
「堀田様、この度は鉱山開発の権利をお与え下さり、ありがとう存じます。すくのうございますが、お受け取り下さいませ」と言って、菓子箱のようなものを四郎右衛門は、堀田の前に差し出した。
「いつも悪いのう」と堀田は右横においた。
「酒だ、酒だ」と、手を叩いた。
酒と肴が次々と運ばれた。
「遠慮なくやってくれ」と堀田は飲み始めた。
「ありがたく頂きまする」
山下と四郎右衛門も盃を手にした。
しばらくして、
「そう言えば、この二三日、勘定奉行 井出和之助、御用人 山上三郎そして、普請奉行の谷山十左衛門の行くへが分からなくなったと言うではないか。なぜだ。山下」家老の堀田が言った
「ご家老、どうも、我々に敵対する者たちの仕業かと。しばしお待ち下され、探索中にてございまする」
と目付の山下が頭を下げた。
「山下、町奉行と寺社奉行にも探索を命ぜよ。また、下手人も早くひっ捕らえよ」
と堀田は体を揺すりながら言った。
「ご家老様、山下様。私に何かできることがあればなんなりとお言いつけ下さい」と四郎右衛門は心配そうに言った。
「安部屋、心配するでない。必ずや、山下達がひっ捕らえてくれようぞ」
と堀田は、赤ら顔で盃を飲みほした。

 翌朝、目付の山下右左が町奉行と寺社奉行に会い、井出和之助達の探索そして、下手人を捕縛するようにとの家老堀田時衛門の命を伝えた。
 反堀田派の寺社奉行、寺田倉之助は、すぐに御使番役の黒田忠衛門にこのことを伝えた。
 また、長府藩は山林境界争いで萩本藩と対立していたのを黒田は知っていたが、萩本藩に堀田が懐柔されていることを寺田が言ったのには驚いた。跡継ぎ問題でも、堀田は前家老の香川勘兵衛と対立していた。
 黒田忠衛門は仕事が手につかなかった。
(早く、秋山殿たちへ知らせないと大変なことになるぞ)
 気は勢だが、まだ帰るには早すぎ、変な疑いを掛けられても元もこうもないと平常心を保つのに苦労をした。黒田が、屋敷に戻ったのは七ツ前であった。妻の安江は、忠衛門の顔色を見て驚いた。
「あなた、何かございましたの」
「ちょっと、急いでる。呼ぶまで、部屋に誰も入れるでないぞ」
安江は忠衛門の着替えを手伝った。
着替えが終わるや否や一人書斎に入って、寺田倉之助から聞いた話を文にしたためた。
気がせくせいか、文字が乱れた。
書き終わると、安江に用人を呼ぶように伝えた。
しばらくすると、用人の太助の声が板襖越しにした。
「入れ」
太助が入って、戸襖を閉めると、
忠衛門は至急この文を忠孝の屋敷に届けるよう命じた。
「太助、くれぐれも注意して参れよ」
「はい、承知いたしました」
 太助は胴巻きに、その文をしまいこんで、部屋を出て行った。
 忠孝の屋敷には、住吉神社にいるゆうたちと戸部順三衛門の四人を除いた仲間が集まっていたところに、黒田からの文が届いた。
忠孝は、みなの前に文を広げゆっくり読んだ。
「やはり、敵は気づいたか。われわれの仕業と気づく前に、何とか決着をつけないとまずいであろう」と忠孝は、相も変わらず盃を手にしていた。
「相手も家老の堀田と目付の山下そして、阿部屋だけになったが、みな身辺警護が厳しい。
これからは、ここにいる人間を二組に分け、それぞれ行動したらどうかな」と片野鉄之助が言った。
「それがいいな。では、片野、飯山、一心、彦太郎、八重の五人を片野組とし、残りの者を忠孝組としたらいかがであろうか」と飯山一之介が盃を置いて言った。
「よかろう。ところで、安部屋に潜り込んだ清からの連絡はないのか、佐助。」と心配そうに忠孝は佐助に向かって言った。
「まだ、何事もございませんようで」
「これからは、安部屋を我々の組で見張ろう」と忠孝は盃に酒を注いだ。

 数日後の夜、安部屋では、菊という名で奉公している清がとうとう安部屋の裏帳簿を見つけ、息を呑んで見ていたその時、
「菊、お前ここで何をやってるんだね」といつの間にか後ろに大番頭の平助が立っていた。
「いえ、何でもありません」と清はすばやく、島田髷に挿した仕掛け簪を手に取り、振り向きざまに番頭の急所をはずした首の一点を刺した。
「うっ、だれか~」と番頭は膝から体が崩れ落ちていった。
(早く逃げないと)庭に飛び出て、裏木戸から外に出ようとした時、清の体に鎖が巻きついた。清は一間ほど引き戻された。
(捕まった)心の中で叫んだ時、急に巻かれた鎖が緩んだ。全身の力を振り絞って、木戸に向かった。
 後ろで音がした。鎖鎌を持った侍が倒れた。
「女将!」と塀の上から声がした。
 佐助だ。黒装束に身を固め、手に棒手裏剣を持った佐助が塀の上から笛を吹いた。
「女将、早く逃げろ、外で殿様が来るのを待て」
 新手の追手にさらに手裏剣を投げつけた。
「曲者、出会え」と叫んだ侍も倒れた。
 清が道に出ると、馬が走ってきた。
「清、乗れ」と江戸紫の頭巾をかぶった侍が、手を差し伸べ、清の手を持ち、体を引っ張りあげた。
「それ、いくぞ。しっかり?まっておれ」
「はい、忠孝様」
 忠孝は、馬に鞭を入れた。
 無事に、忠孝と清は、屋敷に着いた。佐助もしばらくして無事に戻ってきた。
 皆が、集まっている座敷に忠孝は清を抱きかかえるように入った。
「秋山、清さん大丈夫か」
 片野が心配そうに言った。
「はい、仕込み簪を使ってしまいました。佐助さんに教えてもらって」
 と半べそで声が細った。
 佐助は、ゆうと進之助達の助太刀に清を連れて行くのには反対であったが、忠孝がどうしても連れて行くと言い張ったので、その条件として護身術を教えることで、しぶしぶ賛成したのであった。
 清は、武芸、武術については縁が無く、まったくの素人であった。
 そんな清を心配して、佐助は江戸を出発してから、暇さえ見つけて、清にいろいろな仕込み杖、仕込み煙管、そして仕込み簪の使い方を教授した。
「清さん、ご苦労様でした。」と飯山は手を合わせた。
「女将が裏の大福帳を取ってきてくれたので、これを証拠に藩主の綱元様に堀田たちの悪行をお知らせせねば」と忠孝は皆に言った。
「どのようにしたら、綱元様にお目通りがかなうのだろうか?」と思案気に片野がつぶやいたが、それを打ち消すように、
「まずは、女将は早く住吉神社に隠れてもらおう。他に、敵に顔が割れている者はいないか?」
と飯山が皆の顔を見回した。
しばらくの沈黙の後、
「他にはいないようだな」と飯山が念を押した。
「先ほどの話の綱元様へのお目通りのこと、山村様に相談したら如何でしょうか。」と田畑慎太郎が恐る恐る言った。
「そうだな」忠孝は天井を仰いで、
「堀田と山下も早くなんとかしないと」
「大福帳、山村殿に届けて、山村殿から綱元様へ渡しいただいたらどうだろう。」片野鉄之助が言った。
「よし、佐助。わしが山村殿に文を書くので大福帳と一緒に山村殿へ届けてくれ」
 忠孝は筆と紙を引き寄せ書き始めた。
「はい、承知いたしました、殿様」
「それがしも、佐助の護衛で参る」
片野は刀を取った。
「俺は、清を住吉神社まで送り届けてくる。清、行くぞ」
忠孝も、刀を引き寄せた。
「分かった、佐助、片野、秋山。気をつけて行け。後は俺に任せろ」
と飯山は皆の顔を見た。
忠孝は、厩から馬を出し、清を乗せ暗闇に消えた。
忠孝が住吉神社に着いた頃、屋敷に残った飯山のもと、鉄太郎が目付の山下右左が安部屋に入ったとの知らせを持ってきた。
飯山は鉄太郎の話を聞いて迷った。
しばらくして、「しばらく見張ってくれ。田畑殿と八重殿も一緒に行ってもらえまいか」
誰ともなく、
「承知しました」と言って、部屋をあわただしく出て行った。
「彦太郎殿、捕まえた連中の見張りを頼む」
「はい、飯山様」
座敷には、飯山と一心が残った。
「一心殿、安部屋には用心棒は何人ぐらいいるのだろうか?」
「五人ぐらいかと思います」
「五人か、腕のたつ奴はいるのかな?」
「確か、ひとり一刀流の使い手がいると聞きましたが」

 一刻半ほど経って、忠孝が戻ってきた。
「秋山殿、ご苦労であった。ゆう殿たちはいかがお過ごしでしたか」
「皆、暇を持て余していたよ。宮司が助っ人を出してもよいと言ってくれ」
「秋山殿。安部屋に目付の山下右左が訪ねているそう」
 飯山が、鉄太郎、田畑そして、八重を見張りに付けたことを伝えた。忠孝は、下女に頼んで酒の用意をさせた。
 もう、外は暗闇に包まれていた。暮れ五ツの鐘が遠くから聞こえてきた。
 一方、安部屋では、安部四郎右衛門、山下右左が座敷に会して、談合していた。
「山下様、当方の裏の大福帳が使用人に盗まれてしまいました。あれが、表に出ますと、ご家老様や山下様達にご迷惑がかかります。なんとか、早く取り戻さなければなりませ」
「安部屋、とにかく、仔細を聞かせてもらおうか」
 四郎右衛門は、まず大福帳が女の使用人に盗まれ、逃げようとしたところ取り押さえたが、忍びの者に邪魔をされ取り逃がしたことや、その大福帳には今まで家老たちに献金したお金の詳細が事細やかに書かれていることを一気に話した。
「なに、そんな大事なものを盗まれたとは。困ったものよ、早くご家老様に知らせね」
「はい、よろしくお願いいたしま」
「どちらにしても、もう夜は更けているので、明日の朝、それがしがご家老様に伝えることにしよう。安部屋、その下手人はどのような女」
「はい、うちの番頭がよく知っていますので、番頭を呼びますのでお待ちくださ。」と四郎右衛門は下女に番頭を呼んで来るように命じた。
しばらくして、番頭がふらふらした足取りで、座敷に入ってきて、菊(名を変えて安部屋に奉公していた清)の話をした。
そして、最後に、
「山下様、どうも仕込み簪にしびれ薬が塗ってあったようで、敵はかなり手ごわいと思われます」と言って、一連の話を終えた。
 山下はずうっと黙ったままであった。
「番頭さん、もう下がってよ」
 番頭が出て行ったあと、四郎右衛門は、山下に言った。
「いま、人を動員して、菊を探しております」
「安部屋、それがしも、探そう。もう一度、菊と言う女の特徴を教えてくれ」
「はい、島田髷を結い、目は切れ目で鼻筋が通っていまして、口は大きからず小さからずの瓜実顔の美人で、身長も五尺ぐらいでしょうか。しゃべりは、江戸弁のようでした」
「分かった、では今日はこれで帰る」
「山下様、これ些少ですがお土産を。また、ご家老様にこちらのものをお渡ししていただけませんでしょう」
「安部屋、いつもすまんのう」
四郎右衛門が玄関まで送って行くと、既に山下の付き人の侍四人が待っていた。
山下は侍たちに四方囲まれて、安部屋を去った。
 翌日の朝、山下右左は、家老の屋敷を訪ねた。
「堀田様、安部屋からこれをとのことです」山下は、菓子折のようなものを差し出した。
そして、昨日、安部屋から裏の大福帳が盗まれた一件について話した。
話が一段落して、堀田は、
「そやつたちを早くひっ捕らえんと、こちらが危ないぞ」
「安部屋は用心棒をかりだして、探しているようですが、まだ見つかってはいないとのことです」
「まだ、そんなには遠くに行っていないはずだ、早く探し出せ」
「はい、承知しました」
「山下、本藩から山林境界の件で、早く殿を説得しろと催促が来てのう。困っておる」
「そうですか、殿も頑固でいらっしゃるから、困ります」
「元清様をなんとか、四代目にせんと」
 堀田は、娘の千代を藩主綱元の側室にさせていた。その千代が、八年前に男子を産んだ。
綱元の正妻は二年前に、やっと男子を産むことができた。
それから、後継者争いが始まり、堀田は暗躍し始めた。権力を利用して、金を集めた。
それをもとに、味方につけるため金をばらまいた。そんな時に、萩本藩の人間が堀田に近づいた。
萩本藩は、後継者争いで、堀田に加担することを条件に、十年もの間もめている山林境界を決着するよう求めてきた。
 長府藩は山林境界争いで萩本藩と対立していたのを黒田は知っていたが、萩本藩に堀田が懐柔されていることを寺田が言ったのには驚いた。
 跡継ぎ問題でも、堀田は前家老の香川勘兵衛と対立していた。ゆうの父香川勘兵衛は、長府藩のために堀田のたくらみを阻止しようとしたのが仇になって、暗殺されたのであった。まだゆう達はここまで知らなかった。
「ご家老、まさか敵は本藩では?」
「山下、それは絶対にあり得ん」
「では、ご家老、一体だれが井出たちを」
「もう、井出たちはこの世にはいないかもしれん」
「まさか・・・・・・・・・・・」
「なにはともあれ、山下、全力を挙げて敵を探し出し、始末せえ」
「承知いたしました」
山下は、頭を下げ、刀を手にとって座敷を出て行った。
そして、出仕し、町奉行、寺社奉行そして、直属の部下に全力を挙げて井出たちを探すよう命令した。
また、その下手人を捕らえるよう家老からの命も伝えた。
寺社奉行の寺田倉之助は、御使番役の黒田忠左衛門に山下から井出たちの探索と下手人の始末の命が出たことを伝えた。
黒田が、山村英之進と後藤勘三郎に伝えたのは、それから二日後の明け六ツ半頃であった。
「主人に、黒田忠左衛門来たと伝えてくれ。急ぎのようじゃ」
と門番をせかした。
 門番は戻って来ると、門番は、黒田に書院で待っておられると伝えた。
 黒田は山村と半刻ほど談合して、帰って行った。
 山村は、すぐに用人に、忠孝の屋敷に行って、至急忠孝を呼んでくるように言った。
 五ツ刻、用人は供をつれて山村の屋敷を出た。半刻ほどで忠孝の家に入った。
 そして、用人は主人の山村の意向を伝えた。
「今日は、旦那様は明け番なので、いつでもお待ちしているとのことです」
「分かった。すぐに参ろう」
「秋山様、一緒に行くと目立ちますので、秋山様は、駕籠で行かれたらいかがでしょうか」
「おぬしが出てから、四半時後に発つ。」
 忠孝は、山村英之進の話を聞き終わって、
「山村殿、これからいかがしたらよいだろうか。」
「それがしは、殿にすぐさまあの大福帳を届けることにいたそう。秋山殿は、目付の山下右左をなんとか捕らえてもらえないだろうか。あ奴がいる限り、我々の身の安全は守られません。
あやつがいなくなれば、家老の堀田は右腕を失ったようなもので、身動きが出来なくなります」
「相分かりもうした」
「秋山殿、山下は一刀流の使い手なので、くれぐれも気をつけて下され」半時ほどで、忠孝は山村の屋敷を辞した。
 忠孝は家に戻った。
 飯山一之助、片野鉄之助、田畑慎太郎、佐助、一心、彦太郎、鉄太郎そして八重が迎えた。
忠孝は、用意された酒を飲まずに一気に山村の話を一方的に四半時ほどかけて話した。その間黙って聞いていた飯山が、
「秋山、山下という目付を早く始末しよう」
 自分を納得させるように言った。
「飯山の言うとおりだ、一心、佐助は山下の屋敷を、鉄太郎と八重は家老の屋敷の見張りを悪いが明日から頼む。屋敷を出たときが狙い時だから、そのときはここに連絡にきてくれ」
「秋山様、飯山様。承知いたしました」四人は同時に言った。
「秋山様、私も山下の屋敷を見張りましょう」
 田畑慎太郎が柄をつかんだ。
「それは心強い、よろしく頼む」
「秋山、山下は手強そうだ。山下をやるときは俺も行く」と片野は言った。
  片野鉄之助は直心影流免許皆伝の持ち主、田畑は不動剣で有名な力信流の使い手である。
「秋山、ゆう殿たちはこれからどうする」
 片野が思案しながらつぶやいた。
「仇討ちだが、藩にも幕府にも届け出ていない。敢えて、ご政道に背いてまでは危険だ。
それがしは、長府藩主綱元様に家老の堀田を裁いてもらうことを考えているのだが」
「わしも、秋山の言うとおりだと思う。ここで、堀田を殺めても若いゆう殿たちの将来はない」
 と飯山は天井を見上げた。ほかの人間も頷いた。
 数日後、空に多少の茜色を残しまわりを暗闇が取り巻いてきた頃、佐助が目付の山下が屋敷を出て、安部屋に向かっていることを伝えに戻ってきた。
「片野、まいるぞ」
「承知した」
 と長刀を腰に差した。
 半刻程で山下の屋敷を見張っていた田畑と一心に会った。
「田畑殿、一心。ご苦労」
「秋山様、片野様。ご苦労様です」
 田畑が答え、そして、
「山下は、四人の供を連れて、安部屋に向かっています」
「よし、われらも行こう」
 南筋の夜道を忠孝たちは提灯を持った佐助の後に続いた。
 半刻ほどで安部四郎衛門の屋敷に着いた。忠孝は皆にそれぞれの持ち場を指示し、片野は山下たちが屋敷を出てきてからの策を説明した。
 田畑と一心はわき道に潜んだ。
 忠孝、片野そして、佐助は安部屋の前にある料理屋の2階に席を取った。
「殿様、山下は安部屋と何の話をしているんでしょうか?」
 佐助が小声で聞いた。
「そうだな」と言いながら忠孝が障子を一尺ほど開けると、身を潜めている田畑がこちらを向いて合図を送ってきた。
  一刻も経とうかという頃、屋敷の門から山下たちが安部四郎衛門と番頭に見送られて出てきた。
  そしてすぐ、お供の四人の侍が山下を取り巻き、山下の屋敷に向かって歩き始めた。田畑は忠孝のいる二階を見た。
 忠孝は‘承知’の合図を送って、
「片野、佐助、行くぞ」と刀を取って立ち上がった。佐助は下に下りて、主人に銭を支払った。
 山下たちを後ろからつけていった。
 忠孝は山下から目を離さずに、また片野は取り巻きの一人、六尺もあろうかという一刀流の使い手の挙動に注意しながら歩いた。また、田畑、一心そして佐助は他の侍を標的としていた。
 山下たちは、道を左に曲がった。やはり、山下の屋敷に向かっているようだった。
 忠孝たちは武家屋敷の区画に入る前に、始末することの打ち合わせはできていた。この辺りの地形は以前から十分調べていた。忠孝たちも道を左に曲がった。
 そして、忠孝と片野は山下たちの前に出るために、脇道に入った。田畑、一心そして、佐助は今まで通り、後ろからゆっくり付いて行った。
 すると突然、山下たちの目の前に江戸紫の覆面をした忠孝と片野が躍り出たのに、山下たちは驚きながらも供の四人は抜刀した。
 その時、間髪をいれずに佐助は山下の右手にいる侍の首に手裏剣を命中させていた。一心と田畑はすぐに走り、一心は左の侍の左腿に鑓を刺し、田畑は後ろの侍が振り向きざまのところを峰で肩を打った。
悲鳴のような叫びが三つ続いた。
 一瞬の出来事に、山下と六尺男は驚いたが、忠孝と片野から目をそらせることはなかった。山下と六尺男は五人に遠巻きに取り囲まれていた。
 片野は直心影流の‘右転左転’の構えを取って、六尺男と2間半ほど間合いを置いて対峙していた。
忠孝は下段の構えで山下に向かっていたが、まだ山下は抜刀してはいない。
山下に刀を突きつけている忠孝の顔からは汗が噴出してきた。

 こうもりの羽ばたきの音がした瞬間、六尺男が冗談に振りかぶり、片野に向かって走った。
片野はすばやく、下段から中段にするや否や左に剣を引き、1間ほど近づいたときに身を沈めた状態で六尺男の胴を打っていた。六尺男は膝から崩れ、道に倒れる音が闇に響いた。
 忠孝は依然、構えたままであった。
(無外流の抜き打ちだけは気をつけねば)
と思ったとき、山下は抜刀した。
‘カチ-ン’と音がすると棒手裏剣が山下の足元に落ちた。
その時、忠孝は踏み込みながら、下段から剣をすり上げ山下の股間を打った。
「ギャー」
と悲鳴をあげて、山下は倒れ込んだ。
 すぐさま、忠孝たちによって、山下たちは猿轡をかませられ、後ろ手にしばられた。
「一心、佐助、頼む」と忠孝は言った。
 そして、山下だけは駕籠に乗せられ、一心と佐助が担いで屋敷に運んで行った。忠孝、片野そして田畑は、供の四人の侍を堀田の屋敷の門前に連れて行き、坐らせた。
「足を縛ろう」と忠孝が言うやいなや、片野と田畑は手際よく四人を縛った。
「よし、帰るぞ」
 江戸紫の頭巾を被り、黒を着た忠孝たち三人は更けゆく闇の中に消え去った。
 翌朝、堀田の屋敷の門前に縛られた四人の山下のお供の侍たちは、門番によって見つけられた。
 堀田の屋敷は大騒ぎになった。屋敷の者たちが慌てて出てきた。猿轡を外し、縄を解いて
「そちたちは、お目付役の山下様の供人ではないか、どうされた。ともかく、中に入りなされ」
 座敷に連れて行った。
 供の一人が、昨日の夜の話をしたところ、用人は堀田に連絡しに部屋を出た。
 しばらくして、堀田が部屋に入ってきた。
「そちらは、山下の供の者だな。話は聞いた。下手人は誰だか分かるか」
「ご家老様、相手は頭巾を被っていたものでよく分かりませんでした。ただ、剣の使い手であることは間違いございません」
「おまえたちは、主人を守れないとは情けない。切腹ものじゃ」
「誠に申し訳ございません」
 供の四人は頭を畳に摺りつけた。
「すぐに山下を見つけ出せ。一度だけ機会を与える。分かったな」
 堀田は、言い終わるや否や部屋を出て行った。
 その頃、山村と後藤は藩主の毛利綱元にお目見えして、清が取って来た安部屋の裏大福帳を開いて安部屋の収賄のことごとくを説明していた。
 綱元は黙って聞いていた。
 元家老の香川勘兵衛の暗殺の件に至っても綱元は口を挟まない。
「殿、まだあります。本藩との森林の敷地境界のことです。堀田様が本藩にこちらの情報を流して、本藩が有利になるように堀田様が画策しています」
「そんなバカなことを、堀田がやるわけはない。何かの間違いじゃ。もしそれが本当であっても、わしは絶対に譲らんぞ。そちたちも当方の敷地には銀が埋蔵されていることを知っているだろう。この銀で藩の建て直しをするのだ」
「殿様、どうも、お世継ぎの件で、千代様のご長男を堀田様が殿のお世継ぎとするように萩本藩とともに暗躍しております。もし、千代様のご長男が後を継ぎましたらこの長府藩は、萩本藩に乗っ取られてしまいます」
 綱元は、目をつぶってしきりに考えていた。しばらくして、
「山村、後藤、予はどうしたらよいと思うか」
「殿様、このことが幕府に知られましたら長府藩はお取り潰しになります。内密にご家老たちを処分しなければなりません」
「罰するのは、家老の堀田以外は誰だ」
 山村は、元家老の香川勘兵衛の子、ゆうと進之助そして、助太刀の忠孝たちの江戸からここまでの話を綱元にした。
「勘兵衛の娘と息子は苦労したのう。その秋山とやらは、信頼できる輩か?」
 胸を張って秋山は信じることのできる人間であることを伝えた。
「分かった。秋山殿に、寺社奉行の寺田倉之助に山下たちを引き取りに行かせると、伝えてくれ」
 山村と後藤は綱元の部屋を後にした。
 二人は、下男がひいてきた馬に乗り、忠孝の屋敷に向かった。
「秋山殿、と言うわけで、明日寺社奉行の寺田が山下たちを引き取りに来ますので、お引き渡し下さい」
 山村は言った。
「山村殿、ゆう殿たちはいかがいたそう」
「それがしと後藤が住吉に迎えに参ります」
「堀田と安部屋はどうなるのでしょうか」
「家老はおそらく切腹です。お家お取り潰しでしょう。安部屋は遠島五年ぐらいだと思います」
 数日後、秋山たちは藩主の綱元に呼ばれた。
「秋山殿、好きなだけ召し上がってくれ」
 上座から綱元が降りて、忠孝に酌をしてまわった。
 ゆうと進之助は山村たちと下座にいた。
 四半刻、過ぎた。
 皆酔いが回ってきたせいか、場所を変えて飲んでいた。綱元はひと廻りして、忠孝の前に座った。
「秋山殿、この度は香川ゆうと進之助の面倒を見ていただきありがとう存ずる」
「いや、大したことはしておりません」
「山村からもいろいろ聞いておる」
「秋山殿、この地に骨を埋めることを考えてもらえまいか。もう少し、藩の事情が良くなるまでお手伝いお願いできんだろうか?」
・・・・・・・・・・・・・・
「綱元様、仰せありがとうございます。しばし考えさせていただきとうございます」
「秋山殿の連れも誘って良いだろうか?」
「是非、綱元様、お願いします。彼らはいろいろ苦労してそれなりの物を持っていますので、生かしようによっては、殿様のお役にきっと立つと思います」
「分かった、皆に聞いてみようぞ」
「有難う存じます」
 しばらくすると、ほんのり顔を赤くそめた清が忠孝の前に座り、忠孝の盃に酒を注いだ。
あけた盃を忠孝は清に渡し、返盃した。
「女将、殿様から、ここに残ってはどうかと言われたのだが。女将はどう思うかね」
「秋山様のお好きなようにされたらいかがですか」
「女将は誘われたらどうする?」
「?誰にですか」
・・・・・・・・・・・・
 なんとなく忠孝が気まずそうになった時、ゆうが来た。
 ゆうは、忠孝の前に三つ指をついて、
「秋山様、この度は色々ありがとうございました」
 忠孝は、ゆうに盃を渡し、酒を注いだ。
 戸部、片野、飯山そして、佐助が次々と忠孝たちの周りに集まってきた。
「秋山、殿様から、長府に残らないかとお誘いいただいたんだが」
戸部順三衛門が嬉しそうに言った。
「一心、鉄太郎、彦太郎と八重は長府藩にお仕えするようだ」
「それは良かった」
「実は俺も残る」
「戸部、本当か?」
「おうよ、進之助殿の後見人にと言われたのでな。断れなかったんだ」
 と戸部はゆうの方を向いた。
 廻りの者は戸部とゆうの関係をすぐに気付いたようだった。
「それはよい。ゆう殿を大事にしろよ。祝言は江戸でもやれよ」
 忠孝は嬉しそうだった。
「秋山、分かった。来年行くからな。お前と清さんはどうなんだ」
・・・・・・・・・
 忠孝は急に黙った。
 綱元が来た。
「秋山殿、ご返事はいつ頃もらえるかのう」
「申しわけありませんが、それがしは江戸が好きです。今でも江戸に帰りとうございます」
「そうか、相分かった」
 本藩の萩藩との境界争いは依然と過熱していた。
 それから数日後には、堀田たちの処刑はすべて終わった。いよいよ江戸に帰る日が来た。朝から快晴であった。
 綱元の好意により、忠孝たちは長府藩の海産物を運ぶ千石船に乗せてもらうことになっていた。
 ゆう、進之助そして、居残る一心たちが見送りに来た。
 忠孝たちは、船に乗った。甲板に出て、忠孝と清は見送る人たちに手を振った。潮風が気持ち良く、二人を通り過ぎて行く。
 忠孝が、また江戸で長府藩と関わりを持つとは、忠孝とおすみは思うだになかった。江戸に向かって、千石船は海面をすべりだした。
                                         (終)
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