せつなときずな

岡田泰紀

文字の大きさ
31 / 55

せつなときずな 31

しおりを挟む
「せつなときずな」  31

かつて、ギャラリー「尾張アートギルド」の付属カフェ「白猫」で働いていた美緒さゆりから、刹那にショートメールが届いた。
ギャラリーは、2年ほど前に廃業してしまい、「白猫」も無くなってしまった。

刹那は絆が生まれてから、絆を連れて公彦やサキと数回「白猫」を訪れていた。
それは、刹那が人生で初めて自分自身を変えようとしたきっかけの場所であり、パートナーとのなれそめの場所でもあった。

刹那が家族との新たな関係を作り、また、新たな家族があの場所を起点として生まれた。
それ故に大切な場所の喪失は、刹那が以前のように社会から遠ざかっていく、静かなトリガーになってしまった。

同窓に親しい関係を築こうとしなかった刹那には、少し年上の、カフェのスタッフだった美緒がほぼ唯一の心を開ける ―それもほんのわずかではあったが― 存在で、「白猫」の閉店を聞いた時に連絡先を交換していたのだ。

美緒は、夢だった自身のカフェをオープンするらしく、メールはその開店記念の招待であった。
「黒猫」という店名に苦笑したが、貼ってあったホームページのリンクを開けると、それは「白猫」とは真逆の意匠の店であった。

天井も壁も黒く塗装された店は、妖しいシャンデリアに照らされ、突き当たりの壁のみ、深いえんじ色に染められている。
「鏡の国のアリス」のうさぎのような、擬人化された猫らしき絵が嵌められた金色の額が、いくつも店を飾っていた。
美緒のしらざれる一面を垣間見た刹那は、久しぶりに自分の中にある虚構の血が騒ぐ感触を覚えた。

そう、あの冬の日に、サキにメイクを頼み、着飾って「白猫」に向かった、あの感じだ…

近頃は、外界との接触を断ったままの刹那を思い、サキは週に幾度か、刹那や絆を連れ出して買い出しや外食に連れていた。
ある晩、近所のファミレスで食事を囲んでいた時を見計らい、刹那はサキに「黒猫」のことを話した。

「お願いがあるの」

刹那の言葉に、サキは気持ちが昂るのを感じた。
そんな言葉一つでも、林が捕まってから投げ遣りにも思えた娘の、久しぶりの誰かへの働きかけだったからだ。

「開店のパーティの夜、もう一度、私をシンデレラにして。

王子さまに会うためじゃないの。私自身のために。
ただ、それだけのために。

私にそれができるのは、お母さんだけなの」

サキは、言葉にできないほどの幸福を感じ、思わず泣きそうになった。
きっかけが欲しかった。
刹那が社会と繋がる、何かしらの理由なり、好奇心なり、それを考えあぐねて苦しい日々を過ごしていた。

「お母さんだけなの」
刹那は私にそう言った。
私は娘に、今までどれだけのことをできたのだろう。
どれだけのことをしてこれたのだろう。
私は、刹那に同じことが言えただろうか。
私は、不実な母親ではなかったのだろうか…

「刹那、ありがとう」

それだけ言うのが、サキの精一杯だった。
それ以上何かを言おうものなら、きっと涙を堪えきれないに違いない。

「お母さん、私は…」
刹那は外の夜景に目をやりながら、横に座る絆の肩を抱き寄せた。
絆は刹那を見上げたが、よくわからないままにドリンクバーで入れてきたメロンソーダを再び飲み始めた。

「多分、以前と一緒の人間ではいられないと思う。

助けが必要かどうかも、私自身わからない。

そもそも、助かりたいのかもわからない。

それでも、ゆるして欲しい」

「自分の子をゆるせない親はいない」
サキは、自分の口から出た言葉に自分で驚いた。
それは本能的だった。

しかし、動物の本能とはきっと、この言葉そのものだろう。

「私に刹那が助けられるかは、正直わからない。
でも、私が諦めることはないわ」

刹那はもう一度絆を抱き寄せた。
メロンソーダを飲み干した絆は、甘えたように刹那にもたれかかった。

「ありがとう」
それはとても小さな声で、それでもサキには十分だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

あなたの片想いを聞いてしまった夜

柴田はつみ
恋愛
「『好きな人がいる』——その一言で、私の世界は音を失った。」 公爵令嬢リリアーヌの初恋は、隣家の若き公爵アレクシスだった。 政務や領地行事で顔を合わせるたび、言葉少なな彼の沈黙さえ、彼女には優しさに聞こえた。——毎日会える。それだけで十分幸せだと信じていた。 しかしある日、回廊の陰で聞いてしまう。 「好きな人がいる。……片想いなんだ」 名前は出ない。だから、リリアーヌの胸は残酷に結論を作る。自分ではないのだ、と。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

石榴(ざくろ)の月~愛され求められ奪われて~

めぐみ
歴史・時代
お民は江戸は町外れ徳平店(とくべいだな)に夫源治と二人暮らし。  源治はお民より年下で、お民は再婚である。前の亭主との間には一人息子がいたが、川に落ちて夭折してしまった。その後、どれだけ望んでも、子どもは授からなかった。  長屋暮らしは慎ましいものだが、お民は夫に愛されて、女としても満ち足りた日々を過ごしている。  そんなある日、徳平店が近々、取り壊されるという話が持ちあがる。徳平店の土地をもっているのは大身旗本の石澤嘉門(いしざわかもん)だ。その嘉門、実はお民をふとしたことから見初め、お民を期間限定の側室として差し出すなら、長屋取り壊しの話も考え直しても良いという。  明らかにお民を手に入れんがための策略、しかし、お民は長屋に住む皆のことを考えて、殿様の取引に応じるのだった。 〝行くな!〟と懸命に止める夫に哀しく微笑み、〝約束の1年が過ぎたから、きっとお前さんの元に帰ってくるよ〟と残して―。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...