せつなときずな

岡田泰紀

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せつなときずな 36

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「せつなときずな」36

その日は普段着のまま、ノーメイクで絆を連れて「黒猫」を訪れた。
刹那にしてみると、先日騒ぎを起こしてしまったことで、わきまえた身なりで謝罪すべきだと判断してのことだった。

ベージュの少しレース地のキャミソールに、ちょっと色落ち気味の紺のレギンスを履いた自分の姿は、正直、美緒さゆりに見せたい姿ではなかった。
シンデレラは結局灰かぶりのみすぼらしい女でしかなかったし、かぼちゃの馬車はそもそもバツイチの犯罪加害者家族にはやって来る訳がないのだ。

「どこに行くの」
当たり前だが、知らない場所に行く機会は、子供にとっては期待以外の何物でもない。
嬉しそうにしている息子を見ていると、なんだか苛々してくる自分に刹那は自己嫌悪を覚えた。

土曜の11時は、モーニングセットで有名な一宮のカフェなら微妙な時間だけど、「黒猫」にモーニングセットなどあるとは思えない。

「こんにちは」

店内は以前来た時と違い、真紅の壁は日中の明るさで鮮やかに感じられたが、やはりカフェというよりは秘密クラブじみた妖しさが滲み出ていて刹那は二の足を踏んだ。

「あら、福原さん、いらっしゃい。来てくれたのね」
美緒は白いブラウス姿で、パーティーの時とは違い清楚な佇まいだった。

「見ての通り、ヒマしてます」
それはそうだろう。この通りは寂れた問屋が並ぶビジネス街(というのも大げさな閑散とした通り)で、土日などみんな休みで人通りは皆無だ。
どうしてこんな場所で開業したのか不思議でならない。

「先日は開店の記念日に、大変な騒ぎを起こしてしまい本当にすいませんでした」
頭を下げる刹那の横で、絆は人見知りで母親の後ろに隠れた。

「あら、イケメンから引かれちゃったみたいね」
美緒は小さく笑うと、何でもなかったように席に二人を案内した。

どうせそう言うだろうと刹那が想像していた通り、絆はメロンソーダが欲しいと言った。
下戸で甘いものが好きで、ファミレスに行くといい歳をしてメロンソーダを頼んだりしていた公彦を思い出すから、刹那はその度に舌打ちしたくなるほど不快になるのだが、美緒の手前普通を装った。

メロンソーダと、刹那がオーダーしたアイスティーを運んでくると、他に客がいない店の中で美緒は刹那に話しかけた。

「実は、先日のあのパーティーの時の騒ぎでショックを受けて、アルバイトの女の子が辞めちゃったの。
午後からのシフトが空いてしまって…それで相談なんだけど、福原さん、うちでバイトしない?」

刹那はにわかにそんな話が信じられなかった。
確かに騒ぎを起こしたのは自分だけど、そんな理由で人が辞めたりするものだろうか?
しかも美緒が提示した時給は900円で、県の最低賃金を下回っている。
低く見積もられたものだと思ったが、かつての「白猫」より閑散とした店を見ていると、そりゃ違法な低賃金も仕方あるまいとなぜかこちらが同情してしまう。

それに、ここはきっと、私の居場所だ。
迷う理由なんか存在しない。

「ありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願いします」

刹那の横で、絆は音を立ててストローを吸っている。
きっとそれが世の子供には当たり前の仕事なのだろうが、いちいち苛々させられるのには閉口してしまいがちだった

美緒の不確かな話に乗せられた気もするのだけど、じゃあなぜ自分なのか、そして、もしそうだとしても、一体どんな理由があってのことなのか、刹那にはまるで見当もつかなかった。

いや、きっと考えすぎなんだ。
かぼちゃの馬車は無理だったけど、どん詰まりの日々からちょっとでも抜け出せるきっかけになるなら、今の私にはすべてオッケーに違いない…

刹那は煙草を取り出そうとして、禁煙じゃないかと気付いてバツが悪くなった。
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