上 下
52 / 93

第51話 再会

しおりを挟む
 林に面した大門から街に入る、懐かしのフーリィパチだ。

 門番の中には見知った顔も混じっている。間違いなく、半年前にたった10日ほど過ごした街だ。長く暮らした神都よりもホーム感が強いのはなぜだろうか。この世界における、生まれ故郷のようなものだからか。

 とにかく、やりたい事がたくさんある。

 大通りを見渡しながら、椿は夕方が近づいている今からできる事を考える。まずは、裸一貫で突貫して迷惑を掛けた服飾屋に、ちゃんと客として訪ねようか。それとも、何より先にカミラに会いに行くべきか。

 そう言えば、もう着いていると思うが…… うむ、シェロブは放って置いても大丈夫だろう。そもそも、ハゲのお爺ちゃんが何処に居るかとか聞いていないからな。探して回る必要があるのだ。不可抗力だよ、これは。

 カミラのアトリエ兼、工房は、城壁の側にある。街の中心からなら歩いて20分は掛かったはずだ、1kmとちょっとかな? フーリィパチは教会の街より小さくて扁平な形をしている。もっとも、中央の建物より北側に何があるか分からないので、全貌は定かではないのだが。

 あっさりと辿り着いた懐かしい大きな窓のある建物の前に立つ。通りに面する扉はお勝手で、玄関は裏通りの側にあるなど、持ち主の性格を表すような偏屈な作りをしている。

 少し緊張しながら扉の前に立つと、ゆっくり2回、ドンドン、と扉を叩いた。

 屋内でヒトが動く気配がする。

 ――居る、カミラに会える。

 何十倍にも圧縮された時間の中、ゆっくりと開く扉からカミラが顔を覗かせた。

『カミラ! ただいま!』

 飛びつく椿に、カミラは動じる様子を見せない。

『ツバキ、元気そうね』

『どう? 言葉も覚えたよ。
 ポーション作りも続けてる』

『お料理みたいに作るらしいね?
 あとで見せてよ』

 ……うん? 何やら動向を把握されている? 引っ掛かるところのある椿だったが、1秒でも長くカミラとイチャイチャしていたい。後で、詳しく聞けばいいのだ。

『夕飯は食べた?
 一緒に買い出しに行こう!』

 辛抱堪らん椿が、カミラににじり寄った瞬間、何やら苦笑いみたいに眉をハの字に寄せていたカミラが、遂に耐えきれないように、ぷっと吹き出してしまった。

『お嬢様がグイグイ来て、甘々な声を出すところ、頂きました!』

 いつの間にか真横にいたシェロブが、気色の悪い声を上げる。真顔のまま身体をクネクネと揺すって表す喜び方は、ホラーに近い。

『げ、シェロブ!
 あんた、なんでここに』

『それはもうご挨拶に参ったのですよ、
 お嬢様の姉弟子に』

 大聖堂は不案内でしょうし迎えにまいりました、だの先にこちらに来ると予想していました、だの言うシェロブの後ろでカミラがクスクス笑っている。二人で暮らしていたときには見せてくれなかった表情だ、シェロブはいい仕事をした。ぶっ飛ばしてやろうかと思ったけど、許してあげよう。

『はぁ~、面白い。
 ツバキはいつもこんなだったけど、
 イリヤ様のところでは違ったの?』

『それはもう、つんとして
 デキる女を演じておられました』

『ちょっと!』

 やっぱりぶっ飛ばそうか。

『食事はもう、ご用意しておりますよ』

『解かってない!
 二人で作るから美味しいんだよ!』

 ギャーギャー騒ぐ二人を近所迷惑だからと、カミラは中に迎え入れる。

 相変わらず雑然とした窓辺の工房に、懐かしい思いがこみ上げてくる。10日に満たない期間であったが、神都で暮らした半年よりも遥かに長く、濃い時間として記憶に残っている。思わず立ち止まって窓辺を見上げる椿に、カミラが優しい笑顔を向けているのに気づいた。

 シェロブが言った通り、工房スペースの中央にある丸テーブルには食事が用意してあった。

『シェロブと二人で作ったのよ』

 カミラの発言にシェロブを睨みつけるが、どこ吹く風だ。

『ところで、さっきの。
 姉弟子ってどういう事なの?』

『気付かなかった?
 イリヤ様は私の錬金術の先生なんだよ』

『それなら孫弟子じゃないのかな』

 食事をしながら、今後の予定を聞かされる。ニジニ軍は明日の昼過ぎに到着が見込まれているとのこと。大聖堂入りは、ニジニと一緒にする必要はなく、その前後で構わないらしい。もう少し、時間が欲しいところ。そんな事を考えていると、勇者の休息に最低でも3日は当てる予定だと聞かされた。

 実は、ここ衛星都市フーリィパチより東には、大きな街がないのだ。ニジニ国が海を越えた東にあるにも関わらず、東沿岸に街がないのには理由がある。亜人の発生元が、この大陸の東にあるのだ。そんな事情で、この大陸に入植した先人は、西沿岸に上陸して街を作り、徐々に東に進出してきたようだ。

『北には何があるの?』

 椿の質問に、森人が暮らしてるとカミラが返す。あの連中とは、特に敵対はしていないようだが、交流もほとんどないらしい。二度も襲われたのだ、できればもう会いたくない。

『それは貴重な体験だよ。
 風の刃はどうやって凌いだの?』

『避けれなくて、だいたい全部……』

『よく生きてたもんだ……』

 耳長のほとんどが風の刃を使うんだと。対して、個性を体現する魔法が使える個体はとても少ない。女神が最後に生んだのがヒトで、つまりヒトと言う種がそこで完成したのだろう。森やら、地やら、野やらは女神にしたら試作品なのかもしれない。

『そう言えば、私の魔力って
 相手の魔法を消せるみたいなんだよね』

『ポーシャにやらせてたアレですか?』

『明日、ポーシャを呼んでから実験してみよう』

 話が魔法に触れたので、椿はカミラに発展型の身体強化魔法を披露した。途端に学者の顔になったカミラから質問攻めにされる。

 丹田の概念や、心臓と言う臓器で血液を身体に循環させ生命を維持していること。血液の循環に着想して、身体に魔力を循環させていること。植物や、動物の革など、生物由来の物質を強化できること。生物由来でなければ、崩れてしまうこと、などなど。陽が完全に落ちた後も、椿は自分の世界の常識と、この世界で気付いた点を話した。

 カミラが特に食いついたのは、椿が自分以外を強化するところだ。

『モノを強化できた話は聞きませんから
 お嬢様のそれは、固有魔法なのかもしれませんね』

『木のナイフで、木を削れるって、随分とデタラメだよ』

 椿としては、「気」とか「オーラ」のように、強者は光るものだと言うアホな認識がある。いや、漫画脳か。そう言う発想で紡がれたお話を、心の餌に育ってきたのだ。

 もう一度、木のナイフを使って見せてとカミラが言う。

『ゆっくり』

 木片をバターの薄切りみたいに切り分けて見せる。

『うーん、切ってるって言うより
 ……溶けてるよね』

 木片の断面を指で突きながらカミラが零す。

 確かに、バターに熱したナイフを通すような感覚ではある。

 椿の魔力がものを溶かすのなら、それを篭めたポーションが治癒に大層効くのも変な話だ。


 ・・・・・


 翌朝、やっぱり朝食は用意されている。シチューにローストチキン、山盛りのレタスみないな柔らかい葉菜に目玉焼きが食卓に並ぶ。この世界では、朝食がとても大事にされている。日が昇る少し前に目覚め、顔を洗ったり身だしなみを整え、調理や今日一日の仕事を準備するのだ。朝食の時間自体は日本に居た頃と変わらないが、午前の仕事を終えたような感覚と共に食事を迎える。日中は2度のお茶の時間を挟んでゆるゆると進み、夕方には仕事を終える。夜はスープのような軽い食事で済ますと、すぐに寝てしまう、そんな生活を人々は送っている。

 存外に心地よいペースの生活が、この世界の標準と知ったのは神都で暮らし始めてからだ。このフーリィパチでは、カミラと取る、質素なパンとスープの朝食がよかった。だと言うのに眼の前に広がるのは豪華な食事だ、シェロブは侘び寂びを解かっていない。

 そんな椿の不満もどこ吹く風で、シェロブはジョッキに水を注ぎながら食事を奨める。

『お楽しみは、明日からの3日間に取っておいてください。
 差し当たっては、今日の面倒事を片付けられたらよろしい』

 カミラは、私も仕事があると言って椿に微笑んでみせた。子供に言い聞かせてる母親の表情だ。

 仕方がないので、午前の早いうちはカミラとポーションを作り、日が高くなってからシェロブと出かける事にした。

 カミラの湯煎するヨモギを、後ろから熊の手でポーションに変えるイタズラを仕掛ける。他人には見えない熊の手で、なんちゃって遠隔魔力流しだ。驚くカミラにしてやたったりの顔をして見せる、とかやってイチャついていると、あっという間に日が高くなってしまった。

 午前10時を過ぎた頃だろうか。カミラに見送られ、シェロブと出かける。今日は帰りに夕飯と、明日の朝食の買い出しだな。明日は、例の服飾屋に向かう。などを予定としてシェロブに通しておいた。

 2度目の召喚でストリーキングを繰り広げた広場を抜け、例の扉のない大聖堂に続く回廊へ入る。
 どうやらここも、神都の神殿と同じ作りのようだ。回廊の正面が、女神像を頂く礼拝堂だろう。左右に講堂や祭祀場がある。椿が拉致られた先が右手の祭祀場になる。ここを作った職人達は皆、シェロブの親戚だろうってくらい白い。

 礼拝堂に入ると早速ハゲな、いや派手な衣装のイオシキー大司教に迎えられた。

『久しいな、聖女殿』

 このお爺ちゃんからは怒号しか聞かなかったが随分と優しい声をしている。映画の吹き替えで活躍できそうな良い声だ。そんな第一印象とは裏腹に、続く言葉は説教だった。

『スペンチアから走って着たと聞いておる。

 御身とその才能は代えが利かぬもの、
 軽率な行動は控えて頂かないと』

 スペンチアとは教会の街の名前だ、とシェロブが捕捉する。

『鑑定の魔法で、私に何もなかったから
 聖女はお役御免になるものと思っていました』

『他国の工作に踊らされてはいけない。

 アレを鵜呑みにして貴女を手放したところで、
 所属がロムトスからニジニに変わるだけだ』

 まあ、そうだろうなーとは思う。そんな椿の表情を呼んだのか、ハゲはニジニに所属するよりマシと考えなさいと諭してきた。ぐうの音も出ない、一理も二理もある。

『そもそも、女神が自身で成し得ない目的のために
 貴女を遣わしたのだ。その才能は、女神の力で
 測れるものではないのだから』

『召喚の儀式は我々が行いましたが、
 奇跡を行使したのは女神自身ですよ』

 シェロブの口振りに拠ると、この世界では女神が実在する事になる。

『貴女の保護は天啓によるものだ』

 お爺ちゃんは積み上げまくった徳で、女神の天啓を受けることができるらしい。あのギャーギャー騒がしい声は、やはり女神のものだったのか。しかも、拉致実行犯が確定した訳だ。いずれ女神の顔をぶん殴ることができる機会が訪れるだろうか……? その時に備えて、強化魔法を更に磨かねばなるまい……

 二度目の召喚の後から、あの喧しい声は聞かなくなった。あったかもしれないが、記憶にないな…… 少なくとも、言葉を覚えた後にはなかった。

『貴女にも天啓があったのか?
 女神は何と?』

 まだ、言葉が分からなかった頃なので何とも。ニジニでイイようにされている間は、何やらギャーギャー喚いていたが、ロムトスに来てからは一度も声を聞かないと伝えると、お爺ちゃんは何やら考える顔になった。

 そんなお爺ちゃんの思考をぶった切るように、新しい客が礼拝堂に加わった。

『お初にお目にかかります、イオシキー大司教』

 現れたのは、眼鏡のイケメンと茜だ。加えて2人ほど、将校ぽいなりの兵士を連れている。よく観察すると、揃って帯剣をしていない、こいつら的にはロムトスのイカレ王よりお爺ちゃんの方が格上のようだ。

 茜もお爺ちゃんに挨拶をしている、ニジニ語で、だが。お爺ちゃんが例の優しい声で、茜に何やら労らっている。どうやらお爺ちゃん、ニジニ語も使うらしい。やはり、政治に関わる人々はインテリが多いな。イリヤお爺ちゃんも、ニジニ語を使うかもしれない。それどころか、イカレ王も使えるんだろうな。



 ようやく始まった、今後の方針についての話だ。
 イオシキーお爺ちゃんが、壁のロムトス国の地図に指を滑らす。これがニジニ軍の進路なのだろう。そして、それは温泉マークのようなシンボルに突き当たる。

『これより向かうのは、ロムトスの霊穴だ』

 古代の地球には、風水と言う思想があった。その考えの中には大地に気が流れる道筋があり、それが架空の生物である龍に似ていることから龍脈と呼ばれていた。その龍脈が交わり、地表に気があふれる場所を龍穴と呼ぶ。

 この世界にも似たような思想があり、「気」を「魔力」にそのまま置き換えたようなものになっている。もっとも、龍穴は聖なる場所であり繁栄が約束された場所のように考えられているが、この世界での扱いは真逆である。
 霊穴には魔力が滞り、亜人を始めとした良くないものが発生する場所になっている。霊脈をこの星の血管と考えると、破裂して血が溢れているようなものだ。

 聖女である椿や、勇者である茜が担うのは、この星からそれらの病巣を取り除く事だ。

 これがイオシキー大司教の話であるが、椿が散々見てきた絵本の内容と乖離してはいないか?

 そもそも魔王はどこに行った。

『勇者は霊穴の魔力を散らす事ができると伝わっている。

 聖女の役割は伝わっておらん、なんせ前回の顕現は
 200年ほど前に遡る。何も記録が残っていないのだ』

 頼りないなぁ……

 まず、聖女を喚ぶのに適した時間、場所があると言う。天啓がそれを示すのだが、幾つかある機会の中にも良し悪しがある。最適であると女神が示したのがロムトスであったが、先に機会のくるニジニが割り込んだのが椿と茜が喚び出された顛末のようだ。

 宗教とか、大体は国際的な組織になるものだ。イオシキー大司教も、国ではなく一神徒として天啓を公表していたらしい。それをあの糞王子がインターセプトしたのだ。クズ過ぎないか? 背信だろうに、よくもノコノコとロムトスに現れたもんだ。まあ、この場に居ないあたり歓迎されていないのだろうが。

『ロムトスの霊穴を片付けた後は、
 ニジニでもこれを行う。

 続けて、魔王が抑えておる
 霊穴も始末することになるな』

 やっぱり出てきちゃった、魔王だ。対魔王が聖女のお仕事の本命なんだと。しかし、聖女と勇者の役割は逆じゃないのか? 乱れた場を治めるのが聖女で、魔王退治なんて仕事は武闘派の勇者が担うべきだろうに。

『ロムトスの霊穴の方が規模が小さい。

 まずここで、それぞれの役割をどう果たすか
 十分に試してみて欲しい』

 んー、近い方が規模が小さいとか、ゲーム張りに都合の良い配置だよね。

 ようやく、勇者としての仕事が判明した茜が、鼻息荒く張り切っているのが伺える。

 先に聞いた通り、出発が3日後であることを確認してから礼拝堂を後にした。話し合いの後も仕事熱心な眼鏡に捕まって、椿を構えなかったお爺ちゃんがさみしげに視線を投げてくる。しかし私は買い物がしたいのだ、これで失礼させてもらいますとも。
 ……また明日くるよ、お爺ちゃん。
しおりを挟む

処理中です...