上 下
2 / 8

孤児院

しおりを挟む

「お母さん、ただいまー!」

 孤児院に帰ると、二階の窓にはおねしょの布団が干してあった。三歳のローリエの布団だ。朝からいじけていたローリエを思い出し、クスっと笑いながら孤児院へ入って行った。慣れた我が家に、肩の力が抜ける。

 孤児院は古くて狭い。それに、隙間風がピューピュー入ってくるし、雨の日は雨漏りもする。でも、大好きなお母さんとユーリ、そしてかわいい四人の子どもたちがいるので、雨漏りさえもチャームポイントに思えた。それに、狭いのも案外気に入っている。いつも肩を寄せ合っているから、雷が鳴っても全然怖くない。ちょっとしか。

 わたしは食卓で針仕事をしているお母さんを見つけると、すぐさまその胸へ飛び込んだ。それに応えて、お母さんがいつもの様に笑いながらわたしの頭を撫でてくれる。

「こら、シエラったら危ないわよ。……あら? 髪の毛どうしたの?」

 一本縛りになったわたしの頭をみて、お母さんが不思議そうに聞く。

「な、なんでもないよ。ちょっと小枝に引っ掛けちゃって!」
「シエラ、村のおやじに嫌がらせされたんだ。まったく、油断も隙もあったもんじゃない」

 わたしが言い訳をしていると、憤慨するユーリがそれだけを言い残し、収穫物を持ってさっさと調理場へ消えて行った。

 ユーリってば! そんなこと言ったらお母さんが心配しちゃうじゃない。
 案の定、それを聞いたお母さんが顔を曇らせた。

「ぜ、全然大丈夫だよ! ユーリがすぐに来てくれたから、特になにもなかったよ、本当!」

 心配をかけたくないわたしは、顔の前で手をブンブン振ってフォローした。そして、ちらりと手を見てから思い出す。

 あ、やば、そう言えば手を擦りむいていたんだったぁぁ!

 ごまかそうとすればするほどボロが出ていくのはなぜだろう。
 慌てて背中に手を隠したが、少し遅かったようだ。
 
 苦笑しながらお母さんが立ち上がり、何も言わずにわたしを椅子に座らせると、当たり前のように髪の毛をとき始めた。優しい 手櫛てぐしが髪をすき、いつものように二つに縛りなおしてくれる。

「シエラは強い子ね。いい? シエラ。シエラの髪の色も目の色も、とっても綺麗よ。シエラは神様が私に送ってくださった宝物だもの。だから、何も恥じることはないのよ。それに、色が本来の人の価値を表したことは今まで一度もないわ」

 それは、わたしが何回も聞いた言葉だった。そして、いつもわたしの心を暖かく満たす、魔法の言葉だった。今日一番の笑顔をお母さんに見せる。

「今までって、今から何百年も何千年も前?」
「そうよ。だから、シエラも本当の価値が見える人になってね」
「はい、お母さん……」

 手の温もりを確かめるように、わたしは自分の頭に手を当ててはにかんだ。
 暮らしは裕福ではないし、お母さんは本当の親でもない。

 わたしは、村のはずれにある生命の樹と呼ばれる木から生まれた。親である白くて大きな生命の樹のせいで、わたしの髪の毛も白っぽい色になってしまった。
 十三年前、木の根本で泣いている赤ん坊のわたしを見つけて、今は亡きユーリの父が保護してくれたらしい。
 
 小さい頃は、「人間の両親から生まれればどれだけ良かったか」と、いつも自分の運命を呪っていた。
 色素が濃い村人の中では、どうしてもわたしが悪目立ちしてしまう。小さいころはそれが心底嫌だった。

 もし母とユーリがいなかったら、今も自分の運命を呪っていたかもしれない。

 おかげさまで、わたしに愛情を注いでくれるお母さんやユーリ、そして他の孤児に囲まれた今の暮らしに満足している。
 だから、どんな嫌がらせをされても、孤児院がある限りわたしは大丈夫。
 自分の子どものように大事にしてくれる人に拾ってもらえて、本当に運が良かった。いつか、この恩を返したい。そのチャンスがあればいいんだけど。

「あら?」

 その時、明かりが点滅した。

「お花の明かりが弱くなってるわね……」

 この国、エルディグタールでは、『 灯花とうか』と呼ばれる夜だけ光る花を照明に使っている。その灯花が枯れかかって白くなりはじめていた。
 お母さんは、わたしが枯れ木と言われていることを知っているので、いつもあえて枯れるという表現を避けてくれていた。

「大変! 私、採ってくるよ!」
「もう日が暮れてきてるし、明日にしましょう?」
「大丈夫だよ! 私、足早いから!」

 お母さんの役に立ちたい。そんな思いが私を支配した。思ったら即行動のわたしは、次の瞬間脱兎だっとの ごとく孤児院を飛び出した。

「あ、シエラったら……!」
「どうしたの?」

 調理場からユーリが戻ってきた。
 簡単に 顛末てんまつを聞くと、ユーリは呆れてため息を吐いた。

「もー! しょうがないなぁ。あいつ、いっつもすぐ飛び出して行くんだから。心配だから一応俺も追っかけてくるよ」

 ユーリもシエラを追って飛び出していった。




 わたしは、再び孤児院の裏山にいた。
 山を15分ほど登ったところに、ショーハの池と呼ばれる小さい池がある。夜になるとお化けが出るとかで、暗くなるとあまり人は近寄らないが、わたしには逆にそれがちょうど良い。

「本当にお化けがいるわけないのにねっ。……多分」

 薄暗くなり始めた頃にたどり着いたショーハの池のほとりには、綿毛の様な灯花が柔らかい光を放ちながら咲いていた。池の周りだけが灯花の光で浮かび上がっている。

「あ、あったあった! うわぁ、きれいだな!」

 一応念のためきょろきょろ周りを見渡したが、お化けらしいものは見当たらない。
 安全を確認すると、池のほとりにしゃがみ、まじまじと灯花を見つめた。近くに咲いているバブルサンフラワーをつつくと、シャボン玉のような花粉が星くずのようにキラキラ光を反射して飛んでいった。

「うわぁ! すっごい! 夜のショーハの池は格別だなぁこりゃ」

 その幻想的な光景をうっとりしながら見上げていると、突然大きな声で肩を叩かれた。

「わっ!」
「きゃっ!」

 いきなりの声でビクッと小さく体が跳ねた。それに加え、肩を叩かれた勢いで前につんのめり、足がずるっと滑ってしまった。

「わ、わ、わ、わ!」
「あ、ぁ、危ない!」

 ぐいっと手を引っ張られてダンスのようにくるりと一回転すると、そこにいたユーリの胸に倒れ込んだ。間一髪、全身ずぶ濡れを免れたが、驚きで心臓がドキドキしている。

「ごめんごめん! ちょっと驚かせようとしただけなんだ」
「すっごいびっくりしたよぉ! 本当にお化けが出たのかと思ったじゃん!」

 ユーリはペロッと舌を出してごめんねのポーズをとった。いつもは頼りになる兄だが、時たまこのようないたずらをする。とりあえず池ポチャを回避できたが、わたしは頬を膨らませてブツブツ言いながら灯花を数本摘んだ。
 ユーリはポリポリ頭をかいてわたしを見ていたが、ハッと何かに気が付いたように言った。

「あれ? なんかいつもより花が光ってないか?」
「はいはい、そう言ってわたしを騙そうとしてるんでしょ。もうその手には乗りません……って、あれ⁉」

 ユーリの言葉で摘んだ灯花を見ると、わたしの手の中の灯花が池に生えている花よりも数段階明るく見えた。

「あれ、本当だ。どうしたんだろ?」
「分からないけど、……これだけ明るかったらしばらくは持ちそうだな」
「そうだね。でも、たまにはこの光景を見に来たいなぁ」

 わたしは池を振り返り、手を広げて神秘的な空気を味わうように深呼吸した。

「おいおい、頼むからもう一人で飛び出して行かないでくれよ」
「ふふふ! だって、ユーリってば足遅いんだもん!」
「なにぃ? 俺は普通だ! お前が速すぎるだけだろっ。それに、お化けが出ても知らないからなぁぁぁ」

 ユーリにコツンと頭を小突かれて、痛くないのに「痛い」と言いながら小突き返してやった。
 灯花を摘み終えたわたしたちは、キャッキャと髪の毛を揺らして冗談を言いながら慣れた山道を下って行った。
 孤児院が見えて来た時、二人は異変を感じた。

 なんだろう、辺りがザワザワしてる……?

「なあ、何か様子が変じゃないか?」
「ユーリもそう思う?」

 二人で顔を見合わせた。
 明らかにいつもより騒がしい。
 夜は月明かりしかないので、ほとんどの人は日が暮れる前に家に戻る。今はもう日が沈もうとしているので、普段は 喧騒けんそうが聞こえることなどはない。
 しかし、今日は明らかにザワついている。
 孤児院が見える所まで歩みを進めると、何かが倒れる音や怒鳴り声が聞き取れた。

 どうしたんだろう、なんか嫌な予感……。

 日中に見た村の男の顔と襟を掴まれた感触がよみがえり、一瞬身震いした。不安を感じたわたしは、ユーリの袖をそっと摘まんだ。

「ねぇ、ユーリ。やっぱり変だよね。いつもなら、もっと静かだよね」
「うん。何かがおかしいな……」

 ユーリが辺りを にらみながら耳を澄ました。

「孤児院の方から聞こえてくる。早く戻ろう!」

 ユーリが喧騒の出どころを突き止め、二人で山道を駆け降りて行った。

 孤児院まであと数十メートルのところまで来たその時。
 何かが早足で移動している音が聞こえ、二人同時に足を止めた。

 ザザザザッ

 音の主は、人が通る道ではなく、草をかき分けて進んでいるようだ。
 わざわざ歩きにくい場所を走るなんて、普通じゃない。
 明らかな異変を感じた時、わたしの持ってる花が二人の居場所を照らしていることにやっと気が付いた。しかし、得体の知れない何かが近づいてくる恐怖に、わたしは身動き一つできずにいた。
 草をかき分ける音がさらに大きく近づいてくる。冷や汗が背中を流れた。

 ––––やばい、何かがこっちに走ってくる……! どうしよう!

 心臓が高鳴り、恐ろしくて足が地面に貼り付く。目は音がする方に釘付けとなり、そらすことすらできない。動けないわたしの代わりにユーリが灯花を横道に投げ捨て、そのままわたしを背中に隠すように前に出た。

 ユーリが身構えると、ガサガサッと草をかき分けて何かが飛び出してきた。

 出てきたのは、息も絶え絶えになったお母さんだった。
 わたしたちを見つけると、母はその場に崩れ落ちた。髪と服が乱れ、明らかに様子がおかしい。
 目の前に現れたのが自分の母親でホッと胸をなでおろしたが、ただ事ならない姿に驚き、わたしはすぐに駆け寄ってそっと母の肩を抱いた。

「お母さん、どうしたの⁉︎」
「ユーリ……急いでここに行きなさい。シエラと一緒に!」

 お母さんは質問には答えず、息も絶え絶えに小さな紙をユーリに渡した。ユーリは握らされた紙を確認するように一瞬見たが、すぐに視線を母に戻す。

「どうしたんだよ、母さん! 一体何があったんだよ!」

 お母さんは口を一文字に結んで一度天を仰いでから口を開いた。その声は、やっと絞り出されたようにかすれていた。

「孤児院が……盗賊に襲われた…………!」

 母の声はわたしの耳に届いていたが、何を言っているのか理解できなかった。

「やだ、お母さんったら。なに言ってるの? ちゃんと灯花採ってきたよ。帰ってご飯食べようよ」

 さっきお母さんに髪の毛を縛りなおしてもらった時、孤児院はいつもと変わらない様子でかわいいおねしょの布団も干してあった。
 しかし、目の前で息を切らせている母の姿に、じわじわと言葉の意味が頭にしみ込んできた。

 ……本当に、襲われた? 盗賊に?

 わたしは誰にも聞こえないくらい小さい声でつぶやいた。

「ねえ、ユーリ。大丈夫だよね?」

 ユーリは必死の形相で母に何かを話しかけている。
 でも、何を言っているのか聞こえてこない。
 夢でも見ているかのように、目の前の二人は現実味がなかった。

 裕福でもないのに、なぜ襲われる理由があるの?
 他の子どもたちはどこにいるの?

 ……わたしの 孤児院いばしょは、どうなるの?
しおりを挟む

処理中です...