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第一話「こちらへおいで」
アルテア王国の王都、その中心にそびえる王宮の大広間は、今夜も華やかさに満ちていた。
高い天井から吊り下げられたシャンデリアが無数の燭台の光を反射し、まるで星空のように輝いている。床は磨き上げられた大理石で、貴族たちの足音が軽やかに響き合い、ドレスやタキシードの裾が優雅に揺れる。
年に一度の春の舞踏会――王国中の名だたる家門が集い、若者たちは未来の伴侶を探し、年長者たちは政治的な駆け引きを楽しむ場だ。
リリアナ・フォン・エルザートは、その喧騒の中心に立っていた。
18歳になったばかりの彼女は、控えめな性格とは裏腹に、今夜は少しだけ胸を張っている。
淡い水色のドレスは、彼女の透明感のある肌によく映え、裾には小さな花の刺繍が施されている。髪には母から借りた白い花飾りを付け、普段より丁寧にまるで薔薇のように結い上げていた。
すべては、この夜のために。彼女の婚約者である第二王子カルディスとの正式な婚約発表が、今夜行われるはずだったのだ。
「リリアナ、こちらへおいで」
カルディスの声が響き、リリアナは小さく頷いて彼の側に歩み寄った。カルディスは20歳にしてすでに王子の風格を備えていた。
金髪が夕陽のように輝き、深い青の瞳は鋭くも魅力的だ。彼の隣に立つだけで、リリアナは自分が少しだけ特別な存在になった気がしていた。
貴族たちの視線が二人に集まり、ざわめきが広がる。リリアナは緊張で胸がドキドキしていたが、カルディスの手がそっと彼女の肩に触れた瞬間、その温かさに安心した。
「皆に知らせたいことがある」
カルディスが壇上で声を上げると、大広間が静まり返った。彼の声はよく通り、自信に満ちている。
リリアナは彼の横で小さく息を整え、微笑みを浮かべようとした。きっとこれから、「リリアナ・フォン・エルザートを我が妃とする」と宣言されるのだ。
彼女はそう信じていた。先々代からの家同士の約束で、産まれた時から結婚が決まっていた。幼い頃から貴族の令嬢として厳しく育てられ、魔力は弱くとも礼儀作法や教養を磨いてきた。その努力が報われる瞬間が、今だ。
だが、次の言葉はリリアナの予想を裏切った。
「リリアナ・フォン・エルザートとの婚約を、ここで解消する」
一瞬、時間が止まったように感じた。
リリアナの耳に届いた言葉が、頭の中で何度も反響する。解消? どういう意味? 彼女は呆然とカルディスを見上げたが、彼の視線はすでに別の方向を向いていた。会場がざわつき始め、貴族たちの囁きが波のように広がる。
「理由を聞きたいだろうな」
カルディスは冷ややかに続けた。
「平民出身の聖女候補、エミリアの方が気高く美しい。彼女こそが、王子の伴侶にふさわしい存在だ」
その言葉と共に、赤いドレスの少女が壇上に進み出た。エミリアだ。
17歳の彼女は、確かに目を引く美しさを持っていた。
長い黒髪が波打つように流れ、瞳は深い緑色で神秘的な光を放っている。聖女候補として認められた彼女は、平民出身でありながらも最近王都で注目を集めていた。エミリアはカルディスの隣に来ると、控えめながらも勝ち誇ったような微笑みを浮かべた。
リリアナの胸が締め付けられた。手が震え、膝が崩れそうになる。会場を見渡すと、貴族たちの視線が彼女に突き刺さっていた。
「エルザート家の令嬢は魔力が弱いから当然だ」
「聖女なら帝国も認めるだろう」
「そもそもあんな地味な娘では王子妃にふさわしくない」
嘲笑と同情が入り混じった声が、容赦なく耳に届く。
「カルディス様……どうして?」
リリアナの声は小さく、ほとんど誰にも聞こえなかった。カルディスは彼女を一瞥し、冷たく言い放った。
「君には気高さがない。魔力も弱く、王子の妃として恥ずかしいだけだ。今はもういない年寄り達の決め事など、俺には関係ない。分かったなら、さっさと下がれ」
その言葉が、リリアナの心に鋭い刃のように突き刺さった。
涙が溢れそうになり、彼女は慌てて目を伏せた。
泣くわけにはいかない。ここで泣けば、さらに笑いものになる。
でも、足が動かない。まるで体が鉛のように重い。エミリアがカルディスの腕にそっと手を置き、二人が寄り添う姿が視界に入った瞬間、リリアナの我慢が限界を迎えた。
「失礼します……」
小さな声で呟き、リリアナは壇上から逃げるように降りた。
貴族たちの視線が背中に刺さり、笑い声が追いかけてくる。
彼女はドレスの裾を握り潰し、転ばないように必死で歩いた。大広間の出口で待っていた使用人が慌てて馬車を用意し、リリアナを乗せる。馬車が動き出すと、彼女はようやく顔を上げた。窓の外に遠ざかる王宮を見ながら、涙が一筋、頬を伝った。
「帝国への貢物を増やすためにも、エミリアのような存在が必要だな」
馬車の中で、壇上で聞こえたカルディスの呟きがリリアナの耳に蘇った。
どういう意味かは分からない。
ただ、彼女にはもう関係のないことだ。すべてを失ったような気持ちで、リリアナは目を閉じた。王都の灯りが遠ざかり、彼女を乗せた馬車はエルザート家の領地へと向かう。
その背後で、舞踏会の音楽が虚しく響き続けていた。
高い天井から吊り下げられたシャンデリアが無数の燭台の光を反射し、まるで星空のように輝いている。床は磨き上げられた大理石で、貴族たちの足音が軽やかに響き合い、ドレスやタキシードの裾が優雅に揺れる。
年に一度の春の舞踏会――王国中の名だたる家門が集い、若者たちは未来の伴侶を探し、年長者たちは政治的な駆け引きを楽しむ場だ。
リリアナ・フォン・エルザートは、その喧騒の中心に立っていた。
18歳になったばかりの彼女は、控えめな性格とは裏腹に、今夜は少しだけ胸を張っている。
淡い水色のドレスは、彼女の透明感のある肌によく映え、裾には小さな花の刺繍が施されている。髪には母から借りた白い花飾りを付け、普段より丁寧にまるで薔薇のように結い上げていた。
すべては、この夜のために。彼女の婚約者である第二王子カルディスとの正式な婚約発表が、今夜行われるはずだったのだ。
「リリアナ、こちらへおいで」
カルディスの声が響き、リリアナは小さく頷いて彼の側に歩み寄った。カルディスは20歳にしてすでに王子の風格を備えていた。
金髪が夕陽のように輝き、深い青の瞳は鋭くも魅力的だ。彼の隣に立つだけで、リリアナは自分が少しだけ特別な存在になった気がしていた。
貴族たちの視線が二人に集まり、ざわめきが広がる。リリアナは緊張で胸がドキドキしていたが、カルディスの手がそっと彼女の肩に触れた瞬間、その温かさに安心した。
「皆に知らせたいことがある」
カルディスが壇上で声を上げると、大広間が静まり返った。彼の声はよく通り、自信に満ちている。
リリアナは彼の横で小さく息を整え、微笑みを浮かべようとした。きっとこれから、「リリアナ・フォン・エルザートを我が妃とする」と宣言されるのだ。
彼女はそう信じていた。先々代からの家同士の約束で、産まれた時から結婚が決まっていた。幼い頃から貴族の令嬢として厳しく育てられ、魔力は弱くとも礼儀作法や教養を磨いてきた。その努力が報われる瞬間が、今だ。
だが、次の言葉はリリアナの予想を裏切った。
「リリアナ・フォン・エルザートとの婚約を、ここで解消する」
一瞬、時間が止まったように感じた。
リリアナの耳に届いた言葉が、頭の中で何度も反響する。解消? どういう意味? 彼女は呆然とカルディスを見上げたが、彼の視線はすでに別の方向を向いていた。会場がざわつき始め、貴族たちの囁きが波のように広がる。
「理由を聞きたいだろうな」
カルディスは冷ややかに続けた。
「平民出身の聖女候補、エミリアの方が気高く美しい。彼女こそが、王子の伴侶にふさわしい存在だ」
その言葉と共に、赤いドレスの少女が壇上に進み出た。エミリアだ。
17歳の彼女は、確かに目を引く美しさを持っていた。
長い黒髪が波打つように流れ、瞳は深い緑色で神秘的な光を放っている。聖女候補として認められた彼女は、平民出身でありながらも最近王都で注目を集めていた。エミリアはカルディスの隣に来ると、控えめながらも勝ち誇ったような微笑みを浮かべた。
リリアナの胸が締め付けられた。手が震え、膝が崩れそうになる。会場を見渡すと、貴族たちの視線が彼女に突き刺さっていた。
「エルザート家の令嬢は魔力が弱いから当然だ」
「聖女なら帝国も認めるだろう」
「そもそもあんな地味な娘では王子妃にふさわしくない」
嘲笑と同情が入り混じった声が、容赦なく耳に届く。
「カルディス様……どうして?」
リリアナの声は小さく、ほとんど誰にも聞こえなかった。カルディスは彼女を一瞥し、冷たく言い放った。
「君には気高さがない。魔力も弱く、王子の妃として恥ずかしいだけだ。今はもういない年寄り達の決め事など、俺には関係ない。分かったなら、さっさと下がれ」
その言葉が、リリアナの心に鋭い刃のように突き刺さった。
涙が溢れそうになり、彼女は慌てて目を伏せた。
泣くわけにはいかない。ここで泣けば、さらに笑いものになる。
でも、足が動かない。まるで体が鉛のように重い。エミリアがカルディスの腕にそっと手を置き、二人が寄り添う姿が視界に入った瞬間、リリアナの我慢が限界を迎えた。
「失礼します……」
小さな声で呟き、リリアナは壇上から逃げるように降りた。
貴族たちの視線が背中に刺さり、笑い声が追いかけてくる。
彼女はドレスの裾を握り潰し、転ばないように必死で歩いた。大広間の出口で待っていた使用人が慌てて馬車を用意し、リリアナを乗せる。馬車が動き出すと、彼女はようやく顔を上げた。窓の外に遠ざかる王宮を見ながら、涙が一筋、頬を伝った。
「帝国への貢物を増やすためにも、エミリアのような存在が必要だな」
馬車の中で、壇上で聞こえたカルディスの呟きがリリアナの耳に蘇った。
どういう意味かは分からない。
ただ、彼女にはもう関係のないことだ。すべてを失ったような気持ちで、リリアナは目を閉じた。王都の灯りが遠ざかり、彼女を乗せた馬車はエルザート家の領地へと向かう。
その背後で、舞踏会の音楽が虚しく響き続けていた。
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