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第九話「俺には分かるんだ」
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夜がエルザート家の領地を包み込んでいた。
森の木々が月明かりに照らされ、葉擦れの音が静かに響く。
リリアナは「菓子工房リリー」の裏庭から歩き出し、屋敷近くの森へと足を向けた。店が封鎖され、領民が去った後、彼女は一人になる場所を求めたのだ。エプロンを外さず、涙の跡が残る頬をそのままに、彼女は木々の間に座り込んだ。膝を抱え、冷たい地面に背を預けると、嗚咽が再び溢れてきた。
「やっぱり、私には無理だった……カルディスが正しかったんだ。魔力もない、気高さもない私に、何ができるっていうの?」
リリアナの声は小さく、森の闇に吸い込まれていく。
あの舞踏会の屈辱、店の封鎖、領民の失望した顔――すべてが彼女の心を押し潰していた。スイーツで人を幸せにしたいという夢は、脆くも崩れ去ったように思えた。
その時、木々の間から足音が近づいてきた。
リリアナがはっとして顔を上げると、月光に照らされたルカスの姿が現れた。
旅装のマントが風に揺れ、茶色の髪が少し乱れている。彼はリリアナを見つめ、静かに口を開く。
「こんなところで泣いてるなんて、らしくないな。諦めるつもりか?」
リリアナは驚きと恥ずかしさで目を伏せた。
「ルカスさん……見ないでください。私、みっともないだけだから」
彼女は涙を拭おうとしたが、手が震えてうまくいかない。ルカスはそっと近づき、彼女の隣に腰を下ろした。木の根に凭れ、腕を組むその姿は、いつも通り気さくで穏やかだった。
「みっともないなんて誰が決めたんだ? カルディスか? あいつは自分の保身のために動いてるだけだよ。君のスイーツがどれだけ人を幸せにしてきたか、俺は見てきた」
ルカスの声は低く、確信に満ちていた。リリアナが「でも、店は封鎖された。私の力じゃどうにもならない」と呟くと、彼は軽く笑った。
「力って何だ? 剣を振るうことか? 魔法で敵を倒すことか? 君のスイーツには人を動かす力がある。俺には分かるよ。領民が笑顔になったのも、俺がここに来るたび癒されたのも、偶然じゃない」
ルカスはリリアナをまっすぐ見つめ、言葉を続ける。
「カルディスにはそんな力はない。あいつにできるのは、権力を振りかざして人を黙らせることだけだ」
リリアナは目を丸くした。「私のスイーツに……力?」彼女は首を振って否定した。
「そんなわけないよ。私の魔力は弱い。貴族の中で一番弱いって、ずっと言われてきたんだから。魔法なんて使えないし……」
声が震え、再び涙が溢れそうになる。
ルカスは静かに立ち上がり、リリアナの手を引いて起こした。
「魔力って、強さだけじゃないよ。俺には分かるんだ。君のスイーツには何か特別なものがある。試してみようぜ、もう一度何か作ってくれ。俺が食べてやるから」
彼の瞳には確信と優しさが宿っていて、リリアナの心を小さく揺さぶった。
「もう一度?」リリアナは戸惑いながらも、ルカスの手を握り返した。その温かさに、凍りついていた心が少し解ける気がした。
「でも、店は封鎖されてる。材料だって……」
「屋敷のキッチンでいいだろ。材料なら俺がなんとかする。君が作る姿が見たいんだよ」
ルカスは笑い、森の出口へと彼女の手を引いていく。リリアナはまだ迷っていたが、彼の言葉に引っ張られるように歩き出した。カルディスの冷たい声が頭をよぎるたび、ルカスの「君ならできる」という信頼がそれを押し返した。
屋敷に戻ると、ルカスはソフィアに頼んで残っていた苺やクリームをキッチンに運ばせた。
リリアナはエプロンを締め直し、震える手で苺を手に取った。
「私にできるかな……」
彼女は呟き、ルカスが「できるさ。君のスイーツはいつも俺を驚かせてくれる」と笑うのを聞いた。
深呼吸して、彼女は苺を潰し始める。ピューレが赤く染まり、クリームと混ざる音が静かなキッチンに響く。
作業に没頭するうち、リリアナの心が少しずつ落ち着いてきた。
スイーツを作る感触――それは、彼女が初めて希望を見つけたあの夜と同じだった。「人を幸せにしたい」という想いが、指先に蘇ってくる。ルカスが隣で黙って見守る中、彼女は「希望のストロベリームース」を作り始めた。涙が一滴、苺に落ちたが、それを拭って続ける。
「ルカスさん、いつもありがとう。あなたがいてくれると、なんだか頑張れる」
リリアナは作業の手を止めず、小さく呟いた。ルカスは少し驚いた顔をした後、「おぅ、そりゃ嬉しいな。俺も君のスイーツが楽しみで仕方ないよ」と笑った。
キッチンに苺の甘い香りが広がっていき、リリアナの目に小さな光が戻り始めていた。
「もう一度だけ、やってみようかな」
彼女はムースを冷やす準備をしながら決意した。ルカスが「楽しみにしてるよ」と微笑むと、二人の間に静かな信頼が流れた。
窓の外では、月が森を照らし、リリアナの再起への一歩が刻まれていた。
森の木々が月明かりに照らされ、葉擦れの音が静かに響く。
リリアナは「菓子工房リリー」の裏庭から歩き出し、屋敷近くの森へと足を向けた。店が封鎖され、領民が去った後、彼女は一人になる場所を求めたのだ。エプロンを外さず、涙の跡が残る頬をそのままに、彼女は木々の間に座り込んだ。膝を抱え、冷たい地面に背を預けると、嗚咽が再び溢れてきた。
「やっぱり、私には無理だった……カルディスが正しかったんだ。魔力もない、気高さもない私に、何ができるっていうの?」
リリアナの声は小さく、森の闇に吸い込まれていく。
あの舞踏会の屈辱、店の封鎖、領民の失望した顔――すべてが彼女の心を押し潰していた。スイーツで人を幸せにしたいという夢は、脆くも崩れ去ったように思えた。
その時、木々の間から足音が近づいてきた。
リリアナがはっとして顔を上げると、月光に照らされたルカスの姿が現れた。
旅装のマントが風に揺れ、茶色の髪が少し乱れている。彼はリリアナを見つめ、静かに口を開く。
「こんなところで泣いてるなんて、らしくないな。諦めるつもりか?」
リリアナは驚きと恥ずかしさで目を伏せた。
「ルカスさん……見ないでください。私、みっともないだけだから」
彼女は涙を拭おうとしたが、手が震えてうまくいかない。ルカスはそっと近づき、彼女の隣に腰を下ろした。木の根に凭れ、腕を組むその姿は、いつも通り気さくで穏やかだった。
「みっともないなんて誰が決めたんだ? カルディスか? あいつは自分の保身のために動いてるだけだよ。君のスイーツがどれだけ人を幸せにしてきたか、俺は見てきた」
ルカスの声は低く、確信に満ちていた。リリアナが「でも、店は封鎖された。私の力じゃどうにもならない」と呟くと、彼は軽く笑った。
「力って何だ? 剣を振るうことか? 魔法で敵を倒すことか? 君のスイーツには人を動かす力がある。俺には分かるよ。領民が笑顔になったのも、俺がここに来るたび癒されたのも、偶然じゃない」
ルカスはリリアナをまっすぐ見つめ、言葉を続ける。
「カルディスにはそんな力はない。あいつにできるのは、権力を振りかざして人を黙らせることだけだ」
リリアナは目を丸くした。「私のスイーツに……力?」彼女は首を振って否定した。
「そんなわけないよ。私の魔力は弱い。貴族の中で一番弱いって、ずっと言われてきたんだから。魔法なんて使えないし……」
声が震え、再び涙が溢れそうになる。
ルカスは静かに立ち上がり、リリアナの手を引いて起こした。
「魔力って、強さだけじゃないよ。俺には分かるんだ。君のスイーツには何か特別なものがある。試してみようぜ、もう一度何か作ってくれ。俺が食べてやるから」
彼の瞳には確信と優しさが宿っていて、リリアナの心を小さく揺さぶった。
「もう一度?」リリアナは戸惑いながらも、ルカスの手を握り返した。その温かさに、凍りついていた心が少し解ける気がした。
「でも、店は封鎖されてる。材料だって……」
「屋敷のキッチンでいいだろ。材料なら俺がなんとかする。君が作る姿が見たいんだよ」
ルカスは笑い、森の出口へと彼女の手を引いていく。リリアナはまだ迷っていたが、彼の言葉に引っ張られるように歩き出した。カルディスの冷たい声が頭をよぎるたび、ルカスの「君ならできる」という信頼がそれを押し返した。
屋敷に戻ると、ルカスはソフィアに頼んで残っていた苺やクリームをキッチンに運ばせた。
リリアナはエプロンを締め直し、震える手で苺を手に取った。
「私にできるかな……」
彼女は呟き、ルカスが「できるさ。君のスイーツはいつも俺を驚かせてくれる」と笑うのを聞いた。
深呼吸して、彼女は苺を潰し始める。ピューレが赤く染まり、クリームと混ざる音が静かなキッチンに響く。
作業に没頭するうち、リリアナの心が少しずつ落ち着いてきた。
スイーツを作る感触――それは、彼女が初めて希望を見つけたあの夜と同じだった。「人を幸せにしたい」という想いが、指先に蘇ってくる。ルカスが隣で黙って見守る中、彼女は「希望のストロベリームース」を作り始めた。涙が一滴、苺に落ちたが、それを拭って続ける。
「ルカスさん、いつもありがとう。あなたがいてくれると、なんだか頑張れる」
リリアナは作業の手を止めず、小さく呟いた。ルカスは少し驚いた顔をした後、「おぅ、そりゃ嬉しいな。俺も君のスイーツが楽しみで仕方ないよ」と笑った。
キッチンに苺の甘い香りが広がっていき、リリアナの目に小さな光が戻り始めていた。
「もう一度だけ、やってみようかな」
彼女はムースを冷やす準備をしながら決意した。ルカスが「楽しみにしてるよ」と微笑むと、二人の間に静かな信頼が流れた。
窓の外では、月が森を照らし、リリアナの再起への一歩が刻まれていた。
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