蓮の骨

ユウ

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蓮の骨

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 なぜこんなところに私はいるのだろうか。まだ見頃とは程遠い蓮池を前にしてそんなことを考えていた。
 今日は3年間通った高校の卒業式の日。本来なら教室で友達と思い出話に花を咲かせたり、お世話になった先生へ挨拶へ行くのが普通なのだろう。こんなところでそよ風を浴びている暇ではないはずだ。
 しかしなぜか今私は学校から徒歩数分のところにある蓮池近くのベンチに座り込んでいる。
 いや「なぜか」というのは私自身が一番分かっているはずだ。
 結局そこまで親しいと思える人間が3年間の高校生活ではできなかった。
 全く人と関わらずひとりぼっちで生きてきたわけではない。毎日友達と机を向かい合わせて昼食は食べていたし、体育祭や文化祭、球技大会といった行事ではそれなりにクラスの一員として楽しんでいた。
 でも結局はその程度の関係性止まりだった。同級生というくくりが無くなり各自バラバラの進路を歩み始めた時点で私との繋がりは無くなってしまう。そのことが卒業式を前にして分かりきっていた。
 だから教室ではなく人気のない蓮池にいる。離れてしまう人たちといても意味がないのだから。
 
 そんなことを考えていたら視界の端に水面の揺らめきが映った。アメンボかカエルかはたまた鴨か。ベンチから腰を上げ、池の柵に軽くよりかかりながら水面を覗く。
 そこには見慣れた自分の顔以外見当たらなかった。私自身と目が合う。そよ風が私の髪の毛を揺らすと向こうの私の髪も同じく揺れる。卒業式というめでたい日になんて顔をしているのだろうか。思わず自嘲してしまう。
 その時急に真っ白な蓮が水面から生えてきた。カメラの映像を早送りしたかのような、植物にしてはあまりに不自然な速さで蓮はその花弁を大きくしている。驚きのあまりすぐに顔を上げ、体を柵から離そうとするが動かない。むしろその白さに惹かれ、より近づいているような感覚さえしている。
 視界が花弁の色である白に包まれると私は気を失った。


 目が覚めると私は先ほどとなんら変わらない場所にいた。学校近くの蓮池の前。池の底へ瞬間移動したわけでも、江戸時代へタイムスリップしたわけでもなかった。
 うたた寝でもして夢でも見ていたのかと考えた矢先

「久しぶりだね。」

 すぐに私は声のした方へと振り返る。そこには肩まである長髪に金と茶色のメッシュを入れた男性が立っていた。年齢は20代後半から30代前半ほどで身長は185cmほどだろうか。その佇まいを見て私はすぐにその人の名前を思い出した。

「太田さん! お久しぶりです!」

 この男性の名前は太田さん。5年ほど前まで私が通っていた美容院でカットを担当してくれていた方だ。私に似合う髪型やそれに合わせたファッション、時には学校生活の相談事にも乗ってくれた。家族と同じくらい信頼を置いていた人だ。
 一美容師から美容専門学校の講師になるために店を辞めこの町を離れたはずの人がなぜここにいるのだろうか。

「今日は急にどうしたんですか?というかどうして私だって分かったんですか?あの頃とはかなり背も伸びて髪型も変えたのに。私は今日高校の卒業式なんですけど太田さんは今何をしてるんですか?」

 数年ぶりに再会できた嬉しさも相まって早口で質問をまくし立ててしまう。
 そんな私を見て太田さんは優しく微笑む。

「まあ立ち話もなんだし座って話そうか。」

 さっきまで私が座っていたベンチに腰を下ろす。私もその隣に座った。
 
 「変わらず元気そうだね。今日は卒業式らしいけど学校に行かないでいいの?」

 そう聞く太田さんの声色は5年前となにも変わっていなかった。とても優しく安心のできる声色だった。

「はい。たぶん4月になって大学が始まればクラスのみんなはそっちの友達のほうへ行っちゃうだろうから...。ギリギリまでここにいればいいかなって。」

 改めて言葉にするととても恥ずかしい。私は18にもなってまだこんな陰気な考えをしているのかと思うと体が熱くなる。
 
 「そっか。」

 太田さんは笑顔を崩さずポツリと一言言うのみでそれ以上はなにも言ってこない。

「.....」

「.....」

 沈黙が流れる。
 一度会話が途切れてしまうと新しい会話の糸口がなかなか掴めない。こんな場合どのような話題を振るのが適切だろうか、聞かれたくないことを無神経に聞いてしまうのではないかということを考え、黙りこくってしまう。
 
「5年前に一度さよならをしたわけだけど、その日のことは覚えてる?」 

 悶々としていた私に太田さんからの質問が投げかけられる。
 せっかく再開した会話を途切れさせないために私は慌てて答えた。

「もちろん覚えています...。学校の先生になるからもうお店で会えなくなるって言われて...、それから....。」

 言葉に詰まってしまう。その時は軽い会釈とお礼を言っただけでそそくさと店を出てしまったからだ。
 
「そう。一言お別れを言って、それで終わり。もっと気持ちを伝えてくれたり、泣いてくれたりするんじゃないかと思ってたんだけどね。」

 太田さんの声色は全く変わらない。とても優しい声色だ。でもなぜかその声色が私にはとても重く感じた。

「なんでそんなお別れの結果になったのか。理由は単純なものだよ。ただの思春期さ。」
 
 「思春期」
 だれもが経験するであろう成長期。子どもから大人への成熟期。人生で最も後悔が残る時期。

「あの時君は自分の言葉で感謝や好意を伝えるのが恥ずかしかっただけなんだよ。」
「今までありがとうございました。5秒で終わるお別れの言葉だよ。言えたのはそれだけ。」
「連絡先を聞いて関係を終わらせないことだってできたはずな

「ごめんなさい!」

 太田さんの言葉を遮って謝る。返せる言葉はそれしか無かった。

「ずっと後悔が残ってるんです!あの時ああ言えばよかった、こう言えばよかったって!でもその時は言えなくて...。」

 言葉と涙が溢れ出る。気恥ずかしいという一時の小さな感情からの行動で大切な人との関係が終わってしまった。

「それならなんで今君はこんなところにいるのかな。」

 太田さんの声色は優しいまま変わらない。

「今日もまた大切な人たちとの関係を終わらせたいのかい?それでまた日毎に後悔するのかい?」

「違います!」

 語気を強めて否定する。本当はそんなことを望んではいない。

「学校の人とはずっとこのまま友達でいたいです。私と仲良くしてくれてありがとうってお礼を言いたいです。本当はそう思ってるんです...。」

 本音を吐き出す。高校生活最後の日はみんなと笑ってお別れをしたい。

「それじゃあ学校へ行こうか。元いたところへ戻ろう。」

 太田さんはベンチに座ったまま池に咲いている大きな白い蓮を指差す。不思議となぜか私の足はその蓮へと向かっていった。

「最後に聞かせてください太田さん!今どこでなにをしているんですか?」

 なんとなくだかもうすぐ太田さんとはまた会えなくなる。そんな予感を感じて最初からずっと知りたかったことを聞いてみる。

「いやそれは答えられない。もう君との関係はあの日で終わってしまったから。」

 自分自身から聞いたもののなんとなくそんな気はしていた。最後にお別れをしたあの日と見た目が変わっていない。この太田さんは今どこかで生きている太田さんではないのだろう。

「わかりました!ありがとうございます!お元気で!」

 それでも構わない。言いたいことは全て言えたのだから。

 また池の柵に軽くよりかかり、蓮を覗く。白い花弁が瞬く間に広がり私の視界を覆いつくす。また気を失った。


 目が覚めると私はベンチに座っていた。隣に太田さんはいないし、白い蓮も池にはない。
 一体どこまでが現実なのか、果たしてあの時間がなんだったのか知りようはもうない。それでも気分は軽やかになっている。学校に向かおう。
 ベンチから立ち上がり携帯電話を見る。友達から学校の玄関で写真を撮ろうという誘いのメッセージが入っている。受信から10分ほど経ってしまっているがまだ待ってくれているだろうか。
 そんなことを考えながら学校へ向かって駆け出した。
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