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英雄譚の事後

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「西の辺境伯さまはね、英雄なんだよ」
 食事のあと、シオン兄さまは一冊の本を見せてくれた。竜の背に乗って空を駆ける騎士が表紙に描かれている。
 竜騎士ってことかな。でも竜って実在するの?
「西の辺境伯さまの活躍を記した物語なんだよ」
 兄さまが、きらきらした瞳で教えてくれる。
 最近兄さまは剣術を習い始めた。その流れで騎士や剣士に憧れを抱いているらしい。英雄もそのカテゴリなのだろう。ただ、残念なことに妹の私から見ると、剣術に向いているとは思えないので、嗜み程度にしておいてほしい。
 というか、活躍を記したということは、実録なのだろうか。
「剣と魔法で魔獣から国を守った凄い人なんだ」
 英雄というと魔王を倒す人かと思ったけど、魔獣が相手らしい。魔王を倒すのは勇者だっけ? そもそも魔王ってこの世界に居るんだっけ?
 情報量がちょっと多い……。


「そうね、五十年くらい前の、先代の西の辺境伯さまの英雄譚ね」
 母さまが本を手に取り、ぱらぱらとめくる。
「武功を立てられて王女さまを娶られたのよ」
 母さまが開いて見せてくれたページには、渋めのおじさまが可憐な美少女を背中から抱き締め、熱い眼差しをかわしているというなかなかにロマンティックな構図の挿絵が描かれている。
 竜に乗って空を駆け、剣と魔法を使い、王女さまと結婚。
 凄いというか輝かしいというか、もしかしてこの世界の主役は先代の西の辺境伯さま? というレベルである。実録英雄譚が出版されるのも頷ける。
 本当にそうだったら、現在のこの世界は物語の事後ってことになっちゃうけど。


「西の辺境伯さまのお孫さまが、百年に一度の逸材なの?」
 五十年前に活躍した英雄の子供が、学園に入学するような年齢とも思えないので、孫説を打ち出してみる。
「どうなのかしら……」
 母さまは頬に手を当てる。英雄の孫が百年に一度の逸材というのは納得のいく流れなのだが、確信が持てないらしい。
「そうだわ、貴族年鑑で調べてみましょう」
 え、待って、貴族年鑑?
 国中の貴族の情報がみっちりと詰め込まれているという、アレ?
 それが我が家にもあったんだ? 見たい! 欲しい!
「執事長に、貴族年鑑を持ってくるように伝えてちょうだい」
 母さまは、侍女に指示を出す。
 貴族年鑑は父さまの執務室にあるらしい。執務室の管理は執事長の管轄である。


「母上、貴族年鑑で調べられるのですか?」
 シオン兄さまが首を傾げている。
 確かにそうだ。いくら情報が詰め込まれている貴族年鑑といっても『百年に一度の逸材と呼ばれているのはどこそこの令息』なんて噂話的記述があるとは思えない。
「今年度入学する年齢の令息がいらっしゃるかどうかを見れば分かるでしょう? 辺境伯家は三つしかないのだし」
 西の、という呼び方から、辺境伯家は東西南北の四つあるのかと思ってたけど、三つしかないらしい。私はこの国の地図を思い浮かべる。
 確か北の国境近くにダンジョンがあるんだよね。当然警戒が必要だから北の辺境伯家は存在する筈。東も、魔獣のいる森が国境線だった筈だから存在する……とすると、海に面している南が辺境伯不在なのかな。
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