甲賀忍者、甲子園へ行く【地方予選編】

山城木緑

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いざ初戦。甲賀者、参る。

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「伊香保くん、ノートの大事なところを見せてくれぬかな」

 橋じいがひょこひょことベンチの前の方へ歩いてきた。

「ああ、はい。どうぞ」

 伊香保はデータブックを橋じいへ手渡した。暇になっちゃったかな? それくらいに思っていた。

 橋じいは伊香保のデータブックに感嘆の声を上げた。

「これは、何とも信じ得ぬ情報量じゃ。して、次の打者のウイィィクポオイントじゃが……」

 伊香保は少し苛立ちの表情を見せた。橋じいの暇潰しに付き合っている暇はないのに……と。だが、しつこくされてもそれはそれで困る。

「次のバッターは明らかに打てないコースがあります。内角低め。ここを今まで打ててないんです。藤田くんがうまくそこを突いて抑えてたんですけど、今は疲れてきてるから、そこに投げられるかどうか……」

 ふむ。ふむふむ。ゆっくり橋じいが読み込む間に、藤田はウィークポイントの内角低めに投げ込むが、悉く外れている。

 ボーーール!

 ふむ、ふむむん。

 と、橋じいがすっくと立ち上がる。ふぉっふぉと髭を撫でながら、ベンチを出た。

「よおぉい、審判どのぉ、タアァァァイムじゃあ!」

 突然、老人が叫び、球場の全員が驚いてピョンとその場で飛んだ。

 え? え? え?

 ちょっと待って? 何をする気?

 橋じい、ちょっと待って。

 伊香保が混乱している。

「審判どの。選手の交代を言いますぞ」

 ひょこりひょこり、橋じいが審判へ歩を進める。

 レフトから副島が叫んでいる。「おーい、どしたんや! おーい、橋じいが何かしとるぞ。伊香保ー、止めろー」

 虚しくその声は風にかき消されていく。

 ベンチでは伊香保が顔を真っ青にして、あわわと慌てふためいている。

「捕手の滝音くんをですなぁ、投手にしましょうかな。投手の藤田くんを左翼手へ。左翼手の副島主将を一塁手としましょうな。……ええ、どこまで言うたかの」

 聞いている審判が明らかに戸惑っている。

「すみません、監督さん。2番を10番と交代ですね。背番号で言うてください」

「番号とな。うちの生徒諸君は囚人にあらず! 失礼極まりないと思いたまえ!」

 試合前の万歳三唱と同じ音量が球場に響く。

「…………………………はい」

「えー、どこまで言うたかのう。あとは、あれじゃよ。一塁手の道河原くんを捕手としようか。あの体躯じゃ。向かい来る球にも身体で止めようぞ。のう、審判の御方よ」

「………………………………………………はい」

 ピッチャー、滝音。

 キャッチャー、道河原。

 ファースト、副島。

 レフト、藤田。

 ……終わった。交代が告げられた以上、ピッチャーは必ず一人の打者に投げなければならない。

 橋じいが動くなんて想像だにしていなかった。副島は呆然としながら、一塁へ向かった。ベンチから、ふぉっふぉと橋じいの笑い声が響いている。その前で伊香保がほぼ気を失っている。

 道河原があくせくして、キャッチャーレガースをつけている。サイズが小さすぎて、何かの拷問でも受けているかのように見える。

 藤田はレフトでしゃがみこんでいる。

 置いてけぼりの白烏がブルペンで大口を開けて、こちらもほぼ気を失っている。

 終わった。

 副島は空を見上げる。太陽が腹を抱えて笑っているように見えた。
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