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2.ごめんよ
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ひどく怯えている。
早坂祐吾はその子パンダをひと目見て、これは難しいと感じた。
白髪が目立つ髪をかき上げ、祐吾は汚れたベージュのキャップに白髪をおさめた。ふうぅと腰に手をあて大きく息を吐いた。
この動物園で動物たちの飼育に携わって、もう三十年になる。
人という生きものへの怯えや、車や船に揺られる恐怖、体感したことのない気候への不安。どんな動物でも、少なからずそうしたストレスを抱えている。
それにどれだけの愛情を注いであげられるか。体裁ではなく、心からの愛情を注いであげられるかどうかで、動物たちは唯一の拠りどころとして、祐吾を頼ってくれることになる。その愛によってやがて、動物たちはこの堂ヶ芝動物園を我が家として認識して、次第に笑顔を溢すようになるのだ。
だが、この子パンダは不安や恐怖に加えて、大きな悲しみにくれている。こんなに小さな子が頭を混乱させて、心の病気にかかっている。
人間でいえば、重度の鬱病にて社会生活を送れない状態。そう表現したら分かりやすいだろうか。それも三歳児が……と想像してもらうと、切迫さは伝わるだろうか。
信頼してもらう以前に、祐吾はこの子パンダの心の病気を治してあげたかった。
時間があれば、時間を長く取ることができれば、ひょっとしたらこの子パンダは笑顔を浮かべてくれるかもしれない。
けれども、時間がない。
この堂ヶ芝動物園には、その時間がないのだ。
早坂祐吾が難しい、と感じたのはそこだった。
『大阪にパンダがやってくる』
堂ヶ芝動物園にとって一世一代の大勝負であった。
戦後に誕生したこの堂ヶ芝動物園は来年で開園から百二十周年を迎える。
細かなリニューアルや改築は行ってきたが、少子化の影響も大きく、大規模改修を行うほどの資金はない。
ただ、このままでは未来ある大阪の子供たちに動物を見せてあげられなくなってしまう。経営は正直、そこまで考えざるを得ない状況に陥っていた。
そこへ、渡りに舟と言うべき話が堂ヶ芝動物園に舞い込む。
「子パンダを買わないか」
という中国民間団体からの営業であった。
祐吾はもちろん、園長も他の飼育員たちも首を傾げた。
「子供だけ? 何で?」
その疑問をもう少しその場で詰めていたら、未来はすこし変わっていたのかもしれない。
だが、園に勤めるものは皆、経営危機で頭がいっぱいであった。園を守れるならば……。どうしても頭はそちらに流れがちで、動物という命を預かるリスクにたいしてヘッジがなされていなかったと言える。
「堂ヶ芝動物園は失礼ながら、経営も厳しいと聞く。親パンダは移送費もばかにならないし、それに、二頭となるとその金額までは出せないでしょう。だから、親のいない保護している子パンダ一匹をどうかと。どうしますか?」
売り手のそんな文句に堂ヶ芝動物園は首を縦に振るしかなかった。
下世話な言い方をすれば、パンダは客を呼べる。
それで園にいる動物たちも、もちろん必死で働く職員たちも救われる。大阪の子供たちに動物をこれからも見せてあげられるのだ。
堂ヶ芝動物園は子パンダを買う話に乗った。融資をとりつけるため、園長は駆け回った。
広報に『堂ヶ芝動物園にパンダが来る』を宣伝させ、マスコミはこぞってその話題を取り上げてくれた。
早坂祐吾はその子パンダをひと目見て、これは難しいと感じた。
白髪が目立つ髪をかき上げ、祐吾は汚れたベージュのキャップに白髪をおさめた。ふうぅと腰に手をあて大きく息を吐いた。
この動物園で動物たちの飼育に携わって、もう三十年になる。
人という生きものへの怯えや、車や船に揺られる恐怖、体感したことのない気候への不安。どんな動物でも、少なからずそうしたストレスを抱えている。
それにどれだけの愛情を注いであげられるか。体裁ではなく、心からの愛情を注いであげられるかどうかで、動物たちは唯一の拠りどころとして、祐吾を頼ってくれることになる。その愛によってやがて、動物たちはこの堂ヶ芝動物園を我が家として認識して、次第に笑顔を溢すようになるのだ。
だが、この子パンダは不安や恐怖に加えて、大きな悲しみにくれている。こんなに小さな子が頭を混乱させて、心の病気にかかっている。
人間でいえば、重度の鬱病にて社会生活を送れない状態。そう表現したら分かりやすいだろうか。それも三歳児が……と想像してもらうと、切迫さは伝わるだろうか。
信頼してもらう以前に、祐吾はこの子パンダの心の病気を治してあげたかった。
時間があれば、時間を長く取ることができれば、ひょっとしたらこの子パンダは笑顔を浮かべてくれるかもしれない。
けれども、時間がない。
この堂ヶ芝動物園には、その時間がないのだ。
早坂祐吾が難しい、と感じたのはそこだった。
『大阪にパンダがやってくる』
堂ヶ芝動物園にとって一世一代の大勝負であった。
戦後に誕生したこの堂ヶ芝動物園は来年で開園から百二十周年を迎える。
細かなリニューアルや改築は行ってきたが、少子化の影響も大きく、大規模改修を行うほどの資金はない。
ただ、このままでは未来ある大阪の子供たちに動物を見せてあげられなくなってしまう。経営は正直、そこまで考えざるを得ない状況に陥っていた。
そこへ、渡りに舟と言うべき話が堂ヶ芝動物園に舞い込む。
「子パンダを買わないか」
という中国民間団体からの営業であった。
祐吾はもちろん、園長も他の飼育員たちも首を傾げた。
「子供だけ? 何で?」
その疑問をもう少しその場で詰めていたら、未来はすこし変わっていたのかもしれない。
だが、園に勤めるものは皆、経営危機で頭がいっぱいであった。園を守れるならば……。どうしても頭はそちらに流れがちで、動物という命を預かるリスクにたいしてヘッジがなされていなかったと言える。
「堂ヶ芝動物園は失礼ながら、経営も厳しいと聞く。親パンダは移送費もばかにならないし、それに、二頭となるとその金額までは出せないでしょう。だから、親のいない保護している子パンダ一匹をどうかと。どうしますか?」
売り手のそんな文句に堂ヶ芝動物園は首を縦に振るしかなかった。
下世話な言い方をすれば、パンダは客を呼べる。
それで園にいる動物たちも、もちろん必死で働く職員たちも救われる。大阪の子供たちに動物をこれからも見せてあげられるのだ。
堂ヶ芝動物園は子パンダを買う話に乗った。融資をとりつけるため、園長は駆け回った。
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