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第28話:3年1組 心堂 凰陽(14)

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強烈なビンタを喰らったのに頬を押さえようとせず、澪彦さんは突如として目の前に現れた死んだ筈の姉を、大きく見開かれた目で見続けていた。

「なんで・・・なんで私の死を無駄にしない為に他の人達が犠牲にならなくちゃいけないんですか!?私はそんな愚かな事なんかちっとも望んでません!!」

瞳から大粒の涙をポロポロと流して、心堂会長は年老いた弟に怒鳴り散らしていた。

「もしあなたが・・・私を想って、これ以上・・・間違った行いを・・・繰り返すんだったら・・・」

大泣きして、引き声で呼吸しづらくなった心堂会長は「ふぅ~」と深呼吸して息を整えた。

そして・・・

なんか、もう弟とは二度と思わないから!!!!」

心堂会長はそう大声で叫ぶと、つかつかと講堂を後にした。

澪彦さんは、瞬きを一切せずに俯きながらその場に立ち尽くし、微動だにしなかった。

「て、手厳しいながらもどこか考えさせられる意見、ありがとうございましたっ。こ、これにつきまして本日の講話はこれで終了したいと思います。心堂会長、今日は誠にありがとうございました!」

どうにか取り繕ろうとする校長の挨拶、そして事態がまだ掴めていないながらもそれを飲み込んだ生徒のパラパラとした拍手に囲まれ、澪彦さんはトボトボと力のない歩みで舞台袖に引っ込んでいった。



◇◇◇



放課後の部活動、部室に集まった僕達は気まずさのあまり一言も発する事が出来なかった。

心堂会長は、部室には現れなかった。

あんな事があった後なのだから、それは仕方のない事なのだろうが。

僕は申し訳なさで吐きそうだった。

まさか自分が提案した作戦が、これほどまで後味の悪い結果に終わってしまうなんて・・・

心堂会長と澪彦さんに、どう詫びれば良いのだろうか?

最終的に、あの2人の姉弟としての繋がりをブチ切ってしまった。

その原因を作ってしまった僕は、果たしてどう落とし前をつければ良いのだろうか・・・?

「櫟先輩、もしかして今、“全部自分のせい”なんて思ってるんじゃないですか?」

不意に聞いてきた賽原に、僕は唇を噛み締めて小さく頷いた。

「先輩が気に病む必要なんかないですよ。あの男は姉の遺言さえ無視して自分を貫こうとした。はっきり言って自業自得です。」

「でっ、でも、僕がこんな事思いついたりしなかったら2人の仲を引き裂くこともなかったかもしれないだろ!?」

「櫟先輩はやれるだけの事をやって、それであの男が勝手に自滅しただけですよ。あんなの身勝手さで最も大切なものを自分から手放した、ただの馬鹿です。」

「そっ、そんなひでぇ言い方ねぇだろ!!澪彦さんがどんだけ辛い思いで今まで生きたきたか知らない癖に・・・!!」

「分かりませんよ。分かりたくもないですよ。あんな下らない結果で終わる位だったら。」

「てっ、てめぇな・・・!」

「もう止めないか!!」

賽原に掴みかかろうとした瞬間、魅守部長が声を荒げて制止した。

「誰が悪いか悪くないか、そんな事最早論ずるのは不可能ではないか!それで先程の出来事を覆らせるのはできないのだから。」

魅守部長に諭されて、僕と賽原はこれ以上言い合うのは止めた。

その言い分はもっともだ。

責任の所在を追求したところで、物事を好転させる機会はとうに過ぎ去った。

でも、だったらこのやるせなさは、どうやって取り払えばいいと言うんだ。

ため息をついて、僕は旧旧校舎と旧校舎の間の中庭を窓から眺めた。

そこに、寂しげな顔をして、中庭を見回す1人の老人の姿があった。

あれは、澪彦さんだ!!

僕は居ても立っても居られず、部室を勢いよく飛び出した。

2人もそれに続いて、僕達3人は全員中庭へと降りて行った。

「はぁ、はぁ・・・澪彦さん!!」

僕達の気配を察した澪彦さんは、諦めを持った表情をゆっくり向けてきた。

「おや、確か君は・・・」

「3年の魅守です!!こっちの2人は、私の部活の後輩で・・・」

「ふむ、そうか。それで、どうしたのかね?」

「えっと、あの、その・・・」

「本当にすいませんでした!!今回の事は全て僕のせいなんです!!」

突然の謝罪で少し困惑する澪彦さんに、僕は自分の口から全てを説明した。

僕達の部活の実態、姉の心堂会長から依頼を受けた事、さっきの出来事は、僕が考えた作戦だったこと。

「なるほど、そうだったのかね。」

「本当に、どうやって責任を取ったらいいか・・・お二人の姉弟としての絆を、断ち切ることになるなんて・・・」

「いや、いいんだ。」

「えっ?」

「あの後、自分なりに考えてみたんだ。私は姉の無念を晴らそうと今日まで他の誰かを蔑ろにしてきたが、結局のところ、全て自分の我儘に過ぎなかったとね。君達の話を聞いて今はっきり分かったよ。私はね、久しぶりに再会できた唯一の肉親だったのに、姉を深く悲しませてしまった。呆れて物も言えない程に最低の弟だ。これでは、縁を切られて当たり前だよ。」

自嘲しながらつらつらと言う澪彦さんは、本当に全てを諦めたような顔で、見ているこっちが泣きたくなってしまいそうだった。

「澪彦さん。これからどうされるんですか?」

「取り敢えず私のやってきた行いの償いの道を模索してみるよ。今更そんな事をしたところで、姉は許してはくれないだろうがね。」

澪彦さんは、その言葉を最後に手を軽く上げると踵を返して正門へと歩いて行った。

呼び止めようとしたが、魂が抜けたような後ろ姿を見て、躊躇ってしまった。

すると突然、魅守部長が何かに気づいたようで、澪彦さんを大声で呼び止めると彼の右手を自分の右手で握った。

「ね、姉さん・・・」

そこに、澪彦さんに遮られて見えなかったが、心堂会長が、先程とは打って変わって穏やかな表情で澪彦さんを見据えていた。

「ようやく心変わりしてくれましたね。全く。いくつになっても、ミオは意地っ張りなんだから。」

「姉さん・・・俺・・・」

「何も言わなくていいの。私はね、ミオが自らの行いを省みる決意を見せてくれただけで、本当に嬉しいの。私の方こそ、さっきはあんな酷いこと言ってしまって、本当にごめんなさい。」

心堂会長が謝ると、澪彦さんはそれを強く否定しようと大きく首を横に振った。

「フフッ、おかしいね。」

「なっ、何が?」

「ミオ、昔から私が強く叱り過ぎたことを謝ってくると、“姉さんは悪くない。”って泣きながら言ってくれたわね。おじいちゃんになっても、ちっとも変わらないなんて、なんだか笑っちゃう。」

心堂会長が、微笑むと澪彦さんは少し恥ずかしそうにしながら涙を袖でぬぐった。

心堂会長は、澪彦さんの傍まで歩み寄ると、少し背を伸ばしてその頭を撫でた。

「今まで私のことを想い続けてくれて、本当にありがとう。あなたはやっぱり、姉さんの自慢の弟です。」

「姉さん・・・」

「これからも、心堂家の長男として恥じることのない立派な人であり続けることを心から願っていますよ。」

澪彦さんは再び俯いて、人目も憚らず嗚咽しながら泣き始めた。

僕にはその姿が、幼い弟が悪さをした後で姉に叱られて、優しく頭を撫でられているような光景に見えた気がした。
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